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2010年10月

2010年10月31日 (日)

秋季飯田線撮影結果ご報告

先日出掛けた飯田線の写真を、いつものように何枚かご披露しようと思う。

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ポールなどの障害物も多いので、いい撮影地とは言えないが、周囲の民家などの雰囲気がいいので載せておこうと思う。出馬駅付近の、何と云うこともない集落近辺。一日に何本かは新鋭の313系によるスジがあって、119系目当てに出掛けた自分にはちょっぴり不満。東栄~出馬にて。

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多くの皆様に興味を持って頂いた「渡らずの鉄橋(第6水窪川橋梁)」を、連写画像で。本当なら動画をアップ出来ればいいのだが、私にその能力がないので、これでご堪忍願おうと云う魂胆である。それにしても、川向こうからやって来た電車が、踵を返して元の川岸へ戻る姿は面白い。区間としては城西~向市場になる。

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城西の駅へ戻って、ちょっとだけ時間があったので撮った一枚。バラストがあることから明らかに以前は、交換可能駅として機能していたようだ。用無しのバラストの中で、ポツンと存在を主張している70.5キロポストにいじらしさを感じた。

Img591119鶯巣駅から程近いポイントにて。電車が信号機の辺りまで進んだ写真も撮ってあるが、こっちのカットの方が面白いような気がして、敢えてこちらをアップしておく。平岡~鶯巣にて。

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七久保付近で、適当に歩いたら適当にいい場所があったので、撮影に及んだ場所。背景の木々の配置から、もう一瞬遅めにシャッターを切った方が、バランスが取れたかなと反省している。どうも「日の丸構図」気味の写真ばかり撮ってしまって、よろしくない。七久保~伊那本郷にて。

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七久保駅の一角にて。読み辛いのでアップでご覧頂いた方がいいと思うが、切符売り場の跡には「皆様の駅です。こわさないで下さい。きれいに、大切にして下さい。」とある。こんなローカル駅にも駅員を配置していたとは、往年の国鉄には活気があったのだなと思うと同時に、駅を傷つける不心得の輩には、現JRも厳しい態度で望んで欲しいと願わずにいられなかった。

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旅行記では書かなかったが、こんな構図で構えている時に国鉄色が来てしまったのだ。やっぱ、国鉄色は、綺麗な風景で構えている時に……と思ったものだが、運用を知らないから止むを得ない。伊那田島駅裏の果樹園より。出来ればこの地方に多い、リンゴ畑で撮りたかった。

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駅をお好みの方の趣向に合うかは判らないけれど。ハロゲン灯が灯った無人駅で、一人ポツンと帰りの電車を待つのも切ないものだが、こう云う夕暮れって人に訴える力が凄くあるように思えてならない。変な言い方をすれば「撮らずにはいられなかった」。伊那田島駅にて。

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最終日のカットは、雨と雲にやられて碌なものがない。それで、誤魔化し加減に大田切駅で撮った画像をご紹介する。ワンマン運転用のミラーも、活用の仕方次第では立派に写真の題材となってくれる。今回は「119系と判って欲しい」ことを念頭に置いて撮ってきたから、こういう写真でも自分なりに納得はしている。

以上!! ご高覧、お疲れ様でした(ペコリ)。

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2010年10月29日 (金)

およっ……?

先日、飯田線の撮影に出掛けた際、とある所の路傍で一人「んっ?」と呟いた。最近よく手にする植物図鑑で、見覚えのある野草と酷似したものを見つけたからである。

早速デジカメで撮影しておいた画像がこれ。

Dscn0000

家に帰って調べて見た植物図鑑の写真は、下の画像。

Dscn0858

花の色だけでなく、独特の花の形・花のつき方・葉の形・開花時期(10~11月とある)、全てが一致するように思える。分布場所も書かれている通りだ。こりゃあ、とんでもないものを見つけたぞと思った。

では、図鑑の方の、植物名までを今一度、ご覧頂こう。

Dscn0859

そうなのだ。あの猛毒を持つことで有名なトリカブトに間違いなかったのだ。

詳しい場所は閲覧自由のサイトだから、書く訳にいかない。「トリカブトの自生地を詳説するブログ」などと闇サイトで有名になったら困る。まあ、「信州のどこか」、としておく。

件の図鑑には、「猛毒を持つことで知られるが、古代漢方では新陳代謝を盛んにしたり、心臓病の薬としても用いられたことがあった」とある。使い方一つで、まさに「毒にも薬にもなる」らしい。

場所ははっきり覚えているので、仕事の休みの際にもう一度出掛けて、採取してみたい好奇心もある。ただ、漢方の使用方法はよほど手馴れていなければ、煎じ方一つ判らない。まあ、路傍で枯れて頂くのを待った方が賢明だろう。

然し、トリカブトの花だけはしっかり覚えていた自分も自分だなあと、ちょっと苦笑している。

(引用図書:成美堂出版『花色でひける野草・雑草観察図鑑』)

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2010年10月25日 (月)

秋季飯田線撮影旅行(3・4日目)

3日目(10月24日)

今日も早起きする。6時50分の下り電車に乗る。

50分ほど乗った飯島で降り、「徒歩15分程度」と撮影地ガイドにある撮影地へ向かう。バックに南アルプスの山並みが見える鉄橋だそうな。

ところが、幾ら探しても撮影地は見つからない。ガイドには簡単なことしか書いてなく、その通りに歩いても、鉄橋を写し込める場所に辿り着かないのだ。1時間以上ウロウロしたが、サッパリ判らずに退散するしかなかった。自分が見た感じでは、線路を歩いた挙句、私有地(民家の裏庭)を抜けるとそれらしい場所に着きそうだが、線路にも私有地にも立ち入る訳にはいかない。

仕方ないので、飯島へ来た証だけ載せておこう。

Dscn0833_2早起きは、3文の損らしい。

気を取り直して、9時半頃の列車で、更に下りへ向かう。但し今度は一駅だけの田切で降りる。ここは、判っている撮影地がある。以前飯田線に乗ったときに、確かめてあるのだ。

駅からここも徒歩15分くらいかな。バックにちゃんと南アルプスが見える。でも、今日は曇天で、山もぼんやりと見えるだけだ。撮影場所の足元に

Dscn0835ワレモコウが咲いている。高原の植物で、気の慰みになる。

田切駅へ戻って、小休止。と言うか、列車が暫くないのだ。駅そのものも

Dscn0837何ともシンプルな造りで、絵の作りようがない。

昼過ぎの列車で戻りにかかる。今度は、七久保駅辺りが目当てである。

撮影ガイドに書かれていた場所とは違うかも知れないけれど、適当に歩いていたら、適度にいい景色を見つけたので、そこで撮影に及ぶ。線路の向こうにコスモス畑が見えるが、

Dscn0839向こうからだと電柱やケーブルが邪魔になって、絵にならない。ここに居座るしかない。

居座るうちに、雲間から霧雨が降りだした。今日の予報は「曇りのち雨」なので止むを得ないようだ。

少し濡れながら電車を待ち、撮影を終えて駅へ戻る。適当に歩いてきたので、道順を忘れていたが、どうやら無事戻れた。幸い、雨が止んだ。

この後、伊那田島でも撮影して、雨が本降りになってきたので、16時半の列車で宿泊地の飯田へ帰った。この雨は翌日も続くらしいので、翌日の予定は少し変更しようかなと思う。

4日目(10月25日)

予定を変更したので、大いに朝寝坊。9時にやっと布団に見切りをつける。9時45分の下りに乗ろうと思うので、この時間で十分なのだ。

さて、駅へ向かって、下り列車のホームを見ると、嬉しいことに

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1日目から振られっ放しだった国鉄色119系が、目の前に鎮座している。車内へ入ってしまえば他の車両と同じだが、これに出会えただけでも嬉しい。119系は全部で何編成あるか知らないが、この色は1編成(2両)しか存在しないのだ。

水色の列車に揺られて定刻に発車。心配していた雨も降っていない。1時間余り乗った大田切まで、車窓を楽しむ。

所々の駅で「ホームがカーブしていますので、車両中央(又は両端)のドアからお降り下さい」とのアナウンスが入る。私が降りた大田切でも「中央から……」のアナが入る。降りて見てみたら

Dscn0846_2確かに言われたことが判るような状況ではあった。旧私鉄を買収した路線だから、国鉄とは何かと規格が違うのだろう。

さて、ここでは駅のすぐ近くに鉄橋があり、そこがターゲットである。行ってみると

Dscn0847

うーん……微妙に背後の山が雲に隠れちゃってるなぁ……。駒ケ岳だと思うのだが、はっきり言ってこの背景の山がお目当てで降りたのだ。見えなければ意味がない。

まあ、悪運強き私のことゆえ、撮影結果がどうなったかはお察し下され。途中からは止んでいたはずの雨も降り出して、最後はびしょ濡れになった。

14時前の列車で退散する。これからは飯田線の終点・辰野へ至り、中央線の旧線経由で塩尻へ出る。

辰野と塩尻の間の旧線を結ぶローカル電車には、クモハ123と云う単行電車が充当されている。

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何度か乗ったことはあるが、改めて銘板を見てみると

Dscn0853

随分輝かしい過去をお持ちのようで。何しろ、製造されたのは近畿車輛にて昭和53年と、それだけは確かだ。当初はクモニ143として製造されている(←聞きかじりの知識)。

乗る時間は20分程度と短いけれど、何度乗っても魅力的な電車である。

さて、塩尻からは特急「しなの」で一気に帰ることになっている。「しなの」は指定券も持っているから、この下らぬ旅行記もここで終わることにしようと思う。ただ、これだけでは締まりがないので、旅行に使った切符の使用後の姿だけ、載せておくことにしよう。

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2010年10月23日 (土)

秋季飯田線撮影旅行(1・2日目)

1日目(10月22日)

予告通り、出掛けてきておりまして。

今回、出掛けるにあたって、用意した切符。

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実は、中学1年生の時(34年前!)に、全く同じ経由の切符で旅行したことがある。但し、この時は「乗るだけ」の日帰り旅行。

当時、名古屋駅へ行ってこの経由の切符を所望したら、何と硬券でこの切符が存在していた。あの切符を貰わなかったのは一生の不覚と、つくづく後悔している。今ではマルスで、チョインとこんな切符が渡されるだけだ。

この切符を携えて、9時半頃の快速で飯田線の起点・豊橋へ向かう。

お目当ての10時43分発、飯田線・上諏訪行きに乗り換える。列車の先頭部は

Dscn0783_2業務用の荷物室になっている。全線を通して運転される列車だからだろう。私はこの列車で出馬(いずんま)まで行く。2時間近くかかる。

列車は来年春で置き換えが噂される119系で、窓の桟には削り書きがある。

Dscn0784119よく見ると「60.11.13」と日付が書いてある。昭和の日付に違いない。この列車は昭和58年製だから、誕生2年後に書かれた落書きになる。間もなく、落書きと共に鉄屑となるのも、寂しい話である。

発車して1時間ほどの本長篠で、交換のために13分停車する。のんびりしていていい。

Dscn0788緑の窓外を見ると、日頃の嫌気が失せてくる。

更に走って、この7月に赴いた三河槙原でも交換。相手の列車は

Dscn0790119国鉄カラーに戻された編成との混結だった。

撮影予定の出馬に着き、駅から20分ほど歩いてみるが、予定していた場所は樹木が茂って線路が見えず、使い物にならない。仕方なく引き返し、駅に近い辺りから俯瞰気味に集落と共に撮る。列車を待つうちに薄曇の空が、見る見る本曇りになってきた。

駅へ戻ったのが15時前。だが空が暗くて、既にホームの灯りが灯っている。

Dscn0795次の下り列車を待っていたら、少し雨粒がぱらついて来た。嫌な気分になる。

15時半の列車で更に奥の中部天竜へ向かう。ここも駅近くに撮影地がある。

中部天竜で駅舎を出たら、すぐ右に佐久間レールパークの跡地があった。

Dscn0796p勿論既に、展示車両は撤去され、早くも雑草が伸び始めていた。

幸い雨は降っていない。撮影地まで行って目的を達し、今日はもう暗いから、宿泊予定の飯田まで更に山間を分け入って行く。

19時頃に着いたが、山間の町は早くも多くの店が閉まりかけていて、寂しい表通りだった。

2日目(10月23日)

旅先の朝にしては珍しく、6時半頃起きる。7時08分の上り・豊橋行に乗らないと、今日の予定がガタガタになる。

その7時08分の列車で向かった先は、城西駅。駅から歩いて程ない場所に、比較的有名な「川を渡らない鉄橋」がある。

Dscn0801こんな感じの場所。元々はトンネルで短絡していたらしいが、度重なるトンネル崩落により、川の上を迂回させる形にしたため、こんな格好になったという。

列車の来る30分くらい前に、同業者が一人来られ、話しながら撮影する。

次の目的地は、これも知られているが、秘境駅の小和田である。

最近、秘境駅がブームになってしまい、秘境とは云えない状況が見受けられる。幸い、私の乗った列車からは年配の夫婦が一組降りただけで、その夫婦も直ぐにどこかへ散策に消えた。

この駅は中々興味のある所だったので、後日別掲としたい。ただ、駅の雰囲気だけお伝えしておくと

Dscn0808こんな様なところである。山間のひっそりした駅だ。

ここに2時間ほど滞留し、次の下り・飯田方面行で、鶯巣(うぐす)に至る。ここは、ネットで駅近くの撮影地を知った。駅から徒歩10分程度だろうか、直ぐに目的の場所へ辿り着く。

Dscn0826_2フェンスに覆われているが、人一人分だけ撮影ポジションがあるのだ。次の列車までは2時間近くあったので、朝の寝不足を解消すべく、「死体ごっこ」をする(道路端に寝転ぶこと)。どちらみち、車も殆ど通らない僻地なので、さかなが陸に寝転がっていても何ら問題はない。

やっと来た15時45分の列車を撮影し、駅へ戻り、早いけれども今日はこれで撤収することにする。16時34分の下りで戻っても、宿泊地の飯田には、暗くなった18時前にしか着けれない。

飯田へ戻って、パンなどを買いに駅前のスーパーへ入ったら、変なものがあったので思わず買い込む。

Dscn0831119系を模した箱入りの饅頭。普段旅先では滅多に土産物は買わないが、国鉄カラーの119系に惹かれてしまった(ご参考:飯田駅の近くに「鼎(かなえ)」という名の駅がある)。

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2010年10月19日 (火)

本当に危険なのは

[予告] 近い内に、飯田線の撮影に出掛けます。

でもって、その前に、7月に飯田線に出掛けた際に「ネタ用」として撮っておいたものをご披露する。いや、下らない話題だけど。

Dscn0411

三河槙原駅に貼られていた、線路横断禁止啓発のポスター。この絵の状況から考えるに、「子トラちゃん、ピンチ!」の場面である。良い子は線路に入っては、いけない。

だが、ポスターを見ている内に、私は気がついた。このポスターの中に、もっと危険な奴がいるのだ。ポスターの一部分を拡大してお目にかける。

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のうのうと線路に入って、平気なフリをしているカメムシ。電車があそこまで来ている状況から鑑みるに、最も危険であり先にお陀仏しそうなのは、このカメムシだと私は考える。

如何なものでしょうか?

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2010年10月17日 (日)

お絵かき「されてない」バス

以前、お絵かきバスのことを書いた。

多くのバス事業者で行われているのでは、と思うが、古いバス車両を一台ターゲットにして側面などを真っ白に塗り、出来上がったキャンバスに、子供たちに自由なお絵かきを楽しんでもらうという趣向だ。

「キャンバス」になった状態だと、のっぺりしていて変なので、普通は営業に供さずに、車庫で待機させて「お絵かきしてもらう日」を待つ。が、先日は、そのキャンバス状態のバスが営業に使われていた。

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この車、私の営業所のものではなく、N市のTさんの営業所のバスである。Tさんの車庫は所属車両が少なくて予備車両の余裕も少ないので、営業に使ったのだろうか。

まあ、珍しい姿ということで、ちょっとネタになって頂いた。今日は日曜日・昨日は土曜日と世間は連休だから、多分その内のどちらかの日で、この車へのお絵かきは実施されていることと思う。

N市のTさん、ネタをパクッて、済みません m(_ _)m

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2010年10月13日 (水)

昭和53年/名古屋駅

suzuran6さんのブログを拝見していたら、20系客車などの話題が出ていた。

そう云えば、いつかは記事にしようと思って、昔の写真を読み込んだまま使わずに保存してあるものがあったなぁと思い出し、今日はそれをご紹介しようと思う。

以前、昭和54年の名古屋駅をモノクロでご紹介したが、それより更に時代は遡って、昭和53年の9月の写真がメインである。

Img4561

この当時、自分の家から名古屋駅へ行って撮影できる上りのブルトレは、「みずほ」と「さくら」の2本だけだった。今はなき、名古屋駅0番線に止まっている「さくら」。時間は6時半頃だ。以前「名古屋の改札駅員は不親切」と書いたことがあるが、ホームにいる駅員は、この様に線路に降りても何も言わなかった。思えば、有難いことである。

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同じくホーム下からの「さくら」。水道管と繋がっているモップで、機関士さんが窓ガラスを洗っている。当時の「さくら」は名古屋で5分の停車がとってある。時間があるので呑気にお掃除などをしていたのだろう。平和な時代だった。

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「さくら」の発車シーン。これもホーム下ギリギリの場所から撮った記憶がある。この年の10月改正で、特急列車には絵入りのテールサインが使われるようになったが、撮影時にはまだ「文字だけ」の幕のようである。

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写りが悪いが、EF58 4による、荷物専用列車。この頃、EF58は前照灯のシールドビーム化が盛んに行われており、特にこの4号機は「改悪の典型」と雑誌で酷評されたことがあった。助士席側の窓も小型に改装されて、不恰好な姿である。時間から逆推すると、41列車のようだ。

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53年10月改正までは、名古屋~博多間の寝台特急「金星」の間合い使用で、「しらさぎ」が1往復だけ581系で運転されていた。ヘッドサインは既に絵入りのものに変えられている。
本来は正面に貫通扉付きのクハネ581であるが、写真のクハネ581-7は踏切事故での復旧の際に、非貫通化された珍しい車両である。

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やっと冒頭に書いた20系客車が出てきたが、この頃、名古屋では既に20系の定期運行はなかった。たまたま、回送列車として名古屋を通りかかったので、夢中でシャッターを押した。実物の20系を見たのはこの時が初めてだったと思う。この回送列車に、1両だけ側面行先板が入っていて

Img46220_2

こんなんだった。実際には絶対に有り得ぬ組み合わせだと思う。確か所属は品川と書いてあった記憶だが、今にして思えば東京の車両には、色々な行先板が準備されていたのだなあと思う。

Img44635

最後の一枚だけは、3月に撮影したもの。名古屋側の関西本線が電化されたのは1982年のことで、この頃はまだディーゼルカーや旧客が我が物顔で走っていた。一般型気動車の朱色塗装化も、こちらにはまだ波及しておらず、懐かしい塗装の写真が残っている。拡大して頂くとお判りだと思うが、行先は「奈良」だ。民営化で亀山が会社の境となった現在では、想像もつかない行先になっている。

30年以上の歳月が経ち、走る列車も行先も、随分変わった。駅の表情も大きく変わっている。長閑な時代を懐かしく思いながらの記事も、今回はここまでとしておこう。

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2010年10月10日 (日)

抄録・キハ32

また、四国がらみの話。四国へ行くとよくお世話になる車両で、キハ32ってのがある。

Dscn068432まずは「キハ32」と言っても、すっと外観が思い浮かばない方も多いかと思うので、上の写真をご覧頂くとして。

キハ32は、国鉄時代の最終末期に、四国の閑散線区の経営改善を目的に投入された車両だ。投入時期や目的はキハ54と似ている。
現存する21両全てが1987年に製造され、現在は高知と松山に集中配置されている。

車両の長さが16.3mと、かなり短くなっている。車内はオールロングシート。国鉄時代の製造だから車掌が乗務できるようにも作られているが、基本的な構造はワンマン運転を前提とした造りになっている。

更にこの車両で特徴的なのは、バス用の部品を多用していることだ。

Dscn070132

車両銘板の部分。富士重工製と新潟鉄工製があり、富士重工製は角型ヘッドライト、新潟鉄工製は丸型のヘッドライトになっている。どちらのメーカーも、軽快気動車やレールバスでは実績があり、そんな加減からこの形式の製造メーカーに選定されたのだろう。

さて、肝心な車内の写真を。

Dscn070032扉周り。「これはバスの写真だよ」と言われても違和感のないような形状になっている。扉を開閉する引き手の蛇腹は、完全にバスと同一だ。その他、黄線の上にある光電管や、光電管に反応して鳴るブザーも、バスと同じ部品が使われている。

Dscn485932_4最も面白いのは、ヒーターやクーラーも、バスと同一品が使われている点だ。クーラーの写真は撮らなかったが、ヒーターはご覧の通り、はっきりと「BUS HEATER」と書かれている(判り辛いので拡大してご覧下さい)。日本電装のマークも見える。

さいぜんも書いたように国鉄時代の製造なので、「レールバス」との表現は使われていないが、実質、レールバスと言っても変わりのないような、特徴的な車両だ。

因みに、キハ32同士やその他の国鉄型の車両とは、併結も可能になっている。色々な意味で、変り種の車両だと思う。

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2010年10月 5日 (火)

BAKA

先日の四国旅行の時の話。

豊永駅の付近で撮影を終えて、駅へ戻ってきた。駅は山間部にあり、色々な虫が無人の駅舎に張り付いている。

そんな中で、一匹だけが盛んに飛び回っていた。見ると「コメツキ」の類のようで、まあ、これは人を刺したり噛んだりはしないから、放っておけばいいやと思っていた。コメツキの幼虫は、稲や麦の根をかじる害虫だが、成虫が自分の周りを飛んでいる分には構わない。

ところが、ぶ~んと飛び回っているうちに、突然私の顔の前に奴が飛んできた。咄嗟の反射で、手で虫を撥ね退けた。すると、「ストン」というような音がして、コメツキの飛び回る姿がなくなった。

ん~? どうしたのかな、どこへ行ったかなとあちこち目を凝らしたら、こんなことになっていた。

Dscn0698baka

アルミサッシ窓の、窓と桟の間に、頭から突っ込んでしまって出れなくなり、もがいているのだ。「バカな奴……」と、思わず笑えて来た。

自分の乗る列車までには30分近くあったと思う。面白半分で見ていたが、遂に列車が来るまで、奴は頭を突っ込んだままもがいていた。

列車がやって来る音がしたのでホームへ出た。奴は「害虫」なので、勿論助けるようなことはせず、そのままにしておいた。奴の一生がどうなったのかは、私の知ったことではない。

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