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2010年9月 1日 (水)

名鉄谷汲線跡探訪記

残暑厳しき昨日、名鉄谷汲線の廃線跡を探訪してきた。

そもそもが「名鉄谷汲線って、どこ?」とお尋ねを受けそうなので、最初に時刻表巻頭地図の写しをご覧頂こうと思う。版元は「交通公社の時刻表・1986年11月号」である。

Img568

名古屋から北西方面へ40キロ余り、地図に赤線で囲んだのが、名鉄谷汲線である。北海道での地理で言えば、小樽辺りに住む方が、定山渓鉄道を懐かしむのと似ているだろうか。
谷汲線は平成13年(2001年)9月一杯で廃線になっているので、廃止から9年が経つことになる。

この谷汲線を好んだのは、私の鉄道趣味の原点となる車両が最後まで活躍していたからだ。私は幼少時、名古屋市M山区の瀬戸線沿線に住んでいたが、当時瀬戸線で走っていた電車たちが、晩年はこの谷汲線で余生を送った。
懐かしさの余り、谷汲線には何度か足を運んだものだが、廃線になってからはふっつりと訪れていなかった。

定点比較写真を中心に、ご紹介していこうと思う。

Img5701

終点の谷汲駅に停まる、750型電車。現在は、地元有志の方の手により、同型車が駅跡にそのまま残されている。

Dscn05851
パンタグラフさえ見比べなければ、現役時代と殆ど区別はつかない。

同駅改札口付近から、ホームを覗いた写真もあった。

Img5744
これも現在と比較してみると、

Dscn05804
お客様と架線の有無くらいしか、判別点はないかと思う。展示場所は屋根で覆われ、かなりいい状態で保存されているようだ。

駅から少し離れた踏切付近より。

Img5722
少し撮影位置は異なるが、

Dscn05862
こんな感じだろうか。これだけ離れると、架線や架線柱の有無が目に付くかも知れない。また現在では、私が谷汲線を訪れるようになって以来使われることの無かった右側線(2番線)にも、晩年に使われた500型車両が留置されている。
それと、背景の建物に、今は「昆虫館」の文字が見える。

そうそう、行先を示す前頭板だけれど、末期は作業を省くために

Img571
こんな相互式のものが使われていたが、現在の保存車両では

Dscn0593
往年の単独表示のものに、はめ替えられている。剥製のような保存車両には一抹の寂しさも覚えるが、いい行先板だなと思う。

谷汲駅のカットはこの程度として、2つ岐阜寄りの長瀬駅での写真がある。

Img569

先程、谷汲駅の2番線に停められていた、細面の500型電車だ。この写真の当時は、スカーレットの単色になってしまっている。線路などの設備が残されているのは、終点の谷汲付近だけなので

Dscn0609
現在は単なる草地になってしまっている。ここに駅があったと言っても、知らぬ人には信じて頂けないかも知れない。

敢えて言うと、この写真の後方には

Dscn0607

バラストが残っていた。でも9年もの間に、バラスト跡にも野の花が当たり前に咲くようになっている。胸が少し痛む。

終点近辺だけを再見してきたに過ぎないが、久し振りの訪問は懐かしかった。

カンカン照りの中を歩くのは当然暑い。でも、夏の終わりの一日に、いい想い出ができた。

Dscn0634

(ご参考)現役時代の写真:長瀬駅……1982年4月撮影
                谷汲駅……2000年9月撮影

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コメント

本巣・北方あたりまでは出張でよく行っていたのですが、後からこのあたりの「赤い電車」達に興味を持って残念な思いをしました。

投稿: suzuran6 | 2010年9月 2日 (木) 08時36分

こんばんは。
名鉄さんは古い車両を大切に使う印象が強いです。
写真の保存車両も大切にされているようでいつでも動き出しそうな
感じですね。
明治村で走らせてあげたいですね・・・

投稿: vanagon714 | 2010年9月 2日 (木) 22時36分

>suzuran6さんへ
本巣や北方だと、岐阜駅からバスがメインだったようですね。大垣まで行って樽見鉄道(旧・国鉄樽見線)に乗り継ぐ方も少なかったでしょうし……。
味のある、昭和のレトロ電車でした。本当にいい電車でしたよ。

投稿: suzuran6さんへ | 2010年9月 2日 (木) 23時34分

>vanagon714さんへ
こんばんは。
仰せのように、名鉄には古い車両が多く在籍していますね。
初代パノラマカーの引退も、まだ、日の浅い出来事ですし……。
路面電車以外で、名鉄のお古を使っている地方私鉄は現在ないと記憶しています。自社内で使い倒してしまうのでしょうね。
保存車両は屋根をかけて、本当に大切にされている様子でした。確か「昭和」生まれの車両なので、「明治」村で走らせるのには、多少難があるのかと…… (^ ^;;;

投稿: vanagon714さんへ | 2010年9月 2日 (木) 23時43分

早いもので廃止になってもう9年も経つのですね。
山間を赤い電車がトコトコのんびり走っていたのを思い出します。
M鉄はこの近辺のローカル線を全部廃止にしてしまったので淋しくなりました。
谷汲山に行って★しながらのんびりするには丁度良かったのですが、残念です。

投稿: N市のT | 2010年9月 3日 (金) 11時34分

>N市のTさんへ
私も「そう云えば何年か行っていないなあ」と思って調べたら、そんな時間が経っていました。あのお古の電車が走っていた頃は、年に一度、秋くらいに乗りに出掛けていたのですが、廃止になってから全くご無沙汰でした。
M鉄さんは、ローカル線を皆なくしてしまいましたね。味気ない銀色電車が走る幹線ばかりになって、面白味が薄れました。
私は往路は谷汲線で出掛け、谷汲で★した後、帰りは長瀬で降りて少し歩いて樽見鉄道の谷汲口へ至り、そこから帰るのが定番ルートでした。今は谷汲口から、揖斐川町の委託バス(近鉄バス)が谷汲まで走っています。

投稿: N市のTさんへ | 2010年9月 3日 (金) 22時55分

おはようございます。
いつもTさんやvanagonさんのところで拝見しております。
M鉄はローカル線が何本かなくなりましたがこんなに田舎(たいへん失礼な言い方ですが)を走っていたとは思いませんでした。長瀬駅なんて駅ではなく停留所ですねー。でも電車のかげに昔のホームっぽいのが見えますから以前は2面2線だったのでしょうか?でもM鉄では無理にしろ、別会社で生きる方法なかったのでしょうかねー。せっかくある施設が一度剥がしたらもうもとに戻る可能性0に近いですからねー・・・・。

投稿: すーさん | 2010年9月 6日 (月) 09時35分

>すーさんへ
こんばんは。
こちらでは「お初」です。コメント頂き有難うございます。私もvanagonさんやTさんへのコメントをいつも拝読しておりました。
さて、M鉄ですが、中京地区での私鉄はほぼ独擅場状態となっている会社ですので、関東圏・関西圏とは事情が大いに異なります。結構ローカルな所まで線を張り巡らせておりました。
今回記事にした谷汲線も、その一つでした。本当に、長瀬は停留所と一緒ですよね。仰せのように、以前は交換も出来たような痕跡がありました。
一度剥がした線路は、元に戻らないですよね。地元も当初はかなりの反発があったらしいのですが、一部で並走する樽見鉄道などの存在もあり、結局は強引に線路を剥がされてしまったようです。
何より「利用者減に歯止めがかからない」実態を、M鉄が具体的に地元に提示したそうです。
昨今は「地方私鉄受難の時代」ですね……。

投稿: すーさんへ | 2010年9月 6日 (月) 19時46分

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