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2009年10月 4日 (日)

今一度、気動車特急「くろしお」のこと

昨年の11月に、80系気動車特急「くろしお」のことを書いた。

それとは別に、私がよくお邪魔するブログではここのところ13連で運転されていた80系気動車「おおぞら」のことが話題になっている。話題の時期は、私の以前の記事と同じ1978年頃なのであるが、そんな当時、私はまだ中学3年である。北海道に親戚がある訳でもなし、とても北海道などへ行く機会はなかった。勿論80系時代の「おおぞら」の映像などありはしない。

そこで仕方ないから、今一度再掲載の写真を含めて、名古屋に来ていた80系気動車特急「くろしお」のことを思い返そうと思う。

Img383

「くろしお」は、1978年10月改正で電車化され名古屋には姿を見せなくなっているが、この写真は改正直前、1978年9月15日に撮影したもの。当時の時刻表がないので詳しくは判らないが、1976年の時刻表ではキロ2両・キシ1両を含めた10連となっている。

この写真を拡大してみると、窓配置から、2両目がキロ、3両目がキシとなっているようだ。さいぜんの1976年の時刻表では、キロが2両目と3両目に連結され、その後ろがキシと書かれているので、この廃止直前の時より編成が長かったと思われる。この写真では末尾まではカープの加減などもあって判別できないが、私の記憶では当時は8両くらいの編成だったと思う。

それでも1978年の電車置き換え時まで、キロ・キシ込みの編成であったことは間違いないようだ。車両の配置所は和歌山機関区で、これは多くの資料から間違いない。

一応、特急の面目は保っていたようである。

名古屋方の先頭車が上のキハ82であるのに対し、天王寺方の先頭車は「ブルドック」の愛称を持つキハ81であった。

Img384

「くろしお」は、この時期、6往復の設定があるが、名古屋まで来るのは「上り」の2号と、「下り」の5号だけだった。そして、名古屋へ来る編成に限定でキハ81は連結されていたそうである。座席指定席車の扱いになっており、ブルドックに乗るには指定席特急券が必要だったらしい。

「くろしお」亡き後、紀伊半島方面への特急は「南紀」と改称され、紀伊勝浦で運転が打ち切られるようになった。編成からはキシも消え、辛うじてキロ1両込みの6両編成と変わったが、もはやその編成に「往年の特急」らしさは消えていた。

やはり「特急」と呼び、それなりの料金を取る列車ならば、最低でも8両くらいは繋いでいて欲しいものである。近年、山陰や九州では2両編成のモノクラス特急が出現しているが、私的意見を述べるなら「嘆かわしい」の一言に尽きる。それらは、もう一度「急行」への格下げを強くお願いしたい。

速度が速ければいいと云うものではないのだ。

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コメント

キハ82系は性能はともあれ特急らしい形でしたね。
キロ80は屋根に水タンクがあるので直ぐに分かりますね。
キハ81のほうは修学旅行で「くろしお」を見かけたのが最初で最後でした。
北海道に回ってきたらいいなあと思いましたが・・・
たしか売店も備わっていたはずで「くろしお」でも最後まで使われていたのでしょうかね?

投稿: vanagon714 | 2009年10月 4日 (日) 23時08分

>vanagon714さんへ
エンジンがDMH17系(それも準急用のキハ55系をベースにしている)ですから、走りには難があったようですね。でも、スタイルは長い間「特急型気動車」の定番型として親しまれましたね。後に誕生したキハ181系やガスタービン試作車のキハ391でさえ、極力キハ82に似たスタイルで造られていることからも、親しみを持たれていたことが窺えます。

キハ81の方は、結局、天王寺-名古屋が最後になってしまいましたね。確かに当初は青森まで走った訳ですが、老朽化が進んだ後となると、北海道の酷寒地では故障が続発したかも知れません。
売店、「くろしお」の当時に使われていたのかは、判りません。何分、中学生坊でしたから、特急列車の車内設備まで見る余裕がありませんでした  (^ ^;;;

投稿: vanagon714さんへ | 2009年10月 5日 (月) 21時24分

キハ81は貫通扉が無いので北海道向きかなあと思ったのですが・・・
たぶんキハ82に混ざって座席数も合わない非貫通キハ81が少数あっても使い辛いだけだったのでしょうね。
キハ183系では分割併合しない前提で思い切って非貫通にしましたが、
結局また貫通型に戻って今に至っていますね。

投稿: vanagon714 | 2009年10月 5日 (月) 22時04分

>vanagon714さんへ
防寒などの面を考えると、非貫通のキハ81は北海道に向いていたかも知れません。道内で使われていたキハ82の運転室がどの程度寒かったのかは、資料やサイトなどでも探し当てられずはっきりと判りませんが、年代的に考えてキハ22などと大差はなかったのではと想像されます。
183系後期型や現在の261・281系などは、技術の進歩もあってか、貫通型になっていますね。やはりその方が増結などに対応しやすいのでしょうね。

またWikipediaなどによると、キハ81は製造当初の酷使がたたってしまい、製造後10年余の昭和47年時点で、かなり老朽化が激しかったそうです。また、運転席直後にある電源室の関係から座席定員が40名と非常に少なくなっています。仰るように、キハ82に混ざって配置されても、使い勝手が悪かったのでしょうね。

投稿: vanagon714さんへ | 2009年10月 6日 (火) 14時02分

キハ81には乗ってみたかったです。
北海道で走っていたならと考えると、大沼で駒ケ岳をバックにとか、植苗~沼ノ端のお立ち台で撮影しただろうなと思います。
13両編成の先頭がブルドックだとカッコいいでしょうね。

投稿: N市のT | 2009年10月 8日 (木) 12時37分

>N市のTさんへ
キハ81、目の前にいながら写真を撮ることしかできなかった中学3年当時の私……。
中学生には、特急はあまりに「高嶺の花」でした。急行でさえ、滅多に乗れなかったと思います(確か、中学時代は1回乗っただけ)。指をくわえて見ているだけと云う感じでしたね。

道内でしたら、N市のTさんのブログにあったお立ち台とか、とても似合いそうですね。本文にも書いたように私が見たのは7連か8連でしたけれど、13連の先頭車ならさぞかし引き立ったと思います。

投稿: N市のTさんへ | 2009年10月 8日 (木) 23時13分

はじめまして、suzuran6と申します。
いつも拝見させていただいてましたが、コメントのタイミングがうかがえず‥、
81系‥これはお邪魔しなければ。
高校の修学旅行時に名古屋駅で、新幹線車内より初めての「ブルドック」を見ました。まさに2枚目の写真の反対側(と思います)’76の事です。懐かしく感じる写真ありがとうございます。
その後、出張で『くろしお』『南紀』にはそれぞれ乗車していますが、これが1本の列車であったなどと考える人は少なくなっているのでしょうね‥。

投稿: suzuran6 | 2009年10月10日 (土) 17時47分

>suzuran6さんへ
はじめまして。お越し頂き有難うございます。
私も実は、vanagon714さんのブログを通じて、時折お邪魔しておりました。どうぞ宜しくお願い致します。
新幹線の車内からですと、仰る通り、2枚目の写真の逆側アングルになりますね。当時、名古屋まで来る「くろしお」は一日1往復でしたから、大変チャンスに恵まれたものと思います。
現在では、「くろしお」は381系電車(スーパー仕様は「オーシャンアロー」ですものね)、「南紀」も85系のステンレス気動車に置き換えられ、当時の面影はすっかり消えてしまいました。

名古屋から紀伊半島を回って天王寺へ辿り着く特急。平成生まれの鉄道ファンの方には、ピンと来ない列車となりつつありますよね。「昭和は遠くなりにけり」ですね(苦笑)。

投稿: suzuran6さんへ | 2009年10月10日 (土) 20時15分

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