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2010年4月

2010年4月27日 (火)

運転席より春異変の観察

仕事中のことだから、一応、カテゴリーは「バス・仕事」にしたけれど。

実際にはどうでもいい雑談なのであって。

先日、仕事中に終点の転回場で時間待ちをしていたら、横の窓からフワッとこんなのが入り込んできた。と言うか、着地した瞬間に気付いたのだ。

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言わずと知れた、タンポポの綿毛。

これを見た時は、ああ、やっと今年の春も本番を迎えたんだな、と思ったものである。

ところが、どうも今年はおかしい。タンポポが綿毛になった後でも、名古屋で「寒い」と感じる日が多々あるのだ。具体的に今日の話をすると、4月27日にバスの中で暖房を入れた。暖房を入れて

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やっと、この車内温度。室外では、12度程度までしか上がらなかったようだ。勿論、車内暖房を入れたことで、お客様から苦言を頂くことはなかった。

一体全体、今年の春はどうなってしまったのだろう。4月下旬に車内暖房を入れたことなど、初めてだ。
「冷夏」との言葉なら聞いたことがあるけれど、「冷春」なんて聞いたことがない。もう、ゴールデンウィークもリーチをかけているのに、この先どうなっていくのだろうと、大変不安に思っている私である。

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2010年4月22日 (木)

横川支線撮影結果ご報告

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先日書いた、信越本線(横川支線)のフィルムが上がってきた。いつものように愚作にお付き合い頂ければと思う。

上の写真は、横川駅の情景。右側の線路は一応、鉄道文化村へとつながっている。ホームの位置関係から察するに、嘗ては駅の3番線として使用されていた線路らしい。現在では架線が撤去されてしまっているから、事実上廃線跡と同様だろう。

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同じく横川駅でのカット。ホームへ入線する115系。跨線橋まで写したいと欲張った結果、手前の邪魔なものまで写り込んでしまった。柵越えの写真はこれが限度だったのだ。因みに左側の邪魔物は、意図して入れているもので、車止め。

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横川での写真をもう一枚。現在の横川支線は、高崎-横川の往復列車ばかりで、上野まで乗り入れる直通列車はない。昔の標識をそのまま使用している辺りが、何とも泣かせる。「高崎」の文字も古めかしくていい感じだ。

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窓口で切符を買い求めるおっさんの、コート姿が何ともキマッているように感じたので写した一枚。4月の写真なのにコート姿とは、と言われればそれもそうである。ご本人の承諾もなしに勝手に写したものなので、撮影場所は内緒にしておこう。

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真島満秀さんの、全くのマネごと。遮断機って、通常はまっすぐ上を向いているか、そうでなければ竿を下ろして横向きになっているのが当たり前である。ある意味「斜めを向けている瞬間」って貴重なものじゃなかろうかと思って写してみた。列車の来る“予感”を感じて頂ければ嬉しいのだが、これでは気分が消化不良になる方もおみえかも知れない。それで、

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ちゃんと列車の走行写真もアップしておきます(汗)。列車の速度感を強調するために、敢えて60分の1秒のスローシャッターで列車をブラしてある。2枚とも、西松井田~横川の「製糸踏切」にて。

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ご覧頂けばお判りのように、製糸踏切での別カット。旅行記で書いた踏切脇のラックレールと、115系との組み合わせ。115系自体はラックレールと無縁の車両であるから、「過去」と「今」を対比させてみようと思って、こんな写真を撮ってみた。同じく西松井田~横川にて。

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4月17日限定で運行された、快速「碓氷」号。どんな車両で運転されるかなと半分期待していたが、国鉄特急色が来てくれたので、ついでにアップしておくとする。菜の花と雪の組み合わせも、そうそう見られるものではなかろうし。松井田にて。

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やっと晴れた3日目に、妙義山の山々と共に115系を。妙義山の「本山」は右端に欠けている山のことらしいが、どちらみち雲で頂上が隠れてしまっているので、この状態のまま掲載しておくとする。実映像では、逆光のために列車が潰れてしまっているので、大幅に明るさを修正してある。また、画面右4分の1くらいの辺りに、縦に読み取りエラーの線が入ってしまっているのが目立つけれど(他の一部写真にも有)、スキャナーが謀反を故障を起こしてしまったようなので、近々修理に出す予定。

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磯部駅にあった17.5キロのキロポスト。ホームには落花盛んなソメイヨシノの花びらも舞っており、中々いい雰囲気であった。キロポストそのものが、ちょっとナナメになっているのもご愛嬌かと思う。

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ホームで帰りの電車を待ちがてら、何か写す題材はないかなと思っていたら、こんな風景を見つけたので。タイトルを、と言われれば、盗作になるけれど「青空のかけら」とするだろう。これを見つけたお蔭で、フィルムをちょうど使い切ることが出来た。磯部駅にて。

***

旅行記の方で、亜鉛鉱石を運ぶ「安中貨物」のことなども書いたけれど、その写真は見事に玉砕していた。

撮影した時点では得々としているのだが、結果を見ると、いつもと何の代わり栄えもしない写真ばかりである。「恥さらし」も程々にしておこう。

お付き合い頂きまして、有難うございました。

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2010年4月20日 (火)

上信電鉄往復記~雪達磨になる前に

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先日の旅行記で、「後日別掲としたい」と書いた、上信電鉄の往復乗車記を書こうと思う。

何しろ寒い日だったので、撮影を中途で打ち切るような形で高崎へ戻り、上信電鉄に乗ることになった。本来だと、最終日に臨時の快速を撮影した後で往復する予定でいた。

高崎へ戻って来たのが16時半前。次の列車は17時09分か、ちょっと効率が悪いな、と思いつつ一旦、橋上のJRの改札を出て、「上信電鉄」の矢印のある階段を下りていく。高崎駅ではJRと上信電鉄がほぼ同居していて、上信のホームは「0番線」と呼ばれている。

その0番乗り場へ行くと、目の前に

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改札と次の列車の発車時刻が見えた。私の時刻表の見落としらしく、16時43分と云う便があるらしい。早速、写真の右側に見えている券売機で、往復の乗車券を買おうとする。

タッチパネル式の慣れないものだが、適当に触れば何か出てくるだろう。軽い気持ちでいたが、肝心の紙幣を受け付けてくれない。札を入れ直そうとしたら、すぐさま駅員氏が飛んできた。不慣れなおっさんが切符の買い方を判らないでいる、とでも思われたのだろう。
鉄道マニアの面目にかけて、切符くらいは駅員の補助なしで買いたかった。

やっと紙幣を受け付けて、チョインと出てきたのは……2枚の整理券? ペラペラの感熱紙で、バーコードまで印刷されている。きょとんとしている私を見て、駅員氏が言った。
「いえ、これが乗車券なんです」。

鉄道マニアの面目は、完全に崩れ去った。

因みに当の乗車券、こんなものである。

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大きさは5.8センチ×2.5センチくらいで、一般的な軟券よりも更に一回り小さい。今は入鋏印が捺されているから切符らしく見えるかも知れないが、スタンプがなければ、バスの整理券となんら変わりはない。と私の勝手な解釈である。

さて、改札をくぐると待ち構えていたのは

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この電車。JR以外の私鉄に余り詳しくない私だが、一目見て「西武電車のお古だろう」との察しがつく。あとで車内を見回したら

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こんな銘板があり、自分で自分に納得する。ただ先程Wikipediaで下調べをしたら、自社発注の車両でも、西武・所沢製の車両が存在するそうだ。

こんなことを一々書いていたら、いつになっても発車できないから、これぐらいでやめておく。

ロングシートに掛けて、定刻に発車。車内は女子高生の姿が目立つ。下校の時刻に重なったのだろう。また、一般的に、通勤客の帰りの時間にはまだちょっと早い。立ち席も多く、皆楽しそうに談笑している。

一駅目の南高崎を過ぎると、なぜか徐行運転になる。なぜ速度を上げないのだろう、と不思議に思っていると、窓の向こうを別の電車がすれ違う姿が見えた。どうやら信号所らしい。ローカル私鉄で信号所を設けている例は珍しい。これまたWikipediaを見てみると「赤津信号所」のことのようだ。

高崎駅では0番線しか使用させてもらえない。南高崎駅は交換できる駅ではない。実質はここまで単線なのだ。ある程度の頻度で列車を運転させるためには、こんな芸当をしなければダイヤが引けないのだろう。
因みにまたWikipediaから仕入れた知識だが、ここの信号所の停止信号で停まらずに、列車同士の正面衝突事故を起こしたことがあるそうな。1984年の話だそうで、当時の私は二十歳を越しているが、そんな事故があったかなと思う。国鉄に傾倒しているので、地方私鉄のことは気にしていなかったのかも知れない。

先を急ごう。

ローカル私鉄では、始発駅を出て15分程度で車内の立ち席がなくなり、ガラガラになるケースが多い。然し、ここでは違う。山名とか、吉井とか、ある程度の規模の駅を通り越しても立ち席の高校生の姿が消えない。

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あまり直接な画像でもまずいから、連結面越しの画像。こんな状態が30分以上乗った上州富岡まで続いた。

上州富岡は、流石、日本近代化・元祖の街である。上州富岡の前後に「東富岡」と「西富岡」もあるけれど、この3駅で大半の女子高生が降りていった。つまるところは、高崎と富岡を結ぶ要素が、かなり強いらしい。富岡市内にも高校があるようだけれど、先へ乗る生徒は、それほど多くはないようであった。

富岡の市街を出て、ちょっと一息ついた雰囲気の上州一ノ宮で、古い電車と交換。ローズピンクを濃くしたような塗装で、私がイメージしていた「上信電鉄」のカラーはこの色だ。だが、このカラーの電車とすれ違ったのは、下り電車ではこの一度きり。西武からの電車が大勢を占めているようで、私の頭にある上信電鉄は、20年以上前の姿らしい。

かのはら、という駅を過ぎる。漢字では「神農原」と書く。随分読み難いが、その次の駅が珍駅名として有名な「南蛇井(なんじゃい)」だ。折角だから、駅名標を写しておく。

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鉄道に興味のない人なら、漢字だけを見せられても、正しい「読み」の回答は出てこないものと思われる。

南蛇井を出ると、あと2駅で終点の下仁田になる。下仁田は、コンニャクと、ぶっとい「下仁田ネギ」で有名なところだ。先入観があるからか、ネギ畑が目につくようになる。

ところが、終点の手前の千平を出ると、意外にも渓谷沿いを走るようになった。線路も右へ左へとカーブする。平野が尽きた所が終点と勝手に思い込んでいたのだが、下仁田なる所は、存外、山の中らしい。短いが、トンネルも一つ過ぎた。

山の中の寂しい集落、の雰囲気の下仁田へ到着。いつの間にか、外は雨が降っている。

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私は下仁田にはもっと大きな車両基地でもあると思っていたが、本社は高崎の側にあるらしく、下仁田は「ちょっとした車両置き場」程度の配線しかなかった。

雨の駅構内を走って、先程の「ペラペラ乗車券」に無効印を捺してもらい、トイレへ駆け込む。ここまでに約1時間を要した。寒いし天気も悪いから、そう長居をする気は起こらない。今乗ってきた電車で、さっさと帰って、お酒でも嗜んでいた方が気が楽そうだ。電車は6分程度停留しただけで折り返す。

下仁田駅の時刻表によると、折り返しの17時50分発は「50便」というらしい。その50便に乗り込んで、さっきとは向かい合わせの位置のロングシートに座ってみる。往きと帰りで見える景色を違えてみたかった。2両連結の、今度は後ろ側の車両になる。

初めはがら空きだった車内だが、やはり上州富岡が近付くと混んできた。ワンマン運転なので、無人駅では前の車両の最前扉しか開かない。その関係から、前の車両では立ち席も見えるようになった。

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私の乗っている後部車両は、立ち席は出なかった。

帰り道は、転がした鉛筆を逆から転がし返すような感じであった。ただ、富岡以降は駅ごとに客が減っていき、往路のように高崎へ近付くと客が多くなる、というものではなかった。ローカル線には、お客が乗ると言っても限度があるようだ。

再び約1時間を要して高崎へ戻ってきた。

私を含めたお客が全て降りた頃を見計らって、一番高崎寄りの扉を除いて、扉が閉められた。さっき私に切符を買ってくれた駅員が、走り寄って唯一開いた扉の前に、立て看板を置いていった。

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地方私鉄ならでは、の暖かさを感じずにはいられなかった。

この後の私の遭遇した事柄は、前回の記事に書いた通りである。ただ一つだけ書き忘れていたので、追記しておこう。

母に「高崎は雪だ」とメールを送ったら、暫くして返信が帰って来た。曰く

「雪達磨にならないよう、お戻り下さい」。

ここは、上州・高崎である。母も、上手いことを言うなと思ったのであった。

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2010年4月17日 (土)

信越本線・横川支線撮影旅行(2・3日目)

2日目(4月16日)

朝は9時過ぎにやっと起きる。もっと早くに目覚ましは掛けていたのだが、雨の窓外を見て起きる気が失せてしまった。

その窓外に、いきなり汽笛の音が聞こえる。私の部屋は、高崎の駅付近が見渡せる絶好の場所なのだ。見ていたら

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本当に蒸機が構内を走る姿が見えた。高崎常駐のD51 498であろう。今日は金曜日だから、別に蒸機が走るイベントはない筈だが。

10時のチェックアウトギリギリまでホテルにいて、やっと外へ出る。今度の横川行きは10時23分に6番線からとの表示があり、おとなしくそこへ行く。すると今度は間近で汽笛が響き、「ガッシュ、ガッシュ……」の音とともに12系客車を牽いた蒸機が、普段使われない1番線から発車していく姿が見えた。客車の方向幕には「SL試運転」の文字が読める。咄嗟のことで写真は撮れなかったが、春の行楽シーズンに向けて、こう云うことをするらしい。

蒸機と無縁(無煙?)の私は、件の電車で安中へ行く。駅の西方に、まあまあの撮影ポイントを見つけてある。目標としていた辺りの踏切は

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とあって、昔はそういう地形だったらしい。

昼過ぎの電車で今度は西松井田まで乗る。ここも、駅の西方に、絵になりそうな踏切を見つけてある。10分少々歩いたら、当の踏切へ行き着いた。今度は

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こんな名前で、日本近代化発祥の地・富岡が近いことを思わせる。私が持ってきたこの付近の5万分図も「富岡」図幅である。趣があると思えたのは、旧中仙道に絡んでいるからのことだろう。暫くはここの踏切付近に居つく。

この踏切前の側溝蓋も

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ラックピニオンレールのスライスだった。過去の遺物はあちこちで活用されているようだ。

それにしても雲が取れずに暗くて、おまけに寒い。天候も回復の兆しがないので、諦めて駅へ戻り16時前の電車で高崎へ戻ることにする。

ただ、このままホテルに戻るのは勿体無いから、下仁田までの上信電鉄に乗ろうと思う。この話は長くなりそうだから後日別掲とさせて頂くが、何しろ乗っているうちにまた雨となり、ホテルへは傘をさして19時頃に戻った。

すぐに一杯引っ掛けに出る。21時頃に外へ出たら

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……雨が雪に変わっていた。北海道ならこの時期の雪も珍しくはなかろうが、ここは関東・高崎である。

4月16日の雪体験は、私の人生史上で最も遅い雪の記録を更新した。

3日目(4月17日)

旅先にしては少し早めに起きる。幸い雨は止んで、歩くのに支障はない。高崎から8時39分の電車で松井田へ向かう。

沿線にはまだ

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昨晩の遺物が残っている。

松井田では駅撮りを決め込む。今日だけ限定運転の快速列車があるから、ホーム脇の菜の花と共に撮ろうと思う。ここにも雪が残っていて、菜の花と雪の組み合わせは珍しいものになるに違いない。

臨時快速を撮り終えたら、10時きっかりの列車で一駅手前の磯部へ戻る。ここには「みどりの窓口」があり、まずはそこでお目当ての指定券などを買う。それから、目星をつけておいた撮影場所へ向かう。

駅前に

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こんな幟がはためいている。この辺りは何かと、曰くのあるものが多いらしい。全然関係ないが、高橋留美子さんのラムちゃんの漫画に「温泉マーク先生」って登場人物がいたことを思い出した。

先程の松井田から徐々に晴れてきて、ここでは気分の良い青空を久し振りに拝む。特に帰りの指定券は取っていないが、フィルムのキリがつくまで思う存分撮って、思う存分澄んだ空気を胸に吸い込んだ。

撮影地辺りでの写真。

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向こうに見えるのは妙義山。無骨な形の山だが、こんな山が見える所に暮らせる人が羨ましい。

駅へ戻り、ホームのベンチで菓子パンの惨めな昼食を食べる。食べていたら

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こんなのが擦り寄ってくる。ついつい、情が移ってしまい、パンの端くれをちぎってやる。嬉しそうに食べていて微笑ましいが、私のような輩がいるから駅にスズメやハトが集まってしまうのだろう。野鳥嫌いな方には、ゴメンナサイ。

フィルムも綺麗に片付いたので、13時過ぎの列車で高崎へ戻る。ここからは普通列車を乗り継いで東京へ出て、あとは新幹線で名古屋へ戻るだけである。ただ、上野までの普通列車は、奮発してグリーン車に乗る。

グリーン車に乗ると言っても、私は2階建てには乗らないで、敢えて1階だけの部分に乗りたがる。

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ここの部分ですな。
折角グリーン券を買ってまでして、天井の低い2階建ての部分に乗るのはつまらないと常々思っている。この部分なら荷物棚もかなり上の方にあるので、色々な意味で広々している。今日は土曜なのでホリデー割引があり、先程の磯部駅で券を事前購入しておいたから、その割引もある。
何よりロングシートで我慢するよりは、この方が気分がいい。

ゆったりした座席で晴れた窓外を見ながら、やっと少しは春になったかなと云う気分になった。風は冷たいが、昨日に比べれば遥かにマシな気温になっている。

それにしても、雪のお蔭で、印象に強く残る旅行となったことだけは間違いないようだ。

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2010年4月15日 (木)

信越本線・横川支線撮影旅行(1日目)

先月の小田原方面への旅行の際、今回の旅行の切符を平塚駅で作ってもらった。

乗車券は名古屋市内→(信)横川なのだが、東京までを新幹線・そこから先を在来線で打ち出してもらったところ、マルスの経由口座には存在しないものだった。高崎までは新幹線で来るのが常識らしい。ともあれ経路入力をしてもらったら、今度は高崎から先が進まなくなってしまった。
窓口のお姉さんが慌てて時刻表を繰っているので「画面を見せてください」と頼むと、確かに高崎より先に「信越本線」の項目がない。画面にもう一度目を通すと「横川支線」なるものがあり、これが信越本線を示すものらしい。それを入力してもらったら、ちゃんと(信)横川までの切符が発行された。人騒がせと言うか、ややこしい業界用語を作ったものだと思う。

その切符類を携えて、今日の朝9時半過ぎに名古屋を旅立った。

先程も書いたように東京までは新幹線だが、車内では見事に爆睡していた。目を覚ましたのは
①車内検札が来た時
②新横浜到着のアナウンスが入った時
だけで、品川まで全く記憶がない。昨晩寝たのも遅かったし、日頃の疲れがたまっているのだろう。

東京から上野まで京浜東北線に乗り、上野からは予定よりも一本早い直通の高崎行きに乗る。高崎へ着いたのは、13時42分。目指す横川支線はここが始発である。

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ここまではステンレスの車両だった。高崎まで来ると、湘南カラーの115系を拝める。ホッとする。この湘南カラーで、ロケハンを兼ねて終点の横川まで行くことにする。

横川は、碓氷峠の本線がある時代、確か1997年の夏に訪れて以来だ。その時は信越線の眼鏡橋などを撮影した後、歩いて横川までおりて行った。当然、横川機関区も稼動していて、機関区の様子なども撮影した記憶がある。

それにしてもあれから13年の月日が経つとは、早いものだとつくづく思う。

久し振りに降り立った横川駅は、すっかり様子が変わってしまっていた。貧弱な駅ホームに昔日の面影はない。でも駅前に出ると

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峠の釜飯の駅弁屋さんは健在だ。因みにこのお弁当屋さんの前にはめられている側溝の蓋は、ラックピニオン当時のレールを裁断したものである。

横川からとんぼ返りはしたくないので、電車を一本見送る。約1時間の余裕があるから、変貌した横川駅付近を探索したいと思う。

機関区の跡は「鉄道文化村」になっている。これは紙上の知識として知っているが、雨降りの平日とて観光客は殆どいない。何とも侘しい情景だ。嘗ての機関区の本屋と思うのだが

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観光鉄道の向こうに辛うじてその姿が窺えた。あ、私はケチなので、有料の鉄道文化村へは入らないで、外から撮影するだけである。観光目的の施設には、興味が湧かない性分だ。

その、外から撮った一枚。保存村の隅に、峠を往来したEF63が姿を留めている。

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「横川機関区」を示す「横」の区名札は、何ともいいものだ。線路はもう分断されているので、この機関車が本線を行き来することはないのだろう。少し、物悲しい。

小雨が降ったり止んだりする中、適当に散策して、あっという間に1時間を過ごす。駅の外から高崎へ向ける電車の入線を撮影したら、急いで駅構内へ戻る。この電車を逃すと、次は40分近く待たねばならない。

もう一度、横川へ来ることがあるかどうか判らないから、記念に一枚撮影しておく。

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以前来た時は、同じ115系でもスカ色の車両だった。当時の車両は長野の流れだった。線路が分断されてはどうしようもない。115系が来るだけでも有難く思わなければ。

この後、磯部と群馬八幡で降りて、簡単に駅撮りする。群馬八幡で降りたのは、鉱石を運ぶことで有名な「安中貨物(5781列車)」を撮るためである。暗くなってしまったから、どんな写りになっているかは判らない。

寒いし天気も良くないので、夕刻6時早々に高崎の宿へ帰った。

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2010年4月12日 (月)

さくらちる

名古屋では早いもので、もう桜が落花盛ん状態になっている。

今月5日辺りが花のピークだったかな。

ところでこの時期、桜の木の下に無造作に車を置いておくと

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こーゆーことになる。皆様、お気をつけあれ。

そう云えば昔、『めぞん一刻』で五代君が「さくらちる!!」の文字を背景に、日の丸を両手に持って走り回っている一コマがあったな。第1話か第2話だったと思う。

どうでもいい話だけど(笑)。

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2010年4月 9日 (金)

ツーステUDがやって来た

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私の勤めているバスの営業所は、元々は日野車ばかりの車庫であった。

15年ほど前に現在の車庫へ異動して以来、日野車のハンドルを持つ機会が多いことに変わりはないが、職場の環境変化で現在では国内4メーカー全てのバスが配属されている。但しこれは、ノンステップバスに限っての話である。

今までに、ふそうやいすゞのツーステップ車は他車庫から移動して来たことがあり、何度か乗務の機会もあったのだが、 UDのツーステップ車は台数的にも限定されていて、私共の車庫へ来ることがなかった。私も、恐らくUDのツーステだけはハンドルを握る機会がないだろうと踏んでいた。

ところが。

この4月から他車庫より1路線が路線移譲になり、それに伴い2両の車が移動して来た。その「2両」が選りにも選って、ツーステのUD車なのだ。詳しい事情は省くとして、まさか、の車が私たちの車庫へやって来た。

そして先日、早々と乗務の機会があった。おっかなびっくりで乗ったツーステUD車の「超個人的感想」などを書こうと思う。

まずは運転席周りの写真を。

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比較用として、日野車の運転席周りもご参考までに付け加える(あまり上手な比較写真ではなくて恐縮だが)。

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最初に私が思ったのは、「チェンジレバーが、かなり後方にあるなあ」ということだった。いすゞやふそうに乗った時に、こんな感想は抱かなかった。また、現在続々と入っているノンステのミッション車にしても同じこと。いつもの癖でギアのありそうな所へ手を差し伸ばすと、スカを喰らってしまう。
これは心しないと、咄嗟の時に危ないことになりそうだ。

運転を始めて、また驚いた。
今時のFFシフト車は、チェンジする時に「プシュッ」とかの音がして、ギアが入った手応えも指先で感じられるのだが、このUD車にはそれらが全くない。音がしなくて手応えもなくては、ギアがちゃんとチェンジできたかどうかが判らない。実際に、チェンジが入っていなくて、ニュートラルのまま空ぶかしをしてしまうことが何度もあった。ギアチェンジも割と遅いように感じられる。

このタイプのUD車全てが、こう云う仕様なのか、私が乗った車だけがたまたまそうなのか、もう一台の方に乗務してみなければ判らない。全てがこうならば、結構、熟練を要する車に思えてしまう。

また、ブレーキングも一癖ある。と云うか、踏み込まないとブレーキが利かない。これは、それこそ「慣れ」の世界だろうが、他の車と同じつもりでブレーキを踏むと、停車予定位置を通り過ぎてしまう。一度だけ強いブレーキを踏まねばならないことがあったが、やはりスーッと流れてしまい、考えていたより5mくらい行き過ぎて停車した。前方の車の急停車によるものだったら、追突していただろう。ゾッとする。

最初の写真でお判りのように、車体は富士重である。私共の職場では、ツーステのUDは富士重架装しか存在しない。

これも「慣れ」の話であろうが、富士重ボディは右のサイドミラーも左ミラーと同様に前方へ突き出ているのが特徴である(最後期にはそうでない車もあるようだが)。運転席から見ると

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こんな感じで、慣れない物が右前方に飛び出ているイメージがある。逆に言えば、いつも見慣れている位置で右ミラーを見ようとすると、これまたスカを喰う。

最後に、運転席周りを見回してみて、もう一つ気になることがあった。今の時期はいいのだが、夏になると冷房の吹き出し口の遠い車は、運転席が暑くて敵わなくなる。その冷風吹き出し口は

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結構遠かったりして……。

今回移動してきた2両は、年式から考えて、今年度一杯で廃車になる車のようだ。私の営業所には合計107両の車があり、その内の2両だから運転する機会は限られるとは思う。

でも、どちらにしても、私の個人的な感想としては「あまり乗務したくないなあ……」。

UDファンの方が居られたら、ゴメンナサイです。

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2010年4月 4日 (日)

小田原近辺撮影旅行結果ご報告

過日こちらで書いた、東海道本線の写真が上がってきた。少しご報告が遅くなってしまったが、いつものように駄作のオンパレードにお付き合い頂ければと思う。

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何しろここをトップに撮りに行ったので、ここからお載せしなければ話が始まらないだろう。紀行文にも書いたように曇天で、海の色が冴えないのが残念だ。写真は国鉄最終期に作られた185系電車の「踊り子」号。基本的には113系などと同様の制御方式なので、走り去るモーター音が心地よかった。根府川~真鶴にて。

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三流鉄道写真家として、誰しもが撮る写真だけでは満足いかないので、「困った時の広角頼り」等と言いながら、24mmの広角レンズで同じ場所から撮影してみた。空が晴れ渡っていれば多少はモノになりそうだが、モノにならなかったのは天気の所為だと言って誤魔化しておこう。

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早川駅から「徒歩20分」と書かれていて、実際には40分かかってしまったという撮影地にて。左側の桜が満開であれば曇天なりに絵になったと思うのだが、色々と条件が厳しかったようだ。ただ、現在のところ東海道筋で1編成しか存在しない233系が来てくれたのは、嬉しかった。早川~根府川にて。

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東海道本線でありながら、無人の駅があることを今回初めて知ったのだが、根府川とともにこの早川駅も時間限定で無人駅になってしまうらしい(Suica導入の影響が大きいかと思われる)。確かに乗降客は少ないようで、寒い夕刻のホームには人影が見当たらなかった。

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鴨宮付近で、紀行文には書かなかった撮影ポイント。小さな流れがいい具合にカーブしていたので、勝手に「絵になる」と思い込んで撮ったもの。スローシャッターで、列車を敢えて流してある。根府川の鉄橋は誰が撮ってもああなるから別として、個人的には今回はこの写真が一番気に入っている。流れは地図によると「酒匂堰」と呼ぶそうな。国府津~鴨宮にて。

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神奈中バスで出掛けた相模貨物ターミナルでのショット。この古めかしい標識は、国鉄時代からのものなのでは……と思って撮影しておいた。JRになってからでももう20年以上経つから、真偽の程は判らない。ともあれ、見る者の目を引き寄せる存在であることは確かだ。

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同じく相模貨物ターミナルにて。コンテナが置かれて、路面もアスファルトで埋め戻してあるが、以前は間違いなくここにもレールが敷かれていたようだ。屋根のある部分の真下だから、駅扱いの貨物があった当時は、ここで手積み手卸の作業が行われていたのではと拝察する。貨物の衰退は寂しいが、こうした「遺構探し」も結構面白いものである。

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一目瞭然だが、今回行った中では最東になる茅ヶ崎駅。若者に人気の地名を強調しようと、また広角レンズのお世話になっている。地面に据え置きの駅名標がないから、こんな形の写真になってしまったが、「若者に人気の地名」の駅は存外ホームの梁などが古めかしいことも、この写真からお判り頂けるかと思う。湘南カラーの113系がある時代に撮っておけばよかったなと思う写真ではある。

***

天候にはそっぽを向かれ、寒さも加わって、納得のいかない写真が多かった。

もっとも天候が良くたって、撮影者の腕が腕だから、どちらにしても大して変わりがないかな……  (^ ^;;;    

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2010年4月 2日 (金)

春の珍客

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今日の話。

いつものようにバスを運転していて、とある停留所でお客様を扱っていたら、何やら見かけないバスが自分の右側を過ぎるのが見えた。「ありゃ? 今のって、ボンネットバスじゃ……」。

サイドミラーで確認したが、かなり古い形式のバスの後部が見えた。然も塗装が地元のM鉄のものに似ている。また、車内に園児らしき団体が乗っているのも一瞬見えたように思う。

??の気分のまま終点の地下鉄駅まで運行し、すぐに折り返しHヶ丘ターミナル行きとなる。

そのHヶ丘へ戻ってきたら、さっきのボンバスが、某百貨店の前に停まっているのが見えた。幸い私はHヶ丘へ戻ったら、あとは回送で車庫へ帰るだけである。「チャンス♪」と思い、お客様を全て降ろしたことを確認してから、自分のバスの後部へ走り寄って、窓際に当のボンネットバスを撮影した。それが上の写真である。

「名古屋開府400年」「名古屋商業フェスタ」などの文字が読み取れる。

それにしても、何故M鉄カラーなのか、また“出生地”はどこなのか、サッパリ判らない。今になって再度写真を見直してみると「濃飛バス」との文字が前輪直後に書いてあり、メーカーは「ISUZU」とある。濃飛バスなら飛騨高山のM鉄系の会社ではあるが、ボンネットバスなんて持っていたかなぁ。

車庫へ戻ると、知識の宝庫・T爺さんがいたので、早速写真を見せて出所を尋ねてみたが、この辺りにあるボンバスはT濃鉄道で昨春まで走っていた車しか思い浮かばないと言う。私も、それしか思い浮かばなかった。確かT濃鉄道の車両は、走行系の老朽化が著しいとの理由で引退した筈だが、今日のバスは私の横を快調に走り過ぎて行った。

多くの謎を秘めたままであるが、それにしても珍しい体験をしたものだ。
少なくとも、バスを運転しながらボンネットバスとすれ違ったのは、私の人生上、初めてのことであるからにして。

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