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2011年10月24日 (月)

宗太郎越えと九州新幹線の旅(1・2日目)

1日目(10月23日)

7月に夏風邪を引いてしまった。その為に有休を3日無駄遣いし、予定が狂った。

本来この旅行は4泊5日で敢行しようと考えていたが、有休が足りないので予定を削って3泊4日とすることにした。

九州へは年に一度は詣でているが、ここ何年かは九州新幹線の開通による列車改廃を見越して鹿児島本線ばかりを撮影していた。が、春に九州新幹線は開通した。そこで今回は久し振りに太平洋側の日豊本線、とりわけ列車本数が少なく手薄になっている宗太郎越えを中心に行動しようと思う。
宗太郎の峠付近を撮影するには時間と周到な準備を要する。時刻表や地図と大相談の結果、1日削っても何とかなりそうなので、今回の旅行でこの辺りへ赴くことを決めた。

名古屋を10時少し前の博多行「のぞみ」で、小倉へ向かう。前夜の仕事上がりが遅かったので、寝不足である。岐阜羽島を通過した辺りで目を閉じたら京都の停車を覚えていない。気がついたら車掌が「間もなく新大阪です」と言っていた。

新大阪で少し乗客とのトラブルがあったらしく、3分遅れで新幹線は走る。結局小倉まで、その遅れは縮まらなかった。まぁ、小倉では13分の乗り継ぎ時間があるから3分程度なら大丈夫だ。

昼過ぎに小倉へ着き、乗り継ぐのはこの列車。

Dscn2049 そう、座席が○ッキーマウスみたいになってる、あの列車ですな。これで終点の大分まで向かう。

乗ってから初めて気付いたのだが、この列車って遮光幕まで

Dscn2052ミッ○ーマウスなんですなぁ。大分までは1時間半ほどの道のりである。

名古屋や広島などの本州では曇っていたが、小倉から先はお日様の光を浴びながらの旅程となる。有難い。

大分へは14時半過ぎの着。30分ほど待って更に南へ行く特急「にちりん」に乗り換える。大分駅は他の皆様方のブログにもあったように

Dscn2053高架化工事が進捗している。現在地平として残っているのは1番線から4番線だけのようであった。

ハイパーサルーンの「にちりん」で西日を浴びながら南へ進む。宿泊地は延岡にしてあり、例によってベースキャンプ方式の連泊の予定である。大分から宮崎への県境・宗太郎峠を越え、薄暗くなりかけた延岡に着いたのは17時を回った時刻であった。

取り敢えず今日はこれだけで予定終了である。あとは駅前を徘徊して、★する場所を探すだけだ。

2日目(10月24日)

朝は珍しく5時半起きをする。これは宗太郎越えをする普通列車の延岡発の時刻が、5時58分・16時49分・19時29分の3本だけとの理由による。5時58分発を逃したら大変なことになるのだ。前日の文で「周到な準備が必要」と書いたのもこのためだ。

その5時58分発の佐伯行は、大分所属のキハ220単行である。

Dscn2055220九州以外の方には馴染みの薄い列車と思うが、JR九州オリジナルの車両でコーポレートカラーの真紅に塗り上げられている。前日から見ていると、LED方向幕を装備した新車の200番代が敢えて充当されているようである。

真っ暗な中を発車し、3つ目の北川辺りから空が明るみを帯びてくる。

Dscn2058県を跨いで大分に入り、1時間ほど乗った直川で降りる。徒歩20分圏内にまあまあの撮影地を見つけてある。

すっかり明るくなって、3本くらいの特急を撮ったところで、地元のお爺さんに捕まる。何を撮っているか、どこから来たかと色々聞いてくる。次の列車の時間が近付き、「済みません、列車が来ましたので」と言っても「次の列車は、多分白い列車(ハイパーサルーンのことか)が来ると思う」と話をやめない。
撮り終えて「じゃ、場所を動きますので」と言うと後をついてくる。直ぐに次の撮影場所には着いたが、こちらはセッティングなどで色々それなりにやることはある。ファインダーを覗いている内にも「ここは特急しか来ない」「ワシの従兄弟がカメラが好きだ」「この間、甥が大分まで写真を撮りに行った」と喋り続けている。流石に鬱陶しくなって返事をしなくなったら、10分くらい一人で喋った後、「まあ、ゆっくり撮りよう」とやっと去っていった。

開放感に包まれながら、次の目的地までまた少し歩く。

Dscn2060

田園に囲まれた長閑な地帯である。この辺りで3時間近く粘った。

さて、次に2つ上り寄りの上岡付近へ行きたい。幸いにも線路と併走する国道を一日に8本のバスが走っている。13時54分に近くのバス停から佐伯方面へ行くバスがある。昼間の鉄道がない現在、神に近い存在である。

Dscn2066

大分バスの中型バスであった。

番匠(ばんじょう)川のほとりでバスを降り、河川敷に出る。たゆたう川は穏やかで、ホッとした気持ちになる。

Dscn2068_2河原へ出た限りは橋梁の写真を撮っているのだが、上手く行っているのかどうかは神のみぞ知る事柄である。後日の結果ご報告にここの写真が載っていたら、上手く撮れたと思ってくだされ。

あともう1箇所寄り道をして、15分程度で上岡の駅に着く。

Dscn2071中々いい雰囲気の駅舎である。ただコーラの自販機がなければ、の話だが。

うだうだする内に夕方近くになってきた。駅撮りなどして時間を過ごし、延岡へ帰る17時20分の列車を待つ。

待ちに待った列車は、高校生などである程度座席は埋まっている。だが、県境前の重岡で高校生は全員降りて、県境を越えた乗客は私を含めて4人だけだった。これが宗太郎越えの実態なのだ。いつの間にか昼間の普通列車がなくなってしまったが、それも頷ける状況なのであった。 

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コメント

こんばんは。
ソニックの座席はどう見ても“ねずみの国”ですよねえ(笑)
運転席も車好きおなじみの“あのセミバケットシート”風でしたよね。
色々と危ない橋を渡っていますね。JRQは。。。
また、キハ220の前面表示器はまるでバスみたいと各方面(?)で言われていますね。
おさかなさんの写真を見る限りスペースを持て余してる気もしますが。。。

投稿: ジャスタウェイ | 2011年10月24日 (月) 21時54分

こんばんは。
宮崎出撃お疲れ様です。
宗太郎越え、名前だけ聞いたことがあります。
どういう峠?なのかよく分かりません。
私はたぶん1976年、特急「富士」で通ったのが最初で最後かと思われます。
牽引はたしかDF50だったように思います。
それにしても普通列車が1日3本とは寂しい現実ですね。
特急ばかりにしないでノンビリ走る列車ももうちょっと利用しやすいものだと
有難いですね。

投稿: vanagon714 | 2011年10月25日 (火) 00時22分

「宗太郎越え」、いい響きですね~。
6月に787系で軽く越えて来ました。
いつも宗太郎越えは夜行か眠くてDOWNしていたので、今回は★beerしていましたが、頑張って起きて景色を見ていました。
今度はゆっくり普通列車で越えてみたいです。
普通列車もお客が少ないのか、電車から気動車単行に変わってしまいましたね。
1日のんびりとしてED76の貨物でも撮ってみたいなとも思いました。

投稿: N市のT | 2011年10月25日 (火) 12時06分

こんばんは
今月は九州遠征ですか、羨ましい限りです。
十年ちょっと前に九州を旅行しましたが「鉄」休業中だったこともあり飛行機での往復にレンタカーで観光だったので鉄路の状況はまるで見ていませんでした。

おさかなさんの旅日記、いつも地図を見ながらルートを辿って楽しんでいます。旅程も後半かと思いますがお気を付けて。

投稿: kattsu-mqc | 2011年10月25日 (火) 21時49分

>ジャスタウェイさんへ
こんばんは。
危ない橋というのか何というのか、でもソニックのあの座席は誰が見ても○ッキーマウスですよねぇ。
運転席は実は見ていないんです。仰せのような雰囲気の席なのですね。機会があったらちゃんと観察してみます。
キハ220のLEDはデカデカですね。車体に比べて本当に持て余し気味です。ローマ字を入れるために大きくしたのかとも思いますが、私もバスを連想してしまいます(笑)。

投稿: ジャスタウェイさんへ | 2011年10月25日 (火) 22時09分

>vanagon714さんへ
こんばんは。
宗太郎は隣接する駅名と合わせると「重岡宗太郎」ともなるので、比較的名の知られた場所だと思います。要は日豊線側の大分県と宮崎県との県境で、蒸機時代は難所の峠だったようです。
1976年というと、まだ日豊線全線が電化されておらず、仰せのDF50が富士などを牽引していたと思います。今となってはDF50も貴重なご記憶だと思います。
峠越えの普通列車が1日3往復とは、私も最近になって気付きました。いつの間にか昼間の列車がなくなっていました。特急ばかりでなく、せめて昼前後にもう1往復普通列車があると、ちょっとは使い勝手も良くなるのですが……。

投稿: vanagon714さんへ | 2011年10月25日 (火) 22時20分

>N市のTさんへ
私も「宗太郎越え」の響きは大好きです。長いこと行きたい場所でしたが、今回やっとゆっくり訪れる機会を持てました。
Tさんは6月に特急で峠越えされていましたね。峠そのものは特別なものではありませんけれど、トンネルをいくつも越えながら細い川の流れを見ていると「県境」を感じさせますね。
いつの間にか昼間の普通がなくなり、朝夕の列車も全て単行ディーゼルです。電化されていても2両の717系などを走らせる需要がないのでしょう。ちょっと寂しいことです。
ED76の貨物も昼間は下りが1本あるだけです。今回の行程では如何にその1本をいい場所で狙えるかも、大きなポイントとなりました。

投稿: N市のTさんへ | 2011年10月25日 (火) 22時30分

>kattsu-mqcさんへ
こんばんは。
人のご出張を羨むくせに、自分でもこんな贅沢をしております。幸い、名古屋は新幹線の経由地であり、その新幹線に乗ってしまえば短時間でかなりの距離を移動できます。住んでいる場所にも恵まれているのでしょう。

折角「お気を付けて」と書いて頂いたのですが、今日の昼過ぎから急に風が強くなり、今は鼻がグスグスいっています。旅程は明日で終わりですが、これ以上悪化させないよう気をつけて行動したいと思います。

投稿: kattsu-mqcさんへ | 2011年10月25日 (火) 22時41分

こんにちは。
はるばる九州への出撃、ご苦労さんです!
大分には1974年まだ蒸機が活躍してた頃に行きました。広い構内の奥に煙が上がっていた記憶があります。大分以南は未踏の地です。宗太郎越え、本当”響き”が良いですね~! 車窓は展望ビデオで見たことがあります。かなり山深い印象でした。地図と照らし合わせて想像もしているのですが、実際どのくらいの山越えなのかは行ってみないと解りませんね~。・・・・南国九州は遠いです・・・
今朝から全国的に寒くなっているようです。ご自愛下さい。

投稿: tunnel_no2 | 2011年10月26日 (水) 11時24分

そろそろ帰宅された頃でしょうか…

現在は確かに東京に住んでいますが、道産子なもので、九州=遠い所、
地理的にも疎いのですが、大分は出張で行ったことがありなんとなく土地勘があります。大分駅の高架だいぶ出来たんですね。立ち食いうどん屋さんはどうなったのかなぁ~

現像上がりのご報告を楽しみにお待ちしております。

投稿: suzuran6 | 2011年10月26日 (水) 18時06分

>tunnel_no2さんへ
こんばんは。
趣味のことだと、少々遠かろうが関係なく楽しんでしまいますね。
1974年……私は小学5年生でした。先月の旅行記でも書きましたが、東京へ初めて行ったのがその年です。蒸機の残る日豊線、遥か昔のことで想像もつきません。
貴兄はかなり遠くまでお出掛けのように思っていたのですが、大分以南は未踏の地なのですね。宗太郎越えは宮崎との県境になる訳ですが、短いトンネルを何回も抜けて昼でも薄暗い場所を走ります。如何にも「峠越え」の雰囲気がする場所です。宮崎県へ入ると車窓にヤシ科の植物も見られるようになって、南国ムードが高まります。
一気に寒くなりましたね。幸い、鼻のムズムズは止まりました。

投稿: tunnel_no2さんへ | 2011年10月26日 (水) 23時05分

>suzuran6さんへ
鹿児島回りで帰ったものですから、家に戻ったのはコメントを頂いた約2時間半後でした。

元々北海道のご出身ですから、確かに九州は遠いと感じられても仕方ないでしょう。ただ私自身の印象として、今日、新幹線で一気に鹿児島から本州へ戻って来たので、「意外と近くなったぞ」との気分もしています。飛行機を使わないバリ鉄派ですが、その私が思うのですから、飛行機だったらさぞや……と考えてしまいます。
大分駅のうどん屋さんは観察していませんでした。済みません。

フィルム派は直ぐに結果をお知らせできなくて申し訳ないですが、気長にお待ち下さい。

投稿: suzuran6さんへ | 2011年10月26日 (水) 23時16分

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