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2009年6月

2009年6月30日 (火)

車高アップスイッチ

うぃ~、ココログに障害が発生したお蔭で、書こうにも書けなかった。折角早く帰ってきたのに……。もう今は夜の11時近い。

さて、恨み言を言っていても仕方ないので、今日のお題のことを書いていこう。

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一般のお客さんやバス好きの方に、どの程度知られているのかは判らないけれど、最近のバスの低床化により段差の激しい場所などでバスの底面と路面が擦ってしまうことを避けるために、車高アップスイッチというものがある。その名の通り、バスの車体だけを15センチ程度、空気圧で上に押し上げる機能のスイッチだ。上の写真は、機能中の警告灯の一例。

近年は、私たちの職場だけでなく、多くの事業者で複数のメーカーのバスを導入する機会が増えているようだ。そこで、14~5年前から運転席での操作スイッチ類を、各メーカーともが統一する動きが出てきた。

いい例がハザードの出し方、ワイパーの掛け方等かと思う。

ところが、ここ7~8年で急速に拡大しているノンステップバスの各機能については、まだまだ各メーカーの統一がとれていない。そちらのいい例が、今日お題にしている車高アップのスイッチだ。

私の車庫にある各メーカーの車高スイッチを写してみたので、ご覧頂こう。何れの写真にも肝心のスイッチに私の手書きで矢印を入れてみた(下手糞で申し訳ないが)。

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↑Jバス仕様の大型車(エルガ・ブルリシティⅡ)

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↑三菱ふそう(蓋が開きかけているのは、別のスイッチ)

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↑日野(ブルリシティ)

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↑日産ディーゼル

ハンドルの位置や各スイッチ類の配置などでお察しがつくかと思うが、ご覧の通り、各メーカーで車高スイッチの位置や形状はバラバラである。

私たちの車庫は高台の入口を削ったような所に位置しているので、車庫へ入出庫する際には必ずこのスイッチを操作しなければならないのだが、毎日、あてがわれるバスは異なるし、何処のメーカーのバスだと一々考えながら入出庫する訳でもないので、肝心の車庫の出入り口に来て「あ、イカン、車高アップスイッチって何処だったっけ?」と焦ることが、まだまだ頻繁にある。

あまり全てを統一してしまってもメーカー色が薄れてしまって味気なくなるだろうけれど、このスイッチは結構さわる機会が多いので、是非ハザードなどのようにスイッチの位置や形状を統一して欲しい。

段差のある所を勢いよく降りてしまって、底が「ガゴンッ」なんて音がしてからでは遅いのだ。各メーカーさん、よろしくご検討を頼みますぞよ。

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2009年6月26日 (金)

水沢駅・2079レの貨物扱い

今日は文章はなるべく少なめにして、先日の東北本線撮影で見てきた水沢駅での貨物扱いの様子を、豪華(?)14枚の写真でご覧頂こうと思う。

予備知識として書いておくが、水沢駅はE&S方式での扱いではない。そこをご理解の上でご覧頂ければと思う。

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今やEH500牽引の貨物が大半の中、宮城野発盛岡(タ)行の2079レはED75での牽引で到着。入線するのは普段使われない2番線である。

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早速、作業の方が列車に取り付き、荷扱いのある部分の貨車だけが機関車と共に上り方へ引き上げられる。2番線に残るのは、水沢で荷扱いのない貨車である。

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一旦上り方面へ引き上げた貨車たちが、推進運転で3番線の更に向こうの貨物扱い線に入ってくる。

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水沢では、貨物扱い車のうち一部が、この次にここへ停まる3083レに連結されるので、その貨車だけは更にここのホームで切り離しをする。

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切り離し作業を終えた作業員が、今度はこの駅で積み替えられるコンテナに、貨車からの固定を外すために金属棒で固定を解いている。

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いよいよ、コンテナリフトが取り付き始めた。ひょいと持ち上げれば、もう貨物列車から離れてしまう。リフトマンも見事な腕前だ。

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降ろすコンテナを降ろし切ってしまったら、今度は「積む」作業に取り掛かる。コンテナ置き場にあちこち置いてあるものから、必要なコンテナを順にリフトで持ち上げては……

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コキに順序良く積んでいく。

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1時間もしない内に積み降ろしの作業は終わった。2079レとして盛岡へ向かう部分の貨車が、ゆっくりと上り方へ再度引き上げていく。

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引き上げていた貨車が、残っている貨車の待つ2番線に推進で戻ってきた。機関士へ連絡する無線機へ「あと10メーター」と作業員が伝える声がここまで聞こえてくる。

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「やわやわ、止まれ、止まれ」であっけなく連結され、作業員がブレーキ管などを接続する。

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ブレーキの接続が確認されると、2番線に残されていた貨車の手締めブレーキハンドルが解除される。ハンドルに付いている赤いリボンは、ブレーキハンドルを締緊中の目印である。この作業が済むと赤リボンは外される。

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暫く2番線で待機の後、定刻14時05分、ホームに風鈴の揺れる水沢駅をあとに2079レは出発していった。

約2時間の作業であったが、1両20メートルの貨車が何両も連結されているから、作業されている部分を追いかけるのは結構忙しかった。撮影している方にしてみれば、あっという間の2時間だったと思う。

尚、作業されている方には、事前に作業風景を撮るからと云うことでご了解を頂いてある。気安く現場を撮らせて下さった作業員の方には、この場を借りてお礼を申し上げる次第である。

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2009年6月23日 (火)

昆虫の話2題

今日は暑かった。名古屋でも最高気温が31.8℃まで上がったそうで、当然ながら今年最高の気温である。

そんな暑い今日、今年初めてのセミの鳴き声を聞いた。場所は名東区の東の端としておこう。何しろ間違いなく鳴いていたのだ。ニイニイゼミって、名古屋ではいっとう最初に鳴き始める種類のセミ。

考えてみると、セミの鳴き声の初聞きが6月だったことって、私の人生で初めてだと思う。それも、一気に「23日」まで繰り上がっちゃったのだから、凄い記録更新だ。

最近の異常気象は言われ始めて久しいけれど、これもやっぱり、その所為のうちなのかなぁ。

***

もう一件は、他愛のない仕事中の話で。

車庫を出庫した時には気付かなかったから、回送でHヶ丘まで来て客扱いのため停まっている内のことだと思うのだが。

Hヶ丘から走り出してすぐに、バスのフロントガラスにバッタがくっついてるのに気がついた。以前も蛾か何かを無賃乗車させてやった話を、このブログに書いたことがあるけれど、今日も見事に終点の団地まで無賃乗車されてしまった。

終点での記念撮影。

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写し方が悪くてはっきりしない画像だが、ショウリョウバッタではないようだ。全身が緑色ではない。背の部分が茶色っぽい色だった。それに触角が異様に長い。

何バッタは判らぬが(私って、花の名前もだけど、昆虫の名前も全然知らない。何のために農学部を出たのだか)、何しろ20分近くの風圧に耐えて私のバスのフロントガラスに引っ付いていたのだから、それはそれで褒めて進ぜよう。無賃乗車はちょっと癪だが。

いつかの蛾の時同様、話しかけてみる。

「こりゃ、お前はどこからくっ付いていた?」

当然、無反応。

「もう、すぐに、今来たHヶ丘に戻っちゃうよ」。

やっぱり、無反応。

「あれあれ、あっという間に時間だよ。さあ、俺は運転席へ行くからね」。

そして、1人のお客を乗せ発車。走り始めて10分ほど経った停留所で、時間調整のために少し停車したので、見てみたら、もういなかった。

また、まんまと無賃乗車されてしまった。私も、バッタに生まれれば好きなバスに勝手に乗れたのに。

以上、昆虫2題でありました。

おまけ。全然関係ないことだけど。

先日名前が判ったツキミソウ、正式名称ウオズミアンシロバナ、今夜は豪華に5輪咲いている。その内、実家みたいに「増えすぎちゃって困る」と言い出すようになるのだろうか。

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2009年6月20日 (土)

根室本線・落合駅

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過日、宗谷本線撮影へ出た帰りに、久し振りに落合駅に寄ってみた。

落合駅へは1992年の7月にも降り立ったように記憶している。と言って、確証はない。それに、その当時はまだ駅員がいたように思うのだが、これもいい加減な記憶で他の駅と記憶が入れ違っているかも知れない。

構内が随分広いが、嘗てはここから新得へ抜ける間に急勾配の旧線があり、補機用の機関車が多数屯していたらしい。現在はご覧の通り、2面3線が生き残っているだけの寂れた駅だ。

石勝線開通前は、道東へ向かう「おおぞら」や「狩勝」などの優等列車もここを通っていたから、ある程度の賑わいはあったようだが、それも昔物語となってしまっている。

さて、現在の駅へ着いて、折り返しまでに少し時間があるから駅の周りを探索してみた。

無人の駅舎を出て、すぐ目に付いたのが

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この看板。道道ともなると4桁になるんですなぁ。と同時に、この数字には見覚えがあって、前回降りた時にもこの看板を見た記憶が蘇り、「やっぱり、以前にも降りたことがあるな」との確信を持った。

道道はまあいいので、再び外から駅を眺めてみる。

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駅前広場もかなり広いから、向こうに停まるキハ40が余計小さく見える。

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跨線橋を渡って、気動車のいるホームへ向かう。随分寂れた雰囲気の跨線橋だ。この駅を清掃する人はいるのだろうか。少し埃っぽく思えた。それに、何と言っても年季を感じさせる雑作のない造りである。「いまどきの駅」の雰囲気は、微塵も感じさせられない。もっとも、その方が無骨だし味があっていいのだけれど。

ホームから見た駅舎側の駅名表示。

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これも何とも古っぽい。何もかも時代から置いていかれたような駅で、ここだけ時間が止まっているような印象すら持った。

ところで、駅名の起源は何だろう? そう思って、今、手元の資料を見てみると

「本流の空知川と、路行く(支流の)空知川が合流し、空知本流となる地形が起源」

とある。『落合』との地名は、大方の場合「川が落ち合う」ことから名づけられるケースが多いが、この落合もその例に漏れず、らしい。北海道の地名は、大抵の場合アイヌ語の地名などを日本語的に読み直して当て字をするケースが多いが、この駅に限っては、日本語が駅名の起源になっているようだ。

駅周辺に集落らしい集落はなく、今では「列車を終点にするため」に存在するような駅の感がある。滝川~新得間の根室線自体の存在も心もとないが、ここは臨時列車などのバイパス路線として活用されることも多いから、そう簡単には廃止の憂き目に遭うことはないだろう。

僅か30分程度の滞在ではあったけれど、また、時間を隔いてここへ来る機会を持ちたいなと思いつつ、折り返しの気動車で駅を去った。

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2009年6月17日 (水)

変な「貸切兼用車」

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私たちの職場は、一般路線免許の他に、貸切の免許も保持している。以前は専用のバスがあり、大々的に貸切事業をしていたらしいが、私が中学校を卒業する頃には殆ど貸切専用バスは廃車になってしまい、以後は一般路線車を貸切仕様に改造して充当していた。

だが、それも数年前に淘汰され、現在では一般路線車の座席にシートベルトだけをつけて、貸切兼用車としている。

上の写真は、私たちの営業所で今年度から貸切兼用車に指定されたノンステップバス。社内番号も変化はなく、外観上ではこれのどこが貸切車なのか判らないと思う。

唯一それらしいのは、前扉の後ろに

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こんな札が差し込まれているところかな。この札、裏返すと「貸切」の文字が書かれている(貸切となった写真を撮ろうと思ったのたが、札が固くて抜けなかったので諦めた。御無礼!)。

車内に関しては、先程も書いたようにシートベルトが付けられているだけで、吊り革も残っているし貸切用とする特別な装備は何もない。

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然も、シートベルトは前向き席に付けられているだけで、車椅子固定スペースの横手向き座席(跳ね上げ可能)に至っては

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ご覧の通り、何の変化もない。チラッと見えているが、降車押しボタンもそのままだ。全くの形ばかりの「貸切兼用車」である。

営業所によって貸切の仕業内容も異なるけれど、私たちの営業所では大学のスクールバス応援で、4月から12月までの間、3~2台の貸切仕業がある。ただ、朝の8時くらいに出庫して、地下鉄の駅と大学の間を2往復するだけの簡単な仕事である。10時半頃には仕事は終わってしまう。

で、その仕業に必ずこの車を充当するかというと、別にそう云う訳でもない。学生を学校へ送り届けるだけなので、空いている車をノンステ・ツーステに関係なく充てるだけである。

全く以って変な存在の貸切兼用車だが、一応「貸切免許も持っていますよ」と誇示するためだけの存在のようだ。また、「貸切」の方向幕そのものも、LED方向幕車を含め全車両に入っており、益々この車の存在意義は薄くなっている。

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2009年6月14日 (日)

これ、研修車?

先日、車庫の工場の辺りをうろうろしていたら、見慣れない車が目に付いた。

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ボディ形状(西工と思しき)や後部灯火類の配置から、初期のUDノンステップ車のようだが、方向幕が「研修車」となっている。へぇー、研修車もとうとうノンステップ車を入れるのか、と感心したものだが、考えてみると私たちの職場では現在ノンステ車の割合が50%を大きく超えている。新人さん用の研修にもノンステ車は欠かす訳に行かなくなってきているのは事実だろう。

もうちょっと近付いて見てみる。

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車両番号が「1号車」と書かれている。研修車は1990年頃改造のワイドドア車になってから、ずっと通し番号で来ているが、ノンステになって番号もリセットされることになったようだ。

それはいいけど、この車、CNGガスの車じゃん!

私たちの職場では、臨港地区の市内南西部の車庫を中心に、CNG車が集中配置されている。だから、CNGガスの充填施設のある車庫もそちら方面に限定されている。

然るに、研修所は市の東部の外れにある。それもどちらかと言うと北寄りの場所だ。研修車が一日に走る距離は、たかが知れているけれど、それでもこれからはこの車だけ研修所から遠方の車庫へ燃料充填に出向くのだろうか。

非効率ではあるけれど、市民に「研修車さえ環境に優しいCNG車を使っています」とPR的な意味合いを兼ねているのだろうか。どうも、一運転手には判らんことが多いが、お上の方々の考えることは我々の次元では理解できないことが多いから、まあ多分そんな程度の事由でわざわざCNGノンステ車を研修車向けに改造したようだ。

今年度末には、退職者や他部門への配転もある程度予定されているとのことで、また年度末に間に合うように、3~40人の新人を募集すると聞き及んでいる。

ここまでの車を折角、研修用に改造したのだから、それなりの新人さんを育成してくれるんでしょうね。私みたいに車椅子を見ただけで慌ててしまうようなのが、偉そうに運転手面していてもいけないから。

頼みますよ、研修所さん。

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2009年6月13日 (土)

東北本線撮影結果ご報告

先日出掛けた、東北本線・一ノ関近辺の撮影フィルムが上がってきた。

今回は貨物列車の作業の駅撮りも2ヶ所(水沢・六原)あるので、それは後日に別掲として、その他のいつものように撮ってきた風景などの写真を8枚ご披露しようと思う。

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初日に、陸前折居駅駅北の陸橋から撮ったもの。何とか雨は逃れているが、いつ降り出してもおかしくない様な空模様だった。更に、夕方なので全体に暗い色調になってしまっているのが自分ながらに残念だ。5月に通った時よりかなり稲の苗も生長したとの感想を持った。写っているのは3062列車で、撮影区間は陸前折居~水沢になる。

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2日目に、一旦六原まで行って貨物列車の入替作業があるかどうかを確かめ、ないと判ったのでこんな写真を撮ったりして誤魔化していた。完全に雨に降られてしまっていて、小径に落ちている白い花の花びらも何となく悲し気に思える。例の如く、何の花かは判らない。電車のいる場所としては、六原駅の構内になる。

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現在、東北本線の普通列車運用は一ノ関を境に完全に分離している。北側は盛岡の管轄になり、南側は仙台の管轄となる。そのため、一ノ関では普通列車を利用の場合必ず乗り換えの必要があり厄介だ。それも同じホーム同士ではなく、このように異なるホームで離れた位置に列車が止まって客を待つ。利用者からすると意地悪にすら思える。電車は同じ701系同士だが、こちらの仙台管轄と向こうの盛岡管轄で車両の帯色が異なる。

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行程中で唯一晴れていたのは、この有壁駅での撮影時だけだ。有壁駅ホームから一ノ関側を望むと、東北新幹線の高架がすぐそこに見える。威風堂々とした新幹線高架と、昼間は2両きりで済む在来線の対比が面白い。

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駅名標が示すとおり、これも有壁駅でのショット。手前の花、今度は判っていて、ヒメジョオンと云う奴だ。日本全国共通の雑草だけど、小ぶりな白い花の時期だけはちょっと役者的な存在にもなると思う。東北線ともなると駅ホームに雑草が生えていても、中々刈り取られはしないらしい。その方が素朴でいいかも知れない。

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今日ご披露する中では唯一の縦位置写真。あまり細かい説明は避けるが、何しろ子苗を強調したくて広角レンズで田圃の際まで寄って撮っている。場所としては清水原駅から有壁駅方へ20分ほど歩いた辺り。

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これは似たような映像を「紀行文」の方でもご紹介した。石越駅付近の、くりでんの線路跡からの撮影だ。赤錆びた線路を表現してみたくて、相当低い位置にカメラを構えたのだが、正直言って思ったほどの効果が出ていませんな。撮影者の腕の悪さが全ての原因であろう。ただ、2両編成であれ生きている線路と、赤錆びて死に絶えた線路から、何かを感じ取って頂ければ僥倖である。

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未だに「写真をクリックすると大きな写真にリンクする」方法が判らないので、くどいご説明を付さねばならない。向こうの道路に灰色の標柱が建っているのがご覧頂けると思うが、あの標柱には「仙北鉄道瀬峰駅跡」と書かれている。東北本線の前身は私設の「日本鉄道」であるが、それとは別に、瀬峰駅から登米・築館を結ぶ軽便鉄道が存在し、昭和43年頃まで運転されていた。これが「仙北鉄道」で、この東北本線の瀬峰駅に隣接する形で駅が設けられていたらしい。その跡地を示す標柱である。

***

天候の所為にするのは大いに問題があるが、もう少し天気が良ければそれなりの写真が、との思いは拭い去れない。

尤も逆に言えば、晴れた時は誰にでもある程度の写真は撮れるものかも知れない。雨や曇天の時にこそ、自分の腕やアングルへの発想が現れるものと考えてもいいだろう。そうした意味では、私の腕前などは三級品以下であることが立証されたような撮影旅行だったかも知れぬ。

ご高覧、お疲れ様でした。

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2009年6月12日 (金)

やっと名前判明

6月4日に記事にした際、「名前がちっとも判らない」と書いていた物置小屋前の白い花、N市のTさんには「ウオズミアンシロバナ」との仮名まで付けて頂いたが、正式な名称がやっと判ったのでご報告する。

今宵も一輪だけだが咲いている。

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でもって、これが図鑑の写真。

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ね、花の形も葉の形も一緒でしょ。

で、解答は下の写真に説明文まで写っちゃったのでもう書くまでもないが、「ツキミソウ」であった。

一般にツキミソウと云うと、背丈が80cm程度の黄色い花を思い浮かべる方が多いと思う。私もそうだった。然るに、この図鑑の「ツキミソウ」の解説を読むと、あの黄色い花のは、正式には「オオマツヨイグサ」と呼ぶのだそうな。黄色い方の「ツキミソウ」はあくまで俗称だという。で、私が一年越しで名前を探していたこの白い花こそが、正式な「ツキミソウ」になるんだって。

たまたまではあるが、6月4日の記事で「赤い花 白い花」の歌詞の一部を引用した(確か4日の記事では曲のタイトルを「白い花 赤い花」と書いた気がする。あれは誤りで、今日書いたタイトルが正しい)。

あの時引用した歌詞の続きが

『白い花 白い花 あの人の胸に

 咲いてゆれるだろう お月さんのように』

なのだ。つまり白い花は、お月さんのようであって、本来の「ツキミソウ」であって然るべきなのだ。

偶然の一致とは言え、あの歌の歌詞が殆どそのまま解答だった訳だ。意外と解答って近くに転がっているもんですな。灯台下暗しと云うか。

あ、そうそう、それで出典と言えばいいのか、兎に角解答を引き出してくれた図鑑は、先日高額を払って買ってきたぶ厚い図鑑ではなかった。私は野草だと思って山と渓谷社の「山渓カラー名鑑・日本の野草」を買ったのだが、それには載っていなかった。野草ではないらしいのだ。

そこで止む無く実家へ行き、自分が買ったのと同じシリーズで「山渓カラー名鑑・園芸植物」を借りてきて探したら、そちらに載っていた。掲載した図鑑の写真も、その本のものである。

先程の解説をまた借用すると、現在では殆ど栽培されてはいないそうだ。ただ、これの亜種が稀に栽培されているケースがあるとのこと。近所でも野草として咲いている姿は見た事がないし、一般には栽培されていないとなると、魚澄庵にはどうやって種が辿り着いたのか、少々疑問ではある。

バスのことは判るし、鉄道のことは判るし、花の名前も判るし、役に立つブログだなあ。

***

(付記:ツキミソウであるが、今、実家の母に尋ねたところ「うちでは貰った苗が増えすぎちゃって、困ってるくらいよ」と言われた。何のことはない、種の出先は単なる隣家である実家だったのだ。お粗末なブログだなあ。)

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2009年6月 8日 (月)

東北本線一ノ関近辺撮影旅行(4日目)

今日は、昨日書いたように、六原駅で行われる貨物列車・8563列車の一連の解結作業を撮影してから、帰ろうと思う。

朝7時45分発の盛岡行で六原まで。到着時刻は8時18分。委託の駅員氏に少し入線番線などの予備知識を伺っておく。8563列車自体は9時17分の到着だが、「もうすぐそこの製紙工場からここの側線に貨車が入って来ますよ」と気安く教えてくださる。

8時40分頃、作業員の方が姿を現し、転轍機を扱った後、工場の引込み線の機関士と無線で連絡。直ぐに小型の機関車に推進されたコンテナ貨が側線へ入った。

一昨日掲載した写真では、「貨車の入替作業のため9:40~10:10頃踏切が通行できなくなる」とあったが、実際にはもうこの時点で

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かように細い踏切は通行止め状態になってしまっている。

そして、定刻9時17分、EH500に牽引された貨物列車が姿を現した。

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ここから先の詳しい入替作業などについては、フィルムが上がってから後日別掲としたい。何しろ、転線と解結の作業が1時間弱行われたとだけしておこう。

おまけ、その1。

発車を待つ貨物列車の車輪下へ

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こう云う危ないことをする奴がいるんですなあ。そう云えば、初日にこの駅へ来た時にも、このネコはホームのあちこちを闊歩していた。どうやら駅を住処としているらしい。或いはあの親切な駅員氏が、餌くらい与えているやも知れぬ。

おまけ、その2。

発車前の貨車に付けられていた貨物票。

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ここから一旦盛岡貨物タへ運ばれた後、最終的には何のことはない、我が地元の名古屋へ運ばれるらしい。

さて、肝心な8563列車は定刻の10時26分、長笛一声の後

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無事に発車して行かれました。

これで、撮影は終わり。フィルムもちょうど使い切った。あとは、11時06分の上り列車から乗り継ぎを重ねて仙台まで行き、仙台からは新幹線乗り継ぎで帰るだけである。

ただ、最後の仙台行で、ちょっとアクシデント。松島から塩釜に向かっている途中、列車が急停車した。6両編成の最後部に乗っていた私には、車掌室からの異常を報せるアラーム音が鳴り響くのが聞こえるだけ。車掌は車内巡回で最後部にはいなかったのだ。

暫くして車掌からアナウンス。「只今、異常音を感知しましたので、急停車しました。安全の確認を行います。確認が取れるまで停車いたします」とのこと。仙台では40分も乗り継ぎ時間があるから、のんびり構えていたが、10分経っても車掌は同じアナウンスを繰り返すだけ。窓外を見ていると、運転士らしき男性が線路に下りて車両の周りを見回っている。

結局は「車両にも線路にも異常が認められませんでしたので、発車いたします」と発車してくれたけど、19分と云う長時間の停車になった。列車の急停車は初めてではないが、これだけ長い間、駅間で止まったのは久し振りだったなあ。

ま、それだけのことで、あとは大したこともなく名古屋へ帰ってきた。

今回は、貨物関係の写真で多くシャッターを切ったから、久方振りに4本のフィルムを消費した。『下手な鉄砲も、数打ちゃ』になってくれているといいがと、願をかけながら、4日間の撮影紀行を終わりにしようと思う。

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2009年6月 7日 (日)

東北本線一ノ関近辺撮影旅行(3日目)

今日は事情により簡略して書く。

結論から言うと今日は、昨日までと反対方向の仙台寄りに向いて、

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有壁と、

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清水原と、

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石越(くりでん線路跡)と、

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瀬峰で撮った。

この区間は日中は2連のワンマン列車ばかりで、旅客列車は面白味に欠けるけれど、景色は中々いいものが散見し、撮っていても心地よかった。貨物も比較的多く通るから、撮るには飽きなかった。

残念なのは、下り列車の一部に遅れが出て、時刻表通りには行かなかったことかな。何でも上越新幹線遅れの煽りで東北新幹線にも遅れが出て、その接続待ちによる遅れらしい。まあ、多少のことは止むを得まい。

くりでん、1年位前に廃止になっているはずだ。今、走っていれば、間違いなく乗っただろう。機会を逸してしまって残念。廃線跡には錆びたレールがそのまま残り、侘しかった。

瀬峰は個人的にちょっと思い出があって降りてみたのだけれど、駅近くの跨線橋から思わぬ眺めが見られて、満悦の気分。夕刻遅くに着いたので、下り列車を計3本撮っただけで引き上げたが、機会があれば再訪してゆっくり回りたい地域であった。

おまけ。

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清水原で暇つぶしを手伝ってくれたトノサマガエル。おまけの割に、一番でっかい写真で登場してますな。そう言えば、昨年8月にも四国で蛙と遊んで、こんな映像をアップしたような記憶がある。

ま、こんな一日であった。

明日は帰る前に六原駅へ行って、貨車の入れ替え写真に再チャレンジしてから戻る予定である。

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2009年6月 6日 (土)

東北本線一ノ関近辺撮影旅行(2日目)

朝、7時45分発の盛岡行で出発を予定していたが、眠たくて起きられず、1本遅い9時ちょうど発の列車に変更する。

昨日撮影した、六原の駅まで行こうと思う。同じ所に行くのは昨日

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こーゆー看板を、駅近くの小さな踏切で見つけていたからである。貨物時刻表に拠れば9時17分着・10時26分発の8563列車がこの時間に相当するので、それを目当てに出掛けることにしたのだ。ただ臨時列車であるから、運転されていなければ、別のアングルで撮ってやろうと思う。

六原へは9時36分着。貨物列車の姿はない。どうやら、カスってしまったようだ。念のため、駅員室にいた作業着のおっちゃんに尋ねてみると、やはり今日はウヤとのこと。月・水・金の運転だそうだ。

少々恨めしい気分で、駅から見える貨物側線と入れ替え作業の荷受主らしい工場に止まるコンテナ貨物を撮っておく。

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さて、恨んでいても仕方ないので、先程書いた「別のアングル」の撮影地点へ向かう。と言っても昨日撮ったのと殆ど同じ場所である。雨の日バージョンではこんな撮影スタイルになる。

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持っておられる方も多かろうが、傘を固定する金具を三脚に取り付ける訳だ。

六原で1時間ほど撮影し、今度は外れのない水沢駅の貨物扱い撮影へと移動する。11時06分の上りで、水沢へ。今の六原は月曜日(帰る日)に再チャレンジしようと思い、帰りの新幹線の券を水沢のみどりの窓口で指変しておく。

水沢では定期貨物が一日2本、解結を伴う荷扱いをするようなので、その内の早い方、2079列車の一連の作業を写そうと思う。時刻表に拠ると12時12着・14時05分の発車とのことで、水沢はホームの屋根もあるから安心して撮影に勤しめる。

列車の進入シーンを撮ろうと駅端で構えていると、先程、六原で臨貨の運転日を教えてくれた作業員のおっちゃんが、「六原は惜しかったねえ」と言いながら、ホームの向こうの貨物扱い線へ降りて行った。どうやらこの方の一日の作業行程は、移動を伴ったものらしい。

おっちゃんが降りて行くのに合わせるように、貨物線側では

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リフトによるコンテナの移動作業が始まった。列車はまだ来ていないが、作業現場はもう動き始めているのだ。

定時にED75牽引のコンテナ貨が到着。開放作業も撮りたいので、長い水沢駅ホームを走り回る。後部何両かを残して、本体の貨車は転線して貨物側線に入る。作業のおっちゃんたちの動きも活発になり、私も益々ホームを走り回る。

コンテナ貨であるから、あとはリフトによるコンテナの積卸ばかりになり、ある程度撮ったところで私は一段落する。まあだいたい

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こんな感じの写真を撮っていた。

ところで、積卸を見ている内に、ちょっと変なことに気付いた。まだ貨車から卸されていないコンテナに、こんなものがあったのだ。

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コンテナ上部には、ご覧のように「コキ100系貨車限定」とあるのに、下に書いてある貨車の車番号は……。いいのでしょうか? 

さて、コンテナの「卸し」が終わって、今度は「積み」の作業が始まった。リフトが構内を驀進し、次から次へとコンテナを積んでいく。見事な腕前である。

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目前で積まれるコンテナを眺めていたが、実に上手い具合に大きなコンテナを5センチのズレもなく積んでゆく作業は、見ていても気持ちがいいくらいで、且つ、実に鮮やかだ。私も現場仕事は好きで、嘗ては小さなリフトを使って倉庫の荷扱いをしていた頃もあるから、こう云う作業を見ていると昔の血がたぎってしまう。勿論、こんなに鮮やかにはとても出来なかった。

する内、機関車にとっついた本体の貨車は、再び転線作業の後、先程開放された貨車の前部に連結される。また、ちょっと慌しくシャッターを切る。

30分くらいの停車時間があり、定刻14時05分、2079列車は水沢駅を発車していった。私もフィルム1本、見事に使い切ってしまった。

天気予報通りならそろそろ雨が小止みになる頃と思い、14時19分の一ノ関行で前沢駅まで行くことにする。往路で見つけておいたのだが、駅付近に跨線橋があり、ある程度の写真が撮れそうだと踏んでいたのである。

が、ここは、はっきり言ってボツ。写したい側に歩道もなく、雨も止まず、写すべき下りの列車も貨物1本・旅客1本撮ったら、もう暫く何も来ないようなのだ。諦めて駅へ戻る。

小さな駅だが駅員はいて、切符に入鋏印を捺して貰ってホームへ入ろうとすると、時刻表に載っていない臨時の下りホキ貨が中線に入ってくるではないか。ガックリしてしまう。悔しいので、せめてホームに止まっている姿など。

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架線下なのにディーゼル機関車の牽引。一粒で二度おいしい、ではなくて、一列車で二度くやしい。因みにこの機関車、区名札は

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このようになっておりまして、つまり青森から出張してきているのだ。東北線からそのままIGR銀河線・青い森鉄道線経由で帰るのか、北上線・奥羽本線回りで帰るのかは、素人鉄っちゃんには判らない。

このホキ貨の発車を見送り、まだ雨が止まないから、今日は早々に宿へ戻ろうと思う。明日は、せめて曇りくらいの天候になってくれることを祈りつつ、16時20分の一ノ関行電車で、前沢をあとにした。でも、シャッターはかなり押したから、これはこれで十分ではないかな、と。

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2009年6月 5日 (金)

東北本線一ノ関近辺撮影旅行(1日目)

昨日予告した通り、一ノ関へやってきた。

前回の旅行では、東北線は単なる通過路線に過ぎなかったけれど、今回は東北線自体が目的だから、また見方も気合も違ってくる。

前日かなり遅くまで家事を片付けていたので、今朝は予定の一番バスにギリギリの時間にしか起きられなかった。それも極度の寝不足。バス-地下鉄-JR中央線と乗り継いで、やっと乗った東海道新幹線では新横浜まで爆睡していた。更に東京から東北新幹線に乗り継ぐも、これまた仙台のアナウンスまで意識がない。我乍ら、車内でよく寝れる男だ。

さて、今回は北上~一ノ関~小牛田辺りをメインに撮ろうと思っている。それで新幹線・乗車券共に北上までとしてある。

名古屋でも降り出しそうな空模様だったが、北上で降りたら

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判り難い写真だが、雨になっていた。仕方ない。ここまで来た以上何とかしようと、取り敢えず前回の「乗り通し」で目星をつけておいた六原まで。

幸い雨は止んでいて、駅付近を気ままにカメラスケッチする。

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駅そのものがこんな長閑な所だから、付近もそれに準じていて非常によろしい。駅裏の田圃へ出てみたら、カエルどもが大合唱していた。雨が近いということだろう。

1時間以上いる内に、カエルの合唱が止んだ。雨は少し遠ざかったかも知れぬ。

15時02分の電車で、次の目的地・陸中折居へ向かう。

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前回は「乗り通し」だけが目的だったから、駅付近の風情にはあまり気付かなかったが、大変のんびりしたいい地域である。電車の本数も少なく、上下とも、1時間に1本ペースである。ただ、東北の幹線であるから、貨物列車が結構走っている。ロングシートの701系電車より貨物の方が興味をそそる。

駅の北方に跨線橋があるから、そこへ向かう。残念ながら、空模様が怪しくなってきた。

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花畑は綺麗だけれど、空の雲の帯模様の方が気になる。

兎に角降らなければいいと考えながら、17時過ぎまで跨線橋で粘っていた。時折遠くの方から霧雨が舞ってくる。遠くの山々は

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こんな風にガスっていて、降っていることは一目瞭然だ。

石油返空のタンク貨などを撮り、目的はある程度達成できたから今日はこれで退散する。

宿は一ノ関のT横インを予約してある。電車で一ノ関へ向かう内、自分のいる辺りも小雨になってきて、傘をさすほどではないにしても少し湿った体でチェックインする。

天気予報では、明日が一番雨の確率が高そうだ。どうなることやら知らないが、明日は明日の風が吹くだろうから、それで乗り切ろうと思っている。テキトーオヤジのテキトー撮影禄になりそうだ。

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2009年6月 4日 (木)

今年も咲いた、白い花

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今年も玄関横にある物置の前で、白い花が咲き始めた。

この花、名前はちっとも判らないし、そもそも私が植えたものではない。いつの頃からか勝手にあるから、鳥か何かが運んで来たのだろうと思う。

白い花って言うと、昔の流行り歌「白い花、赤い花」(確かそう云う題だったと思うんだがなぁ)を思い出す。

『白い花摘んで あの人にあげよ

 あの人の胸に この花挿してあげよ』

私には、この花を摘んでみたところで、胸に花を挿してあげる人はいない。一抹の寂しさもあるが、家に帰ってきて、この花が咲いていると何故かホッとする。野の花には心を癒す効果もあるものだ。

今年こそ花の名前を調べようと、ぶ厚い野草の図鑑を買ってきた。だが、怠け者の性格のため、未だ調べるのは実現に至っていない。折角買ってきたのだから、花が咲いている内に調べなきゃなあとは思っている。

白い花、白い花、あの人の胸でなくてもいいから、今しばらく咲いていておくんなまし。

***

先日、大々的に北海道へ遊び行ったばかりだが、また明日から撮影旅行に出掛ける。

今度は、あの「乗り通し」を敢行した東北本線の、一ノ関を中心とした辺りがターゲットである。先日乗った折に、大まかにロケハンはしておいた。

6月は梅雨にかかってしまうので、なるべく前半の早い内に出掛けたいとの希望もあって、少々忙しいけれど明日の朝一番のバスで、出発予定である。8日までの3泊4日の予定。

また、旅先の宿から例のパソコンで記事が書ければと思っている。

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2009年6月 1日 (月)

新型インフルによる思わぬ余波

豚インフルに端を発した新型インフルエンザ。あっという間に日本列島を感染域に巻き込んで、各地で様々な弊害を齎している。

取り敢えずは、マスクをすることが予防の一歩とのことで、自主的にマスクをする方もまだ多くおられる。まあ、それはそれでよい。

私達は不特定多数の方と顔を合わせる職業である。それで、対応としてはかなり遅いが、5月23日に「現場職員全員マスク令」が発令された。私はこの時、先日来書いていた旅行で北海道にいたのだが、身近におられた方へのメールで私の職場にもマスク令が出たことを知ったのであった。

さて、それで。

旅行から帰って、その後の私の初出勤は5月28日となった。当然のことながら、点呼の段階でマスクを支給され、「これからマスク令が解除になるまで、出勤日には1日1枚お渡しします」と言われた。私は風邪を引いてもマスクをしないテキトー人間で、はっきり言えば小学校卒業以来マスクなど全くしたことがない。約35年ぶりのマスクと云うことになった。

この「初出勤日」は車庫と某所を4往復する仕事である。1往復目に、マスクに慣れないからか、ちょっとくすぐったいような痒いような不快感を感じた。2往復目、くすぐったい気分はもう消えて、はっきりと痒いんじゃないかい?との刺激を感じた。一旦ここで、夕食。マスクは外す。

3往復目、痒みは更に強くなり、私はマスクを外しながら時折痒い部分を掻きながら運転した。痒みは人間に苛立ちを齎す。不機嫌な思いでの運転だが、接客業でもある私たちが露骨に嫌な顔をして運転する訳にはいかない。最後の4往復目は、それが我慢できずに、露骨に嫌な顔をして運転していたと思う。私達は現在「接客サービス」の一環として口頭での案内放送を強制されているが、喋るとマスクと皮膚が擦れて、痒みを感じていたのだ。

この日は遅い勤務で、終業が23時を回っていた。私はマスクに関して上司に相談しようかとも思ったが、翌日は朝8時過ぎに出勤との厳しい勤務時間のつなぎになっている。仕方なく、その日は上司への相談はしなかった。

だが、翌日になっても痒みは収まるどころかもっと酷くなる一方であった。この日は例の「中憩勤務」で、前半を終わった時点で自分の顔を鏡でまじまじと見てみた。みっともない写真で申し訳ないが、その時の状況が下の通りである。

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既に、白線で囲った部分は掻き毟った傷や麻疹様のデキモノで、赤く腫れ上がるなどしている。痒さを我慢している場合ではない。

仕方なく、その日の勤務が終った時点で私は上司に訴え出た。マスクによってこんな状態になってしまった。今も痒くてたまらない。何とか良策はないか。場合によってはマスク無の運転は許してもらえぬのか。

然し主任の答えは「マスクは君たちへのインフル感染拡大を防止するためのものだから、そう簡単に上の指示を破ることは出来ない。支給されたマスク以外での運転は許されない」が突きつめた返答であった。別の主任が直ぐに本社サイドへ問い合わせてくれたが、金曜の夜9時過ぎで、もうマトモに返答できる人は帰ってしまっている。月曜日まで待って欲しい、としか言われなかった。

土曜日も痒みをこらえて運転し、日曜日は勤務の都合で休みだったからマスクをする必要はなく、そして今日・月曜日を迎えた。マスクの当たる部分はもっと悲惨な状況になっている。それでも本社の「安全衛生」係がマトモな回答をくれるかもとの期待をして、我慢した。

だが、今日の乗務終了後に聞かされた話は、内容としては同じ答えに過ぎなかった。「痒みを訴える者は全乗務員中、君一人だけ、従って自分で何とか善処策を考えなさい、支給されたマスク以外のものをすることだけは許すから、兎に角マスクを外しての乗務は絶対にダメだ」。

私は小さい頃から皮膚が弱いと、母親泣かせであった。その事実は認める。でも、こんな非人間的な扱いって、許されるのだろうか。痒ければ自分で対処しろ、が回答である。組織の大義名分は相変わらず「職場に新型インフルが蔓延するのを防ぐ、謂わば君をも守る防護策なのだ」。この惨状でも、私は本当に「守られて」いるのだろうか。

今日の仕事は、朝一番からだったから、14時半には職場から解放された。仕方なく帰り道に薬局へ寄ったが、このご時勢にマスクが店頭にあるような薬局はなかった。仕方なく痒み止めの強めの軟膏を買って帰った。そして、更にがっくりすることに、夕方5時頃、副所長から直々に電話がかかってきた。

「マスク令は取り敢えず解除された。今は安心してもらっていい」。

今はいいが、冬になって長期間に亘るマスク令が出た際、私はまた自費を払って軟膏を買い続けなければならないのだろうか。

そのような事態になった際、私は上と一悶着起こしてやろうかとさえ思っている。

もう、非人間的扱いによる我慢の限界を超えているから。

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