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2011年7月

2011年7月27日 (水)

飯田線南部での写真

先日の飯田線でのフィルムが上がってきた。天候も良くなく何かパッとしない写真ばかりだが、宜しければお付き合いくだされ。

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       ↑飯田線  ↓名鉄

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旅行記での写真と一緒だが、実際に列車が走っている平井信号所の風景を。車の通行量の多い踏切脇からギリギリに構えて撮ると、どうしても目の前に鉄柱が写り込んでしまってよろしくない。ともあれ、こんな按配で飯田線と名鉄とが離合している。

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無人駅の三河東郷にて。地元の方々が善意で本を置いて下さっているようで、何となくほのぼのする。駅が大切にされていることを感じる瞬間かなと思う。

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大した写真ではないが、今回一番「撮りたいなぁ」と思っていた場所はここであった。天気が悪く、夕刻17時頃なのにシャッタースピードは1/125秒が限度。辛うじて被写体ブレだけは起きていないようだ。足元は薮蚊が多くて、居るのに難儀した。江島~東上にて。

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「驛」の好きな方のご意向に沿うかは判らないが、夕暮れてきたカーブのホームをやや露出アンダー気味で。ホームに建つ古めかしい鉄柱が、この線の歴史を物語っているような気がしている。江島駅。

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豊川橋梁を船町側(東側)から眺めたもの。晴れていれば順光になるはずなのだが、薄曇で冴えない写真だ。因みに拡大して頂くとお判りかと思うが、2両編成の電車に2両ともパンタグラフがついている。こう云う編成の運用もJRでは全国的に珍しいかなと思って、敢えてアップしておく。船町~下地にて。

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座席が空いていなければ、床に座り込む。この単純な発想を実現できるのは、今時の高校生かなあと。私には「やれ」と言われてもやりかねる。断りなしで勝手に撮った写真なので、被写体氏の人権にも配慮して撮影場所は内緒。

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今回出向いた中では一番山奥に当たる、上市場付近でのショット。潅木が上手く処理できていないが、山間の空気だけでも感じ取って頂ければと思う。出馬~上市場にて。

どうも、前回の北海道での意気込みに比べると、今回は手抜きっぽい写真が多いように感じてしまう。撮っている最中は結構一生懸命撮っているつもりなのだが、結果が伴っていないのではと、ご覧の諸氏も思われるだろう。

そんな中途半端な写真のご披露でありました。

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2011年7月22日 (金)

飯田線南部プチ旅行

1日目(7月21日)

飯田線は去年以来二度ほど出掛けているが、「もうちょっと撮りたいなぁ」と思った場所が残っているので、それを撮りがてら1泊2日で119系電車に揺られようと思う。

名古屋を10時32分の快速で出発し、豊橋で11時40分発の飯田線に乗り換える。第1目的地は「平井信号所」である。

飯田線は豊橋とこの平井信号所の間は名鉄本線と線路を共用している。飯田線が元々私鉄から成り立っていることに起因するのだろうが、ともあれその両者の分岐点を撮ってみたいと思っていたのだ。飯田線の小坂井駅から徒歩10分程度で信号所へ辿り着ける。

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大まかに言ってこんな場所だ。左が名鉄の名古屋方面、右が飯田線の飯田方面になる。バックを走っているのは名鉄の豊橋行である。

分岐点を撮り終えたら、小坂井から三河東郷へ向かう。ちょうど折りよく本長篠行の電車に間に合った。

撮影を考えていた所まで細い道を歩いて行ってみるが、コンクリート工場へのダンプの通路になっていて三脚は構えられない。少し戻った所の空き地でJRの保線区員の方が立っていたので、許可を貰ってそこで三脚を構えさせてもらう。

列車を待ちながら気付いたのだが、自分の背後に

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馬頭観音が建っている。三河でも山の中へ入りかけた辺りだが、古くからここに往来があることを知る。

この後、もう少し場所を移動して撮影してみるが、霧雨が降り出していい構図も得られない。この付近での撮影は諦める。

少し戻って江島付近でも撮影し、豊橋へは18時過ぎに戻った。今夜は豊橋に泊まる。

予定していた飲み屋へ行ってみると満席で、1時間以上待たされると言う。仕方なく別の居酒屋へ入ったが、あまり美味しい★の肴はない店だった。

2日目(7月22日)

8時34分の電車で、次の船町まで行く。距離にして僅か1.5キロの場所にある駅だ。船町と次の下地の間に豊川橋梁があり、昨年は下地側から撮ってみた。今年は逆の船町側から撮ろうとの魂胆だ。

少し道に迷いながら豊川の河川敷に辿り着く。7月というのに早くも足元には

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コスモスが咲き始めている。河川敷公園を管理する方が植えられたものらしい。

三脚を構えていると自転車で散歩でもしているらしい爺様に声を掛けられる。「私の親戚にはプロのカメラマンがいる」などと自慢げに話す。あまりそういう話は聞きたくない。

船町駅へ戻る道すがら、駅横に併設されている豊橋のORS(オフレールステーション)を眺めてみる。

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豊橋は愛知県第2の都市だが、貨物の取り扱い量は多くないらしい。また、このORSへ鉄路で入るのには、東海道線から離れて一旦、飯田線側へ寄り道しないといけない。そんな事情から「貨物駅」ではなく「ORS」にされてしまったものらしい。

ただ、昨今の震災で鉄路による輸送が見直されていることも事実だ。船町駅付近で見てみると

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雑草に覆われてはいるが鉄路はまだ繋がっているようだ。再生することは出来ないものかと思う。

列車運転系統の都合で、一旦、豊川まで行き、そこから終点の辰野方面へ行く列車に乗り換える。上市場と云う駅があり、そこの付近で撮れないかなとチョット目星をつけてあるのである。

豊川からの列車は時間から言って空いているだろうと予想していたが、子供の団体が乗っていて車内は座れない。そう言えば昨日から子供たちは夏休みである。着ている服からボーイ・ガールスカウトの一団らしい。私が座れないのは仕方ないとして、お年寄りの方が立っていて子供たちが座席を占拠している。ボーイスカウト活動の本意として、こういう事態は好ましいことなのだろうか。

私はたまたま20分くらい乗った駅で、目の前の席の別の親子連れが降りたので席にありつく。但し、横手向き座席で外は眺められない。子供たちの一団は、私の降りる上市場の2つ手前・東栄でやっと降りて行った。随分長いご旅行のようだ。

上市場へは昼過ぎにやっと到着する。もう、愛知県は出て静岡県に入った所だ。山奥の気配が強い場所で、天気も良くない。風が吹くと寒気すら感じる。

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茶畑や製材所などが目に付く。何となく「思えば遠くへ来たもんだ」との曲を思い出す。

撮影場所は思ったほどの景色でもなく、また、天気も曇りがちで冴えない撮影になった。先月の北海道旅行があまりに出来が良過ぎたので、その反動みたいである。まあ、こんな時もあるだろう。いつもいつも「良い」ばかりでは、面白味が湧かないかも知れない。

上市場駅へ戻ると、地元のお爺ちゃんが駅の花壇を一人で黙々と整備されていた。ご本人の弁では「ボランティア」だそうだ。ボランティアなら嫌になったらいつでも辞められるから、ボランティアとして整備を続けるのだという。

黙々としたお爺ちゃんの後姿が印象的だった。

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2011年7月15日 (金)

タイの即席料理二題

先日、台湾の豆板醤を買ってきてくれた甘木君が、タイへ行ってきたからと、また激辛らしいものをお土産にくれた。

その1・即席麺

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袋絵の盛り付け方からして日本と違うので、何が入っているかと気になる。で、早速開封。

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中身は意外と単純らしい。因みに赤いのは全部、唐辛子。タイ語は読めるべくもないが、裏の説明を読むと

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どうやら日本の、○清のチキンラーメンと同じ要領で作るだけのことのようだ。シメシメ、これなら私にも簡単に出来る。で、出来上がったのが

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こんな訳でありまして。

あれだけの唐辛子が入っているから辛いことには違いないけれど、味そのものは日本の即席醤油ラーメンと大差ない。辛いものが苦手な方は唐辛子をある程度除いてお湯をかければ、それで済みそうな感じである。
甘木君曰く「日本円で35円程度のお土産ですよ」と笑っていた。

その2・グリーンカレー

タイのカレーと言えばグリーンカレーだ。

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日本版グリーンカレーは食べたことがあるが、これは本場の味がするかも……。箱の裏の、例によって訳の判らないタイ語の説明を眺めている内に、あれ?、と思った。

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数字の14と7の列の辺りをよく見て頂くと、日本語が下に書かれているのがお読み頂けるかと思う。「逆輸入品?」と思って甘木君に尋ねたところ「あ、あれは日本への輸出仕様に作られてるみたいです。原産国は間違いなくタイですから、ご安心を」とのことであった。

さて、こちらもレトルトパックであるからお湯で5分程度暖めれば済む話だ。出来上がりは

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流石にその名に恥じぬ、グリーンっぽさである。画面ではちょっと判り難いかも知れないが、日本で言う「スープカレー」みたいにルーがシャビシャビなのだ。本場のグリーンカレーはこういう風らしい。

あと、葉っぱが2枚ほど見えているが、ハッカに近いものだろうか。これの香りが全体に滲みていて、独特の香りがする。ただ、決して悪い香りではない。

お味の程も、悪いものではなかった。味は好みに差があるから一概に言えないが、意外にあっさりした面白味のある味だった。また激辛の筈のタイカレーではあるが、辛いものが極めて苦手な人でなければ十分食べられる味だと思う。

甘木君に「グリーンカレーも食べてみたよ。美味かった。有難う」と言うと、「今度、また、もっと激辛のカレーを探して買ってきます」との答えが帰って来た。

甘木君の次の渡航を楽しみにしている私である (^ ^)

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2011年7月 9日 (土)

神領電車区にいた車両たち

名古屋駅から中央本線で長野方面へ8つ目、神領(じんりょう)という駅がある。この駅を最寄りとして昔から電車の車庫がある。国鉄時代は「神領電車区」が正式名称だった。当時の電略は「名シン」。

昭和53年現在、ここの車庫で受け持っていたのは主に中央本線の普通列車。一部、東海道本線の列車も受け持っていた。当時は関西本線が電化されていなかったから、関西線の受け持ち列車はなかった。
その他に、名古屋を起終点とする特急・急行電車のねぐらとしても使われていた。向日町や長野の車両が、ここまで回送で来て休憩を取っていた。国鉄ならではの運用だったと思う。

昭和53年の10月に自転車(名古屋弁では「ケッタ」と呼ぶ)でここまで出掛けて写した写真が数枚あるので、今日はそれを発掘しようと思う。

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博多行の寝台特急「金星」として運用されていた581系。昼間はこの系列の特色を生かして特急「しらさぎ」として富山まで赴いていたが、53年10月改正で581系の「しらさぎ」は廃止になり、昼間はずっと神領に留まっていた。

近所のおっさんが「中へ入ったって誰も怒らないよ。入っちゃえ、入っちゃえ」とそそのかしたので、入っちゃって堂々と正面から撮った写真もある。

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30年以上昔の話なので、これで通用したけれど、良い子は決して真似しないように。

神領の構内牽引車にクモヤ90 804って車両がいた。

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モハ63型(後の73系電車)の改造車なので、側扉は旧型ながら4枚ついている。
因みにクモヤ90でも800番代は中央線などの低断面隧道でも走行できるように、パンタ部分だけが低屋根構造になっていた。

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パンタは折畳まれているが、そこだけ屋根が低い状態はお判り頂けるかと思う。

あと1枚だけ、当時は神領へ移籍直後だった103系の写真が残っている。

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名古屋口の中央本線に、73系の旧国を入れ換える目的で移籍してきた103系。車両の多くが京浜東北線からの移籍で、原則的に名古屋口ではスカイブルーを纏う筈だったのだが(1枚目の写真をご参照くだされ)、山手線からの移籍車も混じっていた関係からごく少数派でウグイス色が存在していた。
神領に止まるウグイス色は珍しいからと撮った記憶がある。

当時の私の小遣いは月額1000円。36枚撮りのカラーフィルムが1本600円程度だったろうか。フィルムをケチって、神領での写真はこれだけしかない。

中学3年生としてはこれが限度だったのである。

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2011年7月 3日 (日)

道央での写真

月を跨いでしまったが、過日の道央旅行の写真を何枚かご披露しようと思う。

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旭山からのリベンジ写真。地元のkattsu-mqcさんにご一緒頂いたのは既述の通りだが、そのkattsu-mqcさんでも「ここまで視界が利くことは珍しいですよ」と言われるほどの好天であった。2回目でこれぐらいの写真が撮れれば文句の出ようもない。駅間は北日ノ出~桜岡になる。

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kattsu-mqcさんのお車で“下界”へ降り、自分が俯瞰していた辺りの場所をご案内頂いた。バックに小さく大雪の山々が写っているが、それよりもここは空の表情を重視した。区間は上の写真と同じ。

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kattsu-mqcさんがアップされたのと似たような写真になってしまうが、宗谷本線も大雪山をバックに撮れるのは知らなかった。私も潅木の処理に失敗していて、少々お見苦しい。それでもここまで視界が利けば、多少のフォローにはなってくれるかと。北永山~南比布。

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出し惜しみをしたつもりではないが、私もこれをGETできていたのだ。これもkattsu-mqcさんのお蔭。前日お会いした時に711系の「ほぼ間違いないと思われる運用表」を手渡して下さって、それを元に撮影できたもの。ついでに、私はこれに小樽まで乗ることも出来た。札幌駅にて。

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森の中を行く雰囲気の写真だが、実際は周りは田圃だらけであった。札沼線の例の1日3往復しかない区間では除草などの手間も行き届かないのか、周囲の潅木や夏草で、こんな写真に相成った。鶴沼~於札内にて。

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上の写真と殆ど同じ場所にある踏切。正式には「共有地沢線踏切」と呼ぶのだそうだ。道内では「共有」とか「共栄」「共進」との地名を目にする機会が多い。屯田兵時代に付けられた開墾の意気込みを示す姿勢が、そのまま地名として残っていて北海道らしく好ましい。区間は上の写真と同じ。

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有名な『石狩挽歌』の一節に「燃えろ篝火 朝里の浜に」とあるが、その朝里付近の海岸より。古い撮影地ガイドに「この区間は片手ポールなので、スッキリした写真が撮れる」とあって出向いたもの。確かにスッキリしている。小樽築港~朝里にて。

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6月下旬の北海道は初めてだが、初日から気になっている花があった。この赤い花は内地では見たことがなく、調べてみたら「コウリンタンポポ(紅輪タンポポ)」と云うのだそうだ。因みに内地にも稀にあることはあるらしいが、かなり貧相になるらしい。北の辺の花なのだろう。峰延~光珠内にて。

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アヤメやルピナスが満開の時期に来たのも初めてとなる。ルピナスは判っていたけれど、アヤメがあちこちで野生の花として咲いているのは、内地ではあまり見かける図ではない。電柱の処理に失敗しているが、折角の写真なので敢えてアップさせて頂く。峰延駅。

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旅行記での写真と被るけれど、〆はやはりこれで行かなければと……。結果論だが、実は回12Dの写真はピンボケで見事に玉砕しており、折り返しの17Dにこれが入ってくれなければGETできないまま北海道を去ることになるところだった。つまらない形式写真かも知れないが、駅できちんと三脚を立てて撮ったものだから自分でも納得できる写真になっている。

旅行記でも書いたキロ9の失敗は痛かったけれど、また札幌へ行く口実にはなるだろう。とまれ、今回は多くの皆様から広い意味でのご連絡を頂いたお蔭で、大変充実した旅行になった。お礼の申し上げようもないくらいの気持ちで、この記事を書いている。
改めて深謝の気持ちを記させて頂いた上で、撮影結果のご報告に替えさせて頂こうと思う。

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