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2010年4月20日 (火)

上信電鉄往復記~雪達磨になる前に

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先日の旅行記で、「後日別掲としたい」と書いた、上信電鉄の往復乗車記を書こうと思う。

何しろ寒い日だったので、撮影を中途で打ち切るような形で高崎へ戻り、上信電鉄に乗ることになった。本来だと、最終日に臨時の快速を撮影した後で往復する予定でいた。

高崎へ戻って来たのが16時半前。次の列車は17時09分か、ちょっと効率が悪いな、と思いつつ一旦、橋上のJRの改札を出て、「上信電鉄」の矢印のある階段を下りていく。高崎駅ではJRと上信電鉄がほぼ同居していて、上信のホームは「0番線」と呼ばれている。

その0番乗り場へ行くと、目の前に

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改札と次の列車の発車時刻が見えた。私の時刻表の見落としらしく、16時43分と云う便があるらしい。早速、写真の右側に見えている券売機で、往復の乗車券を買おうとする。

タッチパネル式の慣れないものだが、適当に触れば何か出てくるだろう。軽い気持ちでいたが、肝心の紙幣を受け付けてくれない。札を入れ直そうとしたら、すぐさま駅員氏が飛んできた。不慣れなおっさんが切符の買い方を判らないでいる、とでも思われたのだろう。
鉄道マニアの面目にかけて、切符くらいは駅員の補助なしで買いたかった。

やっと紙幣を受け付けて、チョインと出てきたのは……2枚の整理券? ペラペラの感熱紙で、バーコードまで印刷されている。きょとんとしている私を見て、駅員氏が言った。
「いえ、これが乗車券なんです」。

鉄道マニアの面目は、完全に崩れ去った。

因みに当の乗車券、こんなものである。

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大きさは5.8センチ×2.5センチくらいで、一般的な軟券よりも更に一回り小さい。今は入鋏印が捺されているから切符らしく見えるかも知れないが、スタンプがなければ、バスの整理券となんら変わりはない。と私の勝手な解釈である。

さて、改札をくぐると待ち構えていたのは

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この電車。JR以外の私鉄に余り詳しくない私だが、一目見て「西武電車のお古だろう」との察しがつく。あとで車内を見回したら

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こんな銘板があり、自分で自分に納得する。ただ先程Wikipediaで下調べをしたら、自社発注の車両でも、西武・所沢製の車両が存在するそうだ。

こんなことを一々書いていたら、いつになっても発車できないから、これぐらいでやめておく。

ロングシートに掛けて、定刻に発車。車内は女子高生の姿が目立つ。下校の時刻に重なったのだろう。また、一般的に、通勤客の帰りの時間にはまだちょっと早い。立ち席も多く、皆楽しそうに談笑している。

一駅目の南高崎を過ぎると、なぜか徐行運転になる。なぜ速度を上げないのだろう、と不思議に思っていると、窓の向こうを別の電車がすれ違う姿が見えた。どうやら信号所らしい。ローカル私鉄で信号所を設けている例は珍しい。これまたWikipediaを見てみると「赤津信号所」のことのようだ。

高崎駅では0番線しか使用させてもらえない。南高崎駅は交換できる駅ではない。実質はここまで単線なのだ。ある程度の頻度で列車を運転させるためには、こんな芸当をしなければダイヤが引けないのだろう。
因みにまたWikipediaから仕入れた知識だが、ここの信号所の停止信号で停まらずに、列車同士の正面衝突事故を起こしたことがあるそうな。1984年の話だそうで、当時の私は二十歳を越しているが、そんな事故があったかなと思う。国鉄に傾倒しているので、地方私鉄のことは気にしていなかったのかも知れない。

先を急ごう。

ローカル私鉄では、始発駅を出て15分程度で車内の立ち席がなくなり、ガラガラになるケースが多い。然し、ここでは違う。山名とか、吉井とか、ある程度の規模の駅を通り越しても立ち席の高校生の姿が消えない。

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あまり直接な画像でもまずいから、連結面越しの画像。こんな状態が30分以上乗った上州富岡まで続いた。

上州富岡は、流石、日本近代化・元祖の街である。上州富岡の前後に「東富岡」と「西富岡」もあるけれど、この3駅で大半の女子高生が降りていった。つまるところは、高崎と富岡を結ぶ要素が、かなり強いらしい。富岡市内にも高校があるようだけれど、先へ乗る生徒は、それほど多くはないようであった。

富岡の市街を出て、ちょっと一息ついた雰囲気の上州一ノ宮で、古い電車と交換。ローズピンクを濃くしたような塗装で、私がイメージしていた「上信電鉄」のカラーはこの色だ。だが、このカラーの電車とすれ違ったのは、下り電車ではこの一度きり。西武からの電車が大勢を占めているようで、私の頭にある上信電鉄は、20年以上前の姿らしい。

かのはら、という駅を過ぎる。漢字では「神農原」と書く。随分読み難いが、その次の駅が珍駅名として有名な「南蛇井(なんじゃい)」だ。折角だから、駅名標を写しておく。

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鉄道に興味のない人なら、漢字だけを見せられても、正しい「読み」の回答は出てこないものと思われる。

南蛇井を出ると、あと2駅で終点の下仁田になる。下仁田は、コンニャクと、ぶっとい「下仁田ネギ」で有名なところだ。先入観があるからか、ネギ畑が目につくようになる。

ところが、終点の手前の千平を出ると、意外にも渓谷沿いを走るようになった。線路も右へ左へとカーブする。平野が尽きた所が終点と勝手に思い込んでいたのだが、下仁田なる所は、存外、山の中らしい。短いが、トンネルも一つ過ぎた。

山の中の寂しい集落、の雰囲気の下仁田へ到着。いつの間にか、外は雨が降っている。

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私は下仁田にはもっと大きな車両基地でもあると思っていたが、本社は高崎の側にあるらしく、下仁田は「ちょっとした車両置き場」程度の配線しかなかった。

雨の駅構内を走って、先程の「ペラペラ乗車券」に無効印を捺してもらい、トイレへ駆け込む。ここまでに約1時間を要した。寒いし天気も悪いから、そう長居をする気は起こらない。今乗ってきた電車で、さっさと帰って、お酒でも嗜んでいた方が気が楽そうだ。電車は6分程度停留しただけで折り返す。

下仁田駅の時刻表によると、折り返しの17時50分発は「50便」というらしい。その50便に乗り込んで、さっきとは向かい合わせの位置のロングシートに座ってみる。往きと帰りで見える景色を違えてみたかった。2両連結の、今度は後ろ側の車両になる。

初めはがら空きだった車内だが、やはり上州富岡が近付くと混んできた。ワンマン運転なので、無人駅では前の車両の最前扉しか開かない。その関係から、前の車両では立ち席も見えるようになった。

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私の乗っている後部車両は、立ち席は出なかった。

帰り道は、転がした鉛筆を逆から転がし返すような感じであった。ただ、富岡以降は駅ごとに客が減っていき、往路のように高崎へ近付くと客が多くなる、というものではなかった。ローカル線には、お客が乗ると言っても限度があるようだ。

再び約1時間を要して高崎へ戻ってきた。

私を含めたお客が全て降りた頃を見計らって、一番高崎寄りの扉を除いて、扉が閉められた。さっき私に切符を買ってくれた駅員が、走り寄って唯一開いた扉の前に、立て看板を置いていった。

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地方私鉄ならでは、の暖かさを感じずにはいられなかった。

この後の私の遭遇した事柄は、前回の記事に書いた通りである。ただ一つだけ書き忘れていたので、追記しておこう。

母に「高崎は雪だ」とメールを送ったら、暫くして返信が帰って来た。曰く

「雪達磨にならないよう、お戻り下さい」。

ここは、上州・高崎である。母も、上手いことを言うなと思ったのであった。

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コメント

上信電鉄も乗ってみたいのですが、機会がなかなかないので乗っていません。
いずれゆっくり乗って、蒟蒻でも食べたいと思います。
高崎駅の改札に硬券があったと思います。
券売機の乗車券にバーコードが入っているという事は、車内の運賃箱で読み取るという事でしょうか。

投稿: N市のT | 2010年4月20日 (火) 22時52分

高崎駅の上信電鉄ホームの発車ベル(昔ながらのベル)は今も健在で
しょうか?

整理券じゃなくて乗車券の画像見たところ、M鉄バスやJRH海道バスと
バーコードや数字の書体が同じなので、たぶん神奈川のO田原機器製
で間違いない、と思います。
N市バスが去年まで使っていた運賃箱もこの会社の製品であり、
整理券投入時の「ペポ!」という音が好きですね。

投稿: 幹星丘2一利用者 | 2010年4月21日 (水) 19時12分

>N市のTさんへ
高崎駅での硬券は気付きませんでした。
あの改札口の所で売っていたのかも知れませんね。あまり観察していませんでした。
本文に書き忘れましたが、意外に有人の駅が多くあり、どこの駅にも硬券を入れた切符棚が車窓に見えました。
お客さんが切符を投入する様子も観察していませんでしたが、バーコードが入っているのですから、仰せのように機械で読み取れるようになっていると思います。
時間的に定期券のお客さんが多かったようで、ワンマンの出入り口でもたつく様子は見られませんでしたね。

投稿: N市のTさんへ | 2010年4月21日 (水) 22時17分

>幹星丘2一利用者さんへ
そうそう、書き忘れていました。古式ゆかしい発車ベルが高崎駅では鳴り響いていました。

私は料金箱などに余り関心がないらしく、詳しくは観察していませんでした。バーコードの書体が同じなのなら、仰せの通りと云うことなのでしょう。
O田原機器の料金箱は、早くも「懐かしい」存在になりつつあります。
私たちの営業所でも、取り替えられて、かれこれ1年くらいになるかと思います。現在の機械は未だに慣れない部分が多く、よく操作を間違えます(汗)。

投稿: 幹星丘2一利用者さんへ | 2010年4月21日 (水) 22時26分

ご乗車された電車の塗り分けが変わってますね。
何かのラッピングカラーなのでしょうか?
湘南顔が基本の元西武電車はセンターピラーがバスのように細くて
雰囲気がちょっと違いますね。
バーコードが入った乗車券はJR北海道バスの整理券に似た感じです。
このあたりは経費削減で仕方ないのでしょうね。
終点で写っている切妻の車両や右側のカラフルな車も気になります。

投稿: vanagon714 | 2010年4月22日 (木) 00時07分

比較的近くなのですが、乗車した事がありません。
ただ、車両たちはおそらく見たことがあります‥
まだ、たった17~8年前にはこの車両達が、西武新宿線を走りまわっていたものですから。
目をつぶると、黄色とベージュの色が見えてきます。

投稿: suzuran6 | 2010年4月22日 (木) 10時25分

>vanagon714さんへ
私が乗った車両は、見た瞬間に「シマウマ」を連想しました。
以下、Wikipediaの受け売りになってしまいますが……
当の列車は群馬サファリパークの広告車だそうです(道理で……)。
下仁田駅でのカットで写っているカラフル車両も含めて、広告車両は大半がラップではなく塗装になっているようです。因みに、カラフル車両はおもちゃ屋さんの広告車らしいです。他にも群馬県らしく「日野自動車」の広告車両などがあるそうです。
最近では、「銀河鉄道999」塗装の車両を売りにしているようです(旅行記の2・3日目の記事で、初めの写真にチラッと写っています)。
切妻型の車両は、性能的に私が乗った車両と同じなので、上信電鉄内では同型として扱われいるようです。切妻の顔面は、西武鉄道が国鉄の101系を意識して作ったものだとか(窓の傾斜はついていませんが)。
幹星丘2一利用者さんのコメントにもありましたが、JHBと同じ会社の料金箱を使用しているようです。それで、バーコードなど券面が、JHBと似たものになっているようですね。
N市のTさんに教えられましたが、改札口では硬券も売っていたようです。ちょっと残念なことをしたなと思います。

投稿: vanagon714さんへ | 2010年4月22日 (木) 17時56分

>suzuran6さんへ
西武線内では4両で走っていたそうですが、上信電鉄入線にあたって中間電動車の2両だけが生き残り、運転台だけを両端の車両から移設改造したとの事です。「2M」の形で走っているようですね。
私も雑誌などで、よくこの形のツートンカラーを見ていた覚えがあります。
新宿線沿線にお住まいとのことですから、懐かしさもひとしおではないでしょうか。
西武線のお古が大半を占めているようですので、機会がありましたら、懐かしの彼らに会いに行ってあげて下さい。

投稿: suzuran6さんへ | 2010年4月22日 (木) 18時09分

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