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2011年5月

2011年5月29日 (日)

山陰本線での写真

いつものように、先日の旅行の撮影結果をご報告しようと思う。

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初日に赴いた、江の川橋梁を渡る単行気動車。ここに近い江津(ごうつ)は、三次とを結ぶ三江線との分岐駅にもなっていて、三江線の車窓からもこの橋梁が見える。いつかは撮りたいと思っていた写真がやっと撮れた思いである。浅利~江津にて。

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夕刻18時半頃まで粘って撮った写真。光の幻想的な雰囲気が出したかったので、敢えて車両はピンボケにしてある。下府~浜田にて。

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上の写真と狙いは似たものがあるかと思う。向かい来る気動車のヘッドライトがレールに反射して、いい雰囲気かなと思って。仁万駅から馬路方面を向けての撮影。

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石見福光と黒松との間にある水浦隧道。列車が顔を出す瞬間をパチリと。本当なら反対側の出口の方がレンガ積みになっていて雰囲気もあるのだが、そちらは広角レンズでもトンネルが収まり切らない場所にしか撮影スペースがなかった。世の中、中々思い通りには行かないものだ。

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旅行記の方で「レールバスみたいな単行」と書いたのがこの車両だ。キハ120といい、JR西日本のオリジナル。福光川の最下流にある橋梁で、橋の向こうには砂浜が広がっているのが見える。空が白く飛んでしまって、少々みっともない写真かも。石見福光~黒松にて。

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「馬鹿は高い所に登りたがる」と俗に言われるが、馬鹿と言われようと阿呆と言われようと、高い所から見下ろす景色は気持ちのいいものだ。この写真から30分後には雨が降り出した。田儀~波根にて。

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「雨」をどう表現しようか迷った末の一枚。先程ご説明したキハ120の車内から撮っている。大田市駅に停車中。

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宮沢賢治の有名な一節に『雨ニモ負ケズ』があるが、このお婆さんは『雨ダロウト構ワズ」の台詞が合うような気がした。私は雨が降るとすぐに意気消沈するが、この方は雨でも晴れでも黙々と来た列車に乗るだけ、と云った風格が感じられる。人間、歳を重ねるとこうも悟られるものか。五十猛にて。

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ステンレスの車両は味気ないかも知れないが、この車両は車内がクロスシートになっていて、結構私は好きなのだ。300mmのレンズに1.4倍のテレコンを付け、420mm相当と私の持つ限界の数値で撮っている。但し、テレコンの所為で開放絞り値はf4となってしまい、薄暗い雨の中では60分の1秒のシャッターがやっとだった。望遠レンズの圧縮効果のお蔭で、何とか被写体ブレは防げられている。湯里駅から温泉津方面を向けて。

撮影中、快晴だったのは初日だけで今一つスッキリしない写真ばかりだが、適当に雨などをかわして撮って来たかなぁと思っている。

ご高覧、お疲れ様でした m(_ _)m

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2011年5月24日 (火)

山陰本線島根県内撮影旅行(3・4日目)

3日目(5月23日)

朝は珍しく6時起きする。朝9時過ぎから雨の予報が出ているので、少しでも動けられる内に動こうとの魂胆だ。

6時37分の上りで田儀まで行く。出雲市までもうほんのちょっとの場所だ。普通列車だと2時間弱かかる。

目指す撮影地は日本海が見え、足元には白い花が目立つ。

Dscn14561時間近くいる内に、霧雨が降りだした。程々に撮って駅へ戻る。

10時41分の下りで戻りにかかり、五十猛(いそたけ)で下車。往路で雨が降っていても撮れそうな駅を探しておいた。駅自体に駅舎はなく

Dscn1458地下道で直接ホームに繋がっている駅だ。ただホームに待合室があり、そこが使えそうなのだ。

行き会う列車を待つ内に、雨が強くなってきた。

Dscn1466気温が低く、風も出てきて寒い。長袖は着てきたのだが、もう一枚上着が欲しい。5月下旬だからと油断した。

駅前の自販機で温かい缶コーヒーを買って暖まり、13時前の列車で更に湯里まで戻る。この駅も

Dscn1471屋根付き駐輪場云々があって、雨を凌ぎながら写真が撮れる。

何本かの列車を撮ったが、寒さは変わらない。朝が早かったからもういいだろうと勝手な解釈をつけ、15時半過ぎの列車で浜田へ戻ることにした。

帰りの列車の中は、紛れもなく暖房が焚かれていた。

4日目(5月24日)

予定通り、8時過ぎに起きる。一昨日乗り損ねた9時発の上りで出雲市・米子・伯備線経由で岡山に出て、帰ることにしてある。

3日間お世話になった宿を出て、9時の出雲市行普通列車に乗る。単行のディーゼルカーだ。外は皮肉にも

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恨めしいほどの快晴だ。昨日がこの天気なら、と思う。

初日に降りて写真を撮った江の川を渡って

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10時半に大田市に着く。島根県内ではちょっとした街で、列車は9分停車する。ぼんやりホームを眺めていたら跨線橋の入口に何か書かれているのに気付く。

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「現存最古の鋳鉄製門柱」……。ほほぉ。

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この両脇の柱のことらしい。9分の停車ではとてもゆっくり眺める暇はない。心の中で「要チェック」と記憶しておくこととする。

大田市から40分ほどで、普通列車の終点・出雲市へ着く。ここからは特急の「やくも」で一気に岡山へ出ることにしてある。その「やくも」であるが、初代振り子電車の381系で

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JRになってからは3代目の塗装かと思う。随分派手な色に成り変ったものだ。

出雲市発車は11時35分。昼食用に

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「いかめし」を仕入れておいた。「いかめし」は北海道の方が有名で、私も本来なら「かにめし」を仕入れる予定だったのだが、駅の売店では「かにめし」が見当たらなかった。

さて、発車して10分と経たない内に宍道湖を過ぎ、

(済みません、食べるのに夢中で宍道湖を撮り忘れました)

12時半頃に米子を出ると東に

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中国地方随一の高さを誇る大山が車窓を過ぎる。

分水嶺を越えて岡山県に入ると新見で、10分ほど行くと

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名勝の井倉洞の入り口を掠める。少し途中下車してみたい気持ちに駆られるが、特急は元から井倉駅には停まらない。

あと、これも画像がないのだが、備中川面駅付近で見事な石垣積みの棚田を目にする。新幹線なら仕方ないが、在来線はなるべく普通列車に乗るべきだなあと思う。

かくして名所案内みたいになってしまったが、3時間ほどの特急「やくも」の旅は終わる。岡山からは今度こそ新幹線なので、それほど記すこともない。

新幹線の車内は修学旅行らしい小学生の団体で、座席が埋まっていた。

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2011年5月22日 (日)

山陰本線島根県内撮影旅行(1・2日目)

1日目(5月21日)

10時前の新幹線で、ビュッ……と言うには少々遠いが新山口まで来る。新山口から山口線経由で山陰側に出る旅程にしておいた。

新山口は宇部線との分岐駅でもあり、宇部線名物の

Dscn1436123クモハ123が停まっているのも見える。但し私はこれとは逆方向の山口線に乗るので、今回は電車を見るだけで跨線橋を素通りする。

私が乗るのは、東日本・北日本の方には馴染みの薄い187系のディーゼル特急「スーパーおき」で、

Dscn1437187 これにて山陰の江津まで赴くことにしている。 地理的には少し逆戻りする形で島根入りする。

特急の車窓で「山口県だなあ」と思わせるのが

Dscn1441黄色いガードレール。何故か山口県内にはガードレールを黄色く塗ったものが非常に多く見られる。警戒の意味が込められているのだろうが、何故に山口県に限ってかは不明だ。

あと、山陰側に近付くにつれ、石州瓦の民家が目につくようになる。

Dscn1443独特の渋い赤茶色の瓦屋根は、落ち着いた雰囲気を感じさせる。

さてと。

特急で江津まで来た。遠回りしているので、到着は15時過ぎ。江津で降りたのは、江の川の橋梁が撮りたいからである。

Dscn1445トラスの橋梁で鉄道写真向きではないが、ゆったり流れる江の川を列車が渡る姿は、一度撮りたいとかねがね思っていたのだ。

16時過ぎまでここで粘り、更にその後、少し逆戻りして下府(しもこう)付近で夕刻の列車を撮影する。18時半頃まで居ついていた。

山陰線の下り列車は暫くないので、石見交通のバスで宿泊地の浜田へ向かった。

2日目(5月22日)

深夜、外の喧騒で目が覚める。10代後半あたりだろうか、男性7~8人がホテルの前で大騒ぎをしている。時計を見ると2時くらいで、迷惑極まりない。30分以上、騒ぎは収まらなかった。

やっと静まって眠りかけたら今度は自分の足が攣って、また目が覚める。2度目の目覚めになるともうダメだ。寝つけられない。結局、外が明るくなり始めた頃、ようやく寝入ったようだ。

お蔭で8時過ぎにかけた目覚まし時計では起きられない。9時の上り列車に乗ろうとしていたが、ふっと我に帰ると8時50分。乗れる訳がない。

次の10時過ぎの列車は快速で、自分が降りる予定の駅に停まらないから予定を変更する。外は天気予報が外れて雨が止んでいるのに、つまらぬ時間の無駄遣いをした。

仁万(にま)という駅で降りる。民家も少なく長閑な駅前を過ぎると、古い石碑が目に入った。

Dscn1448碑の一部が欠け落ちて、何が書いてあるかは判らない。ただ、この辺りは石見銀山から遠くなく、何かと歴史のある地域である。地味ながら風情を感ぜずにはおられない。

地図で確かめていた場所で、昼過ぎまで撮影する。

駅へ戻って改めて駅舎を眺めてみると、さいぜん書いた石州瓦ではなく

Dscn1450青い瓦屋根になっている。まさかJR西日本のコーポレートカラーに合わせたものでもなかろうに。

昼過ぎの鈍行で、石見福光まで戻る。国鉄時代、この辺りの鈍行といえば客車を5両程度繋いだものであったが、今日乗ったのはレールバスのようなディーゼルカーの単行だった。

往路で、ある程度は撮影場所を確かめておいたが、実際に降りて歩くと徒歩20分圏内にあれこれ絵になる場所がある。そこここをウロチョロしていると、雑草のコバンソウが目につく。

Dscn1451_2名古屋近辺では見かけないが、日本海側の内地ではよく目にする草だ。母がこの草を好きなことを思い出したが、雑草を持って帰る訳にもいかないので諦める。

夕刻16時過ぎにようやく駅へ戻ってくる。ここの駅舎は石州瓦を使っていて、最近建て替えたらしい、こじんまりとしたものである。

Dscn1454駅舎に入って改めて見回すと、こんな張り紙があった。

Dscn1452ローカルな駅では最近こうした地元の方の温かい心を垣間見る機会が多い。鉄道マニアとしても嬉しい。ぜひとも末永く愛されて欲しいものだ。

昨晩の睡眠不足のために、16時38分の下りで浜田へ戻った。浜田には17時半頃着で、日の長い時期だからまだ明るくて勿体ない気がするが、眠さには勝てなかった。

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2011年5月15日 (日)

激辛好きの肴

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私が激辛好きであることは度々ここに記しているが、それを知った同僚の甘木君が先日、海外旅行のついでに台湾で上のようなものを買ってきてくれた。

3本セットの瓶詰めで、その内の一つが特に辛い筈だというのだ。写真をご覧の通り唐辛子の絵が描かれ、漢字から察するに台湾流の豆板醤らしい。これは私に合いそうだ。シメシメ。

★のつまみに良さそうな感じがするので、皿に開けてみた。

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写真の撮り方がヘタクソで、あまり雰囲気が伝わらないかも知れないが、全体的に真っ赤に染まっている。唐辛子の成分が醤油にまで染み出しているらしい。

で、肝心なお味なのであるが、期待したほどは辛くなかった。口から大火炎が吹き出るぐらいの味を期待していたから、ちょっと高望みし過ぎたのかも知れない。まあ、でも程々には辛い。やっぱり、★のつまみにちょうどいい程度だ。

但し私の言う「ちょうどいい」は、カレーのコ○イチで5辛を平気で食べる尺度で語っているから、万人には通じないかも知れない。

以前、そのコ○イチで職場の同期のAさんらと会食したことがある。Aさんは、カレーは甘口でなければ食べられないと云う“辛いモノ苦手派”なのだ。そのAさんに、この瓶詰めをスプーン一杯ぐらい頬張らせる機会がないかなと、私は今ちょっとウズウズしている。

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2011年5月10日 (火)

模様

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この模様を見て、お読み下さっている皆様は何を連想されるだろうか?

私が真っ先に思い浮かべるのは「鉄道車両の連結部分の渡り板」だ。

渡り板の鉄板は古くからこの模様が使われていて、私の脳裏にはこの模様が「鉄道」と密着して浸透している。

実際には鉄道以外の鉄板製品にも広く用いられている模様だが、鉄板は昔からこの模様にしたものが多く見受けられる。定番と言ってもいいだろう。

何ゆえ、鉄板は昔からこの模様が多いのか、理由は全く不明である。この模様にすると、強度が増すとか何か意味があるのだろうか?

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2011年5月 2日 (月)

キハ58系引退に寄せて~懐かしの急行『のりくら』など

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5月に入り、世間も少しずつ落ち着きを取り戻してきたようなので、私もボチボチではあるが投稿を再開して行こうと思う。

さて、再開初めの話題は、以前のN市のTさんへお約束のコラボ記事。ちょっとタイミングは、ずれてしまったけれど。

富山口で走っていた高山線のキハ58系が、3月12日のダイヤ改正で引退と相成った。JR九州の「あそ1962」も一足早く引退となっているので、当の改正でJRのキハ58系は定期仕業から完全に撤退したことになる。

あれだけ一世を風靡した車両もとうとう終焉かと思うと、寂しい気持ちを禁じえない。それで今記事では、キハ58系の最後の活躍舞台となった富山近辺での国鉄時代の勇姿を中心にご覧頂こうと思う。30年近く前のネガからスキャンしているので、ある程度の色褪せはご堪忍頂きたい。

↑トップの写真は『のりくら1号』。高山線の千里~越中八尾間での撮影。臨時運行の『うなづき』2両を増結しているので、堂々の9連となっている。1982年8月のもの。

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これも千里~越中八尾にて。急行色のキハ58系に伴っている右端の車両はキユニ28。『のりくら』などの間合いで運用される普通列車も多くあって、58系にキユニを伴っているのは大抵が『のりくら』崩れである。冷房の加減から58+28+58+キユニとなっているケースが多かったと思う。トップと同じ1982年8月の撮影。

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少し「番外編」的になるが、今はなき神岡線を走るキハ58。この当時、神岡線の運用を受け持つ富山第一機関区ではキハ58の配属は少なく、確か82年8月当時では2両の配置があっただけだと思う。この写真で相棒を組んでいるのは、キハ55だった記憶だ。飛騨船津~神岡にて。

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唐突に冬の写真となったが、雪景色を走る58も絵になった。これも急行『のりくら』で、美濃太田や名古屋の車両で運行されていた。打保~杉崎にて、83年1月撮影。

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58が当たり前に走っていた時代だから、こんな贅沢な撮り方もできた。飛騨国府ですれ違う、普通列車と『のりくら3号』。お遊びでクロスフィルターを付けていたことも覚えている。上と同じく83年1月の撮影。

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越中八尾駅から15分程度、東八尾方へ歩くと、この大カーブに出くわす。現在でもこのカーブは撮影可能だが、この区間を走る列車は精々4両程度になってしまった。この時も、『のりくら1号』は『うなづき』を増結しているようだ。勿論キロ込みである。83年3月撮影。

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笹津駅の富山寄りには、工場への貨物専用引込み線があった。その専用線と沿って走る58系の7連。これも『のりくら』である。83年3月。

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この橋梁は今でも撮影名所として知られているようだ。昔から変わらない景色が拝めるのも有難いが、これは上と同じ83年3月のもの。『のりくら』崩れでキユニ28が連結されているのは、先もご紹介した通りだ。

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打保~杉原の橋梁を走る『のりくら』。ここの部分は97年の洪水災害で様子が変わっているかも知れない。猪谷から更に高山寄りの区間は、高山線でも最も運転頻度の少ない区間で、山間を走る。83年4月の撮影だが、バックの山には残雪がある。キハ65も混結されているので、名古屋機関区で受け持っていた編成のようだ。

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高山に程近い、上枝付近を走る『のりくら』。7連の場合、キロは端の2両目か6両目に組成される筈だが、私の記憶違いか、この編成では右から3両目がキロになっている。83年4月。

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富山からは少し離れるが、深夜の飛騨小坂での夜行『のりくら』同士の交換(9号と12号)。この写真を撮りたいがために、わざわざ飛騨小坂駅前の民宿に泊まった。時刻は午前2時20分頃。我乍らよく撮っておいたものだと思う。83年11月。

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最後は完全に番外編。ご覧の車番は、福知山管内の豊岡に配属されていた。鳥取の若桜線を撮影に行く際に宮津線経由で行ったのだが、その中にこれが混じっていた。ただ、私は隣のキハ47に乗っていて、終点に着いてから隣が1号車だったことに気付いたものの、もはや手遅れだったこともしっかり覚えている。見れたのはこの一度きり。85年5月、豊岡駅にて撮影。

思い出の尽きない車両たちだが、改めて彼らに「お疲れ様」の一言をかけて、今回は終わりにしたい。

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