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2014年4月

2014年4月27日 (日)

高崎線での写真

先日、3日ほど高崎線の撮影に行ってきた。
1日半を高崎線の撮影に使い、あとの1日半を近所の私鉄(秩父鉄道・上毛電気鉄道)の乗り鉄に費やした。従って撮影枚数は僅かだが、高崎線の写真をご覧頂こうと思う。

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高崎の手前に、倉賀野駅がある。ここは貨物駅も併設されていて、旅客駅から少し離れたところに貨物列車は入っていく。倉賀野で終点になる貨物列車は、ここまで電機に牽引され、貨物駅には逆方向を向いてDEに牽引されていく。倉賀野へ入ってきた4057レ。左側には既にDEが待機中。

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貨物列車が停車後、DEが上野方面から来た貨物の尻側に連結される。亘り線を通って、DEが近付いてきた。

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DEが連結された後、貨物列車は写真中央に写るマンションの影にある、貨物専用駅に入っていく。貨物駅は旅客駅からかなり離れたところにあるので、今回は深追いはしなかった。

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岡部駅から少し離れた場所にある「お立ち台」。田園風景の広がる、中々いい場所だ。手前の畑は何が植えられるのだろうか。作物の時期に訪れるのも一興かと思う。区間は深谷~岡部になる。

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行田駅からすぐ熊谷寄りにある踏切付近より。長いタマを使うと結構迫力のある絵が撮れるようだ。これも所謂「お立ち台」。

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上と全く同じ踏切。列車が来ない時間に、踏切を渡る人を撮ってみた。個人的にはこういう写真の方が好きだ。子供が多く見られたけれど、これは「街が若い」証拠なのだそうだ。

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熊谷駅から少し郊外へ歩いた辺り。駅前は凄く賑わっていたが、25分くらい歩くとこんな田園風景が広がるのは意外だ。185系の列車が少なくなった今、特急「草津」は651系で運転されていた。折角の交直両用電車なのに、少し勿体ない気がする。区間は行田~熊谷になる。

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上とほぼ同じ場所から、反対側を向いて下り列車を。来たのは「安中貨物」と呼ばれる、鉱石運搬専用列車の5097レ。敢えてタンポポにピントを合わせて。EH500の牽引であることは知らなかったので、意外だった。

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上2枚の写真を撮った後、帰り道で菜の花が綺麗だったので。中井靖也先生の撮り方を少し真似てみたのだが、まだまだ私には修行が足りないようだ。もっと黄色を強調できればと思ったものである。区間は同じく、行田~熊谷。

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北上尾駅の近くまで下りて来た。貨物時刻表に「石油返空」とあったので、タキの連なる風景を期待していたのだが、先頭方はコキにタンクコンテナが積んであって、ガックリした。最近は何でもコンテナに取って代わられてしまうようだ。その内、タキという車両区分もなくなってしまうのだろうか。北上尾~桶川にて。

高崎線には、他にも撮影地はあるので、次回以降同じ区間に出かけてチャレンジしてみたいと思っている。

追記:今回は先日ご紹介した、ニコンDfでの撮影です。初お披露目になります。

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2014年4月16日 (水)

二台目のデジ一

かなり新鮮味に欠けるネタとなってしまうが、お許しくだされ。

3月初めに、二台目となるデジ一の「ニコンDf」を購入した。

こんな奴↓

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有体に言えば、消費税増税前の駆け込み購入だ。いつも行くプリント屋の店長に「これ、フィルムカメラみたいな仕様になっているから、扱いやすいよ」と声掛けされたのがきっかけだった。暫くは考えていたのだが、フィルムカメラは廃れる一方だし、自分も寄る年波でフィルムカメラの機材は重たくて持ち歩けなくなってきた。ここらで、もう一台、デジ一の予備機的なものを買っておきたいとの結論に達したのである。

結論に達したのはいいが、カメラ屋に行ったら「いつ入荷するか判らない。現在、入荷待ちの状態で、何人かのお客さんに待ってもらっている」とのこと。頼みに行ったのは2月中旬頃で、「消費税が上がるまでには入荷して欲しいのだが」と頼むと、「いくら何でもそれほど待たせることはないと思う」との返事だった。

結局、注文から1週間ばかりで我が家へやって来た。

このカメラ、プリント屋の店長が言った通り、シャッター速度の切り替えダイヤルが

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こんな風になって、昔のニコンF3あたりを彷彿とさせる。シャッターレリーズもフィルムカメラのものがそのまま流用できる。そんなことから人気が出て、それで入荷待ちの状態になってしまったのだろう。

以前買ったD800よりも気軽に写せそうなので、今後活躍の機会が増えると思う。既に何回か持ち出して、試験撮影なども済ませてある。扱いやすくていい機械だ。

今後、多分このブログでも、このカメラによって撮影された画像を多数アップすることになっていくだろうと思う。

どぞ、よろしく。

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2014年4月 6日 (日)

さよなら、瀬戸電の「赤い電車」

瀬戸電とは何のことかと思われようが、名古屋鉄道瀬戸線のことを地元の人間はこう呼ぶ。理由は簡単で、この線が名鉄に合併されるまでは「瀬戸電気鉄道」との名前だったからで、それを略して地元人は「瀬戸電」と呼んでいるのだ。

この瀬戸電には長い間、塗装された電車が走っていたが、今日4月6日の「赤い電車・さよなら運転」を以って、瀬戸電から赤い電車が消えることとなった。

私は幼少時、瀬戸電の瓢箪山駅からすぐ近くに住んでいた。私が現在のような電車オタクになったのは、この瀬戸電の存在がかなり影響していると思われる。何しろ物心ついた頃には、私は瀬戸電の電車に激しく反応していた。近所の市場へ買い物に行くのには必ず瀬戸電の踏切を渡らなければいけなかったが、母によると、私は「電車が1本通り過ぎるまでは、絶対踏切を渡ってくれなかった」らしいのだ。

そんな瀬戸電も近代化が進み、今般、全てが

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こんなステンレスの電車に置き換わることになった。それで、今日は昔住んでいた守山区へ出掛けて、赤い電車の最終さよなら電車を撮ってきた。

私は守山区に住んでいた頃、

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この踏切の近くに住んでいた。で、今日もその懐かしの踏切から、さよなら電車を撮ってきた。

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特製のヘッドマークをつけた、赤い電車が栄町へ向かっていく。髭のような模様のラッピングが鬱陶しいが、最後なので多少のデコレーションは仕方ないのかも知れない。

そして、この上り電車の約30分後に、本当に最後の赤い電車が、尾張瀬戸に向けて走って行った。

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方向幕は、一般営業ではないため、「団体」となって、行き先は表示されていない。もう少し早く撮りに来るべきだったと後悔が残る。

瀬戸電では、昭和53年に600Vから1500Vへの昇圧が行われている。で、その昇圧前に記念に撮った写真やら何やらがあるので、少しご紹介して行こうと思う。

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私の鉄道写真人生の1枚目は、この瀬戸電から始まっている。これは昭和51年2月に撮った、喜多山駅でのワンシーン。所用で出掛ける父についていき、撮った記憶がある。

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上の写真と同じ日に撮った、瀬戸街道を渡る電車。これは昭和48年以降に瀬戸線へ入った3700系電車だ。当時は「特急」の区分が瀬戸電にもあった。別に座席指定でも何でもないのに、当時は通過駅の多い電車は「特急」であった。

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私にとって、瀬戸電は「緑色の電車」のイメージが強い。昭和40年頃の瀬戸電では、赤い電車は専ら特急運用についており、普通電車はほとんどがこの緑色の電車だったのだ。潅木に隠れていてみっともないが、まあ昔の写真なのでお許しくだされ。昭和53年3月、喜多山にて。

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これも、昭和53年の喜多山付近での撮影。赤色の電車は当時は、2両きりの編成だった。パノラマカーを模した逆富士型の行先表示は、赤い電車にだけ許された特権だった。

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ブレていて申し訳ないが、急行運用に就く緑色の電車。大曽根駅付近で昭和53年に撮ったもの。尚、右端の黄色い看板のすぐ上に築堤が見えるが、これは瀬戸電と国鉄中央本線を結んでいた連絡線。上の方に見える盛り土線が国鉄中央本線だ。

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これも緑の電車。行先は読み辛いが「土居下」と書いてある。この当時、瀬戸電を栄町へ乗り入れさせるために土居下~堀川を廃止して、全列車を土居下で折り返させていた。

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これも昭和53年3月の撮影。当時の大曽根駅は地上にあって、こんな風景が繰り広げられていた。写真の702号は、後に谷汲線へ移って、谷汲線が廃線になるまで活躍した車両である。谷汲線移行後は、名鉄カラーの赤に塗り替えられている。

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矢田川鉄橋を渡る、3700系電車。これははっきりと記憶に残っていて、昭和53年3月18日の撮影だ。この翌日から瀬戸電は1500Vに昇圧されるため600V車を撮るために自転車をこいでここまで出掛けた記憶がある。

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これも、上の写真と同じ、昭和53年3月18日の撮影。昇圧に伴い、使わない電車は早い時間から大曽根の留置線へと回送された。これもその回送電車。2300系の中でも唯一、高運転台へと改造された2326号車が先頭である。

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瀬戸電昇圧に伴い、新しく配置された6600系電車。これはまだ使用される前の姿で、喜多山の留置線に留め置きされていた。今となってはこの6600系も廃止となってしまい、ピカピカの同車が写っているのは、我乍ら奇遇と言えよう。

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6600系・6704号車の車番。これも、使用開始前の写真で、記録によると昭和53年3月12日の撮影らしい。当然、車番もピカピカ。

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いきなり時代は動くが、これは記録によると、平成19年12月の撮影。この頃、瀬戸電には吊り掛けモーター車に車体だけ新造たた6750系と云う電車が走っていて、それを偶々写してあった。大森~印場での撮影。

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これも更に時代を経て、平成25年1月の撮影。小幡駅からすぐ喜多山寄りの踏切から撮影した6000系電車。この区間は近い将来、高架になる予定で、既に用地が取得されている。

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ちょっとややこしいが、6枚目の写真と同じ、瀬戸街道と呼ばれる広い道を横切る踏切での6000系の写真。既に、赤い電車が廃止されるとの噂は立っていて、意識して撮った記憶がある。これも平成25年1月の撮影。

写真の羅列となってしまったが、私にとっては切っても切れない縁の瀬戸電。その瀬戸電から、今日また、新しい歴史が一つ幕を下ろした。ステンレス電車は好きになれないけれど、瀬戸電そのものが廃止になる訳ではないから、現状を甘受するしかないのであろう。

赤い電車、今まで、有難う。

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