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2009年5月 3日 (日)

南大高駅・今昔物語

Dscn

「今更」の感はあるが、昨日に引き続きN市のTさんに大遅延コラボさせて頂く形で、南大高駅周辺の今昔を書こうと思う。

N市のTさんは、南大高駅開業の初日(3月14日)に駅へ行っておられて、3月22日に記事として書かれているが、私は昨日(5月2日)、名古屋駅近くに所用があったので、その序のような形で新装開業となった南大高を訪れることにした。あまりに遅延が酷いので、もはや「コラボ」なんて言葉を使うと、世間の方からビンタを喰らいそうではあるが、私も私で忙しくて中々ここへ赴く時間がなかったのだ。その点は、ご容赦を……頂けないでしょうなぁ。

さて、余談はともかくとして。

昨年の6月頃に、現在、駅がある所を東海道線の電車で通りかかったら、何やら工事をしている様子が車窓を掠めた。気配からして「新駅」を造っているなとはすぐに判ったけれど、通ったのが夜だったから、詳しい場所や周りの情景はよく判らなかった。

今回、初めて駅を訪れてみて、且つその周辺も眺めてみて、あまりの状況の激変振りに言葉が出なかった。何しろ、私が最後にこの辺りで東海道線の列車を撮影したのは、1983年のことだったと思う。25年以上経っていては変わっても当然だけれど、自分の脳ミソの古さ加減には、いつも呆れてしまう。

以下、昔の映像と現在の映像を比較しながら、話を進めようと思う。

私が初めてここで写真を撮影したのは、1981年まで遡る。神戸で行われる「ポートピア博覧会」にちなんで、当時はまだ「お召し牽引機」の指定を外されていなかったEF58 61が、14系客車を牽引する臨時列車があるというので、自転車を1時間こいで、ここまで出掛けたのだ。恥を忍んで当時の写真をご披露する(すっごく傾いてる・汗)。

Img1981

周りの工場や、カーブの加減などから推察すると、この列車が走っている場所が

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ほぼ、現在の南大高駅ホームの位置に相当するらしい。

現在では考えられないことだが、1981年当時、東海道線を走る列車には普通・快速を問わず、急行用の153・165系が当たり前のように充当されていた。113系を使う列車の方が珍しいくらいの時代だったのだ。同じ位置にての、165系快速列車・大垣行。

Img1981165

同様に現在の新快速列車を、付近のショッピングセンターへの直通通路から撮影したので、それを掲載する。

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駅より僅かに南方になるが、大体、列車の走っている位置は同じ筈である。

この1981年の臨時列車撮影では、偶然と言うか、臨時列車とは逆方向の上り列車も「ついで」のような感じで撮影してある。2枚ほど、ご披露する。

Img1981_2

これはしっかり記録が残してあってEF58 155が牽引する荷物列車・2032レ。

Img198135

武豊線への直通列車が気動車であるのは、今も昔も変わらない。でも、この当時はキハ35系の充当が原則だった。ツートンカラーも残る3連は、940Dと記録帳にある。

この写真の向こうに、何かクレーン車のようなものの姿があるが、あの位置に当時は踏切が存在した。

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現在の、ほぼ同じ位置から撮影した上り列車。昔の道路跡や、周囲の池などから推察すると、この写真で貨物列車の先頭車がいる辺りが、昔の踏切の位置になるようだ。線路の築堤の左側が、急に右側へ折れている部分があるが、あれがどうも踏切跡のように思われる。

折角だから、ホームから撮影した上り列車の写真も付け加えておく(今は、ちゃんと傾かずに撮れるんだぞ)。

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こうして下から見ると、下り方面(名古屋寄り)はすぐに登り勾配になっているようだが、付近の線路の付け替え工事などの関係で、勾配のある位置が昔より少し南方(南大高駅寄り)へ移動しているように思われる。

今までご覧頂いた写真で、線路の西側(上り列車に対して右側)に、今も昔も余分なスペースがあるのにお気付き頂けただろうか。1981年当時の写真では、アスファルトが敷いてあるし、現在の写真では、余分な更地のようになっている。

現在の駅から見ると

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フェンスの向こう、線路が置いてあったりするスペースのことである。これは本来、「南方貨物線」といって、名古屋駅から南部を、貨物列車だけが迂回する路線を敷設する予定があったので、こんな不自然な空きスペースが残ってしまっているのだ。「南方貨物線」は、南大高駅より更に南の、共和駅で東海道本線に合流する予定であった。

逆に言えば、この空きスペースがあったからこそ、下り方には通過線も付け加えた「南大高駅」の設置が可能になったのだ。私の写真と同様で、昔のものが現在になってどんな形で生かされるかは、誰も予測がつかなかっただろうと思う。

「なるほどなぁ」との思いを残しながら、「N市のTさんのブログ」にあったバスターミナルを見ると、折りよくバスが一台停泊している。

Dscn_8

往路は当然、東海道線に乗ってきたが、帰路はこのバスに乗って帰ってみようと思う。

そう思いながら来たバスに乗り込むと、発車間際に一人の男性客が乗り込んできた。そしてその人に、「あれ、おさかなさん、こんな所で何してるんですか?」と声を掛けられた。見れば、某車庫の別会社委託化の犠牲になって、4月から他の営業所へ異動を余儀なくされた元同僚である。

最後は思わぬ人に出会いつつ、電車並びにバスオタクの南大高駅訪問は終わった。すっかり変わり果てた大高近辺の景色を目の当たりにしながら、大好きな中島みゆきさんの歌・『時代』の一節である「めぐるめぐるよ、時代は巡る」の歌詞が、私の頭の中でも駆け巡っていた。

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コメント

こんにちは。
この南大高駅付近、写真を拝見すると激変しているのですね。
近代的な駅前や背景に見える高速道路など・・・
165系電車の写真ではどこか長閑な雰囲気ですが、今はすっかり
都会っぽい感じに見えますね。

EF58やキハ35系、懐かしいですね。
どちらも北海道には無かった車ですが、何故か国鉄型というだけで安心感があります。

ちなみに私の住むO麻駅付近は昔ながらですが、隣のN幌駅は
高架工事で近い将来様子が一変しそうです。

投稿: vanagon714 | 2009年5月 4日 (月) 10時18分

コラボありがとうございます。
やはり国鉄型はいいですね~。
「今昔物語」・「定点比較」は大変参考になりますね。
同じ場所でも何十年も経過すると変わってしまいますね。
変わらないのはおじさんの頭の中身ですね~。
何処も彼処も近代的な建造物になってしまい、おじさんには付いて行けませんね~。

世間は広いようで狭いですから気を付けて下さいよ。
私もN空港で高校の時の担任にバッタリ会ったり、新千歳空港でアリに見つかったりしていますから。

投稿: N市のT | 2009年5月 4日 (月) 22時21分

こんばんは。
突然の遭遇大変驚きました。


知らない間に南方貨物線の高架も壊され家が建った所もありますね。
やはり貨物営業は採算が取れないのでしょうか。

名古屋臨海鉄道もいつのまにか潮見町へ延びる路線も廃止になったようです。

もう少し南大高駅に乗り入れるバスの本数が増えるとありがたいのですが、あまり需要はないのですかね。

投稿: 企4 | 2009年5月 5日 (火) 00時09分

>vanagon714さんへ
こんばんは。
この辺りは、「名古屋市緑区」に相当する部分ですが、以前は交通の便の悪さなどから住居には不人気な土地でした。
然し、地下鉄の開通や、こうしたJR駅の開業、そしてそもそもが不便だったJRそのものが便利な乗り物に変貌したことで、この近辺の様相はここ10年ばかりで大きく変わっています。
私の昔からの親友も、この緑区内に住まいを買って暮らしています。

こうしてみると、鉄道の便・不便が宅地や周辺の開発に大きく関わることが判りますね。

でも、自転車をこいでここへ出掛けた頃は矢張り懐かしく思います。EF58にしてもキハ35系にしても、国鉄を代表する車両として全国に名を轟かせましたから、国鉄時代を知る方には懐かしい産物なのではと思います。

投稿: vanagon714さんへ | 2009年5月 5日 (火) 00時52分

>N市のTさんへ
私のカテゴリーには「定点比較」はありませんけれど、たまにこんなことをしてみると、自分が歳をとったことだけが妙に実感されてしまいますね。
この近辺は市内でも長い間、住宅地としては不人気で、その分開発も遅れたのですが、この10年ばかりでかなり変貌の速度が上がったように思います。やはり、N並まで地下鉄が来たことが影響しているでしょうね。それに加えてJRの大幅増発・新駅設置で、変貌の速度は更に加速するでしょう。

>変わらないのはおじさんの頭の中身

言いえて妙、ですね。私も年齢と共に頭の中身の変化のスピードが、ガタ落ちしております。

>新千歳空港でアリに見つかったり

「どひゃー!! 堪忍してくれ!」ですね。お疲れ様でございます。

投稿: N市のTさんへ | 2009年5月 5日 (火) 01時25分

>企4さんへ
私も大変吃驚しました。まあ、相手が企4さんでまだよかったですよ。別の上司などに、変な姿を見られるのはいい気分ではありませんからね。

南方貨物線、今ではすっかり構想も消えてなくなり、言われるように折角作った高架を壊した場所や、線路用地として温存されていた場所に住宅が建ったりしていますね。

JRの貨物列車の「駅扱い」が廃止になってしまい(正確には国鉄時代になりますが)、貨物列車の本数が激減しましたから、貨物用のバイパス線はもう必要なくなってしまったのでしょうね。
代わりに、あおなみ線(旧国鉄西臨港線)沿いに、名古屋貨物ターミナル駅ができていますね。実質、あそこに移転したと考えるのが妥当でしょう。
名古屋臨海鉄道の潮見町の路線は、港で荷役の仕事をしていた当時、よく眺めた思い出の路線ですが、今は昭和町までで打ち止めになってしまっているようですね。

南大高のバス路線は、これから徐々に増えていくのではと思います。

投稿: 企4さんへ | 2009年5月 5日 (火) 02時04分

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