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2009年8月

2009年8月31日 (月)

当所の絶滅危惧種・V8キュービック

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私たちの営業所に所属する、唯一両のツーステいすゞキュービックである。社内番号はS-540。

私たちの職場では現在、急ピッチでノンステップ化が推進されており、ツーステの存在自体が珍しくなっている。新車の搬入は年に一度しかないけれど、兎に角その新車が入る度にツーステ車は呆気なく廃車の運命をたどっている。

現在、私たちの営業所では、大型ツーステ車は2路線だけでの限定運行となっている。然も、ツーステ車は、この車以外は日野のブルーリボンだから、V8車の「ズドドドド……」と云う野太い音を楽しめる機会は、誠に稀なことといってよい。

先日、珍しく2度ほど乗務する機会があった。折角なので、運転席パネルの写真なども撮っておいた。

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年式は平成10年なので、パネルデザインもそれ程古くは感じない。だが、今時の「エルガ」に比べると、ちょっとアナログっぽい部分も目に付く。

また、この車、エルガに比して冷房の風が運転席へ届きにくい。この車は他営業所からの転属車なので、新車当時のことはよく知らないが、それでも新車の頃は「涼しい車両」と好評だった筈である。それが今では「暑い車両」の仲間入りをしてしまっている。V8だから走りは大変良いけれど、細かい部分では既に私たちの不評を買うような状態となってしまっている。

年式から言って、今年度には早々と廃車の運命にある筈だ(廃車延長措置がかかれば話は別だが)。勿体無い話ではあるが、アイドリングストップ以外に「環境に優しい機構」がついていないから、8都県市の排ガス規制で廃車になる可能性の方が強いように思われる。

新車の搬入は、大体、毎年12月~2月頃に行われる。

それまでにあと何回乗務できるかなと、いつもそう思いながら、いすゞ独特のちょっと重たいハンドルを回している。

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2009年8月30日 (日)

夜行バス銀座と乗り心地など

過日、8月16日深夜に出発した関東圏の撮影旅行。「撮影紀行」でも書いたように、私としては初めて夜行バス「ドリーム号」での上京となった。

普段乗り慣れない名古屋駅バスターミナルの模様も含めて、色々書いていこうと思う。

少し早めに家を出たので、私が名駅BTに着いたのは22時半頃だったが、既に別の夜行バスが乗車バースに入っていた。いっとう目立ったのはこれ。

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私が乗車予定の「ドリーム号」の廉価版・「青春ドリームなごや号」。盆期間の最終日と云うこともあって、増車両1両も応援に来ていた。

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次々と乗り込む人たち。チラリと見える車内は、やはり4列シートのようである。

少し遅れて入ってきたのが

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TDR経由・西船橋行きの「ファンタジアなごや号」。これも、増車両として京成バスの車両が別バースに入っていた。以上の4台は、何れも22時40分発。

次に私の待合椅子の前に入ってきたのが、四国は松山へ向かう「オリーブ号」。車体に水色と黄色の独特の帯が入っているので、四国の車両であることはすぐ判る。

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これの数分後に入ってきたのが、山陽道経由で広島へ向かう

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「セレナーデ号」。セレナーデも増車両が運転され、そちらは共同運行する両備バスの車両が別バースに入っていた。オリーブ号とセレナーデ号は、何れも23時00分の発車。

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セレナーデの1号車、同の2号車(上の写真で左隅に見えている車両)、オリーブ号の順に発車していった。車両の動きが随分慌しく、「バス銀座」みたいだなと思う。

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同じ23時発だが、岐阜始発の「ドリームなごや2号」は、1号車が岐阜市内の花火大会の影響で、5分ほど遅れて入ってきた。これも増車両の2号車があり、増車両は名古屋始発で運転された関係から、1号車より先の、「オリーブ号」の直後に発車している。僅かな客を名古屋で拾い、慌しく発車していった。

さて、いよいよ次は、私が乗る「ドリームなごや4号」の入車となる。「レディーファースト」なのだろうか、最初に入ってきたのは女性専用車両の

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こちらだった。少し待った後、「ドリーム4号」が、1号車・増の2号車の順で到着。私の指定席は増車両の2号車だから、車が着くまでちょっと勿体ぶらされたような気がする。

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ナンバープレートの数字からして、平成15年式の車のようだ。因みに1号車の方が、2年程、年式が新しい車両と見受けられる。席は指定されているから、慌てて乗り込むことはない。ちょっと観察してから、車内へ入ろう。

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最も意外だったのは、スーパーハイデッカーが来るだろうと思っていたら、ご覧の通りダブルデッカー車だったこと。どうにも私は基礎知識が足りな過ぎるようだ。1階部分は「プレミアムシート」とのステッカーが張ってあった。あとで時刻表を調べてみたら、確かに「追加料金1200円」で1階席にも乗れるとのこと。益々下調べが足りないようだ。車種は写真の通り「エアロキング」と書いてあるから、ふそうのエアロキングなのだろう。どうも、夜行バスに関しては不勉強なことが多過ぎる。

さて、ところで肝心な私の座席だが、以前JRバスに勤めていた同僚らに聞くと「増車両だと、僕らがいた頃は、4列シートで運転していましたけれどね。今はどうなったのかなぁ」と非常に不安を煽るようなことを言われてしまった。外見は1号車も増2号車も変わらないが、年式が古い分、施設の貧弱な車両なのかも知れない。これでは、何のために正規の「ドリーム号」に乗るのか判らなくなってしまう。

ドキドキしながら手荷物を預けて、車内へ入る。

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おめでとうございます。無事3列でした。私に「4列シートかも」と、のたまった同僚は、帰ってきたら首でも絞めておこうと思う。

ここから先は、映像がないので、ダラダラした文章を書いていくが。

案内放送によると、トイレはついているが、三ケ日と足柄でトイレ休憩をするとのこと。また、時刻表に書かれていない東京の霞ヶ関でも降車扱いをし、到着時刻は東京駅到着の15分前・5時55分を予定しているとのことだった。

23時30分、1号車と共に定刻の発車となるが、直ぐに寝られる訳もない。名古屋インターまでは外を眺めていようと(幸い窓側席だった)、ぴったり閉められたカーテンを無理にこじ開けた。名古屋インターまでの経路も見ておきたかった。

名古屋近辺の人にしか判り辛い書き方になってしまうけれど、経路もこれまた意外なものだったので、簡略して書いておこう。

名駅→(桜通)→桜通大津→(大津通)→錦通大津→(錦通)→新千種橋西→千郷町→(広小路筋)→名古屋インター

昼行のハイウェイバスを考えれば納得できる経路だが、大津で錦通へ入るのは栄のバスターミナル・オアシス21を経由するため、また新千種橋西で広小路の筋へ入るのは、JRの千種駅を経由するためだろう。以前は栄を通らなかったから、夜行バスも別ルートで千種駅を通過していたと思われるが、何れにしても千種駅前を通るのは国鉄時代の名残りだと思われる。

また、広小路筋をそのままインター方面に向かうと、普段の私たちの仕事場・Hヶ丘も否応なしに通る。見慣れた風景も、深夜の二階建てバスから眺めると恐ろしいほど閑散としていて、こんな所で仕事をしている自分が怖くなる。

さて、インターチェンジも過ぎたから寝ようとカーテンを閉めたのだが、足元に大きなカメラバックを置いているので、いくらリクライニングしても足が伸ばせず窮屈だ。思いの外、シートピッチは広くない。結果としてこの「足元窮屈」が原因で、三ケ日休息所まで寝付かれない羽目となった。

三ケ日は、サービスエリアに入るものと思っていたら、インターチェンジを出てすぐの、JRバス乗務員休息所での休憩であった。「類似のバスが多数停まっておりますので、お間違えのない様、バスへお戻り下さい」のアナウンスが入る。外へ出てみるとバスマニアの私でも納得が行くくらい、似た車両が寄り固まっている。先に発車した青春ドリーム号、ドリームなごや2号、レディースドリームなどである。殆どが増号車を運転しているのでバスの台数も多く、ナンバープレートをしっかり覚えておかなければ、私でも間違えそうなくらいである。

手洗いへ行き、発車は1時55分だということでまだ時間があるので、少し足元を何とかしようと考える。何のことはない、自分の座席の下へカメラバックを押し込めることが出来たので、これで足元問題は解決した。今度こそ、「ドリーム」したい。

そして、三ケ日を出たら本当に直ぐに寝付いたようだ。足柄の休憩も、霞ヶ関の到着も知らない。気付いたら、「有難うございました。東京駅日本橋口へ到着です」と大きな音声でアナウンスが入っていた。盆の渋滞でバスが遅れることを期待していたのたが、定刻6時10分にはバスを退去せざるを得なくなった。呆気なく「ドリーム号」の旅は終わった。

寝呆けたまま、暫くは駅コンコースのベンチに座っていたが、どうにも眠くて堪らない。取り敢えず日暮里へ向かうつもりだったから、山手線の外回り電車で遠回りして行こうと云う気になった。渋谷も新宿も知らずに眠っていたが、西日暮里のアナウンスが聞こえてもまだ眠い。

結局降りるのが面倒になり、更にもう1周してからやっと日暮里で降りた。既に8時46分になっていた。

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2009年8月23日 (日)

川越線等関東圏撮影結果ご報告

「時間がない」と偉そうなことを申し上げたら、とある方から「時間とは作り出すものだ。『時間がない』は言い訳に過ぎぬ」との厳しいお言葉を頂戴した。そう言われてしまうと言い返せるほどの語彙力もないので、時間を作って、先日の関東圏での撮影結果を9枚ほどご報告がてら紹介させて頂こうと思う。

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編成写真的なものに過ぎないが、近い将来、一気の全廃が発表された203系電車。記録として、また記念として、撮影しておいた。嘗てはこの形式が103系の1200番台を駆逐した訳だから、いつかはその逆の立場に立たされる時がやって来る。「代々木上原」の方向幕も、今に思い出話となってしまうのであろう。列車の背景は、東京都と千葉県の県境・荒川橋梁。金町駅より松戸方面を向けて。

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亀有駅からやや金町寄りで撮影したもの。広角レンズでマンションの高さや空を強調して撮ってみた。電線が少々鬱陶しいが、私の腕ではこのフレーミングが限度だ。また、列車の躍動感を出すために、敢えて60分の1秒のスローシャッターで撮影してある。

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“表敬訪問”した隅田川貨物駅での映像。輻輳した線路が集まる部分で、おっちゃんたちが路盤工事をしていたので、その様子を。写真を撮る側は自由人だからいいけれど、この炎天下での土木作業は、体に堪えるだろう。お疲れ様との気持ちも込めての一枚。

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もう15年以上前、横浜線を撮ったことがある。その時にここでも撮影をしているのだが、撮影を終えて最寄の大口駅へ戻ったら、夕日が真っ赤に電車と乗客を染めていた。感動的な色で、それ以来もう一度ここへ来て、夕暁に染められたハマ線の電車を撮りたかった。昨年も来たが、日が沈む時に雲が出てしまい写真にならなかった。そんな訳で自分なりに思いの篭った写真ではある。尚、下の道路は、かの国道1号線。東神奈川~大口にて。

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抽象的な写真だが。今や山手線や京浜東北線などと並んで、JRの大通勤路線として名を馳せる「埼京線」。その方向幕と、「女性専用車」のステッカーが如何にも都会らしく思えてシャッターを切った。LEDの方向幕なので、シャッター速度は30分の1秒まで落としている。こう云う時、マニュアル撮影できるカメラはいいなと思う。今年3月に開業した西大宮駅にて。

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南古谷駅のホーム端から、指扇方面(上り方)を向け、200mmレンズに1.4倍のテレコンを付けて撮影したもの。拡大して頂くと判りやすいが、右側に写っているのは川越の電車区で、そのために駅付近の配線も少々複雑になっている。またWEB上だと判り難いかも知れないが、プリント写真を見て、この10両編成の埼京(川越)線電車は僅か3つのパンタグラフで稼動しているのだな、と変なことに感心してしまっている。

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元はと言えば、カーブを切ってやってくる電車を撮る目的で望遠レンズを構えたのだが、そして実際にその電車も撮っているが、こちらの写真の方が「絵」になるような気がするので、敢えてこちらをご紹介する。タイトルを付けるなら、平凡だけど「かえり道」かな。尚、彼女らのプライバシーもあるので、撮影地点は内緒にしておく。

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大船駅付近の、「貨物列車のお立ち台」で、貨物列車までには時間があるので暇つぶしに撮った。まあ、私はハト写真の専門家(?)となりつつあるので、こんなお遊びもお許し頂こう。私の想像では「オイ、兄貴、横須賀線が走っていくぜ」「オッ、本当だなぁ」との会話が交わされているような気がしてならないのであるが。戸塚~大船にて。

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お待たせ致しました。これが「大船駅付近の東海道貨物線お立ち台」からの映像です。幸い、大型車両による足元(陸橋)の振動はなく、俯瞰写真として成立しているようだ。東海道線を走る231系電車が、都会としての彩を添えてくれたように思う。貨物線なので、区間としては「横浜羽沢~相模貨物ターミナル」が正しい書き方かな(笑)。場所は、上のハトの写真と全く同じ所で構えているけれど。

3日間・3本のフィルムを駆け足でご紹介してきた。これ以上ご紹介しても却ってくどくなってしまうだろうから、この辺りで収めさせて頂こう。「時間がない」との言い訳もあることだし(再び・笑)。

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2009年8月19日 (水)

関東圏撮影紀行(2・3日目)

2日目(8月18日)

この日の行先は

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そう、川越線である。昨日は横浜近辺で撮影を終わっているのにわざわざ「さいたま新都心」を宿泊地にしたのも、今回の旅程で川越線をメインにしたいとの思いがあったからである。

前夜、夜行バスで「思う存分」とまでは寝られなかったので、目覚ましをかけずに、目が覚めた時間で行動しようと思っていた。それでも、そうそう遅くにはならず、9時くらいには起き出した(十分遅いですかね……汗)。

川越線の始発駅は宿泊地の隣の大宮駅、それも地下ホームからの発車となる。どちらみち、私が持っている「周遊きっぷ・東京ゾーン券」では川越線には乗れないから、一旦改札を出て、ICOCAでピッと入り直す。

そんなこんなで実際に撮影行動を始めたのは、10時くらいからとなった。でも、一歩、東北線からはみ出て川越線に入ると、途端に景色が変わり緑が多くなる。沿線もそれなりに落ち着いた風景が主体となる。

川越までは一駅ごとに降りて撮影していた。そんな中で、とある駅前を降りたら、閑静な住宅街なのに、一軒だけ場違いな店が目に付いた。

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別に悪い店とは言わないが、ちょっと周りの風景からは突出しているような……。だいたい、この付近に住んでいる方で、ここの店に入る殿方は極めて少ないと思われる。どこのお店で遊んだかが、一目でバレてしまう。

さて、大宮から川越までには6つの駅がある。それらに一々ゆっくり付き合っていたので、川越ではお昼タイムを大幅にオーバーしてしまった。駅前は沿線には珍しくショッピングセンターなども乱立し、食べる店も簡単に見つかる。

然し、それはいいとして、いわゆる「埼京線」として10両編成の電車が運行されているのはここまでである。

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東京圏の特許とも言うべく6扉車も、ここまでの運用だ。ここから先は、同じ国電型でも4両編成の電車に変わる。埼京線として川越までを「国電区間」扱いしているけれど、利用者数を見てもそれは窺える。

ついで。川越駅にあったポスター。この構図なら、下から覗けばひょっとしたら

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と期待して下から撮ってみたが、期待したものは何も見えなかった。嫌だねー、オジンって。

さて、下らないことはいいから、4両の205系に乗って今度は一駅越えた的場へ行く。流石に編成両数に似合った風景が目立つ。水田もあちこちに散見する。新都心「さいたま」とはかなりの違いだ。

写真を撮り忘れたが、ここの的場では駅構内に人道踏切がある。国電の走る地帯で、構内踏切を持つ路線も少なかろうと思う。

続いて次の笠幡へ。ここは

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ご覧の通りの駅構造で、交換さえできない。先程通り越した西川越の駅もそうだった。電化されているのすら、ちょっと無理があるのではと思わせる長閑さだ。駅撮りした後、少し歩いて水田地帯を走る国電の姿も撮っておいた。

のんびり撮っていたら、もう夕刻5時半である。終点まではあと一駅あるだけだし、その駅付近もここの駅付近と似たような景色だから、撮影は省略。ここから宿へ戻ることにする。

時々日も射すが、照りつけるような熱射ではなく、程々に暑い一日であった。

3日目(8月19日)

今日の予定はもう決めてある。大船駅付近で貨物線が撮れる地点へ行って、そこを撮ったらそそくさと帰ることにしてある。

8時起床。8時半に宿を出る。一旦大宮へ逆行する形で行き、ここから湘南新宿ラインで乗り換えなしで大船へ行くつもりである。

ところが、来た電車はまだ9時前なのに短い10両編成。当然車内は満員。カメラバックに三脚・小型リュックの身には、ちょっとハードだ。

次の停車駅・赤羽で私の吊り革の横へにじり込んできた女性が「バックなんかどこかへ置けばいいのに」と私に聞こえよがしに言う。こういう荷物構成だから仕方ないだろうが、馬鹿者め。

それでも新宿で席にありつき、車内も空いてきた。目的地の大船には、10時22分の着。ここから歩いて15分ばかりの所に、東海道貨物線のお立ち台があるのだ。

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これは、そのお立ち台から線路と逆方向を向いて撮った写真。ちゃんと神奈中バスも頻繁に走っております、ハイ。

ここで1時間以上粘り、2本の貨物列車とちょっとした別の鉄道風景写真を撮る。あっと言う間に12時を回ってしまった。自宅では用事も待っているので、これで撮影を切り上げて帰ろうと思う。ちょうどフィルムも使い切った。

ここからなら、東海道線で東京へ逆行して新幹線乗り継ぎで、17時までには自宅へ戻れる筈だ。

ちょっと暑かったので、大船への戻りには神奈中バスを使った。大船で降りたら、ツクツクボウシが盛んに鳴いている。盆ももう過ぎたことだし、そろそろ気分的に秋に向かえるな。

そう思いながら、東京方面行きのホームに並んだ。

***

さて、中々書く機会がなかったので書けなかったのだが。

これから当面、家庭の事情によりブログの更新頻度がローペースになると思う。時期は「いつまで」と、今は明言できない。今回は何とか旅行に出れたが、これから先は撮影旅行も予定通りに出られるかちょっと判らない。9月も10月も旅行用に休暇は押さえてあるけれど、実際に出られるかどうかは現時点では何とも言えない状態なのだ。

そんな次第だが、宜しくご了承の程。

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2009年8月17日 (月)

関東圏撮影紀行(1日目)

本来なら、昨日の夜に出発しているから今日は2日目になるのだけど、細かい点は端折って昨日の晩の出発から今日ここまでのことを1日目として記す。

今回初めて、上京に夜行ハイウェイバスを利用した。いつもコメントを下さるvanagon714さんや、そのvanagonさんのブログにコメントされている「すーさん」などから、東名の夜行バスは3列シートで快適ですよと教えて頂いたので、試しに乗ってみようとの魂胆も含まれている。

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これは利用したバスの指定券(残念ながら、降車地で運転手に強制回収された)。

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こちらは、LED式のバスの方向幕。

幸いなことに先日の静岡地震で崩落した東名高速は復旧しており、あとは盆の帰省の渋滞がどの程度夜間にも続いてしまうかだけに賭けられるようである。

夜行バス「ドリーム号」に関しての詳細は後日別掲としたいので、この程度に留めるけれど、何れにしてもちょっと私には寝辛い面もあった。三ケ日の休憩所まで寝付けられなかった。

ただ逆に、そこからは爆酔したので、霞ヶ関の到着アナウンスも覚えがない。

途中で多少の渋滞はあったけれど、どうやら盛り返したらしく、東京駅には定時の6時10分に着いた。まだ、行動するには早過ぎる。それにあまりに眠い。コンコースの休息所に腰掛けてみるが、これでは不十分だ。

そこで、第一目的地である常磐線の松戸辺りまで、まずは山手線の「外回り」電車で乗り継ぎ駅の日暮里へ行くことにした。6時53分発。

乗ったら直ぐに意識不明となり、渋谷も新宿も覚えていない。気付いたら「次は西日暮里です」と言っている。まだ眠い。面倒だから、もう1周しちゃえ。どうせ周遊切符を持っているから、不正乗車にはならないし。

結局、山手線を約2周して、やっと日暮里から松戸へ赴いた。松戸・金町・亀有各駅付近で撮影する。

亀有は、最近ロングラン漫画で有名になっているところだ。私は殆ど読んだことはないが、漫画タイトルや登場人物ぐらいは知っている。駅近くにあった看板。

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こちら葛飾区亀有地区センター。

全然面白くないですな。でも、ひょっとしたらセンター長は「両さん」かも知れぬ。

そんな下らないことを思いながら駅前に戻ると、本当にこんなものがあった。

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両さんのイラストラッピングのバス! 京成電鉄のいすゞキュービックに施されていた。京成さんも中々やるじゃん。

亀有からは、昼食の都合で一旦南千住へ戻る。ここへ来たら、隅田川貨物駅を撮らずにはいられない。簡単だけど、駅全景。

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ここへ来るのは4回目かな。でも何度来ても飽きない。1時間ほど粘る。

隅田川を撮った後、北千住に戻って少し撮影し、夕刻に向けて今度は横浜線の大口まで大移動する。大口駅付近で横浜線が国道1号線を跨ぐ所が、夕景が綺麗なので、以前から機会を窺っていたのだ。昨年も来てみたが、ちょうど日没時間に日が雲で陰ってしまい、涙を呑んだ。

今回こそ、ちゃんと日が陰らずに撮れたけど、あまり夕日が赤くならず、期待倒れに終わる。

ここから、横浜線始発の東神奈川に戻り、更に横浜駅まで行く。今夜の宿は「さいたま新都心駅前」なので逆行になるが、湘南新宿ラインを使えば早く宿に着けるだろうとの魂胆なのだ。

乗り換えも含めて、結局「新都心」には夜8時頃に着く。すぐに投宿。夕食はわざわざ大宮まで出て食べる。お目当ての店があったもので。

然し、さいたま新都心にしても、大宮にしても、駅前が再開発されて綺麗なのはいいけれど、他所者には「飾り」が多過ぎて何が何やら判らない。新都心では目の前に、泊まるべくT横インのネオンが見えているのに、地上へ下りる階段が見つからない。大宮では、地上へ降りたらどこも横断禁止になっていて、結局また迷路のような高架の歩道橋を歩かなければ目的地に辿り着けなかった。

再開発でデザインタウンにするもよいけれど、他所者にはサッパリ判らないような迷路作りは御勘弁願いたい。以前行った仙台駅前や岡山駅西口でも思ったことだ。

デザインタウンに惑ってしまったおじさんは、すっかり疲れ果てて宿へ戻った。

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2009年8月11日 (火)

長い、長い坂道

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私が中学2年生の時だから、1977年か78年の話。柴田まゆみという歌手が「白いページの中で」と云う曲でデビューした。

曲調が大変私の好みに合っていたので、非常にお気に入りの曲だった。ただ、当時はレコードなど買う金はとても持っておらず(鉄道写真で手一杯)、この曲が入ったCDをやっと手に入れたのは、まだ5年程前のことである。

この曲の歌詞で「長い、長い坂道を、今、登っていく」との部分がある。曲の「さび」へつながる部分で、私は殊にここが気に入っていた。

気に入った理由は、魚澄庵付近の地形に大いに関係する。上に載せた写真は、魚澄庵の北側にある坂道で、この長い坂を登らないと我が家には帰れない。ただ、家の南側には、大した坂道はない。

私が小学3年でこの地へ引っ越した当時、家の南側は一面の空き地で、直線で500mほど離れた私の出身中学(後にそうなった)まで十分見渡せた。中学以外、特に私の生活に関係のある建物はなく、その頃の私に必要な建物は、皆、家の北側にあった。小学校、文房具屋、スーパー、バス停、友人の住む住宅、どれも家から北側に位置していた。だから、この坂道を下りて用事を済ませ、帰りには必ず、この長い坂道を登らなければならなかった。当時既に40歳を過ぎていた母親は息を切らしてこの坂を登ったし、私も自転車をこぐのにはたいそう大変な思いをしたものだ。

中学に通うようになって、やっと自分の生活が家より南へ向き始めた。また医者やスーパーなど、生活に必要なものも家より南側にボツボツ建ち始めた。今でも自分が頻繁に乗り、尚且つ運転手となることもある家の南側のバス路線も、私が中学1年の時に開通したものだ。

こうして、坂を登る必要のない生活に徐々に慣れてくると、逆に北側の坂道が身近な癖に懐かしく思えるようになった。そんな頃に「長い、長い坂道を……」の曲が流行ったので、余計印象に残るようになったのだと思う。そして、私の生活は自宅から南寄りに傾いたまま、現在も続いている。

最近になって、時折であるが自宅より北側にある飲食店へ夕食へ出るようになった。中小の美味い飲食店が、坂の下にできたからだ。それで、気分次第でひと月かふた月に一度は、北側へ向かって夕食に出る。

帰りに坂を登る時、私はいつも心の中で「長い、長い坂道を……」と歌いながら、息を切らしている。いつの間にか、ここへ引っ越した当時の母親の年齢を、追い越している自分に歳月の速さを感じながら。

***

何となく始めたいい加減なブログですが、お蔭様で開始から1年が経過しました。尚、当初半月ほどは異なるサーバーを使用していたので、初代の「魚澄庵日志」は

http://oosakana.blogtribe.org/

にてご覧頂けます(今は全く使用していませんので、その内閉鎖されると思いますが)。

これからも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

                              魚澄庵庵主敬白

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2009年8月 9日 (日)

ヤモリ復活

7月11日の記事で書いて、翌日絶命してしまった我が家の居候のヤモリ。

アイツが天国へ旅立ってから、確かに私の周りでは碌なことが起こらなかった。

勇んで出掛けた四国への撮影旅行はここでも書いた通りの事態となったし、我が家で初めてのゴキブリは発生するし、パソコンのプリンターは2台とも相次いで故障するし……。

やっぱりアイツが守ってくれていたんだなあとちょっと気落ちしていた今日、出勤しようと玄関を出ると、足元から小っちゃい生物がチョロチョロと逃げ出すのが見えた。

「あっ、ヤモリだ♪」

そうなのだ。まだ子供で大きさは4センチ程度しかないが、間違いなくヤモリだった。

嬉しくなって出勤時間に遅れてでも写真を撮ってブログネタにしてやろうと、チビヤモリを追いかけ、何とか撮影に成功した。それが、コイツ。

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あんまり小っちゃいから、マクロモードで撮ってある。周りの小石や草の葉っぱから、大きさはご推察頂けると思う。

7月12日に絶命したヤモリは、随分長いこと我が家に居候していた。たまには、どこから入ったのか家の中まで入り込んでしまったことも何度かあり、その都度、表へ出してやってきた。ヤモリが元々そう云うものなのか、奴がそういう性格だったのか、捕まえて外へ出そうとすると、今度は勝手に私の手の中で寛いでいて、「これ、手から離れなさい」と言わないと逃げていかないことさえあった。妙に人懐こい奴のように私は思っていた。

奴の死後、きちんと土葬してやったことも書いたけれど、奴は自分の余命が短いことを知ってか知らずか、ちゃんと子孫を遺してくれていたようである。そして、チビヤモリは親の言いつけをちゃんと守って、我が家へ居候……してくれるんだろうね?

何にせよ、目出度い。私はチビヤモリをきちんと守るようにしてやるから、チビもちゃんと魚澄庵を守ってくれよ。

そんな今日、仕事を終えて帰ってくると、「パソコンプリンターの1台が修理不能なので、修理代金で同等最新機種の新品とお取替えします」と留守電が入っていた。

まずは一つ、チビが役割を果たしてくれたかなと、留守電の声を聞きながら苦笑した。

これで、「タイのタタリ」にも遭わなくて済みそうだ。

(スミマセン、最後の一文だけ、超ローカルネタです。)

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2009年8月 7日 (金)

夏の午後、冬の早朝

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一昨日写した写真。とあるバスの終点の転回場(バス待機所)から眺めた風景だ。

暑そうな青空に入道雲なんかが浮かんでて、夏本番の雰囲気。

ここの終点では、大抵の場合、短いながらも停車時間があって、ちょっと一息つける所である。私は個人的にこの路線の仕事が好きなので、ここへやって来るとヤレヤレと云う気分でいつも眼前の景色を眺めている。

ところで、同じ場所からほぼ同じ角度で撮った冬の早朝の写真があるから、それも載せてみる。

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この転回場では、バスは東に頭を向けて停車することになるので、日の出前の写真だと空が白んでいく様子がお判り頂けると思う。

それにしても、同じ場所でも季節と時間を違えると、こうも雰囲気が変わるのかなあと思う。葉をつけていない木のシルエットは、見ただけでちょっと寒さを感じてしまうし、明るくない手前の景色は眼前に何があるのか判らないので、ちょっとした不安感さえ与えてしまう。

私達はここの終点に行き慣れているから不安にはならないけれど、不安との表現が不適当なら、一種の荘厳ささえ感じてしまうのだ。

同じ場所の同じアングルを、かくも違う景色にしてしまうとは、お日様にしても季節にしても、大した力だなと思う。地球の自転だとか、地軸が23度傾いているとか、そんな科学的なご説明はどうでもいい。単純に、お日様と季節に感謝しているだけのことなのだ。

今は夏の盛りだから暑くて堪らないことが多いけれど、そうかと言って寒い毎日ばかりでも気が滅入るだろう。程々の周期で暑い寒いがやって来る自然の力って凄いとさえ思う。

日本と云う、温帯に生まれたからこそ経験できる景色の変化。

眺められることを幸せだと思う。

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2009年8月 6日 (木)

宗谷本線の雄、スーパー宗谷

今日はvanagon714さんに“やや遅延コラボ”させて頂いて、特急・スーパー宗谷の写真を4枚ほどご披露しようと思う。

何れの写真も、2005年の5月に出掛けた際に撮ったもの。早いもので、もう4年以上前のことになる。キハ400系の急行・宗谷がスーパー特急化されたのが、2000年3月改正だから、撮影時点で既に5年近くの歳月が経過していることになる。

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宗谷本線のお立ち台と言われる、抜海~南稚内で撮ったもの。もう少しアングルを変えると利尻富士が見えるはずだったが、そこへ行き着く前に曇りだしてしまって、結局はインカーブからクマザサに埋まりながら撮った一枚。本来4両で運転の筈のS宗谷だが、恐らく修学旅行などの団体の関係であろう、2両増結になっている。

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これもほぼ同じ場所を、アウト側のクマザサの丘から撮影。ここは稚内市内になるが、愚かな私はそれなら大丈夫だろうと、熊に対する防御グッズを何も持っていかなかった。後で、札幌に戻って本屋で鉄道写真ガイドを立ち読みしていたら「5月以降はクマザサが背の高さ以上に茂って自分の居場所が判らなくなり遭難の恐れがある。また熊も頻繁に出没するので、個人での撮影は避けたほうが良い」と書かれていて、よくぞ生きて帰れたものだと感心した。

途中で鉄道写真目的ではない地元の方々に出会ったが、そういえばラジオや鈴を皆さん、腰にぶら下げておられた。

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これは、熊の心配は、まずない所から撮っている。安牛~南幌延の間、道道沿いからの撮影。広く開けた所に小さな流れがあって、それがとても好印象だったので、こんな構図にした覚えがある。牧場のサイロと思しき建物も見える。

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これは、雄信内の駅ホームからの撮影。この時も私はタンポポに拘っているようだ。駅ホームは砂利敷きで、アスファルトで埋められていない。だから、こんな花が当たり前のように咲けるのだろう。

vanagonさんとご一緒した時は、たまたま天候に恵まれなかったが、この「4年前の撮影」の時は、殆ど毎日晴れだった。稚内方面の印象は大変良い。曇りでも雨でも写真は撮れるけれど、やはり晴れていた方が陰影もあって、写真にメリハリが付く。何より、撮影していても大変気分が良い。

そんな、ちょっと前の撮影アルバムからのご紹介でありました。

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2009年8月 5日 (水)

職場健康診断結果、来たる

昨日、N市のTさんが胃カメラを受けられたので、「職場の健康診断」としてチョイコラボさせて頂きます。

さて、営業所によって、或いは年齢によって、職場の健康診断を受ける日はまちまちであるが、最も遅い受診に属する私たちの営業所にも健康診断の結果がやって来た。結果の一部を下に添付する。

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判定結果はAからEまでに分類され、Aが「正常」、Bが「日常生活に支障なし」、Cだと「要経過観察」、D以下は何らかの処置が必要になってくる。

全ての結果は写真に写していないが、今回は「A」か「C」の真っ二つに割れ、「B」や処置の必要な「D以下」はなかった。まずは面倒なことがなくて、ヨカッタ。

「C」のついたものを少し記すと、血検の赤血球に関する項目。ここはほぼ毎年同じ結果である。生まれつき、血液が少し薄いのだ。また、高脂血症に関しても、毎年同じ記号が付いている。血圧も、その時の具合によってCになるが、これは大抵、仕事中とか仕事が終わった直後に受診するから、それの影響だと思う。リラックスした状態で普段行く内科医(鼻炎アレルギーの薬を貰っている医者)で計ると、正常範囲の数値になる。

今年ちょっと気になるのは、拡大して頂くとお判りになりやすいかと思うが、レ氏像にも「C」が付いていることだ。詳細に「右下肺野 線状・索状」とあるが、素人には何のことやらよく判らない。想像するに、肺の右下部に線状又は索状の影が映っているということだろう。今までレ氏像に関して異常結果を言い渡されたことがないので、気になる。先程書いた、いつもの内科医に行って尋ねてみようと思っている。

あとの項目については「正常」のAが燦然と輝いているが、私としては大いに気になるのでもう一度写真をご覧頂きたい。特に白で下線を引いた辺りだ。

右側の数値は昨年の結果で、比較参考になるから敢えて載せた。

昨年度、6月後半から強制的に休日出勤・時間外勤務を言い渡され、無理してこなした結果、今年の1月頃から明らかに体調が悪くなってきた。食べ物が咽を通らない。無理に食べると下ってしまって、ちっとも身につかない。その状態のまま3ヶ月半近くを過ごした。

今は食べ物は咽を通るけれど、無理に多めに食べると下ってしまって身につかない点は変わらない。その結果、運動した訳でもないのに、昨年より体重が3キロ(測定方法が昨年と異なるのでいけないが、実際には4キロ)落ちている。そして、腹囲に至っては何と、8センチも落ちているのだ。

私は自律神経が軟弱だから(先日の四国旅行がいい例である)、ちょっとしたことで直ぐ体調を崩す。初めは「体がだるい・疲れ易い」だけだが、無理を続けているとその時その時で色々と症状が出る。今回は具体的に、胃に症状が出たのだろう。食べられなくなってしまったのだから。結果として、すっかり痩せ細ってしまった。

道理で、最近、どのズボンをはいてもブカブカになっている筈であった。メタボ寸前の84.5センチという数字はいただけないが、何も運動せずして3ヶ月余で8センチ、腹囲が落ちるのは病的である。検査結果は数値だけを見て「A」をつけているが、私にとってはとんでもない数値なのである。

そう云えば、4月20日に免許証の書き換えに行っているが(当日の記事をアーカイブからご参照下さい)、新しい免許証写真を見た時にも「頬がこけたなぁ」と自分で思った。職場でも最近よく「おさかなちゃん、ちょっと痩せたねえ」と言われる。

何度も同じことを書くが、運動などをして痩せたのならいい。だが、私の場合は病気で痩せたも同然である。痩せることが良いことの様に、この産業医は見ているが、「程度」と「場合」も勘案して結果を出して欲しいものだと、つくづく思ったおさかなであった。

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2009年8月 3日 (月)

梅雨空の下のハトさんたち

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今日は珍しく晴れた。これは、昨日の画像。とある郊外のバスターミナルにて。

東海地方は未だに梅雨が明けず、湿っぽい日が続いている。観測史上最も遅い梅雨明けになることは確実だと、新聞に書いてあった。暑ければ暑いで文句を言うけれど、やはり暑くないと、不完全燃焼の夏みたいで気持ちはよくない。

さて、ここのバスターミナル、他のバスターミナル同様にハトたちが集まる場所となっている。

そのバスターミナルの一角に、自転車置き場がある。晴れていればほぼ満員になる自転車置き場だが、昨日は雨の降りも強く、自転車置き場は閑散としていた。この写真は、自転車置き場の境の柵なのだ。

そこへ点々と並ぶハトポッポたち。

いつもだったら地面を這うようにあちこち勝手に歩いていて、こんな所に集団でとまっている姿は珍しい。きっと、地面が雨でびしょびしょだから、ここへ避難しているのだろう。雨が続く毎日では、こいつらも羽がズブ濡れになるだけで、さぞかし鬱陶しかろう。

それに、羽干しもできないから、羽虫などが邪魔臭いと思っているのではなかろうか。奴らだって奴らなりに、多少は清潔に気を遣っているはずだ。

点々と並んだハトたちを見ながら、私も早く梅雨が明けて欲しいものだと思った。多分、コイツたちも同じ気分だろうなと思いつつ。

(後記:この文を書いてから知ったのだが、一応、今日、梅雨明け宣言はあったそうな。ただ、明日からは再び雨の日が続くと天気予報では言っている。変な梅雨明けですなぁ。)

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