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2010年3月

2010年3月29日 (月)

東海道本線小田原近辺撮影旅行

3月28日(1日目)

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鉄道好きの方なら、この景色に「見覚えがあるなあ」と思われる向きが多いのではなかろうか。

雑誌などによく載る場所で、東海道線の根府川駅から直ぐそばにある。通称「根府川の鉄橋」、正式には「白糸川橋梁」といわれる鉄橋だ。

有名な撮影地だから長いこと行きたいと思っていたのだが、この度やっと重い腰を上げることになった。

朝9時半頃の新幹線で熱海まで。熱海は新幹線にしては珍しく、通過線とホームの乗降線を兼ねている駅なので、ホームには列車の扉位置に合わせて仕切り扉が設けられている。それはいいのだが、その仕切り扉には

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こんな絵が……。もう0系新幹線などないのだが、「この形」が「新幹線」を表していることは誰しも判るだろう。改めて0系新幹線の偉大さを感じる。

さて、話が横へそれたが、ここから在来線に乗り換えて更に東京方へ行くと、3つ目が目指す根府川駅である。すぐに接続する普通電車で、根府川までは15分。駅から撮影地までは「徒歩約15分」と撮影ガイドにある。

途中からは農道に入り目的地へは少々迷ったけれど、うねうねした小道を進むうちに「見覚えのある景色」が目の前に広がった。

少しの間、居つきたいので、三脚を立てたい。然し狭い農道だし、先程、軽トラと行き会ったばかりである。お邪魔にならないように必死で脚をセットする。

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カメラが前に傾いているように見えるが、「ように」ではなく、実際に前に傾いている。お邪魔にならないように脚を立てるなら、この形が限度だ。

現在は橋梁に防風フェンスが張られているので、下り列車限定の撮影地と言っていいだろう。東京近郊だから列車本数が多いように思いがちだが、ちょっと手前の小田原で終点になってしまう列車が多く、それに加えて「下り限定」と言っていると、思いの外、列車はやって来ない。結局2時間近く、ここに居座ってしまった。

根府川駅へ戻って、普通列車で次の早川まで行き、すぐに降りる。

駅前のターミナルとラーメン屋の取り合わせは、何か見たことがあるなと思う。記憶を掘り返したら、何年か前にここからバスで別の撮影地へ向かったことがあったことを思い出した。今回は「徒歩で20分ほど」の撮影地へ行くだけだ。

春休みの日曜日で渋滞の国道を尻目に、さっき撮影した根府川方面へ逆行する。目印になる集落までかなり歩いたように思う。やっとその集落を抜けて、撮影地へ向かう細道が姿を現した。

当の撮影地付近の情景。

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先程の根府川付近もそうだったが、ミカンの木が目に付く。考えてみれば「湘南カラー」のオレンジと緑は、ミカンの実と葉を基にしたカラーリングである。そして、私が居る場所そのものが「湘南地区」だ。直流電化区間の象徴カラーとなった真っ只中に、今、私は居るのであった。

もっとも私の背後には

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こんな石碑も建っていたりする。平和そうな場所なのに、源頼朝さんは、ここで物騒なことをしていたんだねえ。

写真でお判りの通りの曇天で、おまけに風が吹き付けて寒い。1時間ばかりいただけで、撤収を決める。

帰り道、ゆっくり見ていると結構

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こうしたものがある。何れも無人だ。信用方式で成り立っているものが、まだまだ残っているようで嬉しい。

早川駅まで、帰途は時間を計ってみたら、40分かかっていた。撮影ガイドの「徒歩約20分」とは何を基準にして書いたのか、さっぱり判らぬ。

小田原駅近くのビジネスホテルへ、17時早々に投宿。雨に降られなかったのだけは僥倖だった。

3月29日(2日目)

ここの所、寝不足の日が続いているので、朝はチェックアウトギリギリの9時50分頃まで宿に居た。それでもまだ寝たりないような気がして、欠伸をしながら小田原駅へ向かう。

小田原から、昨日と逆の東京方面へ向けて歩を進める。と言っても、次の鴨宮で降りてしまう。ここも撮影地ガイドで知った場所だが「徒歩約15分」とある。昨日と違い、ちゃんと15分くらいで目的の陸橋へ辿り着いた。

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足柄(あしがら)の山々を背景にした場所だ。金太郎さんは、あそこで修行していたらしい。晴れれば富士山も見えるとの由だけれど、言わずもがな、の天気である。

少し撮影しただけでずらかり、駅を3つほど飛ばして平塚で降りる。駅前からは下調べしておいた「神奈中バス」に乗って、古花水(ふるはなみず)なるバス停で降りる。ここのすぐ近くに、「相模貨物ターミナル」駅がある筈なのだ。

持参の地図に沿って歩いていくと、ホームセンターの駐車場の向こうにコンテナが見えてきた。

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道なりに歩いていったら、迷うことなく貨物ターミナルの入口に到着。東海道の筋では結構重要な貨物駅だが、駅はどん突きの形で設けられており、おまけにどん突きの向こうは車道を挟んで川になっている。写真はかなり撮りづらい。

大体が、貨物駅は写真を撮るために設けられているのではないのだから、止むを得ない。少しでも絵になりそうな場所を求めて右往左往する内に、とうとう雨が降り出した。

通り雨のような中途半端な雨で、降るかと思うと止み、止んだかと思うとまた降ってくる。傘が面倒なので、止み間を縫うように撮影し、降り出すと線路の陸橋下へ隠れる。まるで鬼ごっこみたいだ。そんなことを繰り返しながら、ある程度は貨物駅らしい写真も撮れたように思う。

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その昔はトラック運転手だった時代もあるから、荷役の風景を見るとちょっと胸が疼く。コンテナを移動させるリフトのエンジン音を聞くだけでも、懐かしい気分になる。気がついたら1時間以上を過ごしていた。

急いで神奈中バスの停留所に戻り、5分も待たないでバスの客となる。来る時は「後乗り前降り」だったのに、今度のバスは「前乗り前降り」になっている。バス停にもそれらしい表示はあったけれど、何しろ、余所者には紛らわしいバスだなあと思う。いや、他人のことは言えない。私たちも「基幹バス」に限ってだが、乗降方式が異なっている。

駅前で遅い昼食を済ませ、再度、東京方面への1つ目の茅ヶ崎で降りる。「湘南」のメッカとして、歌にも歌われている地名である。尤も私はヤングな湘南には関係ない。ここからは相模線というローカルな(?)通勤路線が分岐しているので、その分岐風景を撮りたいだけである。

2枚撮ったら、フィルムが終わった。当の相模線は、埼京線などと同じ205系が走っているが、相模線独特の500番台が専属として配置されている。

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見ていると乗りたくなってしまうが、帰りの新幹線の時刻が近付いている。キリのいい所で帰らなければ、明日からの仕事にも障ってしまう。

相模線の電車に心の中でバイバイをして、今度は小田原を目指して「戻り」にかかる。新幹線の指定券は小田原からのものが取ってある。

天気が芳しくなくて、今一つ、気分の乗り切らない撮影だった。とは言え、名撮影地など長年訪れたい場所もクリアした。程々で我慢しておかなければ、足柄山の金太郎さんから、今度は雷を落とされるかも知れぬ。

そんな次第で、今回の撮影旅行は「了」としておこう。

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2010年3月25日 (木)

庵主敬白

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再び「です・ます」調の文章となりまして。

小写真展「線路端にて」、本日、無事終了致しました。期間中、多くの皆様にお越し頂いたことを、まずお礼申し上げます。

写真展の模様などを少しご紹介致します。まずは、準備風景など。

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取り敢えず、写真を額に収めて大まかに並べてみた状態。

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ギャラリーの持ち主にしてプリント屋の店長の原さん。気さくな方で、色々と細かいことまでお手伝い頂きました。展示には時間がかかるものですが、お蔭様で1時間程度で終了しました。

さて、以下は写真展会場の出来上がりの様子です。全てを再現することは出来ませんが、雰囲気だけでも味わって頂ければと思います。

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「春の部」の一部。

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「春の部~夏の部」。下段の写真は「鉄道に生きる人」をテーマにしたものです。

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「夏の部」~「秋の部」の一部。お判り辛いとは思いますが、右から2点目の写真が、今回の中で一番反響が大きかったようです。

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「秋の部」の写真。右の方は反射してしまって、映像が判りませんね (^ ^;;;

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「冬の部」の4点。

以上でお判りのように、『春・夏・秋・冬・鉄路に生きる人』の5部構成で各4点ずつ、計20点の展示としました。また、多少はテーマを絞るために、今回は都会の写真は排除しました。

ざっとではありますが、こんな感じでの展示となりました。

愚ブログ上でもご案内しましたので、近隣にお住まいでコメントを下さる方も会場まで足を運んで下さいました。ネットの力が生きているなと、実感したものです。
また、遠方の方からもエールを送って頂き、大変嬉しくかつ心強く思っております。

本日(25日)13時を以ちまして、撤収作業に入りました。撤収も、原店長さんのお手をお借りし、こちらは30分程度で完了と相成りました。
片付け終わって車を出そうとした所に、営業所の方が一人来てくださったのですが、決められた時間で動いている関係上、もう何も出来ずに申し訳ないことをしてしまいました。

ともあれ、Web上にて皆様に再度厚く御礼申し上げ、今回の写真展に関しては終了とさせて頂きます。

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「つはもの(?)どもが、夢の跡」……。

有難うございました  m(_ _)m

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2010年3月21日 (日)

ちょっとずつ春なのだ

先日は辛辣な記事を書いてしまったから、今日は短いけれど温かい記事を。

名古屋では3日前の3月18日に「桜の開花宣言」があった。

ああ、春が来ているなと思ったら、自分の職場の駐車場にこんなのが咲いていた。

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思いつきで撮っただけだから、邪魔臭いものが花の前にかかってしまったけれど、いつの間にかタンポポも咲くようになっていた。春を告げてくれる花々って、本当に好きだなあ。

昨年、vanagon714さんとご一緒頂いた名寄では5月の下旬にタンポポだったから、2ヶ月の「格差」がある。鉄道紀行文作家の故・宮脇俊三さんの著書に「日本は不公平列島だと思う」との一文があった。本当にそう思う。

でも、タンポポ前線は取り敢えず名古屋まで来ている。

北の辺の皆さん、もうちょっとのご辛抱ですよ~  (^ ^)

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2010年3月17日 (水)

ケータイや携帯ゲームのことなど

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以前にも似たような記事を書いたことがあるやも知れぬ。だが、世の中があまりに私の思う通りにいかないので、ちょっと辛口トークになるが今一度書くことにする。

私は今時珍しく、ケータイを持たずに生活している。バスの運転手は、「ケータイを持っていなければ絶対にできない」職業ではないと、私自身が思っているからである。仕事上、そこまで緊急を要する事態は、まず滅多に起こらない。営業などのお仕事をされている方からすれば常識外れと言われかねないが、何しろバスの運転手とはそういう職業だと思っている。

自身がそうやってケータイを持たないから、電車やバスの車内でケータイに関する音を聞くと、着メロだろうと会話だろうと、どれもこれも大変不快に思ってしまう。感覚としては、煙草を吸わない人が、煙草を吸う人を煙たがるのと同じである。
あれだけ車内放送で「車内での通話はお控えを……」とか「車内ではマナーモードで……」とか言っているのに、何故?とさえ思う。

自分がバスの運転中は、まだいい。運転手の“権限”を振りかざして、ケータイなどを使っているお客様に「恐れ入ります。車内での携帯電話の使用は、ご遠慮下さい」と自らがマイクを使ってしまえば、それで済むからだ。バスの車内では運転手が主役である、みたいな気持ちで、私は運転をしているのである。
私のバスは「ワンマンバス」でも、「運転手そのものがワンマンなバス」、の意に解釈して頂いた方がいいだろう。

だが自分が「お客」の側に立ってしまうと、そうはいかない。お客同士でケータイなどを注意し合えるような環境は、日本ではまだまだ成り立っていないと思う。注意をしたはいいけれど、終点まで気まずい思いで過ごさなければならない、との思いをされた方も多いのではないだろうか。

「車内でケータイなどを注意する」。これは、大変勇気のいる行動だと私は思うのだ。

実は、1月に北海道方面へ旅行した帰りに、名古屋へ戻る最後の普通列車の中で大変不快な目に遭ってしまった。

私がかけている席の前に、途中の駅から母親と子供が乗ってきた。母親は私よりも若く、子供は幼稚園程度に思われた。その子供が、列車へ乗るなり携帯ゲームを始めたのだ。あのデジタル独特の音楽と、ゲームの「やられた!」とかいう声が私の前の座席から間断なく聞こえるようになってしまった。

私は当初、母親が注意するかと思った。だが、全くその気配はない。暫く乗る内に、私より先に降りてくれるだろうと勝手に思ってみたのだが、いつになっても親子は降りる気配がまるでない。
母親に注意したかったが、ずんぐりむっくりの母親に下手に注意をすると「子供のやりたいことぐらい、やらせてあげてよ!!」と言ってきそうな雰囲気の親だったのだ。

結局、私がその列車を降りるまで、聞きたくもないゲームの雑音を聞かされ続ける羽目になってしまった。さっき時刻表を調べてみたら、52分間、私は聞きたくないものを聞かされていたらしい。

折角北海道まで行って、スッキリした気分で帰ってきたつもりだったのに、「最後の52分間」のために、いつもと同じストレスの塊みたいな気分になって自宅へ戻ってきたのであった。

愚ブログを読んで下さっている方々に、この親子のような方はいないと私は確信している。だからこそブログに書いて、皆様に慰めて頂こうという卑しい魂胆で、この記事を書いた。デジタル苦手オヤジの、単なる繰言である。

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2010年3月15日 (月)

謹啓

唐突ではありますが。

私個人のことを謹んでお知らせするので、今日は珍しく「です・ます」調で書きます。

私がいつも写真のプリントなどをお世話になっている『プリントショップはら』さん、と云うお店が魚澄庵の近所にありまして。そこのご主人がお店の隣にギャラリーを持っておられて、「おさかなさん、写真展でも一度やりませんか」とお声掛け頂いたので、一週間弱のあいだ、鉄道の写真展を開かせて頂くことになりました。

期間は来る3月20日(土曜日)10時より、3月25日(木曜日)13時までで、『線路端にて』とのタイトルにしました。期間中は、最終日の25日を除いて10時から18時まで開いています。

場所は下に地図を掲載しますが、名古屋の東端に近い所です。「ギャラリー・風」という、小さなギャラリーです。

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殆ど地元の方にしか判らない地図ですが、名東区の市営住宅「猪子石荘」を目印にお越し頂ければ、お判りやすいのではと思います。また、地図上の「亀鳥交差点」を西の方に行きますと、私の職場・某Ⅰ車庫があります。

地図では「猪子石荘西交差点」まで行くと判るようにありますが、交差点を東(市営猪子石荘の方面)に入らないと、初めての方にはお判りになり難いかと思います。

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写真左側がギャラリーです。東西の通りに面した並びのお店の中にあります。写真の右側に下手糞な矢印を書きましたが、矢印側が「猪子石荘西交差点」になります。

公共交通機関からは不便な場所ですが、駐車スペースはプリント屋さんの前とギャラリーの前に、合わせて3台程度は止められます。

愚ブログをご覧下さっている方への特典は……私の本名が判る程度でしょうか(汗)。私の本名をご存知の方には、何の魅力もないかも知れませんね(苦笑)。

私も仕事をしながらの展示になりますので、仕事がある時は不在になります。期間中、私の仕事の休みは22日(振替休日)と23日(火曜日)ですが、ギャラリーに貼り付けにはならないと思いますので、そこはご了承下さい。お隣の『プリントショップはら』の店長さんにお尋ね下されば、ある程度お判り頂けるようにはしておきます。

20点ばかりの展示ですが、お近くの方はお越し頂ければ幸甚に存じます。

以上、おさかなよりのお知らせでありました m(_ _)m

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2010年3月10日 (水)

東京のちょっと昔の写真2点

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私は「整理整頓」に関しては誠に不得手で、不要なものでも捨てずについつい「とっておいて」しまう。

こと、写真に関しては益々その傾向が強く、自分でお金を出して焼いてもらった鉄道のカラープリントは、全て捨てずにとってある。その愚かしい結果が、上の小箱に溜められているプリントたちだ。
あの箱は高さが20cm近くあるから、何枚のプリントがあの中に眠っているかは、想像するだけでもかなりだなぁと、我ながらに思う。

そんな不要写真を何気なく眺めていたら、面白いものが2枚ほど発掘されたので、ちょっとご覧頂こうと思いついた。どちらも東京の所謂「国電」の写真である。

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水色の103系で、方向幕は「大宮」。つまり京浜東北線の写真だ。1982年3月・横浜にての撮影らしいから、よく私が他の方へのブログコメントで書いている「初渡道」の帰途に撮ったものらしい。名古屋にも水色の103系は存在したが、高運転台で正面窓下に銀ラインの入った車両は名古屋では見られなかったので、物珍しくて撮ったものだと思う。

京浜東北線では103系のあとを継いだ209系も、過日、全車が運用から離れたそうだ。つまり、2世代前の車両ということになる。ステンレス剥き出しでない車両に、何となく温かみを感じるのは私だけだろうか。

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こちらの写真は東京駅から神田方を向けて撮ったもの。1991年1月の撮影と記録してある。発車していく山手線電車は205系、中央線は201系で、この光景も現在は見ることが出来ない。
単に205系と201系の並びなら、新宿近辺やJR西の範疇で、現在も見られる可能性はあるかも知れない。だが、このカラーリングでと限定してしまうと、現在では不可能になる。

アルバムに貼るまでもないからとて、雑多に段ボール箱に入れてある写真たちだが、漁ってみると懐かしみが湧くものも多い。

少なくともブログのネタにはなってくれたので、「感謝」、である。

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2010年3月 5日 (金)

尿素水排ガス浄化バスの注意点など

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尿素水を使って、排気ガス中の窒素酸化物(NOx)を浄化するバスがある。現在私たちの職場では、UDのバスと、同社からエンジンのOEM供給を受けている三菱ふそうのバスに、このシステムを採用している車がある。

原理的には、排ガス中の窒素酸化物を、尿素水によって水と窒素に分解するというもの。詳しいご説明は、Wikipediaなどをご覧頂いた方が私の生半可な説明より判り易いと思うので、そちらに譲るとして、ここでは運転手サイドが受けている注意点と、現場でしか見られない映像をご紹介しようと思う。

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上にご説明が書いてある通り、尿素水の水量計。運転席の速度計パネルなどの横に取り付けられており、満水時だとこの写真のように4つのランプが点灯する。走行するに従って当然尿素水量は減っていき、点灯するランプの数も減っていく。私共としては、このランプが1つしか点灯していない状態なら、工場へ持っていき、尿素水を補充して貰うように言われている。

この手のバスを私たちは縮めて「尿素バス」と呼んでいるので、以下、その略称で書くけれど、尿素バスに乗務の時は、運行前点検でもこのランプの点灯具合を見ることが義務付けられている(下の写真は、私共の日常点検表の一部)。

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1つしか点灯していない(或いは無点灯の)場合は、代車を要請することになっている。
ご承知の向きも多いと思うが、尿素バスは尿素水がないとエンジン始動が出来ない。アイドリングストップバスでは実質、走れなくなってしまう。それで、点検項目に含まれているのだ。

ただ、走行途中で2つ点灯していたランプが1つになってしまう場合もある。ランプが1つしか点灯しない状態でも、一応130Km程度は走行可能だと聞かされている。それゆえ、1つしか点灯しない状態になったら、入庫後に速やかに尿素水を補充すればよい。

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これは、ふそう車の例だが、車体側面に尿素水の補給口がある。これをちょっと失敬して開けると……

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こんな感じで、タンクが丸見えになる。開口部の裏側に書かれているように、尿素水は満タンで57L入る。UDでも、大体60L程度と聞いている。エンジンの元は同じだから、57Lの量は変わらないと思う。

「AdBlue(アドブルー)に限る」とあるが、これは尿素水の登録商標、いわば商品名だ。また、アド「ブルー」との名前でも、当の尿素水は色が着いている訳ではなく無色透明、また臭いもない。

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これが、当の「アドブルー」を補給する大元のタンク。横に置いてあるカラーコーンから大まかな大きさはご推察頂けるかと思う。大人の背丈より少し小さい、高さ140センチ程度、横幅も同じ程度、奥行きは1m程度かな。

1回の補給量が、帳面に記してあったので見てみたが、大体20L程度の補給が多いようだ。私の仲間内では、今のところ「ランプの点灯が1つになってしまった」との話は聞いていない。ランプが2つ以上の状態でも、工場サイドで点検等の際に、アドブルーを補給してくれているのだと思う。

4つ点灯するパイロットランプが、1つでも130Km走られるとのことだから、単純計算で満タン時なら130Km×4=520Km程度、走行可能と云うことになる。
私たちの一日の仕業では、平均の走行距離は90~100Km程度である。車両自体は一日に1.5仕業程度走るから、130Km前後走るのがバスとしての一日の仕事量と云うことになるだろうか。それから逆算すると、3日か4日に一度は尿素水を補給しているのだと思う。

今年度の新車は、Jバス系のいすゞと日野が納入することになった。既に新車は活躍を始めているが、Jバス系は現在のところ、私たちの職場には尿素水を使う車両を納入していない。

それでも、今後、ふそうやUDの車両が入ることは十分に予想される。これからも、尿素バスは私たちの職場で増えていくことになるだろう。

少し理屈っぽいご説明となってしまった嫌いもあるが、あまりメカなどに詳しくない運転手からの話は、この程度に留めようと思う。

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2010年3月 3日 (水)

魚澄庵ぱそこん今昔物語

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むかし、むかし、(名古屋の)あるところに、“おさかな”という爺さんが一人で住んでいたそうな。

爺さんは贅沢者で、「ぱそこん」を2台持っていたそうな。しかし、1台は「えむえすどす(MS-DOS)」で動く古いぱそこんだったので、普段はあまり使っていなかったそうじゃ。

ある日のこと、爺さんは、写真の整理がしたいと思い、久し振りに古いぱそこんを使い出したそうな。爺さんは、写真の整理には、いつも古いぱそこんを使っていて、「でーた」も全部そちらに入れてしまってあるから、仕方ないらしいのじゃ。

ところが、新しいぱそこんに慣れてしまった爺さんは、久し振りにさわる古いぱそこんに四苦八苦してしまったのじゃ。100件少々のでーたを入れるのに、何と4日も使ってしまったと伝えられておる。

やっとのことで、でーたを入れ終わった爺さんは、今度はそれを「らべる」のように印刷しようと考えた。昔はよくやったものじゃ、と軽い気持ちで臨んだ爺さんだが、接続してある「ぷりんたー」もよくよく古いものだったので、使い方を忘れてしまっておった。普段は因業な爺さんだが、流石に泣けてきたと、のちになって爺さんは語っておったそうじゃ。

ぷりんたーに使う紙を探し出し、「まにゅある」を読んで何とか印刷にこぎつけた爺さんだが、最後に大きな落とし穴があったそうじゃ。

と云うのは、爺さんは実にせかせかした人だったそうじゃが、ぷりんたーで「らべる」を印刷するのに、何と半時(はんとき)以上かかってしまったそうな。途中から爺さんは半ベソをかいておったらしいが、らべるの印刷が終わる頃には、もう、すっかり気が狂ってしまったそうな。

こうして、おさかな爺さんは、一生気が狂ったまま、哀れな末路を辿ったそうじゃ。

良い子は決して、こんな爺さんの真似をしちゃあ、ならぬぞ。

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以上、『木曜ロード激場・劇画ニッポン今昔物語』より、転載致しました。
 ↑
(嘘八百!)

***

要するに、久し振りにMS-DOSのPCを使ったら、大層な時間を費やしてしまったと、ただそれだけの話です。お騒がせしました m(_ _)m

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