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2010年6月

2010年6月27日 (日)

即席麺のロングセラー・日清焼そば

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初めて『日清焼そば』を食べたのは、いつのことかなぁ。

はっきり記憶しているのは、今住んでいる所へ越してきた小学3年の時に、土曜日の度に母に作ってもらい食べていた、ということ。当時の土曜日は「半ドン」で学校給食が休みだったから、家で食べる昼食は食べたいものを、と云うことで毎度毎度作ってもらっていた。

今の自分の年齢から差し引いても、38年以上続いているロングセラー商品だ。味そのものも、大きく変わっていないと思う。

インスタント麺、それも「お湯を入れるだけ」のタイプが普及していなかった昭和50年頃に、あれこれのメーカーのインスタント麺が“乱立”した時代があった。多くのメーカーが参入して、あの手この手で消費者を振り向かせようとしていた。

そんな激戦時代を抜け出した後、今度は「お湯を入れるだけ」タイプの普及で、また戦火に晒される。それでも、日清焼そばが生き抜いてきたのは、はっきり言って「味がいいから」だと思う。

ラーメンではなく焼そばとしても、多くの商品が世に出てきたけれど、そして私も実際にあれこれ食べ比べてみたけれど、これに勝る味を出している商品ってないんですなぁ。万人受けする味が、今日まで生き続けてきた最大の理由だと思う。

勿論、即席麺だから「簡単に作れる」のもポイントとして大きいだろう。今でも私は昼食時に、しばしばこれを作っては売り上げに貢献している。

唯一残念なのは、私の個人的理由―――高血圧症により、最近は粉末ソースを3分の2程度しか入れられなくなったことだ。運動も何もしないで怠けている代償だろう。

とまれ、これからもずっと続いて欲しい即席麺の一つであることには、変わりがない。

***

ここで終わるつもりだったが、売り出した時期がいつなのか、気になって調べてみたら「1963年7月」だとのこと。
自分と殆ど同年齢だ!

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2010年6月25日 (金)

長年の慣わし

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だらしのない自室の机上をお披露目することになってしまいそうだが、私が普段、このブログを書いたり、その他の事務的な作業をする時の机である。

もう3ヶ月くらい前に、卓上Zライトを電球からLEDに替えた。消費電力が少なくて、且つ長持ちし、明るさも十分で、何かと経済的に感じたからだ。電球を取り替えると同時に、長年気になっていた「右側からの照射による『手暗がり』」を改善しようと、卓上を少し片付けて、Zライトを左側から照射するように改めてみた。

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「手暗がり」は確かに改善されたのだが、今はパソコンに頼っていることも多く、思ったほど功徳がない。それに、長年(記憶が正しければ25年以上)右側からZライトに照射されることに慣れてしまったので、どうも左側から照らされると落ち着かない。利き手側となる机の右端のものは、光が届かないので、暗くて見辛い。

また、この机は、写真のように左側を壁に寄せている。机の右側の床には広々としたスペースがあって、ここでアイロンなどをかける時に、Zライトの光に頼れなくなった。つまるところ、何かと不都合が多くなってしまった。

結局、1ト月程度で、元に戻すことにした。また卓上を片付けて、Zライトを右側へと取り替える。Zライトは固定金具で支えてあるから、それの取り外しには意外と手間を喰う。

やっと元に戻して、これで2ヶ月少々になるかな。机よりも右側の床部分も

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かようにちゃんと照らせられる。やはり、“現状維持”が一番便利なようだ。元の木阿弥(もくあみ)と言えばそうかも知れないが、どちらから照らしても何らかの不都合は起こるのだ。

面倒なので、あんな手間のかかることは、もう二度としないつもりでいる。

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2010年6月23日 (水)

謎のレール

少し書きそびれてしまっていたが、先月出かけた東北本線の撮影旅行で、降り立った越河(こすごう)の駅付近に謎のレールが置いてあった。

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下り本線のレールの外側にある錆びたレール。ホームの先端まで行って確かめてみたが、駅構内にはずっと寄り添うようにこのレールが置いてあった。

反対側にも

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同じようにずっと伸びていて、構内を出外れた辺りで途切れているのが見える。

因みに線路の規格だが、ちょっとアップ気味で撮った写真によると

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手前の本線用のレールよりも少し規格が小さいように思われる。また、きちんと枕木も添えて簡単に固定されているから、「取り替える予定のレール」と云うこともなさそうだ。

車窓を眺めていて、線路を取り替える予定の辺りになると、ちゃんと「1対」のレールが置かれているのは度々目にする。だが、ここは「1本」だけが置いてある。

また、置いてある位置から、カーブによる脱線防止用のレールとも違う。駅付近が、この線路に対して内側にカーブしているのは上の写真2枚を見てもお判りの通りだが、ここにレールを置いて脱線を防止するようには思えない。

結局のところ、ネットで色々な検索語を入れて調べると、どうも脱線転覆を避ける意味合いがあるらしい。これだけ間隔が開いていては、実際に転覆するのを防げるのか疑問な気もする。ただ、本線の保守点検に支障を来さないように、敢えて間隔をあけているのだとか。

現在のこの近辺に特急列車は走らなくとも、貨物列車は結構な頻度で走っている。高速で走る貨物列車が脱線した際に、転覆してホームにいるお客を事故に巻き込まないようにするため、が、正答のようである。

他に何か正しい答をご存知の方がおられたら、是非ともご一報を……。「鉄オタ」を自称している自分だが、知識はかなりお粗末なようだ。とほほ。

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2010年6月20日 (日)

気付いてみれば……

撮影した日は違うけれど、二枚とも最近撮った、バスの車庫内の写真である。

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私の頭の中はいつも薄ぼんやりとしているので気付くのが遅いのだか、こうして車庫内に並んだバスを見て、つくづく「LEDの方向幕が増えたなあ」と思った。

私たちの職場では、ビニールの方向幕をLEDに変更する工事はしていない。だから、新車が入る度に、LED方向幕車が増えるという単純な図式になっている。2003年式の小型車で、初めてLEDの方向幕が採用され、以来7年。11年程度しか使われないバスたちだから、パーセンテージが増えて当たり前ではある。

ビニールの方向幕に、新しい行先などを付け加える作業は、かなり厄介だ。バスから幕を外し、決められた位置で幕を切り取って、新しい行先を加える。「加える」と言っても、セロテープで貼るという原始的な作業だから、結構手間と場所を取る。切り継ぎが終わったら、幕をまた元の車に巻き戻す。
幕は正面と側面と後面があるから、これを100台以上の車両に施すのは大変な作業だ。

確かにLEDなら、RAMレコーダというのか、それを書き換えるだけだから、作業は大幅に軽減される。少しでも人手による作業を減らしたいバス事業者にとっては、大変有用なものだろうと思う。

ただ、LEDだと電球色の表示しか出来ないのが私的に残念に思う。行先によって方向幕の色を変えていた私たちの職場でも、LED化された車両では単一色の表示に留まっている。道路交通法か何かで、赤や緑のLEDを灯して走っては、信号機と見間違う恐れがあるからとて禁止されているらしいのだ。
折角の「お客様に見やすい・判りやすい行先表示」が、実質上消え去ってしまうのも、もう目前のことのようだ。

詳しくは知らないが、白色の発光体は道交法で許されているのだろうか。許されているのなら、電球色との2色の組み合わせで、少しでも「利用する人に判りやすい」表示が出来ないものかなと、知識の乏しい素人運転手は常々考えている。

(後記)

少し気になったので調べてみたら、現行でのLED表示は電球色(橙色)以外は禁止になっているようである。お詫びと共に付け加えをさせて頂く次第である。

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2010年6月14日 (月)

居酒屋にて・2題

(其の1)

Dscn0105何れも最近のことではない。

旅先で入った小さな居酒屋での話。

私がカウンターで独り大人しく★していると、20代前半と思われる男性客2人組が隣の席へ座った。ちょっとチンピラに近い感じのタイプで、目は合わせたくないなと思った。

飲食物の注文の仕方も横柄で、益々感じ悪いなと思っていた。

する内一人が「ねぇちゃん、お冷(おひや)持ってきてくれ」と言った。店内は混んでいたが、 店のおねぇちゃんが返事した。

暫くして、ねぇちゃんが氷の入った冷水を持ってくると、注文したチンピラがまくし立てるように言った。
「バカ野郎、てめぇ、『おひや』と言ったら、冷酒のことに決まってるじゃないか!」

えっ、と思った。私が店員であっても、このおねぇちゃんのように冷や水を持ってくるに違いない。普通、「おひや」とはそう云うものだと思っている。

おねぇちゃんは甲斐甲斐しく「申し訳ありません」と言って冷水を下げたけれど、チンピラさん方の例に倣えば、私も「バカ野郎」になるらしい。

こんなチンピラを相手にせねばならないとは、飲み屋のおねぇちゃんも大変だなと思ったものである。

(其の2)

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今度は、もう少し大きな居酒屋でのこと。

またまた私が独りで★していると、急に背後から赤子の泣き声がした。幼児ではない。子育ての経験のない私でも「乳児」と明らかに判る年齢の子の泣き声である。

少し気になったので振り向くと、20代前半と思える若い母親が自分の親らしい年齢の女性に、赤子を手渡して何か言っている。若い母親の足元は、酔っているのか覚束ない。会話までは聞かなかったけれど。

どうも、その若い母親は同窓会に来ているらしいのだ。若い声と会話が飛び交い、煙草の煙と嬌声が遠慮会釈なく赤子を襲っている。

こういう劣悪な環境へ、生まれて間もない赤子を連れてくるかなぁ? 同窓会が人生の上でどれほど大切なものか判らないけれど、まだまだ集まれる年齢層なら、「子供が生まれたので、今回は遠慮する」とか「実家の母に預けてきた」とかが、普通だろう。赤子と自分の母親まで連れてきて、自分は酔っ払って楽しんでいるとは。

私は未だに結婚すらしない人間だから、言っていることが多少可笑しいかも知れない。

だが、どう見ても、第三者としては「?」と思うことが、飲む現場で増えた。

旅先では、起こること一つ一つがその町の印象になってしまう。今の時代におっさんの意見は古めかしいのかも知れないが、まるでその町全体がこう云う非常識人ばかりなのかと、疑ってしまうこともある。

自分の常識は、他人にとって非常識なのだろうか。

まあ、平和に★が呑めれば何でもいいのでもあるが。

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(尚、画像は何れもイメージです。最後のは何なのかよく判りません)。

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2010年6月12日 (土)

下心撮影・石北線の結果ご報告

少々遅くなったが、先日の撮影旅行の現像が上がってきた。下心が多いので、邪な写真ばかりだが、お付き合い頂ければと思う。

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道内に入って、フィルムで撮った一枚目の写真。この時期の北海道は新緑が非常に目立って、見回しても緑、緑だが、そんな中で唯一異なる色が芝桜である。白色の花もあるが、道内ではピンクの花が多く植えられているようで大変目につく。上川駅にも隅にちょこっと植えられていたので、借景させてもらった。

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上川駅で大雪の山が見えたので、小雨の中を近くのガード橋まで行って撮ってみた。以前、この反対側を同じガードから撮ってみたが、山さえ見えればこちら側の方が雰囲気は良さそうだ。駅内へ進入していくのは特別快速・きたみ。東雲駅側のガードより。

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愛別駅から西側へ歩いた側で撮ったもの。咲いているのは花のつき方から梅のように思えるが、いくら何でも6月に梅はあり得るだろうか? この時期に咲くのはミネザクラの類、らしいのであるが。ご覧の通り、オホーツクの遠軽側に白ボウズ君は居なかった。伊香牛~愛別にて。

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残雪の山は「愛別山」というらしい。オホーツクが1両増結された5連でやって来たので、予定が狂って、ファインダー内に収まるかどうかという事態になった(汗)。愛別駅から東側にあたる、愛別~中愛別にて。

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撮影旅行記で「斜面に這いつくばるようにして」三脚を立てた写真がこれ。よく見ると、上の中央辺りにケーブル線がチラッと見える。本来なら2両以上の列車向きの撮影地と思うが、オホーツクは夕方まで来ないので、単行のキハ40で我慢するしかない。愛別~中愛別にて。

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中愛別駅の雰囲気がとてもいいので、撮っておいた一枚。新緑の季節としてもそろそろ限界だが、ともあれ、新緑だからこそ撮る気が起きた写真でもある。

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中愛別で列車を待っていると、やけにスズメが騒ぐ。私は気付かなかったのだが、する内に手前の鳥(何か判らない。ヒタキの類と思う)がやって来て、柵の下にいた蛇を果敢に足で飛び蹴りして、とうとう叢の中へ追いやったのだ。「どんなもんだい」と言いたげに胸を張っている鳥さんが気丈に見えた。

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アウトカーブからの撮影は、基本的に1両目の列車が「真っ立て」になった状態で撮影するものだそうだ。だが、2両編成の列車でそれを敢行してしまうと、余りに味気ないことになる。で、セオリーを外した撮り方をした。私に言わせれば「左右のバランスが取れていれば、それでいいのだ」。バカボンのパパと同じ台詞で誤魔化す。東雲~上川にて。

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ここは、ある程度の長さの列車でも収まるので、結構いい撮影地と思うのだが、撮影地ガイドにここのことを書いたものはない様だ。下を流れるのは石狩川で、ここをタイが遡上したため、これ以降私は雨天に苦しまされる羽目になる。東雲~上川にて。

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たまには玉砕モノを。ここでは水鏡が出来る予定だったのだが、何故かうまくいかなかった。来る列車が1両と判っていたのだから、もう少し線路から離れて撮影すべきだったのだろう。私的には、水鏡がうまくいかなくとも、ヘッドライトがもう少し水面に映えてくれるはずだったのだが。桜岡~東雲にて。

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当麻駅は市街地の中なのだが、駅横には貯木場があり、それをフレームに収めるとそれなりに絵になると思う。許可を得て、貯木場に入って撮ってもいいかも知れない。林業が盛んなことを強調したかったので撮影した一枚。当麻駅から将軍山方面を向いて。

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旭山動物園まで、往復800円のバス代を費やして撮影した写真。何とか、4両編成のオホーツクが判るように写っていたので、ここにお載せすることとした(拡大してご覧下さい)。晴れていれば、さぞかし爽快な景色になるだろうと思う。この写真だと、suzuran6さんが言われるように、お米の産地であることだけが明快に判る。北日ノ出~桜岡にて。

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取り立てて「いい写真」でもないけれど、300mmのレンズに1.4倍のテレコンをかけた写真なので、敢えて掲載することにした。列車の渡っている橋梁がかなり短く見えると思うが、これが望遠レンズの圧縮効果と云う奴だ。実際には結構川幅が広く、長い鉄橋である。この時は本格的に雨が降っていて、桜岡駅の跨線橋内から撮影している。桜岡~当麻にて。

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「雨」を表現しようと思って、帰りの列車から自棄クソになって撮影した、と云う写真。背景が暗い方が、窓の雨粒は判り易い。と言って、背景が樹木で暗いばかりだと、写真全体が暗いイメージになってしまう。変な写真なりに、撮るタイミングを見計らって撮ったものではある。4544D車内から・区間としては北日ノ出~桜岡にて。

下心が多いと、白ボウズ君には会えないし、玉砕気味の写真が多いようだ。ただ、折角北海道まで渡ったのだから、自分なりに精一杯撮ってきたつもりである。

今度は、下心を持たないようにして、同じ区間に挑んでみたい。

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2010年6月 9日 (水)

上川の跨線橋・当麻の覆い屋根

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先日の石北線旅行で、後日別掲としたい、と書いた両駅の駅施設について書こうと思う。

最近、お邪魔しているブログで古めかしい駅施設のことが話題となっているので、私も私なりの視点で見物をしてきたのだ。

上の写真は上川駅の2・3番ホーム。上川駅は何度か訪れているが、来る度に「あのアーチ型のホームの屋根土台は何ゆえ出来たのだろう?」とかなり気にしている。独特の覆い屋根土台で、これもちょっと興味がそそられる。

さて、それはよいとして、上川駅の跨線橋をご覧頂きたいと思う。

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中々いい味を出している。レールと思われる鉄材で、跨線橋の補強をしている点も、古さを強調しているように見受けられる。

跨線橋入口から、階段を眺めてみる。

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階段の踏み板部分は青いビニールで補強してあるが、木造であることがありありと判る。かなりの年代を感じさせる。階段そのものが木造の跨線橋は、かなり少ないように思われる。

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跨線部分の踏板も、木造である。点字ブロックは止むを得ないが、ここまで雰囲気のいい跨線橋を、私は知らない。天井から吊るされる「おつかれさまでした」も、心を癒してくれる。「驛」を感じさせてくれる内部だと思う。

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駅舎側から見た、跨線橋の入口付近。三角屋根が、古さを際立たせている。「出口」と書かれた部分の側材は、長らくペンキの塗り直しをしていないようだ。駅創業時から、そのままなのではと思わせる、年代物の跨線橋である。

上川は、この辺りのアイヌ地名「ペニ・ウン・クル・コタン」を意訳して「川の上流に住む人の村」としたことから名付けられた駅名だという。古くから栄えた村であったことが窺える。

さて、次は当麻駅の2番ホームの覆い屋根に話題を移す。

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駅の跨線橋から眺めた、覆い屋根の全体像。これを、ホームの北側部分から見てみる。

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しっかりレールが使ってあって、これも相当な年代物だ。屋根裏は、当然、板張り。ペンキも長らく塗り直した跡がないようで、益々年代を感じてしまう。

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ちょうどやって来た4525Dと共にパチリ。どう見ても、覆い屋根よりディーゼルの方が斬新な塗装に見える。JR北海道の気動車の塗装は、比較的落ち着いた色分けだと思うのだが、それでもこの覆い屋根と比較すると気動車には新しさが感じられる。
いっそのこと、ツートンのキハ22だったら、何とか時代背景が同じになるかも知れない。

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非常に見辛い画像で申し訳ないが、レール部分の年代を写してみた。辛うじて「1928」の文字が読める(上下逆さまになっている)。私より35年も早く生まれているものであり、両親の年齢よりも上になる。老齢ながら奮闘している様は、心強い。

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覆い屋根部分の駅名標は、完全に国鉄時代のままだ。JRになってから、北海道では臨時乗降場も駅とみなすようになった。とすると、当麻の伊香牛よりの駅は本来、「将軍山(しょうぐんやま)」になる。他の駅名標は伊香牛の部分だけ塗り潰して「しょうぐんやま」に直してあったが、この駅名標だけは塗り潰していなかった。
敢えてこの部分には、手を入れていないのだろうか。

当麻は、「沼に行く川」を意味するアイヌ語「ト・オマ・ナイ」を音訳した駅名だそうだ。アイヌ語の地名は、北海道らしくて本当にいい。

2つの駅施設を、少々駆け足でご覧頂いた。こうした古さを醸す駅施設は、これからも変えずに残して欲しいものだと、心から願う次第である。

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2010年6月 6日 (日)

石北線下心アリ旅行(6・7日目/帰路等)

6日目(6月5日)

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バスの転回場とJR車両の留置線が望めるホテルの部屋も、今日が最後である。

今から直ぐに戻りにかかるのではないが、ともあれ今晩はここの部屋へ戻ってこない。

大体いつも、長い休みを取って旅行する場合、私は最後の日を「乗り鉄」に捧げることにしている。今回もその例に漏れずで予定を組んだ。その為、少々他人様にご迷惑をお掛けすることにもなってしまっているが、ともあれ順を追って書いて行こう。

朝は8時10分発の普通列車・岩見沢行きで滝川まで行く。滝川へ8時56分に着く。

滝川では既にこんな看板が待っている。

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「鉄」の間で有名になっている、滝川始発9時37分の鈍行列車・釧路行きに、程よい時間に着けるのだ。土日は、この列車に、わざわざ国鉄色に戻したキハ40を使うと鉄道ニュースなどに書いてあった。

どう云うスジで?と、半分期待していたら、向こうの留置線から別に何の変わりもない北海道カラーのキハが、構内を走り始める姿が見えた。朱色なら記念写真の一つも撮るのだが、少し意気消沈する。

だが、「長距離鈍行」の言葉の響きは大好きだ。自分の都合で、この列車には帯広までしか乗れないが、それでも4時間以上同じ列車に揺られ続けることが出来る。

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滝川でこのサボを拝めるのは、有難いことと言わねばなるまい。

発車して次の東滝川で、早々と「交換列車待ち合わせのため、4分停車します」とアナウンスが入る。これが、鈍行列車の醍醐味だ。こう云うのを嬉しく感じるのは、かなり重症の鉄道マニアと言わねばならんだろう。

赤平、芦別と、私がよくお邪魔するブログでお馴染みの地名がアナウンスされる。私は運炭列車が華やかなりし頃を知らないから、草木が生えた構内を眺めて、ここにそんな長編成の貨車がいたのかなぁと感じ入るだけである。

富良野で、後部に一両増結する関係もあり、20分停車。ホームへ出て手足を伸ばし、缶コーヒーを買ったりする。

しばらく行くと

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こんな駅がある。名古屋にも全く同名の駅が存在する。名古屋の金山は、繁華街にある賑やかな駅だが、こちらの金山はひっそりしていて、乗降客はなかった。

落合を過ぎると、狩勝の峠越えにかかる。トンネルまでエンジン全開で登り、トンネルを出て十勝平野が見えると、ディーゼルエンジンが急に静かになる。次の新得駅まで、約28キロの間、駅は存在しない。人里稀な地帯で、熊がよく出るとの話も聞いている。熊こそいなかったが、途中でエゾシカを避けるためだろうか、一度急ブレーキと共にタイフォンが鳴った。

峠を越した新得駅で、一息つくように4分の停車。その間に気付いたのだが、同じ列車でも先程の写真と反対側のサボは

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ローマ字標記が無く、白ペンキで潰した文字が覗いている。快速の「狩勝」で使っていた古いサボだろう。国鉄時代はサボは粗末に扱われたものも多いと聞くが、民営化された今となっては、これも大切に使う貴重な財産なのだ。

新得からも少しく停車しながら、1時間ばかりで帯広に着く。この列車は帯広で32分停車する。その間に、先行の鈍行・池田行きが4分接続で発車する。私はその池田行きに乗り換えないと、後々の予定に響くので、乗り換えざるを得ない。乗り換えた列車も、国鉄カラーにはなっていなかった。白ボウズも見れなかったし、どうも今回の旅行、車両関係に関しては、あまりツキがないようだ。

池田へは14時23分着。私の使う周遊きっぷだとこの辺りは乗り放題なので、少しでも東へ移動しておいた。

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この写真を出しておけば、池田へ来た証にはなるだろう。

ここからは14時37分発の特急で、一気に札幌へ行く。札幌では、vanagon714さんとWさんが待っていて下さるはずなのだ。夕刻からはお二人と、一献する予定になっている。これが下心(その3)で、これだけ下心の多い旅行もそうなかろうと、自分ながらに思う。

札幌へと急ぐ私の気持ちを察するかのように、石勝線の山中の信号所で列車が停まり、車掌が「列車の故障が見つかりましたので、少々停車します」と言った。私ゃ、グレるぞ。

幸い、大きな故障ではなかったようで、8分遅れで山の中から脱出を始めた。お二人には「南千歳を出た段階で、遅れ等なければ特に連絡はしません」と伝えてあるので、南千歳到着と共に慌ててメールをする。

メールの送信と共にWさんからのメールが受信され、「vanagonさんも少し遅れるようです。この地図の場所で待っています」と地図の写メが送られてきた。後で聞くと、それはvanagonさんが、Wさん用に書いた地図だとのことだった。vanagonさん曰く「名古屋のおさかなが判って、何で札幌のWさんが判んないのだ……」というような、簡単な待ち合わせ場所だったのである。
この話は、暫くの間、私たちの間で揶揄の話題となりそうである。面白いなぁ。

ともあれ、列車の遅れもある程度縮まり、vanagonさんも間に合われて、3人揃って、1月に渡道した際に訪れた駅近くのお店へ伺う。

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ひっそりとしたお店なので、写真もちょっと控えめの大きさにしておいた。大都会・札幌の駅から徒歩10分程度に、こんなお店があることは、私自身も信じられない。

北海道と内地の違いとか、鉄関係の話とか、話題は尽きないみたいな4時間だった。考えてみれば、私もvanagon714さんとは、昨年5月にお会いしたのが初めてである。Wさんに至っては、今年の1月の渡道時にお会いしたばかりだ。それでも、ブログの存在がネットワークになって話が弾むのだから、縁(えにし)とは不思議なのものだと思う。

何しろ、お二方には大変楽しい時間を提供して頂いた。この場を借りて、再度、厚く御礼申し上げる次第である。

7日目(6月6日)

話の行きがかり上、日にちが変わったことにしたが、まだ日にちは変わっていない。私は22時ちょうど発の青森行急行「はまなす」を今回の離道の手段として選んだが、これにも下心があるのだ。下心(その4)である。

vanagon714さんとWさんにはホームでまでお見送り頂いた。「はまなす」がもう1時間遅い発車だったら、私はもう1時間余分に、お二方と話が出来たのに……と思ったものだ。

どちらにしても、いつかは帰らなければならない。「はまなす」が新札幌を出た辺りでお二人にメールを送り、歯を磨いたらすぐに横になった。

函館で時間調整の停車と、青函トンネルの轟音で、2回、目が覚めたように思うけれど、寝巻きから着替え始めたのは、5時15分頃の車掌の「只今、定刻通りの運転をしております」のアナウンスだった。

青森へ5時39分の定刻着。昨年の5月には、ここから普通列車ばかりを乗り継いで、その日の内に東京へ到着できることを自ら人体実験してみた。そのスタートは、青森を6時10分に出る八戸行きのディーゼル列車である。

今回もそれに乗る。但し、今回は八戸まで乗ったら、それで目的は終了する。

今年の12月に、東北新幹線が新青森まで延伸されることと、青森~八戸間のJR東北本線が「青い森鉄道」に転換されることは既に決まってしまった話である。私が今年中に青森へ赴く機会は、ちょっと持てそうにない。だから、JR好きな私としては「青森~八戸をJR東北本線として乗る」のは、これが最後になりそうなのだ。最後くらいは鈍行でゆっくり乗り通したい。

そう云う下心があって、北海道から離れるのに便利な「北斗星」などを使わずに、「はまなす」を選択したのであった。

この区間は、7~8年前の冬に撮影はしてある。その時のことを一つ一つ思い出しながら、「最後の東北本線」を乗ってみた。矢田前、狩場沢、上北町……。私にとっては、降りたことのある駅は、何らかの思い出として心に残っている。

「おらが町に新幹線を」。気持ちは判らないでもないけれど、その代償として、在来の東北本線は、JRから切り離されて、不便な鉄道に様変わりする。

昨日の宴会で精力を使い果たしたので(愚)、デジカメで東北本線の写真を撮っていない。だから、文章だけのご報告になってしまうが、一つ一つの駅を大切にする気持ちを、私は持ち続けたいと思うのである。鉄路として存続はするものの、結局は新幹線のために、のんびりする手段を奪われるのは残念極まりない話である。

リンクを組んで頂いている「N市のTさんのブログ」のコメントで、ある方が、「今の日本は何か大切な物を置き忘れていますよね」と書いておられた。私が思うのは、その言葉通りのことなのだ。速さだけを求める旅行を私は好まない。

北海道は、時間をかけて行くからこそ、遠い所だとの実感が湧くのである。

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2010年6月 4日 (金)

石北線下心アリ旅行(3・4・5日目/撮影)

3日目(6月2日)

朝早くに目覚ましを掛けておいたが、起きそびれてしまった。6時58分発の上川行きに乗らないと、行動計画が全部パーになってしまうのだ。大寝坊である。

仕方がないので急遽予定を組み替えて、9時16分の列車で愛別まで行ってみる。

愛別駅から西側と東側をそれぞれ撮影する。

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駅の直ぐ西にはレンガ造りの倉庫があって、ちょっと興味が湧く。全部で3棟もある。隣には建設会社が鎮座しており、作業用品の置き場なのか知らんと思う。

駅の東側では、上りオホーツクの撮影がメインである。最後部車両(遠軽方)が気になるので、コンデジを準備していたが

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見事に外れ~。昨日から見ていると、オホーツクは列車によっては1両増結しているようだ。

13時半の下り列車で、一駅乗った中愛別まで歩を進める。駅から徒歩15分程度の場所に、撮影地ガイドに書かれた場所がある。

そこへ行ったはいいけれど、ガイドには書いていないケーブル線が邪魔になって、とても普通の姿勢では撮影できない。結局、傾斜地にカメラを置いて

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こんな窮屈な所で撮影に及ぶ。ガイド本ばかり頼りにするのは、イカンなぁと思う。

その後、自分で見つけておいた場所へ赴き、駅へ戻る。

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清楚な雰囲気のいい駅舎である。16時を過ぎたばかりだが、今日はこれで戻る。16時の列車を逃すと、次は19時過ぎまで列車がないので止むを得ない。

16時の列車は単行の上に、上川の高校の生徒らで満員で、デッキに立ったままであった。

4日目(6月3日)

今日こそ、ちゃんと目覚まし通りに起きた。6時58分の上川行きに乗り、終点一つ手前の東雲まで行く。車内は、上川まで行く高校生たちで、東旭川辺りから満員になる。

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2両繋いでいるのにこの有様だ。降りそびれるといけないので、東雲で降りる私は、かなり早めに席を立った。

東雲辺りでは、見つけておいた撮影地があるので、そこで暫く居座る。

足元に何か食用になりそうな植物があるので、

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「これってギョウジャニンニクですか?」とWさんにメールで尋ねてみる。若い芽なら食用になるものではあるそうだが、名前は「笹たけ」と云うのだそうだ。一つ勉強になった(Wさん、有難うございます)。

11時少し前の列車で、当麻まで戻る。ここも見つけておいた撮影地がある。

水鏡を狙ってみたものの、天気が悪いことも重なって、上手くは撮れない。また、特急オホーツクを待ってみたのだが、

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今日も白ボウズ君には会えない。下心がある上に、日頃の行いが悪いからなのだろう。

当麻駅へ戻って、2番線の趣のある覆い屋根などをちょっと撮ってみる。石北線の駅には、結構古いものがあれこれ残っているようだ。これについては、後日別掲としたい。

14時半過ぎの列車で、更に一駅戻って、桜岡で降りる。降りた途端に、今まで頑張っていた空が、涙の雫を落とし始めた。暫くは傘をささずに辛抱していたが、ブルゾンがびしょ濡れになってきたので、止むなく折り畳み傘を取り出す。

予定していた撮影地は、車窓で見たのと違って、全く絵にならない。おまけに雨である。適当に撮って、駅に引き返す。ただ、駅そのものが結構いい雰囲気のもので

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こんな感じである。駅の写真を撮っていた方が余程「絵」らしいので、そちらに集中しながら、帰りの列車を待つ。

旭川へ戻る列車は、昨日と同じスジである。単行の車内が高校生で満員であることは昨日の経験で判っていたから、 初めからカメラバックなどを手持ちにして、高校生達をのけるように車内へ押し入る。

発車したショックで少しよろめくと、前に座っていた男子高校生2人が「あ、どうぞ、お座りになって下さい」と席を譲ってくれる。まだまだ席を譲られる歳ではないはずなので、吃驚する。

考えてみれば、いくら童顔の私でも、高校生諸氏に比べると30歳も年上になる。若い人に席を譲ってもらうことなど人生経験上初めてだが、彼らの好意に甘えさせて頂くことにする。

外は小雨が続いていたが、悪い気分ではなかった。

5日目(6月4日)

今日は取り敢えず鉄道に乗らず、

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このバスに乗ってみる。旭山動物園そのものには用はないが、動物園脇の元・スキーゲレンデから石北線が俯瞰撮影できるとガイドブックにあったからだ。

小雨が降っているが、天気予報によると昼中は雨が止むという。それを信じてバスの終点まで乗り、更に少し山道を登ってゲレンデの跡地に立ってみる。然し、雨は止まない。

大体が、どこが線路なのか、雨に煙ってよく判らない。

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持参の長い望遠レンズで覗く内に、線路らしい場所は判るようになった。勘が当たっていたようで、特急のオホーツクの姿が何とか確認できる。但し、かなり判りづらい写真になっているはずだ。

次の上・下の普通列車を待つうちに、どんどんガスが濃くなってきた。キハ40の白い車体は景色に溶け込んでとても見えない。雨も止まない。アホらしくなって戻ることにした。

バス停へ向かう途中で駐車場の警備員のおっちゃんが、「いいの撮れたかい?」と聞いてくれる。この天気なので……と苦笑したが、動物園に用事がない者は、訪れる格好で判ってしまうらしい。

折角、旭山まで来たのだから

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塀の外から園内の羊さんだけは、デジで撮っておいた。

10時半のバスで、旭川駅へ戻る。

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古いエアロスターであった。この形、決して嫌いではないのだが、排気ガスの規定に引っかかるようで、名古屋にはもういない。

さて、11時15分頃、旭川に戻ったが、次の石北線は12時過ぎまでない。雨も相変わらずで撮れそうにないので、一旦札幌行きの「スーパーカムイ」に乗ってみる。周遊きっぷだから特急の自由席なら乗り放題だ。これで美唄まで往復してから、13時43分の石北線で、昨日と同じ桜岡まで行ってみる。

一旦は止んだように見えた雨が、何故か私が降りた途端にまた降りだす。折角来たのだからと、3本の列車を撮ってみたが、中々いい構図にならないし、雨も強くなってきた。諦めて、昨日までより一本早い15時台の列車で、宿へ戻ることにした。独り、「天気予報は何にも当たらんなぁ」と呟く。

列車の中から自棄クソになって撮った写真があるが、上手くいっていたら、またこの場で発表するつもりではある。

宿へ帰ってシャワーを浴びたら、いつの間にか雨が止んでいて、青空さえ見えた。
気晴らしにと思って飲み屋へ行ったら、注文は取り忘れられるわ、注文した品物は持ってこられないわで、散々であった。

ついていない時は、とことん、こう云う目に遭うらしい。

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2010年6月 1日 (火)

石北線下心アリ旅行(1・2日目/往路)

1日目(5月31日)

またまた唐突ではあるが、今日は

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に居たりする。

昨日の朝、名古屋を出発して、少し寄り道もしながら辿り着いた。ここまでの経路などをなるべく簡潔にご紹介しようと思う。

いつもの千種駅からスタートし、中央線でそのまま松本方面へ向かう。前回(1月)に北海道から帰る際、中央線経由で名古屋へ戻ったのだが、その途中、ケータイゲームのお蔭で不快の念を抱いたことをあとでブログに書いた。それで、今回はもう一度楽しかった札幌へルートごと逆戻りして、不快の思いを払拭しようとの思いがあったのだ。

さて、中央線経由だから、一々詳しく書くこともなかろう。で、乗った電車の方向幕を順にご紹介して、簡略させて頂く。

中津川までは快速電車。そこから一日に1本だけのJR東の車両を使う、10時10分発の松本行きで塩尻まで行く。

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3両連結なのでワンマン運転ではなく、車掌の肉声でアナウンスが聞けるから、ちょっとホッとした気持ちになる。

塩尻からは直ぐの接続で

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これで、韮崎(にらさき)まで乗る。乗り継ぎの加減で、終点の甲府より手前で降りる。

韮崎からは、ここを始発にする

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これで、大月まで向かう。甲府行は長野車両区の車両、大月行は東京・豊田車両区の車両である。乗り継いで気がついたのだが、両者では手洗のあるクハの位置が逆なのだ。

このあたりを走る115系電車はクハ-モハ-クモハの3両連結が基本になるのだが、長野の車両は東京方にクハ、豊田の車両は長野方にクハなのだ。手洗が近い私はなるべくトイレのあるクハに乗りたがる。それで、両者の違いに気付いたのであった。

まあ、ご説明はこれぐらいとして。

大月へ着くと、今度は一気に

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これになってしまう。せめて高尾まではBOX席で行きたかったのだが、列車の接続の都合でここから、もう国電型ロングシートになってしまう。ちょっと味気ない。

乗っている内に学校の下校時なども重なり、だんだん車内が混んできた。この後は御茶ノ水で乗り換えて一駅の秋葉原へ、そして京浜東北線で上野へというコースである。秋葉原で乗り換えの際に、一旦改札を出て、少し早めの夕食を済ませておいた。

上野からは、

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これで一気に北海道へ向かう。指定券は、早めに押さえておいたから、安心して乗れる。

普段は夜行列車でいつまでも夜景を眺めるのだが、この所少々寝不足なので、22時半頃にはもう寝てしまった。

2日目(6月1日)

車掌の「間もなく函館です」の案内放送で目が覚める。知らない内に北海道に入っていた。
まだ6時半だ。札幌へ着くのは11時15分だから、放送を無視して寝直す。

その後、「間もなく森です」「間もなく八雲です」「間もなく長万部です」……と延々と目を覚まされ続けたが、9時32分の東室蘭到着まで意地で布団に包まっていた。

やっと起き出して、ちょっとメールなどを打つうちに苫小牧になり、少し乗っていると

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石勝線の分岐が見え(列車の走っていない方が石勝線)、

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空港線の分岐も見え、南千歳に着く。南千歳は、以前は「千歳空港」を名乗っていた途中駅だったが、今では鉄道分岐の重要なポイント駅に変わった。
ここから、札幌まではほんの30分ほどだ。

札幌で駅弁を買い、11時30分のスーパーカムイに乗り継ぐ。先日vanagon714さんが記事にされていた岩見沢を12時頃に通るので、そこを過ぎてからゆっくり駅弁を食そうと思う。

11時53分、岩見沢着。何とか車窓に跨線橋が見える。

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コラボにはならないけれど、「私もしっかり観察しました」と云うことで。
この後で見た、深川駅の跨線橋も味のあるものだった。

あ、因みに札幌で買った駅弁は

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「やまべ鮭寿司」であります♪ 美味しかった。

乗り継ぎになる旭川駅は、現在、橋上駅舎工事中で、今年の10月10日に高架線ホームが開業とある。旭川名物の

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富良野線へ向かうロング地下道も、今回で見納めのようだ。

旭川では少し待って、普通列車の上川行に乗る。今回の渡道は石北線の旭川~上川の撮影が目的なので、ロケハンがてら上川まで行こうということである。

持参の地図と睨めっこしながら、好撮影地を探す。ある程度の撮影の目星はつけれたと思う。

当初の予定では、今乗ってきた列車の折り返しで上川へ戻る予定だったが、上川駅付近でちょっと撮れそうな場所を見つけ、予定を変更する。乗ってきた列車の折り返しを撮影してから、特急の「オホーツク6号」で旭川へ戻っても、旭川の到着時刻は5分しか違わない。

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背景の大雪の山々が綺麗な上川駅であった。

明日から3日間は、撮り鉄に徹する予定である。

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