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2010年7月

2010年7月31日 (土)

パワーアンプの話

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ここは鉄・バス中心のブログだが、私はオーディオにも大変傾倒している。以前、チラリとこちらの記事でも書いたことがあるので、ご存知の方もおありかと思う。

その私が、1ヶ月ほど前に、パワーアンプを新調した。それが上の写真の代物だ。パワーアンプってのは、その名の通り「音を増幅させる」機能を持つアンプだ。入力するソースを切り替えたりする、云わば「音の交通整理をする」アンプは、一般にプリアンプと呼ばれる。

アキュフェーズというメーカーのもので、このメーカーは「何年経ったものでも、弊社商品なら、代替品を使ってでも永久に修理の保障を致します」が謳い文句なのだ。使い捨てが多い日本の電気製品において、これだけ言ってくれるメーカーは稀少だと思う。そんな次第で、私のオーディオシステムでは、CD再生機やFMチューナーも、同じメーカーの物を使っている。

で。

今まで使っていた、やはり同じメーカーのパワーアンプを、寝室や“スーバースピーカーシステム”専用にしようと、今まで繋いでいたのとは別のタイプのケーブルで繋いだら、そちらのモードは故障してしまっていた。左のチャンネルから、ザーザーと雑音ばかりが入る。仕方がないので修理に出した。

今日、そのアンプが修理を終えて、やっと我が家へ戻ってきた。

スピーカーの配線を、自分の思い通りに変更し、当家は2つのパワーアンプを持つ、大変贅沢な住まいとなった。趣味のことだとついつい入れ込んでしまう性分だから仕方がない。その代わり、私は永久に嫁さんは貰えないだろう。

因みに、寝室のスピーカーは

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こんな感じでベッド周りに配置してあり、本日修理から戻ってきたパワーアンプも、

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無事に二度目のお勤めを果たしてくれている。贅沢の極みだが、まあ、多分これ以上買い足すことはないだろうなと、そんな状態に我が家は相成った。

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2010年7月27日 (火)

飯田線プチ撮影結果ご報告

例の如く、先日出掛けたプチ旅行の結果をご報告したいと思う。

何しろ、思っていたよりも撮影時間が短くなってしまい、1枚を除き、36枚撮りのフィルム1本から拾い上げていることをご了承頂きたい。

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旅行記の方では「大した場所でなかった」と書いた、三河大野~大海での「お立ち台ポイント」。攻略本で紹介されていた場所は、完全逆光となってしまうため、向きを180度変えている。「大した場所」ではなくとも、夏空を出来るだけ入れてみたつもり。暑さの寸分でも感じて頂ければ、と。

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旅行記では「枯れアジサイがあった」と書いた場所での撮影。自分でも大した写真でないことは判っているが、もうすぐ退役となる119系が、4両で運用される姿は非常に少ないと思われるので、敢えてアップしておく。三河大野~大海にて。

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大海駅で、時間潰しに撮ってみた一枚。改札跡のガラスに駅の情景が映りこんでいたので、カメラを向けてみた。出来るだけ自分が写らないようにと思って撮ったのに、原画ではかなり私が写ってしまっている。なので、インチキ(スキャン時にトリミング)して、ここへお出しするが、左側の赤信号の下に写っているのは私の右腕である。暑さで頭がヤラれたことにしておこう。

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旅行記の方では、8両編成の名鉄電車の写真を載せた豊川橋梁。JR飯田線の列車は長くて4両、場合によっては単行が走る。「単行電車」が走る線区は、JRではかなり限られるだろう。四国の7000系、西日本・東日本の「チョン行クモハ123」くらいしか思い浮かばない。車両が313系に置き換えられたら、どうなるのか気になる。現在のところ、313系に「牽引定数:1M」の列車は存在しないから。

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これも大した写真ではないが、「駅」がお好きな方へ。真夏の真昼時、無人駅は限りなく無人駅であった。空っぽのベンチから、無人駅を感じて頂ければ幸いである。三河槙原駅にて。

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おまわりさんと雑談した直後の写真。右側に見えているのは宇連(うれ)川で、本来ならこれは定点比較のために撮った写真である。27年前に、ほぼ同じ場所から撮った写真があり、更に愚作ながら掲出させて頂く。

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「飯田線」のイメージにピッタリの旧型国電。27年前だと、かようなアングルで撮影が可能だったのだ。歳月の経過により樹木が育ち、同じアングルが不可能であることはご理解頂けたかと思う。何れも三河槙原~柿平にて。

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これも旅行記では「素掘りのトンネル」の横から俯瞰した、と書いた。まあ、こんな感じの場所だ。アングルとしては終日逆光なので、良い撮影地とは言えないだろうが、逆光ならではの光加減も楽しいのではなかろうか。119系なら車体が白いので、列車が陰に潰れてしまわないのも好都合だ。湯谷温泉~三河槙原にて。

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車道の方は素掘りトンネルになるが、列車のトンネルはちゃんとΩ型になっている(なっていなかったら、大変なことになる・笑)。三河槙原の駅から、300ミリの望遠レンズで引き寄せてみた。1.4倍のテレコンは、ピントが甘くなりがちなので、使わなかった。短い隧道を抜ける電車も、また一興ではなかろうか。

飯田線の、極めて南部だけを限定で写してみた。まだまだ面白い場所は多くに散らばっているはずだ。119系がなくならない内に、再訪してみたいと思っている。

愚作にお付き合い頂き、有難うございました m(_ _)m

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2010年7月26日 (月)

“相棒”交代

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私が仕事の際に、持ち続けてきた小型の置時計。前職のスクールバスの頃から持ち歩いているので、17年以上、私の相棒を務めてきたことになる。

敢えて定規と一緒に写してみたが、幅7センチ・高さ4.5センチ・厚さが1センチ程度だろうか。

この大きさが仕事時には絶妙で、長いこと手放さずに来た理由でもある。各メーカーのバスへ置いた際の例を2点ほど。

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ノンステUD車での場合。

Dscn5785jノンステJバス系(いすゞ・日野)での場合。

ハンドルも写してあるが、ご覧のようにハンドルよりも左側に時計を置く癖がある。ダイヤ板をハンドルの左側に置くようになっているので、素早く見合わせるのに便利なためでもある。

この時計が、いよいよ経年劣化により、毎日使うのに不都合になってきた。
17年も昔だと、電波時計なんて一般に出回っていなかった。それで、毎晩寝る前に、秒単位で時刻合わせをしていたのだが、それに支障が出るようになってしまったのだ。

非常に大切な相棒であるから、壊れたものを持ち歩く訳には行かない。それで、今日の仕事帰りに店を回って、代わりの相棒を探してきた。

仕事の性格上、

①秒の単位まで表示してくれること(3秒早発して、客から苦情を貰った人もいる)
②24時間表示が可能なこと
③出来るだけ、今までのものと変わらない寸法であること

この3点は譲れない。

これらの条件をクリアーした唯一の時計が、写真左側のもの。

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正直に言うと、秒の表示の文字が小さくて、老眼進行中の私には少し見辛い。だが、3軒の店を回って、これ以上のものが見つけられなかったのだから仕方がない。因みに見つけたのは、カー用品店。

現在47歳の私が、定年まで勤め上げたとしても、あと13年余。今までの時計に比べて、活躍期間は短くなる可能性が高いけれど、今度は電波時計だから毎日の時間合わせは不要になり、その点は好都合だ。

それぞれのメーカーのバスへの置き場所は、寸法の加減から多少変わるかも知れない。毎日の必需品だから、早くそれぞれのバスへの「安住の地」を見つけてやりたいなと思っている。
そして、出来ることなら、定年まで一緒についてきて欲しい。

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2010年7月21日 (水)

飯田線南部1泊プチ旅行

1日目(7月20日)

梅雨が明けて夏本番となった。

そんな最中、愛知県東部の豊橋から北へ向かう飯田線の撮影に向かうことにした。6月初旬の渡道以来、暫く鉄分を補充していなかったため、久々の気分で出掛けることにする。

とは言え、出発前日は何かとやることが多くて、寝るのが遅くなった。結果として、ようよう起き出して名古屋駅を出発したのは、11時32分発の快速・豊橋行である。

同じ愛知県内であるが、豊橋までは快速でも1時間弱かかる。飯田線の始発駅・豊橋に着いたのは12時26分。もう少し早く起きれなかったのかと、自分ながらに思う。乗り換えた飯田線の本長篠行で、鳥居駅まで向かう。比較的有名な撮影地が付近にあるのだ。

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カーブの加減がいいからと、例の攻略本に書いてあったが、夏草が茂ってあまりいい雰囲気は醸せない。

ここから暫く歩くと、別の撮影ポイントに行ける。真昼の晴天時、汗を拭いながら次の目的地へ歩く。正直言って、ここもそんなに大したポイントではなかった。少々ガッカリした気分で撮影し、先程降りた鳥居の隣駅・大海駅へ向かう。この辺りは線路が大きくS字型にカーブしている関係で、鳥居駅へ戻るよりも大海駅へ向かった方が、手近なのだ。

大海へ向かう途中、梅雨明けで花の終わったアジサイが線路端に咲いているのを見つけた。

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電車とアジサイを絡めた写真を想定してみたが、それは無理らしいので、同じ場所で別アングルを狙ってみる。ちょうど来た下り列車を画材にして、それから今度こそ大海へ向かう。

滴る汗を拭きながら、16時過ぎの列車で野田城へ逆戻りする。先程来る途中で、この駅付近にサトイモ畑を見つけていたので、それをちょっと狙おうとの魂胆である。

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暑くて頭が狂いそうなので、どんな写真が撮れたかは全く不明。運を天に任せてシャッターを切っていた。する内に、夕刻17時半過ぎと相成り、今日はこれで宿泊地の豊橋へ戻ることにする。

18時20分頃、豊橋着。梅雨が明けていないことを想定して、豊橋駅から地下道で繋がっているホテルを予約してあったが、杞憂であった。目茶目茶喉が乾いているので、ホテルの対面の「海鮮居酒屋」の看板に飛び込む。

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るん、るん、るん♪。殆ど「共食い」状態だったりして(汗)。

2日目(7月21日)

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飯田線を走る119系電車。東海地区以外にお住まいの方には、馴染みの薄い車両だと思う。それもその筈で、この電車は飯田線とその近辺でしか走っていない。

今のところ具体的な話は出ていないけれど、この電車も近々新しい車両に置き換えられるとの噂が飛んでいる。昭和58年頃にデビューしていて車令27年余。噂はかなり、真実味が高い。撮れる内に撮っておかなければ後悔するだろう。

そうは思うのだが、旅先ではいつも遅くにしか起きられない。8時40分過ぎに起き出して、支度を整え駅に出たら、9時34分発の豊川行が限界だった。この列車で、2駅行った下地駅で降りる。駅のすぐ手前に、豊川の橋梁がある。

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橋を渡っているのは名鉄電車。紛れもないJR飯田線だが、豊橋駅からこの下地を少し過ぎた平井信号所までは、飯田線を名鉄線が間借りしている。飯田線そのものが昔は私鉄で、戦時中に国鉄に買収されているから、その昔の名残りなのだろう。

橋梁を撮ったら、次は今回の最終目的地、三河槙原まで山の中を分け入っていく。

冷房の効いた電車から降りると、山の中といえども暑い。次の列車は2時間半後にしか来ないので、駅の待合スペースで休憩する。撮影予定地は駅から徒歩5分くらいだ。

暫く待つ内に、暑さに慣れてきたのか汗が退くようになった。目の前にはここから各駅への運賃表が貼られている。

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もうちょっとズームアップする。

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「重岡宗太郎」に代表される、『隣駅同士で氏名が成立する2駅』。他にも山陰本線の「萩玉江」や、徳島線の「小島貞光」など色々あるが、こんな飯田線の山奥にもひっそりとそう云う駅名が並んでいる。

さて、時間になったので、駅近くの撮影地へ赴いて少しアングルなどを考える。まあ、こんなもんかな、と思っていたらたまたまパトカーが通り過ぎ、おまわりさんと暫し雑談になる。都会の警官は何かと鬱陶しいことを言うものだが、この人とは、本当に雑談しかしなかった。こう云う大らかさは大切にしたいものだ。

目的を一つ終了したら、今度は駅を通り過ぎて、駅の反対側のポイントへ向かう。今度は19分後にターゲットが来てしまうから、急いで移動して大汗をかく。

途中では

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こんな素掘りみたいなトンネルもあって、ちょっと面白い。このトンネルの直ぐ横でも、俯瞰構図が出来るので、ここでも撮影する。

あれこれしている内に、17時01分の上り列車までの時間を潰した。この上り豊橋行で帰らないと、家にマトモな時間に戻れない。ここから名古屋までは、2時間半ほどかかる。

豊橋まで鈍行に揺られ、豊橋では慌しい4分接続の特別快速を見送り、更に後の新快速で帰ることにする。余った時間で、KIOSKで★を買いたかったから。

暑さに渇いた喉に、夕陽を眺めながらの★はウマかった。

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2010年7月18日 (日)

我が家の地デジ化対策顛末

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『2011年7月24日を以って、テレビのアナログ放送は終了になります』。

テレビを滅多に見ない私だが、災害時など緊急の場合にはテレビも重要な情報源になる。 普段はどうでもいいと思っているテレビが、必要不可欠になる場面もあり得るのだ。そのような条件の私にとって、テレビ電波の地デジ化は、誠に余分な事柄と言わずにはおられない。

だが、どうこう言っても仕方がない。総務省が勝手にそう決めてしまった以上、自分の家のテレビも、地デジ対応に変えるしかない。

それで過日、近所の電気屋を通して、地デジ化工事の見積もりをお願いしてきた。3日前に工事の見積もりに来た電気工事のおっちゃんが、我が家の周りを一周見終えたところで、次のように言って行った。

「この辺りは、地デジ電波の送信所から非常に近いので、場合によっては何も工事をしなくても、地デジ放送が受信できる可能性があります。地デジチューナーは自分で用意してもらう必要がありますが。それで映らなければ、アンテナの向きを変える工事だけで済みます。それなら10,500円で済みますね。但し、アンテナが古くて、向きを変えるねじ等が錆びていれば、アンテナごと変えなければなりません。その場合ですと、37,000円程度の費用が必要ですね」。

ほほぉ~。つまり運が良ければ、地デジチューナーの代金だけで、地デジ化が完了するということですな。

それで、その日の内に近所の電気屋へ出掛けて、地デジチューナーを買ってきた。

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電気屋で売っていた、最も安価な地デジチューナー。I・Oデータとはパソコン部品で有名なメーカーですな。この商品に限って、キャンペーン期間中との事で、売価は4980円。それに加えて私はこのお店の「現金会員」になっているので、5%引きの4731円。

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自宅へ持ち帰り、結果や如何にと思いながら、チューナーの初期設定をする。機械に弱い私でも簡単に設定が出来たので、あとはテレビ本体とチューナーを繋ぐだけ。

繋いでみて、さて、テレビが映るかどうか、と電源入れたら

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映るじゃん♪♪!!

かくして我が家の地デジ対策は、4731円で全て完了した。

こう云うのを「写ルンです」と呼ぶのだろうか。   

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2010年7月15日 (木)

ツーステUD小変化

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タイムリーな記事ではないので、少々恐縮だが。

以前記事に書いた、他車庫から移籍して来た富士重架装のツーステUD車。この車が、1ヶ月ほど前に小さな改造を受けた。上の写真は改造前、下に出すのが改造後の写真。

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勘の鋭い方なら、私が苦手な箇所が“改良”されていることにお気付きだろう。

そうなのだ。私が気になって仕方がない右のサイドミラーが、前方へ突き出る形から、運転席脇のものに付け替えられた。

こうした小さな改造は、労組が要求を出して、現場の長か副長がOKサインを出してくれれば、改造できることになっている。営業所によっては5月の連休前に改造許可が出た所もあるらしい。私たちの車庫は少し出遅れたが、6月の10日前後に該当車両2台の改造が行われた。

その昔、日野のREやRCの時代なら、改造前のように前方へ突き出たミラーが当たり前だったけれど、現在の型に慣れてしまうと、右前方にちょっと邪魔っ気なものが出ているなぁとの感情に駆られるものだ。
私だけではなく、多くの乗務員がそれを感じていたと云うこと。そして、私たち以外の営業所でも、この型の移籍車は改良して欲しいとの要求があったとことが、明白になったかと思う。

元々UDを使っていた営業所では、この改造は行われていない。

人間の慣れってのは、誰しも似たような所へ辿り着くらしい。面白い現象だと、ちょっとニヤニヤしながらUD車の写真を撮った。

そう言えばJR北海道バスでは、メーカーに関わらず、右のミラーを前方へ突き出す形に直しているそうだ。JHBの運転手さんたちから見れば、私たちの仕様のミラーに、違和感を感じられるのだろうな。

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2010年7月12日 (月)

佐々木好さんのこと

俗に言う「B級ヒット曲」なるものがある。私はそれらの曲で好きなものが、あれこれある。

70年代のアイドル時代で例えてみると……

太田裕美さんなら、多くの方が「木綿のハンカチーフ」とか「9月の雨」を連想されるのではなかろうか?
ところが、私の一番好きな曲は「しあわせ未満」って曲である。

アグネスチャンなら、「ひなげしの花」や「草原の輝き」がかなり知名度が高いと思う。だけど私の一番のお気に入りは「アゲイン」って曲だ。

どちらもYouTubeにはアップされているので、気になる方はご検索されるとよいかと思う。

有名な歌手は話が通じるだろうけれど、あまり知られていない歌い手さん、まあ所謂「B級歌手」の方も多くいて、殊に私が好きな歌手に「佐々木好(ささきこのみ)」さんって方がおられる。

北海道は小樽の出身で、1982年頃から数年間、北海道、とりわけ札幌を中心に歌手活動をされていたそうだ。デビュー当時は「中島みゆきの再来か」と一部で騒がれたらしい。確かに、中島みゆきさんの初期の作品と似通った部分は感じられる。

佐々木好さんを知るきっかけとなったのは、1985年頃にNHKで、北海道の自然を扱う特集番組がオンエアされたからだ。番組の背景でこの方の曲ばかりが何曲か流されて、どれも私の心には凄く響いた。もっと他の曲も聞きたい、と思った。

それで自分がCDプレーヤーを買った1987年以降に、音楽ショップへ通いつめて、1枚、また1枚と云う感じで、見つけては買い求めていった。CD化されたアルバムは全部で4枚。

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この他に「暖暖」というCD化されていないアルバムもあり、先日たまたまネットで検索していたら、「中古ながら状態良」のものが出されていた。で、迷わず、入手。

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出されたアルバムは、これで全て揃えたことになる。今時ADなんて、再生する機械が我が家にはない。いや、実家にあることはあるのだが、10年以上使っていなかったので、完全に壊れていた。仕方なく、オーディオ好きの友人に頼んで、近々テープに落として貰おうと思っている。

この方、若い頃から歌っておられたようだが、アイドルとは程遠い感じの曲ばかり。本人なりの独特の世界があるようで、だからこそ好き嫌い(と云うより、知っている知っていない)が大きく分かれるだろうと思う。因みに歌われた曲は、全て自分で作詞・作曲されている。

曲数は少ないが、YouTubeにもアップされている。何曲かを聞いているうちに、「佐々木好の弟です」と名乗る方からのコメントも見つけた。それによると……

「姉はお嫁に行きました。今は幸せに暮らしているようです。(歌手引退から)何年も経った今でも、姉の曲を聞いてくれる人がいることを、大変嬉しく思います。これからも応援をよろしくお願いします」……とのこと。

看護師の仕事をしながらの歌手活動だった、とも別のサイトに書かれているのを見た。

どちらにしても、もう表に出られる機会はないらしい。大変魅力のある歌が多いのに、私的には大変残念だ。

真のB級ってのは、あまり表舞台に立たないから、止むを得ないのだろう。

……アナログディスクの登場と云う点では、vanagon714さんにプチコラボさせて頂けたかな? ちょっと無理っぽいけれど (^ ^;;;

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2010年7月 9日 (金)

コーヒー酎

Dscn0341味の話だから、万人に通用するとは思わない。その覚悟で以って書く。

かなり前に、九州の知人を尋ねた折、お土産に焼酎を頂いた。結構な高級品らしいが、アルコールはビールが前提の私は、ずっと飲まないままでいた。

頂戴して、もう5年くらいになるのか、いい加減に飲まなければと思って、何かで割ることを考えた。思いついたのが、他愛のない「缶コーヒー」である。

そもそも酒類を缶コーヒーで割る、と云うのは私の発想ではない。私が学生時代、学校に「日本酒研究会」なるクラブがあり、そこが学園祭の折に発表していたものである。日本酒を、ごくありふれた缶コーヒーで割ると、意外とマッチするとの事実を教えられた。

それを20年以上ずっと覚えていて、それで、この焼酎を頂くのに「同じように缶コーヒーで割ったら、どうだろう」と思いついたのだ。

やってみると、私的にはかなり美味であった。それも、コーヒーにはミルク分の多いものを用いると、より美味しいように思われる。

で、頂戴した焼酎は、殆どを缶コーヒーで割って、ご馳走になった。

人によって好みは分かれるところかと思うけれど、処分に困った焼酎をお持ちの方ならば、一度、試されることをお薦めする。コーヒーも無糖コーヒーから、極甘系まで様々なものが売られているから、ご自分に合うものを選んで頂ければいいだろう。ウーロン酎等をお好みの方なら、無糖コーヒーでも結構いけるかも知れない。

何でもアリの世の中だから、こう云う変わり者が居てもいいじゃないかと思っている。犯罪になる訳でもないし(笑)。

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2010年7月 7日 (水)

運転席に於けるバスの冷房

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この時期、特に晴れた日に、屋外で2~3時間放置してあるバスに乗務しようとすると、車内温度計が悲惨な状況となっている。

一旦こうなると、バスは車内容積が広いから、自分が乗務する車両の冷房の効きが良いか悪いかは死活問題となってくる。乗用車のように、2~3分辛抱すれば済む問題ではない。

そこで、自分の車庫に配属される車両の冷房状況について、実映像などをご紹介しながら少しく書こうと思う。

いつも、新車が入ってくると、夏には新車が羨望の的になる。「今年入った車は、涼しいぞ」と、乗務する側がちょっと得意げに話したりする。だが、「新車」も経年による劣化で、冷房の管が埃などで詰まってくると、肝心の冷風が出てこなくなる。いつの間にやら「この車は、冷房を入れても、ちっとも効かんなあ」とぼやかれるようになってしまう。

現在、私共の車庫で「冷房が効かない」とぼやかれるのは、ツーステ車全般だ。ご参考までに、日野車の運転席の冷房吹き出し口。

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形状は決して悪いとは思わないが、経年10年以上のツーステ車たちは、残念ながら、夏は嫌われ者になる。廃車が近い車だと、工場の側も冷風通し管の掃除などはしてくれない。かなり手の込んだ仕事になるからだ。
このくらいの車だと、真夏の昼間は冷房を全開にしても、車内温度計が30℃を割ってくれない。

お客様から「暑いじゃないか! 冷房を入れているのか?!」とお叱りを受けたこともあるが、私共では対処の仕様がない。私たちだって暑いのだ。

一方で、今時のノンステップ車両はどのメーカーも好評だ。UD(西工架装)は、特に尿素水を使わない車では、走りが悪いので評判は良くないが、こと冷房に関しては運転席に強い風が送られるから、それ程敬遠されない。

Dscn0340ud冷風吹き出し口が4つあり、客席はどうか知らないが、運転席はガンガン冷える。

同様に評判のいいのは、Jバス系。車両の規格は日野もいすゞも同一だから、メーカーに関係なく大変快適だ。特に、運転席後部についている

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上からの「冷風直噴」は、大変効き目がある。このタイプは、平成18年式から採用されているようで、Jバス系が幅を利かせている私共の職場では、歓迎すべき事態だろう。因みに運転席の前側にも

Dscn0338j冷風吹き出し口があり、ハンドルに添えた手には、こちらの風が当たる。 ◎をつけても良いと思う。

ふそうも、最近の型は涼しくなった。現在、私共の車庫に、ふそうの大型車は平成20年式しか存在せず、この先使っていくとどうなるかは判らないが、

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こんな感じでUDと配置は異なるものの、4つの吹き出し口から強力な冷風が出る。

但し、ふそうの小型車は、積んでいるエンジンが元々容量の小さなものなので、冷風口の形状が同じでも、信じられないほどの酷暑に見舞われる。

以前、何の記事だったかで、「私のバスは、運転手そのものがワンマンなので、ワンマンバスと云うのだ」と書いた。冷房に関しても、その考えは余り変わらない。取り敢えずは運転席が涼しければ、それでいい。

とは言え、適宜、温度計を見ながら車内温度の調節はしているつもりだ。それでも至らない点は、ご容赦頂ければと思う。定時運転だの、料金の収受だの、ベビーカー等の扱いだのと、他にも色々やることが多くて、私共も手一杯で走っているのだから。

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2010年7月 3日 (土)

N市のTさんからの頂き物~やきそば弁当

今日は、起きた時からワクワクしていた。

何として、先日、「日清焼そば」のことを記事に書いたら、北海道内の方にはお話が通じなくて。で、その時に「北海道では『マルちゃんのやきそば弁当』が好評です」ってことを皆さんからコメント頂いたのだが、道内限定品なので今度は私の方が、それのことを判らない。その状況を哀れんで、N市のTさんが「我が家にストックがあるので、送ります」と、わざわざ職場のメール便で送って下さったのだ。

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勿論、私は初めて見るパッケージだが、道内の方には馴染み深いものだろう。これを、公休日の今日の昼食で、食べようと計画していたのだ。

起きたのが遅かったので、昼食も14時くらいにずらして、いよいよ「やきそば弁当」の調理を敢行。カップめんだから「調理」は大袈裟だが、兎も角パッケージを開けてみる。

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基本的にカップ焼そばの作り方ぐらいは判るけれど、コンソメスープがついているとの予備知識を頂いているので 、それも含めて「作り方」を一読する。

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お湯を注いで、説明書通りに液体ソースを蓋の上に載せ、待つこと3分00秒。捨て湯でコンソメスープも作って……

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出来やした~♪♪

お味は、先日記事にした「日清焼そば」とは、また別の美味さがある。くどくなく、意外とあっさり系の味と言えばいいのかな。同じカップ焼きそばで、日清の「某FO」があるけれど、あれよりはこちらの方が絶対美味。

また、コンソメスープが、箸休めにちょうどいい味だ。「弁当」を名乗る所以も、皆さんが絶賛される理由も、よくよく理解できたのであった。

僅か5分で、お食事終了。

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ごちそ~さまで~し~た。

これは「イチオシ商品」として、渡道の機会があったら、是非とも箱買いして、自宅に送ろうと既に心に決めている。

***

尚、文末になりましたが、ご自宅のストックを惜しみなくご提供下さったN市のTさんには、この場をお借りして、厚く御礼申し上げます。

(再追記)前回の記事を読んで、北海道在住の元同僚・Sさんからも、この焼そばをお送り頂きました。改めて、厚く御礼申し上げます。

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2010年7月 1日 (木)

懐かしの「ふそうキャンター」

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私がトラックの運転手時代に乗っていた、ふそうのキャンター。2トン積みの車で、現行の「普通免許」でも運転できる小さなものである。

って、大体、私は自分の過去をあまりここに書いていない。先ずは少し、そこに触れるとして。

私は大学を卒業した後、「学部研究生」として1年間、大学の研究室に居候していた。無給の研究生ではやっていける訳もないので、学部時代からアルバイトしていた日用雑貨の問屋会社で、アルバイトを続けながらの研究生活であった。

その問屋会社では、スーパーに日用雑貨を卸すのが仕事だったけれど、アルバイターは日によって配送トラックの助手になったり、問屋の倉庫内で荷造りの内勤になったり、色々な仕事をさせられていた。元々、外仕事が好きな性分なので、トラックの助手の仕事の方が仕事内容としては楽しかった。

トラックの運ちゃんたちと雑談をしながらの配送の仕事は、私の性分に実に合っていた。それで、研究生を終了した後、一旦は別の運送会社で事務職についたものの、1年少々で嫌気が射して、とっとと辞めてしまった。で、その問屋会社に、アルバイトとして戻ってきた。

時、バブルの真っ盛り。トラックの運転手は多くの会社で「猫の手も借りたい」ほどの状態だった。当時から既に大型1種の免許を持っていた私は、内勤にされないように、問屋会社へ出入りしている運送会社に頼んで、「問屋会社専属のアルバイト配送運転手」とさせてもらった。
敢えてアルバイトの身分にしたのは、この仕事をしながら大型2種免許を取ろうと企んでいたからで、免許が取れたら、それなりの職場へきちんと就職しようと思っていた。

そんなアルバイト時代に乗っていたトラックが、このキャンターなのである。ああ、話が長かった。

配送の仕事はそう長距離ではなく、東は焼津辺りから西は四日市や関が原、北は美濃市あたりが走るエリアであった。

今ではこのタイプのキャンターも殆ど見かけなくなったけれど、当時(20年少々前)としては一世を風靡したトラックだった。問屋会社では25台余りの専属の配送トラックが存在したが、半数以上がこの黄色いキャンターだった。オンボロになってもパワーが衰えず、急な坂道でも何とか登っていくので、運転手には人気の車だったと思う。

かく云う私も「アルバイト」の身分であったから、与えられる車はいつもオンボロばかりで、このキャンターには1年くらい乗ったかな。与えられた時に既に8年落ちくらいで、写真の通り、錆なども目立っていた。それでも私にとっては「我が城」みたいで、結構楽しんで乗務していた。ブレーキングなども調子が良く、運転がし易いトラックだったと記憶している。

小さな運送会社だったから、装備も碌なものがついておらず、パワステは「勿論」ついていなかった。2トン積みではあっても、荷を満載するとハンドルを回すのに気合を入れなければいけないような、そんな車だった。また、エアコンなんて別世界の話だった。

手積み手降ろしの「肉体労働者」として、今から思うとよくよく勤めたものである。

それでも、今になると、丸っこい車体が懐かしい。丸っこいライトも懐かしい。
あんなオンボロトラックで、通用していた時代そのものが、今から思うと非常に懐かしさを呼ぶものである。

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