鉄道その他

2014年7月 6日 (日)

松本電鉄往復記

最近あちこちの地方鉄道を冷やかしているのは、以前書いた通りだ。

その中でもちょっと古いネタだが、6月中旬に赴いた松本電鉄について触れてみたい。尚、松本電鉄は現在「アルピコ交通」と社名を変更しているが、乗車券類にも松本電鉄の名が残っているので、敢えてそちらの名前を使うこととする。

会社名の通り、松本電鉄の始発駅は松本駅だ。JRと共用になっている改札機を通ると、一番奥の更に端っこ、7番線が

Dscn7045松電の乗り場になっている(正式には松電上高地線なので、案内にもその文字がある)。改札が共用なのの経緯は知らないが、券売機の切符の台紙もJRのものと共用になっている。

Dscn7047jr然も、券面左上にはJR東日本を示す「□東」の文字が入っている。何かJRにのっとられた線路のようだ。

やって来た電車はこれ。

Dscn70485000誰が見ても「京王のお古だな」とわかる形状だ。沿線には「淵東(えんどう)」駅と「渚」駅があるのを文字って、鉄娘に「えんどう なぎさ」ちゃんが採用されている。

Dscn7049世の中には上手に可愛い女の子を書く人がいるものですなぁ。これが当の「淵東なぎさ」ちゃんで、同鉄道のシンボルキャラクターになっている。

発車まで時間があるので、少々、車内外を徘徊してみる。

Dscn7052きちんとサボが準備されている辺りは流石と思う。普通は前後の方向幕だけで済ませそうなところだが。

Dscn7054車内銘板。製造は東急車輛になっているが、改造は元・親元系列の京王重機になっている。それにしても昭和41年製とは古い車両だ。

Dscn7055天井の扇風機。これは京王独特のスタイルと思われ、今年4月に乗った上毛電鉄(同じく、元京王車両を使用)でも全く同じ形が見られた。

時間を待って発車すると、すぐに次の西松本に停まってしまう。概して駅間距離は短いようで、これは地方私鉄にはよくあるパターンと思う。

松本から15分ほどで新村で、ここには車両基地がある。

Dscn7059予備の1編成と、その左隣には元東急の「青ガエル」の姿が見える。青ガエルは以前はここの鉄道で使われていたものらしく、地元の有志の方が元のカラーに戻して、保存・整備に当たっているという。

終点の手前に、例の淵東(えんどう、表記上は「渕東」)駅がある。

Dscn7060淵東なぎさちゃんがお迎えしてくれる。始発から2つ目の「渚」駅でもこうだった。

更に2分ほど走ると呆気なく終点の新島々へ着いた。

Dscn7062ここでも予備の1編成が待機していた。線路はここから先に向かって、更に奥へと延びている。

Dscn7063調べてみると、1985年か86年かに大水害でもう一つ先の島々まであった路線を、廃止にしているらしい。一駅でも廃止になっているのは残念だ。駅前には、その旧の島々駅舎だけが保存されていた。

Dscn7075こじんまりとした終点だったようだ。

さて、駅前のバスターミナルでは、電車の到着に合わせて松電のバスが2本発車するようにダイヤを組んでいるらしい。一本は上高地・乗鞍高原行き、もう一本は白骨温泉行きである。

Dscn7064既に梅雨に入っていてこの日は客が少なかったが、夏休みなどは賑わうのだろうと思う。バスターミナルに隣接してバス車庫もあった。

新島々では電車を2本見送った。発車シーンなどを2枚。

Dscn70661
Dscn707222枚目のホームからの写真は、駅員さんに許可を頂いて撮った。この線はワンマン運転が基本なので、余分な客はホームには入れてくれないらしいのだ。ちょっと写真を撮らせて欲しいのだが、と頼むと気よく入れてはくれたが。

近くのコンビニで昼食を仕入れて食べ、戻りにかかる。

帰りの電車で気付いたのだが、ワンマン運転原則、無人駅原則なので、運賃箱には2両連結の運転士すぐ後ろの料金箱へ料金を投入する。料金箱にはちゃんと

Dscn7082どちら行きの時に使う運賃箱かが明記してあった。結構細かい配慮だなと感心した。

かくして梅雨時の松電を、3時間くらいかけて堪能してきた。都会のような煩雑な路線ではないので本数は少ないけれど、結構こう云う電車に乗ってみるのも面白味を感じている。

5月の末にこっそりと上田交通別所線と長野電鉄にも乗ってきたので、これで長野県の鉄道も完乗したことになるかな。ちょっとずつこうした県が増やしていければいいなと思う。

| | コメント (12) | トラックバック (0)

2014年6月23日 (月)

ちょっと実験

「実験」とは変な表現だが、最近、JRも乗りつくしてしまって、時間があると地方私鉄を冷やかしたりしている。それで、私鉄全線も乗ろうかどうしようかちょっと迷っているのである。

で、どうしようかと思いながら、取り敢えず手近な近鉄線で自分を試してみようと云う気になったのだ。名古屋から出発して特急で大阪難波へ出、そこから近鉄奈良線で奈良へ、そして更に京都線で京都へ出てJR在来線で名古屋へ帰る、との案が日帰りでできることがわかった。そこで、一度それらに乗ってみようとの気分になったのである。退屈するか否かと云うことだ。

朝、9時前に近鉄名古屋駅へ行って、9時半の難波行き特急券を所望した。すると意外にも満席だと言われ、次の10時発でも残り8席だと言われた。仕方ないので、10時発の特急「アーバンライナー」で、まずは大阪難波へ向かうことにした。

Dscn7090ul先頭形状はあまり格好いいとは思わないが、大阪へ急ぐなら、新幹線以外にこれしか手段がないから仕方ない。

それでも乗ってみると快適で、少し雨模様の中を快速で飛ばす。今まで通ったことのない線で大阪へ向かうのも面白い気がする。2時間弱で大阪難波へ着くのだが、結構退屈しなかった。

Dscn7091記念にこんな写真を写して、簡単な昼食を済ます。現在、地下の難波は阪神電鉄と相互乗り入れをしているので、駅名標はここで終点のようには見えない。

さて、ここからまたもや近鉄で奈良へ向かう。難波からは急行で40分かからない便利さが近鉄にはある。発車案内を見てみると

Dscn7092ちょっと蛍光灯で光ってしまっているが、12時31分の急行があるらしいので、それで行ってみることにする。セミクロスシート車が連結されていないか期待したが、オールロングシートの編成であった。

小雨は止み、薄日がさす中、あっという間に奈良へ行き着いてしまった。私は知らなかったのだが

Dscn7093近鉄奈良駅って、地下なんですなぁ。知っているつもりで知らないことが、私鉄には多くあるようだ。もう一枚、記念撮影。

Dscn7094ここは、正真正銘行き止まりになっている。奈良へ来たら、必ずUターンしないと別の方角には行けない訳だ。

次は京都へ向かうのだが、京都行きの直通は30分に1本の急行しかないらしい。待つのもつまらないので、2つ後戻りした大和西大寺まで行き、そこから京都線の普通電車に乗ることにした。西大寺へ戻って来たのも、また、ロングシートの編成だった。

でも、見たことのない景色で京都へ行ってみるのもこれまた面白い。何でもない田圃の景色も新鮮に見えるし、そればかりか高圧鉄塔一本とって見ても、何となく新鮮に見える。ロングシートはそんなに気にならなかった。

1時間少しで、京都へ到着した。京都では近鉄は新幹線の高架下、JRの在来線の隣がホームになっている。

Dscn7096無事に乗り終えた電車を見送って、JRのホームへと赴く。ここからは新幹線に乗らなくとも、在来線の新快速などで今日のうちに名古屋へ戻れる。急ぐことはない。

いつもはJR線で来るホームから、特急の「はるか」などを見て、

Dscn7097ああ、違うルートでも確かに京都へ来ているのだなと実感する。

日の長い時期なので、明るい内に自宅へ戻ってきた。こうしてみると私鉄乗りも結構面白い気がする。関東・関西圏の鉄道全部に乗れるかどうかは判らないが、まずは近鉄などの身近な鉄道から始めて、徐々に乗ってみるのもいいかも知れない。

結論は出なかったが、何しろ、今後、私鉄に乗ってみる機会も増やしてみようとは思っている。

| | コメント (14) | トラックバック (0)

2014年5月 1日 (木)

愛知県の鉄道、全線制覇

先日、名鉄全線を完乗した。この頃、名鉄に面白さを感じてあれこれ乗っている内に、全線制覇をしてしまったのだ。

愛知県には、JRと名鉄の他に、以下の鉄道線が走っている。

名古屋市交通局
近畿日本鉄道
豊橋鉄道
名古屋臨海鉄道(あおなみ線)
愛知環状鉄道
愛知高速鉄道(リニモ)
東海交通事業

で、名鉄を乗り終えた時点で、自分の記憶をよ~く辿ってみたら、何のことはない、愛知県内で自分が乗っていない鉄道線は豊橋鉄道の市内線だけだったのだ。これは、自分の住む愛知県内の鉄道だけでも、全線制覇したいところである。その機会を窺っていたのだが、今日とうとう時間が捻出できた。

豊橋まで名鉄特急に乗って、豊橋の駅前から発車する市内線(路面電車)の乗り場へ行ってみる。

豊橋鉄道市内線の路線は、誠に簡単で、カタカナのイの字に似た形になっている。

Dscn6665_2

(豊橋)駅前から端を発して、井原と云う電停で二手に分かれ、赤岩口と運動公園前に一区間ずつ別れているに過ぎない。比較的簡単に乗れそうである。

運転系統も誠に簡単で、昼間は7分隔きに赤岩口行きと運動公園前行きが交互に来ることになっているらしい。取り敢えず、乗り場には

Dscn6649

こんな赤岩口行きの電車が待っている。パト電車とは物騒だが、とにかく乗ってみることにしよう。

乗ってみたら、本当にあっけなく20分ほどで終点の赤岩口へ着いてしまった。

Dscn6652

線路が終点の更に奥に延びて、逆方向に分岐しているので何があるかと思ったら、

Dscn6654

車庫があった。終点と車庫が兼ね備えられたのが、赤岩口の実態らしい。

これで、残すところは井原~運動公園前の一区間だけになった。赤岩口から運動公園前には直通の系統はなく(大体がが線路がそういう風に分岐していない)、先程書いたように井原電停からは赤岩口も運動公園前も1区間ずつだから、ここから運動公園前までブラブラ歩いてみようと思う。豊橋の市内を全然知らずとも、線路伝いに歩いていけばいいのだから、事は誠に簡単ではある。

井原交差点まで来て、ここで、線路の分岐点をよく確かめておく。

Dscn6660

今度、ここの分岐点を電車で通った瞬間に、自分は愛知県内の鉄道全線制覇を達成するのだ。

赤岩口から15分くらいだろうか、少し汗ばみながら歩くと、もう一つの終点の運動公園前に着いた。

Dscn6663_2

ここの井原~運動公園前は昭和57年の開業で、確か路面電車廃止が相次ぐ中では、全国でも最新に開通した区間である。ブツッと途切れた線路ではあるけれど、大変貴重な路線でもあるのだ。

最後の一区間を乗るべく、待ち遠しい思いで待っていると、すぐに電停の「電車が来ます」のLEDが点滅し始めた。来た電車は

Dscn6668

今度は、また、やけに古そうな電車だ。調べてみたら、これは系列会社の名鉄から譲り受けた車両だそうだ。折り返しに少し時間があるので、車内を徘徊してみる。

Dscn66713202

新しい液晶モニターがつけられているが、その上の製造銘板が気になる。拡大写真。

Dscn667230_2

昭和30年!! 私より8つ年上である。当然の如く、完全に吊り掛けモーター車である。

発車を待つと、運転士氏が「では、駅前行き、発車します」と案内放送を入れて、クォーーーーーンとの音と共に、古参電車が発車した。

先程見た、井原電停近くで、あの合流点

Dscn6678

へと進入する。ガタガタとポイントを渡る音がして、電車は赤岩口へ延びる線路と合流した。ここから先は往路と同じ行程である。

豊橋駅前には、14時15分くらいに到着した。

これで、愛知県内の鉄道は全線乗ったことになる。今日はちょっとした記念日になった。

さて、これから先、自分はどうして行こう。私鉄も含めた全線制覇をするべきか。東京の地下鉄全路線などは、退屈過ぎて自分の性分には合わないかも知れない。だけど、日本の鉄道全路線制覇と云う、大きな夢に近付いていくのも面白そうではある。

全路線制覇のルールはどうしよう。ケーブルカーやロープウェイまで、鉄道として扱うのか? ロープウェイは個人的に鉄道とは思えないから除外対称だろうが、跨座式と懸垂式は鉄道の内に加えるべきだろう。と言って、無理にディズニーランドへ侵入して、跨座式に乗る気は起きない。

色々問題はあるが、やれるところまでやっていこうとも思う。

まずは、愛知県内の鉄道制覇を祝して、自分に乾杯である。

| | コメント (14) | トラックバック (0)

2014年4月 6日 (日)

さよなら、瀬戸電の「赤い電車」

瀬戸電とは何のことかと思われようが、名古屋鉄道瀬戸線のことを地元の人間はこう呼ぶ。理由は簡単で、この線が名鉄に合併されるまでは「瀬戸電気鉄道」との名前だったからで、それを略して地元人は「瀬戸電」と呼んでいるのだ。

この瀬戸電には長い間、塗装された電車が走っていたが、今日4月6日の「赤い電車・さよなら運転」を以って、瀬戸電から赤い電車が消えることとなった。

私は幼少時、瀬戸電の瓢箪山駅からすぐ近くに住んでいた。私が現在のような電車オタクになったのは、この瀬戸電の存在がかなり影響していると思われる。何しろ物心ついた頃には、私は瀬戸電の電車に激しく反応していた。近所の市場へ買い物に行くのには必ず瀬戸電の踏切を渡らなければいけなかったが、母によると、私は「電車が1本通り過ぎるまでは、絶対踏切を渡ってくれなかった」らしいのだ。

そんな瀬戸電も近代化が進み、今般、全てが

Daa_07274000_2

こんなステンレスの電車に置き換わることになった。それで、今日は昔住んでいた守山区へ出掛けて、赤い電車の最終さよなら電車を撮ってきた。

私は守山区に住んでいた頃、

Daa_0716

この踏切の近くに住んでいた。で、今日もその懐かしの踏切から、さよなら電車を撮ってきた。

Daa_0732

特製のヘッドマークをつけた、赤い電車が栄町へ向かっていく。髭のような模様のラッピングが鬱陶しいが、最後なので多少のデコレーションは仕方ないのかも知れない。

そして、この上り電車の約30分後に、本当に最後の赤い電車が、尾張瀬戸に向けて走って行った。

Daa_0751

方向幕は、一般営業ではないため、「団体」となって、行き先は表示されていない。もう少し早く撮りに来るべきだったと後悔が残る。

瀬戸電では、昭和53年に600Vから1500Vへの昇圧が行われている。で、その昇圧前に記念に撮った写真やら何やらがあるので、少しご紹介して行こうと思う。

Imh03551

私の鉄道写真人生の1枚目は、この瀬戸電から始まっている。これは昭和51年2月に撮った、喜多山駅でのワンシーン。所用で出掛ける父についていき、撮った記憶がある。

Imh034

上の写真と同じ日に撮った、瀬戸街道を渡る電車。これは昭和48年以降に瀬戸線へ入った3700系電車だ。当時は「特急」の区分が瀬戸電にもあった。別に座席指定でも何でもないのに、当時は通過駅の多い電車は「特急」であった。

Imh037759

私にとって、瀬戸電は「緑色の電車」のイメージが強い。昭和40年頃の瀬戸電では、赤い電車は専ら特急運用についており、普通電車はほとんどがこの緑色の電車だったのだ。潅木に隠れていてみっともないが、まあ昔の写真なのでお許しくだされ。昭和53年3月、喜多山にて。

Imh0402303

これも、昭和53年の喜多山付近での撮影。赤色の電車は当時は、2両きりの編成だった。パノラマカーを模した逆富士型の行先表示は、赤い電車にだけ許された特権だった。

Imh041759

ブレていて申し訳ないが、急行運用に就く緑色の電車。大曽根駅付近で昭和53年に撮ったもの。尚、右端の黄色い看板のすぐ上に築堤が見えるが、これは瀬戸電と国鉄中央本線を結んでいた連絡線。上の方に見える盛り土線が国鉄中央本線だ。

Imh042

これも緑の電車。行先は読み辛いが「土居下」と書いてある。この当時、瀬戸電を栄町へ乗り入れさせるために土居下~堀川を廃止して、全列車を土居下で折り返させていた。

Imh043

これも昭和53年3月の撮影。当時の大曽根駅は地上にあって、こんな風景が繰り広げられていた。写真の702号は、後に谷汲線へ移って、谷汲線が廃線になるまで活躍した車両である。谷汲線移行後は、名鉄カラーの赤に塗り替えられている。

Imh0443700_2

矢田川鉄橋を渡る、3700系電車。これははっきりと記憶に残っていて、昭和53年3月18日の撮影だ。この翌日から瀬戸電は1500Vに昇圧されるため600V車を撮るために自転車をこいでここまで出掛けた記憶がある。

Imh045

これも、上の写真と同じ、昭和53年3月18日の撮影。昇圧に伴い、使わない電車は早い時間から大曽根の留置線へと回送された。これもその回送電車。2300系の中でも唯一、高運転台へと改造された2326号車が先頭である。

Imh0396800

瀬戸電昇圧に伴い、新しく配置された6600系電車。これはまだ使用される前の姿で、喜多山の留置線に留め置きされていた。今となってはこの6600系も廃止となってしまい、ピカピカの同車が写っているのは、我乍ら奇遇と言えよう。

Imh0386704_2

6600系・6704号車の車番。これも、使用開始前の写真で、記録によると昭和53年3月12日の撮影らしい。当然、車番もピカピカ。

Rscn3083

いきなり時代は動くが、これは記録によると、平成19年12月の撮影。この頃、瀬戸電には吊り掛けモーター車に車体だけ新造たた6750系と云う電車が走っていて、それを偶々写してあった。大森~印場での撮影。

Dscn4422

これも更に時代を経て、平成25年1月の撮影。小幡駅からすぐ喜多山寄りの踏切から撮影した6000系電車。この区間は近い将来、高架になる予定で、既に用地が取得されている。

Dscn4429

ちょっとややこしいが、6枚目の写真と同じ、瀬戸街道と呼ばれる広い道を横切る踏切での6000系の写真。既に、赤い電車が廃止されるとの噂は立っていて、意識して撮った記憶がある。これも平成25年1月の撮影。

写真の羅列となってしまったが、私にとっては切っても切れない縁の瀬戸電。その瀬戸電から、今日また、新しい歴史が一つ幕を下ろした。ステンレス電車は好きになれないけれど、瀬戸電そのものが廃止になる訳ではないから、現状を甘受するしかないのであろう。

赤い電車、今まで、有難う。

| | コメント (16) | トラックバック (0)

2014年3月22日 (土)

片道20分の旅---銚子電鉄

自宅用のパソコンが、緊急入院してしまった。暫くフィルムのスキャンが出来ない状態なので、こちらの記事を先行させて頂く。

JR銚子駅で、「銚子電鉄に乗ります」と言って有人改札を通り、2番線の先端へ行くと銚子電鉄の乗り場が見えてくる。

Dscn6462_2

銚子電鉄は、パスモも何もICカードは使えない。で、こんな殺風景な駅舎が2番線の先端にある。JR総武線とは反対方向へ向かうので、こうした形で十分なものらしい。

ホームへ来るのが遅かったから、既に次の電車は入線していた。銚子方の先頭車は、こんな車両。

Dscn6463

これだけだと、どこのお古かは判りかねる。が、反対側(外川方)を見ると、私でも判別がつく。

Dscn6465

これは、京王のお古だ。但し、Wikiで調べてみると、京王→伊予電鉄→銚子電鉄が、正式な履歴らしい。お古の、またお古と云うことらしい。そんな車両でなければ、ここには買い取りできない金銭的事情があるようだ。

早速車内へ入ってみるが

Dscn6466

悲しいほどにガラガラである。ご覧の通り、2両編成だが、なぜにこうする必要があるのかが理解できない。

10分ほど待って発車する。キイキイと車輪を鳴らしながら、2分もしない内に、次の仲ノ町へ到着する。ここは銚子電鉄の本社がある駅で、車庫も兼ね備えられている。ここから、「ワンマン」の表示がある車内へ、女性の車掌さんが乗り込んできた。

Dscn6477

お客は少ないから、一人一人に「こんにちは~。どちらまでですか?」と笑顔で切符を売りに来る。丁寧、親切な応対だ。非常に好感が持てる。
私は終点の外川まで往復するだけだが、往復料金と同じ値段で一日乗り放題の「弧廻(こまわり)手形」を販売しているとの情報は仕入れてきた。それで「弧廻手形はありますか?」と尋ねると「はい、ございます。少々お待ちください」と切符に手書きで、乗車当日の日付を入れてくれた。

Dscn6467

620円でこれだけの切符を販売してくれるのだから、マニア的には有難いことだ。地方私鉄もバカにしたものではないと思う。

車掌さんは乗車券発売と回収が仕事のようで、案内放送は普通にテープの音声である。

笠上黒生(かさがみくろばえ)という駅の手前で一旦停車する。テープでは「この駅で列車の行き違いを致します」と言うが、乗車当日は事故か何かで臨時ダイヤのため、行き違いはなかった。列車が一旦停止したのは、その事故の影響なのだろうか。ショベルカーも車外に見える。

行き違う列車もなく、電車はひたすら「クォーーーン」と走る。製造年月から考えて、抵抗制御の電車だろう。私と、どっこいどっこいの車齢かも知れない。
途中の「海鹿島」も難読駅だろう。これで「あしかじま」と発音する。

かくして、途中で2ヶ所くらい海を望み、終点の

Dscn6475

へは20分で着いた。銚子と言うと漁港を連想するけれど、殆ど海沿いは走らなかったと言ってよい。犬吠埼のイメージもあるので、海が殆ど見えないのは意外な感じがする。

さて、停車時間は10分しかない。急いで終点の記録をしたり、硬券入場券などを買ったりして、ローカル私鉄に貢献する。因みに外川の駅舎内には

Dscn6472

かつての走行車両らしき模型と

Dscn6473

各種乗車券類が展示されていた。また、15年くらい前に乗った時にお世話になったと思われる、デハ801って車両が、ホーム先端に停まっていた。

Dscn6468801

黒とローズピンクのカラーは見覚えがあり、「801」の車番も何となく記憶にある。多分、昔、乗ったのはこの車両で間違いないはずだ。

10分などはあっという間。すぐに折り返し発車のベルが鳴り響く。慌てて車内へ戻った。

今来た線路を引き返すだけだが、女性車掌さんは相変わらず丁寧で明るい応対だ。私も見習わなければと思う。

帰路も笠上黒生の手前で一旦停車した。何か、この駅であったらしい。

地元客と女性車掌さんが「今日は3つ団体が入る」とか喋っている。何のことかよく判らない。途中から子供の団体でも乗ってくるかと思ったが、そうではなかった。

それは兎も角、仲ノ町には車庫もある。往路で撮り損じたので、2枚ほど車両の写真を。

Dscn6478

こちらは、自分が乗ったのと同じ2000型車両で、ファンのために昔の京王カラーに塗り替えた車両だそうだ。

Dscn6479

これは元・営団の車両。これもファンサービスで、軌条方式は違えど、カラーだけを日比谷線時代に戻した車両だそうである。このカラーは、流石に私もちょっと見覚えがある。

帰路も20分ちょうどをかけ、銚子へ戻ってきた。前窓から見ていると、ホームに一杯の人だかりが見える。先程、女性車掌さんと地元の方が話していたのは、この団体のことらしい。かなりの人数が見える。

団体割引があるのかないのか詳しいことは知らないけれど、ともあれ、これだけのお客があれば、2両の電車でも意味があるだろう。1往復して、やっと、色々な意味合いが判ったのであった。

団体さんでも何でも、兎も角乗って頂いて、少しでもこのローカル私鉄に貢献して頂けたら…。自主経営再建を断念している私鉄らしいが、何とか生き延びて欲しい。そう願わずにはいられなかった。

| | コメント (17) | トラックバック (0)

2013年8月25日 (日)

名古屋のど真ん中に

以前、リンクを組んで下さっているN市のTさんが「米原駅のパタパタ表示板」との記事を書いておられた。
全国的に、あのパタパタ表示板(当該記事によると、正式名称は「反転フラップ式案内表示機」と呼ぶのだそうだ)は見る機会が少なくなったが、先日、ふらりと出掛けた名鉄瀬戸線の栄町駅で、偶然これを目撃した。因みに「栄町」とは、名古屋の中心街・「栄」の昔の呼称で、昭和53年に名鉄瀬戸線が栄乗り入れを果たした時に敢えて復活させた駅名である。

Dscn5192

表示中のパタパタ表示板。動画のアップ方法を知らないので、パタパタ稼働中の写真を2枚ほど。

Dscn5195

Dscn51962

こんな感じで、意外にも名古屋のど真ん中に、古式ゆかしいパタパタ表示板が堂々と残っているのを発見したのであった。

名古屋はよく、「偉大なる田舎」などと揶揄されたりする。当地に住んでいる者としてはあまり愉快な言われ方ではないけれど、こうしたものが街の中心に残っているのを見ると、多少の「田舎」度合いは認めなければ仕方がないのかも知れない。

……と云う次第で、N市のTさんに大遅延コラボをさせて頂きました。

***

いつの間にか、愚ブログも5周年を迎えておりました。ひとえにご高覧の皆様方のお蔭と御礼申し上げます。

最近、多忙等により更新率が大きく落ちておりますが、細く長く続けていければと思っております。

今後とも宜しくお願い申し上げます。

| | コメント (14) | トラックバック (0)

2012年10月31日 (水)

チキ?

先日、自家用車で走っていたら信号でトレーラーに追いついた。

トレーラーには当たり前に鉄骨が積んであり、積んであり……ん?

Dscn3531

みんなレールじゃん!!

このトレーラー、私共の職場の地下鉄・東山線の車庫がある藤が丘方面から出て来たから、多分、東山線で使われていたレールなのだろう。

今まで考えたことはなかったけれど、地下鉄のレールのお古はどうされるのだろう? 再利用で何処かの駅で屋根の支柱になったりはしないだろう。再度溶解して、新しいレールに作り変えられるのだろうか(全部書いた後でググッてみたら、やはり新しいレールになったり、その他の用途のレールとして再利用されるらしい)。

結局、自宅近くまでこのトレーラーの後にくっついたまま、帰って来た。最近はレールチキでも車掌車は付かないけれど、仮に車掌車から眺めていたら、こんな眺めを延々と楽しむのかなぁと思いつつ。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2012年8月 8日 (水)

頂き物の下敷き

Img702いつ頃頂いたのか忘れてしまったのだが、我が部屋に君臨するこの下敷き。

写っている電車たちが「最新鋭」と言われていた時代だから、多分昭和57~8年に頂いたものなのだろう。ってことは30年ぐらい昔か。うん、そんなもんになるかも知れないな。

母の旧友のご主人が日本車両にお勤めで、定年間近の時にはかなりのお偉さんまで行かれたとのこと。私が鉄道好きだからとて、時々思い出したようにこうした「日車グッズ」を下さった。その中の一つだ。

東海道にしても東北にしても、新幹線がまだ「ユデタマゴ型」の頃。30年前って云うとそうなるか……。

201系電車、登場時はチョッパ制御の省エネ電車って騒がれたっけ。

113系の湘南色、今ではあるのかどうか。JR西日本に113系自体は存在するけど、湘南カラーで残っていた編成はあったかな?

117系、関西でデビューした後、名古屋地区にも昭和57年にやって来た。名古屋地区に新製電車が配属されることは珍しくて、ニュースになったなぁ。

119系は、先日来度々このブログで話題にしたけれど、何しろ先日、全車が引退した。6月に東北からの帰り道で、西浜松に大量留置されている姿を見たなぁ。解体を待つ姿は気の毒だった。

名古屋の地下鉄5000系、今でも走っているけど、初期ナンバーの編成は廃車になり始めている。今では東山線で最古参の形式だ。

時代を感じる。30年って、そういう歳月なんだと。だが、これらの車両は今でも遜色なく自分の頭の中に収まっている。幸いモノが下敷きなので、これ自体の写真が色褪せていないのは有難い。

大切にしまっておきたいアイテムの一つである。

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2012年7月 3日 (火)

“飯坂電車”往復乗車の記

Dscn3073

中々アップできずにいたが、先日の郡山近辺の旅行の帰りに福島交通飯坂線---通称「飯坂電車」を一往復して来たから、その模様を書こうと思う。

福島駅でJRを降り、JRの1番線をひたすら北方向へうねうね向かうと、ホームの北端で乗り換え改札に行き当たる。JRの切符を見せると、別の島式ホームへ入って行ける。

この島式ホームが福島交通と阿武隈急行線のもので、改札をくぐった左側が阿武隈急行線のホーム、右側が今回乗る福島交通のホームとなっている。
待つほどもなく、先に阿武隈急行の電車が入ってきた。

Dscn3047

今回は阿武隈急行には乗らないから、ホームの先端に行って福島交通の電車が来るのを待つ。

来た来た……

Dscn3050

入ってきた電車は、元東急電鉄の7000系車両で、福島交通でも「7000系」を名乗っている。但し、福島交通の電車は全て中間車の先頭化改造車とのことで、車番も「7001」をトップに福島交通独自の番号に改番されている。

乗り込むと、程なく発車した。ここの電車は昼間は25分ヘッドの運転となっているが、これは始発から終点までに23分を要し、終点での折り返しを2分とすることから、こうしたダイヤ構成になっているのだという。

次の曽根田で、いきなり隣に自転車を連れた人が乗ってきた。車内は自転車持込がOKになっているらしい。

先程「始発から終点までに23分」と書いた。その間に10の中間駅を過ぎるので、電車は1分ちょっと走っては次の駅に停まり、また1分ちょっと走っては……を繰り返すようになっている。

10分ほど走った笹谷で、少し動きがあった。

Dscn3055

ここは交換可能駅で、昼間は殆どの場合がこの笹谷で交換するようにダイヤが組まれているようだ。見てきたところでは、他に、泉・桜水・医王寺前でも交換できるようになっていた。

さて、交換した笹谷の次が桜水で、ここには飯坂電車のすべてを預かる車庫がある。電車のダイヤを見ても、一番電車は桜水が始発になっており、終電も桜水が終点となっている。飯坂電車にとっての“要”なのだ。

それはそうと、桜水には

Dscn3057

こんな車両も留置されていた。倉庫代わりに使われているようだが、多分これは以前使われていた5000系車両(東急5000系からの譲渡車両・東急時代は「青ガエル」と呼ばれていた)の為れの果てであろうと思う。

桜水からもツクツクと停車して、10分もしない内に呆気なく終点の飯坂温泉に着いた。

飯坂温泉では、人の流れをご覧頂けばお分かりになるかとも思うが

Dscn3060

写真左手が降車専用ホーム、右手が乗車専用ホームとなっている。扉の開閉も、先に左側を開け、少ししてから右側を開けている。

車掌は全列車に乗務しているそうだが、車掌は車内券発売と集札が業務らしく、扉の開閉や案内放送(自動放送)は運転士が行っていた。終点でも勿論それは変わらない。

終点は「飯坂温泉」との駅名で、ちょっとspaに浸かりたい気持ちも湧くが、そこまでの時間は取っていない。取り敢えず、今来た電車は見送ることにする。次の電車までに、終着駅の様子を少し観察しようとの魂胆だ。

先程、自転車が乗って来たことを書いたけれど、駅ホーム(改札内)にも

Dscn3068

かようにレンタサイクルが用意されていた。自転車も含めて、少しでもエコに貢献しようとの意図があるのだろう。

次の電車まで少し時間があるから、改札を出ようとしたら改札口は閉鎖されていた。駅員氏も姿が見えない。仕方ないので改札内で次の電車を待ったが、改札外を観察したところ

Dscn3067

階段を「登って」行かなければ地上へは出られないらしい。

こう云う時の25分などはあっと言う間に過ぎ、次の電車が向こうからやって来た。

Dscn3071

この電車に乗って、福島へ戻ろうと思う。

停まった所で、運転士さんのスタフ板をちょっと失敬。

Dscn3076

拡大して頂くとお判り頂けるかと思うが、必ず桜水で乗務員の交代も行うようになっているようだ。つまり、福島交通は桜水が全ての要衝となっているらしい。

写真には撮れなかったが、帰路は医王寺前でも交換があった。「?」と思ってよく見ると、交換列車には「貸切」のシールが貼り付けてあった。何かの団体が利用されるのだろう。貸切列車も精力的に受け入れているのだ。

帰り道では、飯坂温泉の次の花水坂から小さい子供が電車の先頭部分を占領してしまった。あまり前がよく見えないが、車庫のある桜水では「こら、どけ」とばかりに(実際にはそんなこと、言っていませんよ)先頭へ陣取り、車庫の模様も撮影しておいた。

Dscn3080

左側の列車は3両編成で、平日の朝夕だけ使われるのだそうだ。右側は私が乗っているのと同じ2両編成で、所謂「予備編成」なのであろう。

まあ、こんな次第で“飯坂電車”を一往復してきた。

ローカル私鉄だから、経営状況はかなり厳しいものがあるはずだ。それでも今のところ、廃止の話も出ずに黙々と運転を遂行している。どうか、廃止の話が出ないように、これからも存続していって欲しいと願いながら、福島交通の改札をくぐったのであった。

| | コメント (12) | トラックバック (0)

2011年11月23日 (水)

琴電に渡った名古屋の地下鉄

Dscn2179四国は香川県に高松琴平電気鉄道(通称:琴電)って私鉄がある。
メインのような感じで琴平線(ラインカラー・黄色)があり、支線的な位置付けで長尾線(ラインカラー・青緑)と志度線(ラインカラー・赤)が走っている。

四国の鉄道としては珍しく標準軌を採用しており、そのために走る車両にも特色がある。現在では主に、元京浜急行車・元京王電鉄車・元名古屋地下鉄車が使われている。京王を除けば、元々の軌間が標準軌の車両会社のものを使用しているのだ(京王だけは「馬車軌間」と呼ばれる軌間だが、これも狭軌よりはかなり広い)。琴電の車両を管理している「京王重機整備」の提案により、これらの車両を使っているという。

今書いたように、私の地元名古屋からも、琴電へ車両の譲渡が為されている。名古屋の地下鉄は東山線と名城線(含む名港線)で標準軌が採用されているから、改軌の必要がなく譲渡には都合が良かったようだ。いつだったか深夜に仕事で回送中、国道の信号で止まっていたら目の前を地下鉄車両がトレーラーに載せられて通り過ぎたのを見たことがある。この譲渡のための輸送を偶々目撃したようだ。

さて前置きはこれぐらいとして、過日の四国旅行で、名古屋から譲渡された琴電車両たちを見学してきた。現在実際に琴電で走っている元名古屋地下鉄車両をご紹介していこうと思う。
尚、琴電では基本的に2両編成を1編成として運用している。一部の例外もあるが、走っている車両は2両編成だと思って頂いていいだろう。

Dscn2212630

派手なラッピングが為されているが、この630号は名古屋時代に中間車両から先頭車化の改造を受けた車両だ。現在は志度線で運用され、集電方式が第3軌条からパンタ式へ、また冷房化の工事も行われている。然し車体そのものはほぼ名古屋時代のままで、特に東山線で運用されていた車両だから同線沿線に住む私にとっては懐かしい。

琴電へ渡った車両は、この形を基本にして名古屋での中間車も先頭車化されている。志度線内で630号と他の車両が並んだ。

Dscn2205630628

殆ど同じ形で改造されているのがお判り頂けるかと思う。

名古屋時代に元から先頭車として製造された車両は、かなり正面のイメージが異なる。

Dscn2209722

琴電で722号を名乗る、元名城線の車両。この形状は名城線・東山線ほぼ共通の形状で、私も「先頭車」というと、こちらの形の方がイメージ的に合う。80歳になる母にこの写真を見せたところ、母も「懐かしいねえ」と言っていた。

志度線では全車両が名古屋の地下鉄のお古である。631号の車両に乗ってみた。タネ車は名城線の中間車両である。

Dscn2198631

「日本車両/昭和48年」。名古屋から琴電へ渡ったのは1998年から2002年にかけてらしいが、名古屋で30年近く使用された後、琴電で既に10年以上活躍していることになる。

Dscn2201631

車内。窓から下の部分はほぼ名古屋時代の形を保っているようだ。網棚はあとから設置されたものだと思う。また、連結面の通路は名古屋時代よりもかなり広げられている印象を受けた。その為、連結妻面の窓が大幅に狭くなったように見える。

志度線の他に、長尾線、琴平線でも活躍している車両がある。

Dscn2189614

これは長尾線用の614号+613号。タネ車は名城線の中間車両。この日は昼間時は運転されない運用だったようで、瓦町駅近くの側線に留置されていた。

Dscn2167606

こちらは琴平線で運用される606号他の4連。これもタネ車は名城線の中間車。8月頃に長尾線から転属してきた車両で、2両編成を2つ繋げて4両編成とし、主にラッシュ時に活躍している。琴電の最も大きな車庫・仏生山に留置されていた。編成全体が見えないのが少々残念だった。

Dscn2169606

同じ606号のサイドビュー。こうして眺めていると、色以外は名古屋時代と殆ど変わらず、懐かしさがこみ上げてくる。今ではこの形は名古屋地下鉄から完全に姿を消してしまったから、こうして他の県でお目にかかれると嬉しい。

駆け足でご紹介してきたが、機会があれば走っている姿も写真に撮ってみたいなと思う。

そして何より、いつまでもこの鉄道で愛されて活躍して欲しいと願わずにはいられなかった。

| | コメント (13) | トラックバック (0)