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2012年8月 3日 (金)

昔の記憶を呼び起こし~長良川鉄道の旅

(※お蔭様で怪我の具合は、大分良くなってきました。あと1週間程度で職場復帰できるかと思います。ブログも本日から再開致します。
尚、この記事は7月14日にアップする予定で、怪我をする前に書いておいた記事に、後日加筆訂正をしたものです。)

過日の公休日(7月10日)、9時頃に目を覚ましたら何処かへ鉄分補給に出掛けたい気分になった。

急いで時刻表を繰ると、長良川鉄道(元・国鉄越美南線/1986年に第3セクター化)の往復が出来そうなことが判った。同線は学生時代にはよく写真を撮りに行った。然し第3セク化される直前に乗って以来、25年以上乗ったことがない。時刻表の長良川鉄道のページだけコピーして、急遽、乗り鉄に出ることにした。

Dscn3148

長良川鉄道は上の写真のように、美濃太田を基点として北濃との間・72.2キロを走っている。元々は「美濃」と「越前」を結ぶ目的で建設されたが、山間部で頓挫してしまい、相棒の越美北線だけがJR西の路線としてその名を残している。

千種から中央本線の快速で多治見まで行き、太多線に乗り換えて11時22分に美濃太田へ辿り着く。今度の長良川鉄道は11時35分発だから、接続は良い。

美濃太田では一旦JRの改札を出る。案内標識に従っていくと、長良川鉄道専用のホームに行き当たる。

Dscn3142

美濃太田は国鉄時代は4番線までしかなく、越美南線は3・4番線から発車していた。現在の専用ホームは、4番線の外側、以前は駅の側線だった部分に新設された。
基本的には独立した路線扱いなので、駅の東側はJR線と連絡せず行き止まりとなっている。

11時35分、定刻に発車すると「次は前平公園」と案内放送が流れる。おっと、いきなり聞いたことのない駅名だ。それもその筈、国鉄時代と比べると駅数はおよそ1.5倍に増えている。特に美濃市までの間は、約2倍の駅数になっている。また、駅名改称も多く行われ、起終点を含めて42駅の内、国鉄時代と同じ駅名は10駅しかない。

こちとら、国鉄時代の駅名が辛うじて頭に残っている程度なので、以下、〈 〉内でくくったのは国鉄時代の駅名として書いていく。

Dscn3149

20分ほど走った関〈美濃関〉は、同鉄道の本社が置かれている。車庫などの諸設備もある。乗務員もここで交代した。

Dscn3152

更に20分ほど走った洲原〈美濃洲原〉に近付くと、いよいよ会社名の由来となった長良川を渡る。これからは川と絡みながら、終点まで走っていく。

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沿線の景色も殆ど覚えていないが、この赤池〈郡上赤池〉付近の橋梁は走行写真にも撮ったし、見覚えがある。川には鮎釣りの人の姿も多く見える。これは昔と変わらない。

Dscn3165

起点の美濃太田から1時間半ほど走ると、奥美濃で最も大きな街・郡上八幡へ着く。盆の徹夜踊りで有名なところだ。以前は「郡上郡八幡町」だったが、平成の大合併で「郡上市」になった。
この駅では途中下車したことはなく、街の様子も余り知らない。だが昔からここでは列車の交換が行われ、人の乗り降りも多い。その点は今も昔も変わらない。

自分の乗った列車も対向列車待ちのため、6分ほど停まる。私もホームへ降りて、少し背伸びをしたりする。

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交換を待って発車し、郡上八幡の僅かな平地を過ぎると再び長良川に沿う。青空に入道雲が湧き、爽快な気分になる。

時折「あ、ここは撮影したことがあるな」と思う橋梁や川沿いを走る。四半世紀乗っていないのだから景色は変わっているけれど、僅かに記憶が残っているのは、それでも嬉しいものだ。

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景色が変わっている一番大きな要因は、この東海北陸自動車道の所為だろう。自分が盛んにこの線を撮影していた時代、東海北陸道は工事もしていなかった。計画はあったのだろうが、こんな高架橋があちこちに出没するなど、当時は思いも寄らなかった。

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こんな駅がある。この駅をモデルにして、ローカルバスのターミナルを想像上で作ったことがある。実際にはもとより駅前バスターミナルなど存在しない。小学生時代の話だが、何か今見ても、駅名だけは懐かしい。

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終点に程近いところに、美濃白鳥駅がある。ここは国鉄時代から乗務員の宿泊施設などがある。宿泊施設は今も存在し、朝晩の列車はここを起終点にする列車もある。列車の格納線もちゃんと存在していて、これまた懐かしい。但し車庫の建物は、第3セク化後に作られたものだ。

かくして、美濃太田から2時間05分をかけて終点・北濃へ到着した。折り返し時間が30分あるので、急いで昔の記憶を頼りに駅近辺を走り回る。

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越美南線に乗るよりももっと前、確か1974年の冬だったと思うが、父にスキーに連れてきて貰い、北濃駅前の民宿に泊まった。スキー場へは駅からさほど離れていないこの橋を渡って行った覚えだ。スキー場は「平家平(へいけだいら)」との名前で、当時は橋を渡った直ぐのところにスキー場入口の看板も立っていた覚えだ。
今は全くそれも見当たらないとは、スキー場自体が廃止になっているのだろうか。

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国道から見た、北濃駅前の辺り。この写真の何処かが民宿になっており、それに泊まった覚えだ。辺りに「民宿」の看板は見当たらなかったから、廃業してしまったのだろう。

Dscn3181

この景色は、自分の中ではしっかり記憶に残っている。冬の景色ではあったが、泊まった民宿の裏手へ回ると、北濃駅が向こうに見えていた。ちょうど線路のポイント部分にかかっていたと思うから、場所も間違いない。

少し見ただけだが、10分くらいを使ってしまった。北濃駅には国鉄時代のように駅員はいないが、代わりに国鉄時代になかった駅そば屋がある。ここで、昼食を食べて折り返そうと思う。

帰り道は宮脇俊三さんのお言葉を借りれば「今見た絵巻を巻き戻すような」行程だから、それ程書くこともない。

ただ一つだけしっかり覚えている場所があったので、そこのことだけ記させて頂こうと思う。駅間としては深戸~相生〈美濃相生〉になる。

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画面左に、赤い屋根の民家が見えるが、その前辺りから「春・夏・秋・冬」同じ景色の走行写真を撮った。学生時代に纏めていたアルバムにも、貼ってある。

Dscn3209

これだと、かなりお判りづらいと思うので、夏の写真だけスキャンしてみた。

Img818

あの民家の前から撮ると、こんな景色が撮れたのだ。四季、つまりは4回、同じ場所に足を運んだのだから流石にここはよく覚えている。

四半世紀経てば、景色が変わってしまうのも致し方ない。国鉄の手を離れたからとて、足を向けなかった自分の方が悪いのだろう。

一日使えばこうした懐かしさに逢えるのだから、これから記憶が消え去らない程度に、長良川鉄道にも乗ってみようと思う。同鉄道の往復運賃は3300円で少し懐に響くが、それよりも思い出は大切なものだから。

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コメント

こんばんは。
お加減は如何でしょうか。

「思い立ったが吉日」で良い思い出が出来ましたね。
長良川鉄道も風光明媚でいいところですね~。
北濃駅の行き止まりに転車台があったはずですが、今はなくなったのでしょうか。

投稿: N市のT | 2012年8月 3日 (金) 23時02分

こんばんは
順調に回復されているようで何よりです。
もう少々かと思いますがお大事にしてください。

長良川鉄道という名前は耳にしたことがありましたが国鉄時代の線名とは結びつかず、相変わらず道外に疎い私です(汗)
3セク化後に駅が倍増しているとのことで、やはり利便性の向上は経営維持上重要な点なんだろうと思いました。
道内では唯一だったふるさと銀河線が無くなってしまいましたので各地の3セク鉄道には頑張ってもらいたいです。

投稿: kattsu-mqc | 2012年8月 3日 (金) 23時05分

>N市のTさんへ
こんぱんは。
お蔭様で、右手も大分、自由に動くようになりました。ご心配をお掛けしました。

さて、本当に「思い付き」で出掛けたのですが、計らずしも7月唯一の旅行になりました。行っておいて良かったと思います。
会社名通り、川沿いを走るところが多いので、仰せのように風光明媚な場所が多いですね。景色で心を洗っているようで、気持ち良かったですよ。
本文が長くなりそうでしたので割愛しましたが、転車台はちゃんと残っていました。今は長良川鉄道と地元の観光協会が主体となって、保存活動に取り組んでいるようです。

投稿: N市のTさんへ | 2012年8月 4日 (土) 20時56分

>kattsu-mqcさんへ
こんばんは。
ご心配をお掛けしました。お蔭様で、右手もかなり自由に動くようになりました。完全復帰までもう一息だと思います。

内地には国鉄を引き継いだ第3セクターがあちこちに存在するので、国鉄時代の線名と現在の会社名が、中々結びつかないかと思います。
そんな中にあって、長良川鉄道は比較的順当に運営されている会社だと思います。帰りには下校時間と重なりまして、新設された駅から高校生がどっと乗り込んできました。学校付近に駅を作るのは、乗客誘致に有効だと思います。
私は逆に「ふるさと銀河線」に最後まで乗らずに終わってしまっているので、今になって後悔しています。国鉄時代は無理だったとしても、せめて3セク化された後に乗っておけば良かったと思っています。

投稿: kattsu-mqcさんへ | 2012年8月 4日 (土) 21時07分

こんばんは。
順調に回復されているようで何よりですね。

長良川といえば真っ先に思い浮かぶのが鵜飼ですね~
あとは川下りですか・・・
最後の国鉄時代の写真、川、道路、鉄道、山と並ぶのはいかにも日本らしい景色ですね。
さらに春夏秋冬同じ場所から撮られたのも凄いです。
私も道外の鉄道に疎いのですが3セク鉄道には頑張ってほしいですね。

投稿: vanagon714 | 2012年8月 4日 (土) 21時28分

>vanagon714さんへ
こんばんは。
お蔭様で、順調に回復していると思います。完全復帰まであと一歩と云う感じです。

長良川の鵜飼……そう云えば小学3年の時に見に行った記憶があります。あれは宮内庁の管轄だそうで、国の重要な催し物らしいです。
川下りは……記憶にないです(苦笑)。
今にして思えば、ですが、学生時代は暇でした。勉強もしないで鉄道写真ばかり撮っていたように思います。その結果が「春夏秋冬」になったのだと思います。25年以上経っても変わらない場所があるのは、嬉しいことです。
内地でも3セク化後に廃止になった路線は幾つかあります。出来ればこれ以上なくならないで欲しい……思いは同じであります。

投稿: vanagon714さんへ | 2012年8月 4日 (土) 22時05分

Googleの地図では、越美南線 の表記があります。
この辺りは仕事で、各務原・可児・美濃加茂・関…などなど縦横無尽にレンタカーで走り回っておりました。車で走っていての川と山に囲まれた景色は好きでした。
ただ、今にして思えば「鉄」の仕事の合間探索をしておけば店よ後悔しております。

投稿: suzuran6 | 2012年8月11日 (土) 10時40分

>suzuran6さんへ
1枚目の写真は長良川鉄道車内のものですが、それにも「越美南線」と記されていますから、正式には今でも越美南線の名前は残っているようですね。少々誤解を招く表記がありまして失礼しました。
私もトラック時代は、同じ地域を走り回っていました。名古屋の喧騒を出て、この地域に来ると山あり川ありでホッとしたのを思い出します。
今からでも遅くはないので、一度、この線に乗りにいらしては如何でしょうか?

投稿: suzuran6さんへ | 2012年8月11日 (土) 20時21分

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