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2011年9月 1日 (木)

初狩駅・スイッチバックの遺構

Dscn1901蒸気機関車時代は掃いて捨てるほどあったスイッチバック駅であるが、電化・ディーゼル化によってその駅数は激減している。自分が思い浮かぶ現行のスイッチバック駅は、JRでは8駅だけじゃないかと思う(十和田南と遠軽はこの際、無関係)。

スイッチバック駅が普通の駅に変えられると、その遺構は大方が撤去されてしまうものだが、先日訪れた中央本線の初狩駅はその設備が残ったままになっている。貨物の車扱い時代は設備を使っていたらしいし、現在でも工事車両や臨時列車の乗り入れのために、設備を残している。因みに旅客列車は1968年(昭和43年)までスイッチバック設備を使っていたらしい。

そんな数少ない初狩駅のスイッチバックの遺構を、少しカメラスケッチしてきた。

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現行の駅舎と駅前広場。駅舎の建物は比較的新しく見えて、スイッチバック時代のままのものなのかは不明だが、位置はスイッチバック時代のままである。そんな都合から、駅舎からホーム方面を眺めると

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かなりの「隙間」がある。スイッチバック時代の線路がそのまま残されているからだ。因みに現行のホームを走っているのは上りの特急・スーパーあずさ。

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現行の初狩駅から、上り方面を望む。中央本線が複線化されているから配線が複雑だが、一番右から奥へ続く線路が嘗ての引き上げ線になる。

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上の写真とほぼ同じ位置から、180度向きを変えるとこんな景色が見える。電車が停まっているのは上りホーム。その右側に広がっているのが、嘗てのホーム跡地や線路群である。

Dscn1893

現在のホームと駅舎とは地下道を通して繋がっており、その地下道を出ようとするとこんな注意書きがある。そんなに古めかしい看板でもないから、現在でも列車の行き来が稀にあると云うことだろう。実際に私が覚えている範囲では、1年程度前だったかに201系電車のサヨナラ運転がされた時、ここのスイッチバックを使ったとの記事をネットで読んだ。

Dscn1890

駅舎から現行ホームへの通路上に立ってみる。線路が何本か敷かれているが、私の立っている場所だけ線路同士の間隔が広いから、この位置がスイッチバック時代のホーム跡になるのだろう。ホームらしい跡形は、目を凝らしてみたが見当たらなかった。

Dscn1885

駅舎を出て少し駅跡の奥の方へ入ると、車も通れる踏切がある。そこから写した映像。緑のフェンスのあるところが現行の駅になる。踏切には警報機もついているが、眺めている間に通り過ぎた車は一台として一旦停止をせずに通過して行った。それだけ「列車が来ない場所」と地元の方にも認識されているのだろう。

Dscn1884

スイッチバック駅跡の末端まで行ってみた。構内には黄色い工事用車両が停まっているから、線路の保守などの際にはこの列車が動くこともあるのだろう。ただ、旅客に危ない目に遭わせることもなかろうから、恐らく工事用車両は夜にしか稼動しないのだろうと思う。
今やスイッチバック線は事実上、保守車両の留置場なのだ。

函館本線の仁山などでもスイッチバックの跡は残っているけれども、この駅が一番残っている状態がいいように思う。雑草などもある程度は刈られているから、さいぜんも書いたような臨時列車の乗り入れなどに使用できるのだ。

貴重な遺構のように思うから、末永くこの状態を保って欲しいものである。

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国鉄・JR」カテゴリの記事

コメント

こんばんは。
私は名鉄以外詳しくないですが(名鉄もそんなにですが(笑))、中部国際空港~新可児は構造上犬山でスイッチバックしますね。
YouTubeでワンマン運転の本格的なスイッチバックの映像を見たことがありますが、ハンドルとレバーサを持って車内を往復する運転士氏は大変そうでした。
鉄道もバスも従業員の方が一丸となって定刻どおりに走らせてると思えば本当に頭が下がります。

投稿: ジャスタウェイ | 2011年9月 2日 (金) 22時29分

>ジャスタウェイさんへ
こんばんは。
そうですね、名鉄さんだと名古屋方面から新可児方面へ抜ける列車は犬山でスイッチバックせざるを得ませんね。名鉄電車は4両以上の編成も多く、完全にエンド交換をしなければならないですから手間がかかると思います。
最近自分が訪れた所では、JR四国の坪尻と新改は、その都度運転士がハンドルを持って車内を移動し運転しているようです。九州の立野や西日本の出雲坂根では所謂「バックギア」に入れて運転席から顔を出してバックしているようです。
定刻運転は難しいものです。鉄道はまだ渋滞などがありませんが、私共は渋滞あり信号の不都合ありで、中々思い通りに運転できないこともままあります。良い方に理解して下さる方は少ないので、ジャスタウェイさんのような方にはこちらも頭が下がります。

投稿: ジャスタウェイさんへ | 2011年9月 2日 (金) 22時57分

おはようございます
私も遠軽駅はちょっと意味合いが違うかと思います。元々はスイッチバックせずスルーできる路線が存在していたのですから。

道内のスイッチバック駅も使用できるところは無いですね。1月に訪問した常紋信号場も設備は残っているものの使用中止ですし、先日函館出張の際は仁山駅通過の際に目を凝らして見ていたら加速線を何とか目視することが出来ました。
列車の性能向上や運行間隔などいろんな条件でスイッチバックの必要性が薄れてしまったとは思いますが初狩駅の貴重な遺構を長く維持して欲しいですね。

余談ですが、札幌駅でのスーパーカムイのエンド交換も「スイッチの切り替えなどひとつでも忘れると反対側へ戻らねばならず、短時間停車なので毎回緊張したよ」とお宝グッズを頂いた乗務員OBの方のお話でした。

投稿: kattsu-mqc | 2011年9月 3日 (土) 10時53分

初狩もスィッチバック駅でしたか、不勉強でした。
姥捨は、通過の際に首を長くして見ていたのですが…
あずさ乗車のこの辺りは爆睡の状態でした。
駅・駅舎も好きですが、複雑なポイント、目で追うだけでゾクゾクします。いいですね。

投稿: suzuran6 | 2011年9月 3日 (土) 14時36分

>kattsu-mqcさんへ
こんばんは。
遠軽は勘違いをされてはいけないと思って補足程度に書いておいたものです。でも、私は通して乗ることは出来ませんでしたね。名寄本線は名寄本線として線内往復だけで済ませてしまった(遠軽で折り返した)ため、遠軽駅スルーは今となっては幻です。
関西本線の名古屋から余り遠くない所に、中在家という信号所があり、ここがスイッチバックになっていました。現在では使われることもなく信号も横を向けてしまっているので、常紋と同じ状態です。関西本線の場合は列車本数の激減で、一々スイッチバック信号所を残す必要がなくなったというのが廃止の理由のようです。
色々考えてみると、スイッチバックの遺構は貴重な存在のように思えます。工事用でもいいので長らくこの施設を保存して欲しいものだと思いますね。
エンド交換は気を遣うそうですね。私も知り合いにJRのOBの方があり、同じようなことを言っておられたのを思い出しました。新しい車両だとスイッチ逆転時に忘れがあると警告音だかが鳴るようになっていて、ちょっと気が楽だとか言っておられました。

投稿: kattsu-mqcさんへ | 2011年9月 4日 (日) 01時14分

>suzuran6さんへ
名古屋人の癖に初狩のスイッチバックは割と昔から知っていました。鉄道雑誌で読んだためだと思います。逆に姨捨のスイッチバックの方が後から知りました(確か大学生になってから……)。
初狩の場合は複線でスイッチバックになっているので、線路が輻輳しています。仰せのように見ているだけでワクワクしますね。高尾から然程遠い場所でもないので、お休みの日にぶらりと訪れてみられては如何でしょうか? のんびりした気分になれていいと思います。

投稿: suzuran6さんへ | 2011年9月 4日 (日) 01時24分

こんばんは。
4枚目写真の複雑なポイント配置に私も目を奪われました。
変形ダブルクロスという感じのスイッチバックらしいポイントですよね。
いつか模型でやってみたいものです。

学生時代、身近なスイッチバックは常紋信号所でした。
実際に待避線に入ったのは一度きりだったように記憶しています。

投稿: vanagon714 | 2011年9月 4日 (日) 20時49分

>vanagon714さんへ
こんばんは。
やはり4枚目の写真は皆さん関心を持たれますね。ダブルクロスに旧駅から引き上げ線へ亙り線がクロスして、実に複雑です。よくこんな配線を考えられたなぁと思うくらいです。
このスイッチバックは複線化と同時に旅客列車での使用を停止したとの事で、単線時代はもう少し単純な配線だったかも知れません。ただ、旅客駅としては使われなくとも貨物駅として専用線がスイッチバックの先まで延びていたのだそうで、長らく貨物列車は乗り入れをしていたとの事です。
vanagon714さんの学生時代と言うと、やはり常紋ですよね。あの山中で臨時的に客扱いまでしていた時代が、今となっては貴重なご記憶になると思います。私も一度は常紋を体験しておきたかったと思います。

投稿: vanagon714さんへ | 2011年9月 4日 (日) 21時31分

こんばんは。
初狩駅、残念ながら降り立ったことはありませんが、よく車窓から眺めていました。国道からは機関車の入れ替えも目撃しました。(自転車運転中、残念ながら写真がありません)
乗っていたときは解りませんでしたが、ほんと複雑な配線ですね~。
たしか笹子方の本線山側にも溝のように引き上げ線のようなものがあったとも記憶しています。
隣の笹子も昔はスイッチバック駅でしたね~。今も初狩方の昔の構内の一部が保線の基地として使われていたと思います。

投稿: tunnel_no2 | 2011年9月 4日 (日) 21時44分

>tunnel_no2さんへ
こんばんは。
国道から確かに駅が見えますよね。ここが稼動していたらさぞかし面白いだろうにと残念な気持ちでした。とは言え、高速化を要求される昨今の鉄道ですから、呑気な戯言を言っていてもJRさんのご迷惑になるだけですね。
笹子方の引き上げ線は気付きませんでした。観察力が足りませんね~。もっと反対側まで目を凝らすべきでした。
隣の笹子駅やその先の勝沼駅(現在の勝沼ぶどう郷駅)が以前スイッチバックだったのは、帰ってきてからWikiしていて知りました。これも観察力が足りませんでしたね。次回こちら方面を訪れる際に、しっかり観察してみようと思います。

投稿: tunnel_no2さんへ | 2011年9月 6日 (火) 21時46分

スイッチバックの駅もだんだん減っていますね。
複雑な線路配置が面白いです。
蒸気機関車の撮影で常紋や仁山に行きましたが迫力があって良かったです。
仁山は加速線に一旦バックして駆け上がって行くのが目に焼きついています。
常紋は信号機があっち向いて使用停止ですが、仁山は草ボウボウですがまだ生きているので、藤代線が不通になった時のために残してあるのでしょうね。

投稿: N市のT | 2011年9月 7日 (水) 09時40分

>N市のTさんへ
趣味人から見ると面白いスイッチバックですが、現場職員からは厄介者扱いされているのでしょうね。
奥羽本線が新幹線になる前、赤岩から始まる4連続スイッチバック駅も体験して楽しんだりしていました。まだ客車時代の話で昔のことになってしまいましたね。
常紋を体験されているのは羨ましく思います。あそこは今でも興味が湧きます。さぞかし迫力があったでしょう。
仁山は、そう、仰せの通り生きているんですよね。仁山に撮影に行ったら、スイッチバック時代のホームの発車合図灯がちゃんと点灯するんです。どういう事情からかと思っていたのですが、藤代線の代替と云うことも考えられる訳ですね。参考になりました(礼)。

投稿: N市のTさんへ | 2011年9月 8日 (木) 01時06分

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