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2012年3月 5日 (月)

あれから30年……胆振線往復の思い出

私の初渡道が、今からちょうど30年前の1982年(昭和57年)3月であることは、このブログなどで度々触れてきた。高校卒業直後で進路も決まっており、最も「お気楽な」身分の時だった。

その際は岩内を中心に行動したことを、昨年6月の記事で書いた。ニセコや岩内のスキー場へ行ってスキーをしたり、札幌まで出て観光したことは今でもはっきり覚えている。

そんな中で、1日ぽっかりと「特に行動予定のない日」が出来てしまった。この旅行は当時の同級生と3人での旅行で、個人行動は出来るだけ慎みたい。然し、他の2人は「今日はやることないね。パチンコ屋でも行こうか」などと言っている。折角北海道まで来てパチンコ屋に行くのはあまりに時間の無駄遣いだ。

急いで時刻表を調べたところ、胆振線を往復することなら出来ると判った。それで同行の2人に「頼むから今日だけ別行動させてくれ」とお願いし、「お前って、本当に電車好きなんだな」との言葉に見送られながら、胆振線往復のトリップに出掛けられることと相成った。

当時の記録を調べてみると、私は以下の列車で行動していたようだ(乗車日は3月16日)。

倶知安                  伊達紋別 
13時18分----(828D)---→15時46分
19時03分←---(831D)----16時23分

この往復を、当時の写真と共に振り返ってみたい。

Img746828d

倶知安の1番線に入線する828D。胆振線の線路を伝ってやってきた記憶があるのと、入線時刻が13時ちょうどくらいだったことから、この列車は御園始発の827Dの折り返しだったらしい。

Img748

「新」大滝というくらいだから新しい駅かと想像していたら、雪に埋もれた古い駅で拍子抜けした覚えがある。828Dはここで交換のために7分停車となっている。

Img749828d

新大滝に停車中の828D、キハ22 92。倶知安に所属していた気動車。

Img750828829

これも新大滝にて。交換相手の829Dが入ってきたところ。

Img7510

これは、828Dが終点の伊達紋別に着いてからの映像。当時、伊達紋別には胆振線専用の0番線ホームがあった。現在、0番線のあった場所は砂利で埋められている。

Img752830d

帰路の831Dも、新大滝での交換があった。これは交換列車の830Dで、先頭車両はキハ22 284。私が撮影したキハ22の写真の中で、唯一のツートン塗装のものである。

Img753

交換の831Dを撮り終えて車内へ入ったら、車掌氏が来てポツリとこう言った。「お客、アンタ一人だけだ」。国鉄の列車に乗って客が自分一人になったというのは、これが最初で最後の体験だった。あまりに感動して撮った一枚。

Img755

「客が自分一人状態」は、確かこの京極まで続いたように記憶している。因みにこの京極から脇方まで、胆振線の支線が分岐していたことを知ったのは、このずっとあと、15年ぐらい後のことであった。

おまけ画像。

Img768

この旅行の時に使った「道南ワイド周遊券」。新大滝や京極駅の下車印も捺されている、私の宝物だ。因みに「割引」の印は学割ではなく、「冬季割引」の意味。当時、冬季の道内周遊券にはこういう制度もあったのだ。鷹揚な、いい時代だった。

往復に所用した時間は6時間程度。それでも30年経った今でも、自分にとっては忘れ得ぬ、貴重で且つ有意義な時間だった。

胆振線はご存知のように、国鉄再建法により1986年10月いっぱいで廃線となっている。私の2度目の渡道が1987年3月だから、この時が唯一無二の乗車機会だった訳だ。
私の我儘を許してくれた同行の友人2人には、今更ながらに感謝の気持ちで一杯である。

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国鉄・JR」カテゴリの記事

コメント

実は私、乗車経験はありません。
何時でも乗れるものだと思っていたんですよね。
確かに帰りの列車で、おさかなさん 一人…これでは採算などと言う話すらできないですよね。

周遊券…今、北海道ワイドなどがあれば、帰省でガンガン使うんですけどね。

胆振線のキハ22、いいものを見せて頂きました。

投稿: suzuran6 | 2012年3月 6日 (火) 16時45分

>suzuran6さんへ
私が乗る少し前までは、有名な循環急行「いぶり」などもあったのですが、そうやって「割と簡単に乗れそうな線」って意外と乗らない内に廃止になってしまったりするんですよね。
自分も比較的身近な路線で、乗り損なってしまった線が何本かあります。
当時は高校生だった訳ですが、客が自分一人では廃止になるだろうなと簡単に判りました。ホント、採算以前の話ですよね。

周遊券の制度が変わって、使い辛くなりました。あの周遊券は「有効日数20日」ですものね。

それにしても、あのキハ22から30年経ってしまったとは、時の流れの速さを感じずにはいられません。

投稿: suzuran6さんへ | 2012年3月 6日 (火) 22時06分

こんばんは
国鉄末期の頃に廃止路線は頑張って乗車したのですが胆振線は乗車できませんでした。

廃止から十数年後に仕事で3年足らずですが倶知安に住みました。
1枚目の写真にある右側の胆振線の線路は剥がされていて駅舎に面する線路が無い駅となっていました。冬場のニセコエクスプレス以外は気動車普通列車のみで「ニセコ」や「北海」が通っていた時代を知る者としては寂しい限りでした。
導入されたばかりだった201系気動車も来ていましたが銀色の車体はちょっと場違いにも見えました。
そして「鉄」休業中だったため見たままの記憶だけで全く記録がないという情けない私です。

投稿: kattsu-mqc | 2012年3月 6日 (火) 22時08分

>kattsu-mqcさんへ
こんばんは。
自分が乗った列車に限っては、他線区との接続もよく乗り難い線ではなかったと思うのですが、倶知安から伊達紋別を短絡するルートは場所的に乗り難かったかも知れませんね。

私も、そう、ちょうどkattsu-mqcさんが倶知安にお住まいの頃かと思いますが、函館線撮影のために倶知安で2泊か3泊したことがあります。
仰せのように胆振線の線路は剥がされ、胆振線の発着していた1番線はなくなっていましたね。それを見た時にホロリと来てしまったものです。線路跡に沿って囲い代わりの古枕木が残っているだけで、本当にここに列車が走っていたの?と思いたくなる光景でした。
201系の倶知安運用は今でもあるようですが、15年位前は「ニセコライナー」の名で倶知安まで乗り入れていました。あの古びれた駅に、銀色の201系は不似合いですね。

投稿: kattsu-mqcさんへ | 2012年3月 7日 (水) 23時36分

こんばんは。
懐かしいですね~。
循環急行『いぶり』なんていう列車もありましたね。
倶知安車掌支区の大きな車内片道乗車券がありました。
車内乗車券を購入し、売上に貢献すると手作りのしおりがいただけました。
キハ22の真ん中の排気塔のあるところの席がお気に入りでした。

投稿: N市のT | 2012年3月 8日 (木) 22時33分

胆振線、懐かしいですね~。
私は3度乗車しましたが、なぜか全て伊達紋別→倶知安でした。
幼少のころの家族ドライブがこの周辺でした。小さなハエタタキと線路はよく覚えているのですが列車を見た記憶がありません。その折に駅でもらった、1971年頃の駅の無人化に伴う切符委託販売の案内が我が家にあります。小さくて雰囲気の良い駅が多かったと思います。写真が少ないのが残念です。
尾路園なんて幻の駅もありましたね~。
貴重な映像、ありがとうございます。

投稿: tunnel_no2 | 2012年3月 9日 (金) 01時54分

>N市のTさんへ
こんばんは。
循環急行も走っていたのに、いつの間にかすっかりローカル線になってしまって、自分が乗った折にはこんな有様でした。キハ22の急行は一度乗ってみたかったのですが……。
それでも一往復できただけでも貴重な思い出になりました。
当時は「下車印」と「入場券」に心を奪われていたので、車内券までは考えが及びませんでした。見てみたかったですね~。
私はエンジンのある横掛け席の付近が好きでした。

投稿: N市のTさんへ | 2012年3月10日 (土) 00時16分

>tunnel_no2さんへ
この辺りは有珠山や昭和新山など観光的なものも点在しているので、ドライブコースには良かったのかも知れませんね。記事には書きませんでしたが、岩内が実家の友達の従兄弟が、記事の2日前にドライブに連れて行って下さっていて、後から考えるとほぼ同じ所を走ったみたいなんです。
ハエタタキの痕跡らしいものが4枚目の写真に辛うじて残っていますね。
あと、壮瞥と云う名の駅を過ぎた時に「ああ、北の湖の故郷って、この辺りなんだ」って思ったものです。
列車を見られた記憶が無いとの由、昔から列車本数の少ない線だったのでしょうね。1971年で既に無人駅化ですか……。
尾路園駅のことは知りませんでした。あとでWikiしてみます。

投稿: tunnel_no2さんへ | 2012年3月10日 (土) 00時31分

こんばんは。
1枚目の写真、DD51+スハフ32でしょうか?
古き良き時代ですよね~
私も胆振線はたった一度、急行「いぶり」に乗車して通りました。
正直車内もそこそこ混みあっていて景色の記憶がありません。
キハ40はタラコ色が原色で似合いますがキハ22はやはり2色が
いいですね!
木張の床も懐かしいです。
晩年はリノリウム張にリフォームされていました。
今は無きタブレットキャッチャーもいい感じですね~
貴重な写真をありがとうございます。

投稿: vanagon714 | 2012年3月10日 (土) 23時44分

>vanagon714さんへ
こんばんは。
1枚目の写真は、お見事!、仰せの通りです。小沢から倶知安まで一駅だけ乗ってきた普通客レです。
この頃はまだ旧客が残っていてのんびりしていましたね。

胆振線では私も景色の記憶が余りないのです。単調な雪景色だった所為もあるかも知れません。
お客さんも往路では程々に乗っていたように思います。復路で新大滝でお客さんが降りてしまい、ああいうことになりました。
ツートンのキハ22は終点の伊達紋別でも見れたのですが、撮影し損ねました。で、結局、284番車が最初で最後のツートンとなりました。
木張りの床もいい思い出です。
最近、内地ではキハ40に敢えてツートン塗装を施したものが出てきました。あれはあれで良いなぁと思っています。

投稿: vanagon714さんへ | 2012年3月11日 (日) 21時45分

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