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2009年12月11日 (金)

キハ52 122と私

大分以前の記事で、キハ52 156に関して、私との出会いから現在までを書いた。キハ52 156はご存知の方も多いだろうが、現在、エンジン非換装の国鉄色車両として大糸線で最後の活躍をしている。

一方で、今日記事にしたいキハ52 122は残念ながらエンジン換装されてしまっている。ただ、国鉄時代の一般塗装を復活させて、定期運用こそ持たないものの新津車両所で臨時列車用として現在も籍を有している。明日・明後日には磐越西線でキハ58・28と編成を組んで3連で臨時列車の運行があり、ことによるとこの52 122が使用されるかも知れない。

そんなキハ52 122であるが、私は156号車と同様、122号車とは随分以前に出会っている。この車両は1965年に製造されて初期配置が多治見機関区、のちに同機関区が美濃太田機関区に吸収されてからは、そのまま美濃太田に所属して、主に明知線(現在の明知鉄道)で活躍していた。

明知線には途中で33パーミルの急勾配があるため、走行用エンジンを2機積んだキハ52の充当が原則だったのだ。そして、私が初めて駅撮り以外の鉄道写真を撮りに赴いたのも、当の明知線だったのである。1981年3月のことで、まだかなり寒い日であったことも記憶に残っている。

恵那駅から明知線に入って、岩村駅で列車交換があった。その時の交換列車の先頭車両がキハ52 122だった。

Img402521221

ちょうど渡り板の車番が駅員さんの影で隠れてしまっているが、側面の車番を拡大してご覧頂けばお判り頂けるかも知れない。写真のように1981年3月当時で、既にツートンではなく朱色一色の簡易塗装(一般に首都圏色とかタラコ色と呼ばれているが、私はどうもその呼び方が好かないので敢えてこんな呼び方をしている)になっている。

学生時代は岐阜県内のローカル線を主に撮っていたので、明知線にもよく足を運んだ。122号車とも何度か顔合わせをしている。ただ、車両写真として一番はっきり写っているのは上の写真なので、古いけれどもこの写真を使わせて頂いた。

明知線は1985年11月15日で廃止となり、明知鉄道に転換されている。それで当時美濃太田機関区に所属していたキハ52のうち5両(120~123と137)が長野圏内で使用されることになり、122は当初中込運転区に籍を移した。移籍から間もなく国鉄の分割民営化に遭い、配置区所は変わらなかったのでJR東日本の車両となった。

他の方のサイトを見ると、同車は1991年12月に中込から北長野車両所に移籍している。小海線の110系化に伴うものかと思うが、これにより活躍の場は飯山線となった。そして、私が1993年1月に飯山線撮影へ出た際に、この車両と再会している。

Img403521222

車番まではこれではお判りいただけないと思うが、当時のメモによるとこの編成は「キハ52 137+122+135」とのこと。つまり真ん中の車両がそうだったらしい。民営化後の飯山線車両は、「ボートル・アミチェ」とフランス語標記で書かれた文字と、鮮やかな塗色で異彩を放っていた。後になってフランス語標記だけが省略されるようになったが、91年に移籍している122番車には既にそのフランス語標記がない。恐らく飯山線色への塗り替え時に、既に仏語標記がなくなっていたからであろう。

それから暫く、私と同車の接点はない。何かの機会に乗車したりしているかも知れないが、記録に残るようにことはしていないようだ。一方、当の122号車は1998年3月に新津へ異動している。この後、新潟地区のカラーに塗り変えられたようで、他の方のサイトなどにはその塗装の写真も載っている。

私が再々開を意識したのは、ずっと後、同車が再び国鉄時代のツートンカラーに戻されて話題を呼び、実際にその姿を見た時であった。

Dscn0850521223

時は2006年5月、新発田近辺の羽越本線を撮影に行った帰りである。米坂線経由で名古屋へ戻る途中、米沢駅に留置されていたのでコンデジで撮ったのがこの画像。撮影した時に車番を見て「何だ、昔、美濃太田に居た奴じゃないか」と思ったのだ。20年以上前に明知線で度々出会っていた車両と、まさか米沢で2度目の再開をするとは思いも拠らなかった。それも、国鉄時代のカラーに戻された姿で。

現在同車は、米坂線のキハ120系化により、冒頭に書いたように定期運用からは離脱している。でも、イベントなどの臨時列車として度々登場する機会はあるようだ。

30年近く前に明知線で出会ったキハ52 122。次回の全検がいつかも知らないけれど、私にとっては少しでも長生きして欲しいと願わずにいられない、懐かしの車なのである。

追記:お詫びと訂正/本文記事中、12月12日に走る臨時列車の線区を「磐越西線」と記しましたが「米坂線」の誤りでした。お詫びして訂正致します。

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国鉄・JR」カテゴリの記事

コメント

こんばんは。
キハ52は長寿車なのですね。
私にとってはほとんど馴染みのない車ですが、やはりクリーム2色塗りの
一般色はしっくりきますね~
馴染み深い車両が今でも現役というのは羨ましいです。

美濃太田は気動車王国だったのでしょうか?
70年代半ば頃、美濃太田から札幌に2両のキロ28が転属してきました。
北海道の急行型グリーン車は専用のキロ26なのでキロ28を見たときには
ビックリしました。
美濃太田と聞いて、ふと当時のことを思い出しました。

投稿: vanagon714 | 2009年12月12日 (土) 00時12分

キハ52も、一枚目の写真に写ってるキハ53もJR東海には縁がない車両ですよね…。

投稿: リニモ1号 | 2009年12月12日 (土) 14時14分

>vanagon714さんへ
現在残っているキハ52は、全国総勢でも10両程度でしょうか。経年40年以上になりますから、よく生き延びている方だと思いますね。
塗装は最低で朱色一色、あわよくばクリームと朱のツートンがいいですね。他の塗装はいいと思えた試しがありません。

国鉄時代の美濃太田は、まさしく気動車王国でしたよ。特に昭和40年代後半~50年代前半は珍しい湘南型のキハユニやキハ17系・55系・それに58系などなど様々な形式が車庫に屯していました。やがては40系も仲間入りしていった訳ですが。

北海道へ渡ったキロ28、調べてみましたらvanagonさんの言われる通りでした。131と198の2両が美濃太田(名古屋へ貸し出し状態)から73年7月に札幌へ異動しているようです。冬季は恐らく使い物にならなかったでしょうが。5年程度札幌にいて、そのまま廃車になっているようです。
道内の急行型グリーン車はキロ26と相場が決まっていましたから、窓配置が全く異なる同車は異彩を放ったと思います。

投稿: vanagon714さんへ | 2009年12月12日 (土) 17時13分

>リニモ1号さんへ
美濃太田に所属していた6両のキハ52が明知線廃止と共に、他所へ異動してしまい、東海の管内からは縁のない車両になってしまいましたね。個人的には好きな車両の一つだったのですが。
一枚目の写真、写っているのは全てキハ52ですよ。手前のツートン車両は少し判り難いかも知れませんが、美濃太田で最後までツートンで残ったキハ52 120です。

投稿: リニモ1号さんへ | 2009年12月12日 (土) 17時18分

私が美濃太田について「気動車王国」と思うようになったのは、
中学校時代に購入した「気動車ガイドブック」という本の影響です。
車両解説の中に美濃太田に配属されて云々というのが頻繁に出てきたからなんです。
特に印象に残ったのが10系気動車の中間車キハ18は長大編成が多い美濃太田に集まって・・・
というような分けで美濃太田=気動車王国と思うようになりました。

投稿: vanagon714 | 2009年12月13日 (日) 09時44分

宮古のキハ52の写真位しか残っていません。それもたまたま、出張途中の撮影です。以前私のブログで少々UPしました。
キロ28には「すずらん」時代に乗車の記憶があります。11月の始めの雪がちらついている日でしたが(札幌ではこの頃初雪!)、窓回りのゴム系の劣化のせいか、音はガタガタうるさく、しかも寒く‥車掌さんが毛布を配っていました。「内地の車で寒くてすみません」と言って回っていました。73~74年頃と思います。
131か198かは不明です。この2両のうちのどちらかが蛍光灯用のベンチレターが付いたタイプなのですが、(丸いお椀見たいなやつ)写真お持ちではありませんか?

投稿: suzuran6 | 2009年12月13日 (日) 09時54分

昨日キハ52を撮影に米坂線に行って参りました。
122号ではなく137が来ました。
東のキハ52はエンジンを換装しているので、乗車も考えましたが撮影にしました。
暖冬で雪もない殺風景な景色にツートンの国鉄色は映えわたっていました。

札サウに転属直後のキロ28131の画像を見ると、名ナコ表記のまま急行「ちとせ」に運用されていました。
suzuran6さんのご指摘の「お椀」ですが、雨樋の上にポコン・ポコンと付いています。

投稿: N市のT | 2009年12月13日 (日) 12時55分

>vanagon714さんへ
確かに仰せのように、美濃太田は名古屋機関区よりも面積も広く、実に様々な車両が配属されていました。
仰せのキハ18は、一般型気動車にあって異例の中間車両と云うことで、それも美濃太田に集中配置されましたので、美濃太田=キハ18=気動車王国とお考えの諸氏も多いと思います。
美濃太田の留置線は国道41号線沿いにあり、下呂方面へ父の車で向かう時は必ずここを通りました。本当に多くの車両が車庫に屯していて、私も国道41号を通るのが楽しみでしたね。通る時間帯によって留置車両も異なるので、本当にワクワクしていたのを覚えています。

投稿: vanagon714さんへ | 2009年12月13日 (日) 20時53分

>suzuran6さんへ
道内の方にはキハ52は馴染みが薄いでしょうね。特別に寒冷地仕様の車もありませんでしたから、盛岡辺りが配置の北限だったと思います。
キロ28を北海道へ持って行ったのは無謀だなと思います。窓構造の違いのため、はっきり言えばキハ28よりも密閉度が悪かった筈です。それをわざわざグリーン車なのに、どうして?と素人の私でも思ってしまいます。vanagon714さんが言われるところの「気動車王国」ということから、美濃太田や名古屋は車両数に余裕があったためかも知れませんね。キロ26を新造するのは勿体無いので、内地から2両くらいなら、ということだったかも知れません。
2両が札サウに移った73年当時は、私はまだ小学4年で、とてもカメラなどさわらせてもらえませんでした。親にねだって買ってもらった「車両配置表」や趣味の方のHPなどから、異動時期だけがやっと判ったという程度です。済みません。
N市のTさんの方がお詳しそうなので、お尋ねになってみて下さい。

投稿: suzuran6さんへ | 2009年12月13日 (日) 21時10分

>N市のTさんへ
米坂線撮影、お疲れ様でした。そうですか、今回は137が使われましたか。当分は保留車として新津に置かれるそうですので、またその内に122も出陣の機会があるかも知れませんね。今後を期待しましょう。
殺風景でもあのツートンカラーがあると、景色の雰囲気がガラッと明るいものになるので不思議だなと思います。元々暖色系の色の組み合わせ、との所為もあるのでしょうかね。

キロ28 131に関してのご解説、有難うございます。そちらの方が画像等も豊富にお持ちのようで……。
所属標記が名ナコになっていたということは、ミオからの貸出しではなく、ナコに転属していたことになるのでしょうか。高山線の急行「のりくら」は、名古屋持ちの編成と美濃太田持ちの編成が混用されていましたが、同じ形式・同じ仕様の車が同時に全検に入ると、それを境に所属が変わるということがよくありました(ナコ車もミオ車も、全検は名古屋工が基本でしたので)。その加減で、所属も変わってしまっていたのかも知れませんね。ただ、131も198も、当初は「貸出し」であったことだけは間違いないようですが。

投稿: N市のTさんへ | 2009年12月13日 (日) 21時58分

新津のキハ52もまたいずれイベント列車で走りますねhappy01
雪の中か田植えシーズンの水鏡で撮影したいです。

キロ28131がどういう按配で名ナコ表記になっていたのか分かりませんね~。
全検の時名ナコから出したのでそうなったのでしょうか。
当時はけっこういい加減な面がありましたからね。
SLの廃車時の番号の書き間違いで、保存先に別なのが行っているなんて事がありましたね。

急行「大社」に鳥取から名古屋まで乗車した時は美濃太田のキロ28でした。

投稿: N市のT | 2009年12月13日 (日) 22時45分

>N市のTさんへ
新津のキハ52、是非今後に期待したいですね。
国鉄色でない52 120は、全検が22年10月になっているそうです。
あ、先程書き忘れましたが、米坂線でリバイバル走行した52 137も元はミオ所属で明知線で活躍していた車です。

キロ28の所属標記に関しては、多分、書かれているように全検出場時に書き換えられてしまったのでしょうね。当時は言われるように、いい加減な面が多々あったそうですね。

急行「大社」は何故か昔から美濃太田の車両で運転されていました。
美濃太田→瑞浪→名古屋と営業で回され、名古屋から「大社」として出て行くスジは、結構地元ファンでは有名でした。また、帰りは多治見経由の美濃太田行きとして、やはり営業運転でミオへ帰るのがスジでした。この営業入出庫はグリーン車も普通車扱いで乗れたので、人気のあった列車でしたね。

投稿: N市のTさんへ | 2009年12月13日 (日) 23時38分

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