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2011年8月

2011年8月27日 (土)

中央東線での写真

先日の雨に祟られた中央線での写真をやっとスキャンしたので、暫しお付き合い頂ければと思う。

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中央線国電区間の終端・高尾駅ではホームで天狗が待ち構えている。「高尾」の駅名は付近にある高尾山薬王院に因んで昭和36年に改称されたそうなのだが、その高尾山の象徴が天狗なのだそうだ。この時は雨が盛んに降っていて、どう撮ろうかと考えあぐねたものだが、今思えば広角レンズでもっと違う角度から撮ればよかったと後悔が残る。

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所謂“国電”の233系と長野色の115系がすれ違う山の中って、どこなんだと思われそうな雰囲気だが、梁川駅からのカット。撮った本人の感覚では、バックの山から雲が湧き立っていて荘厳そうに思えるので、この写真をお載せする。

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上と同じく梁川駅から四方津方面を向けてホームから撮ったもの。300mmで思い切り引き寄せている。隧道に写るヘッドライトの光に、列車の来る期待感を感じて頂ければと。

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山スカの写真を2枚ほど。爺ちゃんに山スカって似合うような気がする。どちらも昭和を一生懸命に生きた者だと思うから。もっともこの方が現役の頃の山スカは、旧国の70系電車だったろう。爺ちゃんの人権に配慮して、撮影地は内緒。

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田植えなんてついこの間のことと思っていたが、もう稲穂が垂れ始めた。……と書くとこの構図を狙ったように思われそうだが、実は大誤算だったのだ。スカ色が来てくれると判っていたら、間違いなく電車の方にピントを合わせいていた。電車の運用を正しく知らないとこういう誤算も起こり得る。初狩~笹子にて。

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中型のバスに揺られて出向いた小仏峠での一枚。民営化後の車両は私の好みに合わないものが多いけれど、この215系はオール二階建てとの理由だけから結構好きな車両である。ホリデー快速として土日祝限定ながら中央線にも乗り入れる。ただ、好きな車両の写真に限ってシャッターを押すのが一瞬早く、車両の右横にみっともなく電柱が出てしまっている。高尾~相模湖にて。

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この橋梁は中央東線では撮影名所として知られているので、「あ、このアングル見たことあるような……」と思われる方もあるかも知れない。桂川橋梁と呼ばれ、トラスとガーターを併せ持った橋梁である。この写真は橋の西側(猿橋駅寄り)から写したもの。鳥沢~猿橋にて。

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上と同じ桂川橋梁は、橋の東側(鳥沢駅寄り)からも撮影できる。普通に撮ったのでは面白くないから、敢えて広角で撮ってみた。谷の表情など全体の雰囲気がお判り頂けると思う。それにしても、1902年(明治35年)にこの区間が開業した時に作られた橋梁とは思えない高さだ。昔の鉄道遺構など見られなかったけれど、開通時の姿が気になっている。

天候に恵まれず、何より16時には暗くて撮れない状態になってしまって、早々と宿に引き上げざるを得なかったのは残念である。夕刻まで粘って光の演出などを楽しみたかったとの思いは消えない。敢えて言うなら、涼しくて8月の撮影にしては大変楽であった。
と云った結果をご報告させて頂いて、本日は終わりにしようと思う。

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2011年8月21日 (日)

雨の中央東線撮影行

1日目(8月19日)

天気がパッとしないようだが、休暇を取ってあるので予定通りに撮影旅行に出ようと思う。

新幹線・東京行に乗り、普段なら終点まで乗るところを今回は新横浜で降りる。ここから横浜線で八王子へ出て、八王子から更に山側の高尾から先が今回の目的地になる。

家を出る段階で一度強いにわか雨に遭い、新幹線で新横浜に着く頃には再び土砂降りになっていた。

強い雨に降られたまま八王子へ着き、ここから中央線の国電で高尾まで、更に乗り継いで最初の目的地・藤野には12時過ぎに着く。

Dscn1858特に「これ」と云った撮影地がある訳ではないが、この駅では一度降りてみたかったのである。雨に降られてもいいように玉砕対応プラグラムを組んでおいたが、それも役に立っている。駅撮りを決め込む。

暫く居ついた後、14時27分の甲府行で梁川まで至る。ここも降りてみたい駅の一つだった。幸い無人駅で、駅構内でも色々と取るネタがあるようなので、また暫く居つく。

いる内に雨が小止みになって、駅周辺の低い山々から雲が湧き出るのが見える。

Dscn1859関東の国電圏からそう離れた場所ではないが、自然の景色が見えるのは嬉しい。

嬉しいのはいいとして、雲が低く垂れ込めてだんだん暗くなってきた。まだ16時過ぎなのにISO100のフィルムでは厳しい撮影条件になってきた。

たまたま下り列車で

Dscn1861山スカを見れたから、もうこれで宿の予約してある八王子へ戻ろうと思う。陽の長い季節だが、暗さには勝てない。

16時25分発の東京行直通の特別快速で、八王子へ戻った。何ともパッとしない一日であった。

2日目(8月20日)

朝は8時くらいにゆっくり起きて、8時半頃の電車で「国電」の終点・高尾まで来る。

雲が低く垂れ込める中、駅北口のバス乗り場から

Dscn1864京王バスの「小仏」行に乗り込む。峠越えの撮影地があると、撮影地ガイドで読んできた。バスはかなり狭い道を行く中型車で、乗用車とすれ違うのさえ困難な道を走る。私が運転手だったら、1往復で23ヶ所ぐらい車体を擦ってきそうな路線である。
途中の「大下」というバス停で降りる。

バス停から撮影地までどう行くのか少し迷ったが、無事に辿り着いて1時間以上粘る。

11時20分頃に高尾に戻り、駅では24分発の小淵沢行が待っていたから、それに飛び乗る。今度は鳥沢まで乗る。

鳥沢と次の猿橋の間には、撮影地として有名な「桂川橋梁」がある。少し歩いて橋梁まで出向く。全体像を出してしまうと撮影結果のご報告に障るので、

Dscn1867こんな谷のあるところですよ、とだけ申し上げておく。

谷の猿橋側、鳥沢側ともに撮影できるので、また暫く居つく。幸い弱い霧雨が少し舞う程度で過ごす。

15時過ぎの電車で次の猿橋へ向かう。もう国電区間は済んでいるが、何年か前からこの区間でも国電が走るようになっている。私が乗ったのも

Dscn1868233ロングシートの233系であった。ちょっと味気ない。

猿橋駅からは再び撮影地ガイドを頼りに、撮影場所まで赴く。期待したほどの場所ではなかったからコンデジでも1枚撮影しておいた。

Dscn1878カーブの撮影地だが、月並みな場所で少し気落ちする。

相変わらずの曇天で、まだ16時なのに暗くなってきた。シャッタースピードも125分の1秒が限界の状態である。陽の長い時期で勿体ないが、昨日同様暗さには勝てぬ。仕方ないので宿の八王子へ早々に帰ることとする。

6月の北海道旅行で運を使い果たしたのだろうか。7月の撮影も含めて、曇天との戦いが何日も続くと気が滅入る。

3日目(8月21日)

朝は適当な時間に起きる。今日は、昔スイッチバックだった初狩駅周辺をうろつくだけの予定なので、あまり時間は気にしない。

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高尾からは山スカにも乗れて、ちょっと得した気分になる。大月で乗り継いで、初狩には10時過ぎに着く。

ここの駅は元スイッチバックの駅で、尚且つ現在でもその施設がまだ残してあり、工事車両や臨時列車が入ることもある。

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現在のホームから眺めるとこんな感じだが、この駅の観察記録は後日、もう少し詳しく書きたいと思う。

13時過ぎの電車で甲府へ向かう。往きと径路を変えたかったので、帰りは甲府から身延線経由で静岡へ出て、その後、新幹線に乗ろうと思う。

身延線もゆっくり普通で乗り通したいが、時間の都合上、特急の

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で静岡へ向かうことにする。“ぼったくり特急”と悪名高い、鈍足特急ではある。

新幹線に乗り換えると、また雨が降り出した。結局3日間、一度もお日様を拝めない旅行なのであった。

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2011年8月14日 (日)

ちょっぴり省エネディスプレイ

ディスプレイと言っても、バスの車内の運転席用ディスプレイのお話。

私たちの職場のバスには、案内放送や方向幕操作用に簡単な操作で入力できるパソコンがついている。最近の新しいバスにはレゾナント社のディスプレイが採用されていて、これはタッチパネル方式にもなっている。

このディスプレイなのであるが、昼と夜では明るさが異なるように作られている。

下の画像は明るい時間帯のディスプレイ画面。

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これが暗くなると、下のように変わる。

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最下段の矢印などを並べた列を見比べて頂くと、色合いが変わっているのがお判り頂けると思う。また、上の方の「回送2」と書いた部分も、明るい時間帯には白抜き文字がくっきり出ているのが見て取って頂けるだろう。周囲が暗くなると画面も暗くして、ちょっぴり省エネになる仕組みだ。

じゃあ、現在が明るいか暗いか、このディスプレイが何で見分けているかと言うと

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運転席右下の車内蛍光灯等を扱うスイッチ類、その内の「蛍1」と書かれたスイッチがオンかオフかで判断するようになっている。「蛍1」とは、「車内蛍光灯・その1」みたいな意味である。ともあれそのスイッチをオンにすると、周りが暗くなったと判断して、ディスプレイが2枚目の写真のような状態に変わる仕組みになっているのだ。

バスは24Vの電源で走るからバッテリー類も頑丈だろうと想像される方も多いかと思うが、意外とバッテリーの持ちは良くない。ヘッドライトや冷房などでバッテリーは酷使されるから、少しでも長持ちさせる工夫として、このようなディスプレイが開発・採用されたのだろう。

バスそのものもノンステップ車両として、また低公害車両としてまだまだ発展途上の感があるけれど、それに付帯される部品もそれぞれに進化・発展しているのだなぁと、新しいディスプレイを見る度に思う次第である。

***

お蔭様をもちまして、当ブログも開設3周年となりました。多くの皆様に支えられながら、今日までやってこれたのだと思っております。心よりお礼申し上げますと共に、これからもよろしくお願いを申し上げまして、3周年のご挨拶とさせて頂きます。

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2011年8月 7日 (日)

「こだわる」と云う言葉

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少々堅苦しいお話になるやも知れぬ。

最近、テレビ番組などで盛んに「こだわる」と云う言葉を耳にする。「こんなところにも、ベテランシェフのこだわりがあったんですね」とか「これぞ、板前さんのこだわりですね」とか、料理関係の番組で聞く機会が多いように思う。

ところで、この「こだわる」と云う言葉の本来の意味をご存知だろうか。それには「細かいことまでグチグチ言う」との、あまり良くない意味合いが含まれているのだ。

例えば会社の上司などが、自作の手料理などを持ってきたとする。それに対して「ああ、課長のお料理はこだわりがあって、とても美味しいですね~」などと言うのは、本来、失礼に当たる言葉なのだ。

そういう言葉だから、個人的にはあまりこの言葉、多用しない方が良いように思う。

とは言え最近では「全然大丈夫」とか、「何気に美味しいね」という、変な日本語も常用語でまかり通ってしまっている。あんまりオジンが言葉ジリを捉えてどうこう言うのも年寄りに拍車をかけるだけかも知れない。

そもそも、「こだわる」と云う言葉に「こだわる」自分が、一番悪いのかも知れぬ(汗)。

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2011年8月 1日 (月)

国鉄神岡線・30年前と今と

今から30年前、私は紛れもなく高校3年の受験生であった。

受験生にとって高3の夏休みが如何に大切かは、ここに記すまでもないだろう。然し、私は遊び呆けていた。目標にする大学はあったけれど「まあ、何とかなるだろう」といい加減に考えて日々を送っていた。

で、その高3の夏休みに突如、岐阜県の国鉄神岡線を訪れることにした。神岡線を選んだ理由は長くなるから他に譲るけれど、ともかく「高3の夏でなければ」自分にとっては意味がなかったのだ。そんな次第で、7月30日から8月2日の日程で、勉強を放ったらかして出掛けてしまった。勉強をサボってのお出掛けだったから、大変印象に残る旅行になった。

以来、何度も神岡へは出掛けている。

然し、鉄道としての「神岡線」は残念ながら現存しない。国鉄神岡線は1984年(昭和59年)10月1日から第3セクターの神岡鉄道に移管したが、その神岡鉄道も2006年(平成18年)11月一杯で廃止となってしまった。鉄道のない神岡へは流石に足が向かなくなった。

然し、思い出深い町であることに変わりはない。で、今年の4月某日に久し振りに神岡町(正確には現在は飛騨市神岡町)へ出掛けてきた。初めて出掛けた30年前と同じ場所などで写真を撮ったりしてきた。
1981年の神岡線と現在の廃線跡の比較を何枚かご披露したい。

尚、文中では何れも国鉄時代の駅名で記すこととする。

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神岡の街中に一番近い位置にある、飛騨船津を出る下りの一番列車。1981年当時流行っていた「エレファントマン」の映画ポスターも見える。全く同じ位置からではないが、ここの現在。

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飛騨船津駅跡は、神岡鉄道系の理髪店が現在も営業を続けているが、駅そのものへは入れないようになっている。橋上のホームには、駅名板を剥ぎ取られた駅名標が見られるだけである。

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終点の神岡に停まるキハ52。側線には貨車の姿も見える。まだ車扱い貨物があった時代だ。因みに客扱いは、右側のホームで行っていた。

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現在の神岡駅ホーム。列車がいないのは勿論、客扱いをしていた側のホームには柵がしてある。観光施設のために線路だけは残してあるが、列車が走ることはまかり間違ってももうないだろう。覆い屋根もなくなっている。

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神岡駅を発車する猪谷行きの上り列車。列車の横では木材加工会社が忙しそうに稼動していた。

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現在の上と同じ場所の姿。線路は赤錆び、とても往時を偲ぶことはできない。製材所も別の施設に場所を譲ってしまったようだ。

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飛騨船津から神岡へ向かう下り最終列車の尾灯。この当時は夜でも撮影に及んでいた。我ながら元気だったと思う。

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昼間の写真ではあるが、ほぼ同じ場所から写したもの。やはり、赤錆びた線路だけが伸びている。

先日、30年ぶりに訪れた北海道・岩内線跡のことを記事にしたが、この岐阜県の神岡町でも同じような事が起こりつつある。鉄路が消えて早5年、街は活気がなくなった。元々が鉱山で栄えた街なので、鉱山住宅なども少なくなり、人口が大幅に減っているように思われる。

自分にとって、忘れようにも忘れられない町。鉄道と共に再起してくれるのは、夢のまた夢のような状態であった。

……と云うか、国鉄がなくなった時点で、日本の鉄道はもう終わってしまったのかも知れない。寂しいけれど。

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