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2011年8月 1日 (月)

国鉄神岡線・30年前と今と

今から30年前、私は紛れもなく高校3年の受験生であった。

受験生にとって高3の夏休みが如何に大切かは、ここに記すまでもないだろう。然し、私は遊び呆けていた。目標にする大学はあったけれど「まあ、何とかなるだろう」といい加減に考えて日々を送っていた。

で、その高3の夏休みに突如、岐阜県の国鉄神岡線を訪れることにした。神岡線を選んだ理由は長くなるから他に譲るけれど、ともかく「高3の夏でなければ」自分にとっては意味がなかったのだ。そんな次第で、7月30日から8月2日の日程で、勉強を放ったらかして出掛けてしまった。勉強をサボってのお出掛けだったから、大変印象に残る旅行になった。

以来、何度も神岡へは出掛けている。

然し、鉄道としての「神岡線」は残念ながら現存しない。国鉄神岡線は1984年(昭和59年)10月1日から第3セクターの神岡鉄道に移管したが、その神岡鉄道も2006年(平成18年)11月一杯で廃止となってしまった。鉄道のない神岡へは流石に足が向かなくなった。

然し、思い出深い町であることに変わりはない。で、今年の4月某日に久し振りに神岡町(正確には現在は飛騨市神岡町)へ出掛けてきた。初めて出掛けた30年前と同じ場所などで写真を撮ったりしてきた。
1981年の神岡線と現在の廃線跡の比較を何枚かご披露したい。

尚、文中では何れも国鉄時代の駅名で記すこととする。

Img678621d

神岡の街中に一番近い位置にある、飛騨船津を出る下りの一番列車。1981年当時流行っていた「エレファントマン」の映画ポスターも見える。全く同じ位置からではないが、ここの現在。

Dscn1252

飛騨船津駅跡は、神岡鉄道系の理髪店が現在も営業を続けているが、駅そのものへは入れないようになっている。橋上のホームには、駅名板を剥ぎ取られた駅名標が見られるだけである。

Img131

終点の神岡に停まるキハ52。側線には貨車の姿も見える。まだ車扱い貨物があった時代だ。因みに客扱いは、右側のホームで行っていた。

Dscn1305

現在の神岡駅ホーム。列車がいないのは勿論、客扱いをしていた側のホームには柵がしてある。観光施設のために線路だけは残してあるが、列車が走ることはまかり間違ってももうないだろう。覆い屋根もなくなっている。

Img13252

神岡駅を発車する猪谷行きの上り列車。列車の横では木材加工会社が忙しそうに稼動していた。

Dscn1307

現在の上と同じ場所の姿。線路は赤錆び、とても往時を偲ぶことはできない。製材所も別の施設に場所を譲ってしまったようだ。

Img67952

飛騨船津から神岡へ向かう下り最終列車の尾灯。この当時は夜でも撮影に及んでいた。我ながら元気だったと思う。

Dscn1290s

昼間の写真ではあるが、ほぼ同じ場所から写したもの。やはり、赤錆びた線路だけが伸びている。

先日、30年ぶりに訪れた北海道・岩内線跡のことを記事にしたが、この岐阜県の神岡町でも同じような事が起こりつつある。鉄路が消えて早5年、街は活気がなくなった。元々が鉱山で栄えた街なので、鉱山住宅なども少なくなり、人口が大幅に減っているように思われる。

自分にとって、忘れようにも忘れられない町。鉄道と共に再起してくれるのは、夢のまた夢のような状態であった。

……と云うか、国鉄がなくなった時点で、日本の鉄道はもう終わってしまったのかも知れない。寂しいけれど。

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国鉄・JR」カテゴリの記事

コメント

こんばんは。
廃線になったとはいえ線路が残されているのは良いですね。
今にもキハが走ってきそうな感じです。
高架橋を行くキハ52の写真を拝見すると富内線を思い出しました。
たしか振内あたりにアーチ高架があって何度か車で下を通りました。
今は道路も切り替わって当時を偲ぶものがありませんが・・・

投稿: vanagon714 | 2011年8月 1日 (月) 22時12分

こんばんは
神岡鉄道廃止になっていたのですね恥ずかしながら知りませんでした。
錆びた線路に寂しさは感じますが、線路が剥がされていないのが良いですね。
国鉄の廃止路線を引き継いだ第三セクター鉄道も経営状態が厳しいところが多いようですね。北海道唯一の「ちほく高原鉄道」も神岡鉄道と同年の春に廃止になっていますし。

投稿: kattsu-mqc | 2011年8月 1日 (月) 23時40分

>vanagon714さんへ
こんにちは。
廃線後に残るレールですが、一対のレール上を平行した2台のマウンテンバイクで走る遊戯施設が開発されて、そのために終点の神岡駅から神岡口駅の3キロ弱は完全にレールが残されているそうです。
この施設は土日祝日を中心に営業されるので、平日に赴くと「ただの赤錆びたレール」となる訳です。

神岡ではニュートリノの発見に使用された「スーパーカミオカンデ」と云う施設が沿線にあり、その開放日だけでも列車を復活できないかと云う話が今でも地元にあるようです。そのため、起点の猪谷駅を除いて鉄道施設は撤去されずに昔日の姿を残しているとの事です。
本当に走ってくれれば良いのですが……。

投稿: vanagon714さんへ | 2011年8月 2日 (火) 12時52分

>kattsu-mqcさんへ
神岡鉄道は営業当初から貨物事業(鉱山で生産される副産物・硫酸などの輸送)の収入に頼っていたので、神岡鉱山の貨物撤退であっと言う間に旅客鉄道も廃止になってしまいました。
第3セクターになった所では、沿線の観光資源を生かして順調に生き延びる路線と、観光施設もなく赤字へ転落する路線との差が著しいようですね。ちほく高原鉄道の他にも、内地では三木鉄道が廃止になっていますね。
残されているレールはvanagon714さんにもコメントしましたが、レール上を走る特殊なマウンテンバイク「ガッタンゴー!!」と云う施設のために、剥がされずに済んでいるようです。

投稿: kattsu-mqcさんへ | 2011年8月 2日 (火) 13時05分

UT11C形のコンテナ(神岡鉱業専用)を積んだNのコキをなぜか持っています。
神岡鉄道は聞いた事がある…程度でしたが、カミオカンデを聞いて調べて知った様な気がします。北海道各地に残る(消えてゆく)炭鉱の街と同じような変革wたどっているのですね。

国鉄が無くなた時点で…地方の鉄道風景を見ていると共感します。

投稿: suzuran6 | 2011年8月 2日 (火) 17時33分

>suzuran6さんへ
何と! Nゲージで神岡鉱業専用のコンテナが出回っているのですか。実際の神岡線時代はタキで運ぶのが原則で、コンテナはトラック便専用だったと思います。今では鉄道がなくなってしまっていますので全面的にコンテナになっていますが、トラックでどこまで運んでいるのかは私も知りません。
神岡線は当時よくある「山間のローカル線」でしたから、神岡鉱山が下火になってからは仰せのように道内の炭鉱線と似たような感じで消えていきました。

現在のJRは「とにかく利益主義」で国鉄時代の長閑さも多少の損益も認めない姿勢なので、最後の一文を付け加えてみた次第です。

投稿: suzuran6さんへ | 2011年8月 3日 (水) 01時08分

神岡鉄道も貨物が撤退してしまったので経営を圧迫したようですね。
会社になると「利益の追求」になってしまうので儲からないと切り捨てられてしまうのですね。

エコや環境、街づくり等計り知れない損失があると思うのですが、目先の利益に突っ走ったツケが何時の日にか廻ってきそうです。

投稿: N市のT | 2011年8月 3日 (水) 10時15分

>N市のTさんへ
神岡鉄道は元々貨物輸送を頼りに設立された会社でした。ですので、貨物が撤退した時点で「もう終わり」が確定したようなものでしたね。旅客列車には私を含めて客が3人だけとか、そんな状態の時も何度かありました。
でも、その内「鉄道を残しておけばよかった」と悔やむ日が来ると思います。仰せの環境問題など、色々な観点から鉄道には計り知れない利点もあるのですから。
「国道を硫酸が走っている」と考えただけでも、怖いと思われませんか?

投稿: N市のTさんへ | 2011年8月 3日 (水) 21時18分

私も高3の夏休みは今はなきS幌市営バスの8トラテープや
方向幕を買ったりしてました(^^;)

神岡町といえば、真っ先に9年前にノーベル賞を受賞した
小柴先生が研究したカミオカンデを思い出しましたね。
しかし、町の様子まではわからなかったので、30年前との
比較写真で活気がなくなっている様子が伺えます。

投稿: 東上線-副都心線一利用者 | 2011年8月 6日 (土) 21時34分

>東上線-副都心線一利用者さんへ
神岡の町は、鉱山が斜陽になってしまって、最近の明るい話題は仰せの小柴教授の「スーパーカミオカンデ」くらいだと思います。
私がこの時泊まった宿も、小柴先生が泊まられたことがあったそうで、「この部屋が小柴先生の泊まられた部屋なんですよ」と女将さんが自慢げに話していました。
30年前、1981年、まだ神岡には活気が残っていました。でも、今の神岡には残念ながらそれが殆ど伺えません。神岡町大好き人間としては、悲しいところです。

投稿: 東上線-副都心線一利用者さんへ | 2011年8月 6日 (土) 22時23分

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