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2010年10月13日 (水)

昭和53年/名古屋駅

suzuran6さんのブログを拝見していたら、20系客車などの話題が出ていた。

そう云えば、いつかは記事にしようと思って、昔の写真を読み込んだまま使わずに保存してあるものがあったなぁと思い出し、今日はそれをご紹介しようと思う。

以前、昭和54年の名古屋駅をモノクロでご紹介したが、それより更に時代は遡って、昭和53年の9月の写真がメインである。

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この当時、自分の家から名古屋駅へ行って撮影できる上りのブルトレは、「みずほ」と「さくら」の2本だけだった。今はなき、名古屋駅0番線に止まっている「さくら」。時間は6時半頃だ。以前「名古屋の改札駅員は不親切」と書いたことがあるが、ホームにいる駅員は、この様に線路に降りても何も言わなかった。思えば、有難いことである。

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同じくホーム下からの「さくら」。水道管と繋がっているモップで、機関士さんが窓ガラスを洗っている。当時の「さくら」は名古屋で5分の停車がとってある。時間があるので呑気にお掃除などをしていたのだろう。平和な時代だった。

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「さくら」の発車シーン。これもホーム下ギリギリの場所から撮った記憶がある。この年の10月改正で、特急列車には絵入りのテールサインが使われるようになったが、撮影時にはまだ「文字だけ」の幕のようである。

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写りが悪いが、EF58 4による、荷物専用列車。この頃、EF58は前照灯のシールドビーム化が盛んに行われており、特にこの4号機は「改悪の典型」と雑誌で酷評されたことがあった。助士席側の窓も小型に改装されて、不恰好な姿である。時間から逆推すると、41列車のようだ。

Img466583

53年10月改正までは、名古屋~博多間の寝台特急「金星」の間合い使用で、「しらさぎ」が1往復だけ581系で運転されていた。ヘッドサインは既に絵入りのものに変えられている。
本来は正面に貫通扉付きのクハネ581であるが、写真のクハネ581-7は踏切事故での復旧の際に、非貫通化された珍しい車両である。

Img46220

やっと冒頭に書いた20系客車が出てきたが、この頃、名古屋では既に20系の定期運行はなかった。たまたま、回送列車として名古屋を通りかかったので、夢中でシャッターを押した。実物の20系を見たのはこの時が初めてだったと思う。この回送列車に、1両だけ側面行先板が入っていて

Img46220_2

こんなんだった。実際には絶対に有り得ぬ組み合わせだと思う。確か所属は品川と書いてあった記憶だが、今にして思えば東京の車両には、色々な行先板が準備されていたのだなあと思う。

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最後の一枚だけは、3月に撮影したもの。名古屋側の関西本線が電化されたのは1982年のことで、この頃はまだディーゼルカーや旧客が我が物顔で走っていた。一般型気動車の朱色塗装化も、こちらにはまだ波及しておらず、懐かしい塗装の写真が残っている。拡大して頂くとお判りだと思うが、行先は「奈良」だ。民営化で亀山が会社の境となった現在では、想像もつかない行先になっている。

30年以上の歳月が経ち、走る列車も行先も、随分変わった。駅の表情も大きく変わっている。長閑な時代を懐かしく思いながらの記事も、今回はここまでとしておこう。

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国鉄・JR」カテゴリの記事

コメント

貴重な画像ありがとうございます。
名古屋駅にはバラエティーに富んだ車両たちが出入りしていて面白かったでしょうね。
国鉄時代の車両運用は凄かったですからね。

天ナラ、天イセの気動車はオンボロが多かった記憶があります。
関西線の名古屋側電化前に「はやたま」で天王寺から名古屋までのりました。
現在とは違って随分ローカルな気分でした。
近鉄にバンバン抜かれてのんびり走っていたのを思い出します。

投稿: N市のT | 2010年10月13日 (水) 20時38分

>N市のTさんへ
当時は、仰せのように色々な車両が出入りしていました。
東海道線の普通は、111系より165・153系の方が多かった記憶があります。きちんと記録しておかなかったのが悔やまれます。

関西線の普通列車は、何れも「オンボロ」の天王寺管内の車が多く出入りしていました。天カメの旧客も来ていた記憶があります。気動車では58系・20系・30系が混結で1時間に1本程度走っていましたね。
当時の関西線は完全にローカル線の地位に甘んじていました。
「はやたま」は一度乗っておきたかったですね~。

投稿: N市のTさんへ | 2010年10月13日 (水) 23時46分

コラボ‥?ありがとうございます。
まるで撮影会の様な「さくら」の風景、いいですね。
おそらく当時は「本当はダメだけど撮影させて貰っている」
と遠慮がちであり、その感覚が駅員さんにも伝わり、
言ってみれば「阿吽の呼吸で」ギリギリの線での撮影許可だったのでしょうね。
青森~大阪、日本海にも使われていたのですかね?

夜行寝台列車が壊滅直前ですが、本当に「不要」なのかJRさんもう一度考え直してほしいものですね。

投稿: suzuran6 | 2010年10月14日 (木) 06時35分

こんばんは。
いろいろ貴重で楽しい写真ですね。
解説を読みながらなるほどと思ってしまいました。
EF58は面白いですね~
左右非対称の窓ガラス、初めて見ました。
たしかに最悪の改造例かもしれませんね~
20系客車、やはりこのスタイルが一番かなあと改めて感じました。
同じ形で豪華車輌を新製してくれないかなあなんて思っちゃいますね(^^)

投稿: vanagon714 | 2010年10月14日 (木) 23時19分

東名急行が無くなって、名古屋はもう行かないだろう!と思ったのですが、581(583)好きだったのでそれとの乗り継ぎ駅となりました。学生時代の鉄道研究会時代でしたから、ちょうどこの頃です。たしか当時上り金星は博多を「みずほ」の数分後に後を追うように出たと思います。みずほで帰る先輩を見送って金星に乗り、名古屋から新幹線に乗って追い越して東京で迎える、なんて事をやったのを思い出しました。
それにしても撮影の為線路に降りられたのは驚きです!

投稿: すーさん | 2010年10月15日 (金) 03時37分

>suzuran6さんへ
20系が出てきただけなので、「プチプチコラボ」くらいでしょうか。
さておき、当時の線路へ降りての撮影、言われる通りだと思います。
昼間の明るい時間帯は、あんなことをおおっぴらにすれば叱られたでしょうが、早朝でお客も少なく、列車の本数も限られていたので大目に見ていてくれたのだと思います。
それにしてもあの20系は驚きでした。名古屋で白昼、堂々と見れるとは……という感じです。
現在残っている北斗星などの車両にも、「さくら」や「はやぶさ」などの行先が入っているようです。どこにでも転用可能なようにと云うことなのでしょう。

それにしてもここまで寝台列車が減らされるとは思いませんでしたね。現在残っている僅かな本数だけでも、維持して欲しいものです。

投稿: suzuran6さんへ | 2010年10月15日 (金) 16時45分

>vanagon714さんへ
こんにちは。
国鉄時代は、色々な車両に対して改造がありました。
蒸機時代にも、デフやヘッドライトなどの改悪例がありましたね。それと流れは一緒なのでしょう。
それにしても、EF58 4号機は無残な姿ですね。窓を目に例えるなら、ウィンクしかけで止めている感じです。

20系の姿は今見てもいいなと思いますね。カシオペアの車両と引けをとらないようなスタイルです。テールサインだけLEDに変えれば、現在でも通用しそうです(ちょっと無理ですかね)。

投稿: vanagon714さんへ | 2010年10月15日 (金) 16時53分

>すーさんへ
「金星」は比較的後まで残った列車でしたね。名古屋にはこれ1本しか来ていませんでしたが、新幹線との乗り継ぎ割り引きも使えるなど「特典」が多く、結構後々まで利用があったようです。
それにしても、学生時代のお話は「凄いなぁ」と思います。流石、鉄研、時刻表を極めておられますね。
名古屋駅でも線路に降りれたのは、suzuran6さんにも書きましたが、早朝で駅員も眼をつぶっていてくれたのだろうと思います。平和な時代でしたね。
名古屋駅は、手洗いがホーム端にあって、そのために簡単に線路へ降りられたとの事情もあります。

投稿: すーさんへ | 2010年10月15日 (金) 17時00分

こんばんは
道外に住んだことのない私にとってはすべてが鉄道雑誌などでしか見たことがない映像です。

EF65のブルトレ牽引機が500番台から1000番台になったのはこの頃だったでしょうか、貫通扉つきでED76 500番台に似ているので色は違えど親近感を感じた機関車でした。

投稿: kattsu-mqc | 2010年10月15日 (金) 22時59分

金星が名古屋到着時は「みずほ」はまだ停車中でした。その後モーニングをゆっくりいただき0系こだまに乗ったら静岡手前あたりで「みずほ」をぶっちぎりました。新幹線の威力を思い知らされたのですが、今はもっともっと速いんですから驚きです。こう書くと贅沢学生のようですが、行きは東名、名神の国鉄バス乗り継ぎ、大阪から14系の急行です。この頃いろいろありましたね。20系ですがEF58が引く20系が好きでした。美しかったな~!脳裏に焼き付いています。お陰様で忘れかけていたものを思い出しました。

投稿: すーさん | 2010年10月16日 (土) 10時39分

>kattsu-mqcさんへ
こんばんは。コメント有難うございます。
私も初渡道は18歳の時ですので、逆に北海道は雑誌でしか知らない世界でした。お互い様ですね。

ブルトレ牽引機ですが、この写真の1年位前(昭和52年10月頃)に500番代から1000番代に変わったように記憶しています。
個人的に、貫通扉付きの1000番代の方が、カッコよく思えて好きでした。

投稿: kattsu-mqcさんへ | 2010年10月16日 (土) 22時02分

>すーさんへ
私の記憶でも、「金星」と「みずほ」の名古屋到着は時間的にダブっていたように思います。「みずほ」は0番線へ、「金星」が10番線辺りへ到着していたような覚えです。
学生時代は皆さん、お互い様で、最速・最安の手段を考えていたのではと思います。時刻表も毎月買える訳ではないので、ページがバラバラになりそうになるまで読んだものです。国鉄時代は色々な手段がありましたから、その人なりの「ベスト」があったと思います (^ ^)
昭和58年頃の急行「銀河」が、EF58+20系だったような記憶です。大阪で写真を撮ったような気がしますので探してみますね。

投稿: すーさんへ | 2010年10月16日 (土) 22時14分

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