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2009年4月27日 (月)

思い出の中のニセコバス

Img1

ある程度、人には話していると思うのだが、私が北海道に初めて渡ったのは、高校を卒業した直後の1982年3月のことである。

この時は、岩内に実家がある高校の同級生ともう一人の同級生と連れ立って、その岩内の実家をベースにあちこちを回った。

この岩内に実家を持つ同級生の祖父に当たる方が、どうもニセコバスのお偉さんだったらしく、私たちが「今日はここへ行こうと思う」と話すと、そのお爺さんが早速、岩内駅にあるバスの案内所へ先に行って「あとで、こんな高校生の3人組が来るから、無料で乗せるように」と指示をされるらしく、私たちはニセコバスに乗るときは殆ど運賃を払わせてもらえなかった。別にただで乗りたいからと頼んだ訳でもないのに、案内所で申し出ても、バスの運転手に申し出ても、みんなお金を受け取っていただけないのには参ってしまった。

上の写真は、ニセコスキー場へ行った時に、倶知安にあるニセコバスの小さなターミナルで撮影したもの。左がニセコスキー場と倶知安を結ぶバス、真ん中は岩内と倶知安を直通する路線バス、右は蘭越への急行バスだったと記憶している。

細かい形式は昔のことなので殆ど記憶にないが、急行仕様のバスは、ことによると系列の中央バスのお古かも知れない。

Img2

その中でも、岩内とを結ぶ路線バスは、名古屋を走っている市営バスと殆ど仕様が同じで親しみが持てたので、わざわざ一台だけアップで撮り直してある。1982年と言うと、名古屋の市営バスでは側面窓の所謂「バス窓」が新車の仕様ではなくなっていた頃であるが、ここではまだ最前線として活躍していたので、余計親しみが持てたのだと思う。

因みにこのバス、ニセコバスには不要な系統番号の表示スペースがあるから、この車も中央バスのお古の可能性が高い。

この1982年3月の旅行以来、倶知安・小沢の「山線」方面は訪れる機会がなかった。当然バスの写真も撮っていない。次に私がニセコバスと出会ったのは、14年も後の1996年5月である。

職場の方と同行する旅行だったが、最後の3日間は函館線の写真が撮りたいからと、私だけが別行動をとった。その時に、一日、倶知安駅から小沢駅まで歩いたのだが、歩きついた小沢駅に、1982年当時は国鉄線として存在した岩内線の代替バスが止まっていたのである。

Img

やはり日野のブルーリボンで、形式としてはP-HU225Aではないかと思う。ただボディは、前扉オンリーの自家用or快速バスの仕様で、国鉄岩内線の後釜としてもこの程度のバスで十分用が為せるということを実感させられた車でもあった。

これを最後に、所謂「山線」沿線ではゆっくりと降りていない。だから、ニセコバスにもずっと出会っていない。

中央バスの赤帯が青帯に変わっただけの塗装なのだなと、長いこと思っていた。そして、その塗装はずっと受け継がれているものとばかり思っていた。

然るに最近、バスの雑誌などで、ニセコバスも中央バスの新しいカラーとほぼ同じ塗装に変更されていることを知った。知らない内に、青帯のバスはなくなってしまったようなのである。探せばまだ古い塗装の車もいるのかも知れないが、私の思い出の中にいる青帯のニセコバスは、もう時代遅れになってしまっているらしい。

残念……。

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コメント

懐かしい画像ありがとうございます。
上のRCは中央からの移籍車です。
N市営バスと似た車両は、札幌~千歳間の千歳線の乗客がトップドア車ではさばき切れないので、千歳営業所に投入されたものです。
セミロマと呼ばれていました。中ドアまで1人掛で後ろはロマンスシートになっています。
新製から2~3年でニセコバスに移籍しています。
下のブルーリボンは岩内線の代替用に自社は発注したものです。

青帯がニセコカラーですが、現在は1両のみ在籍しているようです。
中央からの移籍車は赤帯のまま走っているものもありました。
現在は中央の新しいカラーになってしまいました。

投稿: N市のT | 2009年4月28日 (火) 16時52分

>N市のTさんへ
詳しいご解説、有難うございました。
初渡道の時には、かなり色々とお世話になったニセコバスですが、まだ単なるバスマニアの時代のことですので、詳しいことは殆ど判らないままでした。
そうそう、当市営バスに似ている車両、中ドア以降は2+2のシートでした。その昔の当市営バスが、全く同じ仕様でしたので(2HRのこと)、中まで同じだなあと懐かしく車内を見回していたのを思い出します。

岩内線の代替バスは、自社発注なんですか。私は、系統番号幕があるので、あれも中央のお古かと思っていました。考えてみれば「転換交付金」があるはずですから、そうは安く上げないですよね。

赤帯で走っている車は見たことがなく、これも「目から鱗」でした。

投稿: N市のTさんへ | 2009年4月28日 (火) 23時35分

ニセコバスの貴重な写真ですね。
この頃は日野車ばかりだったようですね。
青いオリジナルカラーは一目でニセコバスと分かりますね。
中央の赤白もそうですがこの頃の塗装が良いですね~

投稿: vanagon714 | 2009年4月29日 (水) 20時05分

>vanagon714さんへ
記録写真とは面白いもので、撮った時は「まあ、ついでに記録としてちょっと写しておくか」程度の気分なのですが、年月が経つと「こんな貴重なもの、我乍らよく残しておいたなあ」と思うものが屡々登場します。

このニセコバスも、撮っておいてよかったなあと、今になって思っているところです。

ニセコバスも中央バスの新しい塗装とほぼ同じものになってしまったそうで、塗装代金の合理化との側面もありましょうが、残念です。
vanagonさんやN市のTさんが、中央の赤白塗装消滅を残念がられる気持ちが、やっと判ってきました。

投稿: vanagon714さんへ | 2009年4月29日 (水) 23時36分

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