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2011年2月

2011年2月27日 (日)

“今時の”Jバスたち

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今年度納車の新車も大半は出揃ったようである。

私たちの職場では、今年度の新車の落札条件に「MT車であること」と「新長期排ガス規制に適合すること」等を条件としたため、日野といすゞが合弁して出来た「Jバス」仕様のバスでなければ、実質、落札は出来なくなった。

乗務員によって日野車といすゞ車の運転のし心地が違うと判る方もあるらしいが、私はダボハゼのようないい加減な人間(ん? 魚?)なので、両者の違いは判らない。エンジン音を聞いてもシフトをチェンジしてみても、どこがどう違うかは判らない。外観上、ヘッドライトの形状が違うこと以外に見分ける術はない。

ただ、今年度の新車は従来の5速MTから6速MTへと変更されているので、ここの違いは判る。整備関係者から「従来の5速車に比べて2キロ程度早い段階で、シフトチェンジをして欲しい」と言われているが、確かに低いギアで引っ張ることが出来なくなっている。
これも個人差があるから一概には言えないが、低速ギアで引っ張る癖のある方には運転がし辛くなっている面があると思う。

私の個人的な意見を言わせて貰うと、今年度の新車はインパネがショボくなって、速度表示が見づらいのがちょっと気に入らない。ご参考までに、従来車と今年度の新車のインパネをご覧頂こう。

まず、従来車の方から。

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続いて今年度の新車のもの。

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「シンプルになった」と言えば聞こえはいいが、どうも馴染みにくい。また、速度計が160キロまで表示できるように変更されているが、少なくとも国内ではその必要はないと思われ、そのために速度計が細分表示になっているのも見辛いのに拍車をかけている。そもそもが速度計そのものも小さくなっている。

シンプルになって表示項目が少なくなった分は、最上のグリーン液晶部で補うようになっている。速度計の160キロ表示の下に押し込み式のスイッチが付いているが、これを押すことで表示項目を変えられるようになっている。
但し、グリーン液晶の最下段についている表示はアドブルーの残量表示計で、これだけはスイッチを押しても変わらない。

運転操作感覚にしても、インパネの見え方にしても、個人で好き好きがある。「今年度の新車はミッションが入り易くていい」と賞賛の声を挙げている人もある。「2速で引っ張れないので運転しづらい」と言っている人もある。それぞれだ。

個人的には、従来車の方が操作もインパネも自分の好みに近い。年齢と共に、新しいものに馴染めなくなってきた証なのかも知れないが。

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2011年2月21日 (月)

中央西線プチ撮影結果ご報告

先日のspa付き旅行のフィルムをスキャンしてみた。暫しお付き合い頂ければと思う。

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「鉄道車両が写っていなくても鉄道写真と判る写真」を目指しているのだが、そんな一枚。奈良井駅付近の隧道を狙ったもので、ヘッドライトの灯りだけは来ているから一応お判り頂けるかなと。ついでながら、この隧道は低断面の多い中央線の中でもとりわけ断面が低いことで知られているそうな。奈良井~木曽平沢にて。

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ちょっと判りづらいが「ならい」の文字が植樹で記してあり、面白いなぁと思って撮ったもの。奈良井は中山道の宿場町として歴史のある町で、今でも木曽漆器の産地として名が知られている。因みに旅行記で「サルに見下ろされながら撮った」のは、この写真である。奈良井~木曽平沢にて。

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一昨年の9月だったと思うが、ほぼ同じ場所で撮ろうとしたらダンプがファインダーに入ってしまって玉砕した場所。今回はちゃんと玉砕しない踏切脇から撮った。この6883レは列車番号からも判るように指定日運転の臨時列車だが、石油需要の多い冬季はほぼ毎日運転されているそうである。原野~宮ノ越にて。

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お遊び写真。上の写真と全く同じ場所から写しているが、踏切脇のミラーに写った列車を狙ってみるのも一興かと思って。我乍ら暇人だと思う。

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撮影地ガイドなどに紹介されていないが、倉本駅のホーム端から狙うのも結構絵になる。実はこの「しなの」の前にタンク貨物が走り去っているが、時間を見落としていて撮れなかった。逃がした魚は大きいと言うが、その通りの気分がしている。倉本駅から上松駅側を向けて。

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同じく倉本駅にて。内容は詳しく判らないが、測量の作業をしているおっちゃんたち。雪晴れだからいいけれど、大雪の日の作業だったらさぞかし大変だろうなと思う。

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旅行記でも書いたけれど、バックは空木岳。線路の反対側からだと横アングルで撮れることは撮れるが、線路に思い切り近寄らないと撮影は無理で、電車に警笛を鳴らされることも必至である。で、こっち側からタテ構図にした。十二兼~野尻にて。

何とか見れる写真は以上である。雪を覚悟で駅からあまり歩かなくて済む場所ばかりを選んだけれど、こんなに天気が良いと判っていればもうちょっと別の場所も予定に組み込むべきだったなぁと思っている。

ご高覧、お疲れ様でした。

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2011年2月16日 (水)

中央西線プチ撮影・温泉付き

1日目(2月15日)

朝、起きた瞬間に玉砕していた。8時06分発の中央線の特急「しなの」の指定券を取っておいたのだが、目が覚めたら何故か9時半だった。

指定席の特急に乗り遅れた場合、その日の内に限り同一区間の特急自由席なら乗れることになっている。今から間に合うのは、予定から3時間後の11時06分発の「しなの」になりそうだ。

中央線の千種駅へ着くと、発車案内のテロップが全て消えている。昨晩名古屋では珍しく雪が積もり、その影響でダイヤが大幅に乱れているらしい。駅員に「しなの」について尋ねてみたが、もう名古屋を出ている筈の時刻だが「現在どこを走っているかは判りません」と言う。

それに加えて、春日井方面で踏切障害が発生したとか言って、電車が動かなくなってしまった。たまたま自分が乗ろうとした「しなの」は駅の向こうに姿が見えているが、先発列車が千種駅に止まったまま動かない。結局「しなの」に乗れたのは定刻の36分遅れであった。

その後も「踏切確認のため徐行運転をします」とのことで、多治見では55分遅れとなった。この特急で木曽福島へ至り、本来なら38分接続の普通列車で奈良井へ行くのが、私の“玉砕修正”プログラムである。特急は奈良井に停車しない。が、この遅れでは普通列車に接続しない可能性がある。車掌にその旨を尋ねて「何しろ奈良井へ行きたいのだが」と言うと、「普通列車の始発駅・中津川の手前で確認します」との返事であった。

中津川到着のアナウンスと共に、中津川から先の普通列車は私の乗る予定の次の列車の案内が流される。やはり接続しないようだ。
寝坊した自分が悪い、と諦めていると、先程の車掌がやって来て「えーと、奈良井でお降りのお客様、あ、今日は奈良井に臨時停車致します。このままこの列車でお待ち下さい」と言った。

JR東海さん偉い!! 感謝!!

かくして、13時45分頃、特急「しなの9号」は奈良井に停車した。車掌が慌てて私の待つ扉へやって来て、非常ドアコックを操作して手動で扉を開けた。奈良井へ降り立つことが出来た。

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常紋などの信号所でこうした客扱いをした話は聞くことがあるが、特急列車を私一人のためにわざわざ停めてもらったのは初めての経験である。

「しなの」を見送り、駅から撮影ポイントに向かう。この辺りには撮影ポイントが点在していて、撮るのに事欠かないのである。

4ヶ所くらいで撮影を楽しむ。途中の一ヶ所では

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おサルさんに見下げられながらの撮影だった。奴らの神経は太いようで、人間を見てもビクともしない。

16時頃に「思い出の」奈良井駅へ戻ってくる。

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駅は古めかしい雰囲気に造られている。ここから16時29分の列車で、木曽福島へ戻ろうと思う。

本題がボケてしまったが、木曽福島駅前に温泉旅館があり、そこを予約してある。温泉こそが今回の大事な予定なのだ。列車の遅れがあって、宿には17時過ぎに入った。

温泉に浸かり美味い料理を食べ、
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勿論★もして、贅沢な夜が過ぎた。

あ、温泉は沸かしのようで少しカルキ臭い。循環式の湯らしい。ただ皮膚がツルツルになる効能があるようだった。

2日目(2月16日)

今朝は健康に早起きする。6時45分くらいには起きて、もう一度温泉に浸かってから朝食をゆっくり摂り、9時08分の普通列車で一駅長野寄りの原野へ赴く。駅から徒歩10分くらいに撮影地がある。

一昨年の9月だったか、ここに来た時には「ダンプが来ると玉砕する」位置でカメラを構え、本当にダンプが来てしまって玉砕した経験がある。今日はダンプが来ても大丈夫な場所に三脚を立てる。10時頃には臨時の貨物列車もあるので、暫く居つく。

待っていると軽トラのおっちゃんが降りてきて、「みんなここへ来てカメラを構えとるけど、ELがなくなるのか?」と聞かれる。なくなるとは聞いていないが、と答えると、「そうか、わしゃ昔、ECは運転しとったがELのことは判らんのだ」と言って去って行った。年恰好から想像するに、中津川機関区に勤めていたのだろうか。

目的を達成してから原野駅へ戻る。今は無人の駅の様子を眺めると

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駅員配置時代を彷彿とさせるコンクリートの塗り直し跡が、はっきりと判る。

ここからは戻りにかかる。名勝・寝覚ノ床を過ぎ

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(鉄柱の入った画像で済みません)、その次の倉本で降りる。駅のホームから構えると、カーブを行く列車が撮れそうと、往路で見ておいたのだ。

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下り列車だとこんな感じ。勿論私は、もっと撮影条件のいい上り列車を狙う。どんな仕上がりになっているやら。

更に次の普通列車で野尻へも寄り道する。野尻駅付近では

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空木岳が綺麗に見えて、清々しい気分だった。

今日はずっと快晴で、暖かくも充実した一日を過ごせられた。野尻駅を16時20分の普通で帰ることにする。中津川での乗り継ぎはあるが、兎も角これで18時過ぎには名古屋へ戻れることになる。

『玉砕・臨停・温泉・青空』。プチ旅行だが思い出に残る撮影行となった。

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2011年2月 9日 (水)

定期試験の、とある思い出Ⅱ

Dscn1135ここ何日か、中学生の登下校時刻ではない時間帯に、中学生の団体を見かけるようになった。場合によっては私のバスに乗ってくる中学生もいる。いよいよ高校受験が本番を迎えたようだ。

高校受験では、これから記すような下らないことは流石にやらなかったが、高校へ入ってからの定期試験はかなり「おふざけ」も混じっていた。その一例を2年くらい前に「定期試験のとある思い出」と題して、記事に書いたことがある。

受験生たちを見ていて、高校時代を思い出してしまったので、久々に定期試験の思い出・第2弾を書こうと思う。

今回の舞台も以前の記事と同じ高校2年の時だ。試験科目は「古典」である。

当時、私は2年3組に在籍していた。答案用紙には当然「二年  組:氏名     」と、自分のクラスと氏名を書く欄がある。初めは真面目に「二年組」と書いたが、何かこれだけではつまらないような気がして、クラス名を消しゴムで消し、「二年惨組」と書き直した。

更に、ある程度解答を書いて、いつものように解答に頓挫してしまったので、下のような落書きを解答用紙に書いておいた。

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(見辛い際は画像をクリックして、アップでご覧下さい)。

30年も前のことなので、この絵の通りではなかったかも知れないが、大体こんな絵を描いた記憶がある。絵の下にはご丁寧にも「鳥獣奇画」と記しておいた。古典の教科書などに是非出てくる『鳥獣戯画』をもじったのである。

採点が終わって答案用紙が返ってくる時、以前の記事のような追いかけっこは起こらなかったが、答案用紙を見て私はニタリとした。

この古典の担当教師は、よくよく冗談を理解できる方だったようで、まず「二年惨組」の部分には赤ペンで「sign01」と書かれていた。
更に問題となりそうな「鳥獣奇画」には、赤ペンでが書かれていて、「+2点」と書いてあった。お蔭で私の古文の試験は69点であるところが、プラス2点で71点になっていた。この2点は、本当に通信簿にも反映された。

誠に下らないことを30年以上覚えている私も私であるが、この冗談を理解してくれた古典担当教師は、本当に忘れられない恩人である。

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2011年2月 3日 (木)

「冤罪」その後

Dscn0980 (※この記事は、昨年12月13日付の愚記事、「冤罪」の後日記事です。掲載の画像はあくまでイメージです。車種やメーカー等を特定するものではありません。また記事の特性上、一部を比喩的な表現に変えさせて頂きます)。

長い間、皆様にご心配をお掛けした冤罪の件について、全ての結論が出揃ったので、改めてご報告申し上げる。

結論から申し上げると、警察サイド・職場サイド、どちらも「完全にシロ」である、とのことになった。以下、少し経緯を書かせて頂く。

あの記事の翌日、私は予定通りに警察へ出頭し、起こしていない事故に関して「自分では安全確認をしたつもりだが、自分の気付かなかった部分でそのような事故が起きた可能性は否定できない」と申告した。はっきり言えばこれは、上司から言われた言葉のオウム返しである。

暫くの後、事故の当事者であるA氏も呼んで、警察署の前でバス車内での現場検証をすることになった。当日私が乗務したバスは、他の上司が予め署の前まで持ってきてくれていた。

先ず警察官が私に聞く。「おさかかなさん、これは事故当日にあなたが乗務したバスですね」。私は「この車で間違いありません」と答える。

次に警官はA氏に向かって「Aさん、このバスは事故当日にあなたが乗車されたバスですね」と尋ねる。A氏はバスの車内をくるっと見回すと「いや、これは違います。私が事故に遭ったバスではありません」と言った。事態がここで急転回した。
警官が慌てて尋ねなおす。「いや……これではない……、となると運転手から何から全て変わってしまいます。本当にこのバスではなかったのですか」。するとA氏は「絶対にこのバスではない。私はバスが発車した時にある部分を掴もうとした明確な記憶がある。だがこのバスにはその掴む部分がない。だから絶対にこのバスではない」。A氏は言い切った。

現場検証はここで中断し、警官が「一旦、全員、待合室にお戻り下さい」と言った。

暫しの後、私の担当上司だけが警官に呼ばれ、交通課の室内へと消えた。3分くらいだったろうか、警官と担当上司が出てきて、先ずA氏に「本日はどうもお疲れ様でした。お引取り下さい」と言った。そして、その後で担当上司が「さあ、おさかなくん、帰ろうか」と言った。私は何が何だか訳が判らなくなった。

帰る道すがら、私は担当上司に聞いた。「一体どう云うことですか? A氏が否定した以上、私には罪はかからないのですか?」。すると上司は「そうだ。警察サイドとして、君の免許証にはキズはつかない、と言ってきた。ただ、職場サイドとしてはどのような処遇になるかは私では決められない。暫く時間が欲しい」とのことだった。

以上が、あの記事の翌日、12月14日にあったことだ。

以後、職場内でどんなやり取りが行われたのか、詳細は私に伝えられていない。事件が、課長・係長クラスの人でのやり取りになってしまって、平社員の私には口出しのできない状態になってしまったのだ。ただ途中で労組の支部長から「警察がシロと言ったものを、労組として事故と認めさせるようなことにはしないから」と言われ、簡単な中間報告だけはされた。長い2ヵ月弱が過ぎた。

そして、昨日、私はいきなり営業所のナンバー2に呼ばれて「過日の事故の件だけれど、非責事項(責任を問わない事柄)と云うことで、君には何の処分もかからないから」とだけ言われた。呆気ない幕切れだった。

事が事だけに、私もこれ以上詳しくは書けない。ただ、大まかな流れとして、こういう事態の推移であったこと、そして私に一旦は降りかかった冤罪が、全て水に流れたことだけは明確に記しておきたい。

***

この件につきましては、「冤罪」の記事後、多くの方から励ましのお言葉、メッセージを頂きました。また、ご自分のブログで愚記事を取り上げて下さった方もありました。皆様の温かいお心遣いに励まされ、今日の自分があるのだと思っております。
結果として、本文にもあるような「冤罪全面否定」という、私にとって最良の結果を得ることができました。担当してくださった上司、労組役員等、多くの方のご尽力があったことは間違いありません。

この場を借りまして、私を「良い方向へ」導いて下さった多くの方々に、厚く御礼申し上げます。また、事件後、崩してしまった体調も、現在では徐々にではありますが良い方へと向かっております。皆様方にご心配をお掛けしたことを深くお詫び申し上げ、また、温かいお言葉を下さった皆様に改めて「有難うございました」と申し上げます。

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