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2012年4月28日 (土)

119系、「するがシャトル」の時代

Img7801192

『N市のTさんのブログ』のコメントで少し書かせて頂いたが、先に引退した119系電車に僅かな時代ではあるが「するがシャトル」塗装の車両が存在した。するが=駿河で、要は静岡地区の東海道本線に於いて運用された車両があるのだ。

上の写真がその時代の塗装。もう一枚写真があるので、そちらもご覧頂こう。

Img78211814

保線のおっちゃんも写ってしまっているが、こんな塗装だった。正面の3本線の山は富士山を象徴しており、側面のストライプ風に見える斜線は「“す”るが“シ”ャトル」の頭文字「SS」をデザインしたものだ。

「するがシャトル」が登場したのは1984年2月のダイヤ改正で、静岡地区の東海道線の運転間隔をほぼ10分おきとする増発で、集客を計ろうというものであった。当初は113系電車で運転されたが、増発するのに車両不足が発生し、飯田線で運用される119系電車を静岡に持ってきて119系も晴れて東海道線を走ることと相成ったそうだ。

ただ一つ、ここでお詫び申し上げなければならないが、N市のTさんへのコメントで「119系の2両編成が、東海道本線の輸送力の障害になる」書いたのは大きな誤りだった。N市のTさんご自身が書いておられるが、正確には「短い駅間距離の路線を走ることを前提に作られた119系では、東海道線を走るための走行性能に難点があった」が正当であった。この点は深くお詫び申し上げる次第である。

さて、あまり文ばかり書いていてもいけないので、するがシャトル時代の画像を少しご紹介しようと思う。

Img781123119

偶々撮った写真だが、富士駅で旧塗装時代のクモハ123と並ぶ「するがシャトル塗装」時代の119系。1989年年頭には、こんな風景も見られたようだ。

Img779118

するがシャトル時代の車番表示。赤地に白抜き文字の車番は、本当に限られた時代しか見られなかったようだ。

Img778

これは「するがシャトル」時代の119系の方向幕。「するがシャトル」は主に島田~富士の間で運転されていたらしいので、当時としては珍しくも何ともない方向幕だったと思う。トレードマークの富士山が入っているのだけが、今となっては希少価値があるのかなと。

この旅行の帰り道に、これまた偶々、豊橋駅で両運型のクモハ119(つまりは100番代)の国鉄色を写していた。

Img783119106

当時は豊橋~新城のローカル運用が主だったので、こんな写真も残っていた。クモハ119-100番代は、晩年はインバータークーラーを取り付けた関係で、5100番代として活躍していた。

Img784119106

これは、そのクーラー改造を受ける前の、純正番台時代の車番だけを写したもの。今から思うと、我乍らよく撮っておいたなぁと思う。

過去の記録帳を見ると、今回ご紹介した写真は全て1989年(昭和64年)1月5日の撮影とある。この2日後に昭和は終わってしまったのに、私は能天気に電車の写真を撮り歩いていたことがここに露呈してしまう。

自粛ムードの時代に、撮り歩いて遊んでいたのは不遜かも知れないが、撮ったら撮っただけの価値はあっなぁと思っている。

以上、N市のTさんへの大遅延コラボでありました(滝汗)。

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国鉄・JR」カテゴリの記事

コメント

この辺りは、鉄休止期間車両です。しかし、F誌、J誌、P誌の立ち読みは継続、記憶にはあります。
まるで、模型の世界の様な改造で出来上がった車両達、興味がある車両たちではあります。

確かに通勤用の設計では、短距離走用ですので、駅間が長いと大変だったでしょうね。

投稿: suzuran6 | 2012年4月28日 (土) 20時09分

こんばんは。
「するがシャトル」は初めて知りました。Wikipediaで確認しましたら
(wikipediaを手放しで100%信用してはいけないと言われていますが)
1989年3月で119系による運用は終了とあり、撮影されたのが1989年1月であれば
運用終了2ヶ月前に撮られたということになるのでしょうか。

車両のカラーリング、特に側面の赤いストライプが良いですね。

私も18きっぷ期間中心によく首都圏-N市間を往復しましたが、今でもこの区間の
3両編成での運用ありますね。時間帯によっては3両編成はきついなと思います。

投稿: 東上線-副都心線一利用者 | 2012年4月28日 (土) 20時17分

こんばんは
119系の正面窓回りは今風の大きなガラスに見えたのですが、よく見ると国鉄型車両らしい?小さめガラスのサイズなので当時にしては上手いデザインだなぁと思いました。
今なら黒い部分が全面ウインドウになってLED方向幕も埋め込まれるといった感じになっているでしょうか。

投稿: kattsu-mqc | 2012年4月28日 (土) 22時11分

>suzuran6さんへ
誰しも就職した直後は、少し趣味活動が疎かになってしまう時代があるようですね。致し方ないことだと思います。
でも、趣味の世界、矢張り気になるものは気になるもので、その世界の動向くらいは知識として仕入れておくみたいですね。
私も就職して間もない頃のことだったのですが、新しい119系の塗装が見たいのと、身延線色の115系が見たくて、富士駅へ撮りに出掛けたのでした。

119系は現在可部線などで活躍している105系と同じで、短距離駅間用の車両として、旧型車両の一部部品を流用して作られた車両だそうですね。結局、本文にあるように「本線」を走るのには少々酷だった様で、すぐに飯田線に戻されてこの塗装のまま暫くは飯田線でも走っていたらしいです。

投稿: suzuran6さんへ | 2012年4月28日 (土) 22時16分

>東上線-副都心線一利用者さんへ
こんばんは。
確かにWikiが情報の全てではありませんが、「119系」「するがシャトル」と入れて検索したサイトには悉く「1989年3月で運行を終了した」とあるので、それで間違いないのだと思います(当初、運行終了時期を1年間違えて記事をアップしておりました。貴兄のご指摘により、記事を修正させて頂きました。有難うございます)。

SS時代の119系は貴兄がかなりお若い頃の話になるので、ご存じなくとも無理はありません。
結局はSSが発端となって、静岡地区のJR利用率はかなり増えたそうです。現在、仰せのように3連も走っていますが、少々窮屈な時間帯もあるようですね。

投稿: 東上線-副都心線一利用者さんへ | 2012年4月28日 (土) 22時24分

>kattsu-mqcさんへ
こんばんは。
119系が登場した当時の直流車両として、105系や103系1500番代があります。
何れも正面の「顔」が同じなんですよ。黒を窓のように見せかけて、実際は高運転台仕様になっているのですよね。

時代の移り変わりと共に開放的なデザインが好まれるようになったようで、今なら仰せのようなデザインになっていると思います。思い起こせば205系が登場した時には、ちょっと度肝を抜かれるデザインのように感じたものです。それの繋がりで、現在のようなデザインになっているのでしょうね。

投稿: kattsu-mqcさんへ | 2012年4月28日 (土) 22時35分

こんばんは。
コラボありがとうございます。
また貴重な画像ありがとうございます。
まだN市に来たばかりの頃、18きっぷで乗り継いで東京方面に行く途中乗った覚えがあります。
やはり105系と似た感じがしました。
本線を鈍いのが一生懸命走っているという感じがよく似ています。

投稿: N市のT | 2012年4月28日 (土) 23時53分

>N市のTさんへ
こんにちは。
やっと写真を探し出しました。無精者なので、中々記事にするまでの手が回らず大遅延してしまいました。
119系は、基本的に105系と同じような構造になっているそうですね。
駅間距離の短い線を、止まっては走り、また止まっては走り、とそんな通勤電車のような前提で作られたみたいですね。
最近、岡山近辺の山陽本線を105系が走ることがありますが、多分119系と似たような問題が発生していると思います。

投稿: N市のTさんへ | 2012年4月29日 (日) 17時43分

こんにちは。
私もずうっと、このタイプの車輌は駅間距離が長い線区は苦手だろうな、と思っていたのですが、先月のRJ誌に「103系の汎用性」という記事がありまして、それを読むとそうも言えないように思えてきました。でもVVVF車の交流モーターは高速連続運転に強いと思うのですが直流モーターの高速連続運転はメンテがたいへんでは?と思うし、あの高速時のモーターの「爆音」は心配になって来ます。

投稿: すーさん | 2012年4月30日 (月) 12時34分

>すーさんへ
こんばんは。
私は車両のメカについては大した知識がないのですが、119系や105系では歯車比が短距離走行用になっているとか、台車なども廃車発生品であるとか、そんなことで本線走行には向かないとネット記事で読みました。
103系を純粋に継いでいるのではないらしいですね。
仰せの直流車の「爆音」、確かにモハやクモハに乗っていると心配になるほどの音ですものね。かなり負担にはなっているのだろうと推察しています。

投稿: すーさんへ | 2012年4月30日 (月) 23時55分

おはようございます。
119系も塗り変わるとぜんぜん印象が変わりますね。
富士山をアレンジした前面の塗装はなかなか良いなあと思います。
横のSSをデザインした斜めのラインは当時の流行ですね。
185系やネオプランあたりから始まった斜めストライプですね。

わたしも1987年に富士⇒金谷で東海道線に乗車しました。
たしか111系だったように記憶しています。
昭和の終わり、ちょうど私の誕生日で初めて「北斗星」に乗車した日です。
車内での音楽やTVが全部止められてちょっと寂しかったのを思い出しました。

投稿: vanagon714 | 2012年5月 2日 (水) 08時52分

>vanagon714さんへ
こんばんは。
仰せの富士山を表した前面の塗装は私も結構いいなと思っています。119系には3種類の塗装が存在した訳ですが、私の中では、国鉄色>するがシャトル色>JR東海色の順かなと思います。
185系が登場したのが1981年ですから、するがシャトル色が登場した頃は「ストライプ塗装」真っ盛りの時期だったと言えるでしょう。

「あの日」は、vanagon714さんにとっても記念すべき日だったのですね。北斗星は個室での音楽サービスなどをご自慢にしていますが、流石にあの日は流れなかったのですね。当時は「自粛ムード」と云う言葉が矢鱈と流行りましたよね。

投稿: vanagon714さんへ | 2012年5月 2日 (水) 22時29分

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