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2010年8月

2010年8月30日 (月)

“山線華やかなりし頃”~僅かな記録と遺物から

札幌から小樽・倶知安経由で長万部へと結ぶ通称「山線」。

この線の話が、vanagon714さんとN市のTさんのブログで紹介されていたので、年代はぐっと遅れるが、私が1982年3月の初渡道時に記録した、僅かな山線の写真などをご紹介しようと思う。ご両者へのチョイコラボと云うことで。

大体この旅行は、高校卒業を祝して、岩内に実家のある同級生らと3人の旅行だった。同級生の岩内の実家をベースキャンプにしようとの魂胆である。スキーも出来るし、連絡船や道内の列車にも乗れるからと、進んでついていくことにした。
然し、私が出発前日に39度の熱を出す風邪を引いてしまい、往路は友人らと別行動になった。旅程に関しては、時刻表マニアの私に任せておけばいいと思っていた友人2人は、大混乱に陥ってしまったそうである。

本来なら函館から「急行・せたな」に乗り、長万部から普通列車を乗り継いで岩内へ至る予定だったが、私だけは2日遅れで函館から「急行・ニセコ」で、小沢まで向かった。小沢には件の友人に迎えに来てもらい、ニセコバスで岩内入りしている。

その際に小沢駅で買った入場券が、今も手元に残っている。

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あの当時は、小沢駅も有人駅だったのだなあと今更ながらに思う。

9泊10日の旅行中、友人らとの団体行動が主体だったので殆ど「鉄活動」はできなかったが、ある日「今日は何をしようか……」と友人の口から言葉が漏れた時に、すかさず「1日だけ、一人で胆振線に乗りに行かせて欲しい」と頼んで、呆気なく承諾された。

岩内線から小沢で“山線”に乗換え、胆振線起点の倶知安へと向かう。乗車したのは僅か1駅だが、この時乗った122列車は、旭川発函館行きの長距離鈍行だったのだ。幸い、倶知安でスハフ32目当てに撮った写真が、1枚だけ残っている。

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DD51を先頭に、荷物車2両・旅客車3両と云う編成のようだ。この頃は山線にも、荷物車を連結する需要があったのだろう。

旅行からの帰り道、小沢から函館は、また「急行・ニセコ」で戻ることになっていた。そのニセコ号の入線を、小沢で写したものがある。

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DD51の重連、後に郵便車を一両挟んで、客車は14系である。当時の時刻表を見てみると(交通公社の時刻表・1982年3月号より)

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こんな編成だったようだ。写真は上り列車になるので、△印の荷物車は残念ながら連結されていない。それでも機関車を含めると、10両の長大編成である。

私の好きな「方向幕だけの写真」。

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「急行」「小樽経由/函館」。こんな写真でも、撮っておいて良かったと思う。

14系は元々特急仕様車であるが、もう、当時はあちこちで急行列車にも使われていたようだ。特に、道内用は折戸を引戸に改造してあることから、500番台を名乗っていた。引戸の14系が珍しいからと、長万部でニセコが長時間停車の間に、客車の側面を撮ったものもあった。

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まだ当時は、私の背後には長万部の機関区が堂々と広がっていた。残念だが、それは写していない(悔涙)。

当時、山線を通して走る急行は「ニセコ」が1往復、特急は「北海」が2往復で、うち1往復は当時新鋭の183系気動車によるものだった。まだまだ山線にも、力が注がれていた時代だったと思う。

N市のTさんのブログコメントでは、『「行商指定車」なんてサボの車両も連結されていた』旨が書かれている。1982年が初渡道では、行商指定車の実物は見ていないが、サボだけは魚澄庵コレクションに存在する。

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いつもの某マツトレインで仕入れたものだ。使用痕や錆などから、レプリカではないだろう。

持ちは○小、つまり小樽となっている。これを譲って頂く時に聞いた話では、昭和40年代に、131レ(仁木4時55分発、滝川8時35分着/時刻は1974年1月時)に増結された車両のサボとのこと。山線全盛時代の、生き証人である。

名古屋生まれで名古屋育ちの私だが、自宅を漁ると、この程度のものなら出てくるようである。

***

追記:話の行きがかりを考えると、元々はvanagon714さんの記事に端を発するようです。加筆訂正しますと共に、vanagon714さんには失礼がありましたことを心よりお詫び申し上げます。

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2010年8月26日 (木)

常磐線・岩間駅の跨線橋レポート

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先日の常磐線旅行記で、「後日別掲とする」とお約束した岩間駅の跨線橋について、私なりの観点でレポートを書きたいと思う。ただ、建築工学については全く素人なので、「見たまま」のご報告であることをご了承頂きたい。

上の写真でも写っているが、跨線橋を支える支柱部分の下に、この駅では何も設備がない。物置などのスペースに利用されている駅が多い中、支柱のレールが剥き出しになっている。その支柱部分から見てみようと思う。

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支柱は連結金具を除けば、全てレールから作られている。実に巧みに組み合わせて作られているのが、素人目にも見て取れる。

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この様に支柱部分を真正面から見てみると、実に丹念に作られた造形美を感じる。シンメトリーと云うのか、綺麗に左右対称に作られている。跨線橋と云う用途よりも、アートとして捉えても遜色のない造りだと思わせる。

支柱は部分的に、2本のレールを組み合わせて作られている。その部分のアップ。

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面白いなと思ったのは、異なる規格のレールを組み合わせて支柱にしている点だ。この写真なら、明らかに右側のレールの方が、高規格のものになっている。左のレールはアーチ型に曲げられて左側への橋脚へと繋がっている。規格の低いものの方が、加工がし易かったのだろうか。

因みにこれもレールの部分的なアップだけれど

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何度も塗り直されているのがお判り頂けるかと思う。少なくとも“先代”は、深い灰緑色だったようだ。この、度重なる塗り直しにより、レールの製造年などの刻印文字は、全て判読不可能となっていた。

さて、跨線橋の中へ入ってみるとしよう。

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入ろうとして気付いたのだが、2番線側では、跨線橋に中継信号が取り付けられている。岩間駅自体が緩いカーブの途中に設けられているので、こうした処置が為されているらしい。

階段は、以前ご報告した北海道の上川駅とは違って、コンクリート造りだ。流石に関東近郊の駅では、木造の階段では使用に耐えられないものとみえる。

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跨線部分も、天井の梁はレールを組み合わせて作られている(後で気付いたが、中央の梁だけは木造のようだ)。切っては繋ぎ合わせての造作と思われる。「廃物利用」との観点では合理的かも知れないけれど、工作物として見た場合、かなり手間を取っているように感じられる。

折角の造形物だが、天井を見ながら歩いていたら……

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一部はトリさんの巣になっていた。主は多分、スズメだろう。出入り自由のオープンな構造だから、ある程度のことは止むを得ないのかも知れぬ。

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階段を降りようとして気付いたのだが、階段部分だけは天井の梁が全て木造だった。側面の桟は何らかの鉄材で出来ているから、ここは「異質の存在」のように思われた。

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1番線側から、改めて跨線橋を眺めてみる。階段部分の途中に丸に囲われたイラストがあるが、この駅の属する旧岩間町(現在は笠間市に統合されている)の花、スズランが描かれている。付近に位置する難台山の麓に、スズランの群生地があるのだそうだ。

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素人目にも、大変見応えのある跨線橋。橋上駅化の計画もあるとの事で、駅員さんに尋ねてみたが「詳しくはまだ聞かされていない。付近の関連道路の工事が始まっているので、2年ぐらいを目途に工事に入るのではないか」とのご回答であった。

何れにせよ、近い将来、取り壊されることに間違いはなさそうである。

甚だ頼りない記事ではあるが、私の「見たままご報告記」はこの程度にしようと思う。

最後になってしまったが、この駅跨線橋を観察するきっかけを作ってくださったvanagon714さんには、心より御礼申し上げる次第である。

***

追記:vanagon714さんのご指摘により、階段をかさ上げしていると思われる部分が1番線の写真にもあったため、補足としてもう一枚画像を追加します。足元は判り難いですが、1番線側でも屋根がない部分に階段が存在しています。

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2010年8月24日 (火)

常磐線水戸近辺撮影結果ご報告

今回の撮影旅行は、関東鉄道などを織り交ぜたので、ちょっと中途半端になってしまった。

また、私本人が暑さから逃げたい気持ちがあり、何か「撮って来た」と云うよりは「撮らされて来た」様な写真が多い。本人も納得していないのだから、ご覧頂く方々には、尚一層、中途半端さが感じられると思う。

と云った覚悟で、ご覧下さいまし。

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209系が留置されていた高萩駅を、外から撮った。たまたま501系電車が入線してきて、いい対比になったと思う。ご覧のように501系は209系と殆ど外観は同じで、209系の「交直流バージョン」のような位置付けだと思う。かたや役目を終えて留置中、一方は現役バリバリで活躍中、傍目には酷にさえ見えた。

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現場仕事が好きな性分なので、工事のおっちゃんを見ると何とか撮影ネタにしようと考える。十王駅のホームから、出線する411系(1500番台)と絡めて、パチリと。

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これも、十王駅のホームから。走っている貨物列車は、今年の4月に信越本線(横川支線)で撮り損ねた通称「安中貨物」。亜鉛鉱石などを運ぶ専用貨で、常磐線の泉駅が、実質上の始発駅になっている。撮っただけの写真だが、今時、専貨も珍しいので、敢えてアップしておくことにする。

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十王駅からほんの2分程度高萩寄りへ歩くと、十王川の橋梁がある。橋梁に沿って道路橋もあり、それがコンクリートのいい雰囲気の橋なので、撮っておいた。撮ってしまえばこれだけの写真だが、道路橋は地元民の生活道路なので、人にかぶられることが多く、中々「空」の状態の写真は撮れなかった。

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怪しげなラ○ホテルを背に撮った写真。ここも撮ってしまえば何のことはない、これだけの場所だ。これだけの写真を撮るために、ラ○ホテルの脇に1時間以上いたのだから、私と云う人間も十分に怪しい。小木津~十王にて。

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もうちょっと明度を上げた方が良かったかも知れない。夕空が強調したくて、そのまま載せてしまうけれど(ゴミが入っているのは、ご堪忍下され)。2日目の〆に、東海駅から徒歩10分程度の場所から撮った。電車の背景に写っている奇妙な形の建物は、ラ○ホテ東海村総合体育館だそうだ。佐和~東海にて。

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佐和駅まで行ったものの、付近では大した景色にはありつけなかった。仕方ないので、上野口の代表選手となった531系電車を、畑地で流れ撮りしてみた。都会派電車でも畑地を前景にすると、意外とのんびりした乗り物に見えるような気がするのだが。勝田~佐和にて。

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どちらも那珂川橋梁での写真。上の写真の方が、那珂川の広々とした雰囲気を感じ取って頂けるように思うが、下のような「寸詰まり」的な写真だと画面に迫力が出る。丙丁(甲乙とは言えない)つけ難いので、両方ともアップすることにした。お好みに応じて、ご覧頂ければと思う。水戸~勝田にて。

初めに書いた通り、自分でもワクワクするような写真が撮れなかった。手抜きはイカンなあと、つくづく思い知った次第である。

ご高覧有難うございました。

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2010年8月21日 (土)

常磐線+関東鉄道(2・3日目)

2日目(8月20日)

関東鉄道は初日だけ。あとは常磐線の撮影になる。

朝は予定より少し遅れたが、9時03分の下りで高萩まで行ってみる。今回の撮影予定は、常磐線の水戸~高萩なのである。

高萩へ着くと、交流区間にはそぐわない車両が留置線に……。

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間違いなく、京浜東北線で使われていた209系である。6両編成にされたものが4編成、留置されている。更に観察してみると、編成は1・2・3・7・8・10号車で組成されている。6ドアのサハは見当たらない。何にせよ廃車のための疎開留置だろうが、どうしてこう云う編成になっているのか、素人には判らぬ。

駅から少し離れた場所からも、撮影しておいた。

11時02分の上り電車で、一駅戻った十王で降りる。ここでは駅撮りをした後、駅付近の別の撮影場所にも行ってみる。

駅舎を出ると、妙な鉄塔(?)が目につく。

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近づいて見てみると、

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かなり古い代物のようだ。駅正面へ回ると、やっと説明板があった。

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川尻駅とは、平成16年3月までの十王駅の旧駅名。その「川尻駅」当時の遺物ということのようだ。

のんびり撮っていたので、既に昼を回っている。再び上りに乗り、また一駅の小木津で降りる。撮影予定地まで、徒歩15分程度だろうか。

辿り着いた撮影地の背後には、何やら怪しげな建物が建っている。

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これを背に三脚を構えるおっさんは、地元民から更に、怪しげに思われたであろう。然も列車の都合で、ここに1時間以上いたから、自分ながらに弁解が苦しい (^ ^;;;

警察に通報される前に、駅へ戻る。薄曇だが、それでも結構汗ばんだ。

この後、日立駅と東海駅でも降りて、駅近辺を撮る。「東海」とは、原子力発電所で有名なあの「東海」である。あれこれ撮るうちに夕暮れて来て、本日の予定は終了。

先月の飯田線撮影に比べたら、暑さは比の程ではないと思っていたが、夕食ではビール2杯があっという間に消費された。殊勝なものである。

3日目(8月21日)

朝は前日と同じ9時03分の下りで、佐和駅まで。少し撮った後、水戸へ戻って

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この様な乗り物に乗る(写真は別の行先のもの)。茨城交通のバスである。水戸駅と勝田駅の間の那珂川橋梁を撮りに行くのだが、「若宮団地」へのバスに乗ると橋梁まですぐだと、撮影地ガイドで教わった。

今回の撮影地ガイドはちゃんと当たっていて、当のバス停から5分も歩かぬうちに那珂川の築堤に着いた。

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列車の走っている写真は、後日までお待ち下され。今日もそれ程のカンカン照りではなく、川面の風が心地よかった。

1時間ほどで辞して、バスで水戸駅へ戻る。

本来ならこれで一路帰還と相成るが、今日はちょっと途中下車をする。今年の5月だったか、vanagon714さんのブログで、水戸から4つ上野寄りの「岩間駅」の跨線橋が古くて面白い、と教えて頂いてあるので、それを探索しようと思ったのだ。

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往路でも確かめておいたから、間違いない。幾つか興味深い点もあるので、この跨線橋については後日別記としたいと思う。

1時間観察して、たっぷり汗をかいてから、今度こそ帰路へ向かうとする。常磐線・京浜東北線・新幹線経由で、すんなり帰る。

17時10分発の「のぞみ」に乗り、10分もすると柔らかな西日が射し込んで来る。8月も下旬になり、日の入りが早くなったなと思った。

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2010年8月19日 (木)

常磐線+関東鉄道(1日目)

1日目(8月19日)

常磐線の水戸辺りを撮ろうと、やって来た。ただ撮るだけでもワンパターンだなと思い、往路では関東鉄道に乗ってみようと考えた。私鉄のことは余り詳しくないから、乗ってみるだけでも乗ってみようと思ったのだ。

新幹線-東北本線と乗り継いで、小山まで来る。ここから水戸線に乗り継ぐと、関東鉄道常総線との接続駅・下館に行き着ける。常総線はここからJR常磐線の取手との間を結んでいるのだ。

予定通りの乗り継ぎで、下館へは13時59分着。常総線は7分の乗り継ぎとなっているので、急いで改札を出て、関鉄の切符を買いたい、買いたい……が、切符売り場はどこなのだ? 慌ててJRの駅員氏に尋ねると、JRの券売機で関鉄の切符が買えるものがあるから、それで買ってくださいと言われる。慣れぬ者にはややこしい。改札も、JRと共用になっている。

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取り急ぎ記念撮影だけして、単行のワンマンカーに乗り込む。少しだけ期待したが、車内は残念ながらロングシートだった。

すぐに発車となり、適度に田舎っぽさと住宅が混ざる地域を走る。梨畑なども窓外を過ぎる。ただ、取り立てて特徴はない様で、俗っぽいと言えばそうも言える。有人の駅だけホーム側の扉が全部開く方式で、これもありふれてはいる。

さっき急いで買った切符を改めて見てみる。JRの券売機で買ったのだから、券の地紋は当然JRになっていて、

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「(関東鉄道)」の表示だけが、切符の正当性を主張しているように見える。

2007年製と新しい気動車は、音も軽快に走る。雨の天気予報は外れて、薄曇の窓外が有難い。

関東鉄道でもPASMOやSuicaが使えるそうで、それの利用客が多いようだ。扉が開く度に「整理券をおとり下さい」と放送が流れるが、誰も整理券を取らない。

ネットで調べた限り、この列車は下館から取手へ直通と思っていたが、「水海道で乗り継ぎの取手行です」と案内が流れている。どうやら途中で乗り換えないといけないらしい。果たして、50分程乗った水海道で、「列車終点です。取手方面は反対ホームの列車にお乗換えです」とテープの案内が流れた。

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ここからは右側の2両編成の列車になる。乗客の数を見越して、こう云う仕組みになっているらしい。水海道では1分の乗り継ぎで直ぐに発車。

さっきの車両は「キハ2405」と書いてあったが、今度は「キハ2304」とある。エンジンも先程より野太い音で、若干年数が経っているようにも思える。

先程からすれ違う列車などを観察していると、関東鉄道の車両は

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この左右2連のユニット窓が特徴らしい。私は昔のイメージしか持っていないので知らなかったが、塗装も窓も、自分のイメージとは異なっているようだ。国鉄のキハ35を譲り受けた車両もあるはずだが、一度も見かけなかった。夏の暑い時期に、非冷房の元キハ35は走らせていないのかも知れない。

似たり寄ったりの景色を30分ばかり走ったら、呆気なく終点の取手に着いてしまった。何か物足りない。夏休みなので学生客も少なく、余計ローカルカラーが少ないのだろうか。

取手から、宿泊予定の水戸方面へJR常磐線で2駅乗ると、同じ関東鉄道の竜ヶ崎線が出ている。折角なので乗っておこうと思う。幸い、常磐線の下り電車にも直ぐ接続しており、2つ目の佐貫で降りる。竜ヶ崎線は、ここから僅か2駅だけの短い線である。

JRの改札を出て案内標識に従って歩くと、今度は迷うことなく竜ヶ崎線の乗り場へ行き着けた。ワンマンだろうから切符もないかと思ったら、改札前に券売機があった。4分の接続なので急いで乗り込むと、待っていたかのように扉が閉まった。

車両も似たようなユニット窓、窓外も

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あまり変わり映えがしない。竜ヶ崎線はもう少し鄙びた雰囲気を想像していたが、正直に言うとちょっと期待外れだった。

2駅だから、7分走ると、もう終点の竜ヶ崎だった。終点らしいと言えばそう云う雰囲気だ。

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接続が良くて、竜ヶ崎へは予定より1本早い列車で到着している。ここまで来たのだから、1本列車を見送って、20分ばかり駅前をブラブラしてみることにする。

駅舎には

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こんなことも書いてある。竜ヶ崎線は、今はこれで売り出しているらしく、列車にも小さなヘッドマークがついていた。駅舎内で、ミニ写真展もしてあった。

それはそうと、駅の外に出てみると、今度こそちょっと期待していたような雰囲気を感じた。

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駅前のバス乗り場付近だが、何か昭和っぽい感じなのだ。それも自分が生まれた昭和30年代によくあったような、駅頭シーンに思える。雑然とした感じを覚えるのは、自分だけだろうか。

次の列車の到着時刻が近づいて、駅員が「どうぞ」と声をかける。ホームの中もよく見てみると

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結構レトロ感がある。最後の最後で、求めていたものに出会えたような、そんな関東鉄道の旅であった。   

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2010年8月17日 (火)

走行メーター

珍しく短ネタで。

仕事を終わった後で、ふと見た走行距離計が

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こーゆー風だと、訳もなくスッキリした気分になる。

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2010年8月14日 (土)

故障貧乏

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電源ランプは点くものの、送風口が開かなくなったエアコン。我が家の寝室のものだ。

買ってから16年が経つものだから、修理をお願いしたけれど、「直すより新品を買った方が安い」が結論で、泣く泣く、昨日エアコンを取り替えてもらった。

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古いエアコンはあっという間に取り外され……

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新しいエアコンが取り付けられる(工事のお兄さんにご了承の上の写真です)。 

正直言って、かなりの出費となってしまった。

エアコンに限らず、我が家では最近、電気製品の故障が相次いでいる。

7月の初旬に洗濯機が故障した。幸い、これは大きな故障ではなかったが、出張修理費をしっかり取られた。

その直後に「パワーアンプの話」で書いたように、ステレオのアンプの故障が発覚した。修理はちゃんと済んだが、これは結構な金額を取られた。

それに続いて、エアコンの故障である。今度は「修理」ではなく「取替え」で、お値段はご想像にお任せするけれど、とにかく大きな出費となってしまった。

以前、テレビの地デジ化の話で「思いの外、安く上がった」と喜んでいたのだが、地デジ化のために下ろした貯金を、他の電気製品の修理費で食い潰してしまい、今回のエアコン取替えで完全に足が出てしまった。

なので、今の私は貧乏真っ只中なのである。

山上憶良の「貧窮問答歌」でも歌いたい。

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2010年8月11日 (水)

私も持ってます/「動力車免許証」

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“鉄派“の間で憧れの「動力車操縦者運転免許証」。

私は単なるバスの運ちゃんだが、何故かこれも所有している。

免許の中身をご披露すると……

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「甲種電気車」とか「内燃車」とかではない。何やら変な免許ばかりである。順にご説明しよう。

「無軌条電車」とあると、多分トロリーバスを想像されると思うのだが、免許区分上での「無軌条電車」は、全国で名古屋のみに存在する「ガイドウェイバス」のことを指す。ガイドウェイバスはガイドウェイの区間だけは、区分の上で「鉄道」とされている。実際、ハンドルを握る必要はなく、途中では勾配標などもあるから、自動車よりは鉄道とした方が合点の行く乗り物だ。

私共の営業所ではガイドウェイバスを担当したことはないが、私は何故か持っている。

下2つの「磁気誘導式」車は、何れも2005年の愛知万博でなら走行実績がある。アスファルト道路の下に、車両走行用の誘導磁石が埋め込まれており、それに沿って走るというものである。これもハンドルは不必要なので、分類上は「鉄道」ということになっている。

現在、実際に「磁気誘導式」免許が必要な乗り物は、日本国内では走っていないように聞いている。

じゃあ、何でこんな免許が取れたのか?との話になってくるが……。

これら3種類の免許は平成18年一杯なら、大型自動車第二種免許保有者に限り、書類の提出と手数料だけで試験も何もなく取れたからである。

職場の同僚(バス好きにして鉄好き)がどこからかその情報を仕入れてきて、同類が、どっと国土交通省中部運輸局へ走った。私が話を聞いたのは、本当に期限ギリギリだったので、免許年月日は平成18年でも暮れに程近い日付が書かれている。

それでも、自動車免許証とは違って、これには「免許の更新」などはない。持っていれば一生モノなのだ。

実際の鉄道運転士さんからすればナンセンスな免許証になろうが、身分証明にも使える、大切な私の「宝物」ではある。

***

お蔭様をもちまして、当ブログも開始から2周年を迎えることが出来ました(当初半月は別のサーバーで始めたので、こちらには載っておりません)。これもひとえに、皆様のご支援の賜物と厚く御礼申し上げる次第であります。

不束者のブログですが、今後ともどうぞよろしくお願い致します。

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2010年8月 8日 (日)

消え行く仕様・復活した仕様

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運転席から眺めた前扉付近。

この範囲で、2つの仕様が変更の運命を辿っている。

1つは、写真の中心部をアップしてお見せしよう。

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平成13年式までは前扉の開閉時に、後部扉同様、ブザーが鳴った。然し、経費削減のためであろう、次の年式からは前扉のブザーは廃止された。

私はバスの扉が開く時には、どこの扉であろうとブザーが鳴るものだと思っていた。だが、前職のスクールバスでは、前扉にはブザーがついていなかった。扉の開閉時にブザーが鳴らないと、何となく不安になる。自分の長い間の習慣だろう。

現在の職場へ入って、ちゃんとブザーが鳴るようになったと喜んでいたが、これが廃止されてしまって、また少しく不安な気持ちになっている。もっとも、色々調べてみると、前扉の開閉時にブザーが鳴る仕様と云うのは、全国的にも例が少ないらしい。赤字減らしのためなら、仕方がないか。

もう1つは、前扉付近の確認ミラー。一般的なタイプは、

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こんな感じで、前扉付近が運転席から確認できるようになっている。私たちの職場では「前扉から乗って頂く」のが一般的なので、満員になったときや、駆け込みで乗ってこられるお客様の具合を、このミラーで確認している。

ところが一時期、これも経費節減のためであろう、こんな形のものに変えられてしまったことがある。

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こんな小さなものでは、確認は殆ど不可能だ。新車で3~4年、この仕様が続いたが、組合からの強い要求が通ったのであろう、現在入る車では従前のタイプに戻されている。

安全のための仕様は、コスト削減などを大前提とせずに、きちんと残して欲しいと思う。

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2010年8月 6日 (金)

暑中お見舞い+α

少々出遅れた感もありますが(明日はもう立秋だったりします)……

暑中お見舞い申し上げます

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酷暑の砌、皆様もどうぞご自愛下さい。

余り涼しげな画像がないので、見下ろして気持ちの良さそうな写真を貼っておきます。ループの途中にスイッチバックのある、九州・肥薩線の大畑(おこば)です。

***

さて、そんな暑い毎日なのだが、先日同僚から「最近、広告入バス停に貼ってある『金麦』の女性、中々いいですね。誰ですかね」と言われた。私はいつも運転中は、適当にしか広告などを見ていない。どんな女性だったかなと思っていたのだが、とあるバスターミナルにその広告が貼ってあった。

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以前は立ち姿だったように思うが、今は同じ人が座った画像になっている。うん、ホント、中々いい感じの方ですな。「おねえちゃん」ほど若くなく、かと言って「おばさん」の年齢でもなさそうだ。私に言わせると「おばねえちゃん」。

誰なんだろう。芸能関係は疎いので、よく判らない。暑い中での宣伝、ご苦労様である。

同じターミナルで、手洗いへ行こうとしたら、

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ハトさんたちが休んでた。奴らも余程暑いのだろう。日陰を選んで、地面にヘタリついているように見える。「やれやれ」と云ったところだろうか。

名古屋では、「取り敢えず」お盆まで我慢すれば、が合言葉みたいになっている。その「取り敢えず」まで、あと10日余り。

もう一息、体調を崩さないように、自らも頑張らねばと思った。

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2010年8月 2日 (月)

飯田線、旧型国電の頃

先日、飯田線の撮影結果のコメントで、vanagon714さんにお約束した旧型国電の頃の写真を何枚か、ご紹介しようと思う。

尚、殆どの写真は

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こんな世界(ハーフサイズのオリンパスPEN-EE)のネガから起こしているので、お見苦しい点はご容赦頂ければと思う。

飯田線を走った旧国で、いっとう話題性があったのはやはりこの車両だろう。

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京阪神の快速列車として名を馳せた、流線型電車のクモハ52。あれだけの名列車が、飯田線を最後の活躍場所としたのは、低屋根構造を必要としない線区だったことと、2扉クロスシート車の特色を生かしたいとの国鉄本社の意向があったためだという。豊川駅にて。

同じクモハ52の車番を写したものもあった。

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サボと共によくよく写しておいたものだと思う。これら2枚は、自分が乗車した急行「伊那」の車内から撮っている。1976年7月の撮影。

因みにクモハ52は、他の旧国に先駆けて1978年度中に廃車となっている。経年劣化が激しかったのだろう。但し独特の形状で名を馳せた列車であるから、2両が保存されている(1両は現在展示準備中)。どちらも京阪神快速時代の塗装に戻されている。

現在でも走っている117系の国鉄色は、この阪神快速色の伝統をそのまま受け継いでいる。旧国ではないけれど、ご参考までに117系国鉄色の写真も貼っておく。

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これは1994年12月に大阪駅で撮影したもの。窓が2段構造になっていない100番代車で側面がスッキリしている。

話を戻そう。

飯田線で比較的ポピュラーに見られたのは、クモハなら54、クハなら68の両形式だと思う。どちらも3扉のセミクロス車で、近郊型電車の元祖みたいな列車である。一般に51系電車との呼ばれ方をしていたようだ。

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両形式の2連、本長篠行きが豊橋駅で発車を待っている。クモハ54125+クハ68418。

「湘南型電車」として活躍した80系電車も、1978年頃から飯田線に入っている。飯田線での活躍期間は短くて、また入った車両は何れも全金属製の300番代車だった。

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これも豊橋駅での撮影。クハ86304を先頭とする4連。全金属車はノーシル・ノーヘッダーで見た目は綺麗だが、旧国らしいリベットなどのボテボテがないので、少し物足りないかも知れない。

同じ80系の写真で、こんなのがある。

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始発駅・豊橋ならではの情景だが、以前は始発列車に、こうした発車時刻と行先を記した前頭板をわざわざつけていた。何と手間なことを、とも思うのだが、本数が少なかった当時でホームにはパタパタの発車案内表示もなかったから、こんな手作り的なことをしていたようだ。

最後に、ちょっと珍しい形式名の車両を。まずは車両外観から。

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電動制御の普通車で、尚且つ郵便車と荷物車を兼ね備えていた。つまり、形式名は

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こうなる。5つのカタカナを冠した形式名は大変珍しいと思う(身延線が旧国時代に、クモハユニ44が存在した)。因みにこの形式で存在したのは、この1両のみ。

末期に一旦、飯田線の標準カラー・スカ色に塗られたが、この車両にはぶどう色の方がいいとの意見が強かったらしく、1年程度でぶどう色に戻された経緯がある。当時の国鉄としては珍しいことだ。他の旧国同様、飯田線を最後の活躍場所として1983年に廃車となっている。これらクモハ52以外の写真は、1980年11月の撮影。

雑多な形式が混在した飯田線は、本当に楽しい線だった。

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