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2012年3月12日 (月)

飯田線北部撮影旅行(2・3日目)

2日目(3月11日)

朝は人並みの時間に起き、8時26分の辰野方面岡谷行で次の大田切へ向かう。

Dscn2563こんな感じで雪山も見える辺り、駅至近に橋梁がある。橋梁での写真を撮ろうと三脚を立てて構える。

予定の列車を撮り終わったので、機材を片付けかけたのだが、何故か同業者と思しき方が三々五々集まってくる。今日は日曜日だし、何か臨時の列車が走るに違いない。ダイヤ改正も目前だ。片付けかけた機材を再び取り出し、そのままそこに居つく。

予想は当たったが、事実は上手く撮れていたら撮影結果ご報告でお知らせしようと思う。

そんな次第で大田切に少し長居した。次は10時56分の下りで宮田へ赴く。

宮田駅から少し歩き、予定していた撮影地に腰を下ろす。足元には早くも

Dscn2568オオイヌノフグリが咲いている。梅一輪ではなく、オオイヌノフグリ三輪ほどの暖かさである。

付近の踏切近くにて。

Dscn2569かなり草臥れた標識だなぁ。疲れ切ったようにも見える。

のんびり撮り歩いて、次の赤木までやって来た。15時前の列車で、更に下島まで下る。駅付近に

Dscn2576絵になるカーブを見つけてある。結局この辺りで夕方まで過ごす。

駅へ戻って、駅前にバス停があるのに気が付いた。宿泊地の駒ヶ根方面へのバスでもないかと思ったら

Dscn2579この有様で、廃バス停らしい。

諦めて、昨日と同じスジの上り列車で駒ヶ根へ戻った。雪が降り出して、結構寒い夕刻であった。

3日目(3月12日)

昨日と同じ、8時26分の岡谷行で

Dscn2581

まで来る。飯田線の終点・辰野まであと僅かな位置だ。ここでは駅撮りを決め込む。

10時半過ぎの列車で更に辰野方の、伊那新町まで乗る。駅から程近い場所に

Dscn2588

天竜川の流れがあり、一部で線路に沿っている。この辺りを昼過ぎまでブラブラ撮る。

13時34分に下り列車があるので、駅近くの踏切まで戻って三脚を構える。ところが時間になっても踏切の鳴る気配がない。暫く待っていたら近所の爺さんが出てきて「おい、(伊那)松島で何か事故があったらしいから、ちょっと遅れるらしいぞ」と教えてくれる。

結局、13時49分の上り列車の方が先に来てしまったので、それを後追い撮影して、ここは退去する。伊那新町の駅までは徒歩2分ほどの場所だから、駅へ戻る。

今日は昨日までに況して寒い。付近の民家も

Dscn2583

こんな感じで、うっすら雪化粧している。

それはそうと、13時34分の下りがちっとも来ない。私は、そのもう一本後の列車で辰野へ戻り、帰途に就く予定だが、この遅れを抱えていては予定通りに帰れないかも知れない。

おっかないので、30分近く遅れてきた「13時34分」の下りで辰野へ帰ることにした。来る時とまったく逆のルートで帰るように予定を組んである。

結局14時10分くらいに、辰野へ戻ってきた。次に乗るのは塩尻へ出る「エコー電車」だが、入線は14時40分だ。時間があるので駅構内をゆっくり見ている内に、跨線橋の支柱で古いレールを見つけた。

Dscn25961902

今年が2012年だから、110年前の代物である。何とまあ、気丈に使われていることか、と感心する。

さて、時間になって入ってきたのは、一昨日の「エコー電車」ではなく、長野色の115系3連だった。

Dscn2593

「エコー電車」こと、クモハ123-1(松本区所属)が検査などで入場すると、長野区の115系が代走を務めると鉄道ニュースで見たことがある。きょうはどうやら、「その日」に当たったらしい。

エコーはロングシートの車内だが、115系だからセミクロスである。おまけに普段は単行でやっている仕業を3両編成で代行するから、車内はガラガラだ。得した気分になった。

寒いながらも、幸運なことも色々あって思い出が増えた。皆様にご心配をお掛けした風邪も収まったようだし、安心して名古屋へ戻れるようである。

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コメント

115系の長野色は私の大好物です(笑)
長野オリンピックに向けて当時の183系「あずさ」的な色合いに変えたのですが、ちょうど私が出張でこのあたりをブラブラしていた頃に行われていました。オレンジとグリーンの165系、スカ色の115系、一つ前の長野色、国鉄特急色…いろいろ走っていましたがこのさわやかな塗色が私にはしっくりきたのです。
…もう20年近くも前の事です…

投稿: suzuran6 | 2012年3月13日 (火) 08時12分

こんばんは。
飯田線に313は味気なくて似合いませね。
119もあとわずかで淋しいですね。
「119ファイナル」のハザシが取れたのでE4を拝みに出撃したいと思います。

投稿: N市のT | 2012年3月13日 (火) 21時48分

>suzuran6さんへ
そう云えば、以前の中央東線の記事でも「現行の長野色」がお好きだと言われていましたね。
ブルー系で爽やかな色合いですよね。
個人的には国鉄色でないとしっくり来ないのですが、今は特急車両も置き換わって「国鉄色」云々を言えない時代になってきました。旧の長野色は何か中途半端な色合いでしたが、あれも20年近く前のことになってしまうのですね。
長野オリンピック……完全に過去の記憶です。

投稿: suzuran6さんへ | 2012年3月14日 (水) 01時31分

>N市のTさんへ
こんばんは。
飯田線は元々が電化で開業した路線なので、最近のアルミ・ステンレスボディは似合いませんね。
来る電車、来る電車、213や313なので何かしっくりこない気分の旅行でした。
帰ってきて千種駅で「119系国鉄色を使用してのラストラン」のポスターを見ました。なるほど、そうか、と思いました。
E4編成を、どうぞ楽しんでいらして下さい。

投稿: N市のTさんへ | 2012年3月14日 (水) 01時38分

オハようございます。
寒い中出撃お疲れ様でした。
風邪もたいしたことなく治まりそうで何よりです。

飯田線は未だに乗車したことがなくてイメージは旧国のままです。
313系はまるで特急電車のようですね。
たしかに飯田線には似合わない気もしますが足元のPC枕木を見ると
時代が変わったなあと感じます。
1902刻印のレール、かなりの年代ものですね!
こういうのを見つけると嬉しくなります(^^)

投稿: vanagon714 | 2012年3月14日 (水) 07時59分

>vanagon714さんへ
こんばんハワム。
春の入口の3月、暖かい所へ出掛ける案もあったのですが、119系が最後らしいので寒い地方への旅行と相成りました。
幸い、想像したほどの寒さではなく、また出がけの風邪もお蔭様で治まりましたので、程々に楽しめた旅行でした。

飯田線はかなり遅くまで旧国が残っていましたから、そのイメージが強いでしょうね。写真を始めたのが遅かった私でさえ、以前ご紹介したような旧国の写真が手元に残っていますから、道内の方には無理からぬことだと思います。でも、枕木までは観察していませんでした。流石!です。

辰野では30分以上乗り継ぎ時間があったので、駅員さんに断ってホームをブラブラしておりまして、結果、あのようなレールの発見と相成りました。110年前のものかと思うと、私も嬉しい気持ちになりましたね。

投稿: vanagon714さんへ | 2012年3月14日 (水) 21時34分

こんばんは
予定外にやって来た列車は何だったのか気になります。仕上がりを楽しみにしております。

踏切の標識も「電車」が増えつつあるので「SL」の標識はじわじわと貴重なものになりつつあるような気がします。写真の場所の標識も建て替えられたら「電車になってしまうのかなぁ~」と思いました。

投稿: kattsu-mqc | 2012年3月14日 (水) 21時45分

kattsu-mqcさんへ
こんばんは。
予定外の列車は、何とか見れるように写っていました。近々アップするつもりです。

踏切の標識もいつの間にか「電車絵柄」が普通になってきましたね。私は幼少時、電車しか走らないとある路線の沿線に住んでいたのですが、逆に蒸機の絵が描いてあって「何でだろう?」と思ったものです。
今にしてみれば貴重な標識なのですよね。

投稿: kattsu-mqcさんへ | 2012年3月16日 (金) 18時43分

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