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2010年2月 5日 (金)

懐かしのバス塗装・我が職場編

Img4405089

N市のTさんが記事にされていたので、懐かしさのあまり緊急コラボと云うことで……。

私の職場のバス、N市のTさんが記事にされていた塗装が実際に走っていた頃の写真は、この一枚しかない。

この写真は昭和51年の11月1日、我が家から徒歩で2~3分の所にバス停が新設され、新規の路線が走ることになったので、その一番バスを撮影したもの。時刻は現在のこの路線の一番バスとほぼ同じ、6時20分頃だった覚えだ。

物珍しいので、当時から遅刻ギリギリにしか起きなかった私が珍しく早起きをして、オリンパスのPEN-EEを携えて、バス停で待ち構えて撮った。新規路線の一番バスだから、何かデコレーションでもしてあるかと期待していたら、ご覧の通り、何もない普通のバスがやって来てガックリしたのを鮮明に覚えている。

昭和51年=1976年で、もうこの当時から写真を撮るようなバスマニアだったんだなあと、我乍ら苦笑してしまう。

因みに、赤色の帯が巻いてあるが、これは「ワンマン専用車」を意味している。ツーマン専用車やワン・ツーマン兼用車には、この赤色の帯は巻かれていなかった。ワンマン専用車は私が幼稚園に入る頃……昭和42年頃から一般的に走り始めたと記憶している。だから、私がより一層懐かしく思う塗装は、赤帯を巻かないでこの塗装、という奴になる。
「N市のTさんのブログ」にあるように、せめてもう一台、赤帯なしで塗り替えてくれたら、より市民にも喜ばれるのではと思う。

ただ、ご覧のように5色の色を用いていて複雑な塗装なので、塗装費用を浮かすために昭和54年頃から簡略されたグリーンとイエローの2色の塗装に順次、変更されていった。この「グリーンとイエロー」の塗装は、拙ブログ2008年12月の「名古屋市交・天白営業所」をご覧頂ければと思う。

私がバス好きとなった原点の色を復活させたバス、我が職場80周年記念事業の一環として走り始めた訳だが、バスマニア暦40年以上の私としても、長く走って欲しいものだと思っている。

尚、プリントからのスキャンで、然も当時に流行った「絹目調仕上げ」のプリントが元なので、画像が著しく荒れていることはお許し下され。

***

※後日追記:ワンマンカーの赤帯、記事では「昭和42年頃から」と記したが、資料を詳しく調べたところ、昭和44年からの導入とあった。また、イエローとグリーンのツートン化に関しては、昭和50年から開始とあった。お詫びして、訂正致します。

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バス・仕事」カテゴリの記事

コメント

緊急コラボありがとうございます。
当時実際に走っていたのを知っている人や利用していた人には懐かしいですよね。
広小路でループの後に付くと、年寄りがレトロの方になだれ込んで来るそうです。口々に「懐かしいね~」と言うそうです。

1両しかないと言うのがやはり残念です。せめて各車庫1両ずつやって欲しいところですね。
余分なところに経費をかけないで、こういうところにもっと充当してもらいたいですね。

投稿: N市のT | 2010年2月 6日 (土) 10時27分

電飾の大きな「ワンマンカー」車内にも「ワンマン」何か時代を感じさせてくれます。
行き先が「上社??上社」と読めますが循環バスの様な路線なのでしょうか?

投稿: suzuran6 | 2010年2月 6日 (土) 16時01分

こんばんは。
これがオリジナル塗装のなのですね。
ナンバーが名古屋22か1102と読めます。
S市では1100代は1975年式のようです。
写真のバスもウインカーレンズを見ると1973年以降の車ですね。
乗降口が前後にあるタイプの路線バスは関西に多いと昔聞きましたが、
N市交通局も前後タイプだったのですね。
札幌では定鉄が採用していました。
乗客の流れが1方向になるのでスムーズな乗降ができるのだそうです。
ちなみにO阪市交通局ではアンダーフロアエンジンの日野車をかなり遅くまで
使用していて、後部扉が一番後ろに付いているのが特徴でした。

投稿: vanagon714 | 2010年2月 6日 (土) 21時07分

>N市のTさんへ
長らくの間、見る機会がなかった塗装ですから、やはり強い懐古の気持ちがありますね。
この塗装は戦後まもなくから採用されているようで、資料では昭和25年頃にこの塗装になったと思われるとあります。約30年間君臨した塗装ですから、私より高年齢の方がループよりもこの塗装のバスを選ばれる気持ちは存分に判ります。

塗装費用が高くつくのは判りますが、1台だけはちょっと寂しいですね。ただバスの工場がこの塗装当時は白鳥の付近(西町)にありましたが、現在の場所に移る際に塗り分け等の資料も大方が処分されて、きちんとした資料が少なく塗装作業が少々難航したように聞いています。

投稿: N市のTさんへ | 2010年2月 6日 (土) 23時06分

>suzuran6さんへ
赤いワンマン帯を巻いた車両には、あの大きな「ワンマンカー」の電飾(行灯)がついていました。完全ワンマン化が完了したのが、記事の写真と同じ年の4月ですので、まだまだ当時としては「ワンマン」を強く主張したかったのだと思います。

方向幕、仰せの通り「上社-上社」という循環系統です。この路線は多少のショートカットをされて、現在も続いています。
あの一番バスの路線を、今は自分でハンドルを握っているとは、まさに隔世の感がします。

投稿: suzuran6さんへ | 2010年2月 6日 (土) 23時23分

>vanagon714さんへ
こんばんは。
ナンバープレートは、お読みの通りの番号です。
当時は札幌ナンバーよりも少しこちらの方が進んでいたようで、この車は1974年式です。
前扉前の非常コックの所に「Teikoku Body」と躍るような文字で書かれていたのを覚えています。

ワンマン専用仕様に改められた時に、それまでの中扉が後扉になりました。ところが私たちの職場では「前乗り・後降り」のため、却って後扉化によってお客の降車が遅れる事態が発生しました。そのため1979年以降、再び一部の車が中扉として入っています。
O阪市の最後部扉車両は、雑誌で確か拝見したことがあります。扉が後方ではなく前方にスライドするタイプでしたよね。記憶違いでしたら済みません。

投稿: vanagon714さんへ | 2010年2月 6日 (土) 23時48分

O市の日野ブルーリボンBT100は仰るとおり最後部扉が
前方にスライドするタイプでした。
後部にエンジンが無いセンター・アンダーフロアエンジンならではの
機構ですよね。
たしかに前扉が乗車口の場合は後部扉よりは中扉のほうが降車はスムーズかも
しれませんね。
乗降口が後部の場合は使い勝手が良いのでしょうね。
リアエンジン車では後部扉のステップがかなり高く感じたので低床化が進んだ現代には
向かないですね。
最後部までフルノンステップであれば可能ですが・・・

投稿: vanagon714 | 2010年2月 7日 (日) 12時02分

こんばんは。
昭和55年生まれの私には三色塗りの記憶が全くありません。
知人の話によると昭和58年までこの塗装が残っていたようです。

3色塗の廃車体は祖父江の方に良好な姿で日野REが残っていましたが6年ほど前に解体されてしまいました。
現在3色塗状態での廃車体は全滅(発見されてないだけかもしれません)してしまいました。

ただ瀬戸の方に三色塗りを上から金太塗りされたREがあり、うっすらとワンマンと赤ラインが見えるバスがまだあるかもしれません。

投稿: 企4 | 2010年2月 7日 (日) 19時12分

えーと、私がまだ生まれる前の写真ですね・・・(^^;)。

古い日野車を見るとつい気になるのが、この頃のバスの中扉(この
バスは後扉)の開閉ブザーはどんなものだったかが気になります。

私は、昔の国鉄バス等にあった大音量ブザー(大光電気製電磁式)が
今でも大の苦手です。ちなみに、そのブザーの付いたバスがJR北海道
バスにいるJR東海バスの中古UD車で1台現役で活躍しているようで、ある意味すごいことですね。

あと、市バスのS-575のように旧塗装を復刻した車が道北バスにも
数台います。先日は札幌-名寄間高速に使われるセレガを撮影
できました。どうやら旭川市内の学習塾の経営者がスポンサーに
なって実現したらしいです。

投稿: 幹星丘2一利用者 | 2010年2月 7日 (日) 21時50分

>vanagon714さんへ
アンダーフロアエンジンは、日野の専売特許(?)だったかと思います。その昔、ツーマン車が当たり前の時代には、社内の車両番号をエンジンの位置で変えていました。
リアエンジンの日野車だと「HR」、アンダーエンジンの日野車だと「HU」で、ハイフンを挟んだ後に納入順に1からの順番号が付けられていました。
アンダーフロアエンジン車は、納入会社によって色々な仕様があったらしいですね。ただ、古い運転手曰く「あんなにギア入れの難しい車もなかった」そうです。

私共の職場では、前述した1979年の中扉以降は試行錯誤のように色々な仕様が入りました。ご存知だとは思いますが、一時は職場を支配した前・中・後の3扉車も1987年の試験導入以来、1998年まで続きました。結局は中扉をワイドの4つ折扉に変更した2扉車に戻り、その後のノンステップ化によって「前・中」扉が国土交通省認定の標準仕様車になりましたので、以来その形態が続いています。

ただ、ノンステップ化当初は、呉羽で3扉のフルノンステップも作られました。ご存知と思いますが、後部では座席が相向き合いになるなど、多くの問題を残したまま廃車となっていきました。あのバスは、今どうなっているんでしょうね。

投稿: vanagon714さんへ | 2010年2月 7日 (日) 23時53分

>企4さんへ
こんばんは。
企4さんは、昭和55年のお生まれでしたか。本文記事追記にも書きましたように、昭和50年からツートンへの塗り替えが始まっていますので、ご記憶に残っていなくても無理のない話ですね。
逆に、3色塗りを知っている私は、十分に「お爺」の素質があるのだろうなとも思います  (^ ^;;;

廃車体となると、祖父江方面で2台記憶があります。一台は仰せの車かと思いますが、REで赤帯入り・民家の物置として使われていました。今一台は金沢ボディで赤帯なし、確か馬飼大橋近くの木曽川堤防付近に放置されていましたね。
何れにしても、お説によると昭和58年=1983年で全滅している塗装ですので(恐らく、お説の年で間違いないと思います)、27年経った現在、廃車体を探すのにもかなりの困難を伴うものと思われます。

投稿: 企4さんへ | 2010年2月 8日 (月) 00時13分

>幹星丘2一利用者さんへ
そうですね、昭和51年となると、まだ幹星丘2一利用者さんは分離した状態で存在されていた時期になるでしょうね……。

ところで貴兄がよくお書きになっている「大光電気の電磁ブザー」は、私はよく判らないでいます。具体的に「この音だよ」と音を聞かせて頂けば「ああ、これねぇ……」となると思われますが。当時は、扉開閉ブザーの製造会社まで考えも及ばなかったですし、国鉄バスは殆ど乗る機会がありませんでしたもので。
ただ、かなりの大音量とのことで、想像している音はあります。

機会があればまたお会いして、そのブザーについての詳細をお聞きしたいものですね  (^ ^)

復刻塗装は、最近になって各会社で実現しているようですね。先日の旅行の帰りにも、多治見で東濃鉄道バスの復刻塗装を見かけまして「懐かしいなあ」と思ったところです。地元の古い方にも好評とのことです。

投稿: 幹星丘2一利用者さんへ | 2010年2月 8日 (月) 00時40分

旧塗装バスは、バスコレクションで製品化されましたね。
(自由が丘行き?で再現されているようです)
前後扉車はなじまなかったとのことですが、3扉車になっても基本は前中扉車としての運用が基本だったのでしょうか?
(同じように3扉車を大量導入していた東京の関東バスは前後扉車として運用し、終点でのみ中扉も使用し一斉に降車させていたとのことです。)

地元のNバスは2ステップ車と特殊車を除き2000年まで前後折戸で、いすの背も低い押し込み仕様でした。
(定員を重視する場合は前後扉車の方が向くそうですね。)
さらに98年式までは後扉に光電管もマットスイッチもないというケチケチ?仕様(K営バスもある一定時期、装備がありませんでした)で、ミラーと整理券発行の確認のみ(前ドア上部には扉開放と整理券発行のインジケータが)で乗客確認をしていたようで、必ず整理券を取ることとステップにも書いてありました。
そのため以前書き込みさせていただきました静鉄車と同様、ドアが閉まるまでブザーが鳴動させ、注意喚起するようになっていました。

ちなみに電磁大光ブザーというのは"ギーッ"と言った擬音語で例えられるブザーで、広電電車の車掌ブザーがその電磁大光です。

投稿: 田舎物 | 2010年2月 8日 (月) 18時37分

>田舎物さんへ
私がバスコレを初めて見たのは、函館にある某鉄道部品ショップです。「何で函館に、うちの職場の旧旧塗装仕様が並べてあるのだ?」と当初はビックリしたものです。

私共の職場では、3扉車の場合、前扉で乗車客を扱い、中・後扉で降車客を扱う、と云ったやり方です。「前乗り先払い・均一運賃」ですので、前扉で乗車料金さえ頂けば、あとは中・後どちらの扉からでもご自由にお降り下さい、ということですね。また終点だけは、前扉からの降車も認めています。

そちらのNバスは私たちからすると「かなりアブナイ仕様」のように思います。光電管・マットスイッチなしでは、扉開放でアクセルロックがかかっていてもクラッチ操作である程度は動くことが可能になってしまいます。
考え方を変えれば、乗車されるお客様は、最後まできちんと確認するから後扉にはセンサー類が要らない、との考えも出来ますが。
事業所ごとに安全に関する認識の度合いが異なりますから、仕方ないことなのでしょうね。

電磁大光ブザー、ご詳説有難うございます。恐らく名古屋近辺ではJR(国鉄)バス以外には採用例がないと思われます。私も聞いたことがないと思います。広電も長いこと乗っておりませんので、記憶にないですね  (^ ^;;;

投稿: 田舎物さんへ | 2010年2月 8日 (月) 23時15分

>>あとは中・後どちらの扉からでもご自由にお降り下さい
とりあえずどちらのドアも開けて、降車客がいなくなった方から閉めるんですね。
このような事柄はインターネット上でもなかなか分からないことが多いのでので、お答えていただけて助かります・・・。

>>そちらのNバスは私たちからすると「かなりアブナイ仕様」のように思います。
やはりそうですよね(汗
原本を見ていないので確かなのかは分かりませんが、旧運輸省のワンマンバス要件には後ろ折戸で進行方向後ろに開く物に関しては、鏡で死角を無くすことが出来るので保安装置は省略可能という項目があるとのことです。
K営バスの一部年式の前後扉車について省略されていたと書きましたが、数年前には後付けされています。
おそらく挟み込み事例があったんでしょうね。
Nバスについてもワンステップ車を導入した99年式以降は全車取り付けてありますが、在来車の改造取り付けはなくちょっと"アブナイ"バスがまだまだ闊歩しております・・・
以前はNバス単独地域の祖父祖母の家に行くときぐらいしかきちんとバスに乗っていなかったので、それが普通だと思っていました。
ランプ無しの降車ボタンや乗降口の車いすステッカーが無いなど、今でこそ様々な媒体での露出があり簡単に比較できますが、以前は余所のバスに乗るといったいこれは何だろう?と思うことが多々ありました。

投稿: 田舎物 | 2010年2月 8日 (月) 23時52分

>田舎物さんへ
私も普段は運転に徹しているだけで、細かい規則などに関しては余り気に留めずにおります。
運輸省令の詳細をお教えくださいまして有難うございます。反射式ミラーが装備されていれば、光電管類は省略してもいいのですね。
後扉は普段でも、ミラーによる確認が殆どです。特に満員時には言わずもがな、ですね。
ただ、お客様の安全を第一に考えれば、やはり保安装置はあるに越したことはないでしょうね。

私が初めて他所のバスを色々と見るきっかけになったのは、貴兄の言われるNバスです。
高校1年の終わりに初めて九州へ渡る機会があり、その行く先が(九州の)N市だったのです。幼友達が当時はそちらに住んでいたことから、N市へ連れて行ってもらい、Nバスには何度もお世話になりました。
方向幕の違いから押しボタンの違い、案内放送装置の違いなど、当の幼友達もバス好きだったので、色々教えてもらいました。
今は違うようですが、当時のNバスは殆どがいすゞで、それも目新しかったですね。
今ではバスが自分の職業になってしまっているので、他所のバスは余計に関心を持って乗っています。

投稿: 田舎物さんへ | 2010年2月 9日 (火) 21時51分

一昔前のNバスはキュービックかCJM型かどちらかしかいないような正直あまり面白くないラインアップでしたね・・・
そのため子供の頃はK営バスによく乗りたがっていました。
80年代前後から日野も増え始め、ふそうの一般路線車もほどほど見かけるようになったのは90年代半ば頃でした。
もっともふそうのリコール問題以降導入車両の絞り込みが進んだようで、一昨年は縦目と縦目OEM、昨年は縦目のみ、今年は縦目と一つ目と見事にいすゞ系ばかりになっております。
数年前には日野ブルーリボンシティで高出力エンジン、長尺のワンステップ、さらには西日本車体といった変な車が導入されていたのですが・・・

方向幕については分離子会社ではそのままですが、本社所属については全てLED化され(LEDの表示も変なのですが・・・)
「回 送」「市役所1」
なんて表示も過去の物になっています。

投稿: 田舎物 | 2010年2月10日 (水) 18時35分

>田舎物さんへ
やはり、Nバスはいすゞ系がお好きだったんですね。
最近はそちらのN駅付近にもあまり寄っておらず(N崎本線と大村線の乗換駅として通過する程度です)、バスの状況もあまり詳しくは判らずにおります。
次回以降、いつ(九州の)N市に上陸するかは判りませんが、機会があればきちんと観察してみたいですね。ブルリシティで長尺ワンステップの西工ボディは、かなり興味があります。
そう言えばNバスは行先と経由地・路線番号の表示が一般的な例とは左右逆になっていましたね。物珍しいことが好きな私の好みに、ちょっと符合する所があります。一昨年、LEDの表示も見る機会がありましたが、確かに一風変わっていましたね    (^ ^)

投稿: 田舎物さんへ | 2010年2月10日 (水) 22時04分

気がついてなかったのですが方向幕のレイアウトは確かに他社とは逆ですね。
恐らく同じ行き先で経由地の違う物が沢山あるため、経由地表示を重視したのでしょうね。
(私事ですが考えてみるとある路線の終点に近い祖母の家に行く場合、6つの系統3つの終点があります・・・)
LED改造車については無理矢理文字を詰め込んだもののそれでも字が隠れて読みにくい物があり、更新の際に枠は外せなかったのだろうか・・・と感じる物もあります。(汗
Nバスは以前、系列にいすゞの販社がありましたので、その関係でいすゞ車ばかりだったようです。
(倒産を経験してまして、その時に鹿児島のN国殖産と共に資本が入ったと聞いています)
ブルリシティの西工車は完全に特定路線専用だったのですが、他社局の例に漏れず営業所再編でどのダイヤで来るのかよく分からなくなっております。
もしこちらにお越しになることがあればご相談ください。
出来るだけ調べてみます。(^^;
ちなみに96MC車体(NN-2x代の車体です)架装の車は日産ディーゼルを"除き"、全て揃っております。

投稿: 田舎物 | 2010年2月10日 (水) 23時59分

>田舎物さんへ
Nバスの場合は、方向幕に表示されている数字は「系統番号」ではなく、「経由地の路線番号」だと、前回書きました幼友達から教えられたことがあります。
だから、数字が同じでも行先は多岐に渡る場合があるそうで。
ただ、後から気付いたのですが、系統番号を右側に書く事業所は結構あるようですね。京都市営や西鉄バスなど……。

また次回以降、N市へ伺う機会がありましたら、当ブログで「行きまーす」と云ったことを書くと思います。
その節は、どうぞ宜しくお願い致します  m(_ _)m

投稿: 田舎物さんへ | 2010年2月11日 (木) 22時06分

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