旅日記

2014年5月13日 (火)

リベンジ・オブ・フクシマ(2・3日目)

2日目(5月12日)

また、いきなり2日目から始まるが、前日のうちに福島まで出ておいたので、こう云うことになる。最近職場の人手不足が甚だしく、こうした形での旅行が増えた。

ともあれ、今回は2月の豪雪で玉砕した福島近辺の撮影のリベンジである。どう云うことになるか判らないが、やれるだけやってみたいと思う。

さて、少し寝坊して10時過ぎの列車で

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ここまで赴く。駅から徒歩30分くらいの場所に、お立ち台があると読んできた。

当の場所は

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行ってみると、獣道ならぬ「鉄みち」が出来ている。ここを登れば撮影地にありつけそうなことは、容易に察し出来る。

付近には美味しそうな

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ワラビが生えていて、もう少し時期が早ければ絶対山菜取りに夢中になりそうな場所だった。いや、山菜を採りに来たのではない。写真を撮りに来たのだ。一応、ちゃんと写真も撮りましただ。

駅まで戻り、昼過ぎの列車で次の

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ここまで行ってみる。ここは上り方面の駅間に、何箇所か撮影ポイントがある(らしい)。 

取り敢えず、徒歩20分あまりの撮影地まで、これまた

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薮道を行ってみる。この薮が、帰りに思いがけぬ結果をもたらした。

1時間半くらいだろうか、まあ満足行く撮影をして、帰りにまた薮を通ると潅木で眼鏡が外されてしまった。 私は裸眼視力が0.03くらいのド近眼なので、眼鏡を外されると全く見えない。それが、眼鏡を薮に引っ掛けられて、どこに眼鏡が落ちたか判らないのである。

大まかに言って

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こんな感じだと思ってくだされ。何も判らないまま、徒に時間を無駄遣いした。30分近くかかってやっと見つかると云う有様だったのだ。

別の撮影地も予定していたが、無駄足を踏んで暗くなってきてしまった。別の撮影地へは赴いたけれど、殆ど撮れずじまいで終わってしまった。

健康・良眼が何よりである。眼鏡の必要な自分にしてしまったことが恨めしい今日ではあった。

3日目(5月13日)

昨日よりは少し早起き(?)をして、一度、郡山まで出てみる。撮ってみたいアングルがあり、前回の2月の時に上手く撮れなかったのだ。

今回はフィルムカメラを持って来ているので、どんな写りになっているかは判らない。ともあれ大雑把に

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こんな感じの写真を量産する。郡山では乗務員の入換が激しいので、こう云う写真がある程度撮れる。

あと、関係ないけど

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こんなものも居たので、撮影に及ぶ。区名札は「鶴」となっているので新鶴見らしいが、大変遠くまで出張してきているものだ。因みに音はものすごく静かで、排気ガスも殆ど判らない。優れた車両だと思う。

さて、昼過ぎに福島行きで戻って、更に下って白石まで至る。本当は越河で降りたかったのだが、快速列車なので越河は通過されてしまう。タクシーを使って戻る形になった。

辿り着いた先は

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こんな辺り。雑誌にも載っている有名撮影地らしく、タクシーの運ちゃんも直ぐに了解してくれた。

列車の水鏡はうまく行かなかったようなので、田植えしていた農家のお婆ちゃんの水鏡でもどうぞ。

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ある程度撮って、今度は歩いて越河駅まで戻る。徒歩30分くらいの道のりらしい。途中で物騒な看板を見つけた。

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注意は判るけど、じゃあ実際に出会ってしまっても、どうしろと言うのだ。判らん。

ほんに雑誌の言う事はよく当たるもので、本当に30分かけて越河駅へ戻ってきた。だが、ここに停まらない快速列車を間に挟むため、次の列車まで1時間も余裕がある。
無人の駅舎内に盛んにツバメさんが入ってくるのでよく見たら、電灯に

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ツバメさんハウスが作られつつあった。そんなこんなの写真を撮りながら時間を潰していたら、 1時間などあっという間だった。

駅のベンチでスマホを拾得した。無人駅でどうしようもないので、福島へ持っていって届けることした。列車に乗っていたら当のスマホに着信があったので、福島駅へ届ける旨を伝えておいた。お役に立てたかどうかは判らぬが、落とし主に少しでも安心を与えられたらとも思う。

福島へ戻り、あっさり系のラーメンでも食べたくなったので、駅から7~8分のお店へぶらっと入る。

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頑固者だが愛想のいい親父さんが迎えてくれた。先日、とある食品漫画家が「福島に居ると鼻血が出やすくなる」などと在りもしないことを並べ立てたことに、かなり親父さんは憤りを感じておられたようだ。相槌を打ちながらラーメンと★を頂く。名古屋人が思っている以上に、地元の風評被害が酷いことを思い知らされた夜だった。

明日は、これまた2月に乗り損ねた阿武隈急行に乗りながら名古屋へ戻るつもりである。従って、旅行記としては以上にて〆。

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2014年3月15日 (土)

大まかに総武線を撮る旅(3・4日目)

3日目(3月11日)

前日と同じ8時09分の列車で、日向へ向かう。駅からさほど遠くない場所に、撮影地があるとネットで見てきた。

たどり着いた場所は

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こんな、ありふれた場所。佳景とは言えないが、編成写真なら撮れるような場所だった。

それにしても、今日も風が冷たい。3月とは思えない空気の冷たさを手に感じる。

何本かの列車を撮影した後、今度は銚子方面へ戻って

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この駅へ行く。ここは駅から近い場所で、自分で撮影地を見つけておいた。どんな写りになっているか、今回はフィルムを持って行っているので、今のところ不明。

昼過ぎの列車で更に銚子方面へ戻って、八日市場で降りる。駅から少し離れているが、田圃の長閑に広がる場所を車窓で見つけておいた。勿論、今は稲は植えられていないが。

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こんな名前の踏切を過ぎて、目的地までトコトコと歩く。

昼頃から、冷たい空気が少し緩み始めた。暖かいとは言えないが、少し気温が上がったなと思う。足元には

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オオイヌノフグリが咲いている。寒くとも、確実に3月にはなっているようだ。

撮る内に、陽がどんどん西に傾いてくる。16時前の列車を撮影して本日の予定は終了。

地図だけでは中々撮影地は見つけられものだが、何枚か、後日アップできるような写真が撮れていたらいいなと思いながら、銚子へと戻った。

4日目(3月12日)

ここまで来たからには、銚子電鉄に乗って帰りたい。以前にも乗ったことがある鉄道だが、もう15年以上前のことになると思う。今日は銚子電鉄と、成田空港へ立ち寄って帰る予定にしてあるから、それに従う。ただ、銚子電鉄のことについては、後日、別掲とさせて頂く。

銚子電鉄の時間の都合で、帰りは成田線経由で戻ることにした。一旦、佐原まで戻り、ここから成田線の支線・空港線に乗って、

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この駅へ降り立つ。ちょうど昼時にかかるので、空港で昼食をとることにした。1時間少々の時間がとってあるから、簡単な食事くらいは出来るだろう。

飛行機にはそれほど興味がないけれど、降り立ってみると面白いものでもある。列車の駅は地下に設けられているが、5階まで上がって「スカイレストラン」の表示がある店へ赴く。

私にしては珍しく、

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こんな光景を眺めながら、昼食のカツカレーを平らげる。時折、外国語の会話も聞こえる(当たり前だ)。昨日までの寒さがうって変わって、今日はコードが邪魔なくらい暖かい。

さて、昼食も終わったし、そろそろ帰らなければならない。成田空港までは、1時間に一本、総武線直通の快速がある。これで一気に東京へ出る予定にしてある。但し、普通車に乗っては味気ないので、

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こうした車両に乗ることにする。旅行で遊ぶ時の多少の贅沢は、お許し頂ければと思う。例によって

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ここの部分に乗って車窓を楽しむことにする。今や総武線の快速は、グリーン車に乗らないとクロスシートが楽しめないと云うのも、何かちょっとした矛盾を感じる。関東圏の鉄道は、詰め込み主義のロングシートが当たり前になってしまった。

成田空港から東京まで、特急もあるけれど、快速でも結構早い。1時間半くらいで、東京まで着いてしまった。楽しい時間は、いつも、あっという間に過ぎ去ってしまうものである。

かくして、寒さと暖かさが混合する3月の旅行が終わった。次は、どんな楽しみを作ろうか。今からワクワクしている自分である。

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2014年3月10日 (月)

大まかに総武線を撮る旅(1・2日目)

1日目(3月9日)

大まかに言って、総武線を撮ろうと思う。但し1日目の今日は、首都圏の通勤電車---205系や209系などを撮ってから、総武線終点の銚子へ赴こうと予定している。

名古屋で新幹線の自動改札を通ろうとしたら、いきなり「ピンポーン」とブザーが鳴って、行く先を塞がれた。有人改札へ赴いたが理由が判らない。「まあ、ちゃんと乗車券は通っていますから」とスタンプを捺されて、改札を入る。

新幹線車内で検札を受けて気がついた。今回は205系などを撮るために新横浜で新幹線を降り、横浜線・東海道線・南武線・武蔵野線を経て総武線に入る乗車券を作ってもらった。ところが、新幹線の特急券は、間違えて東京までのものを買っていたのだ。新横浜までと東京とまででは特急料金も経由も異なってくる。それで改札をくぐれなかったのだ。二重に悔しい思いをする。

さて、新横浜で降りて、205系を撮る。と言っても横浜線では、6扉車が撮りたいだけだ。横浜線では233系化が進みつつあり、6扉のサハ204は近い将来なくなりそうなのだ。それだけ撮れれば、横浜線の用は事足りる。

東神奈川へ出て目的を済ませ、京浜東北線で川崎まで出たら、今度は南武線に乗り換える。途中の鹿島田駅で形式写真を撮る。南武線では普通の205系が主流だが、先頭車化改造の205系や209系も存在する。それを撮るのが目的だった。

Dscn6430205先頭車化改造の205系は、こんな感じ。ただ209系は1時間いたが、残念ながら撮り損じた。

13時40分の立川行きで府中本町へ出て、今度は武蔵野線に乗り換える。武蔵野線には2タイプの205系が走っている。形式写真を撮るだけだから、対面式の駅ならどこでもよかったけれど、結局、南越谷で何とか目的を達成する。

南越谷では、偶々、貨物列車も撮れた。

Dscn6434_3コンデジなのでブレているが、ま、大体こんな感じの駅であります、と。

南越谷からは更に武蔵野線で西船橋へ赴き、船橋で総武線の快速へ乗り継ぎ、千葉へは16時23分着。

千葉からは16時43分の総武線回り銚子行きで、銚子へ行くことにしてある。総武線の普通電車は、113系亡き後、209系を両端車だけセミクロスシートに改造した209系2000番台が後を継いでいる。

Dscn6435京浜東北線か何かで使われていた209系の改造車だ。ラインカラーも変えられ、現在ではこんな姿になっている。

結構乗客は多く、途中の飯岡までは相席だった。

それにしても、この209系の座席のモケットって

Dscn6439ちょっと目がブレそうな模様ですな(写真も少しブレているが)。

走る内に、どんどん日が暮れて、すっかり暗くなった18時31分に銚子着。

少し目的を達成できない部分もあったが、まあ、何とか撮れるものは撮れたかなぁと思う一日であった。

2日目(3月10日)

「モノサク」へ行こうと思う。モノサクとは「物井」と「佐倉」の頭文字で、両者の駅間に関東地区では有名な撮影地があるらしい。

物井は、みどりの窓口もある有人駅だった。ただ、駅舎内に

Dscn6446こんなのが忍び込んでいて、「糞にご注意下さい」との注意書きもあった。

一旦、反対の四街道側で少し撮った後、本題の佐倉側へ赴く。途中、何箇所かで撮りながら、目的地へ到達する。

目的地は

Dscn6447こんなすっかんぴんな場所。ただ、邪魔者がないから、綺麗な写真は撮れると思う。

因みにこの場所、

Dscn6448の直ぐ横で、列車の接近も判って、撮り易い場所である。

向こうには

Dscn6449葦野原にスズメさんたちが居て、殺風景な場所でもある。風が強くて、途中で2度ほど三脚とカメラが倒されそうになった。

踏切の右も左も撮影地になるが、13時過ぎに同業者の方が来て、「あの、今度の貨物列車、カマ、判ります? 何か原色が来るかもって」と言われる。14時くらいに上り貨物列車が来るはずなのだ。でも、カマはさっぱり判らない。悪いけど、判らないと答えるしかない。

貨物列車は撮れたとは思うけど、どんなカマだったかは後日、結果ご報告をするのでそれまでお待ち下され。

風があまりに強いので、寒くてならない。予定を早めて、16時14分の普通で佐倉へ出て、そこから特急で帰ろうと決意する。

物井駅へ急ぎ足で戻り特急券を所望すると、空席ありとの事ですぐ発券される……はずがカチッと音がして、マルスが券詰まりを起こした。私の頭の中で、すこし「プチッ」とキレかかる。「何時の汽車で行かれますか?」と窓口氏が聞くので「10分後の、16時14分」と答えると、「判りました。何とか直ると思います。何時の列車で行かれますか?」と同じ事を聞く。手洗いへ行く旨を伝え、「その間に直しておいてください」と言う。

用を足して戻ると別客が何か窓口で尋ねている。それを待って発券されるかと思うと、また同じことを尋ねられる。遂に4回目に尋ねられて、こちらもブチキレた。大人気ないが、こちらの容量にも限度がある。

何とか2分前に発券され、急いでホームへ降りる。予定通りの行程で、佐倉で乗り継げた。

朝、銚子の駅で

Dscn6443こんな表示を読んでいたので、車内で缶チューハイを買い求めた。房総地区は特急の銀座通りなのに、案外、儲からないらしい。

17時33分、定刻で、銚子へ戻る。降り口に車販のお姉さんが居たので、「長いこと、ご苦労様でした」と声を掛けた。
寒い一日が終わった。

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2014年2月20日 (木)

福島ドカ雪紀行(3・4日目)

3日目(2月17日)

朝は、9時43分の上り列車に間に合うよう宿を出る。郡山までなら何とか出れないかと思ったのだ。
運転はしていたが、私が時刻表を見間違えていて、発車時刻は9時37分だった。時間一杯に駅に入ったので、一本逃してしまった。

仕方なく、次の10時28分を大人しく待つ。上りで五百川まで出て、駅付近を撮ろうと考えたのだ。また、以前、初夏に撮ったことのある場所へも行ってみたい。

11時近くに五百川へ着き、早速、付近の踏切へ赴く。足元を雪に埋まりながら

Dscn6268こんな感じでカメラをセットする。今日も東北線は白石~藤田で雪害のため運休だという。となると、貨物列車は来ないだろう。普通列車だけが撮影対象となって、少々寂しい。

駅付近で寒風に吹かれながら、2時間近く粘っていた。流石に寒さが厳しい。寒いと言うより、冷たい、の方が語感が合っている。

この後、本来の予定では金谷川へ戻って少し歩いた場所からの撮影を考えていたが、この大雪で道路も雪で埋まり、雪に不慣れな私が歩くのは危険が危ない(どんな日本語だ?)。諦めて郡山へ出、またもや駅撮りすることにする。

郡山は、付近にJRの工場もあるし、冬季の臨時列車なども走っていて、それなりに撮影対象はあった。主な車両の写真だけ、ここに掲載させて頂く。

Dscn6270小牛田所属のビュースター風っ子。臨時列車のため、出張してきたようだ。

Dscn6274ハイブリット気動車・キハ130。確か、すーさんがご推奨の列車だったと思う。

Dscn6277快速「あいづ」用の485系。塗装からして、以前は「きぬがわ・日光」などで運用されていた車両だろうか。

程々にネタはあったけれど、朝の失敗が響いて、あっという間に16時を回ってしまった。 それに何より寒くて敵わない。風邪を引いたら元も子もないので、早々に帰ることにする。程よく、16時12分発の福島行きが入ってきた。これに乗れば17時くらいには福島へ戻れる。早く戻って、晩の★でもしたい。

明日は乗り鉄しながら名古屋へ帰るつもりだが、ドカ雪の影響はここそこに残っている。どうなるかは、明日の蓋を開けてみないと判らない。場合によっては往路同様、指定席変更の必要もありそうだ。

追記……今回の雪は、かの56豪雪(1981年)より酷いと地元の方の会話が聞こえていた。

4日目(2月18日)

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ホテル前の豪雪の様子。札幌では当たり前の量の雪だが、福島ではあまり尋常な事態ではないようだ。

さて、今日は阿武隈急行に乗り鉄して槻木へ至り、槻木から東北線で福島へ戻り、あとは新幹線で名古屋へ戻る計画でいた。

然しこの雪では、阿武隈急行などがマトモに動かない可能性がある。時刻表を見て、先に槻木まで東北線で行って、阿武隈急行で福島へ戻ることに予定を変更した。幸い、阿武隈急行は今朝から平常運転していると駅員が言っている。因みに阿武隈急行とは、国鉄丸森線を第3セクター化して、丸森~福島を延長した上、電化した鉄道である。
東北線も、雪害からは脱して、今日から平常運転している由。

槻木まで快速の

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これで赴く。使用されている車両は

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E721系である。同じ721系でもEがつくとつかないとでは、形式がまるで異なってくる。

槻木まで順調に走り、ここから10時25分の阿武隈急行に乗る。そのつもりで電車の入線を待ったが、ちっとも電車が来ない。10時20分頃、いきなり駅のアナウンスが流れた。
「阿武隈急行線ですが、途中で列車が雪を抱き込んだため、本日は槻木から丸森だけの運行と致します。丸森までの普通列車は平常通り運転します」。

何のためにここまで来たのか判らなくなる。ともあれ、福島へ戻れないでは困る。名古屋へも帰れない。考えた挙句、仙台へ出て、仙台から、乗るつもりでいたスジの新幹線に乗ることに変更しようと思った。早速、みどりの窓口で指定席変更してもらう。

ご参考までに、阿武隈急行線の車両。
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国鉄の719系と475系を合体したような形の車両だ。これは、丸森で運行を打ち切る便。

またヤレヤレと思いながら、足取りも重く仙台行きの普通列車に乗り込む。因みに仙台へ出ることに決めたのは、槻木が仙台の方に近いのと、一昨日に仙台に来た時に「牛タン」の3文字を見てしまったからである。昼飯は、仙台で牛タン定食でも食べようと決めたのだ。

仙台で目的を果たし(写真撮り忘れた)、仙台を12時46分の新幹線で戻りにかかる。

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当初の計画では、福島で併結される「つばさ」で東京へ戻る予定でいたのだが、仙台まで来たら選択肢はこれしかない。

実は、この写真を撮った後、仙台で自棄酒の★を飲んでいたため、見事に眠り込んだ。福島で「つばさ」を併結したことも知らない。気付いたら、宇都宮到着のアナウンスが流れていた。

どこまで雪があるかな~っと見ていたら、東京でも雪は消えなかった。東海道新幹線に乗り換えて、小田原辺りまでは雪が残っていた。三島でやっと完全に雪が消えた。

雪に打ちのめされた旅行だった。そういえば先月、北海道旅行で白ボウズなどに乗れて運が良過ぎた時、誰かに言われたっけ。
「おさかなさん、今年の運を全部使い切ったよね」。

今年はあと10ヶ月、こんな旅行ばかりが続くのだろうか。堪忍してよ。

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2014年2月16日 (日)

福島ドカ雪紀行(1・2日目)

1日目(2月15日)

「福島辺りがうっすら雪化粧していれば」。軽い気持ちで東北本線行きを決めた。

然し、前日から全国的に雪が酷くなった。名古屋では前日夜に雪は雨に変わったが、関東・東北はドカ雪の恐れと言っている。早番の仕事が終わったら、新幹線でサッと福島まで行くつもりだが、どうなることか判らぬ。東京へ辿り着けない恐れもある。

15時43分の新幹線で東京まで。豊橋、浜松、静岡と順調に過ぎたが、三島を過ぎた頃から外は急に雪景色に変わった。川崎辺りと思われる付近の光景。

Dscn6233首都圏が大騒ぎしていたが、普段雪のないところだから仕方ない。東京まで辿り着けば、あとは何とかなるだろう。幸い、新横浜は定時で発車している。このままの調子で行ってくれればと思っていた。

東京へも17時23分、定時で到着。ここから先は東北新幹線だが、雪にはある程度の設備のある新幹線だからと甘く見ていた。

17分乗り継ぎで、やまびこ149号を予定していたが、東北・上越などの新幹線乗り場が騒然としている。発車案内を見ると、「やまびこ 仙台行き」の16時08分発がまだ表示されたままだ。東北新幹線は運転しているが、上越や長野の新幹線は実質運休になっている。思いも寄らないダイヤ乱れに巻き込まれてしまった。

1時間ほど待つ内に、やっと自分の乗る発車時刻辺りが表示されたが、肝心の「やまびこ149号」は

Dscn6234149……ない。急いで駅員に尋ねると「いや、ウヤのリストには載っていないから、走ると思います」と言うのが精一杯。他の客も慌しく駅員に何やら尋ねている。どちらにしても、18時08分の「やまびこ151号」の方が先発するらしい。長蛇の列になっている「みどりの窓口」へ自分も並んでみた。そちらに乗れるのなら、指定席変更したい。

結果、何とか指変も出来た。あとは、本当に運転してくれるかどうかだ。待合室でアナウンスに耳を傾けてみる。「間もなく、遅れております、やまびこ151号が入線します」のアナウンスは、19時50分頃に流れた。

信号待ちなどもあり、当の列車は20時15分にやっと発車した。ここまで来ると贅沢は言えない。福島へ着いてくれればそれでいいとの気持ちになってしまう。怒ったところで雪が相手なのだから、エネルギーの無駄だ。

ポイントレールの凍結を恐れて、列車は一応各駅に停車しながら進んだ(勿論、停車予定駅以外は客扱いなし)。福島へ着いたのは22時頃。2時間以上遅れたから、特急料金の払い戻しを受け、駅前のホテルへは22時15分頃に入った。長い一日が終わった。ヤレヤレ。

2日目(2月16日)

9時43分の郡山行きに間に合うよう、ホテルを出る。少し遅れたので急ぎ足でホームへ入ろうとしたら、発車案内表示が

Dscn6235こんなことを流している。見事に玉砕した。ならば、以前乗った福島交通線でも乗って時間を潰そうとしたら

Dscn6236こんなことになっている。付近の交通網は、新幹線以外動いていないのだ。少し考えて、予定外だが仙台へ出て、仙石線にでも乗ってみることにした。

15分遅れの新幹線に乗り、仙台へ赴く。意外に順調に走り、10時40分頃仙台へ着いた。東北線も仙山線も壊滅状態だから、考え通り、仙石線に乗ることにしよう。幸い、同線はほぼ正常運転だという。

始発のあおば通へ行って、Uターンする形で下りに乗り直す。こう云う時にICカードは便利だ。行き先を深く考えなくとも、来た電車で行くだけ行ってみる、との手段が取れる。

仙石線は205系の牙城だ。来た電車は

Dscn6239205扉窓が小さい。山手線のお古のようだ。形式は

Dscn62402053000半自動扉なので3000番代を名乗っている。現在、震災の影響で高城町までしか行けないけれど、40分ばかりはのんびり揺られることが出来そうだ。

途中、居眠りなどしている内に松島海岸を過ぎ、高城町にもほぼ定刻着。停車時間もあるし、少し写真など撮ってみる。

Dscn6243と言っても、こんな感じの駅撮りだけである。

予定をまるで考えていないし、時刻表のコピーもない。思いつきで、12時59分の折り返し電車に飛び乗った。車内では

Dscn6250先頭に陣取り、怪しい鉄オヤジに徹する。

さて、さて。

14時には仙台へ戻ってしまった。まだ、宿へ戻るのは早過ぎる。仙台駅で少し駅撮りしてみる。だが、仙台では強風の影響でダイヤが乱れて、何番線にどの電車が入るか殆ど判らない。仕様のない玉砕画像が出来ただけだと思う。ホームでは

Dscn6259こんな程度の雪しか見当たらず、東北・仙台でそんなにダイヤが乱れるほどかと不思議に思う。札幌の現状とほぼ同じ程度と思われるのだが、内地と北海道とではそんなに違うのだろうか。

そうこうする内、16時を回っていた。ベースキャンプの福島へ戻るために新幹線乗り場へ行くと、みどりの窓口に長蛇の列が出来ている。駅員氏に尋ねると、今度は強風のために新幹線も運転見合わせだと言う。がーん。

とどのつまりは、1時間近く遅れた新幹線で何とか福島へ戻ることが出来た。この調子だと、明日も在来線の運転は怪しいところだ。どうやって時間を潰すか、今のところ、いい考えは浮かんでいない。

尚、今回はこのような悪状況のため、撮影結果のご報告も無しのつもりでいる。ご了承の程を。

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2014年1月20日 (月)

「北斗星」で往復する旅(4~7日目)

4日目(1月17日)

「玉砕そばを食べたい」。

ただそれだけの理由で、今日は遠軽まで往復しようと思う。指定券も確保しておいた。寝坊助の私に11D(オホーツク1号)の時間は無理なので、13D(同3号)で出掛け、16D(同6号)で戻る、ただそれだけの行程を組んだ。

そう思っていたところ、前日の夜遅くkattsu-mqcさんからメールが届いた。

「明日の13D先頭に、白ボウズが入る可能性があります」。

先頭の1号車は自由席になるけれど、白ボウズが入るのなら是非とも乗ってみたい。ビンゴしたら自由席車に乗り、ビンゴしなければ指定された席に乗ろうと、取り敢えずは1号車の列に並んだ。

苗穂方から入ってくる車両を眺めていると、果たして1号車には扉の後ろに窓がなく、機関室のルーバーが見て取れた。

「やった!! 白ボウズだ!!」。

Dscn6130kattsu-mqcさんの情報通りの結果になった。感謝、感謝。躊躇なく乗り込む。

早速、車内を見物してみる。扉から客室へ向ける途中に、「わざとらしい機関室」がある。

Dscn6133日本に1両しかない、貴重な車内を見物できて、満足する。そもそもが、まさか乗れるとは思っていなかったから、kattsu-mqcさんの情報がなければ本来の指定席に乗り込んで悠々としていただろう。

「うぉーーーん」と独特のエンジン音を楽しみながら、ひたすら遠軽へ向かう。約3時間半の道のりである。雪景色が続く中、石北の峠を越えて13時19分、定刻に遠軽へ着いた。

一応、遠軽でもう一度、ボウズ君の顔を拝ませて貰う。

Dscn6150乗務員には嫌われ者の車両かも知れないが、マニアには堪らない乗り物である。スイッチバックで発車していく姿を見送りながら、ひたすらビンゴの神様にお礼を言う。

さて。

肝心な「玉砕そば」は、どうなのか。急いで改札をくぐり、駅舎の外に出る。

すると……

Dscn61521おっ?!……

Dscn61532開いている!! 遂に攻略成功だ。店主のお婆ちゃんに「月見そば」と頼んで出てきたのが、これ。

Dscn6155何の変哲もないそばかも知れないが、ブログで知り合った皆さんは、何れも玉砕されている。私が一番乗りだろうか。変哲のないそばでも、嬉しくて思わず頬が緩む。そばがこんなに美味く感じたのは何年ぶりのことだろうか。

食べながら、店主のお婆ちゃんに「ここの定休日は何曜日なんですか?」と尋ねてみると、キョトンとした表情をしながら「いや、別に定休日はないんですよ。私が用事がなければ、店は開けてます」とのこと。皆様方、ご参考になりましたでしょうか?

帰りの16Dに乗る前に、駅近くの跨線橋から普通列車の撮影をして、その後、一人で祝杯を挙げるために

Dscn6159を買い込む。祝い酒は五臓六腑に染み渡り、殊の外、美味く感じた。

因みに、戻りの16Dには「キロ9」が連結されていた。後日、撮影画像はアップさせて頂く予定である。

(尚、攻略成功に伴い、これから私だけは「攻略成功そば」と呼ばせて頂きます。)

5日目(1月18日)

朝、Wさんに「今から苗穂工場を見に行くぞぉ」と言って、無理矢理呼び出した。苗穂も札沼線の電化によって、所属車両が大きく変わった。工場の様子も変わった。2014年現在の様子を写しておきたかったのである。それに、Wさんを立派な鉄子にしなければならないから、教育実習も兼ねることになる(と云う建前)。

Dscn6160駅西側の跨線橋へ行き、フェンス越しに苗穂の様子を垣間見る。ちょうど特急車両は殆ど出払っていて、あまり多くの車両が見られなかったのはちょっと残念だ。

Wさんとは10時半頃に一旦別れ、私は平和へ行く。札幌の貨物ターミナルを見学がてら、hamusutarさんから教えて頂いたタキ貨の様子を窺いに行ったのである。

その後、白石駅でtunnel_no2さんと合流し、森林公園ではvanagon714さんとも合流する。昼食後、3人で上野幌まで赴く。今年の5月で終わると云うタキ貨の下りが、上野幌を14時半頃通過する。それが今回最大の獲物。

無事に撮影を終わり、17時過ぎに地下鉄のバスセンター前駅でsuzuran6さんとも合流し、4人でトロリーラインさんの会社へ赴く。貴重な札幌市電などの模型などを拝見させて頂き、鉄話に花が咲く。

19時からは、東区の居酒屋でWさん、K尊師、hamusutarさん、Fさんの計8人が集結し、★会となる。22時過ぎの散会まで、飲んではしゃいで存分に楽しませて貰った。

当日お世話なった皆様、どうも有難うございました。

6・7日目(1月19・20日)

早いもので、6日目の今日は、もう道内最終日である。今日は最近の前例に従って、豚丼を食するために帯広を往復する。往復の指定券も用意してある。道内の指定券を6枚まで無料で取れる「北海道フリーパス」は、便利な切符だと思う。

8時51分発の「スーパーおおぞら3号」で、石勝峠を越える。新得の町並みを過ぎて暫く行くと、甜菜製糖工場や小豆餡の看板が見えて、十勝の国へ入った実感が湧く。

11時27分、定刻に帯広へ到着。少し早いが、早速、豚丼の

Dscn6166ここへ足を向ける。この店は駅ビルの中にあるから、ついつい焦りがちになる私にはうってつけの店である。いや、帯広では2時間以上の時間を取ってあるのだが。

日曜日だが、意外と客が少なくて、すぐにお目当ての豚丼にありつく。昼食にしては値が張るけれど、ここのあっさりした味は私の好みに合う。

ゆっくり食して、まだ12時を少し回ったところで早くも食べ終わってしまった。札幌への戻りは、13時33分の「スーパーとかち8号」の指定券が用意してある。駅ビルの中の土産物屋などを冷やかして時間を潰すが、ちょっとネタが尽きてきた。

駅の待合室へ入ると「間もなく、13時12分発の滝川行き・普通列車が入線します」との案内放送が耳に入った。急いで時刻表を繰ってみると、この普通列車で芽室まで行くと、10分程度の待ち合わせで目指す「スーパーとかち」に乗り継げるようだ。特急ばかりでは味気ないから、少しだけだけど

Dscn6167dこれに揺られることにしよう。

暖かい車内に入り、満腹なのでウツラウツラしそうになる。芽室までは20分で着くから、居眠りする訳にはいかない。足をつねったりして、居眠り防止に努める。

予定通り、芽室で特急に乗り継ぎ、再び石勝峠を越える。石勝峠はよくカモシカが列車と衝突事故を起こすけれど、今回はそのようなことはなく、無事に札幌へ戻ってこれた。16時14分、これも定刻の到着。

でもって。

内地へは、この駄文のタイトル通りに「北斗星」で戻る。北斗星は17時12分の発車だから、札幌では58分の乗り継ぎになる。夕食用の駅弁や★、おつまみ、明朝の朝食、その他の飲料など色々買うべきものがある。駅の構内にあるキオスクや駅弁屋を駆けずり回って、どうやら時間に間に合った。

やっぱ

Dscn6168写りは悪くとも、入線は自分の目で、しかと確かめたかったから。

帰りも、往きと同じB寝台の2人用個室である。次回はいつ来れるか判らない北海道だから、今回は廃止が決まっている北斗星で往復したかったのである。

方向幕を写して

Dscn6170安堵のため息をつきながら車内へ入る。

別に食堂車を頼んである訳ではないけれど、18時20分まで、★も夕食も我慢した。そのした方が何となくケジメがつくような気がして、性に合ったのである。

★した後も、自分の個室からずっと夜景を飽きることなく眺めていた。夜景は昼の景色より私は好きだ。たまに駅に停まると

Dscn6179暗闇の中に僅かな灯かりと、明日の朝を待つ列車が見えたりして、旅情をそそる。時間がかかっても飛行機に乗らずに北海道へ渡るのは、単に私の個人的なご都合主義で、どうしても地平を行かないと見られない景色があるからである。

***

こうして、飽きもせずに寝台特急に揺られながら、内地へ戻ってきた。翌朝が明ければ、あとは東海道新幹線に乗り継いで名古屋へ戻るだけである。だから後は省略させて頂くが、今回も多くの方にお世話になっての旅行となった。

一々お名前は出さないが、お世話になった皆様に心よりの御礼を申し上げて、今回の旅行記を終わることとしたい。

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2014年1月16日 (木)

「北斗星」で往復する旅(1~3日目)

1日目(1月14日)

来年の春で廃止が発表されている

Dscn6111これで、北海道旅行をしようと思う。廃止は残念だが、新幹線が出来れば何れはこうなるだろうと思っていたから、止むを得ない。

15時半くらいの新幹線で東京へ出て、在来線乗り継ぎで上野まで。折角

Dscn6110bこれの券が取れたので、また贅沢旅行をする。その内、何らかの罰が当たるだろうとヒヤヒヤしている。

2人用の寝台を1人で利用するのだから、スペースは十分に事足りる。シングルだと足元にゴタゴタと置かなければならない荷物を、空いているベットに放り投げたりして

Dscn6115ブルジョア気分を味わう。因みに、一番下に見えている白いのが、私の両足である。★を飲み、いい気分で寝台列車のジョイント音を楽しむ。

この「北斗星」はご存知の向きも多いと思うけれど、「カシオペア」と共に交直車上切替地点の黒磯を通過する数少ない列車である。窓外を眺めながら黒磯の通過を待ち、直流電機の屯する所で「おっ、ここだ、ここだ」と乗り心地を堪能する。転換地点では蛇行で走るから、交流になった瞬間に力行に移る。気をつけていると、ちょっとガクンとしたショックがあった。「ウムウム」と一人で納得する。

23時過ぎの仙台辺りまで起きていた。

2日目(1月15日)

ゆっくり寝ているつもりだったが、6時半頃に車掌の函館到着のアナウンスで起こされる。「仕方ないな」と思いつつ、明るくなってきた車窓を楽しむことにする。折角乗ったのだから、車窓も存分に楽しまなければ意味がない。

函館では曇っていた空が、八雲へ着く頃には晴れてきた。このまま晴れ続けてくれるといいなと思う。

長万部を過ぎ、伊達紋別を過ぎた辺りでは噴火湾を隔てた向こうに

Dscn6117_2駒ケ岳が見えた。それだけ空気が澄んでいる証拠だろう。こんな地へやって来れることに感謝しなければ。

東室蘭・苫小牧・南千歳と過ぎ、札幌へは6分くらい延着した。対向列車や雪の影響だろう。ある程度の遅れは仕方がない。

早めの昼食を済ませ、取り敢えず札幌運転所へ行くことにした。前を通ったことは何度かあるが、写真を撮ったことはない。稲穂駅が最寄なので、区間快速で稲穂へ行き着く。

さて、降りてみて、

Dscn6119こんな感じで駅前からは列車が見えるのだけれど、あとは雪の壁や防風壁に覆われて殆ど内部が見えない。車庫の周りをくるりと一周したけれど、骨折り損に近い結果に終わってしまった。

まだ14時で、時間がある。朝里の浜まで行ってみることにした。駅から至近に、写真になる場所がある。夏には撮ったことがある撮影地だが、冬には行ったことがない。雪で浜辺には辿り着けないことを覚悟で行ってみた。

結果……

Dscn6120雪で撮影場所は見事に埋まっていた(1本目の電柱の影辺りが撮影ポイント)。見事に玉砕した。

今回は北海道フリーパスで来ているから、乗れば乗るほど得になるけれど、時間をかけて来たからには何か撮って帰りたい。結局、駅の跨線橋などからの、駅撮りに終始する。

少し早いが、16時前の電車で札幌へ戻ることにした。今回は、いつものように札幌をベースキャンプにするつもりで、宿もとってある。札幌での初日で、3つ4つ済ませたい用事もある。少々早く帰らないと、用事が済ませられないでは困る。

17時前には宿に入り、荷物を片付けるなどして、18時過ぎにWさんに教えてもらった居酒屋「N」に入る。ママや、他のお客さんと話して、楽しい札幌の一晩目が過ぎていった。

3日目(1月16日)

おさかなご用達の、9時08分発・旭川行きで出発する。今日は納内まで行って、撮り鉄する予定でいる。

尤も、実際に列車が出発したのは9時25分くらいだった。この列車は岩見沢で夜を明かした後、岩見沢→小樽→(札幌・私が乗り込む)→旭川と進むらしいが、その岩見沢で冷え込み過ぎてブレーキが凍り付いてしまい、出発が遅れたという。711系と言えども今残っているのは後期型だ。そんなことがあるのだなぁと、ちょっとビックリした。

結局、納内には13分遅れで着いた。今乗ってきた列車を見送って

Dscn6123711(あ、雪が付いて見難いでしょうが、旧塗装でした)、早速撮影準備にかかる。跨線橋から撮影予定地を見てみたが、雪害(?)のため、撮影不可能のようで、諦めて駅撮りを決め込む。

速報で、コンデジ画像をご紹介すると、上り列車でこんな感じに撮れた。

Dscn6126711これまた旧塗装だが、これは私が乗ってきた列車の折り返しのようであった。

函館線は幹線だから、結構頻繁に列車が行き来する。上り列車を中心に狙っていたが、駅の中をウロチョロする内に、あっという間に15時を回っていた。

少し暖を取りたいと思って駅舎の中へ入ったら、意外にも

Dscn6128立派な自動ドアーがある。よくよく見たら駅舎内に

Dscn6129こんなものが併設されていた。こんなんなら、もっと早く駅舎へ入って、暖を取れば良かったと後悔する。

15時22分の下りの711系を撮ったら、見る見る外が暗くなってきた。道内の日暮れはまだまだ早い。15時54分の上り・増毛行きで深川へ出て、そこから特急で札幌へ戻ろうと思う。

外は寒かったが、何とか一日が終わった。札幌へは17時半前に着いた。   

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2013年11月24日 (日)

「はくたか」号乗車記

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北陸新幹線の開通が迫っている。予定では2015年春である。

それの開通により、まず、間違いなく廃止の運命を辿るのが特急「はくたか」だろうと思う。「はくたか」は上越新幹線の越後湯沢から、北越急行線を短絡して北陸線の金沢とを結ぶ特急である。

廃止になってからでは遅いから、今の内に乗りに行こうと計画を立てて実行してきた。こんな

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切符を作ってもらって、環状で乗車しようとの魂胆である。枇杷島起点にしてあるのは、切符を無効印を捺されずに手に入れるための方策だ(名古屋で下車すれば、途中下車扱いになるから、無効印は捺されない)。

前日の内に特急「しらさぎ」で金沢まで出ておいた。金沢で泊まって、10時14分発の「はくたか9号」に乗るように切符を用意しておいた。

朝がゆっくりだったので、金沢で他の列車をチョイ撮り。

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七尾線用の415系。最近単色化されて、ローズピンクになってしまった。

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食パン(419系)亡き後の新鋭・521系。2両単位できめ細かい運用を行うようだ。

余分なものを撮っている内に、「はくたか9号」が入線していた。681系電車で運行される

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この列車ですな。今回はこの列車がメインなので、1号車の

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奮発してこれに乗る。3列シートだから快適だ。はくたかの方向幕も押さえておこう。

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これでよし、と。

10時14分、定刻に発車。金沢は予想外の雨だったが、出ると直ぐに雨はやみ、晴れ間が見えてきた。富山では完全に晴れだった。もう冬型の気圧配置で、日本海側は晴れたり雨が降ったりの天気予報である。

特急だからどんどん進む。あっと言う間に糸魚川で、直流電化区間に入る。但し新鋭の681系では、交直セクションでも車内灯は消えない。

左手側は日本海で、少し波が荒れている。風が出ているらしい。単調な眺めが続き少し眠くなってきた。初老のネコみたいに薄目を開けているつもりだったが、気付いたら10分くらいウトウトしていた。外はいつの間にか雨になっている。

北陸線の終点・直江津も完全に雨。窓に水滴がつき、その向こうに北陸線用の413系電車が見える。

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列車はここから一駅だけ信越線を進み、次の犀潟から北越急行線に入る。車掌が「この先はトンネルが多くなり、携帯電話などが繋がりにくくなります」とアナウンスする。中々気の利いた車掌である。実際、車窓はトンネルばかりで、たまに平地が現れたと思うと小さな駅がある。そんなのを繰り返して30分余り、再び車掌が「只今北越急行線最後のトンネルを出ました。携帯電話などがお使いになれます」とアナウンスする。北越急行・ほくほく線とは、要するにそういう路線らしい。

終点の越後湯沢到着8分くらい前に、六日町でJR東の上越線と合流し、12時53分、呆気なく「はくたか」は終点に着いた。

隣のホームには、実質ここを起点とする北越急行線の普通電車も停まっている。

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山中の越後湯沢は、流石に寒い。ここからは一気に上越新幹線と東海道新幹線で名古屋へ帰ることにしてある。従って、今回の乗車記もこれで終わりである。

越後湯沢では曇っていたが、次の上毛高原ではもう晴れていた。冬ももうそこまで来ている晩秋の、乗車記録であった。   

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2013年11月14日 (木)

小倉~中津・日豊線撮影旅行(3・4日目)

3日目(11月11日)

外は風が吹いているのがホテルの部屋からも判る。気温は当然、前線通過後で低くなっているだろう。何となく出そびれてしまって、昨日と同じ9時半過ぎの列車にしか乗れない時間に起き出した。

今日は、20分ばかり乗っただけの築城で降りる。近くに自衛隊の飛行場がある。ひっきりなしにジェット機の爆音がして、戦闘機に興味のない私には耳障りだ。

ただ自然は豊かで、

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ジュズダマ(子供の頃そう呼んでいたけれど、正式名称は何というか知らない)や

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南天(ではないと思うが)のような晩秋の草木の実などを見ながら撮影する。流石に風が冷たい。セーターを二重着して来たが、おっつかない。

昼過ぎに一つ下った椎田へ移動し、その後、更に下って冨吉へ至る。ここは雑誌に撮影地が紹介されていた。

案内通りに道を辿って撮影地に着いたが、作例として載っている場所はどう考えても

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ここへ入らないと撮れないアングルだ。以前にも苦言を呈したことがあるけれど、雑誌に載せる以上、現地の状況をちゃんと確認して載せて欲しいものだ。その癖「撮影マナーを守りましょう」と書いてあっては、何が訴えたいのかと言いたくなる。

幸い、近くで別のアングルを見つけたから、よい子の(どこが「子」だ!)私はそこで暫く撮影に及ぶ。

陽がどんどん傾いてきた。風も相変わらず止まない。昨日までならこの服装でも暑いくらいだったのに、世の中上手くいかないものだ。喉も痛くなってきた。まだ明るさは残っていたが、寒さに耐えかねて中津へ戻る電車に飛び乗った。

4日目(11月12日)

本日はタイトルに嘘偽りアリで、最終日なので例によって乗り鉄しながら帰る予定だ。ただ、少し寄り道する。大分まで下って、久大線の「ゆふいんの森」に乗る予定を立てている。

朝、早めに目が覚めた。今まで気付かなかったが私のホテルの部屋は東側に面しているようで

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爽やかな朝の陽が見える。何となく起きたくなって、予定より1本早い列車で大分へ行こうとの気分になる。

予定の列車だとロングシートのワンマン列車だが、早起きすると何が来るかとホームで待っていたら

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これが来た。然もロングーシート化されていない、大分所属車だ。三文の得をした気分になる。7時51分発。

各駅に停まりながら、大分へ9時半前に着。大分から由布院へ至る久大線の普通列車も、1本早いのに乗れそうだ。黄色の単行ディーゼル(キハ125)を覚悟していたら、転換クロスの

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キハ200の2連が来た。ロングシート地獄からは開放されること決定だ。このキハ200は、当初、電化前の筑豊線で「赤い快速」として走っていた、俊足の列車である。あ、大分駅はいつの間にか、完全高架化が完成していた。

発車して、直ぐに山越えにかかる。ここから久大線の終点・久留米までの間に、九州を横断する。ぐんぐん山を登るのが判る。気動車も、直結から変速へシフトダウンする機会が多くなった。見る見る紅葉が見頃になっていく。

11時前に、由布院到着。ここからの特急「ゆふいんの森」は全車指定で、時刻も変更はできないが、ゆっくりとお茶を飲む時間ができた。駅前からはそのまま

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由布岳が見える。名山はいつ見てもいい。考えてみれば私が由布院で降りるのは初めてではなかろうか。折角だから、存分に山を眺め、序に駅前に湧いている手湯にじっとりと浸かる。

さて、たっぷり待ったから、もうそろそろ「ゆふいんの森」に乗らせて貰ってもいいだろう。あ、当の列車は去年の秋にも乗った

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この列車ね。

由布院から積み込んだ、由布の地ビールを飲み、すっかり満足した気持ちになる。日田辺りからは今度は段々下りになる。列車は軽快に走り、少し早起きした私はついウトウトしかける。

久留米に着く少し手前で車内がざわついて、ハッとする。今話題の

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この列車とすれ違ったのだ。咄嗟で碌な写真が撮れなかったが、現在のところ、時刻表にも時刻が掲載されていないから見逃すところだった。多分すれ違ったのは、南久留米駅だと思う。13時40分頃の出来事。因みに現在の設定で、3泊4日コースだと、一人55万円だそうである。

久留米からは鹿児島本線に合流して、一気に博多へ戻るだけだ。博多へ戻れば私は新幹線で名古屋へ飛ぶように帰る。だから、今回の旅日記もこの辺りで終わりにしておこう。

九州も、11月中旬に入ってすっかり寒くなった。

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2013年11月10日 (日)

小倉~中津・日豊線撮影旅行(1・2日目)

1日目(11月9日)

新幹線でビュワーンと小倉まで行く。名古屋で昼食を仕入れようとしたら「このお弁当お買い求めの方は、★が40円引き」と書いてあり、ついつい購入する。

新幹線に乗って直ぐ★を始めたら、酔いの回り始めた京都辺りから体調がおかしくなった。矢鱈としんどくて、目の前は

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こんな感じに真っ白になってきた。脂汗も出てきて尋常な状態ではない。「立ちくらみ」と言うが、あれが延々と続いている感じである。仕方ないので目を閉じてじっと耐えるしかない。

酔いが醒める1時間程度、福山駅を出る辺りまで、この状態は続いた。朝から贅沢に★なんぞするものではないと、天からのお叱りみたいである。

幸い広島を出た辺りから復活し、新関門トンネルを過ぎると八幡の製鉄所などが見えてくる。

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小倉で予定通りに降りる。今回のターゲットは日豊本線なので、小倉で降りるのが妥当だ。

小倉で普通列車の813系

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に乗り換える。0番代ではなく、方向幕をLED化した1000番代である。日豊線はワンマン化のため、この型が多く導入されている。これで、小波瀬西工大前まで至る。昔は「小波瀬」といった駅が、民営化後長い名前に変わった。ここから徒歩15分くらいの撮影場所に行く。

撮影場所は間近で

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跨線橋の工事が行われていた。開通の暁には、この付近の撮影状況も少し変わるかも知れない。

1時間少々粘った後、駅を通り越して反対側の苅田側へ行ってみる。昔はここの駅から、「苅田港線」という貨物線が分岐していたのだ。線路跡らしき道に沿って歩くと果たして

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こんな場所が現れた。因みにこの苅田港線は、廃線になっているはずなのに、平成25年3月現在の貨物時刻表では「運賃として計算できる線」として掲載されている。とても列車の走れる状況ではないが、兎に角そういうことになっている。

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戻る道すがら、暗渠の向こうへ渡れる場所で線路の跡を確認してみる。確かに、現在でも線路があることはある。

夕暮れてきた。17時前の電車で中津へ赴くことにする。今夜から3晩、中津に宿泊予定である。

投宿して直ぐに、ホテルのフロントで★出来る場所を尋ねて徘徊する。朝方あんなにやられたのに、私も懲りない奴である。小さな店に入り、喧騒の中で中津の一晩目が過ぎて行った。

2日目(11月10日)

今日は朝から雨の予報だ。諦めて遅がけに起きたら外は何と

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晴れていた。時間が勿体ない。9時半過ぎの上りで、南小倉まで至る。少々居眠りしていたら、外は曇り空になった。今日の降水確率は100%なので、仕方ない。

雨でもいいように駅撮りできる駅を選んでおいたから、ここでは大人しく駅撮り。小さな駅の階段を上り下りするが、いかにも古い感じの駅である。ふと見た階段に

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こうあった。古いのも納得できる。

次に城野駅へ一駅戻る。ここは日田彦山線の分岐駅だ。だからどうなんだと言われても仕方ないかも知れないが、

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こう云う信号機を見るだけでワクワクするではないか(あ、しません? それは失礼しました)。

どんどん南下して次はギャルじゃなかった、下曽根へ行こうと思ったが、雨が降り出した。ギャル下曽根は屋根のない所での撮影を考えていたので、残念ながらパスして、行橋まで行くこととする。今度は元・田川線の平成筑豊鉄道が分岐する駅だ。

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この写真を撮っていたら、親切な駅員さんが「あ、写真撮るなら、中へ入ってもらってもいいですよ」と言ってくれるが、私は別のアングルでの写真を考えていたので、有難くご好意だけ頂戴する。

さて、駅撮りもネタが尽きてきた。次は新田原から少し歩いたところが目当てだが、幸い雨が小降りになってきた。行くだけ行ってみようと、新田原で降りることにする。歩き始めは順調だったが、やがて雨が降り始めた。やはり降水率100%では、無理かと思う。

濡れるのを諦めて、田圃の脇で

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構えてみる。撮っている内に、やっと雨が止んだ。

止んだはいいが、雲が垂れ込めて大変暗い。絞り2.8で1/125秒が精一杯だ。明日は寒くなるらしいが、天気は回復するらしい。明日に望みを託して、早々に撮影場所を去る。

新田原から

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この中津行きで宿へ戻ることにする。

中津駅に近付いたら、雲の切れ間から青空が覗き始めた。明日に期待しましょ。 

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