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2009年12月

2009年12月29日 (火)

臨港橋(道路可動橋)

過日の「塩浜線撮影旅行」で、敢えて書かなかったことがあるので、それをネタにしようと思う。

塩浜線の撮影の時に、まずは塩浜線ではなく、籍の上では四日市駅構内となる貨物専用線の「末広橋」という可動橋へ出向いたことは、「撮影旅行記」などでも記した。ここへは徒歩で行ったのだけれど、当の末広橋から300mほど南寄りに、道路が同じように運河を跨ぐ橋がある。それが、今日のお題の臨港橋なのだ。

私も、撮影前に実際に臨港橋を渡ってから撮影地に赴いたのであるが、見た目はどう見ても可動橋に見えない。既に可動橋としての運命は終わっているのだと思い込んでいた。

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鉄道線路がない所に踏切などあったりしたが、遮断機も古臭くて使っている様子がないから、今は動かない可動橋だと勝手に思い込んでいたのだ。

鉄道の末広橋を渡る貨物列車を撮っているうちは、自分の背後で踏切の音がしていた。貨物列車は入換をしながら自分の背後で向きを変えていたようなので、そこの踏切がずっと鳴り続けていたのだ。

ところが、向きを変えた貨物列車が末広橋を渡って戻っていっても、まだ踏切の音が聞こえる。変だなあと思いながらカメラ機材を片付け、さて、さっきの橋を渡って戻ろうと振り向いた時に、やっと理由が判った。鉄道撮影に夢中になっている内に、先程歩いて渡った臨港橋が跳ね上がっていたのである。

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つまり、私が「使われていない踏切」と思い込んでいた可動橋用の踏切は、ちゃんと稼動していたのだ。暫く見ていると本当に船がやって来て、より一層納得できたのであった。

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船だから、速度はかなり、のっそりしている。この道路は路線バスの経路にもなっているのに、船が渡り終わって完全に橋が下がるまでに、多分10分以上は要していたと思う。この道路を使うバスや急ぎの荷物のトラックの運転手には、精神衛生上大変よろしくない存在なのではとも思う。尤も、地元の方なら、よくよくご承知だろうか。

道路の可動橋って、全国にどれくらいの数、あるのだろう。臨港地区では珍しくないかも知れないが、それでもあまり日常的に見かけるものではないだろう。

船の通過シーンを見られただけでも、僥倖だったような気がする。

おまけ。橋付近にあった「海への転落注意」の看板。

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これはこれで、結構珍しかったりして(笑)。

***

自分の日程などからして、本年の記事はこれが最後になると思います。

この一年間、お読み頂いた皆様、コメントを下さった皆様には、厚く御礼申し上げます。本当に有難うございました。

来る新年も、多分変わらぬスタイルで、あれこれ勝手なことを書き綴っていくと思いますが、これからもどうぞ宜しくお願い致します。

末筆ではありますが、皆様方、どうぞ良い新年をお迎えくださいませ。

                             魚澄庵庵主敬白

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2009年12月27日 (日)

魚澄庵の便利グッズ

そろそろ暮れも押し迫り、大掃除の季節と相成ってきた。

その大掃除を少しでもサボれないかと考えて、昨年の暮れに買ったものがある。

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何のことはない、ガラス掃除用の柄付きワイパーである。だが私はこれをガラス拭きに用いているのではない。写真をご覧頂いてもお判りのように、風呂場に置いてある。タンクローリーの標記を真似るなら「常置場所:風呂場」となる。

このワイパーで何をするかと云うと、風呂を使い終わった後、風呂のタイルの床をシャッシャッと擦って、水気落としをするのである。

多くの方々がご存知だと思うけれど、風呂のタイル目地はカビが生えるのが早い。少し掃除をサボると直ぐに黒か茶色のカビが目地を覆ってしまう。
それで私は、風呂後に床を水で流し、そしてこのワイパーで水切りするのである。

カビは水気を好むから、少しでもその元を断てば当然カビは生え難くなる。それで、風呂後のパンツ一丁姿のまま、これで水気を落とす。

つい先日撮った、約一年使用後の風呂場の床。

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頻繁に使う部分はある程度致し方ないが、昨年のことを思うとかなり綺麗さを保っている。昨年末の比較写真がないから説得力に欠けるけれども、買って使っただけの甲斐はあったなと思っている。

モノを本来の用途ではなく、全く誤った用途で使うことは学生時代に某友人に教わって以来色々やっている。まあそれにしても、これに関してはある程度いい結果が出たなと思うのだ。

家事をサボることを旨としているおっさんの、ちょっとした便利グッズである。お蔭で今年の風呂掃除は、少し楽が出来そうだ。

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2009年12月23日 (水)

塩浜貨物線撮影結果ご報告

少し遅くなってしまったが、先日の塩浜貨物線のフィルムを読み込んだので、撮影順に何枚かご紹介しようと思う。

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これは塩浜線ではなく、正式には四日市駅の構内と云うことになるかと思う。末広の可動橋の写真である。青更新のDD51に牽かれているのは、三岐鉄道・東藤原からの5363列車の成れの果てで、編成はセメントホキばかりであった。駅構内と云う扱いだからであろう、機関車の先頭部分に誘導の作業員が添乗しているのが見える。

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ここからは塩浜線の写真ばかりになる。塩浜線は燃料タキの往来が殆どだが、この251レと折り返しの250レだけは、エチレン用のコンテナを積んだコキが被牽引貨物となる。コキは最終的には三菱化学の工場へ入るので(後述)、コンテナは恐らく空回送と云うことになるのではと思う。或いはエチレン生成のための何かの原料を積んでいるかも知れぬが。

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塩浜駅でのカット。左手側のDD51が停まっている線が発車線になるらしく、そのDDへ、全国的にも珍しくなったタブレットを持っていく駅作業員。

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塩浜駅構内で入換作業をする際は、必ず1乃至2名の作業誘導員が添乗する。183レとして到着したDD51重連の入換作業が始まるようで、作業員の「前方分岐(ポイントのことだろう)よし」の声が、私のいる所まで聞こえてきた。尚、右側は近鉄の塩浜検車区になっている。

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夕刻の16時05分発、タキ貨の174レの発車風景。重連仕業が殆どの塩浜線だが、この列車は牽かれるタンク車が4両しかないので、単機での牽引になっている。

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拡大して頂くとお判り頂けるかと思うが、タブレットの授受風景。発車までにはまだ時間があるが、タブレットを渡されているのはエチレンコキの返しの列車、250レである。私の所持する最大のレンズ(300mm)で撮影しているので、これ以上のズームアップはご堪忍を。

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朝の塩浜駅へ入る5271レ。これを含めて塩浜へのタンク貨は篠ノ井線・南松本から直通の列車が多く、1日に4本の設定がある。一番手前の作業員が停止位置目標となっているようで、この後この作業員が左手を伸ばした場所で列車は停止した。

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ここからは、少し組写真的にご覧頂ければと思う。これは前述したエチレンコキの251列車で、塩浜線随一のお立ち台と呼ばれている跨線橋からの撮影である。列車はこのままここを通過し、一旦は1キロほど先の塩浜駅まで行き、機関車を前後に付け替える。

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上の写真と同じ跨線橋の反対側を向いて待っていると、20分ほどで機関車を前後に付け替えた(元)251レが戻ってくる。構内移動との扱いなのだろう、これも先頭に誘導作業員が添乗している。左へ分岐する引込み線には既に三菱化学の構内機関車が待機している。

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コキ貨が停まったところで、直ぐに構内機関車が連結に近付いてくる。コキとDD51とは、先程の誘導作業員によって既に解結されている。

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ほんの2~3分の早業で、コキ貨は荷主である三菱化学の工場へと牽引されていく。これで、251レでやって来た貨車の動きは完全に終わったことになる。

貨物単独線の撮影は初めてのことで、色々興味ある作業なども多かったため、多くの枚数の写真をご紹介することと相成ってしまった。ご覧下さった皆様には「お疲れ様でした」と申し上げる次第だが、たまにはこうした貨物線だけを眺めてみるのも面白いものだと、個人的にはそんな感想を抱いている。

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2009年12月21日 (月)

ススメ ススメ ロウガン ススメ

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いや、本当は老眼なんぞ進んでもらっては困るのだが。
ただ単に、『尋常小学校国語読本』に語呂合わせをしただけのことであって。

眼鏡を新調した。

私は眼鏡を2つ持っており、一つは仕事をする時用で、両眼視力1.2ぐらいまで見えるようにしてもらってある。こちらは3年ほど前にレンズだけ作り変えてもらってあるので、既に遠近両用レンズになっている。

今一つは自宅用で、これは両眼でも大型車運転ギリギリの0.8程度しか見えないように作ってもらってある。但し作ってもらったのは10年近く前のことで、当然遠近両用のレンズではない。

然るに最近、自宅用の眼鏡で、私の大好きな愛読書、『JTBの時刻表』が読めなくなってきてしまった。特に夜、目が疲れている時だと字が2つか3つにダブって見え、一々眼鏡を外さなければいけないようになった。これはあまりに不便である。で、とうとう自宅用の眼鏡も遠近両用と云うことで作り直してもらった。写真は、今日、出来たばかりの眼鏡である。

私は縦方向の乱視がかなり酷いそうで、眼鏡を作るとなると、レンズの元となるガラスから作らなければいけないらしい。強力なプリズムを入れるためだとか。鰻屋で言えば、鰻を捕まえるところから始めなければいけないそうなのだ。だから、実際に検眼してもらってから今日出来上がるまでに、1週間以上を要してしまった。

それにしても哀しいことである。自分の大好きなあの時刻表が、老眼鏡でなければ読めなくなってしまったとは。それも以前にも書いたように、私は未だに白髪一本見当たらない。髪も全然薄くなっていない。おまけにどう見ても35歳程度にしか見えない童顔である。それなのに、目の老化は確実に進行してしまっているのだ。

そう言えば最近、食事後の爪楊枝が欠かせなくなった。寒いところに長時間いると耳鳴りが起きるようになった。階段を登ろうにも、息が上がってゆっくりしか登れないようになった。手のひび割れも酷い。ぜーんぶ、老化現象なんだよね。

全く以ってトホホである。46歳にして既にこの衰えよう。

私は果たして60歳の定年を無事迎えられるのだろうか。今から心配でならない(泣)。

追記:新しい眼鏡、流石に快適である。時刻表を読める喜びを今、ひしひしと感じている。

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2009年12月17日 (木)

塩浜貨物線撮影旅行

1日目(12月16日)

塩浜貨物線は、貨物好きの方なら比較的ご存知だと思うけれど、石油コンビナートで有名な四日市から分岐する貨物専用線である。全長5キロ余りの線だが、DD51の重連での仕業が殆どなので、余計よく知られる。貨物専用線の割には大まかに言って1時間に1本程度は列車があるので、今月はそこへ出掛けることに決めた。

名古屋から関西本線で四日市まで、ここからまずは塩浜線ではなく、工場への引き込みの支線の撮影に向かう。この引込み線には途中に「末広橋」と呼ばれる可動橋があるのだ。駅から歩いて20分程度で行ける場所である。撮影ガイドなどにも載っている。

地図を頼りに歩いていくと、ありました、ありました、跳ね上げ橋が。

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列車通過の15分前に橋が下がるとのことだが、ここは工場への引込み線だから「貨物時刻表」にも時刻は明示されていない。ただ、三岐鉄道の終点・東藤原から運ばれるセメント専用貨が工場へ入るために使われるとのことで、幸い東藤原から四日市までの貨物列車は貨物時刻表に載っている。それを頼りに、あとは推察で通過時刻を計算するしかない。

少し待っていると、プルプルプル……とブザーのような音がして、橋が降り始めた。私の推察は当たっていたようである。

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これからほぼ15分後に、予定通りDD51が牽くホキ貨がやって来たが、肝心の画像はフィルムカメラで写してあるので、公開は後日と云うことで……。

10時20分頃に貨物列車の往復を撮り終え、ここから近鉄の海山道(みやまど)駅近くにある塩浜線の撮影地までブラブラ歩くことにする。次の列車は四日市発が12時18分と云うことでちょっと間がある。この可動橋から2キロ程度なので急ぐこともない。

途中で細い路地を渡ったのだが、この路地、明らかに以前は貨物用のレールが敷かれていたようである。

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いきなり道路に打ってある鋲、レールの幅より少し広めの道路の舗装補修跡、まず間違いなかろう。引き込み貨物線も全国的に大分整理されたと思うが、たまにこう云うものに出会うとちょっと得をした気がする。

塩浜線に行き着いて、暫く並走した所で絵になりそうな場所を見つけ、そこで12時18分の列車(251列車)を撮ることにした。踏切脇の場所で、横の倉庫ではコンテナを積んだトレーラーや大型トラックが頻繁に出入りしている。荷受への順番待ちをしている大型トラックの運転手のおばちゃんが、声を掛けてくる。この辺り、やはり私みたいのがよく来るそうだ。

251レは、エチレンを積んだコンテナ貨だけを牽いてくる。これを撮影後、すぐ近くにある「海山道の陸橋」と呼ばれるお立ち台へ行き、ここから上下のタンク貨を撮る。塩浜の付近はコンビナートが多いので、今の251レと返しの250レを除けば、全て燃料タキが被牽引貨車となっている。

陸橋から5分も歩けば、近鉄の海山道駅に着ける。貨物線の終点駅・塩浜は、この近鉄に乗れば直ぐ次の駅の真ん前である。歩くのが面倒なので、近鉄のご厄介になる。

雑誌で見たことのある、貨物駅の様子が撮れそうな踏切の脇まで行く。少し貨車群まで距離があるので望遠ズームを取り付け、三脚を構えていると、横の建物の上の窓が開き「悪いけどさ、構内へ勝手に入らないで」とだけ言ってピシャッと窓が閉まった。私はてっきり細い歩道だと思って、車道からガードレールを跨いだ形で三脚を構えていたのだが、そのガードレールは道路と駅構内を分ける役割のものらしい。思い違いとは言え、JR貨物さんには済まないことをしてしまったようだ。

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当の踏切脇から手持ちでカメラを構えればこんな感じの所だが、三脚の足を引っ込めて車道(と言っても車通りは少ない)から三脚を構えると、貨物駅がかなり覗き難くなる。その上、貨物駅は多くの番線があり、どこでどういう作業が行われるかも部内者でなければさっぱり判らない。意外と撮影は難しい場所のように思える。

2時間近くここで粘ったけれど、こう云う場所は望遠ズームを取り付けたデジカメで、ISO感度を上げた手持ちの方が撮影し易いだろう。

16時05分発の174レを撮ったら陽が落ちて撮り辛くなってきたので、この日はこれで撤退することとする。

おまけ。駅横で12月の寒風の中、咲き続ける根性のあるコスモス。

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2日目(12月17日)

昨晩は寝つきが悪かった。お蔭で早起きが出来ず、撮影予定の貨物を1本逃す時間にしか起き上がれなかった。

近鉄の四日市駅前に泊まったので、ここからまた近鉄に乗って塩浜駅まで行く。昨日の内に少し下見をしておいた、近鉄駅の自転車駐輪場から手持ちでカメラを構える。場所柄、とても三脚をセットすることは出来ない。幸い今日は晴れているので、シャッター速度を1/1000秒にして、これで望遠ズームを取り付ければ何とかなる(と思う。結果が出来てこないと判らないが)。

少し駅の様子を撮った後、今日は歩いて海山道方面へ向かう。線路にほぼ並行する道があるから助かる。途中、ちょっと道路にスペースがある所から貨物線が撮影できそうだ。塩浜を10時19分発の上り列車はそこで三脚を構える。早めに準備したから良かったが、列車は何故か10時15分頃に、もう通過して行った。貨物列車のみの線だから、少しぐらいの早発は構わないらしい。昨日の昼過ぎのタンク貨も、5分くらい早く通過して行ったのがあった。

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これは、列車番号のあるものではなく、塩浜駅構内で入換作業中の列車。たまたま私の前で停車したので「?」と思っていたら、この後、後退して行き別の線路へ入る姿が見えた。私が構えていた場所は、厳密にはまだ駅構内の扱いになるらしい。

ここから、昨日と同じ海山道の陸橋へ行く。歩いて10分程度だった。昨日、近鉄に貢献したのがちょっと勿体無く思われた。

陸橋へ上がって三脚を構えるが、もうこの時間だと昨日と同じで次に来るのは12時過ぎのエチレンコンテナ貨(251レ)になってしまう。寒風を受けながら、殺風景な工場地帯をぼんやり眺めるだけである。

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撮影旅行だから我慢できるけれど、ここへ住みたいとは思えませんなぁ。

1時間半も待って、やっと251レの時間となる。撮影後、今度は陸橋の反対側へ急ぐ。昨日ミスって知ったのだが、251レは塩浜到着後、10分ほどで折り返してきて、陸橋からよく見える場所で化学工場の専用線へ入っていくのだ。専用線の分岐点が陸橋間近にあり、工場から小さな構内機関車が既に迎えに来て待機している。

DD51の牽いてきたエチレンコンテナを、構内機関車に引き渡すシーンを数枚撮ったら、ちょうどフィルムがなくなった。まだ昼の1時だが、風が強くて寒いし、他に撮る場所もないので、とっとと帰ることにした。昨日同様、歩いて近鉄の海山道駅へ赴く。

JRに拘りたいので、JRと共用駅になっている桑名でわざわざJRに乗り換えた。どちらみちJR中央線の千種駅近くに所用があるので、これはこれで都合がいい。

寒風の陸橋で待ったのがたたったのか、JRに乗り換えたらクシャミが連発して出るようになった。とっとと家に戻って、暖をとっていた方が身のためのようだ。冬の工場地帯は、魚が生息するには環境的に厳しいということらしい。

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2009年12月12日 (土)

排気ガスの『にほい』

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車から出る排気ガス。
殊に私たちが運転する大型車は、ディーゼルエンジンのものが多いから、粒子状物質も大量に出て大気汚染の元凶のように言われることもある。

ところが、だ。私はこの排気ガスの臭いが、小さい頃から大好きなのだ。

随分変な奴と思われるだろうが、例えば小さい頃、父が車で出勤しようとする時に私はわざわざ排気ガスの出る車の後ろ側へ行って父を見送っていた。ある時に母が気付いて「そこは汚いガスが出るから、やめなさい」と言ったことがあるが、私は聞かなかった。

私たちのご幼少の砌は、ガソリンに触媒の鉛が入っているのが当たり前で(昭和50年代に、有鉛ガソリンは公害対策で販売中止になった)、排気ガスの臭いは今よりもいい臭いに思えた。鉛入りのガスを好んで吸っているのだから、煙草を吸うよりよほど有害かも知れぬ。ガソリンに限らず、灯油ストーブの燃える臭いも好きだった。でも何と言っても一番好きなのは、バスなどのディーゼルエンジン車の排気ガスだった。

そんな私を見て、小学1年の頃だったか、四日市喘息などが社会問題化し始めた時に、上級生が私に嫌味を垂れた。「ほぉ~、オマエそんなに排気ガスが好きなのォ。四日市へ行ってスモッグを全部吸ってくれるのかよォ。あ~りが~とねぇ~」。
かなり辛辣な言葉ではあるが、排気ガスの臭いが好きなのは事実なので、私は何も言い返せなかった。

よくよく考えてみると、排気ガスと共通する臭いとして、シンナーの臭いがある。私はこれまた小さい頃から、油性マジックの臭いも大好きだった。シンナーもガソリン類も、引火性の物質であることには変わりがない。だから、それらの臭いが好きだったのであろう。

現在でも、自分が乗務するバスを運行前点検でぐるりと一周見て回る時、排気ガスの出口辺りで一旦停止してしまう。最近の新しいバスはDPDや尿素水のお蔭で臭いが変わってしまっているので余り立ち止まらない。古いバスほど立ち止まる時間は長い。

でも、小学生になる前からシンナーの臭いも好きだったなんて、ちょっと私はアブナイ奴であることも否定できませんなぁ。

後記:リニモ1号さんのご指摘により、記事アップ後、一部記事文面を書き換えました。ご指摘頂いたリニモ1号さんには、心よりお礼申し上げます。

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2009年12月11日 (金)

キハ52 122と私

大分以前の記事で、キハ52 156に関して、私との出会いから現在までを書いた。キハ52 156はご存知の方も多いだろうが、現在、エンジン非換装の国鉄色車両として大糸線で最後の活躍をしている。

一方で、今日記事にしたいキハ52 122は残念ながらエンジン換装されてしまっている。ただ、国鉄時代の一般塗装を復活させて、定期運用こそ持たないものの新津車両所で臨時列車用として現在も籍を有している。明日・明後日には磐越西線でキハ58・28と編成を組んで3連で臨時列車の運行があり、ことによるとこの52 122が使用されるかも知れない。

そんなキハ52 122であるが、私は156号車と同様、122号車とは随分以前に出会っている。この車両は1965年に製造されて初期配置が多治見機関区、のちに同機関区が美濃太田機関区に吸収されてからは、そのまま美濃太田に所属して、主に明知線(現在の明知鉄道)で活躍していた。

明知線には途中で33パーミルの急勾配があるため、走行用エンジンを2機積んだキハ52の充当が原則だったのだ。そして、私が初めて駅撮り以外の鉄道写真を撮りに赴いたのも、当の明知線だったのである。1981年3月のことで、まだかなり寒い日であったことも記憶に残っている。

恵那駅から明知線に入って、岩村駅で列車交換があった。その時の交換列車の先頭車両がキハ52 122だった。

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ちょうど渡り板の車番が駅員さんの影で隠れてしまっているが、側面の車番を拡大してご覧頂けばお判り頂けるかも知れない。写真のように1981年3月当時で、既にツートンではなく朱色一色の簡易塗装(一般に首都圏色とかタラコ色と呼ばれているが、私はどうもその呼び方が好かないので敢えてこんな呼び方をしている)になっている。

学生時代は岐阜県内のローカル線を主に撮っていたので、明知線にもよく足を運んだ。122号車とも何度か顔合わせをしている。ただ、車両写真として一番はっきり写っているのは上の写真なので、古いけれどもこの写真を使わせて頂いた。

明知線は1985年11月15日で廃止となり、明知鉄道に転換されている。それで当時美濃太田機関区に所属していたキハ52のうち5両(120~123と137)が長野圏内で使用されることになり、122は当初中込運転区に籍を移した。移籍から間もなく国鉄の分割民営化に遭い、配置区所は変わらなかったのでJR東日本の車両となった。

他の方のサイトを見ると、同車は1991年12月に中込から北長野車両所に移籍している。小海線の110系化に伴うものかと思うが、これにより活躍の場は飯山線となった。そして、私が1993年1月に飯山線撮影へ出た際に、この車両と再会している。

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車番まではこれではお判りいただけないと思うが、当時のメモによるとこの編成は「キハ52 137+122+135」とのこと。つまり真ん中の車両がそうだったらしい。民営化後の飯山線車両は、「ボートル・アミチェ」とフランス語標記で書かれた文字と、鮮やかな塗色で異彩を放っていた。後になってフランス語標記だけが省略されるようになったが、91年に移籍している122番車には既にそのフランス語標記がない。恐らく飯山線色への塗り替え時に、既に仏語標記がなくなっていたからであろう。

それから暫く、私と同車の接点はない。何かの機会に乗車したりしているかも知れないが、記録に残るようにことはしていないようだ。一方、当の122号車は1998年3月に新津へ異動している。この後、新潟地区のカラーに塗り変えられたようで、他の方のサイトなどにはその塗装の写真も載っている。

私が再々開を意識したのは、ずっと後、同車が再び国鉄時代のツートンカラーに戻されて話題を呼び、実際にその姿を見た時であった。

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時は2006年5月、新発田近辺の羽越本線を撮影に行った帰りである。米坂線経由で名古屋へ戻る途中、米沢駅に留置されていたのでコンデジで撮ったのがこの画像。撮影した時に車番を見て「何だ、昔、美濃太田に居た奴じゃないか」と思ったのだ。20年以上前に明知線で度々出会っていた車両と、まさか米沢で2度目の再開をするとは思いも拠らなかった。それも、国鉄時代のカラーに戻された姿で。

現在同車は、米坂線のキハ120系化により、冒頭に書いたように定期運用からは離脱している。でも、イベントなどの臨時列車として度々登場する機会はあるようだ。

30年近く前に明知線で出会ったキハ52 122。次回の全検がいつかも知らないけれど、私にとっては少しでも長生きして欲しいと願わずにいられない、懐かしの車なのである。

追記:お詫びと訂正/本文記事中、12月12日に走る臨時列車の線区を「磐越西線」と記しましたが「米坂線」の誤りでした。お詫びして訂正致します。

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2009年12月 9日 (水)

一年の納めの雑感(真島満秀さんのこと)

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昨年も記事にしたけれど、今年も寒さと乾燥の季節となり、私の手にアカギレが出来始めた。出来ない方に痛さをご理解頂くのは無理かも知れないが、辛い季節の到来である。

アカギレが出来る季節、となるとそろそろ寒さも定着してきて、要するに一年もそろそろ納めの時期になってくると思う。年賀状の宣伝もラジオでは頻繁に流れているし、スーパーの店頭には早くもしめ縄などが並ぶようになった。

そんな一年の終わりとなってくると、今年を振り返りたい気持ちも出てくる。殊に、今年亡くなった方のことを思うと、残念な気持ちがもう一度胸に蘇る。

私が個人的に最も残念に思う今年の故人は、真島満秀さんである。

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鉄道写真家の大御所と呼ばれ、この方に師事してプロになられた鉄道カメラマンも多く居られる。親しみ易いホームページなどで人気のある、中井靖也先生や山﨑友也先生も真島さんがお師匠さんである。私も趣味としての鉄道写真で最も尊敬していたのは、真島さんであった。

上の写真に出した「鉄道の旅」の西日本・東日本両編は、まとまった写真集としては、真島さんの最後の遺作になるのではと思う。享年が63歳とのことで、まだまだこれからと思っていただけに、3月の突然の訃報には私も言葉を失った。

この方の素晴らしさは、他の方に追随を許さないスケールの大きな写真ではないかと思う。諸河久さんとか廣田尚敬さんとか、古くから活躍しておられる鉄道写真家の方も居られるけれど、「どうすれば、こんなに大胆なスケールの写真が撮れるのだ?」と唸らされるような気持ちは、失礼ながら真島さんの写真でしか感じない。

私は直接、真島さんにお会いできる機会はなかったが、以前、釧網線の撮影に訪れた際に現地で案内をしてくださった某駅の駅員さんが「流氷のノロッコ号を俯瞰して撮ったプロの写真があるけれど、あの場所を教えてやったのは俺だ」と、多少得意気に話されていたのを思い出す。「あの場所」とは何と電柱に登って、ズボンのベルトで自分を固定するという荒業みたいなことをして撮る場所で、素人ではとても真似できない。そして、「教えてやったプロの写真家」が他ならぬ、真島満秀さんなのであった。
確かに、先程書いた「鉄道の旅・東日本編」の釧網線の項には、それと思われるノロッコ号の俯瞰写真が載せられている。

真島さんが亡くなった直後に、真島さんと撮影現場で出会ったという色々な方のブログを見てみたのだが、アマチュアに対しては大変気さくな方だったようだ。多くの方のブログなどに書かれていたが「貴方たちアマチュアは、好きなものを存分に撮りなさい。プロになるとそれは出来なくなるから」と云ったことを、よく仰っていたそうだ。
確かに、プロになれば請負仕事が多くて、自分の好みで撮影場所や撮影対象を選定する機会は激減する筈だ。逆にそんな余裕がある方は、プロとしてまだ周りが余り認めていないから、仕事が少ない方だと言ってしまっても過言ではなかろう。

忙しく走り回っておられた真島さんの、どこに病魔が潜んでいたのか私は詳しく知らない。あまりに突然の話に「自殺では?」と邪推したほどであった。

年の瀬を控え、今更ながらの感はあるが、心よりご冥福をお祈りする次第である。

追記:この方に「ロングシートの701系は絵にならない」との言葉は通用しない。そんな人だった。

(尚、文中、直接お会いしたことのない写真家の方々は、失礼ながら「さん」の敬称とさせて頂いた。中井・山﨑両先生はお会いして暫しお話したことがあるので、敢えて「先生」と呼ばせて頂いている。勝手な敬称だが、個人的な気持ちなのでご了承頂きたい。)

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2009年12月 5日 (土)

夕陽に対する私の想い

今日は鉄道やバスとは関係ない話題。写真が多くなるので文はなるべく簡潔にしようと思うのだが。

仕事中も含めて始終コンデジを持ち歩いている私であるが、過去に撮影した映像を見てみると、夕陽や夕景を写したものが大変目立つ。それだけ自分が夕陽に対して、一々感動しているのだと思う。

で、今日はそれらの画像を一挙に羅列してみようという訳だ。

じゃあ、行きます。

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08年8月 H山バスターミナルにて

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08年11月 同じくH山バスターミナルにて

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09年1月 M大前にて

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記録がないが、上と同じ時に撮影したものだと思う。同じくM大前にて

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09年1月 またまたH山バスターミナルにて

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09年1月 Hヶ丘操車場にて

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09年3月 旅行帰りの新幹線より。恐らく京都付近だと思われる

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09年5月 北海道旅行の帰り、東北本線を普通列車だけで乗り通した時。泉崎駅付近にて

コンデジを持っていると、気になった場面に遭遇した時、迷わずカメラを向けるから、知らぬ内にこんなに夕陽の映像ばかり溜め込んでしまったようだ。

でも、英語で言うところの「サン・セット」って、歌にもなったりしているし、富士山の写真集で「赤富士」だけを集めたものを本屋で見かけたこともある。それなりに、朱い色の時間は、人の心を動かすものではないだろうか。

日が「没する」と考えてしまうと、ちょっと悲しい気分もしてしまうけれど、単に「綺麗な景色」として考えればそれでいいのではと思う。
それに、昼間でもなく、夜間でもない、特別な一時的な時間にしか見られない景色だから、風景としても貴重なような気がするのだ。だから、カメラを向けてばかりいるのだろう。

皆さんは、どんな時間帯の景色がお好きですか?

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2009年12月 3日 (木)

非常ドアコックの形状比べ

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先日、同じ職場のY君のブログを拝見してちょっと思うことがあったので、私も記事にしてみることにする。

公共の交通機関は、大抵の場合ドアを空気圧で開閉している。タクシーとか小さい車は別である。何れにせよ、ドア開閉の最終スイッチは乗務員が操作するものだから、一般の方が手にされる機会は少ないと思う。
それゆえに、何かあった時、つまり非常時にはお客様の側でドアの空気圧を抜いて、手動でドアを開け閉めできる「非常コック」がついている。普段は上の写真のような状態になっていて、興味のない方なら余り存在自体も気付かれないかも知れない。

お客様を乗せた状態であのコックを扱うような時は、まさしく「非常時」に限られ、その名の通り「非常コック」なのだけれど、お客様を扱っていないで車庫にいる時には、あの非常コックは別段「非常用」でも何でもない。

私たちのバスの場合で言うと、扉スイッチが「閉」になっていたりして、車内清掃の係の方が車内に入れない時は、あのコックによってドアの開閉をしている。車庫にいる場合に限っては非常用とは言えないのが、私たちの本音の部分である。

あまり詳しく書きすぎて車庫荒らしの参考になってしまってはいけないので、詳細は端折るけれど、あの扉の中にある当の「非常コック」そのものの形状を車両の年代順に3パターンご覧頂こうと思う。

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これがパターンその1。最も古いタイプのコックである。私が知る限りでは、昭和40年代のバスでもこの形状になっていた。

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これがパターン2。平成11・12年度に納入された日野車の中扉(4枚折戸)に限ってこの形状である。

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そしてこれがパターン3。最近のノンステップバスはメーカーに拠らずこの形状が殆どだ。

何れも赤色に塗られた部分を手前に引くことで、扉の空気圧が抜かれ、手動での開閉が可能になる。

それはいいのだが、この3つの形状のコックにも「引き易い」ものと「引き難い」ものがある。日野車に乗っておられる方ならお感じだろうが、「パターン2」のコックが最も扱い難い。大変硬くて、成人男性の力でも引いたり押したりが、し難いのだ。正直言って、あまり「非常コック」としての役割も果たさないのではないかと思われる。それぐらい力が要る。

最新型の「パターン3」は、その点やはり扱い易く、3つの中ではこれが一番いいと思っている。「パターン1」でも比較的扱い易いけれど、日常的に使用するものではないので、これも硬くて扱い難くなることはある。だが、「パターン2」に比べれば余程マシだ。

日野以外で「パターン2」の形状の非常コックを持つものがあるかどうか私は知らないけれど、先程書いたようにあれは扱い難い。何故「非常用」のものに、あんな扱い難い形状のものを採用してしまったのかとさえ思う。扱い難いから、2年限りであの形のものはなくなったのだろうか。

まあ、あくまで「非常用」の話だから、お客様には極力関係なくあって欲しい。ただ、蓋を開けると車種によって形状が違いますよと、そんな程度のことは頭に入れておいて頂いても損にはならないと思う。

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