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2009年11月11日 (水)

長崎・佐世保線撮影旅行(帰路/7・8日目)

7日目(11月10日)

今回の旅程、特に帰りの行程で、自分が取り入れたいものが4つあった。その一つが

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これである。呉線を走る「瀬戸内マリンビュー」。以前にも途中の呉からのマリンビュー3号には乗ったことがあるが、広島から通して乗ったことはない。それで前日の内に少し無理して広島まで来ておき、代わりにこの日はちょっと朝寝坊して10時06分発の1号に乗ろうとの魂胆なのであった。海側の窓寄り指定席券は確保してある。

呉線全線が海に沿うと云う訳でもないが、かなり長い区間、海辺の景色が楽しめる。また、この沿線には学生時代の友人が住んでおり、指定席とは反対になるけれど彼の家もチラリと眺められる。

車内に入ると、おばさんのグループ客が殆どで、化粧の臭いがちょっときつい。私は何につけ化粧品類は苦手なのだ。おっさんは私の他に一人乗っているだけであった。

流石に前日までの晴天は終わり、空は曇っている。でも眺めがよいことには変わりがない。気動車に揺られていれば気も和らぐ。終点の三原までは2時間以上を要すのだが、三原に着いた時は「もう終点?」と思うくらいに2時間は過ぎていた。

三原では5分の乗り継ぎ。ホームも違うし下車印も捺したいので、一人で勝手に駅構内を走り回る。

山陽線で倉敷へ出るまでに、とうとう雨が降り出した。仕方ない。晴れの日ばかりじゃないのだ。

倉敷からは僅か2駅だが伯備線に入って総社まで行く。乗ったのは嬉しいことに

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マリンライナーを引退した213系電車であった。私はこの車両、何故か好きなのである。

総社からは吉備線に乗りたいので、少し待ち時間がある。吉備線が「帰りに取り入れたいもの」の2つ目である。総社駅は最近になって井原鉄道が乗り入れるようになり、以前とは少し趣が異なっている。

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井原鉄道も元は国鉄線として建設され始めたのだが、赤字必至で工事凍結→第3セクによる建設・運用と相成った線である。線路は手前の清音から分岐しているが、殆どの列車が総社まで乗り入れる。車両もJR西のキハ120を基本にしたものである。

さて、待つこと暫し、やっと吉備線の列車が入ってきた。キハ40の2連である。勇んで車内に入ったら、

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ロング・ロングアゴーならぬロング・ロングシートであった。かなり気落ちする。キハ40でも3000番代と云うのらしい。車内の改造銘板を見てみると、かなり凄い。

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民営化後に3度も改造工事を受けている車両も、珍しいだろう。肝心な吉備線の眺めは、以前とそれ程大差ないようでちょっと安心した。ただ、途中の服部で学生と思しき一団が乗ってきた。以前は沿線にそう云った施設はなかったと思うが。

岡山の1つ手前で男子高生がどっさり乗って、満員になり吉備線の短い旅は終わった。

この後は赤穂線を経由するように券を作ってもらった。岡山発は15時55分の播州赤穂行に乗る。予想はしていたが、車内は下校生でかなり混んでいた。117系の中間車を115系化した3500番台で、初乗りにはなるけれど

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座れただけでも幸いと思わねばならない状態だった。

それでも西大寺・長船と徐々に車内は空いてきて、播州赤穂まで通して乗る客はそれほどいなかった。

播州赤穂からは山陽線直通の新快速で加古川まで出る。この日は加古川までの予定にしてある。それはいいが、2分で接続の筈の新快速は「JR神戸線内で起きました人身事故のため、反対列車が遅れております。発車が数分遅れる見込みです」と言う。2分なので諦めていた途中下車印を捺しに、また雨のホームを走った。お勤め帰りの方には申し訳ないが、私はちょっと得した気分になった。

8日目(11月11日)

長い旅行も最終日となった。

昨夜は加古川で泊まった訳だが、これは「帰りの目的・その3」で加古川線に乗りたかったからである。加古川線は今の職場に入った年の4月に撮影で乗って以来、15年以上御無沙汰している。その間に電化もされたし、沿線の変わりようが見たかったのだ。

少し早めだが7時17分発の

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これで、西脇市まで。103系電車を先頭車化させ、尚且つワンマン仕様にした車両が充当されている。以前乗った時は、キハ40や、運がいいとキハ37が来たりした。それも遠い過去の話になっている。

ラッシュの流れと反対なので、それ程混み合うこともなく西脇市へ。ここで12分接続の谷川行に乗り継ぐ。

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西脇市から福知山線と接続する谷川までの間は、同じ加古川線でも電化の必要があるのかと言いたくなるような有様である。私が乗ったのは8時20分の列車だが、これを逃すと次は10時12分までない。それゆえ加古川の出発がああも早くなったのだが、走る電車も単行のクモハ125という車両だ。この区間だけ非電化で残すと、車両の管理がややこしくなるのだろうか。

電車に似つかわしくない、鄙びた秋の景色を見ながら8時48分谷川着。8分の乗り継ぎで福知山へ出、3分の乗り継ぎで綾部から舞鶴線へ入る東舞鶴行きに乗り換える。この辺りの接続は、絶妙に出来ている。

東舞鶴からは、この旅程で最後の目的である小浜線に乗り換える。それにしても東舞鶴駅はいつの間に高架化されたのだろう? 然もその影響でホームは島式2面があるだけだ。反対側は間もなく入る特急が使うので、舞鶴線列車と小浜線列車は

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同一ホームでの乗換えとなる。便利といえば便利だが、松山駅での特急同士の乗換えとは意味が違う。2両編成同士を、狭く短いホームで乗り換えるのだ。侘しい思いは拭えない。因みに手前側が小浜線車両。先程、西脇市から谷川まで乗ったのと同じクモハ125型である。

小浜線は、1988年の11月に撮影に来ている。勿論当時は非電化であった。また、小学2年生になるまでの夏に、3回、沿線の海水浴場に連れて来てもらっており(うち1度だけは父の車で来た)、大変思い出深い線なのである。

だが、季節が夏でないことも関係あろうが、この線も何のために電化したのかと問いたくなるような状況である。2両のクモハ125も当然ワンマン運転、他には別に定期の特急などは走っていない。夏季に京阪神からの海水浴臨時直通列車を走らせるから、と電化の理由を聞いたけれど、別にそれらしいものは運転されていない。

海水浴で降り立った、若狭高浜や若狭和田の駅は建て替えられたりして、以前の面影は消え失せていた。何より、お客が全然乗らない。駅も大半は無人駅になってしまった。あの、昔日の活気はどこへ行ってしまったのかとすら思う。唯一活気のあったのは小浜駅で、ここでは29分も停車があったので、列車交換や駅舎内のKIOSKなどの様子を眺める余裕があった。

かくして2時間少々の小浜線の旅は終わり、敦賀へ着いた。ここから先は流石に鈍行に乗り続けようとは思わない。特急の「しらさぎ」に乗れば、1時間半ほどで名古屋に着く。その「しらさぎ」とは5分の好接続である。

旅の最後に小浜線を持ってきたのがいけなかったのか。いや、それにしても今日、敦賀まで乗った路線は全て民営化、或いはその決定後になってから電化された線ばかりである。そして、谷川から福知山までの30分余を除いて、全てワンマン運転であった。

温かみのある朱色の車両は、ステンレスの冷たい車両に置き換えられた。温かみのある木造駅舎は、無人化で荒れるからとて無骨なコンクリート駅舎に建て替えられた。そして何より、温かみのある車掌が車内を巡回する鈍行列車は、合理化の名の下にワンマン運転ばかりになった。
この世界に、人と人との触れ合いはない。何という殺伐な世界に私たちは生きているのだろう。これでは、平成生まれの人たちに「人の和を大切にしなさい」と言っても馬耳東風となることは、頭の悪い私でも判る。インターネットの普及で、子供たちは益々人の和から外れていく。

しらさぎ号の車内では、そんなことばかり考えていた。

こんなことを終章にするのも哀しいから、せめて私が帰路で使った切符の使用後の映像をお載せして終わりにしようと思う。入鋏印の博多駅と無効印の千種駅を含めて、私は23の駅で駅員さんとの触れ合いを為してきた。

私を名古屋まで送り届けてくれた駅員さん方、ありがとう。

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コメント

長旅お疲れ様でした。
最近の「乗り鉄」もだんだん面白くなくなって来たような気がしますね。
まず車両の味がなくなって、駅も無人が多くなり建物も殺風景で、切符も硬券や軟券がほとんど無くなり、機械出しの切符ばかりになってしまって、これまた面白くないと来て嫌な時代になりましたね~。

投稿: N市のT | 2009年11月13日 (金) 23時10分

お帰りなさい。
仕事で小浜へ敦賀から列車で行こうとすると、便数が少ない、時間がかかるなどの理由で駅でのレンタカーによる移動になってしまいます。敦賀~小浜への道路はかなり「こんなにりっぱな」改良が進んでおりストレス無しでの移動でした。列車に人が乗らない様に街造りが行われているのです物仕方がないですね。残り少ない「旅」が出来る地域を探し歩きましょう。

投稿: suzuran6 | 2009年11月14日 (土) 12時20分

>N市のTさんへ
味わいのあるものがどんどん失われてゆき、ステンレス車両とワンマンカーに象徴される無味乾燥としたものが幅を利かす時代になってしまいました。哀しいけれど、これが現実なのだと思い知らされた帰路でもありました。
以前は途中下車印のついでに、硬券も買い集めたものですよね。大型軟券も地域によってPOSによるものとか会社独自の端末から出力されるものとか、探せば種類はあるようですが、硬券の魅力には勝てませんね。

投稿: N市のTさんへ | 2009年11月14日 (土) 18時28分

>suzuran6さんへ
小浜線は、成るべくしてああいう姿になったと言うことですね。
残念でなりません。
車で長距離はしませんので、自動車道の現実も知りませんでしたが、そういう事情があったのですね。
仰せの通り、自分で「残された味わいのある乗って楽しい線」を探すしかないのでしょうね。

※一旦、間違ったお名前でコメント投稿してしまいました。
大変失礼致しました。お詫び申し上げます。

投稿: suzuran6さんへ | 2009年11月14日 (土) 18時32分

長旅お疲れ様でした。
ワンマンカーや無人駅はコスト削減でやむをえないのでしょうね。
情緒が無くなって寂しいですね・・・
小浜市は80年代後半に車で訪れたことがありますが、あまり記憶がありません。
もう一度ゆっくり歩いてみたいですね~

投稿: vanagon714 | 2009年11月14日 (土) 20時33分

>vanagon714さんへ
自分なりに、色々楽しめもしたし、また一方で色々考えさせられる旅行でもありました。
確かにコスト削減、止むを得ないことではあります。自分がしている仕事だって「ワンマンカーの運転手」ですものね。あまり文句を言えた筋合いはないかも知れません。
でも、このままでいいのかなとの思いも捨て切れません。世の中、これ以上殺伐としたものにしてしまっていいものかどうか、疑問符が拭えないのです。

小浜市、私は詳しくは知りません。最近は米大統領と親善があるそうですが。その関係もあって、多少活気が戻ったと聞いています。

投稿: vanagon714さんへ | 2009年11月14日 (土) 22時40分

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