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2012年8月14日 (火)

昭和50年代前半の中央西線

以前にも少しご紹介したことがあったが、昭和50年代前半に撮った中央西線の写真がもう少しあるので、ご紹介しようと思う。何れもハーフサイズで写るPEN-EEでの撮影なので、画像が粗い点はご容赦を。

Img449

165系急行の「きそ2号」。先頭方は4両で組成されているから、この列車を受け持つ神領区の名物車両・モハ165が連結されていると思う。矢田川橋梁(大曽根~新守山)にて。

Img454812

夕方に庄内川近くで写真を撮っていたら、偶然通りかかったお座敷列車・スロ81系。何の団体だったかは全く不明だが、お座敷列車を間近で見れたのは初めてだったので、大変嬉しかった記憶がある。新守山~勝川にて。

Img45564

上の写真と同じ場所で撮った、名古屋方面行の貨物列車。先頭は勿論EF64(当時はまだ1000番代は存在しなかった)、その後はヨ5000、更にワキ5000と続いている。車扱い時代の古きよき編成だ(後日追記・vanagon714さんのご指摘により、機関車次位はヨではなくワフであったことが判明しました。お詫びいたします)。

Img446103

縦撮りの上に少し斜めになっていて、お見苦しいが、名古屋地区へ移籍した直後の103系。通勤型の103系は、名古屋地区では中央西線限定運用だった。京浜東北線のお古が殆どだったので、同線と同じスカイブルーで活躍していた。原型ヘッドライトは、103系が今でも活躍する阪和線でも見られないのではなかろうか。名古屋駅にて。

Img44579904

上の103系によって駆逐された、73系旧国。その中でも、このクハ79 904は正面窓がひときわ大きく、後の101系の試作的意味合いがあったと言われている。タネ車は桜木町事故で破損したサハ78で、それをクハ化し、さらに全金属車として試作改造した珍しい車両だ。名古屋駅にて。

ワンパターン化してしまった今時の車両に比べ、色々な種類の車両が走っていたなと今更ながらに思わされる、昔の中央西線である。

***

追記:お蔭様で当ブログも開始から4周年を迎えておりました。日頃の皆様からのご厚情に励まされて、今日まで来られたと思っております。
厚く御礼申し上げますと共に、今後ともよろしくお願い申し上げる次第であります。

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国鉄・JR」カテゴリの記事

コメント

こんばんは。
どれも貴重な写真ですね!
165系は一度だけ「急行」で乗車しました。
お座敷客車は一度も見た記憶がありません。
今をときめくリゾート列車の先駆けですね。
EF64牽引の貨物列車もズキンときますね~(^^)
機関車の次位は大きな窓が3枚と荷物扉が見えるのでワフ22000ですかね??
こういう写真を見るとワクワクします。
最後の写真の旧国も貴重な車なのですね!
新性能電車開発の礎になった車両って凄いです。

投稿: vanagon714 | 2012年8月14日 (火) 21時41分

こんばんは。
先ほどは弊ブログにコメント頂きありがとうございます。
165系は、千葉でも馴染みのある形式でしたが
やはり長い編成で東京駅にやってくる急行東海が一番印象が強いです。
確か新幹線の博物館に展示されている個体もありましたよね。一度行ってみたい場所の一つです。
103系のデフロスタはけっこう後で取り付けられたものと思っておりましたが、転入初期で既に付いていたのですね。
最後の一枚には大変感激しました。私は旧型国電は、クモハ12しか記録していないので羨ましい限りです(^^)

投稿: レッドライン | 2012年8月14日 (火) 21時59分

こんばんは
4周年おめでとうございます。
また、貴重な画像をありがとうございます。
お座敷列車は当時グリーン車扱いでしたね。今でこそ「ハ」になりましたが畳に座って旅が出来るのは贅沢という解釈だったのでしょうか。

そういえば自分専用ではありませんでしたが、PEN-EE3が最初に使わせてもらったカメラでした。「ハーフサイズ」すっかり懐かしくなってしまいましたね。

投稿: kattsu-mqc | 2012年8月14日 (火) 22時35分

4周年おめでとうございます。
グリーン車ばかりの、お座敷列車、見てみたかったです。
雑多な車両が走っていた頃が懐かしいですね。

投稿: suzuran6 | 2012年8月15日 (水) 18時31分

>vanagon714さんへ
こんばんは。
昭和51~3年頃に撮った写真を集めました。
今では「急行」そのものがほぼ壊滅状態ですが、当時は色々走っていましたね。道内の方が165系を急行として利用されたのは、貴重なご体験だったのではと思います。
お座敷客車は今時の「ジョイフルトレイン」の先駆けですよね。間近で初めて見たのがこの時でしたので、慌ててシャッターを切ってしまいました。
貨物列車の件は、お恥ずかしい次第です。てっきりヨと思い込んでいましたが、仰せのように大きな荷物扉がありますね。ワフ22000か21000のどちらかでしょう。
旧国も色々なタイプの車両が寄せ集められていました。列車の運転本数は今より格段に少なかったですが、それぞれの列車に貴重なものが多く連結されていましたね。

投稿: vanagon714さんへ | 2012年8月15日 (水) 19時51分

>レッドラインさんへ
こんばんは。
こちらこそ、コメント頂きまして有難うございます。
千葉での165系と言うと、最後までヘッドマーク付きで運転された「外房」「内房」が頭に浮かびます。183系が登場するまで、千葉では急行電車の独擅場でしたね。
「東海」は何度か利用しました。サロ付きの12両で走る姿は圧巻でしたね。その「サロ165」が東海の博物館に展示されています。
103系のデフロスタまでは詳しく観察しておりませんでした。「言われてみれば」の感じです。と云うことは、在京時代に既に付いていた可能性が高いと思います。
旧国は、名古屋では結構遅くまで残っていました。特に80系などは1980年まで走っていました。今にして思えば、もっともっと記録すべきだったと悔やんでいます。

投稿: レッドラインさんへ | 2012年8月15日 (水) 20時04分

>kattsu-mqcさんへ
こんばんは。
有難うございます。これからもよろしくお願い致します。
お座敷列車はスロ62からの改造が主だったようです。やはり畳敷きの列車は当時としては特別な扱いだったのでしょうね。私も羨望の眼差しで見ていました。

私も初めに持ち出せるようになったカメラはこのPEN-EEでした。今にして思えばフィルムが倍の枚数写せるので、子供には貴重なカメラでした。先日、実家に「まだ残っているか?」と尋ねたら、多分捨てたはずと言われてションボリしています。

投稿: kattsu-mqcさんへ | 2012年8月15日 (水) 20時13分

>suzuran6さんへ
有難うございます。
全車にグリーンの帯が捲かれたお座敷客車は圧巻でしたね。のちには白帯に変わってしまいましたが、確か3回、グリーン帯の編成を見ています。
貨物列車にしてもそうですが、色々な車両が競うように走っていた時代でした。適当な記録しかしなかったことが悔やまれます。

投稿: suzuran6さんへ | 2012年8月15日 (水) 20時18分

こんばんは。
4周年おめでとうございます。
今後ともよろしくお願い致します。

またまた貴重な写真ありがとうございます。
この時代は色々な車両が走っていて面白かったですね。
私がN市に来た頃はまだ、103系やシュプール号なんかも走っていて、大曽根の停車の時はバスの中から見て喜んでいたのを思い出します。

投稿: N市のT | 2012年8月16日 (木) 18時47分

>N市のTさんへ
こんばんは。
有難うございます。
こちらこそ、これからもよろしくお願い致します。

以前スキャンした写真がずっと残っていたので、折角だからと思い「総集編」みたいな感じでアップしてみました。
当時は見向きもしなかった貨物列車が、今になってここまで貴重になるとは思いませんでした。その他の列車も雑多で、楽しい時代だったなぁと思います。
私も当初は大曽根へ行く仕事がありましたので、待機中はあれこれ眺めて楽しんでいました。あの線路の東側の待機スペース、いい場所でしたね。

投稿: N市のTさんへ | 2012年8月17日 (金) 21時07分

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