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2009年5月27日 (水)

宗谷本線撮影紀行(7~9日目・復路編)

7日目(5月25日)

さてさて、撮影は大詰め、もう今日の内に帰路の列車に乗らなければならない。

幸い、天候は良くなってきた。それで朝の内だけ、ちょっと撮影してから、道内の「乗り鉄」を楽しもうと思う。

まず、この何日かで馴染みとなった7時50分発の稚内行きに乗り、すぐ次の日進駅で降りる。この駅付近にも、結構絵になるところを見つけておいたのだ。それにしても、名寄の隣の駅なのに、日進駅は

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1両きりの列車さえホームに収まらない。前日の瑞穂駅同様、国鉄時代は臨時乗降場だったようだ。

ここから歩いて数分、目的地に着くが、辺りには堆肥独特の匂いが漂っている。ちょっと向こうを見たら

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牛さんたちの姿が見えた。止むを得ない。私だって牛乳を飲むこともあるし、牛肉を食べることだってある。こう云う臭いの所があるから、私たちの食卓に牛乳や牛肉がのぼるのだ。

臭いの神経なるものは、時間の経過と共に神経が麻痺するのだそうで、2本の列車を撮るためにここへ2時間近くいたら、最後には気にならなくなった。それより、さっきの晴れ空がまた曇り始めて、うすら寒い風が吹いてきた。旅行用の着替えなど大きな荷物は、もう宅急便で自宅へ送ってしまってある。セーターは着ているが、ぶ厚いジャンパーは、とても名古屋までは着て行かれないから、宅急便の荷物の中だ。撮影を終えたら、急いで駅の小さな待合室へ身を寄せる。

10時16分、時間通りに名寄行きの列車がやって来て、これで寒さからは開放される。あとは、列車を乗り継いで楽しむつもりでいる。札幌を22時の寝台急行に間に合えばいいから、それまで暖かい列車の中で過ごそうと思う。

まず旭川へ出る。ここから久し振りに富良野線に乗ろうと思う。

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往路編でも書いたけれど、旭川は現在、駅の高架化工事真っ最中である。この富良野線ホームへの長い地下道を歩くのも、これが最後になるかも知れない。

富良野線は旭川から美瑛を経て富良野に至る路線で、観光路線としても名を馳せている。ただ、富良野や美瑛のお花畑が綺麗な衣装をまとうのは、まだちょっと先のことで、車窓から春先の花々などを見て過ごすこととする。でもタンポポや芝桜も、色鮮やかで、列車から眺める分には遜色のない花たちである。

15時少し前、富良野駅に着く。駅だけは、もう花のシーズンの装いになっていた。

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ここからは、写真右側の根室本線の普通列車に乗って、終着の落合まで行ってみることにする。根室本線も、滝川~富良野~新得(落合の一つ先の駅)までは、昭和56年に開通した石勝線に道東へのメイン路線の座を奪われ、特急も通らない寂れた路線になった。また嘗ては途中の駅で炭鉱運搬の私鉄に接続していたものだが、石炭業界の衰退と共に、余計寂れに拍車がかかってしまっている。私自身も、この区間に乗るのは17年ぶりだと思う。

途中駅や沿線の寂れ具合は、筆舌に尽くし難い。一例として、下金山駅の写真を載せておく。

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ホームに停まっている列車から写したものだが、ホームと駅舎の間が不自然に大きく開いている。炭鉱が盛んだった頃は、この間に敷き詰められた線路に石炭を積んだ貨車などが並んでいたことだろう。不要となった線路が取り払われた今は、ホームと駅舎の隙間を見て、昔を偲ぶしかない。

私の乗った列車の終点・落合はもっと寂れ方が目立ったけれど、これは別の日に別記事として書こうと思う。

折り返しの列車は滝川行きである。私と同様の女性旅行者一人の計2人を乗せて、列車は発車した。途中で高校生が乗って来たりもしたが、1両きりの列車内が満員になることはなかった。

滝川からは特急に乗って一気に札幌へ出る。まだ20時前だが、腹ごしらえをしておかなければならぬ。繁華街のすすきのまで、地下鉄に乗って往復する。

札幌へ戻り、駅構内を少しぶらついてから、22時にはまだ30分ほどあったけれどホームへ入る。うまいことに青森行きの列車は早めに入線してくれて、すぐに夜行列車の客となった。

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これで、5日間に亘る北海道内の旅程は終わった。明朝目覚めた時には、もう本州に戻っている筈である。

8日目(5月26日)

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夜行急行「はまなす号」の青森到着は、5時39分。あまりに早いお着きだが、この時間に着くからこそ、私は一つの企みをしていた。ラジオで聞いたことなのだが、朝一番の普通列車で青森を発つと、その日の内に普通列車だけで東北本線全線の青森から東京までが乗り通せるというのである。青森~東京の距離は739.2キロ。時刻表を繰ってみると、確かにそれが可能なので、挑戦してみようということなのだ。

時刻表でそれを調べるのは知的なことである。だがそれを実際に敢行しようとなると、紀行文作家・宮脇俊三さんのお言葉を借りて、痴的なことと言わざるを得ない。以下、一々大きな写真や細かいことを付していたら、とてつもなくでかいファイルになってしまうので、端折りながら書かせて頂く。

まず、6時10分発の八戸行からスタートする。

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電化されている東北本線だが、運用の都合でこれだけはディーゼル列車である。それも想像していたキハ110系(民営化後に作られた形式)ではなく、国鉄型車両で、座席も4人がけのBOX席が中心だ。4両も繋いでいるのは、三沢あたりで通勤通学時間帯に入るからだろう。

そう思って乗ったが、朝が早すぎて、三沢の手前で眠くなってしまった。目を閉じて気付いたら三沢は通り越していた。混んだのかどうかはよく判らない。予定通りの8時16分、八戸着。

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ここから盛岡までの間は、新幹線八戸開業と共に、JR東北本線から第3セクターの青い森鉄道とIGR岩手銀河鉄道に転換されてしまっている。だが、JRの夜行寝台「北斗星」や「カシオペア」、それに貨物列車などは現在でもこの路線を通っている。実質JR東北本線と同じである。普通列車も、この近辺で走っているJRと同じ形の電車が塗装だけを変えて走っている。だから、別に第3セクターでもあまり気にならない。

ただ、私が使った「周遊きっぷ」では、前記の夜行寝台に乗らない限りはここを経路として使うことは出来ないとの規則があるそうな。仕方がないので、周遊きっぷだけは新幹線経由としておいて、第3セクター部分の券だけは八戸駅で別個に購入した。3千円弱の出費で、かなり懐が痛む。それだけの出費をしたからには、ここの区間は寝てしまう訳に行かない。幸い、BOX席とロングーシートが千鳥配列になった列車が来たので、早めに乗り込んでBOX席を占領する。

JRの手を離れると聞いた頃に、2度ほど撮影に来たことがあって、見覚えのある懐かしい区間を約2時間かけて走破する。盛岡着、10時54分。

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第3セクになったお陰で、JRとの改札に距離が出来てしまい不便になった。12分の乗り継ぎ時間があったが、若い私でもいっぱい、いっぱいだった。お歳を召した方なら、ちょっと12分では乗り継ぎ出来ないかも知れない。

さて次は

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こんな通勤用電車みたいので、

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ここまで行く。実際に車内は通勤電車と同じロングシートで、眺めを楽しむには不都合な列車だ。この形の列車は仙台より更に南まで運用範囲があるので、自分の乗る列車がこれから先どういうものに当たるか、運次第である。取り敢えず、盛岡発、11時06分。

一ノ関へ着くまでに昼食の時間になってしまう。ロングーシートでは駅弁も似合わない。盛岡駅でサンドイッチを仕入れておいたが、客が少なくなった水沢を過ぎたあたりで、急いでそれを食べて昼食とする。12時35分着。

次も同じ型の電車。12時46分の発車。

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車両の帯の色は違うが、ロングシートで、ワンマン運転である点も同じである。味気ない思いで、外を眺める。北海道の寒さはもうないが、沿線の田圃は多くが田植えを終わった直後で、風景は道内とあまり変わらない。ただ、北海道では見ない瓦屋根の家が増えてくる。代わりに北海道では頻繁に見かけたサイロなどは、ここらでは全く見られない。

13時33分、小牛田着。ここからはちょっと忙しくて、5分接続での乗換えとなる。

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また、同じ形の列車である。ただ違う点は、LEDの方向幕をよく見て頂くとお判りの通り、「ワンマン」の文字がない。また、列車は4両編成になる。流石に東北一の都市、仙台へ東北本線の列車が2両きりと云うわけには行かない需要があるのだろう。実際に、仙台へ近付くにつれ立ち席客も出始めて、仙台へは14時24分着。

距離的には大体仙台辺りがちょうど中間地点になる。一息入れたいところだが、それをしていると予定が大狂いして今日の夕餉が食べられなくなるので、また5分での慌しい乗り継ぎをする。

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行き先としてはこうなるが、今度は有難いことに

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BOX席のある車両であった。5分乗り継ぎだから慌てて撮った写真で、よく見ないとどんな車両か判らないとは思うが、719系と云うJRになってから作られた車両である。

仙台は14時29分発、まだ中高生の下校時刻ではないが、小学生の団体が乗っていて、席は占有されてしまっている。仕方なしに他の方と同席しようとすると、先生らしき人が「こらっ、あんたたち、そっちの車両に乗っちゃダメだって言ったでしょ!!」と叱りつけて、子供らをどかせてくれた。お蔭で、またBOX席にありつけた。

すぐ次の長町で「先行貨物列車遅れのため、少々停車します」とアナウンスが入る。次の乗換駅・福島では38分も時間があるので、少しくらい遅れても構わない。幸い、2分遅れただけで長町を発車した。

時間的にまだ混み合うことなく、平和に福島までやって来る。進行方向右側席に座っているから、キロポスト(起点から何キロかを表示した標柱)の数字がよく見える。キロポストは原則として、上り列車の右側に立てることになっているのだ。早くも300を切った。半分を遥かに割り込んだ計算になる。

福島へ近付くと「この列車は、このまま16時28分発の黒磯行になります」との放送が入る。私がこの先乗ろうとしている列車は、この列車に続けて乗っていればよいと云うことなのである。やれやれ、ちょっと一息つける。

LEDの列車の方向幕は

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表示する文字だけ変わった。あ、あと福島では乗務員も交代するようだ。でなければ、かなりの長距離運転になってしまいますな。

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停車の間に、缶コーヒーを飲んだり、ホームで背伸びなどをして、外の空気を思い切り吸い込む。

定刻に福島を発車。思ったほど学生たちは乗ってこない。私は4人がけ席を占領したままである。荷物はちゃんとどかせてあるが、誰も座りに来ないのだ。17時17分着の郡山でも14分の停車があったが、座席は空席が目立つ。

白河を過ぎた頃から、そろそろ窓外が薄暗くなってきた。昨日、滝川の手前で見た夕日が、今日はこの辺りで暮れて行く。18時32分、黒磯着。外を一生懸命眺めていたので、流石に老眼の始まった私の目では、時刻表の縮小コピーが読み辛くなってきた。と共に、体もかなり草臥れてきた。然しここではまた6分の乗継である。急いで途中下車印を捺しに改札へ行き、トンボ返りで別ホームに停まっている

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この電車に乗り込む。車内が見えるが、残念ながらまたロングシートである。

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ここまで50分ほどを、帰宅の客と共に過ごす。

さて、宇都宮では最も厳しい2分乗り継ぎになる。もういくら何でも、途中下車印は無理だ。それに、こんな短時間の乗り継ぎなら向かい合わせのホームにでもすればいいのに、隣のホームへ一旦階段を上って降りなければならない。少しは気を使えよ、JR東!

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そんな理由から、宇都宮は呑気に駅の風景など撮っている余裕はなく、駅名標の写真で我慢して下され。

そして、折角階段を走って乗った列車なのに、行き先をご覧頂けばお分かりのように、これは上野へ行かずに、湘南新宿ラインを経由して横浜の方へ抜けてしまう。だから、たった4駅乗っただけの小金井で、ここ始発の上野行きに乗り換えなければならない。これも7分乗り継ぎで、下車印と別ホームへの階段上り下りに息を切らす。かなり足元がくたばってきた。

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小金井は19時56分発。でも、これを捕まえてしまえば、もう全線乗り継ぎ完乗は出来たようなものだ。予定通りなら上野着は21時25分、上野から東京は国電で4駅である。有難いことに通勤の流れとは完全に逆なので、車内はガラガラ。関東圏ではありふれた231系であるが、編成の端にはBOX席付きの車両もある。

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目出度く、BOX席を占領できる。流石に外は真っ暗となり、どんどん都会が近付いてくる。けばけばしいネオンも大宮辺りから一気に増えて、目を介して疲れがどっと体を襲ってくるのが判る。

流石にBOX席でも「もう、いいや」という気分になった頃、やっと終着上野へ着く。

いよいよ最後の最後になった。先程書いた通り、国電であと4駅乗れば目的は完遂できる。乗り物に乗り過ぎて足元をふらつかせながら、国電ホームへの階段を上っていく。本当に、一歩間違えば階段を転げ落ちそうだ。

ここから東京までは「京浜東北線」と「山手線」が並走している。だが、「東北本線」に拘ってきたのだから、乗る電車は山手線のものであっては納得行かない。やはり、京浜「東北線」に乗らねば。次発は

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蒲田行きとのことである。そして、程なくやって来た

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これで、ゴールを目指す。見る人が見れば判ると思うが、本当の「方向幕」で、つまり209系電車の方で、曲がりなりにも国鉄型電車と云うことになる。スタートの青森も国鉄型だった。〆として、相応しい。

約8分で、車掌の声が「東京」の駅名を告げた。はっきり言って、少し息遣いが荒くなっているが、もうこの際、そんなことはどうでもいい。

時に、21時39分

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私は国電から転げ落ちるようにホームに降り立った。

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東京だ!

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東京だ!!

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東京だーー!!!

目の前には、739.2キロから減算トリップされてきた

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起点の証、0キロポストが燦然と輝いている。何という下らないことを成し遂げたのだろうか。

まさしく、痴の世界である。

9日目(5月27日)

まだ、本当は5月27日にはなっていないけれど、取り敢えずあれで終わっておかないと文章のしめしがつかないので、以降のことは5月27日のこととして書く。

まず、東京へ着いたからには、夕食を食べねばならぬ。一人で勝手に祝杯も上げたい。で、往きと全く同じ秋葉原のCカレー屋へ行って、ビールを注文した。このあと、23時03分発の寝台特急「北陸」に乗って、北陸線回りで帰ると云うまたまた下らないことを企図しているので、あまりゆっくりは出来ないが、一応の目標は達成したのだから、やっぱり祝杯だろう。

本来なら、2本目のビールは頼むべき時間ではなかったので、食事を終えて国電に飛び乗って上野駅に着いたのは、北陸号発車8分前のことであった。

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間に合えばいいのだ。間に合えば。それに、疲れることを予測して、ちゃんと個室寝台を取ってある。

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「ハネ」だから、Bではあるが、700番代は個室寝台の車号である。私の乗った車両はこれだったのだ。

流石にあれだけ馬鹿げたことをしたから、寝る前の一連の動作をしたら、もう直ぐに寝付いてしまった。途中、どこかで長時間止まっていて(多分、機関車を付け替える長岡だと思う)、その間だけ目が覚めたけれど、あとは見事に寝ていた。

まだ寝足りないのに、終点金沢到着20分前にかけた目覚ましが鳴り、仕方なく起き出した。定刻6時26分に金沢着。

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屋根に覆われた高架駅の金沢は、いつ何時でも暗くて好きになれない。眠い目を擦りながら、下車印だけ捺しに行く。そして直ぐに、6時46分の米原行「しらさぎ54号」の車内に入り込む。早朝だから自由席で十分だろうとの勘は当たり、楽々席にありつく。

あとは、睡眠不足を解消すべく、夢の続きをしているだけで米原まで着いてしまう。

ここからは、普通と快速を乗り継げは、1時間半もかからずに名古屋へ着く。北海道旅行の紀行文で、名古屋近辺のことを事細かに書いてもつまらないと思うから、この駄文もこれで終わりにしようと思う。ただ、これでは締まりがないので、最後に往路編でお約束した「手書きの周遊きっぷ・ゆき券」の下車印を捺された姿と、マルス券だけれど、同じく下車印の目立つ「かえり券」の映像をご披露しておこう。

それから、この旅行の全てに関わって下さった多くの方々に御礼の言葉を添えて、楽しかった旅行の始終をご報告方々する次第である。

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コメント

乗り鉄お疲れ様でした。
私も帰省の往復にこうやって鉄道でのんびり乗り鉄したいです。
いつも滞在期間を最大限確保したいので、嫌いな飛行機で苦痛の時間を耐えています。
あと数年したら出来るかなと淡い期待をしています。

往復の切符の下車印もたくさん押してもらって、いい記念になりましたね~。

投稿: N市のT | 2009年5月28日 (木) 11時02分

>N市のTさんへ
疲れましたが、いい記念になりました。東北本線を普通列車で乗り通すなぞ、通常はまずやりかねることですから、体力のある内にこのような機会を設けられたのは僥倖であったと思います。

Tさんも子供さんが大きくなられましたし、数年の内には往復路で楽しむ機会が出来るのではと思います。

切符の下車印、いい歳をしてお恥ずかしい次第でもありますが、自分なりの記念碑ですから、大切にしたいと思っています。
本当に面白い旅行でした。

投稿: N市のTさんへ | 2009年5月29日 (金) 01時18分

こんばんは。
遅くなりましたが東北本線普通列車乗り通し達成おめでとうございます。
好きなこととはいえお疲れになられたのではと察します。
北陸のソロはゆりかごだったのではないでしょうか?
私も一昨年、N市まで札幌から昼行で列車を乗り継いで行きましたが
けっこうキツかったです。
時間がかかっても夜行列車でゆっくり移動する方が疲れないなあと思いました。
特に個室寝台はプライバシーが保たれてとてもリラックスできますね。
九州夜行が無くなったのはほんとうに痛いですね・・・

投稿: vanagon714 | 2009年5月30日 (土) 23時35分

>vanagon714さんへ
こんばんは。

>達成おめでとうございます。
有難うございます。確かに好きなこととは言え、疲れました。ただ、やってみればこんなことも出来るんだなとの達成感はありますね。もう一度やれと言われれば遠慮するでしょうが、大変貴重でいい体験になりました。
北陸号の個室は、仰せの通り、まさしく「ゆりかご」でありました。

昼行ならば景色は見えますが、あまりに長距離だと好きなことでも疲れが出てしまいますよね。
その点、夜行列車は移動手段として優れた乗り物だと思います。特に、本州から九州・北海道への便は、距離的にも時間的にも大変便利だと思います。

新幹線が、6年後くらいを目途に新函館へも延びるとのことですね。現在の本州-北海道の夜行列車も、九州夜行の後を追うのでしょうか。
新幹線にも「寝台車両」を作ってくれればある程度は納得しますが、ただのリクライニング座席なら、堪忍して欲しいですね。
九州は、今後、どんな手段で行くことにしましょうか……。

投稿: vanagon714さんへ | 2009年5月31日 (日) 19時52分

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