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2009年10月

2009年10月30日 (金)

救急車街道

Dscn5028

私の生業から言って、あまり芳しい話題とは言えないとも思うが、仕事で通るとある道を、心の中で密かに「救急車街道」と呼んでいる。

何と言って、この道の先には救急指定の大病院が2軒あるのだ。N赤病院と某S病院。

そのために、この道を走ったりしていると、救急車と出会う確率が実に高いのだ。いつだったかは車庫からこの写真の地点へ来るまでの間に、後ろから来たので道を譲り、次に交差点で別の車に道を譲り、ここへ着く直前でまた後ろから来た(これは一台目が患者の方を乗せ終えて搬送している最中だったようだ)のでまた道を譲った。
車庫からここまでは30分程度の行程だが、その間に3度も救急車のため譲避したのはちょっと珍しい出来事と思う。

まあ、何しろ、ことほど然様に救急車に出会う確率が高い道路なのだ。

誰しも出来れば救急車のお世話になどなりたくないだろう。殊に、私たちのようにハンドルに給料を託している者にとって、この車を呼ぶような事態は起こしてはならない。極力お世話になりたくない。だが、当たり屋のような特別な人種を除いて、どんなに気をつけていても、呼ばねばならない事態が起きてしまうことはある。

以前、とあるバス停で老齢のご婦人がバスから降りた。バスから降りたときは良かったが、1~2歩歩いた所で自分の荷物が重た過ぎたらしくて転倒してしまった。左のサイドミラーでずっと見ていたのだが、全く起き上がれない。私は車内客に断って、老婦人の所へ駆け寄った。「大丈夫ですか」と声を掛けると「腰が痛くて立てない」との返事である。2分ほど待ったが立てないので、仕方なく車内のお客様に携帯電話をお借りし(私は持っていないので)、結局救急車を呼んだ。自分が何も悪くなくとも、こう云うケースだってあるのだ。

何度も同じことを書くけれど、極力お世話になりたくはない。でも、道路を走っていれば本当に色々なケースがある。

勿論、怪我だけでなく病気で搬送される方だってある。あの道路で救急車に出遭う度に「どんな方かな。大丈夫かな。大事でなければいいが」と思う。

少しでも救急搬送が減ることを願いながら、私は今日もハンドルを握っている。

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2009年10月28日 (水)

山陰本線・浜田近辺撮影結果ご報告

自分の失敗だの撮影地荒らし屋だのと色々あった山陰本線撮影旅行のフィルムが上がってきた。いつものように、私の勝手なコメントと共にご覧頂ければと思い、本日の記事の開始である。

あ、そうそう、例の某横インからは、帰ってきたら留守電が入っていた。内容として「モーニングコールは確かに鳴っていたが、ホテル側が説明した『10分間鳴り続ける』は誤りであった。30秒間鳴り30秒間停止する、を5回繰り返すだけで、10分間ではなかった。その点はお詫び申し上げる」とのことだった。5分間、それも連続して鳴らないのであれば、起き切れなかった可能性は否めない。私もある程度は納得できたのであった。

さて、余談はおいて、ご覧頂くとしよう。

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オーソドックスな写真だが、ガイド本などに全く頼っていない割には、まあまあの景色なのでアップすることにした。元々は石見津田駅から徒歩20分ほどのガイド本に載っていた場所へ行こうとしたら、たまたま踏み切りの音がして、振り向いたらこんな景色だったので急いで撮ったというものだ。だから私にしては珍しく三脚を構えず手撮りしてある。石見津田駅から5分ほど益田寄りへ歩いた所にて。

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「汽車はまだ来んかのぉ」とでも言っていそうなお婆ちゃん。ホームの端にちんまり座った姿があまりにも絵になっていたので、勝手に撮らせて頂いた。勝手に撮らせて頂いたくらいなので、お婆ちゃんのプライバシーも考慮して、撮影した駅名は内緒としておこう。

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かの、宇田郷の鉄橋。本来、ここは紀行文にも書いたように夕景を逆側から撮るのが「お定まり」だが、海側から撮ったのでは、これが一番「ポピュラーでない」撮り方かなと思い、アップしておく。24mmの広角レンズのお世話になっている。須佐~宇田郷にて。

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宇田郷の鉄橋からの帰りは、これも紀行文で書いた通り夕刻になってしまった。まだ、空に赤味が残っている頃、ちょっと絵になりそうな踏切を見つけたので、空の色が変わらぬ内にと撮ったもの。踏切のとっつけ道路には、また暇そうなネコが寛いでいたのだが、私が血相を変えて踏み切りへ向かっていくので、ネコは慌てて線路端へ逃げていってしまった。済まぬことをしたと思う。須佐~宇田郷にて。

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紀行文3日目の記事で、「三保三隅付近で先ずは腕慣らし」と書いたものの一枚。逆S字を描く線路が何ともいい雰囲気だったので、望遠レンズを構えた。これは200mmで撮っているが、線路のカーブをより強調するために300mmで撮った方がよかったかなと、今になって思っている。折居~三保三隅にて。

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あれだけ色々書いたから、「ほのぽのSAN-IN」の写真を載せぬ訳には行かないだろう。私はこんなアングルで撮った。線路際の草で少し足元が隠れてしまっているので「一級品」ではないが、さっきこの写真をいつものプリント屋で焼いてもらったら、親爺さんが「いいロケーションだね」と言ってくれた。同業者が集まるのも頷ける。区間としては周布~折居になる。

Img392

雑踏の折居の後は、一人でのんびりと久代(くしろ)の駅付近にいた。絵にし難い処であったが、私の辞書には「困った時には広角レンズ」との文字があるので、これまた24mmのお世話になっている。これだけ広々と空を入れる構図は如何なものだろうか。尚、走っているのは例の“スーパーローカル特急”こと「Sまつかぜ12号」である。

Img393

最終日に、「お○○台通信」にある場所に辿り着けず、代わりに俯瞰した岡見の駅。こんな感じで望まれる。三脚を構えていたら、たまたまウォーキングの老夫婦が通りかかり「あら、列車が見えるのね。いい場所よね」と言っておられたから、悪い場所ではなかろう。駅から歩いて5分程度の場所だから、手頃でもある。

今回は、ロケーションのいい所が多かったので、自画自賛になるが結構気に入った写真が多く撮れた。また、天候にも恵まれ、少なくとも雨には一度も降られていない。

色々あったが「結果良ければ全て良し」の言葉を借用しておこう。

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2009年10月25日 (日)

山陰本線(浜田近辺)撮影旅行・3-4日目

3日目(10月24日)

3日目も、まずは下り方面へ向けて出発する。前日の内に三保三隅付近で良さそうな撮影地を見つけておいたので、そこで先ずは腕慣らしである。

11時過ぎまでここにいたが、来る筈の下りの特急が来ないままである。上りはほぼダイヤ通りで運転しているのにどうしたことかな、と思う。

駅へ戻り、委託の駅員さんに尋ねてみると「あれ? 遅れていますか?」と言いながらパソコン画面を切り替えて「えーっと、67分遅れて浜田を出発していますね」。この後、臨時列車の『ありがとう・ほのぼの山陰』号の撮影があるので気にかかり、他のダイヤへの影響を尋ねると「判りません」とだけ。どうにも無責任な駅員だが、駅員が判らないことがこちらには判る筈がないのだ。

さて、今書いた臨時列車は、一駅浜田寄りの折居駅付近で撮ろうと思っている。ほぼ定刻でやって来た上り列車で移動する。

撮影予定地へ赴くと、既に一人が待機しており、定刻1時間前には何人かの同業者があちこちへ姿を見せるようになった。

Dscn5208  

ただダイヤは乱れているようで、肝心の列車が来る筈の時間に、30分前に通らなければならない普通列車が通り過ぎて、待っている我々をやきもきさせる。ご覧のように踏み切りの直ぐ脇で私も構えていたが、踏切が鳴る度にスカであった。

あちこちでカメラを構えている人間がいるので、外人カップルの旅行者が真似をして私の直ぐ前でコンデジを構えたりする。私はフィルムカメラで撮った後、外人さんのいる場所でコンデジで撮ろうと考えているのに……と思っていたが、列車がちっとも来ないので彼らは去って行った。場所を侵害されたくないので、自分のカメラバックを置いて場所取りをしておく。

定刻から1時間も待った頃、3~4台の車が嵐の如く慌しくやって来て、あちこちに勝手放題に車を停め、ビデオだのカメラだのを持ったのが新たに私たちの周りで構えだす。私のカメラバックを無視してビデオの三脚を置いたのがいるので「列車が近付いたら、私、そこへ行きますよ」と言うと「何言っとるんや? もう列車が来るわ。バックなんか置いたって知らん」だって。2時間も前から構えて待っている人間が、3分前に来た人間に邪魔される訳ですか……。

こういう御仁がいるから、鉄道写真好きの人間みんなのマナーが、悪いように言われてしまうのだ。

私は喧嘩が嫌いだから、言い返しはしなかったけれど、不言実行主義である。御仁のビデオがどう写っているかは私は知らない。私は私の予定通りの行動をとった。勿論、わざとビデオの前を塞ぐような真似はしていない。

ともあれ、1時間ほど遅れて、真打ち登場!

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キハ58の面影を強く残した車体。エンジンも懐かしいDMH17系そのままの音だ。写真では判り辛いが、貫通路に「ありがとう」のヘッドマークを掲出していた。また一つ、DMH17が消えていく……。

嵐の軍団は車で追っかけているようで、私が機材を片付けている内にタイヤを鳴らして走り去って行った。ご苦労様です。

この列車は、先程私が行った三保三隅で折り返すことになっている。本来36分の停車がとってあるが、大幅に遅れてきたから折り返しの時間は読めない。私は折居駅を通り過ぎた反対側の砂浜で撮るつもりでいたが、ここは光線の状態が良くない為か、同業者は誰もいなかった。一人のんびり三脚を構える。

返しの列車も遅れてしまったので、私の予定も狂った。が、まあいい。一人で気儘に撮るだけが私の目的だから、狂ったら狂ったで予定を組み替えるだけだ。そんな次第で、この後は浜田を通り越して、久代(くしろ)と云う駅へ行った。撮り辛い場所だったが、コンデジでも撮ってみたので、それを貼り付けておいてこの日の記事は終わろう。

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4日目(10月25日)

最終日の予定はもう決まっている。2日目の記事でも触れた岡見駅まで行き、徒歩25分と「お○○台通信」にある場所へ行って撮る。それで、あとは帰るだけだ。

で、岡見で降りて、当の撮影地へ向かったのだが「駐車スペースのある所から坂を下っていった場所が撮影地」とあるだけで、詳しい場所はさっぱり判らない。一旦行き過ぎて、やっとそれと思しき場所は判ったが、「坂を下る」って、ロープに掴まりながら獣道のような急坂を下りなければいけない所だ。とても、怪我をしない保障のある所じゃない。身の安全を考え、諦める。

結局、そこへ行く途中で見つけた、岡見駅を俯瞰できる道路上から安全に撮ることにする。

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これは駅から逆に眺めた写真だが、煙のたなびいているガードレールの辺りから撮影した。俯瞰だから、そこそこにいい雰囲気ではあったと思う。

予定のフィルムを消費し、岡見駅へ戻る。あ、因みに駅の直ぐ北方に件の「岡見貨物」の入っていく線路を見つけたので、その写真を付しておこう。

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右のトンネルが山陰本線、左が貨物専用の引込み線である。

さて、後は、往路で予定していた「特急乗り継ぎ」を逆コースで辿るだけだから、取り立てて書くこともない。従ってこの旅行記も終わりにするが、私の睡眠癖が悪いことも改めて認識できたので(前回の中央西線の時にも前科がありますな)、次回以降の旅行では、必ず目覚ましも持参しようと思ったことを付け加えて、改めて終わりにしよう。

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2009年10月23日 (金)

山陰本線(浜田近辺)撮影旅行・2日目

昨日は本来ブログを書くつもりはなかったのだが、思いも寄らぬことが起きたので記事にした。あまり旅行中のことを細々書いても仕方ないと思うので、今日は簡潔に済ます。

何しろ今日は、まず石見津田(いわみつだ)へ行った。駅から少し歩いた辺りに、日本海を入れて綺麗に撮影できる所があると、撮影ガイドで読んだからだ。
それはいいのだが、その石見津田に着くと、対面ホームに貨物列車が入ってきた。

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フライアッシュを運ぶことで有名な、俗称「岡見貨物」である。これは確か、貨物時刻表に「金曜・休前日運休」とあった筈だが、今日は運転されていた。運転されるならもっと早く出て、写真に収めたろうに。私の時刻表の見間違いだろうか。この頃何かとミスが多いようだ。

さて、件の撮影地へ向かう。撮影結果は後日お見せするとして、海が綺麗だったことだけは断言できるから、撮影地から見えた透き通った海の写真だけ載せておく。

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10時過ぎの列車で、益田へ出、乗り継いで一気に宇田郷まで行く。今日はあとは宇田郷の鉄橋で過ごすつもりでいる。鉄橋の写真を載せても仕方ないと思うので、鉄橋を渡る列車から見た車窓をアップしておこう。

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列車からはこう見えます。

駅から鉄橋までは離れている。私の足で徒歩35分。ただ、着いたらもう夕刻までここにいるのだから、大した運動にはなっていないだろう。

昼の2時過ぎまでの3本の列車は何れも海寄りから撮る。各々レンズを換えて、構図も変えて撮ってある。後日「結果ご報告」の暁には、一番、出来の良いものをアップするだろう。

さて、14時04分頃に通過する予定の下りが、理由は判らないが30分以上遅れて通過したけれど、兎に角この14時台の列車が過ぎると、今度は17時台まで列車はない。海岸線から離れ、鉄橋を見渡せる陸側の位置へ移動する。17時台に上下2本の列車があり、これは宇田郷鉄橋の鉄則により、夕陽を絡めて撮ろうと思う。

ところが、15時半頃から俄かに空が曇りだした。海岸にいるときは暑いくらいのお日様だったのに、折角の夕景が撮れないではないか……。そして、私の意に反して空は更に雲が厚くなり、とても夕陽と絡めた写真は無理になってしまった。

ここまで来たのだから一応列車の写真は撮ったけれど、多分お見せできるようなものにはなっていないと思う。仕方がないので、駅へ帰る道すがら、海に写った夕景の写真を掲載しておくことにする。

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これが、鉄橋を前景に撮れていたならば、と残念な思いは消えないが、天気に文句はつけようがないから仕方ない。

夕刻遅くまで写真を撮ったので、今日は浜田へ戻ったのは20時18分だった。写真は程々に撮れたが、遅くなったので、ちかれたびー。(←古い流行語ですな)

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2009年10月22日 (木)

山陰本線(浜田近辺)撮影旅行・1日目

昨日書いたように、今日は6時20分発の一番の「のぞみ」に乗る。で、モーニングコールは5時50分に設定しておいた。

電話のアラーム音で目が覚める。薄暗い辺りを手探りで受話器を取ると、思いがけない言葉が流れてきた。

「もしもし、こちらフロントですが、10時を超えるご宿泊だと追加料金を頂くことになりますが」。
思わず「はぁ?」と言い返すと同じ言葉を繰り返す。自分の腕時計を見ると、10時ちょっと過ぎを指している。何が何だか意味が判らないが、兎に角モーニングコールが鳴らなかったらしい。

もうのんびり電話している場合ではない。大急ぎで着替えてフロントへ降りる。因みに部屋が薄暗かったのは、単にブラインドのせいだった。

フロントでモーニングコールが正常に鳴らなかった旨を言い、「申し訳ございません」と言うフロント係に「JRの指定券も全てフイになった。『申し訳ない』では済まないのだが」と伝え、事実が確認されれば宿泊代は返却するとの事で折り合いはついた。あとは、兎に角1本でも早い新幹線に乗って、岡山から「やくも」に乗り継がなければならない。名古屋駅へ向けて走る。

新幹線ホームへ上っていると「16番線の電車は10時25分発、のぞみ125号博多行きです」のアナウンスが聞こえた。指定券列車に乗れなかった場合、その日のうちの自由席車なら乗れるとの知識はあったので、禁煙自由席の2号車へ飛び込んだ。

何しろ予定が大狂いしてしまったので、予定を組みなおしたり、車掌にまだ有効時間の切れていない指定特急券について尋ねているうちに、あっという間に岡山だった。1時間40分余がかくも早く感じられたことは今までない。

だが、岡山へ新幹線が着いたと同時の時間に、12時05分の「やくも」が出てしまっている。次は1時間後の13時05分まで待たねばならない。仕方ないので、予定変更により必要となった帰りの特急券を「みどりの窓口」で確保して、13時05分の「やくも13号」が出るホームで自由席車の先頭に並ぶ。悔しかったので、自棄酒用に缶ビールを買って飲む内に少し気分が落ち着いたようだ。岡山のホームで毛づくろいをし合う仲良しのハトなんぞを撮る余裕もできた。

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今日はピーカンで誠によい天気だ。気は焦るが、焦っても今日はもう浜田へ到達することしかできない。気を鎮めて、車窓を楽しむ。特急とは言えカーブの多い伯備線なので、目茶な速度は出ない。新見を過ぎると、石見地方に多い黒い艶のある屋根瓦と赤色の屋根瓦が混在する景色なども眺められる。

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ちょっと判りにくい写真かも知れないが、私の好きな車窓の一つではある。

「やくも」の元の特急券は終点の出雲市までにしてあるので、そこまで乗る。ただ、出雲市から先のローカル特急は1時間以上待たねば乗れず、それよりも直ぐに接続する快速「アクアライナー」に乗った方が、浜田へは40分以上早く着く。持っている出雲市からの特急券は、先程の新幹線の車内で車掌に尋ねたら「今日の内なら払い戻しの対象になるので、浜田駅で相談して欲しい」と言われているから、迷わず快速に乗る。

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左が今乗ってきた「やくも」、右が入線してきた快速アクアライナー。新型の気動車で味気ないが、このキハ121系はボックスシート前提なので、まあ我慢できる。幸い、海側の進行方向に一席だけ空きがあった。

不本意な一日だったが、暗くなった頃、浜田着。

駅の精算窓口で出雲市から浜田の指定席特急券を見せたが、「指定席特急券は、発車時刻を過ぎたら払い戻しの対象外。新幹線の車掌の案内は誤り」とだけ言われた。確かにルールではその筈だから、諦める。
予約してある駅前ホテルにチェックインし、直ぐに昨夜泊まった某横イン(暴横イン?)に電話すると「アラームは確かに10分間鳴り続けた筈の記録があり、宿泊費はお返しできない、が結論です」と、こちらも譲らない。言い合っても仕方がないから、納得はいかないが渋々諦める。

考えてみれば、この数日、私生活上でちょっといいことが2回立て続けにあった。これ以上高望みをすれば、もっと酷いしっぺ返しがあるかも知れない。世の中、いいことばかりではない、と詮方ない思いを胸に抱きながら、今日のご報告は〆にしようと思う。
ただ、宿泊費+特急券、合計8000円以上は、余りに高い授業料だと思うが。

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2009年10月21日 (水)

山陰本線(浜田近辺)撮影旅行・出発前夜

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明日から25日まで、山陰線は浜田方面へ撮影に出る。それで、その準備のため、今日は名古屋駅すぐ近くの某横インに宿泊している。

明日は名古屋駅始発・6時20分の一番の新幹線で出発する。これに乗るためには、地下鉄の一番電車に乗らなければいけないが、我が家から地下鉄駅はちょっと離れている。タクシーを予約する手もあるが、タクシーが時間通りに来てくれなかったり地下鉄に何らかの遅れがあったら、一番の新幹線には乗れなくなって煩わしいことになる。
で、今日の仕事を終えて、殆どその足で名古屋駅まで出てきた。ここまでやって明日起きそびれたなら、それはそれで諦めもつく。

考えてみれば、名古屋に住みながら、旅行目的で名古屋市内のホテルに泊まるのは初めてのことだ。ここまでしなければならないのは、浜田なる地が名古屋からは大変行き辛い場所に位置しているとの理由に起因する。

この旅行を計画するに当たって、私はいろいろなルートを考えた。厚狭まで新幹線で出て美祢線で長門市に出る案、新山口まで新幹線で出て山口線で益田まで出る案、それぞれ時刻表と睨めっこしたが、列車本数が少なくて何れも廃案となった。

結局は“特急崇拝”みたいになるが、岡山まで新幹線で出、伯備線の特急「やくも」に乗り継ぎ、更に山陰線のスーパーローカル特急「スーパーおき」に乗り継ぐのが、浜田へ出る一番の近道らしいのだ。浜田へは13時過ぎに着くので、半日ばかりだが明日も行動できる。で、それに従うことにした結果、今日のお宿は名古屋駅前と相成った訳だ。

偶然ではあるが、山陰地区を中心に活躍していたお座敷気動車「ほのぼのSAN-IN」が来月で廃車となるらしく、それを使った記念の臨時列車も週末に運転される。天気さえ良ければ、それも撮影するつもりでいる。
また、写真にあるように最終目的地は山陰線撮影の聖地・宇田郷にしてあり、ここまでも出向くつもりでいる。

幸い今の所、天気予報は良好な天候を表示している。予定通りに行動できることを祈りつつ、今宵は簡単だがここで筆を置くこととする。

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2009年10月18日 (日)

厳しいですなあ

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別段、名指し批判と云うつもりで書くのではない。それだけはご了承頂くとして。

過日、中央西線の写真を撮りに行った帰り、松本駅から特急に乗った。その際、少し待ち時間があったので待合室に入った時に気付いた、室内ポスターである。

少し画像が粗いのでご判読頂き難いかも知れないが、駅長名で「待合室内の禁煙・禁酒」が書かれている。禁煙は時代の風潮でもあるし、受動喫煙と云うこともあって待合室内での禁止は当然と思う。

ところで、禁酒の方はどうなのだろうか。

私自身がある程度の酒飲みなので、言い訳がましくなることは判っている。でも、一人で静かに待合室で酒類を楽しむのもいけないのかな、ちょっと厳しいなあと思ったのだ。

確かに、一人で飲んでいても、量が過ぎれば気分が高揚して、他人に迷惑をかける可能性はある。また、複数の人数で飲んでいれば、多少でも声高になって他人に迷惑と云うことは理解できる。多人数での飲酒は、ドンチャン騒ぎになる危険性を大いにはらんでいる。それを含んでの禁酒なのではあろう。

ただ、煙草と違って、酒は飲んだから直ぐその場で迷惑をかけるというものではない。先程書いたように、一人で静かに飲むことも一律で禁止されてしまっては、私のように一人旅ばかりで気の向いた時にビールを楽しむ者としては、ちょっと敵わない気がするのだ。

禁酒の方に関しては「他のお客様の迷惑になるような集団での飲酒は」禁止します、くらいに改めてもらうことは出来ないのかなぁ。

いや、単なる酒飲みの言い訳かも知れないけれど(ちょっと汗)。

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2009年10月16日 (金)

激辛食事大会

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このお店、辛い物好きには結構有名になっていて、様々なサイトにも登場しているようなので実名のまま出しちゃうことにする。

エリア的には、今回は私がN市のTさんのエリアを侵食したことになるのかな。何しろこんな中華料理屋があって、その気のある人にはかなり辛い食べ物を出してくれるらしいのだ。昨日サイトで探索したところ、麻婆豆腐と担々麺が激辛系の東西横綱らしい。

だいたい何でここへ行くことになったか、それを少しだけ記しておくと。

私が辛い物好きであることは、このブログでは書いている。一方職場でも、カレーのC壱番屋で最も辛いカレーに更に唐辛子スパイスをしこたまかけて平気で食べるので、一部の人の間でだが辛い物好きは知られている。それを聞きつけた職場の同じ組(班)のⅠ君が「おさかなさん、港区の方にこんな店があるんですけど」と話しかけてきてくれたのが、そもそものきっかけである。

当初4~5人で、との予定であったが、私の組にはそこまで辛い物好きはいないらしく、皆に参加を拒否されてしまった。で、結局、話を持ってきたⅠ君と私の二人きりで行くことになった。因みに当のⅠ君も「僕は別に辛い物好きじゃないですから、おさかなさん、存分に食べて下さい」と言うのだ。まあ、嫌いじゃないし、噂の店がどれくらいのものなのか挑戦したい気持ちも湧いてきて、二人でもいいから行ってみようということになった。

さて、店は、午前11時半を過ぎると常時行列との事だったが、私たちが着いたのは夕方5時半過ぎと中途半端な時間だったので、並ぶこともなく簡単に席にありつけた。

餃子やナスの味噌炒めなども、辛いのが苦手な人には結構辛く感じるらしい。が、これらはⅠ君と共にいとも簡単にクリア。別に、辛くも何ともない。じゃあ、本番に行きますか(何か淫靡なニュアンスですな、この言葉)となって、私は西の横綱・担々麺を注文。因みに「別に辛い物好きじゃない」Ⅰ君は炒飯で上手に逃避する。

サイトでも予習はしておいたけれど、出てきた担々麺はこういうもの。

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麺のスープは唐辛子そのものの色をしている。これは、挑戦意欲を煽る。

早速一口食べてみる。辛いのか出来立てで熱いのか、どっちか判らぬ。ただ、普通のラーメンのようにすすろうとするといとも簡単にむせ返ったから、やっぱりかなり辛いようだ。カレーに唐辛子スパイスどころの味ではない。益々挑戦意欲が刺激される。

Ⅰ君と喋りながら食べていたので、そこまでシビアにはならなかったけれど、普段の食事よりは時間がかかったと思う。何分かかったかも計っていないから判らない。何しろ、

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無事、完食できた。ただ、辛いものを食べて汗を書いたことが殆どない私でも、最後は汗を拭いて食べた。やっぱり相当なものだったみたいだ。私の隣に座った大柄なあんちゃん二人組も同じものを注文したが、「マジで苦しいっす。頭が痛いっすよ」とか言いながら、途中放棄してしまったようである。

食べ終えた直後は、お腹の辺りがホカホカ暖かかったけれど、食べ終えて2時間の今、いつもと同じ状態に戻っている。ただ、サイトによると「翌日、お尻が大変」とあるので、まだ油断は禁物である。大変になっても大丈夫なように、明日は指定休務日である。

かくして、取り敢えずは「第一の挑戦」が終止符となった。

次回は東の正横綱、麻婆豆腐を注文しようと言いながら、Ⅰ君の車で家まで送ってもらった。

次回が楽しみではあるが、その前に私が明日の朝になって息絶えていたら、こう云う事情ですので、お読み頂いた皆様、宜しくお願い致します(笑)。

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2009年10月12日 (月)

203系電車第1編成・僅かな誉れ

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常磐緩行線と東京メトロ千代田線を直通するJRの203系電車。

東京へは何度か出掛けているけれど、常磐線の系統の路線は長い間撮影しないままであった。別段、取り立てて理由はないのだが、東京へ通うようになって撮り始めたのが中央・総武線の系統だったものだから、何となくそこから始めて、次に東海道・東北線の系統を、とやっている内に常磐線の系統は後回しになってしまった。

ここ3年ばかり、上京すると隅田川の貨物駅を撮影するようになって、自然と常磐線にも足を向けるようになった。それでやっと、常磐緩行線の203系の写真も撮るようになってきたのだ。

昨年も常磐線を撮影しているけれど、今年の8月に上京した際も、常磐線のシーンは色々と撮ってきた。JR車両は207系900番代や209系1000番代も走っているが、中心となるのはこの203系である。

2回の上京で比較的ゆっくりと203系と付き合わせてもらって、たまたま気付いたのが1番編成(現在では松戸車両センターの「マト51編成」と呼ぶらしいが)だけ、車両への車番標記が違うこと。

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機関車などのように、銘板にきちんと車番が書いてある。 他の編成は、黒ペンキで車体に直に書いてあるだけで、これは1番編成だけの限定仕様である。ほんの些細な誉れと言っても良かろう。

203系は、1982年にこの第1編成だけが試験的に作られた。試作の900番代はなく、この1番車を含む編成が量産編成を作る前の試作的な役割を果たした。そのため、車番表示も他の編成と異なることとなったようだ。

来年に向けて、新しい233系電車の製作が既に決定していると聞く。この独特のアルミ合金電車が見られるのはいつまでかと心配ではあるが、昭和と国鉄の匂いを残した車両が、一日でも長く活躍してくれることを祈る次第である。

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2009年10月10日 (土)

私にとっての台風18号~955hPaの遺恨

こんな記事のコラボは、あまり歓迎すべき事態ではないかとは思うが、N市のTさんにコラボさせて頂きます。

各地に大きな被害をもたらした台風18号の愛知県上陸から、既に2日。

仕事の都合で記事を書く時間がなかったので、今更ではあるが、前日から当日の私の「事と次第」を記録しておこうと思う。

そもそも、台風が上陸した前日の10月7日、私は特別な勤務で職員の研修所へ出勤していた。研修業務があったため、たまたまこうなったのだが、研修所なるところは一般の官庁とほぼ同じで8時半出勤・17時15分の退庁となっている。そして、研修所は魚澄庵から比較的近い所にあるため、私は18時頃に自宅へ戻っていた。

この時、既に雨は本降りになっていて、私は台風が少しでも海側へ逸れることを祈りながらテレビのスイッチを入れた。

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残念ながら、避けることは叶わない様子である。テレビの音声は、「8日の朝に、東海地方へ最接近する模様」と報じている。困ったなと思う。私の翌日の出勤時刻は、8時08分と、台風が最接近する時間にぶつかりそうなのだ。

気もそぞろに夕食を終え、今までにないケースなので営業所へ電話をして尋ねてみる。主任の言うには「原則出勤。出勤が無理と思えば、車庫の仮眠室は貸し出すので、大人としての行動を取ってくれ」とだけ。

夜10時になっても大勢は変わらない。仕方ない。職場までは車で5分の距離でも、途中で何が起こるか判らない。大袈裟と笑われても良いから、車庫の仮眠室へ泊まることに決めた。諸々の準備をして、23時過ぎに車庫へ出向く。先程電話を受けた主任に「泊まらせて欲しい」と頼み、簡単に了解を貰う。
誰か一人くらい同じ考えを持つ人でもいるかと思ったが、結局泊まったのは私だけだった。

布団に入り、寝付いたのは何時か、さっぱり判らぬ。かなり長いこと寝付けられなかったことは確かだが、人のざわめく声で気が付いたから、いくらかは寝ていたらしい。時計を見ると、5時51分。明るくなってきた外を見ると、風雨が窓ガラスを叩きつけている。

仮眠室から起き出して、外の様子を伺う。

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かなり激しい風雨だ。

もう、この時間なので、出勤の早い同僚たちは多くが車庫に到着している。だが、とてもバスを出せる状態ではない。取り敢えず、8日は一番バスから全ての路線で運転を見合わせているそうだ。嘗ての国鉄用語で言えば「テケミ(天候警戒運行見合わせ)」と云う奴であろう。

自分の出勤時間まではまだ間があるので、一旦布団に戻り、携帯PCで状況を調べてみる。

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午前5時に愛知県知多半島に上陸、時速45キロとある。知多半島から名古屋までが40キロくらいだから、私が起き出した6時頃が、ちょうど名古屋に最接近している時間だったのだろう。

PCを消して、また目を閉じる。でも、もう寝られない。それに出勤してきた乗務員もどんどん多くなり、外は一層騒がしくなってきた。

7時で布団に見切りを付ける。2階にある仮眠室から出た途端、普段から懇意にしてもらっているMさんとS先輩にぶつかりそうになる。二人とも私より早い出勤の筈だが、まだ車庫にいる。
それはそうと、意外にも屋外は、雨が小降りになり、風も先程とは比べ物にならないほど弱まっている。当初の予報より早めに台風は通過したらしい。

ただ「吹き返し」がどの程度あるのか判らない。場所によっては吹き返しでトタン屋根が飛んだ、などとテレビの声が聞こえている。暫し、MさんとS先輩と雑談し、時間を過ごす。

7時半になったので、私も1階へ降りて自分の「出勤点呼」を済ませることにする。いつも同様に点呼をするが、点呼の係(助役、と呼ばれている)からは、「今のところ、待機として下さい。出庫はその都度、点呼場に呼んで指示します」とのこと。ダイヤ板だけ受け取って、再度2階へ戻る。

再びご両人と雑談していると、労組の支部長が「8時から、運行再開するよ。地下鉄が動いているのに、何でバスが動かないんだって苦情の電話も入っているし」とだけ言って、向こうへ急ぎ足で去っていく。確かに、外だけ見ると、そろそろバスが動いても可笑しくない状況である。

運行再開が決まっても、本来なら5時52分を筆頭に動き始めている筈のバスは、まだ全車両が車庫に留まっている。バスは本来の出庫順に車庫に並べてあるから、誰にどの車両を割り付けるかを決め直さなければならない。また、ダイヤのどの部分から運行再開をするかも決めなければ混乱するだけである。助役の決定があって、指示されるまで、私たちは勝手に動けない。一言に「運行再開」と言っても、そう容易なことではないのだ。

7時50分、やっと一人目の呼び出し放送がかかった。車庫から最寄の路線である。路線によっては安全確認が取れていないところもあるようで、それからまた暫く呼び出し放送はかからなかった。

7時55分に二人目、そして、8時を回るとポツポツと呼び出しがかかるようになって来た。S先輩も呼び出しがあり、「じゃあ」との一言を残して点呼場へ降りていった。

私の出庫時間は、出勤時刻の20分後・8時28分だが、呼び出しがかかるのは車庫から近場の路線の担当者が多い。この日は車庫から離れた路線の担当で、安全確認の関係からか私と同類の路線担当者は、殆ど呼ばれていない。私も出庫時刻を過ぎたけれど、全くお声のかかる気配はない。
また、中には呼び出しがかかっても戻ってくる乗務員もいて、話を聞くと「ダイヤ復帰する所は決まったけれど、車両が決まらないからもう少し待って、だってさ」と言う。かなり助役の方は混乱しているらしい。

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これは、運転再開から50分後の8時50分頃の車庫の様子。かなりの車は出て行ったようだが、この時間にしてはまだまだ多くの車が残っている。私も半ば諦めて、2階の待機所で、また横になった。その途端、私のダイヤ番号と名前が館内放送で響いた。急ぎ足で点呼場へ降りていく。

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この日の私のダイヤ板。朝夕のラッシュ時だけハンドルを持つ「中憩勤務」と呼ばれるものだが、他の営業所と共同で担当している路線、との事情もあり、より変則的な時間の勤務である。それはいいとして、時間から言って、ダイヤ板に『1』と書かれた○見町から栄の部分は、もう間に合わない。点呼場での指示は「栄まで回送して、『2』のところからダイヤ復帰せよ」というものだった。
その時の時刻は9時01分。『2』の栄発の時刻は9時35分。私たちの車庫から栄までは結構な距離があり、間に合うかどうか微妙だが「多少遅れてもいいから、安全運転で直ぐに出て下さい。担当車両は運行前点検を済ませた状態で待機させてありますから」と言われる。

点呼場に近い場所に止めてある、今日の相棒(担当車両)に慌しく乗り込む。ルームミラーと方向幕だけ合わせて発車。9時03分。

流石に道路に車は少ない。人影もまだまばらだ。路上には落ち葉は目立つが、枝まで折れたものは殆ど見当たらない。思いの外順調に走れるようだ。雨が弱く降っている程度で、吹き返しの風も全くない。結局、急がなくとも、栄には9時30分ちょうどに着いた。

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バスターミナルは街の中心にあるから、ビル風が強かったのか、少々折れ枝も目立つ。だが、運行には支障なさそうだ。3分だけ待機して、9時33分、予定通りにバス停へ着車。

少々空騒ぎの嫌いもあったかも知れないが、片道の運休だけで私は済んだ。あとは、ダイヤ板の通りに運行すればよい。

○見町へ向かう途中、バックミラーに僅かな青空が写った。少なくとも名古屋に関しては、50年前の伊勢湾台風に比べれば、然程甚大な被害の様子はない。私も、もう一度心の中で深呼吸をして、街の無事を確かめながらハンドルを握り直した。

***

尚、この記事はあくまで私の身辺に関してだけのことであり、多くの被害を受けられたリンゴ等の農家の方々、その他被害に遭われた方には、心よりお見舞い申し上げます。

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2009年10月 6日 (火)

Jバス路線仕様車・後部形状比べ

ここ数年、職場の規則やノルマなどが顕著に厳しくなってきた。給与も年々抑えられて、折角我慢して長く勤めていても、収入は落ちる一方である。背景に色々な事情があるからではあるが、単に「バスが好きだから」と今の職場に入った私も、少々嫌気が射している。

こうなってくると、私のようにいい加減な理由で職場に入った者は、段々バスを見るのも疎ましくなってくる。純粋にマニアであった頃より、バス車両に関する観察力が格段に落ちていることは否めない。

そんな折、少々前であるが、いつもコメントを下さるvanagon714さんのブログで興味深い記事と写真を拝見した。
最近、とみに勢力を伸ばしている「Jバス」の路線用ノンステップバスも、詳しく見ていくと後部形状がメーカー等により若干違うというのである。

それで、先日、自分の車庫で休息しているJバスの後部を4タイプ、非公式側からコンデジで気軽に写してみた。以下がその結果である。コメントと共にご参照頂ければと思う。
尚、塗装やラッピングによる色の違いはここでは関係ないと思って頂きたい。

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2006年式のいすゞ車両。一応この車を仮の「標準タイプ」として以下の車と比較していこう。尚、いすゞ車両なので「エルガ」の愛称がある。

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これは、2007年の早い時期に入った日野車。窓の形状やルーバーの形も、上の写真と全く違いは見られない。日野車なので「エルガ」の愛称はないが、前面のヘッドライトもエルガ同様、縦2列の灯火になっていて、外観では殆ど区別のつけようがない。

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2008年式の最新のいすゞエルガ。「標準タイプ」と比べると、側面最後部の窓の下部が非常口前の窓とツライチに合わせられていて、明らかに形状が異なっている。ただ、ルーバーは同じ形状だ。

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最後は2007年式ながら、年の暮れに納入された日野車。この車はヘッドライトが縦2灯から1つ目に改められており、「ブルーリボンシティーⅡ」の愛称を持つ。側面最後部窓は反射物があって見難く申し訳ないが、やはり下部が非常口前の窓とツライチに合わせられている。また、ルーバー形状が微妙にであるが、異なっている(下の縁に、途中での凸がない。代わりに凸とほぼ同じ位置に、ごく小さな長方形の塞ぎ部分がある)。

こうして見ると、2007年の前半頃までの車と、後半以降の車では、いすゞ・日野を問わず最後部の側面窓形状に明らかな違いがあるようだ。

また、「ブルーリボンシティⅡ」として「エルガ」とは愛称を異ならせた日野車は、前面ならヘッドライト形状で一目瞭然、後部ならルーバー形状でいすゞとの区別が出来るようだ。

エンジン関係の仕様などにより、他社のバスとは異なる部分もあるかも知れない。あくまで、私の職場の車に限っての話ではある。

毎日のことなので、同じ形の車と思って漫然と乗っているバスたちであるが、よくよく観察してみると意外にも微妙な形状の違いがあるのだなと、ちょっと面白い気分を味わった。

話題元を提供下さったvanagon714さんには、深謝致します。

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2009年10月 4日 (日)

今一度、気動車特急「くろしお」のこと

昨年の11月に、80系気動車特急「くろしお」のことを書いた。

それとは別に、私がよくお邪魔するブログではここのところ13連で運転されていた80系気動車「おおぞら」のことが話題になっている。話題の時期は、私の以前の記事と同じ1978年頃なのであるが、そんな当時、私はまだ中学3年である。北海道に親戚がある訳でもなし、とても北海道などへ行く機会はなかった。勿論80系時代の「おおぞら」の映像などありはしない。

そこで仕方ないから、今一度再掲載の写真を含めて、名古屋に来ていた80系気動車特急「くろしお」のことを思い返そうと思う。

Img383

「くろしお」は、1978年10月改正で電車化され名古屋には姿を見せなくなっているが、この写真は改正直前、1978年9月15日に撮影したもの。当時の時刻表がないので詳しくは判らないが、1976年の時刻表ではキロ2両・キシ1両を含めた10連となっている。

この写真を拡大してみると、窓配置から、2両目がキロ、3両目がキシとなっているようだ。さいぜんの1976年の時刻表では、キロが2両目と3両目に連結され、その後ろがキシと書かれているので、この廃止直前の時より編成が長かったと思われる。この写真では末尾まではカープの加減などもあって判別できないが、私の記憶では当時は8両くらいの編成だったと思う。

それでも1978年の電車置き換え時まで、キロ・キシ込みの編成であったことは間違いないようだ。車両の配置所は和歌山機関区で、これは多くの資料から間違いない。

一応、特急の面目は保っていたようである。

名古屋方の先頭車が上のキハ82であるのに対し、天王寺方の先頭車は「ブルドック」の愛称を持つキハ81であった。

Img384

「くろしお」は、この時期、6往復の設定があるが、名古屋まで来るのは「上り」の2号と、「下り」の5号だけだった。そして、名古屋へ来る編成に限定でキハ81は連結されていたそうである。座席指定席車の扱いになっており、ブルドックに乗るには指定席特急券が必要だったらしい。

「くろしお」亡き後、紀伊半島方面への特急は「南紀」と改称され、紀伊勝浦で運転が打ち切られるようになった。編成からはキシも消え、辛うじてキロ1両込みの6両編成と変わったが、もはやその編成に「往年の特急」らしさは消えていた。

やはり「特急」と呼び、それなりの料金を取る列車ならば、最低でも8両くらいは繋いでいて欲しいものである。近年、山陰や九州では2両編成のモノクラス特急が出現しているが、私的意見を述べるなら「嘆かわしい」の一言に尽きる。それらは、もう一度「急行」への格下げを強くお願いしたい。

速度が速ければいいと云うものではないのだ。

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