« 秋季飯田線撮影旅行(1・2日目) | トップページ | およっ……? »

2010年10月25日 (月)

秋季飯田線撮影旅行(3・4日目)

3日目(10月24日)

今日も早起きする。6時50分の下り電車に乗る。

50分ほど乗った飯島で降り、「徒歩15分程度」と撮影地ガイドにある撮影地へ向かう。バックに南アルプスの山並みが見える鉄橋だそうな。

ところが、幾ら探しても撮影地は見つからない。ガイドには簡単なことしか書いてなく、その通りに歩いても、鉄橋を写し込める場所に辿り着かないのだ。1時間以上ウロウロしたが、サッパリ判らずに退散するしかなかった。自分が見た感じでは、線路を歩いた挙句、私有地(民家の裏庭)を抜けるとそれらしい場所に着きそうだが、線路にも私有地にも立ち入る訳にはいかない。

仕方ないので、飯島へ来た証だけ載せておこう。

Dscn0833_2早起きは、3文の損らしい。

気を取り直して、9時半頃の列車で、更に下りへ向かう。但し今度は一駅だけの田切で降りる。ここは、判っている撮影地がある。以前飯田線に乗ったときに、確かめてあるのだ。

駅からここも徒歩15分くらいかな。バックにちゃんと南アルプスが見える。でも、今日は曇天で、山もぼんやりと見えるだけだ。撮影場所の足元に

Dscn0835ワレモコウが咲いている。高原の植物で、気の慰みになる。

田切駅へ戻って、小休止。と言うか、列車が暫くないのだ。駅そのものも

Dscn0837何ともシンプルな造りで、絵の作りようがない。

昼過ぎの列車で戻りにかかる。今度は、七久保駅辺りが目当てである。

撮影ガイドに書かれていた場所とは違うかも知れないけれど、適当に歩いていたら、適度にいい景色を見つけたので、そこで撮影に及ぶ。線路の向こうにコスモス畑が見えるが、

Dscn0839向こうからだと電柱やケーブルが邪魔になって、絵にならない。ここに居座るしかない。

居座るうちに、雲間から霧雨が降りだした。今日の予報は「曇りのち雨」なので止むを得ないようだ。

少し濡れながら電車を待ち、撮影を終えて駅へ戻る。適当に歩いてきたので、道順を忘れていたが、どうやら無事戻れた。幸い、雨が止んだ。

この後、伊那田島でも撮影して、雨が本降りになってきたので、16時半の列車で宿泊地の飯田へ帰った。この雨は翌日も続くらしいので、翌日の予定は少し変更しようかなと思う。

4日目(10月25日)

予定を変更したので、大いに朝寝坊。9時にやっと布団に見切りをつける。9時45分の下りに乗ろうと思うので、この時間で十分なのだ。

さて、駅へ向かって、下り列車のホームを見ると、嬉しいことに

Dscn0843119

1日目から振られっ放しだった国鉄色119系が、目の前に鎮座している。車内へ入ってしまえば他の車両と同じだが、これに出会えただけでも嬉しい。119系は全部で何編成あるか知らないが、この色は1編成(2両)しか存在しないのだ。

水色の列車に揺られて定刻に発車。心配していた雨も降っていない。1時間余り乗った大田切まで、車窓を楽しむ。

所々の駅で「ホームがカーブしていますので、車両中央(又は両端)のドアからお降り下さい」とのアナウンスが入る。私が降りた大田切でも「中央から……」のアナが入る。降りて見てみたら

Dscn0846_2確かに言われたことが判るような状況ではあった。旧私鉄を買収した路線だから、国鉄とは何かと規格が違うのだろう。

さて、ここでは駅のすぐ近くに鉄橋があり、そこがターゲットである。行ってみると

Dscn0847

うーん……微妙に背後の山が雲に隠れちゃってるなぁ……。駒ケ岳だと思うのだが、はっきり言ってこの背景の山がお目当てで降りたのだ。見えなければ意味がない。

まあ、悪運強き私のことゆえ、撮影結果がどうなったかはお察し下され。途中からは止んでいたはずの雨も降り出して、最後はびしょ濡れになった。

14時前の列車で退散する。これからは飯田線の終点・辰野へ至り、中央線の旧線経由で塩尻へ出る。

辰野と塩尻の間の旧線を結ぶローカル電車には、クモハ123と云う単行電車が充当されている。

Dscn08511231

何度か乗ったことはあるが、改めて銘板を見てみると

Dscn0853

随分輝かしい過去をお持ちのようで。何しろ、製造されたのは近畿車輛にて昭和53年と、それだけは確かだ。当初はクモニ143として製造されている(←聞きかじりの知識)。

乗る時間は20分程度と短いけれど、何度乗っても魅力的な電車である。

さて、塩尻からは特急「しなの」で一気に帰ることになっている。「しなの」は指定券も持っているから、この下らぬ旅行記もここで終わることにしようと思う。ただ、これだけでは締まりがないので、旅行に使った切符の使用後の姿だけ、載せておくことにしよう。

Img586

|

« 秋季飯田線撮影旅行(1・2日目) | トップページ | およっ……? »

旅日記」カテゴリの記事

コメント

こんばんは 撮影旅行お疲れ様でした。
飯田線と聞いてもどんな列車が走っているかも思い浮かばないのですが、かなり前の話になりますが旧型電車が現役で頑張っていた線だという記憶がある程度です。

クモハ123初めて見ましたが種車が荷物電車とは驚きでした。

投稿: kattsu-mqc | 2010年10月25日 (月) 23時13分

お疲れさまでした。
しまった~!!塩尻の蕎麦屋さんを伝えておくのを忘れていました。

クモニは見ていると楽しくなる車両ですね。
写真の出来上がりをお待ちしております。

投稿: suzuran6 | 2010年10月26日 (火) 05時33分

お疲れ様でしたscissors

119の国鉄色は青が綺麗でいいですね~。
なくなる前に撮影しておきたいです。

クモハ123は面白い車両ですね。
宇部線にもいましたね。

投稿: N市のT | 2010年10月26日 (火) 21時06分

こんばんは。
飯田線出撃お疲れ様でした。
国鉄色の水色綺麗ですね~
クモハ123、私も以前撮影したことがあります。
86年頃甲府で撮影しました。

カーブしたホームは隙間が大きくて危険ですよね。
うっかりすると転落しそうで怖いですね。
写真の場合中央の扉しか開かないようにすればと思いますが・・・

投稿: vanagon714 | 2010年10月26日 (火) 23時36分

>kattsu-mqcさんへ
こんばんは。お蔭様でのんびり楽しんで参りました。
後日、撮影結果の記事をアップしますが、119系と云う飯田線専用の車両がありまして、それが現在は幅を利かせています。
仰せのように遅くまで、旧型国電が活躍しました。昭和58年(1983年)6月一杯で現在の車両に置き換わっています。愚記事ですが
http://uozumian.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-d7c8.html
旧型国電時代のネタです。宜しければご覧下さい。

一般的な流れから言って「旅客車」→「荷物車」の改造例は多いのですが、逆は珍しい例ですよね。国鉄の荷物事業撤退の申し子でしょう。

投稿: kattsu-mqcさんへ | 2010年10月27日 (水) 21時57分

>suzuran6さんへ
>塩尻の蕎麦屋さん
とは、駅の蕎麦屋さんでしょうか? もしそれでしたら、私のお気に入りです。今回は我慢しましたが、塩尻で乗換えがあると、よく利用します。
クモニ改造車は、1両きり(改造工場によって、ボディの形状が異なっています)の珍品です。塩尻~辰野を走るのは「1番車」です。機会があったら、会いに行ってやって下さい。

投稿: suzuran6さんへ | 2010年10月27日 (水) 22時05分

>N市のTさんへ
白ベースの119系の中にあって、国鉄色はよく目立ちます。元々は沿線の天竜川の流れを表現した色だと聞きました。いつの季節にも映えるカラーなので、いつ行かれてもgoodだと思います。empty←こんな色ですね。
クモハ123はsuzuran6さんにも書きましたが、改造工場によってボディ形状がまちまちです。「形式」は同じでも窓配置などは車両ごとに異なって、バラエティがあります。カラーも車両によって異なっていて、面白いですよね。

投稿: N市のTさんへ | 2010年10月27日 (水) 22時15分

>vanagon714さんへ
こんばんは。
119系の国鉄カラーは私も結構お気に入りでした。民営化後に現塗装となってしまいまして、1編成だけでも復活してくれて嬉しく思っています。
甲府で見られたクモハ123は、身延線用ですね。86年当時ですと、濃いローズ色に白のラインだったと思います。投入線区によって色々なカラーがあります。

車掌のアナウンスが頻繁にあるので、私も扉とホームの関係を観察してみましたが、確かにあの隙間だと小さな子供などには危ないですね。ワンマン化に合わせて「押しボタン式半自動扉」に改造された車両もあります。その改造の際に、仰せのような改造もプラスすると良かったのにな、と思います。
新しい車両に置き換わる時、その機能がつくのでしょうか? ちょっと興味があります。

投稿: vanagon714さんへ | 2010年10月27日 (水) 22時43分

おさかなさん ご教示ありがとうございました
思ったよりも遅い時期まで旧型国電が現役だったことに驚いております。

クモハ123の「荷物車」から「旅客車」改造も興味深いです。単行運転可能な両運転台だったのが大変身できた要因でしょうか。

投稿: kattsu-mqc | 2010年11月 1日 (月) 23時16分

>kattsu-mqcさんへ
国鉄時代は向こうの懐も制限されていたので、古い電車でも遅い時期まで酷使されたようです。鶴見線や小野田線本山支線のような短い距離のものは別として、飯田線や身延線では(結果的に)国鉄末期まで使われることになったようですね。

荷物車は「1M方式」の車両になりますから、それをうまく旅客車に活用したということなのでしょう。クモハ123の仲間には、クモヤの改造車も存在したようです。

投稿: kattsu-mqcさんへ | 2010年11月 2日 (火) 00時24分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1088631/37373931

この記事へのトラックバック一覧です: 秋季飯田線撮影旅行(3・4日目):

« 秋季飯田線撮影旅行(1・2日目) | トップページ | およっ……? »