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2012年10月

2012年10月31日 (水)

チキ?

先日、自家用車で走っていたら信号でトレーラーに追いついた。

トレーラーには当たり前に鉄骨が積んであり、積んであり……ん?

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みんなレールじゃん!!

このトレーラー、私共の職場の地下鉄・東山線の車庫がある藤が丘方面から出て来たから、多分、東山線で使われていたレールなのだろう。

今まで考えたことはなかったけれど、地下鉄のレールのお古はどうされるのだろう? 再利用で何処かの駅で屋根の支柱になったりはしないだろう。再度溶解して、新しいレールに作り変えられるのだろうか(全部書いた後でググッてみたら、やはり新しいレールになったり、その他の用途のレールとして再利用されるらしい)。

結局、自宅近くまでこのトレーラーの後にくっついたまま、帰って来た。最近はレールチキでも車掌車は付かないけれど、仮に車掌車から眺めていたら、こんな眺めを延々と楽しむのかなぁと思いつつ。

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2012年10月27日 (土)

芸備線での写真

少々遅くなったけれど、芸備線での写真をアップしようと思う。列車本数の少ない線区での撮影だったから、8枚のご披露に留めさせて頂く。

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ありふれた田舎の風景ではあるけれど、バックの民家の瓦が赤茶色か黒色のどちらかに限定されている。これを見ると私は「中国地方だなぁ」と思うのだ。黒色は何瓦か判らないが、赤茶色の方は「石州瓦」と呼ばれる日本三大瓦のひとつだ。
長閑、だけでもいいかなと。甲立~上川立にて。

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今度は「綺麗なだけでもいいじゃないか」になるけれど、秋の花はまたそれなりに風情がある。コスモスの手前の橙色はキバナコスモス。コスモスより若干遅い10月中旬から11月上旬に見かけることが多い。先頭車の原色キハにも助けられた。上川立~志和口にて。

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前側車両が潅木にかかってしまったのは痛かったが、築堤の上、そして更にその上の秋の高い空が個人的には気に入っている。撮影する分には「ピーカン」の方が助かるけれど、空を取り込んだ写真の時には雲の存在が大きくモノを言う。殊勝なものだと苦笑いである。志和口~西三次にて。

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七塚駅を降りて山ノ内方面へ歩きかけた時、最初に目に留まったのがこの風景だ。刈り取った水田だけだとのっぺりしてしまうが、稲藁をロールにしたもの(これは既に黒ビニルで包んであるが)があるだけで、景色が豹変する。何となく秋の深まりを感じてしまう。単行のキハでも、まあ致し方ないかなと。

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ススキとセイタカアワダチソウにピントを合わせて、あとは野となれ山となれ。随分無責任な撮り方ではあるが、こうした方が「秋」を強調できるかと思って、敢えてこの撮り方にした。気動車は完全逆光だが、却ってその方がヘッドライトも映えるように思う(言い訳ともいう)。山ノ内駅にて。

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稲架も短い期間しか見られないから、秋の重要なアイテムだと思う。好天に恵まれたのも幸運だった。出来上がりを見て思ったのだが、欲張って空まで入れないで、もっとカメラを下に向けて稲架を強調した方が良かったかも知れない。旅行3日目の朝に遭遇した「プロカメラマン」氏なら、どう撮っていただろうか(笑)。備後三日市~山ノ内にて。

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山ノ内の駅へ戻って、帰りの列車の前にもう一本上りがあるので、駅撮りでこんな写真にしてみた。いい具合に線路がカーブしているから、そこがヘッドライトで光った瞬間を狙ってシャッターを切った。とは言え露光時間は1秒なので、実質バルブ撮影と変わらない。山ノ内駅から備後三日市方面を向けて。

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旅行記でも出した、西城川の流れ。これまた天候に恵まれ、水面が青く光っている。こんな景色を見ながら走る気動車も、さぞかし気持ちが良いことだろう。もう1時間くらい遅いと列車の側面も順光になるのだが、この次の列車は2時間後で陽が没した後である。世の中、中々望み通りには行かないものだ。平子~備後西城にて。

秋の備後路の雰囲気が、少しでもお伝えできていればいいと思っている。ご高覧、お疲れ様でした。

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2012年10月21日 (日)

芸備線撮影旅行+α(3・4日目)

3日目(10月20日)

6時56分発の備後落合行きに間に合うよう起きる。ちゃんと起きて着替えもしたが、どうも体の具合がよろしくない。体がだるくて喉も痛い。昨夕の寒さで風邪を引いたのだろうか。

どうも行動する気になれないので、もう一度、服のまま布団に横になる。次の備後落合行きは10時47分までないが、体調不良では仕方がない。

うつらうつらとして、気がつくと1時間ほど経っていた。体のだるさも喉の痛みも取れている。時間を無駄にしてしまったが、気を取り直して10時47分の列車で出掛けることとする。

少し早めに三次駅に着き、駅員さんに許可をもらって早めにホームへ入る。ホームからは

Dscn3620ある程度の気動車も見えるが、国鉄時代に比べると断然車両数が少ない。以前は奥の転車台の方まで気動車が停まっていた。合理化で寂しい駅になってしまったようだ。

10時47分の列車に乗って発車を待っていると、70歳くらいの男性が「あんたも写真ですか? 私はプロの写真家なのでね。『おろち号』に乗るんだろ」と聞いてくる。『おろち号』とは備後落合から接続する木次線の観光列車である。

別に『おろち号』には乗らないし、自分から「プロの写真家」と言ってくるプロカメラマンは、まずいない。鬱陶しいので、適当に返事してあしらっておく。

定刻に発車した列車で、平子まで向かう。さっきのご老人は別の婦人グループを捕まえて、得々と鉄道の知識を披露している。ご婦人方も迷惑そうな顔をしている。

平子でやかましいご老人とも別れ、一人でせっせこと撮影地を探しながら歩く。まだ刈り取りの終わっていない

Dscn3622水田を見つけ、そこでカメラを構える。

一本撮った後、少し移動する。気分次第で撮影場所を決め、三脚を構えていると、足元に

Dscn3623コオロギが寄ってくる。普通、昆虫は人間を見ると逃げ出すものだが、奴は人懐こいのだろうか。

撮影を終えてコオロギさんとも別れ、別の撮影場所へ移動する。途中で渡った

Dscn3624西城川の流れを眺めている内に、午前中の嫌な思いも吹き飛んだ。

平子駅近辺で15時台の上り・下りを撮影し、駅へ戻る。次は17時41分の三次行きまで列車はないが、2時間くらい待つのは物の数ではない。

段々日が暮れて、夕刻のホームが綺麗に見えた。六曜で言う「先負」みたいな一日だったが、終わりが良ければ、まあいいではないか。

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4日目(10月21日)

今日も6時56分発の備後落合行きに間に合うよう起きる。今日は体調がどうであれ、これに乗らないと予定が狂って名古屋へ帰れなくなる。なので、ちゃんと起きる。

宿を後にすると

Dscn3636早朝の街は霧で霞んでいる。三次や庄原など広島県北部は、何故か早朝に霧が出ることが多い。

予定通りの備後落合行きに乗り、前日までに撮影した山ノ内や平子などを過ぎ、終点の備後落合に至る。私の切符はここから木次線に入るように作ってある。三段式スイッチバックの出雲坂根などを沿線に擁すローカル線だ。

暫く待って、木次線の木次行きに乗る。発車を待つ内に、さっきまで乗ってきた芸備線の列車が三次行きとなって折り返す。

Dscn3652左が三次行き、右がこれから乗る木次線の車両である。形式はどちらもJR西オリジナルのキハ120だが、線区によってカラーリングが異なっている。

寸暇をおかず、木次行きも発車する。客は芸備線から降りた4人がそのまま、木次線の客となっている。日曜日だから少しは観光客もいるかと思ったが、意外なほど少人数だ。ここら辺りのローカル線も、いつ廃止の話が出るか判らないような状態ではある。
とは言え、私も木次線に乗るのは20年ぶりだ。他人をとやかく言える立場ではない。

昨日書いた観光列車の

Dscn3661『奥出雲おろち号』とは、出雲三成で交換し、11時20分に木次へ定刻着。

ここからは更に宍道まで行って、山陰線に出る予定である。次の宍道行きは12時10分発、但し時刻表の当該列車に「第3日曜日は運休・代行輸送あり」と注記がある。今日、10月21日はまさしく第3日曜日である。

勿論、これは承知の上……と書きたいところだが、実は予定を立てた段階でビンゴだとは気付かなかった。切符も作ってもらい、予定行程を見直していて、初めて気付いたのだ。

幸い、終点の宍道では岡山へ出る特急「やくも」に1時間もの乗り継ぎ時間がある。代行輸送もあると書いてあるから、どうにかなるだろう。

駅員さんに案内されて駅前で待っていると、

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代行のジャンボタクシーがやって来た。前の車は「各駅停車」用、後ろの車が「宍道まで直行」用の車だそうだ。駅員氏に切符を見せ、後の車に乗り込む。

タクシーは木次線の線路にほぼ沿った道を走る。途中で

Dscn3671踏切を渡ったりするのも、代行輸送ならではの余興ではないか。

直行便は結構順当に走り、列車の時刻と同じ12時44分に宍道駅前へ着いた。流石、プロの運転手さん、時刻まで正確でお見事である。

ここからはさいぜん書いた「やくも」で岡山へ出て、あとは新幹線に乗って名古屋へ帰るだけだ。とやかくは書きたくないが、もう一つだけ。

「やくも」の車窓で有名なのは、宍道湖と大山の山並みが代表格だが、私はもう一つ見ておきたいものがある。区間としては伯備線の備中川面から木野山にかけての辺りである。

Dscn3680ちょっとお判り辛いが、石垣の積まれた棚田の景色だ。渋過ぎてオジン臭い景色かも知れない。だが私はここを通るのが楽しみだ。日本の原風景を見ているようで、自分が日本に生まれたことを感謝したくなる車窓だと思う。

と、まあ主観で長々と書いてきたが、ともあれ今回も無事に戻って来れた。列車の遅れもなく、風邪も悪くならず、10月らしい撮影+αだったと思っている。

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2012年10月19日 (金)

芸備線撮影旅行+α(1・2日目)

1日目(10月18日)

一回撮りに行ったことはあるものの、ちょっと手薄になっている芸備線を撮影しようと思う。元々は2泊3日だった予定の旅行だが、先日の「千種区民祭りのお手伝い」のお蔭で一日休みが延長されて、3泊4日の行程である。

新幹線でビュン、ビュンと広島まで(但し岡山までは爆睡)。芸備線の起点は伯備線と分岐する備中神代なのだが、終点の広島側から入った方が行程的に都合がよろしいのだ。

11時ちょうどの三次行きに乗る。最近JR西日本は単色化を進めているが、私の乗った列車も

Dscn3590401両だけ朱色になっていた。元々の色はこれなのだから、国鉄マニアとしては有難い。

これに揺られること1時間半余、上川立で降りる。ちょっとチェックしていた撮影場所があるのだ。

撮影を終えて戻ってくると、駅の構造が不自然なことに気付く。

Dscn3593自分が今、立っている場所は、明らかに線路だった様子だ。つまり以前は交換可能駅だったのだろう。合理化で一方の線路を剥がされてしまったと見える。駅ごとに諸行無常の歴史があるようだ。

14時半の列車で、一駅乗った志和地に至る。駅付近は

Dscn3595ありふれた里山の風景だが、こう云う所が私は性に合う。のんびりした場所が好きなのだ。

ここでも2時間ばかりを送り、16時半過ぎの列車で三次へやって来た。今日から3泊、この三次をベースキャンプにする。

駅から少し歩いたホテルからは

Dscn3597線路が眺められて誠に都合がよろしい。因みに手前は三江線、奥が芸備線である。

早く宿へ着いたので、早くから★をしてゆったりとした夜を楽しんだ。

2日目(10月19日)

朝は人並みの時間に起きて、七塚まで赴く。山ノ内までを撮り歩きながら戻ろうとの魂胆である。

付近は相変わらずの

Dscn3598里山風景が多い。ありふれた景色ではあるが、都会の名古屋でゴミゴミした街並みを見せられているよりは遥かに気楽だ。

線路に沿って南側に道があるので、それをブラブラ歩く。道沿いには

Dscn3600小さな祠や道祖神、石碑などを散見する。自分が歩いているのは旧の街道なのだろうか。

ゆっくり歩いてきたつもりだったが、13時過ぎには山ノ内駅へ着いてしまう。駅は昨日の上川立同様に

Dscn3603交換できた跡が残っている。

時間があるから、午後は少し下和知方へ歩いて写真を撮っていた。沿線の

Dscn3606ハザが綺麗なのが印象的だった。

昼間は暑いくらいだったのに、夕刻になったら寒くなってきた。18時11分発の三次行きを待っている間、凍えながら夕暮れの駅で耐えていた。寒暖の差が激しい季節になってきたようだ。    

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2012年10月13日 (土)

私にとっての「何じゃ、こりゃ?」

少々前に、レッドラインさんのブログを中心に盛り上がった「何じゃ、こりゃ?」シリーズ。

通常なら私も何か鉄道の写真をと思ったのだが、先日、妙なものを発見した。

用事があって1980年7月号の時刻表を手に取った。パラパラとページをめくっていると何か挟んであるのに気がついた。それが下の紙切れである。

Img844 特急列車の名称と、走行区間であることは判る。文字の感じから見て、自分が中学生時代のものだと思う。私は変に略字に凝っていて、高校に入る頃には「新潟」の「潟」の字を「シ写」(お判り頂けますでしょうか? 要は「さんずい」に「写」と云う字で略していたのです)と略して書いていた覚えがある。だから、中学生時代の文字だと思うのだ。となると、1979年3月以前のものか。

それはそうとして、これらの特急列車の共通項は何であろう? 自分がそれまでに乗ったことのある特急列車ではない。この頃は東北や北海道はまだ未開の地だった。東京くんだりでさえ、碌に行っていない頃だった。

自分が乗りたい列車を列挙したのだろうか? そうでもなさそうだ。北アルプスは名鉄からの乗り入れ列車で、当時は特別関心も抱いていなかった。それに北アルプスの前身の「たかやま号」には乗ったことがあった。

それこそ、当時の自分に聞きたい。「一体このメモは、何のために残してあったんだ?」

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2012年10月 7日 (日)

千種区民祭りへ“出勤”

私共の車庫は名古屋の名東区ってところにあるのだが、車庫の西側はもう踵を接すように千種(ちくさ)区になっている。

その千種区で、3連休なか日の今日、「千種区民祭り」が行われた。会場は千種区東部にある平和公園である。
この区民祭りにスタッフとして、職場の私の班から2名、誰か休日出勤で手伝ってくれないかと云う話があり、私とH本さんがお手伝いすることになった。因みにH本さんは「お祭り大好き男だから」との正当な理由、私は「他のどの日でもいいから代休が貰えるから」との不純極まりない理由による。

私の職場のメイン出展イベントは

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この「お絵かきバス」だ。今回は私共の車庫で最古参(2001年式)のNH-16号車が“餌食”である。

7時過ぎには出勤し、直ぐにバス車内へ色々なイベント用の物品を積み込む。

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30分もしない内に、バスの後部は荷物で満席となった。大型のバスを会場の隅のブースへつけるために、9時30分の開場より2時間ほど前にはスタッフ計9人も乗り込んで出庫。車庫から会場まではものの5分ほどだ。

皆で慌しく準備を始め

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開場1時間ほど前には

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準備もほぼ整った。
因みにお絵かきの区画であるが

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予めお客様には整理券をお渡しし、その整理券に書かれた番号の区画(写真では紙に区画番号を書いた札を貼り付けてある)に自由にお絵かきをしてもらうことになる。

さて、私とH本さんは、その「お絵かき」の方ではなく、『バスの運転手の制服を着て、運転席で写真を撮ろう』の企画の方を担当することになった。お絵かきバスの運転席部分だけを使うのである。車内には子供さん用の小さな制服上着と制帽・男女用各2着ずつが用意されている。これを着せてあげたり、 順番を待つ親子連れの方々を整理するのが主な仕事だ。

9時30分の開場とほぼ同時に、1組の親子連れさんがおみえになり、以降、不思議なことに大行列にはならないものの、常時、2~3組のお客様にお待ち頂くという状態になった。だから、仕事途中の写真は殆どない。食事休憩で20分ほど、あともう一度20分ほどの休憩時間を頂いただけで、あとは殆どお客様のご案内をしていた。

その休憩時間中に撮った、「お絵かき途中」のバス。

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14時半頃には全ての区画がお絵かきで埋まり、お絵かきは終了したと思う。

今日は秋晴れで、暖かいを通り越してバスの車内にいた私は汗だくだった。H本さんも同じだったと思う。それに単身者の私は子供もないから、子供さんの扱いがよく判らない。運転席へ持ち上げて座らせてあげるのだけでもビクビクだった。もっとも、私と同い年のH本さんも「こんな小さなお子さんをだっこするのは、何年ぶりかなぁ」と苦笑していたけれど。

15時半で、「区民祭り」は終了。「写真を撮りたい」とのお客様があったので、10分ほど延長して、私共のブースも全て終了。

途中、運転席から転げ落ちてしまった女の子がお一人、あと運転席と客席を区切る稼動枠に手を挟んでしまった男の子がお一人あった。何れも私共が目を離した僅かな隙に起きてしまったことで、親子さん共々申し訳なかったが、どちらも「この程度のことはいいですから」との親御さんのお言葉により、特に大きな問題にも発展せず終わらせて頂いたのであった。

あと、運転席へ座ったはいいけれど、座った途端に怖くなって泣き出してしまうお子さんもあった。やはり普段見慣れぬ景色だから、いざ座ってみると幼稚園以下の子供さんには恐かったのかも知れない。

片付けを完了して、お絵かき会場からバスが出られる頃合を待っていたら、スタッフの一人でもある営業所長が「こんなお絵かきをしてくれた子供さんもあるんですよ」と私たちを案内してくれた。

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「ありがとう」。

私は忘れかけていた言葉だったけれど、何か、これを見たら一日の疲れも吹っ飛んだ。こちらこそ、本当にありがとう、である。

秋の一日の催しが、子供さんたちの胸にいつまでも残ってくれればいいなと願わずにはいられなかった。

本日出勤のスタッフの皆さん、どうもお疲れ様でした。そして何より、会場へお越し頂いた皆様、本当に有難うございました。

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2012年10月 1日 (月)

職場の古いもの2題

Dscn2005h私が仕事でよく赴く、Hヶ丘の乗務員待機室。当たり前のように壁に鏡が掛けられているのだが、これをよく読むと「えっ? これって一体いつの物??」と思うような事実が浮き上がる。

このミラーの上部をアップしてみる。

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ん?……「三ツ和サイダー」? 三ツ矢サイダーなら当たり前に聞いたことあるが、堂々と「三ツ和サイダー」「オレンヂジュース」と書いてある。どこの会社だ?

更に、ミラーの下部をアップしてみよう。

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電話「東7035番」。何じゃー!! この電話番号は?!

因みにもう一つの文字、「東海飲料食品株式会社」も、現存しないようだ。名古屋市内に「㈱東海飲料」との会社ならば実在するが、これは昭和63年に設立されたものだそうで、この鏡の文字とは縁もゆかりもない会社だ。

このHヶ丘は、東山公園にあった路面電車の終点施設を、昭和34年の路線延長に伴って移設した際に開業したとされている。その後バス路線も開業して、待機室の持ち主は電車部門からバス部門へ移ったらしいのだが、あの電話番号を見る限り、昭和34年ってレベルじゃない。
鏡だから割れさえしなければ現役は続くのだろうが、それにしても物持ちのよい職場である。

もう一つ、気になって仕方ないものがある。

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これは別の場所、I下のバス乗務員待機室においてある時計付きラジオなのだが、これも相当古い。

周波数辺りを拡大してご覧頂こう。

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周波数を示す単位として、今一般的に使われているのは「キロヘルツ」との言葉だと思うのだが、このラジオは「KC」、つまり「キロサイクル」との表示をしている。戦前派の私の父が時折この言い方をするけれど、つまりは、そのレベルのラジオらしいのだ。ラジオじゃなくて「ラヂオ」と呼んだ方が正しいかも知れない。

このI下は、その昔は地下鉄の終点だった頃があり、それに付帯してバスターミナルも設けられた。地下鉄が通ったのは昭和35年のことだそうだ。そんな頃のラヂオではないかなぁと思う。

ただ、どうした理由でこれらの品々が今日まで置かれているのか、事情は部内の私でもサッパリ判らない。

(※後日追記:ラヂオの方は現在使えられない状態になっております)。

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