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2009年7月

2009年7月31日 (金)

ネプチューンへの思い、あれこれ

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この記事を書くにあたって、私は珍しくネットで下調べをした。検索語に「ネプチューン / バス」と入れてみたのだが、そうしたらテレビを見ない私は知らないことに、「ネプチューン」と名乗るお笑いタレント(コンビかトリオか知らない)があるらしく、彼らのサイトに飛んでしまった。私が書きたいのは、バス機器メーカーの話である。

従って、若し、お笑いタレントの「ネプチューン」目当てにこのブログへ来られた方は、申し訳ありませんが当ブログを閉じてください。全然関係ない話を書きますので。

さてと。

上の写真は、ネプチューン社製のバステープ再生装置とそのバステープである。私の職場で嘗て使われていたもので、廃車発生部品をちゃんとお金を出して買ったものだ。但しテープの方は、正直言ってお金は出していない。ゴミ同然に捨てられていたものを、職場の上司の許可を受けて「絶対に売り物にしない」ことを条件に、貰い受けたものだ。

私が「ネプチューン」と出会ったのは、確かまだ小学校に入る前のことだと記憶している。当時からバスに関して異常な興味を示した私であるが、ある時運転手の真後ろの席に座ったら、ワンマンバスの運転手がボタンを押すたびに案内放送が流れるのを見た。当時のテープ再生機は運転手の押しボタンのすぐ後ろ側に付いていたので、案内放送が流れる度にテープが回るのまで見えた。そのテープをよくよく見てみると「ネプチューン」と書いてあったのである。

小学校に入りもしない子供が、㈱ネプチューンを知る筈もない。私も単語としては記憶しておいたが、何を意味する言葉かはさっぱり判らなかった。小学2年生頃に、初めて辞書で「ネプチューン」を調べてみたら『ギリシャ神話の女神の名前』と説明してあり、益々訳が判らなくなった。案内放送機器のメーカー名であることは、小学4年生の時に、友人の伝で(今思えば)私の将来の職場を個人的に見学させて頂いた時にやっと判ったのであった。

以来、バスの案内放送機器メーカーとして、私の職場はネプチューン社のものを使い続けていた。私が現在の職場に入った時にも案内放送は殆どの車でテープ放送が使われており、合成音声によるテープを使わない案内放送は、勤続年数の長い方が乗務するごく一部の新しいバスにしかついていなかった。

でも、たまに代車などでそのテの新しい車に乗ると、やはり案内放送装置はネプチューン社製であった。ネプチューン社は、昭和37年に日本で初めて路線バス用のテープ放送機を世に出した実績があるのだそうだ。それを私の職場ではずっと採用し続けているのである。

時は流れ、私も今の職場に勤務して15年以上が経つ。その間に古いテープ案内の放送を使う車はどんどん駆逐され、6~7年前に私たちの職場からテープ放送車は完全に姿を消した。そして更に、昨年導入の車からは、案内放送の起動装置自体は同じ形なのに、「RESONANT(レゾナント)」と記したものが取り付けられるようになった。

これも調べて判ったことなのだが、㈱ネプチューンは、一昨年4月に富士急系の情報機器会社と合併して、新しい社名が「レゾナント・システムズ」となったそうなのだ。私が幼少の頃から慣れ親しんだ「ネプチューン」の名は、既にこの世から消えているそうなのである。

随分と歴史説明が長くなってしまった。それはさておき、今となってはテープ案内放送車に乗務していた頃が懐かしい。自分の担当するダイヤによっては、案内放送の8トラテープを5巻も6巻も持って出ねばならないこともあった。雨の日などはどうしようもないので、制帽にテープとダイヤ板を押し込んで片手に持ち、自分の荷物と傘をもう一方の手に持ち、びしょ濡れになりながら自分がその日乗務するバスまで辿り着いたものである。

そんな懐かしさ余って、結局は冒頭写真に使った廃品のテープ再生機を買った次第であるが(以前は職場の工場でマニア用に直販していた)、工場ですぐに動作テストをしてもらったら、ローラーなどが劣化しているのかうまくテープを送ることができない。私が相当のバスオタであることは工場の方も知ってみえたので、「じゃあ何とか鳴らせる様にして渡してあげましょう」と約束してくれた。

約束したはいいけれど、はっきり言って「年」の単位でテープデッキは戻ってこなかった。折角24V用の「デコデコ」まで買っていつでもテープが聞ける様に準備していたのに、全然戻ってこない。たまに工場へ用事があると序に「あの……」と訊いてみるのだが「ちょっと忙しくてね。いい、その内ちゃんと渡すから」と言われ続けて来た。そうこうする内、私も半分、再生機を預けたこと自体を忘れかけていた。

1ヶ月ほど前に、いきなり工場の方から「あ、テープ、鳴るようになったから」と呼び止められた。電源への接続方法まで教えてもらったが、今度は私の家の中で肝心な「デコデコ」が行方不明になってしまっていた。折を見て狭い家の中を探しているが、今のところ見つかっていない。だから、テープ放送も全然聞けずにいる。

思い出と、自分のだらしなさが交錯して、魚澄庵では今日も混乱が続いたままとなっている。

「ネプチューン」、罪な女神である。

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2009年7月30日 (木)

ボウズがボウズでなかった頃

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先日、JR北海道10月ダイヤ改正の骨格が発表された。気動車好きの私にとって残念なのは、183系の特急「とかち」を全て新型車両に置き換え、「スーパーとかち」化することも、改正内容に盛り込まれていたことだ。

現在「とかち」で運用されている183系が余剰となれば、「オホーツク」や「北斗」で運用されている183系車両のうち、年式が古いもの、状態のよくないものが、余剰車両によって置き換えられることは十分考えられる。

特に、ファンの間で人気の高い、中間車両の先頭化改造車であるキハ183-100番代、通称「白ボウズ(函館車だけは青ボウズ)」は、車齢も高く、また改造により痛みも進んでいることから、今回の改正で淘汰されてしまう可能性があると危惧されている。

そんな折、どなたかのブログのコメントを拝見していたら、「白ボウズも国鉄カラーにして、ヒゲまで復活させれば、面白いだろうに」と云った様な内容のことが書かれていて、ふと思い当たる節があった。確か、1987年3月に「国鉄最後の旅行」と称して変な一筆書き切符を作ってもらって旅行した時に、その通りの写真を撮った覚えがあったからだ。

昔のアルバムを紐解いたところ、意外と簡単に出てきたのが上の写真。車番はキハ183-104で、現在は「白ボウズ」となってオホーツク編成の予備車となっている車両である。

キハ183-100番代は1984~85年にキハ184から先頭車化改造された車両だそうだ。この写真を撮った1987年3月時点では、まだ183系の先頭車は殆どがスロントノーズの0番代で、私もたまたま遠軽駅で出会った車両が珍しい形だったので、記念にと撮影しておいたものだ。今にして思えば、これが将来の「白ボウズ」だったのである。逆に言えば、白や青の「ボウズ」でなかった頃の写真だ。

改造では、基本的にキハ82に似せた形で先頭車化したと手元の資料に書いてある。なるほど、言われてみれば貫通型で、キハ82と共通する顔面だなと思う。前照灯は北海道向けに4灯化されているが、その点を除けばキハ82の面影はある。

恐ろしいもので、つい先日と思っていた1987年はもう22年前のことになる。高速で走ることを余儀なくされる特急用車両は、どうしても寿命が短くなってしまう。22年の歳月は、確実にこの車両に「老朽化」の3文字を貼り付けている筈である。

今回のダイヤ改正で、この「未来のボウズ」にはどんな処遇が待っているのか、本州在住の私としても大変気がかりなところである。

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2009年7月26日 (日)

土讃線(阿波池田周辺)撮影結果ご報告

先日の土讃線撮影のフィルムが上がってきた。

撮影紀行では体調が悪くて余り芳しい行動はしていないように書いているが、一応、撮影根性だけは最後まで持ち合わせていたので、予想していたよりは撮れているように思う。

まあ、前置きは程々でいいから、兎も角ご覧頂こう。尚、今回初めて、写真をクリックして頂くと画像がやや拡大されるリンクを試験的にやってみたので、そちらも併せてご覧頂ければと思う。

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坪尻駅での写真は、先日の坪尻駅特集記事で散々お見せしたけれど、駅ホームの行き止まり側を写したものはアップしていないと思うので、駅名標と共に写した特急「南風」の通過シーンを載せておこうと思う。小雨が降ったり止んだりしていて撮り辛かったが、一応写真らしくはなっていると勝手に自負している。

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佃駅付近から、吉野川橋梁を渡る「南風」を撮影した。紀行文で、地元の方のご好意によりいい思いが出来たと書いたが、詳細は別として、こう云う撮り方ができる場合がある、とだけ記しておく。箸蔵~佃にて。

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これじゃあ、まるで女子高生の隠し撮りみたいだが、私の意図としてはキティちゃんのバッグが目立っていたので、それをメインとして撮ったつもり。勿論、今時女子高生の雰囲気も表現はしたかったのだけれど。いい歳をしたオッサンがお恥ずかしいが、私が中学2年生の頃から出現したハローキティちゃんは、何年経っても好きなキャラである。阿波池田停車中の車内にて。

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これは、撮影地ガイドを頼りに行ったところ。ただ、ガイドブックには鉄橋の上からの画像が載っており、本文に「下から見上げたアングルでも面白い」とあったので、その「下から見上げた」方のショットである。緑が濃いこの景色では、1両きりの列車でも十分に役を為してくれていると思う。箸蔵~佃にて。

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ここも撮影ガイド本による。何でも四国の写真としては「超定番撮影地」らしいが、そんなに言われるほどここの景色の見覚えはない。また、そこまでの定番撮影地をノーマルに撮っても面白くないので、広角レンズを使って青空主体のアングルに変えてある。雲が入道雲だともっと夏らしい雰囲気が出ただろうが、まだ梅雨が明けていないから、そこまでを期待するのは贅沢と云うものだろう。黒川~讃岐財田にて。

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塩入駅前に、ひまわり畑があることは、紀行文の方で書いた。列車とひまわり畑を風景写真調に写したものも何枚かあるが、そちらは別用途で使いたいとの思いもあり、敢えて列車の窓から写したこんな写真をアップしてみる。思いつきで咄嗟に写したものなので、私の悪癖「シャッター側(右側)に斜めに傾いている」が出てしまっていて、情けない。また読み込みミスで、画面にゴミが付着しているが、皆様の広い心でご堪忍下され。塩入駅停車中の車内より。

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これも撮影ガイドによる。アングルもガイド本通りに撮ってある。というより、色々なレンズを使ってアングルを探してみたのだが、これ以外に納得の行くアングルが得られなかったのだ。写っている列車がアンパンマン車両なのが少し気に入らないが、ここはかなりの高速で列車が走り抜けるので、列車が思い通りの位置に写せられたのは、これしかなかったのである。三縄~祖谷口にて。

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新改駅でのカット。前照灯と尾灯の両方が点灯しているから、スイッチバック運転中であることはお判りいただけるかと思う。鉄道写真家の山﨑友也氏が「主題と副題を画面の対角線上に配すると、バランスの取れた写真になる」とよく言われているので、それに倣って作ってみたアングルだが、如何なものだろうか。

色々不都合もあったけれど、これだけ撮れていれば自分としてはまあ満足である。いや、あくまで「自己満足」に過ぎないけれど。鉄道オタクの自己満足ブログだから、この程度でちょうどいいのではないか、と言い訳を書いて、今日の記事は終わっておこう(最後にちょっと汗)。

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2009年7月25日 (土)

ココ○チの会

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完全に職場の話ではないので、カテゴリーは分類不可に入れておく事柄なのだが。

私たちの職場では、バス運転手の試験に受かると、まず市の東部にある研修所で2ヶ月ほど研修を受ける。ここで、職場に関する勉強や実際の接客・料金などの仕組み等、卓上の勉強と、バスの運転実技の練習をする。

研修所で所定の勉強を終えると、自分が実際に配属になる車庫へ行き、決められた指導役の運転手(これを職場では「師匠」と古風な呼び方をしている)につきっきりで添乗してもらい、実際の営業車両を約1ヶ月乗務する。この1ヶ月で師匠から合格点が貰えると、晴れて独り立ちと云うことになる。

私は今までに、2人の研修生の「師匠」を務めさせて頂いた。K君とY君で、二人とも今は立派な運転士として、バスに乗務している。

私は大変なカレーライス好きなのだが(それも激辛系が好きである)、奇しくもK君、Y君共に、私同様カレー好きとのことである。それで、不定期ではあるが、師匠役の私とK君・Y君の3人で、とある全国カレーチェーン店へカレーを食べに行って駄弁る会と云うのをやるようになった。ただ、出席者はその時々の都合でゲストもウエルカムになっていて、今まで何回かやった会で、出席者が全く同一だったことはない。

今日、4ヶ月ぶりくらいでその会をやった。

この会には不文律で、「私は必ず店で一番辛いレベルのカレーを食べる」ことと「勘定は全て私が支払う」ことをルールにしてある。辛いカレー食べさせられた挙句、料金は全て支払うなんて、とお思いの方もあるかも知れないが、基本的には自分の教え子(偉そうな言い方で申し訳ない)のお二人と楽しい時間を送らせて貰うことが私の目的だから、それが完遂できれば少々の出費は構わないと思っている。

ゲストも含めて出席者は職場でのつながりだから、どうしても仕事の話題が中心になる。それでも、2人目の教え子であるY君でも、もう独り立ちして約4年になる。思い出話が混ざったり、「今だから言えるんですけど」調な話も出てきたり、随分話には花が咲く。そこらのおばさんの井戸端会議より、余程長々とやっている会である。

今日も、午後5時集合と云う約束で、気が付いたら午後8時を回っていたので、流石に店にも迷惑だろうと、やっと解散になった。

私たちの職場では、高齢の乗務員に、地下鉄部門への希望配転を募ったりしているので、今では弱冠46歳の私でも、職場ではかなり年上の部類に属するようになってしまった。だから、こういう時間にゆとりのある会で、自分より若い人の話を聞いて、新鮮な気持ちを分けて頂くようにしている。自分にはない考え方や意見を聞かされて、目から鱗ということも屡だ。

年齢では一番上の私が、くたばってしまわない限り、この会は続けたいと思う。たまに食べる激辛カレーも、気持ちがすっきりして私は好きだ。何より、普段一人暮らしで会話の少ない私だから、様々な会話を楽しめるのも良い。

あ、因みに上の写真で、一番手前にあるカレー皿が私用の「激辛カレー」である。香辛料が多く入っているから、他の方のカレーよりもずっと赤っぽくなっているのがお判り頂けるかと思う。

こんなカレーを食しながらの時間、これからも大切にしていきたいと思っている。又、私のようないい加減な人間を「師匠」呼ばわりしなければいけないお二人には申し訳ない次第だが、これからもちょいちょい誘ってやって下さいな。

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2009年7月24日 (金)

秘境駅・坪尻の記録

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先日の土讃線撮影紀行で「後日別掲とする」と書いた坪尻駅のことについて、画像を交えながら記して行こうと思う。

それは兎も角として、先日の撮影紀行では「薬を忘れて、体調を大いに崩した」旨を書いた。実際、帰りの新幹線の中では呆然と座っているだけの状態であったけれど、帰宅してきちんと薬を飲んで養生したら、仕事をしながらでも意外に早く復調した。今日は旅行から戻って4日目になるが、ほぼ従前と同じ体調になっている。

余分なことを書き過ぎたばかりに、ブログを読んでくださった多くの方から「体調はどうですか」との温かいお言葉を頂いた。お蔭様で無事復活しているので、この場を借りて取り急ぎ御礼とお詫びを申し上げる。「心配して下さった皆様、有難うございました。お蔭様で元気になっています。ご心配をお掛けしまして申し訳ありませんでした」。

さて、再度、仕切りなおしで。スイッチバックの秘境駅、坪尻の探訪記を書く。

私は、坪尻駅へは12時32分着の下り247D列車でやって来た。この列車は列車番号からも判るように、車掌が乗務している。1両きりのキハ54での運行だったが、よくよく時刻表を見てみると、意外にレチさんが乗務している列車も多く走っている。

多くの方はご存知だと思うが、ご参考までに申し上げておくと、JR四国の普通列車では列車番号が4000番台の列車はワンマン運転、それ以外はレチさんが乗務している(土佐くろしお鉄道からの乗り入れ列車を除く)。

まずは、自分が乗ってきた247Dが坪尻から発車していく画像を2枚ほど。

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秘境と言われるのに相応しく、列車が去ってしまうと辺りは静まり返ってしまう。幽かに、上を行く国道32号線の車の音が、鳥のさえずりに混じって耳に届くだけだ。

民営化後、土讃本線は「土讃線」と名前を変えられてしまったが、岡山や高松と高知方面とを結ぶ幹線であることに変わりはない。普通列車は滅多に来ないが、特急の「南風」や「しまんと」は、上下共に1時間に最低1本の割で通過する。上の写真をご覧頂けばお判りかと思うが、坪尻は通過本線に並行する形で駅ホームが設けられている。だから、ホームにのんびり座っているだけで、特急列車の通過も否応なしに判るようになっている。

今度ホームに入ってくるのは、上りの246D列車で、発車時刻は13時57分である。通過列車の写真は1枚撮ってしまえば十分なので、少し駅付近を散策してみることにした。

駅舎を出て、いっとう初めに目に付いたのは、この看板。

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過日、ヤモリの話題の時に書いたけれど、蛇はどうにも好きになれない。男であるから、見つけ次第悲鳴をあげて逃げ出すような真似はしないが、マムシの場合は毒を持っているから、やはりいい気はしない。足元に気をつけながら、ほぼ叢と化した駅前を歩いていく。

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坪尻をスイッチバックにしなければならない証が、駅向こうの本線線路脇に立っていた。1000m行く毎に何mの上り下りがあるかを示す「勾配標」で、右上がりに『25』との数字は1000mで25m上るだけの勾配があることを示している。百分の1は「パーセント」だが、千分の1なので「パーミル」と呼ばれる。そして、鉄道界において25パーミルの上りと云うのは、かなりの急勾配であることを示している。この数字の所に列車が停止したら、再発進は不可能だ。だから、今でも坪尻駅はスイッチバック方式のまま残っているわけだ。

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プラットホーム側から見た、本線の25パーミル上り勾配。ホーム側の線路はほぼレベル(平坦)に敷かれているから、かなりの急角度で上りになっていることがお判り頂けるかと思う。

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順序があれこれしていけないが、駅横にある踏切。向こうの奥に洞窟のように見えるのが、国道とを結ぶケモノ道だ。撮影紀行で書いたように、国道からは600mもの距離があるそうで、そこを通り抜けてきた老夫婦が語るところでは、「途中で竹の木は倒れているわ、草に覆われたようなところもあるわで、本当に駅に辿り着けるかどうか、不安でした。テレビで秘境駅と紹介されるのも、判りますなぁ」だそうだ。

駅の説明書きによると、現在この駅を定期的に利用する客は、80代の老人一人だけだそうである。ただ、私のような不定期客が休みの度に訪れるので、そう簡単に駅を廃止する訳にはいかないらしい。元々は信号所として出発しているところで、地元民の便宜を図るために「駅」に昇格させたそうだが、その80代の老人がいなくなったら、この駅はどうなるのか、ちょっと気になる。

そうこうする内、上り普通列車の時間になった。遠くからディーゼルエンジンの音がこだまして、先程私が乗ってきた列車が阿波池田で折り返してやってきた。

ただ、この駅はホームが1面しかない。だから、普通列車同士での交換があれば、一方は駅ホームへ入っても、もう片一方は通過してしまうしかない。需要が少ないから普通列車の通過も止むを得ないが、何とも侘しい駅であることは確かだ。

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この写真では、ホームに停まるのが上りの246D、本線を走って通過していくのが下りの4255Dである。

列車交換が終わり、上り列車が発車し、もう見るものもないからと先程の老夫婦も再びケモノ道へ消えて行った。下りの阿波池田方面へ行きたい私は、一人、駅舎で待つしかない。暇つぶしに駅のノートを見てみたら、人によっては駅舎を出ようとした所でマムシ殿に「こんにちは」してしまった人もいるようだ。やはり、気をつけるに越したことはない。

私は、3匹の蚊に攻撃を受けただけで、何とか14時53分発の下り・阿波池田行きを迎え入れることが出来た。折角なので、下り列車がホームへ入ってくる様子を4枚の画像でご紹介する。

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下り列車の場合は、まず列車は駅を行き過ぎる形で、駅向こうの折り返し線へ入る。

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折り返し線に入った下り列車。

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バックして来る下り列車。列車番号は257Dで、つまりは車掌乗務の列車。車掌が乗務している場合は、後退時の見張りは車掌の役目になり、運転士は運転台を前後に移らない。ワンマンの場合は、運転台を移って後退する。

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無事にホーム側の線路に、下り列車が入ってきた。私もこの列車で佃へ向かうので、坪尻駅の記録撮影もこれまでとなる。

こんな感じで、のんびりと2時間半余りを過ごしたのであった。まだこの時点では薬を忘れたことは判っていないし、昼食時の薬はポケットに入れてあったからちゃんと飲んでいる。あの悲劇が始まるのは、このあと2時間ばかり後のこととなる。

悲惨だの悲劇だのと書き過ぎて、またお読み下さっている方々にご心配をお掛けしてもいけないから、そのことはもうこれ以上触れない。

ただ、これだけで終わってしまうのも何か中途半端な気がするので、ちょっと思い出して、私が初めて坪尻駅に停車した列車に乗った時の映像を最後におまけとして添付しておこうと思う。

日時は1983年8月30日、私が初めて四国を訪れた時のものだ。この時は、当時、高知県の中村市に住んでおられた私の「大恩師」のお宅で散々ご厄介になり、その帰りにこの列車に乗った。坪尻を8時29分に発車する224列車であるが、「下り列車との行き違いのため、5分ほど停車します」との車内放送があったので、何が来るかと窓からカメラを向けていたら、こんなのが来た。

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終焉間近のDF50牽引の貨物列車だったのである。私が「生きている」DF50を見たのは、これが最初で最後であった。

何として、もう26年も前の話だものねぇ。秘境駅に相応しい列車に出会えたのは、本当に僥倖だったと今でも思っている。

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2009年7月22日 (水)

魚澄庵大洗濯大会

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只今、魚澄庵は混乱しております。

いや、何のことはない。乾燥すべく洗濯物がご覧の通り並んでいるだけのことだが。

私は公休日明け2日目と5日目に洗濯をするようにしているが、今回は先日の「悲惨な」土讃線撮影旅行の衣類も洗濯機に放り込んだから、取り出したカッターシャツやTシャツはこんなに部屋の窓側を占領してしまっている。

旅行から帰った後の洗濯では、よくこう云う状況が魚澄庵で展開され、特に気合を入れて1週間以上出掛ける北海道や九州の旅行の後では、もっと部屋が大変な騒ぎになる。

因みに、カッターシャツとTシャツだけは、乾燥機つきの洗濯機で乾燥させると皺まるけになってしまうので、乾燥が始まる直前に洗濯槽から取り出す。洗濯はいつも夜にするから、外で乾燥させる訳にも行かない。それで、部屋の中がこんな騒ぎになる。皺になっても構わない下着類などは、現在も洗濯機の中で、勢いよい音と共に乾燥モードへ突入している。

そもそもは魚澄庵の暮らしをご紹介したりして、気晴らしにしようとの気持ちでスタートさせたブログなので、たまにはバス・鉄道ネタでなくともご堪忍下され。

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2009年7月20日 (月)

悲惨の土讃線(阿波池田周辺)撮影紀行

先日お伝えした通り、今回の旅行地域は私の携帯PCの通信範囲外のため、PCは初めから持たずに行った。そのため、4日分のことを一気にお知らせすることになるのだが、色々事情で大いに簡略して書く。理由については、書く内にお判り頂ける筈だ。

1日目(7月17日)

新幹線で岡山まで、以降、快速マリンライナー・普通列車を乗り継いで、最初に辿り着いたのはこの駅。

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スイッチバックで名高い坪尻駅だ。何か四国地方では最近この駅を「秘境駅」としてテレビなどで紹介したらしく、よくある駅の備え付けノートには多くの記載があった。ただ、この日はウィークデーで然も天候も良くなかったため、降り立ったのは私だけ。

途中で、老年夫婦がやって来て「上の国道から歩いてきたが、本当に秘境ですな」と言っていた。何でも国道からだとケモノ道を600m程も歩かなければ辿り着けない由。鉄道旅行者には彼岸の話である。

でも、いい駅ではある。ここの駅のことだけは後日別掲としたいので、この程度の記載で今日は止めておく。何しろ、2時間半程いた。

再度、普通列車に乗り、徳島線との合流駅でもある佃で降りる。吉野川の鉄橋を撮ろうと思ったからだ。

ここで、撮影に関しては大変良い思いを地元に方のお蔭でさせて頂いたのだが、その詳細をネット上で公開すると、逆にご好意が迷惑となって還ってしまう恐れがあるので、ここでは略させて頂く。

まだ明るいが、小雨が止まないので、17時前に宿泊地の阿波池田へ赴く。乗車券は土佐山田までのものを買ってあるから、改札で「下車印を」と頼むと、駅員氏は少し探してちょっと大き目の印を探し当てた。あれ?と思い、私が気付いて「あ、あ、あ……」と言っている内に、印は捺されてしまった。曰く「乗車記念/使用済」。

駅員氏に切符の行先をきちんと見るよう話し、結局切符はこんな記載となって戻ってきた。

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投宿し、別便で送った着替えなどの荷を開ける。ところが、入れた筈の薬類一切の入った紙袋がない。

私は自律神経失調症と、慢性のアレルギー鼻炎を病んでいるので、どちらの薬も一日とて欠かすと大変厄介なことになる。それは、また追々書いていく。

2日目(7月18日)

就寝前の精神安定剤や導眠剤も当然持って来ていない。これがないと、夜かなり寝つきが悪くなり、場合によっては一睡も出来ないこともある。

昨夜はその「場合によって」しまった。

まあ、一睡も出来ないことは自宅でも稀にあるので、一応朝から予定通りに行動。

駅名だけ記しておくと、箸蔵・讃岐財田・塩入の3駅で降りて撮影した。

箸蔵ではまだよかったが、讃岐財田では好天も相俟ってかなりの暑さになる。駅近くの民家に温度計がぶら下げてあり、34度を指していた。撮影目的地も木陰一つないところで、1時間以上粘っていたら寝ていないこともあって、体調が芳しくなくなってきた。

それでも塩入の撮影は駅前だからと、懲りずに行った。塩入駅前には大々的なひまわり畑があって、とても綺麗だったのだ。花も盛りで、この機会を逃すのは癪だった。

ここの撮影をするうち夕刻になったので宿へ戻ったが、画像が1枚もないのも味気ないから、そのひまわり畑の写真だけを添付しておく。

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3日目(7月19日)

昨日は撮影中ずっと日向にいたから、凄い肌の焼けようだ。おまけに肌が熱を持ったまま、冷めてくれない。自律神経の薬を飲んでいないので、体温調節機能が一気にやられてしまったようだ。おまけに、昨晩同様、就寝前の安定剤なども一切ない。

で、2晩連続で全く寝られないまま朝になった。

取り敢えずは、予定通り、大歩危方面の祖谷口まで行き、25分ほど歩いて撮影する。

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こんな感じのところ。歩いている内は薄曇だったが、何故か撮影地へ着くとカッと日が照りつけ始めた。2晩連続の不眠で流石に体力の限界を感じる。

また、悪いことは重なるもので、時刻表にない臨時の「アイランドエクスプレス」が通ったのだが、全くのノーマークだったこともあり撮影し損ねた。カメラは国道の歩道で構えているが、その国道を通る車の音で、列車が直近に来るまで接近も判らない状態なのだ。3分おきくらいにバイクの集団まで通って、喧しくて気が狂いそうだ。

予定していた時間より早めにカメラを撤収し、かなりフラフラしながら祖谷口駅へ戻る。これ以上の普通の撮影は無理だと判断し、ならばと最終日に予定していたスイッチバック駅の新改まで行くことにしたのである。ここまで行かないと、乗車券も大々的に勿体無い。それに新改は駅からの撮影に留める予定でいたから、体力がなくとも何とかなる。

尤も、新改がスイッチバックだと知ったのは、昨年の「N市のTさんのブログ」による。私は今まで3回土讃線のこの区間に乗っているが、何れも窪川方から高知まで鈍行で来て、あとは特急や急行で通過してしまっているのだ。土佐北川の「橋上駅」は知識として知ってはいたが、これもあんなトラス橋の上にあることは同ブログで知った。

何しろ、グッタリしたまま単行のキハ32に乗って新改までやって来る。駅へ進入する列車を撮影したかったので結局ここに3時間半近くいたけれど、坪尻ほど涼しい駅ではなく、おまけに駅舎には誰かが勝手に置いて行った芳香剤が匂って、却って自然の匂いを楽しみたい者には迷惑だった。

16時41分の列車でやっと戻りにかかる。

阿波池田へ戻ってすぐに「みどりの窓口」へ行き、翌日は朝から戻りにかかるよう指変をしてもらう。

4日目(7月20日)

南風6号(9時07分発)→のぞみ158号(12時33分着)が、指変の内容。

流石に昨晩は少しだけ寝られた。いくら神経が興奮していると言っても、体力的に2晩が限度だったのだろう。少し体は楽だが、疲れが取れた訳ではないからどうにもならない。

キハ2000系は、JRになってからの気動車の中で、唯一私がエンジン音の好きな車である。目は閉じているがエンジンの音だけは嫌でも聞こえてくる。このエンジン音を、健康な体で聞きたかったなと思う。

岡山の手前で車内放送が入り、広島県内での大雨のため、上りの新幹線には大幅な遅れが出ているとのこと。まあ、岡山まで戻って来れば、あとは少々遅れても何とかなる。

車内放送どおり、新幹線改札口には

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こんな表示が。私が岡山へ着いた直後に運転再開しているらしいが、50~60分程度の遅れが見込まれると、駅員がマイクで怒鳴るように何度も放送している。

怒ったところで列車が早く到着する訳でもない。それに、今は自分の体の具合の問題が先で、列車が来なければ待合室で待つだけのことだ。それにしても鼻炎アレルギーの薬もないから、鼻の穴が痒くて痒くて堪らない。おまけにクシャミが連続して出る。気晴らしのために出た旅行でこんな目に遭っていては、何のために取った有休か判らない。

48分遅れで岡山駅に着いた「のぞみ158号」は、元々臨時列車で、然も

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今どき稀少な「500系のぞみ」であった。これも、健康な体でなら楽しめただろうが、今はそれどころじゃない。

結局名古屋には、13時半頃着き、自宅へはその1時間ほど後に戻ってきた。兎に角薬を飲んで、寝たい。

薬を入れ忘れた自分が全て悪いから、何とも書きようがない。なので、今回の撮影記もこれで終わりにする。ただ、これではしまりがないので、最後に教訓を。

「旅行の荷物は、きちんとチェック致しましょう」。

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2009年7月14日 (火)

こんな風に見えます

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今日は一般路線バスに詳しい方や興味をお持ちの方なら、先刻ご承知のことを書くけれど、このブログ、路線バスのことを殆ど知らない方も結構ご覧下さっているので、まあ仕方ないと思ってお付き合い下され。

で、上の写真が今日の話題にしたいことでありまして。

運転席から見た、後(中)扉確認用ミラーの見え具合である。大きく写っているミラーは、バスの左前上の隅に装着してある確認ミラー(その1)である。

この確認ミラーに、後(中)扉付近にある円形の確認ミラー(その2)の映像を再反射させて、扉付近やステップの様子を知る仕組みになっている。上の写真で中央やや左に写っている奴である。誰が考えたか知らないが、うまいこと工夫されたものだなあと、私はいつも感心しながらこのミラーを眺めている。

私も、高校生の頃までは、確認ミラー(その1)が妙な位置にあるので、あれは一体何を見るためのものか判らなかった。高校で、雨の日だけはバス通学をしていたので、その時に運転手の仕草を見ていてやっと「後扉付近の円形ミラーを再反射させて、扉付近を見ているのではないか」と気がついたものだ。当時はバスの雑誌など出版されていなかったから、通学がてらバスオタクしていて、やっと薄々判明したというのが実状である。

実際にどんな風に見えるかは、本当にバスを運転するようになるまで知らなかった。バスの運転席に座れる機会など昔は殆どなかったから、判りようがなかったのだ。オタクの割に、我乍ら知識が乏しい奴である。

さて、こちらはバス好きの方なら殆どご存知だと思うけれど、蛇足としてミラー付近に付いていている扉開放報せ灯とセンサー灯の写真も付けておこう。

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この写真ではデモ用に、扉を開けた上、扉ステップにわざと障害物を置いて、両方のランプを点灯させてある。

この2つの灯火については、バス事業者によって多少の差異があるので、あくまで私の職場の車の例である。赤いランプが扉開放報せ灯、黄色の方がステップに障害物がある時に点灯するセンサー灯だ。ミラーで実像を確認しながら、小さな障害物の有無なども確認できるように、確認用ミラー(その1)のすぐ上の天井に灯火が配されているのがお判り頂けるかと思う。

また、人を扉で挟撃しないように、黄色のランプが点灯している時は扉が閉まらないような安全装置も付いている。満員の時などは後の扉の確認も難しく、これらの装置のお蔭で私達も随分助けられている。何しろワンマン運転が基本になっているから、安全にはかなり気を配った構造になっているとは思う。

然るに最近、私たちの車庫の近くにある某高校の生徒で、あの円形ミラーの意味を知っている者が、降りるときにわざと鞄をぶつけ、ミラーの角度を変えて降りていく事例が屡あってちょっと困っている。あの円形ミラーは、一度角度を変えられると再調整が大変厄介なのだ。

下手に学校に連絡して、あのミラーの意味を知らせると、逆にわざとやる者が増える恐れがあるので、私は今のところ上司などには報告していない。だが、あのミラーは私たちにとってお客様の命を守る「命綱」そのものなのだ。

そんな高校生坊主がこのブログを読んでいるとは思えないが、絶対にやめて欲しい“犯罪”である。

***

7月17日から3泊4日で、土讃線の撮影に行く予定でいる。今回行く方面は私の携帯PCの通信範囲外になってしまうので、初めから携帯PCは持って行かない。また、明日・明後日と仕事で帰宅が遅いから、旅行から戻る7月20日までブログ更新は暫くお休みとなる。

よろしくご了承の程。

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2009年7月12日 (日)

新幹線の車窓がつまらないワケ

人によって感じ方は様々だから、これから書くことはあくまで私の個人的意見。

先日、東北本線の撮影の帰りに思ったことなのだ。仙台から東京乗継で名古屋までずっと新幹線で帰ってきた。で、いつも車窓がつまんないなぁと感じていたのだが、何故にそう新幹線に限って、車窓が面白いと感じられないのかとふと考えてみた。

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新幹線からの車窓・その1。

まずはありきたりな意見として、速度が速すぎる。車窓を楽しんでいる余裕がないくらいに速い。移動手段としては大変優秀な乗り物であることは認める。名古屋から東京や岡山まで2時間かからないのだから、移動手段としては優れている。でも、それ故に逆に景色なんてみんな吹っ飛んで行ってしまう。

私の好きだった紀行文作家の宮脇俊三さんは「列車の速度は、80キロ程度が好ましい」と書いておられるが、いまどきの新幹線はその4倍近くの速度で走っている。

また、この写真にあるように、防音壁が張り巡らされているので、景色が吹っ飛んでいく前に殆ど景色が見れない、との意見もある。おまけに最近の新幹線はトンネルで短絡しているから、よけい外の景色が見れずに退屈する。

まあ、ここまでは多くの人が感じることだと思う。

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新幹線の車窓・その2。

防音壁はないけれど、上の写真と何か共通点が感じられないだろうか。

私が思ったのは「上から視線が多すぎる」のではないかと云うこと。上から下を見下ろすのは気持ち良いけれど、それがずっと1時間も2時間もだと、人間って飽きてしまって退屈さを感じるのではないだろうか。

在来線は、都市近郊では高架化が進んではいるものの、まだ少し郊外へ出ればすぐに地平を走る。つまり、普段歩いたりしている時とほぼ同じ視点で物を眺められる。だから、在来線の特急はそれほど極端に「あー、つまらない!」とまでは感じないと思う。

然るに、新幹線は殆どの区間が高架になっている。それか盛土の上を走っている。稀に掘割の中を走る時もあるが、そんな時は景色は見えない。トンネルと一緒だ。景色が見えるとなると、ある程度の上から角度でずっと延々と車窓が続くから、それで退屈してしまうのではないかと考えたのだ。

あくまで、「お茶の間鉄」の仮説であるけれど、如何なものでしょうかねぇ。

***

書き忘れていた。昨日書いたヤモリのこと。

今日、仕事を終えて帰ったら、残念ながら玄関の脇で息絶えていた。やはり、具合が悪かったのだ。こんなシケた魚澄庵で一生を終えてしまうとは、不憫な奴だったなぁ。

ちゃんと、ツキミソウの植わっている隅に埋葬しておいてやった。

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2009年7月11日 (土)

ヤモリへの伝言

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爬虫類嫌いの方が居られましたら、ご免なさいです。悪気はないのだけれど。

我が家に住み着いているヤモリである。今日は帰ってきたら、朝と同じ玄関前の同じ地面にペタシと張り付いていた。

私は蛇と毛虫は嫌いだが、あとは別段それほど嫌いではなく、特にトカゲやヤモリはどちらかと言えば好きなくらいである。だから、こいつが好き好んで家の前にいるのなら、それで別に構わない。

以前も書いたことがあるような気がするが、ヤモリの語源は「家隠り(やこもり)」で、更には「家守り」にも通ずるので、本来なら歓迎されて然るべき動物なのだ。ただ、姿がグロテスクなので、嫌いな人にとってはどうにも好きになれないものだろう。私の母も爬虫類は全てダメな人間で、私がこんなものを家で可愛がっていることを知ったら卒倒するだろうが、何分にも息子は「さかな」になってしまっており、小動物のヤモリとお友達になるのはごくごく自然なことだと思っている。

気になるのは、朝と同じ場所にコイツが居座っていること。まさか死んではいないだろうなと、朝も夜もちょいとつついてみたが、一応そうすると体は動かす。朝とたまたま同じ場所にいるのか、体調芳しくなくここに居座ったままなのか、それが判らないので、ちょっと気になっているのだ。

この家の主みたいに、ただ単にコッソリ酒を飲み過ぎて、それでくたばっているのなら、それでいいのだけれどね。

犬や鳥などよりも小さい動物で、口が聞けないどころか鳴きもしないものだから、奴がどんな具合でここにいるのか判らない。で、心配なのだ。尤も、仮に体調が悪いからとて、何をしてやればよいかも判らないけれど。

折角、魚澄庵を守ってくれている奴だから、元気になってまた明日にはどこぞへ隠れてくれていれば、こちらも安心できるのだ。

以上、お前への伝言だぞ。

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2009年7月 8日 (水)

六原駅・8563レの貨物作業

先日は、水沢駅での2079列車の貨物扱い作業をご覧頂いたが、今日は六原駅での簡単な貨物作業をご紹介しようと思う。

六原駅の直ぐ北西側には製紙工場があり、ここで作られた紙製品やそれに伴う必要資材の運搬のために、月・水・金だけ限定で貨物の作業が行われる。列車番号が8000台の臨時列車になっているのも、曜日限定の運転だからである。

今日も画像が多いので、文章は簡単に済ませておこう。

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8563レの六原到着は9時17分だが、製紙工場から運び出される貨車は、8時45分頃に駅脇の工場の専用線から工場のミニディーゼルに推進されて、駅の側線に入ってくる。

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駅側線の定位置に到着。

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これだけで、一旦ディーゼルは切り離され、工場内の専用線に戻っていく。

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9時17分、肝心の8563レが入線する。入るのは上下の旅客列車が使わない2番線で、いわば中線の様なものである。

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下りの旅客列車を1本待った後で、中線が開通になり、一旦下り側に引き上げた8563レが推進で側線の方へやってくる。

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先程の工場からの貨車がいる隣の側線へ、編成ごと収まる。EH500に誘導灯が灯っているのが判る。

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貨車を全て切り離したEH500が、一旦側線の分岐器まで引き上げる。既に作業員が転轍機に取り付いていて、ポイントを操作している。

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転轍機を工場から出てきた貨車の側線側に切り替えたら、作業員は素早くEH500に飛び移る。これで、工場から出てきた貨車のいる側線へEH500は進む。

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工場から出てきた貨車とEH500が間もなく連結する。もう「やわやわ」の状態。

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工場からの貨車と共に、再び下り方面へ引き上げたEH500が、2番線に戻ってくる。無線で「あと7m」と機関士とのやり取りが聞こえる。

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9時17分に着いた8563レでEH500に牽かれて来た貨車は、今度は工場からのディーゼルを待つ身になる。

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工場のミニディーゼルが連結されたら……

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ここまでEH500に牽かれて来た貨車が、工場への専用線に入っていく。これで、8563レに関する作業は終了である。

あとは、10時26分の8563レの発車時刻を待ち、2番線からEH500以下、工場から出線して来た貨車たちが六原を発車するだけである。

つまり、ここでは貨車が予め組まれた編成ごと、入れ替わる作業をする訳だ。8563レは陸前山王発盛岡(タ)行きであるが、機関車だけは変わらずに全区間を走り、貨車は六原を境に全車入れ替わるということになる。

単純な作業ではあるけれど、現場で働く作業の方々の雰囲気や、限られた時間内での解結作業の様子が少しでもお伝えできれば、幸甚である。

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2009年7月 7日 (火)

お言葉は適材適所で

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冠に関する話を書こうと思ったのだが、王冠なんて、そうどこにでも転がっている物ではない。従って、同僚のある種の車のヘッドエンブレムを失敬した。これでご堪忍頂きたい。

さて、ちょっと前の話になる。私はいつものようにバスに乗務していた。時間はお昼の閑散時で、車内客は全て座っており、空席も散見する状態だった。

そんな車内に、どこから乗ってきたかは覚えていないが、小さい女の子連れの母親がいた。時々女の子の声がしていたから、車内ではしゃいでいたのか何かしていたのだろう。

その女の子が、案内放送で「次は○○、○○です」と言った時に、急に降車ブザーそっくりの声で「ピーッ」と言った。ブザー音を聞き慣れている私は、子供がふざけて言ったことは判っていたが、母親が吃驚して子供に言った。

「あやちゃん(仮名)、ブザー押しちゃだめじゃないの! まだ降りないわよ」。

「あや、押してないもん。ピーッて言っただけだもん!」。子供の言うことは正しく、降車ブザーのランプは点いていない。

「あやちゃん、変なこと言わないで! ほら、『李下に冠を正さず』って言うでしょう。紛らわしいことをしちゃいけないの」。

ここで初めて私はルームミラーを見直した。昼間閑散時に乗れるくらいだから、幼稚園に行っているかどうかの年齢の子供だった筈だ。果たして、ミラーに写っていたのは、それぐらいの年格好の女の子だった。

3~4歳の子供に向かって『李下に冠を正さず』とは、あまりにレベルの高すぎる注意ではないのか? 私がこの言葉を学校で習ったのは、中学か高校の古文の時間だったと思う。だいたいそんな年齢の子に「李下」なんて言葉、判る筈がない。判るのなら、相当な高等教育を受けている天才児としか考えられぬ。

母親は、一体何を考えてあの言葉を言ったのか。自分の知識をひらけかしたいから? 子供に適切な言葉と思ったから?

幼稚園に入る程度の子供には、それなりの言葉で注意してもらいたいものだなぁと思わずにはおられなかった。よそ様の家庭のことだから、私が口を差し挟むべき問題ではないかも知れないが。

何れにしてもあのお母さん、あんまりお言葉についてのレベルは高くないんじゃないかなと、私なりの感想である。私の感想は、間違っているだろうか。

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2009年7月 6日 (月)

三菱ふそう・エコハイブリッド車

私お得意の「大遅延コラボ」でして。

6月19日付のvanagon714さんの記事にコラボさせて頂きます。

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先日、M鉄の基幹バスに乗る機会があったので、敢えてエコハイブリッドバスに乗ってみた。

たまたまではあるが、上の写真は私が乗車したバス。実は乗車した時は、いつも持ち歩く筈のデジカメを忘れてしまい、車内の映像は全く撮れなかった。ただ、この基幹バスは私の家から然程遠くない所まで運行されているので、画像だけは後日、仕事後にちょいと郊外のバスターミナルに出歩いて、撮っておいた。で、この写真のバスは、たまたま私が乗り合わせたバスだったということで。

ついでなので、後部からの非公式側写真。

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更にしつこく、側面の写真。

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一番上の写真と比べると「Eco HYBRID」のロゴの色が異なるが、このロゴは車によって黄色だのピンクだの紫だのと色々な塗装がある。

さて、肝心なハイブリッドバスに関してであるが、あくまでヲタ席に座っての観察記録である。

まず運転席であるが、ハンドルがある(当たり前だ)。冗談はさておき、私がいっとう初めに目にして「あれ?」と思ったのは、ミッションだ。このハイブリッドバスはAT車の筈なのに、ふそう独特のあのトランスミッションがある。私は目が悪いから初めは判らなかったが、このミッションは「R-N-D」が縦状に配置されているだけで(つまり一般のMT車で言えば、「2-N-3」の位置に配置されている)、これがATミッションの全てなのだ。

乗車して発進を待ってみると、やはり発進時は走行用モーターの「ヒューン」と云う音しか聞こえない。今は暑い季節で冷房に電力を喰うし、既に暗い時間だったので車内照明にも電気を喰ってしまう。果たして時速が40キロくらいになると、ディーゼルエンジン音が聞こえてきた。ただ、一般走行に関しては、「ヒューン」の音が多少強弱するだけのことで、それ以上余分な音は聞こえなかった。

と言っても、ディーゼルエンジンは走行用バッテリーの補助用品ではない。写真のように、天井には大きなリチウムイオンバッテリーを積んでいるが、これで走行に関する全てを賄うようになっているそうだ。ディーゼルエンジンは、リチウムイオンバッテリーに充電させるためにのみついているものだと、車内の液晶ディスプレイにも表示されていた。

回生ブレーキ充電装置も付いているようで(これは日野のHIMRが特許を持っているはずだ)、ブレーキをかけると、さいぜんの液晶ディスプレイに「ブレーキのエネルギーを、バッテリーに保存しています」と表示が出ていた。

冷房がかかっていたので、どの程度、ディーゼルエンジンに頼っていないかは詳細は判らないけれど、何れにしてもエンジンはあくまで充電補助用品に過ぎないと思ってよいらしい。エンジン音が聞けたのは、発進して暫くして時速が40キロを超えた時と、走行中に冷房などでバッテリー容量が足りなくなった時に自動的にエンジンがかかって、アイドリングの音が聞けただけである。

但し、アイドリングストップ装置も兼ね備えられているようで、バスが停止するとどんな条件下でもエンジン音は停止していた。停止時に聞こえる音は、冷房用のコンプレッサーの音だろうと思う。

私たちのAT車は、ディーゼルエンジン車にアイドリングストップ装置がついただけのものであるが、このハイブリッド車は何度も書いているようにバッテリーでのみ動く車である。だから、発進時にエンジンをかける必要はなく、エンジンの始動ペダルを踏み込む「カチン」と云う音は聞こえなかった。恐らく、「D」レンジに入れておいて、ブレーキペダルから足を離すと、走行バッテリーが反応する仕組みになっているものと思われる。

単なるバスオタクが30分程度乗っただけの観察なので、詳細については不明な部分も多かった。間違いも記載しているかも知れない。正しい知識をお持ちの方で「この記述、おかしい」と思われた方は、ご一報頂ければ幸甚である。

尚、M鉄では普通尺車と長尺車は社内番号で区別しているが、このハイブリッド車は後部に走行用モーターを設けている関係で、長尺車としての番号が与えられている。

これでは、コラボとは言えませんね。vanagonさん、ご免なさい。

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2009年7月 3日 (金)

遅ればせながら……

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これだけの写真を見せられたところで、名古屋やその近郊の方以外には「バスの料金箱」という程度のことしかお判りにならないとは思うが。

この料金箱、私たちの職場で、今、付け替えが行われている新しいタイプのものである。現在はまだ黒色のシールで隠されているが、ここにICチップの読み取り部分が付いており、つまりICカードに対応できる新しい料金箱なのだ。

ICカード自体は、まだ来年度からの運用になる予定で、当面ここの部分は必要ないが、先に料金箱だけは新しい物に変えておいて、問題点などを洗おうとの意図もあるだろうと思う。

で、この料金箱、営業所によって取替え時期が著しく異なり、N市のTさんの営業所ではもう昨年中に全車取替えが完了している。私たちの営業所では、誠に遅ればせながらやっと今月から取替えが始められ、取り替えに関しては現在進行形である。

私は今日は例の「中憩勤務」という奴で、それの夕方の部で乗務した車がこの新しい料金箱に取り替えてあった。

今日の夕方の部は、乗務時間にして3時間少々程度で、運行も地下鉄駅のターミナルから住宅団地へ3往復するだけだったから、それ程大きな混乱や困りごとなどは起こらなかった。明日乗務する車が新料金箱になっているかどうか、今の段階ではわからないので何とも言いようがないが、どちらにしても乗務員サイドからすると、操作するキー(押しボタン)の数や配置が少し変わった程度で、それ程の大騒ぎをすることはなさそうに思える。

あとは、お客様のほうがこの機械に慣れて頂ければそれで十分だ。

私たちの車庫には104台の車が配置されているが、工場の方に聞いたところ一日に機械の取替えは7~8台できるとのこと。時間にして、最終設定まで行っても1時間少々あれば事足りるそうである。取替え期間中は土日も作業をするそうなので、単純に割り算をすれば、学校が夏休みに入る頃には私の営業所の車は全て、新しい料金箱に置き換わるだろうと思う。

N市のTさんの営業所は、試験的導入も兼ねていたので、かなり早い時期に「新」に置き換わった訳だが、先ほどメールで「今までに大きなトラブルなどありましたか」と訊ねたところ、特にないとのことであった。今までの機械はかなりトラブルの多いもので完成度は低い印象だったが、今度のものはそれらを踏まえて作られているから、色々な意味で扱い易くはなっているそうである。

名古屋近郊の皆様、もうとうに慣れている方も多いかと思いますが、不慣れな方々も含めて、新しい料金箱をよろしくお願いいたしますです。

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2009年7月 2日 (木)

日野小型車・レインボー

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私たちの車庫に所属する、小型ツーステップ車の日野レインボー7W。年式は1998年で、社内番号SH1~4の4両が在籍している(Sはショートの略号、Hは日野を示す)。

小型バスは、1998年から本格導入されている。その最初期車になる。

元々、地域コミュニティバス的な性格を持った「行政路線」で運用されていたが、各地で地域コミュニティバスが本格的に稼動し始めたのを真似て、5年程前から「地域巡回バス」が設けられ、現在はそれの専用車両として活躍している。「地域巡回バス」もコミュバスの仲間なのだが、他自治体のような「くるっとバス」だの「ぐるりんバス」だのという親しみやすい愛称はなく、お役所的な呼び名しか与えられていない。

コミュバスとしては珍しくノンステップ車ではない。導入時期が早くて、まだこの車が入った当時はノンステの小型車は殆ど存在しなかったのだ。

また、小型車ながら前・中の2扉である点も、登場当時としては珍しい仕様だった。今でも地域コミュバスはノンステの中扉(又は前扉)のみ、という自治体が多いようなので、仕様に関してのみ言えば稀少な存在かも知れない。

小型バスで運行する「地域巡回バス」は、原則、OB乗務員が乗務することになっている。OBには負担軽減のため、原則としてAT車に乗務してもらうことになっているが、この時はまだそんな仕様の車は納入の予定がなかったため、現在私たちの車庫で唯一の「棒チェンジ車」でもある。

色々と稀少な存在ではあるが、そして走行距離はたかが知れているとは思うが、この年式の車は私たちの職場で最古参の部類に入り、今年度一杯で廃車の予定となっている。ツーステでのコミュバスは、今や時代遅れといってもいい。それに、最近の排ガス規制の基準は何もクリアしていない。止むを得ない話だろう。

今年度中に、これを補完するノンステ2扉の小型車が同数納入される予定である。まだメーカーの入札などは行われていないから、どんな車が入るかは全く不明だ。何しろ、AT車が入ることには間違いない。新車の時期が近付いたら、またこのブログで皆さんにお知らせできる機会があればと思っている。

そうそう、一つ書き忘れていた。この4台のうちSH1と2だけは、スノータイヤを装着している。冬季、雪が積もるほど降った暁には、その2台が事業用車代わりとなって、塩カルを撒く作業用に用いられることになっているのだ。

そんな、小型バスのお話でありました。

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2009年7月 1日 (水)

また、野草の話

過日、植物図鑑を買ってきてから、野草のことには益々うるさくなったのだ。

えーと、それで、今日の初めの写真はこれ。

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とある、バスの終点で、バスの窓からカメラを出して撮った。ここの終点は、バスターミナルでもないし、そうかと言ってバス専用の通行路があるしで、何だかとりとめのつかない所である。バスを停めるスペースも安全帯に沿うようにバスを止めるのが一番スマートなので、そうしている。そうすると、その安全帯に生えている野草の花に自然と目が行ってしまうのだ。

因みにこの写真は5月の初旬頃撮ったもの。咲いている花は「オオニワゼキショウ」というらしい。私はリナリアの花に似ていると思っていたが、図鑑にはこの名前があり、花の時期や葉などの特徴、咲いている場所などからオオニワゼキショウで正しいと思う。

ところが写真にも写っているが、ここは広い道路に面しているので、度々造園業者が草刈をしてしまう。この花が終わった5月下旬に一度草刈されて、この緑帯はハゲボウズみたいになってしまった。

でも、雑草はめげない。

6月に入ったら直ぐに新しい緑の芽が芽吹き始めて、先日は同じ場所にこの花が咲いていた。

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これも、バスの運転席から撮っているのでいい加減な写真だが、こちらの花は名前を知っているから敢えて撮った。ネジバナ、と云う奴だ。ピンクの花が、床屋さんのグルグル回るトリコロールみたいにねじれて咲いているのがお判り頂けるかと思う。ねじれて咲いているので、ネジバナ、実に覚え易い。

このネジバナは、私が以前住んでいた守山区では全く見かけなかった。現在住んでいる辺りへ越してきて、学校帰りにちょうど今頃に咲いているのを見かけたので、家で直ぐ図鑑を調べたら呆気なく名前が判った。この地へ越してきて最も初めに名前を覚えた草花である。そんな意味では、この花、ちょっと懐かしさもある。

昨年の9月頃だったか、このブログに「栄(名古屋の中心街)でもヒガンバナが咲いている。草花の生態系が変わったのだ」との話を書いた。このネジバナに関しても同じことが言えそうである。私がこの地へ越してきた9歳の時には、本当に稀にしか見られなかった花なのだ。ある意味希少種で、わざわざスコップで掘ってきて庭に植えたりさえした。

ところがそれから三十数年、今はネジバナってかなりあちこちで散見するようになった。恐らく、私が以前住んでいた守山区のとある地区でも、今では見られると思う。図鑑によると帰化植物ではないらしいので、無闇矢鱈と繁殖する訳ではなさそうだが、条件が整えば群落を作るとも書いてある。それなりの繁殖力はあるらしい。

まあ何れにしても、花が咲いていて、悪い気はしない。猛毒のトリカブトやアレルギーを撒き散らす杉の花は歓迎されないだろうが、この程度の草花なら良いではないかと思う。

夏頃になると、ここはいつも除草剤を撒かれるので、この花もそう長くは安穏としておれないだろう。

それでも多年草とのことなので、実なり宿根なりの形で来年に備えるのではと思う。

何となく懐かしさを覚える花なので、仕事の合間、毎年同じ場所に同じ花が咲いてくれると気が休まる。雑草と言われようが、私にとっては僅かな心の休息アイテムなのである。

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