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2009年4月

2009年4月30日 (木)

『お元気ですか』

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今日はちょっと、しみったれたことを書く。

ので、湿気の多い話を好まれない方はスルーして下さい。

既に新聞やテレビなどでも報道されていることだが、『お元気ですか』のヒット曲を持つ、元タレントの清水由貴子さんが亡くなった。硫化水素を吸ったか飲んだかでの自殺だとのこと。

この『お元気ですか』が流行ったのは、1977年、私が中学2年の時の話である。この歳になってこの曲を聞いてみると、まあそれなりに若い女の子の感情もある程度は理解できるけれど、中学2年当時はそんな感情なんて殆ど判らなかった。歌詞に関してはただ、切ない歌だなあという程度の思いだったが、曲調が何となく好きで、ずっと長いこと忘れられない歌だった。

私は好きな曲があると、FMなどで流れるのを根気よく待っては録音し、「お気に入り」の曲ばかりを集めたテープ集などを作っていったものだ。然し、この『お元気ですか』は全く録音できないまま、私も大人になってしまった。

時移り、音源がレコードからCDへ移行してから、やっとこの曲が入ったCDを見つけた。CBS・SONYの「CD選書ベスト・1975~1977年」というCDで、他にも当時流行った太田裕美さんの『木綿のハンカチーフ』や山口百恵さんの『横須賀ストーリー』などが収められている。2000円という廉価版なので、見つけてすぐに買った。

そうして手に入れた『お元気ですか』だったのだが、歌っている本人が亡くなっちゃ、どうしようもないよね。享年49とのことで、自分と意外に年齢が近いのも驚きだった。よくよく考えてみれば、私が中学2年で、清水由貴子さんが高校3年なら、有り得る年齢差ではあるなと思う。

この歌の中に「私は だけどちょっぴり不幸 不幸感じて 悩んでいます」との一節がある。自ら死を選んだくらいだから、最期は「ちょっぴり」どころの不幸ではなかったのだろう。病気の母親の介護に疲れて、とか報道されていて、つまり介護とかってそれ程大変なものなのだろう。

「死んで花実が咲くものか」との言葉もある。でも、私は、残念ながら清水由貴子さんのことを責められる立場ではない。9年近く前に鬱病に陥った際、自分も大量に睡眠薬を飲んでみた経験があるからだ。もう何でもいいから、この世からオサラバしたかった。だけど、飲んだ薬の量が足りなかったのか、天の神様が「お前はまだここへ来てはならぬ」と言われたのか、兎も角この世へ追い返されてしまった。

鬱病とか、神経症とか、精神の病気にかかった経験のない方から見れば、自殺って愚かしい行為にしか映らないと思う。でも、一旦その経験をしてしまうと、「褒められることではないけど、理解はできるかなぁ……」くらいの心情にはなると思う。だってね、生きることを自分で捨てるんですよ。生きているより死んだ方が楽だと思って、一つしかない命に自らとどめを刺すんですよ。どれだけ、辛く、悲しく、悔しいことか。

そう思うと、易々と非難は出来ないのだ。

勿論、病気が治った今では、自殺を推奨したり褒めたりはしない。ただ、死んでしまった本人の心情も、ちょっとは汲んでやってもいいのではないかなと思う。

清水由貴子さんが亡くなったことで、自分の心の中の昭和が、また一つ消えてなくなった。平成も21年なのだから、いつまでも昭和、昭和と言っていては進歩がないかも知れない。だが、昭和を約25年生きた人間として、やっぱり残念な気持ちは隠し果せるものではないんですなぁ。

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2009年4月27日 (月)

思い出の中のニセコバス

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ある程度、人には話していると思うのだが、私が北海道に初めて渡ったのは、高校を卒業した直後の1982年3月のことである。

この時は、岩内に実家がある高校の同級生ともう一人の同級生と連れ立って、その岩内の実家をベースにあちこちを回った。

この岩内に実家を持つ同級生の祖父に当たる方が、どうもニセコバスのお偉さんだったらしく、私たちが「今日はここへ行こうと思う」と話すと、そのお爺さんが早速、岩内駅にあるバスの案内所へ先に行って「あとで、こんな高校生の3人組が来るから、無料で乗せるように」と指示をされるらしく、私たちはニセコバスに乗るときは殆ど運賃を払わせてもらえなかった。別にただで乗りたいからと頼んだ訳でもないのに、案内所で申し出ても、バスの運転手に申し出ても、みんなお金を受け取っていただけないのには参ってしまった。

上の写真は、ニセコスキー場へ行った時に、倶知安にあるニセコバスの小さなターミナルで撮影したもの。左がニセコスキー場と倶知安を結ぶバス、真ん中は岩内と倶知安を直通する路線バス、右は蘭越への急行バスだったと記憶している。

細かい形式は昔のことなので殆ど記憶にないが、急行仕様のバスは、ことによると系列の中央バスのお古かも知れない。

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その中でも、岩内とを結ぶ路線バスは、名古屋を走っている市営バスと殆ど仕様が同じで親しみが持てたので、わざわざ一台だけアップで撮り直してある。1982年と言うと、名古屋の市営バスでは側面窓の所謂「バス窓」が新車の仕様ではなくなっていた頃であるが、ここではまだ最前線として活躍していたので、余計親しみが持てたのだと思う。

因みにこのバス、ニセコバスには不要な系統番号の表示スペースがあるから、この車も中央バスのお古の可能性が高い。

この1982年3月の旅行以来、倶知安・小沢の「山線」方面は訪れる機会がなかった。当然バスの写真も撮っていない。次に私がニセコバスと出会ったのは、14年も後の1996年5月である。

職場の方と同行する旅行だったが、最後の3日間は函館線の写真が撮りたいからと、私だけが別行動をとった。その時に、一日、倶知安駅から小沢駅まで歩いたのだが、歩きついた小沢駅に、1982年当時は国鉄線として存在した岩内線の代替バスが止まっていたのである。

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やはり日野のブルーリボンで、形式としてはP-HU225Aではないかと思う。ただボディは、前扉オンリーの自家用or快速バスの仕様で、国鉄岩内線の後釜としてもこの程度のバスで十分用が為せるということを実感させられた車でもあった。

これを最後に、所謂「山線」沿線ではゆっくりと降りていない。だから、ニセコバスにもずっと出会っていない。

中央バスの赤帯が青帯に変わっただけの塗装なのだなと、長いこと思っていた。そして、その塗装はずっと受け継がれているものとばかり思っていた。

然るに最近、バスの雑誌などで、ニセコバスも中央バスの新しいカラーとほぼ同じ塗装に変更されていることを知った。知らない内に、青帯のバスはなくなってしまったようなのである。探せばまだ古い塗装の車もいるのかも知れないが、私の思い出の中にいる青帯のニセコバスは、もう時代遅れになってしまっているらしい。

残念……。

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2009年4月26日 (日)

哀れな弁当のこと

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上の写真は、私たちの車庫に配られる仕出し弁当の一例。

私たちの職場では、4年前の4月から合理化のため、食堂での調理給食が廃止され、弁当業者による仕出し弁当に統一されてしまった。車庫や食事施設のある転回場では、1枚500円の食券による食事が供給されるが、現在では委託化された車庫を除いて、供給される食事はこの程度の弁当と吸い物(インスタントの味噌汁)だけとなっている。

発展途上国の食糧事情が悪い国の方から見れば、これでもご馳走の部類に入るかも知れないが、日本国における食事情から鑑みると、かなり粗末な弁当であることは否定できない。

ある程度仕方ない側面もある。500円の食券で、それぞれの食事場までへの弁当の配達・空弁当箱の回収も全て賄われている。また、たとえ弁当注文数が1個でも、絶対配達されることも条件に入っている。その上、私たちはダイヤで食事時間が絶対的に決められているので、弁当の配達はどんな理由があっても遅れてはならないとの厳しい条件も付け加えられている。

でも、食事をする側からすると「500円払っても、この程度かよ」との哀しい気持ちは、隠しきれない内容の弁当である。事実、以前は殆どの職員が食堂の食事を食べていたものが、弁当化されてからは逆に注文する職員の方が珍しい存在になってしまった。

昨日の、車庫の1回目の弁当注文状況。

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注文者、僅か1名。水色の食券が既に貼ってあるが、食券の主は他ならぬ私である。

車庫の食事の場合、食事が冷めたり腐ってしまったりすることを防ぐために、1日3回の配達がある。1回目が朝8時頃、2回目が朝10時半頃、3回目が14時頃である。それにしても、一人きりとは……。

私は独身で、以前ブログにも書いた通り厨房に自ら立たないので、食事は弁当に頼るしかない。単身者の中には、近所のコンビニでわざわざ弁当を買ってくるマメな性格の者もいるが、元がズボラな私は「安かろう、まずかろう」で妥協している。

つい先程、私たちの職場を民営化することを謳ったある人が、名古屋市長として当選確実になったと報じられた。給料は益々安くなり、弁当ももっと粗末なものに移行していくであろう。

自分の職場がこんな惨めな所になるとは、入った時は想像だに出来なかった。

おさかなは今、大変ブルーな気分でいる。青い(ブルーの)魚はサバが一般的だったっけ? 市長選の影響から既に放心状態で何だか訳の判らないことを書いているようなので、今晩の記事はこれで終わっておこうと思う。

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2009年4月25日 (土)

基幹バス用ノンステップエルガ

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道路の中央を走る「基幹バス」の話を3月4日付の記事で書いたけれども、その中でも台数の少ない希少価値の種類の車の話。

上の写真がまさにその車なのだけれど、いすゞのノンステップエルガがそれに相当する。基幹バス用のノンステップエルガは、道路中央走行方式でない方の基幹バスも含めれば合計で11両いるが、中央走行方式の同車は3両だけという、ちょっとした“異端児”である。

この車が納入されたのは、一昨年度の冬である。ツーステップの基幹バスの一部に、耐用年数が来てしまった車があるので、新車を入れようとして、当初予定では4台だけが新車になる筈であった。競争入札で納入メーカーは日野に決まった。それで、日野のブルーリボンシティⅡのノンステップ車が4台、第1次納入分として予定通り納入された。これは、基幹以外の一般用車両と一緒に納入されている。

ところが、年度変わりにダイヤの改正も併せて行うことになり、引き直したダイヤに当てはめると、どうしても3台、車両が足りないことになった。それで、急遽、第2次納入分の車に基幹バス用の車を追加で発注した。第2次納入分はいすゞが落札していたので、そのままいすゞが3台の追加発注も受けることになった。そうして、登場した車である。

車内記号ではNKS9~11が、その車たちだ。「N」はノンステップ車、「K」は基幹バス用の車、「S」はメーカーでいすゞを意味する。数字は、「NKS」の中で、単純に1から納入された順で番号を振られていく。私たちの車庫に在籍するのは、NKS10という車両。

NKSの1~8までは、中央走行方式でない基幹バスで使われている。それと殆ど仕様は同じだが、中央走行の基幹バスは、共通運用しているM鉄に合わせて「後乗り前降り」方式となっているので、側面の方向幕が前扉の直後ではなく、後扉のすぐ近くにある。外観上の違いはここくらいだろうと思う。細かいことを言うと、一般車両では「入口」に相当するところが「出口」になっているので、出入口照射灯が、一般車両とは前後あべこべにで点灯するようになっている。これは、乗務員しか関係のないことだろうとは思う。

そんな車であるが、やはり希少価値と云うことで、マニアの方からはちょっと注目されているようだ。先日、この車に乗務したときは、終点の転回場付近でいきなり写真を撮られてしまった。

自分で乗務してしまうと細かいことなどあまり気にしないで乗ってしまうが、私の鉄道に対するそれと同じで、小さな違いでもマニアの方には気になる存在らしい。

そんな車のご紹介でありました。

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2009年4月21日 (火)

DPD・粒子状物質除去装置

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暗闇に浮かび上がる変なマークみたいのを、いきなり載せてしまったりして。

何ぞやと思われる方も多かろうと思うが、これは「8都県市排ガス規制」で「長期排ガス規制適合車」に合格した排気ガス浄化方法の一つ、「DPD方式」で走るバスの運転席パネルで、当の「DPD装置」が作動中に点灯する“お知らせランプ”である。

排気ガス浄化方法には、この他に「尿素水方式」もあり、こちらは常時稼動しているので特に作動ランプはない。代わりに尿素水量を知らせるレベルランプがついていて、そちらで尿素水が足りているかどうかをチェックすることになっている。

今日話題にしているDPD方式は、Jバス規格の日野といすゞが採用している。一方、尿素水方式は、UDとふそうが採用している。

「DPD」が何の略かを、今、資料をなくしてしまったのでここで書けないのが情けないが、何しろこの方式では、排気ガスから出る粒子状物質(PM)を常時蓄積していく。そして蓄積されたPMがある一定量を超えると、自動的にこの装置が働き、粒子状物質を燃焼させてしまうのである。誰が考えたか知らないが、頭のいい人がいるものだね、まったく。

現在では、新車の短距離路線バスでは、アイドリングストップ車がかなり幅を利かせるようになった。私たちの職場では、職場組織のトップが「今後はアイドリングストップ(略してISという)装置のついた車しか導入しない」と宣言したこともあって、IS車の保有比率が50%を遥かに超えている。

ところがこのDPD装置には一つだけ欠点があって、装置が稼動している時にはISが作動しない仕組みになっているのだ。だから、バス停で止まろうが、赤信号で止まろうが、DPDが働いている時はISはしない。バスが停止したのにエンジンが止まらないので、あれ?と思って運転席のパネルを見ると、このランプが点灯している訳だ。

尤も最近では私たちも慣れてきて、ISしなければ大抵はこの装置が働いているなと思うようになった。それに、装置が稼動している最中のアイドリングの回転数は、通常のアイドリング時より若干高めの回転数になるので、アイドリング時の音が独特になる。それで、区別がつくようになってきた。

また、DPD作動時は、発進する際に少々大きな「バフッ」という様な音もする。これも大きな特徴で、耳だけで区別する時の目印になっている。

地方では、都会のお古のバスを再利用して、中には経年20年を超えるようなバスも走っている。ところが、私たちの仕事する範囲は「8都県市」に入ってしまっているばかりに、中古バスなどは一般的には使えず、絶えず最先端を行く車の導入を強要させられている。

車の単価も高くなって、経営を圧迫する要因にもなるが、これらの装置がついた車を購入する際は、多少ではあるが国からの補助もあるそうな。ハイブリッド車とはまた違うけれど、まあ、少しでも都会の空気を浄化する手助けになってくれるのなら、都会に住む者として有難く思わなければいけないのであろう。

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2009年4月20日 (月)

免許更新+漫遊のおでかけ

ちょっと前、我が家のポストに入っていた葉書。

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毎日、仕事の点呼の時には運転免許証を点呼係に提示しているけれど、あまりに毎日見せていると記載事項など気にしなくなってしまい、今年が免許更新の年であることを忘れていた。有難い葉書を送ってくれるようになったものだ。

因みに私の更新前の免許。と言っても免許証なんて個人情報の塊みたいなものだから、お見せしては都合の悪い部分を隠したら、こんなことになってしまった。

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目隠し部分が多いことはお許しくだされ。

さてさて、今日・明日と仕事が連休なので、今日の内に免許更新など面倒な用事は済ませようと、市バス・地下鉄の一日乗車券を準備する。もっとも、免許更新とは都合のいい理由付けでもあり、一日乗車券を使ってあちこちを漫遊するつもりである。

朝は珍しく8時に起床。8時半少し過ぎのバスで出発する。地下鉄とバスを乗り継ぎ、地下鉄の平針(ひらばり)駅まで。ここからは、免許試験場行きのバスが沢山出ている。ちょうど1本バスが出てしまったばかりなので、行列の先頭で待つ。来たバスに乗り込もうとしたら、3月一杯まで私と同じ営業所でハンドルを握っていた仲のいい同僚の笑顔が待っていた。私が異動対象になりかけたことは何度も書いてきたが、4月になってしまえばもう彼岸の話である。でも、こうもいきなり強制異動させられた友人の顔を見ると、ちょっと心が痛まないでもない。

ものの10分で、免許試験場へは着く。

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当たり前ではあるが久し振りに見る建物である。でも、20年近く前、大型二種を取るときには、ここへ足繁く通った。懐かしい建物であることも否めない。

昨日も仕事は早く終わって、ブログを書く余裕はあったのだが、敢えてやめていた。それは、パソコンを見過ぎて目が疲れ、今日受ける適性試験の「深視力検査」に引っ掛かるといけないからである。幸い、昨日の行いの甲斐あって、深視力検査の項目には「20mm以内(この数字は「合格」を意味する)」のゴム印が押された。

ただ、上の免許証の写真をご覧頂けばお判りの通り、私はブルー免許しか持っていない。4年半前に大チョンボがあったからだ。更新後の免許もブルー免許になってしまう。その上、違反者講習として優良者より高い金額を払わねばならないし、講習も2時間たっぷり受けさせられる。仕方ない。チョンボした自分が悪いのだ。

2時間の辛抱ののち、最初の写真にあるように、ICチップを内蔵した新しい免許を手渡される。2つの「4桁の暗証番号」を決めておけ、と書かれているが、これは自分の思い出の車のナンバープレートで済ませておく。それはいいが、新しい自分の免許写真を見たら、頬がげっそりこけていた。昨年6月末から今年3月一杯まで続いた、職場の強制休日出勤・時間外勤務で体調を崩し、体重が4キロ減った。げっそりこけても、当たり前の現実ではある。

さておき、免許を受けてしまえば、あとはお遊びの時間である。食事を済ませ、乗りたいバスまで少々時間があるので、実技試験のコースの方へ出てみる。私がバスの免許を受けた時は、練習車がいすゞのキュービック、実技試験車がいすゞの更に古い型(名前を知らないが、BUとかって呼ばれていたような気がする)だったが、現在も

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この通りいすゞのエルガであった。愛知県警はいすゞがお好きらしい。ただ、扉が中扉オンリーである点は現在も変わらない。これは、試験の最後に「中扉をポール(上の写真にも写っている)に合わせて止まる」との課題があるからだろう。前扉があったら、前扉+他の目標物で課題をこなしてしまう恐れがあるから、こうなっているのだ。(但し私は、左のミラーを“あるもの”に重ね合わせて見ることでこの課題をパスしたインチキ者である・大汗。)

時間が来たので試験場を後にして、バス停に向かう。ここからは、

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こういう行先のバスに乗る。普段は全く利用する機会のない路線だ。非日常は既に旅の始まりと言うから、私の小旅行が始まったと言える。

で、当の新瑞橋(あらたまばし)からは、地下鉄の環状線に乗り、大曽根で降りる。大曽根からは全国で唯一のガイドウェイバスが走っている。開通から相当の年月は経っているのに一度も乗ったことがない。ガイドウェイバスは、私たちの職場と名鉄バス、そしてJR東海バスの共同運行だが、今年10月から赤字を理由に名鉄とJR東海はガイドウェイから撤退してしまう。市外へ直通するガイドウェイの路線も、多分なくなるはずだ。折角の機会だから、遠回りになってでも乗っておこうと思ったのである。

それはいいが、1時間に1本の(JR)高蔵寺行きのバスは、私が地下鉄大曽根駅に着いた3分後に発車になってしまう。地下鉄駅は地下2階相当の位置にあり、ガイドウェイバスは地上3階相当の位置に乗り場がある。こりゃ、相当急がねばならぬ。大急ぎで走ったはいいが、普段から運動してない45歳が4階に相当する上り階段を駆け上がるのは、殆ど自殺行為である。途中で足が上に上がらなくなってしまい、最後にはヨタヨタになりながら階段を上り終えたら、バスの姿がやっと見えた。間に合ったことは間に合ったが、とても写真など撮っている余裕はなかった。

(せめて、車内の行先案内表示でも見ておいて下さい。乗った証にはなるでしょう。)

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この写真は、終点に近くなってから撮ったもので、初めは後部の通路側の席に座るのがやっとだった。従って、折角のガイドウェイ部分の写真も撮れていない。残念だが、少しだけ見た記録をここに残しておくと、まず、このガイドウェイは免許的には鉄道に分類される。だから、動力車の「無軌条電車」の免許が必要になる。実際、ガイドウェイの部分では、運転手はハンドルには手を添えているだけだった。アクセルワークだけで動かされていた。それもAT車であったから、あの南部縦貫鉄道のレールバスよりももっと簡易な「鉄道車両」である。更に、時折カーブなどで速度制限があるが、その標識も、それを解除する標識も、全く鉄道と同一である。鉄道免許が必要な理由も、乗ってみると「ごもっとも」と思う。

途中からはガイドウェイを降りて一般道路を走るので、大型二種の世界になる。中々ややこしい。兎に角、約40分で終点の高蔵寺へ着いた。これは一日乗車券では乗れないので、料金620円也を払う。

ここからはJR中央線で、先程の大曽根に戻ろうと思う。過日の上越線旅行でも使ったICOCAでピッと入る。ICOCAの癖に、JR東日本とJR東海でしか使われない。どうも変である。

ちょうどすぐ来た快速に乗り、春日井の製紙工場や、新守山の嘗ての貨物駅の跡を見ながら15分くらいで

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ここへ戻ってくる。ちょっと急ぎ足だったので、駅のベンチで一休みしながら、いつもコメントを下さるN市のTさんにメールを一本打つ。

ここからは、また地下鉄に乗って栄に出、色々用事を済ますつもりでいる。何しろ、栄ではこなしたい用事が一杯あるのだ。栄に着いた途端、地下街でもう大沈没する。それから何軒の店やビルに寄ったか忘れたが、やっと栄を出たのは17時を回っていた。

そして、今日の〆は

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言わずと知れた、某鉄道部品ショップである。ここへは月に一度程度は来るけれど、欲しい物はその時その時で何のかのとある。ここでもまた、大座礁する。店を出て、帰りの地下鉄に乗ったのは、もう夕方のラッシュの時刻であった。

夕食も済ませて魚澄庵へ戻ると、ちょうど外が真っ暗になった時間であった。

玄関を開けようとすると、久し振りに扉にヤモリが引っ付いている。爬虫類に分類されるから、気味悪がる方もいるけれど、ヤモリ(家籠り)は当て字で「家守り」とも書く。家主が留守の間、ヤツが我が家を守っていてくれたのかも知れぬ。そう思って、静かに扉を開け、再び静かに扉を閉めた。ヤツはいい気で扉に引っ付いたままだった。私の長い一日が終わった。

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2009年4月17日 (金)

リバースギア楽屋裏話

下の写真は、Jバス規格になる前の日野のフィンガーコントロールのギアミッション。私たちの車庫は、嘗ては日野車しか存在しなかったので、このギアミッションが一般的であった。

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一方、三菱ふそうといすゞのミッションは、ちょっとだけ違う。

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↑ふそう     ↓いすゞ

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何処が違うかと云うと、どちらもリバースギアに入れる時はNポジションでミッションを下へ押し込んでから、Rの位置へギアを入れる。「R」ポジションのところにどちらも「PUSH」と書いてあるのは、そのためだ。

リバースギアの位置が、一般乗用車で言えば1速の所にあるので、バスやトラックに全く馴染みのない方なら、まずギア位置の違いに戸惑うかも知れない。まあでも、ちょっとトラックをなぶったりバスのファンだったりする方からすれば、このギアの配置は当たり前の世界である。更に一言、バス・トラックに馴染みのない方に申し上げると、バス・トラでは1速なんてまず使う機会はない。原則として2速で発進する。1速は「スーパーロー」と呼ばれ、余程のお客さんや荷物を乗せて、登り坂で発進する時のためにあると思っておいて下され。

さて、そんでもって、今日の話は10年位前に、初めて私たちの車庫にふそうのフィンガーコントロール車が転属して来た時のこと。

その時に来た、ふそう車の台数は3台だったと思う。で、多くの乗務員が日野車にしか慣れていないので、「ふそう車は乗り難い。予備車に回して欲しい」との意見が続出した。でも、当時としては比較的グレードの高い車が移ってきたので、完全に予備車にしてしまうのは勿体無い。組合の支部で協議した結果、OBの方専用の車にしてしまえという結論になった。今ではそれ程でもないが、OBの方って私の車庫では結構ぞんざいな扱いをされていたものである。

それで、OBさんが乗った初日。OBになるくらいだから、ベテランではあるけれど日野車しか経験のない方だった。私が車庫の中をブラブラ歩いていると、普段は温厚なOBの某さんがふそう車の運転席から顔を出して、私に怒鳴るように問うてきた。

「おーい、おさかなちゃん、バックギアが入らへんがや! どうして入れるの?(註・標準語訳:おーい、おさかなちゃん、バックギアに入らないよ! どうやって入れるの?)」

そうなのだ。先程書いたように、PUSHしてから「R」の位置へミッションを持っていかなければギアはリバースに入らないのだが、その肝心な『PUSH』をご存じなかったものだから、今までの日野車と同じ感覚で「R」位置へミッションを持って行っては、撥ねつけられてニュートラルに戻ってしまい、大困惑されていたのである。

早速、運転席へ飛んでいって某さんに入れ方を教えて差し上げた次第だが、ちょっと仕様が変わるとベテランさんでさえ、こんなことがあるのだ。

バスに何年乗っていますと、私も偉そうな口を叩いてしまうことがあるけれど、些細なことで戸惑っている時って実は結構あるもんですぜ。 (^ ^ゞ

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2009年4月15日 (水)

上越線渋川・水上近辺撮影結果ご報告

先日4日間ほど出掛けていた、上越線のフィルムが上がってきた。幸い今日は公休日だったので、早速フィルムを読み込んでみた。拙い写真であるが、結果ご報告がてらご覧頂こうと思う。

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撮影紀行で、「時には雪に膝まで埋もれて」撮った写真である。本当を言うと、ここよりもっと上に登った所から撮影すると、手前の木々などに邪魔されずにすっきりした写真になったのだが、普通のズボンにスニーカー姿では、このアングルまでが精一杯であった。バックの山は、はっきりとは判らないが、新潟県の牛ヶ岳あたりになるかと思う。土樽~越後中里にて。

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これも紀行文に書いた。山の急斜面を登れないので、代わりの場所を何とか見つけて、上下線の間の緩斜面から撮ったという奴である。どなたかのコメントに書いた通り、腰をかがめる姿勢にするとケーブル線が山の稜線にかからないので、その姿勢で窮屈に構えながら写したものである。バックは谷川連峰。後閑~上牧にて。

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撮影初日、納めの写真。夕日がいい感じで菜の花に当たっていたので、敢えて逆光で花を浮き上がせるように撮ってみた。順光の時に撮りに来れば、また別の構図を考えたであろうが、結構広い畑地なので撮影時刻によって応用の利く場所のように思った。渋川~敷島にて。

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撮影2日目、初めの写真。敷島駅前で前日見つけておいた桜をバックにパチリとやったところ。沿線は桜が満開で列車に乗っていると食指が動くのだが、列車と一緒に写そうとなると意外に場所が限られてしまい、結局はここでの写真しかない。右端の白い倉庫がなければと一寸残念だが止むを得ない。渋川~敷島にて。

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撮影地でいきなり土筆を採りだしてしまって、そののちに菜の花と共に撮った写真。実は、土筆採りをしている最中に無理な姿勢で土筆を採ろうとして、腹筋を見事に肉離れさせてしまった。その痛みをこらえながら撮った一枚。痛みは今もかなり残っていて、土筆様の祟りとしか考えられぬ。群馬総社~八木原にて。

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駅名を書くと、写っているおっちゃんの人権侵害になりかねないので伏せておくが、駅員さんの写真を撮ろうとしたら駅員さんに逃げられてしまったのと同じ駅である。おっちゃんには断っていない(おっちゃん、ごめんなさい)。この辺り、1時間に1~2本しか列車はないのに、時刻表を見ずに駅へ来たらしい。おっちゃんの見上げる先には時刻表が掲げられている。

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2日目の本命の場所。例の「桜の木」行きのバスに乗って出掛けた撮影地だ。午後からが順光のポイントで、幸い午後4時前に2本の下り貨物列車があるので、必然的にここへ来る時間がこうなってしまった訳だ。小さい写真でお判りになり辛いかと思うが、牽引はEF64の重連である。この運用は運が悪いとEH200が来ることもあるのだそうで、まあ運が良かったのであろう。津久田~岩本にて。

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ここは、撮影紀行の方でも現場写真を掲載したが、狙うべき上り列車が来るとこう云う絵になる。ご覧の通り、3両の115系電車ではかなり物足りない写真になってしまう。ここは夏至の頃になると、「北陸」「あけぼの」「能登」の3大列車が何とか撮影できる明るさの時間に来てくれるのだそうで、言われてみればそれぐらいの編成の列車なら「物足りる」写真になりそうである。渋川~敷島にて。

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先程のおっちゃんの写真でもそうだけれど、私は写真を個人的に楽しむだけだから、お客などの人物もかなり被写体の対象にすることが多い。ただ昨今、肖像権だの何だのと色々うるさい時代になってきたので、極力顔を隠したり判らないアングルで撮る。タイトルをつけるなら、平凡だけど「ケータイの詩」とでもするだろうか。写っている方々のことも配慮して、詳しい撮影列車・撮影地点の公表は控えさせて頂く。

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新前橋付近で、爺ちゃんに頼んで畑に入らせて頂いて撮ったものの一枚。色々なアングルで撮影してみたのだが、最後の一枚として、植えられている花木などの間から覗き込むような雰囲気で写した写真が一番マトモなので、これをアップしておくこととする。優しい言葉をかけてくれた爺ちゃん、婆ちゃんには改めて御礼申し上げたい。新前橋~群馬総社にて。

昨年の11月頃から、仕事の多忙さの事情により写真に対する意欲が少し薄れてしまい、あまり満足のいかない撮影旅行が続いた。年度が変わって取り敢えずは約束どおり、仕事の忙しさも元に戻ったので、今回のような写真が気負わずに撮れていくように戻っていくといいなと思っている。

お粗末さまでした。

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2009年4月14日 (火)

雨になってしまったが

先月7日付の記事で書いた、いきなり契約してしまった新車の話。

やっと今日、納入されました、ハイ。

折角なので、記念撮影。

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夕刻遅くなってから撮影したので、多少色合いが違ってしまっているけれど、出来るだけ原色に近い色に補正したつもりである。

だいたいが、3月7日に契約した車を4月14日に納入して貰うとは、随分日が経ってしまっているが、折角の新車だから日柄を選んで、自分の勤務に合う日を選んだら、最も早くて今日にまでずれ込んでしまったのだ。因みに今日の六曜は「先負」で、午後ならば縁起がよろしい日だそうだ。それで、午前中は普通に勤務をこなし、15時頃に仕事が終わったからそれから納車してもらった。

生憎今日は、10日ぶりの雨となってしまったけれど、今日を逃すと更に2週間くらい納車が遅れるので、まあ天気くらいはどうでもいいじゃないかと、納車敢行に及んだ次第である。

それはそれでよろしいのであるが。

車を変えるのに伴い、任意保険の契約も変更しなければならないので、4月4日くらいにスバルの担当者さんに電話を入れた。車の登録ナンバーが必要になるからだ。そうしたら、思いも寄らぬことに、私が購入した車は「3」ナンバーの車であることがそのとき初めて判明したのだ。普通、これくらいのことは契約の際に確認すべきことだが、排気量が今までの車と全く同一だったので、てっきり「5」ナンバーだと思っていた。そうしたら、そうではなかったのである。これには、我乍ら吃驚しましたなぁ。確かに、3ナンバーの車に乗るのは自分の夢ではあったけれど、一般的に3ナンバーは排気量が2000ccを超える車に付されるナンバーだから、税金も高くなるし、中流以下の生活をしている私には縁がないものと思い込んでいた。

納車に際して、何故、排気量1990ccの我が新車が3ナンバーになってしまうかを訊ねたところ、車の横幅が171cmを超えるので(今回の車は173cm)、それで3ナンバーになるのだとのこと。従って、排気量の問題ではないということなのだそうだ。だから、5月に来る自動車税は従来通り、39,500円で済むのですよ、と言われた。ちょっと安心した。

ぞんざいな性格の私のことだから、多分そう大切に乗ることは中々しないと思う。でも、自分の人生で初めての「新車」である。せめて初めの内だけでも、ある程度構ってあげなければなぁとは思っている。

多分、魚澄庵では、最初で最後のトップニュースでありました。

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2009年4月13日 (月)

関越交通バス(主に渋川地区)

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先日の上越線撮影旅行では、関越交通のバスに何度かお世話になった。私の宿泊した渋川駅前でも、来るバスの主力は関越交通のバスだった(他社様の名誉のために付記すると、私が見た限りでは他にJRバス関東と日本中央バスが乗り入れていた)。

私には今まで全く馴染みのないバス会社だっただけに、詳細の説明は出来ないが、サイトなどで拾った知識と、実際に撮影した画像で、何台かの路線バス車をご紹介しようと思う。

上の写真は、ご覧の通りいすゞのキュービック・2ステップタイプで、登録番号は「群馬22 あ 30-81」。

同様のタイプは、渋川駅前では最もよく目にした。

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上と全く同タイプの2ステ・キュービック。登録番号は「群馬22 あ 29-77」。

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同じく2ステのキュービックだが、方向幕がLEDではなく、後ろ扉も折戸式ではなく引戸式になっている。番号は「群馬22 あ 29-31」。

以上3枚は、渋川駅前で撮影しているが、新前橋駅前で撮影したものを1枚。

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メーカーは日野、ブルーリボンの2ステタイプである。登録番号は「群馬22 あ 31-98」。

私の見た限り、これら大型車は渋川駅発では、高崎駅行き・前橋駅行き・伊香保温泉行きにのみ充当されていた。渋川地区では主流はキュービックのようで、ブルーリボンは稀に見かけるだけだった。

また他のサイトを検索したところ、ほぼ全車が他社からの移譲車らしく(2ステ車ばかりだから、それは言えるだろう)、東武からの移譲が殆どとのこと。会社そのものも、東武グループだそうだ。

私が実際に乗ったのは、中型車と小型車で、それらの写真も1枚ずつだがあるので掲載する。

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撮影紀行文で書いた「桜の木」行きのバス。2ステップのレインボーで、見るからにどこかのお古である。これも、東武からの移譲だろう。登録番号は「群馬22 あ 26-68」。年式としては、平成初期のものではないかと思う。

因みに、この車の方向幕巻取器は、番号入力式など難しい機構はついておらず、

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車内、方向幕の右側にこれだけのボタンが付属しているだけだった。単純明快・故障も少なそうで、大変よろしい。と云うか、懐かしい部類に属する。

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小型車は、山間部などの客数の少ない路線に投入されているだけのようで、渋川市内循環のコミュニティバスは、先程触れた「日本中央バス」が独占していたようだ。これは、新車で投入されたものだろう。仕様もノンステになっていて、登録番号も新しい「群馬 200 か ・・63」であった。

中途半端なバスオタクが空いた時間に一寸謁見しただけなので、それほど充実した内容は書けないが、判った範囲内ではこんな感じであった。

これらの他に、首都圏とを結ぶ高速バスも走っていたが、何れも写真に収められなかったので、ここでは割愛させて頂く。

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2009年4月11日 (土)

上越線渋川・水上近辺撮影紀行(4日目)

撮影紀行4日目(4月11日)

普段なら、朝、宿泊先を出てそのまま列車に乗るのが常であるが、今日は珍しく

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この乗り物からスタートする。方向幕が変わっていないが「勝保沢行」と云う関越交通の中型路線バスである。

これに乗って、7分ほどの「下郷」バス停で降りると、すぐの所に有名撮影地の利根川鉄橋があるのだ。

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鉄道雑誌などにも度々載るから、この景色に見覚えのある方もおありなのではと思う。ただここは、上り列車専用の撮影地なので、下り列車を写そうとすると、上の写真のように、殆ど列車が隠れた写真になってしまう。

時間の都合などもあり、結局ここでは2本の列車を撮っただけだった。再びバスに乗り、渋川駅へ戻る。料金は往き・還りともに100円。市内の特別料金区間なのだろう。そう言えば、終点に到着する時に「本日も渋川市代替の関越交通バスにご乗車頂き、有難うございました」との案内放送が入っていた。市町村合併で、そういう路線になっているらしい。

駅で少し休息してから、最後の目的地、新前橋へ向かう。撮影ガイドサイトをいい加減に印刷して持ってきたが、そこまでの道順なども記されておらず、何より、新前橋到着直前に比較的広い畑地を見つけて、そこの方が面白そうなので、そちらへ赴くこととする。

20分弱歩いて、畑地へ辿り着く。それはいいが、誰か所有者のある畑地だから、勝手に押し入る訳にも行かぬ。見渡すと、畑の奥に

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爺ちゃんを見つけ、早速一声掛けさせてもらうと、「ああ、ご自由にどうぞ」と言われる。

畑地と言っても、菜の花あり、ダイコンあり、また花木も色々植わっていて、八重咲きのユキヤナギも目立つ。撮影の題材には事欠かない畑地である。畑の半分くらいをお見せすると

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こんな雰囲気のところだ。

色々撮っていると、知らない内に婆ちゃんも近くにいて、「そんな暑い所で撮っていないで、日陰で撮ればいいのに」と言ってくれる。ご助言は有難いが、場所を移ってしまうと好みの絵ではなくなってしまう。簡単に事情を説明して同じ場所に三脚を立て続けていたが、好意的かつ親切なお方である。

結局1時間半近くもここにいる内、フィルムを使い切り、帰りの電車の時間も近付いて来たので、新前橋駅へ向けて、またテクテク歩き出す。お礼くらい言っておきたかったが、撮影が終わった時にはお二人とも姿が消えていた。

あとは、土日運転の

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この列車(草津32号)で上野へ戻り、東京からは新幹線に乗り継ぐだけである。

撮影に費やした3日間、暑いくらいの好天であったが、雨に降られることを思えばこれぐらいのことは何でもない。

雪に埋もれて歩いたり色々あったが、楽しめたのは僥倖だった。仕事をしていると、3日経つのにももどかしさを感じてしまうことがあるが、好きなことを好きなようにしている時は、感覚も変わってしまうもののようだ。

本当に早い3日間だったな、と新幹線の中でふと思った。

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2009年4月10日 (金)

上越線渋川・水上近辺撮影紀行(3日目)

撮影紀行3日目(4月10日)

昨日は夕方以降何度も足がつるほど歩いた。距離的には大したことはないが、雪道歩行がたたったのだろう。

で、今日は元々ではあるけれど、それほど歩く予定はない。朝もゆっくり起きる。ただ、当初予定より1本早い下り列車で出ることとする。昨日敷島駅で降りて撮影したが、その時に満開の桜を見つけておいた。夕刻では光線状態が悪いので、朝一番でまずここへ向かうことにしたのだ。

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向こうに見えてる桜がお目当て。デジカメでは小さく写っているが、一眼では300mmを使って写しているから、もうちょっとマシに写っている予定である。

下り列車しか写せられないアングルなので、2本の列車を撮っただけでここは辞す。カメラをしまって、歩いてすぐの駅へ戻ると同時に乗ろうとしていた上り列車が入ってきた。3月14日の改正からこの辺りもSuicaが使えるようになっている。私はICOCAしか持っていないが、互換性があるため利用できる。切符を買う手間もなく、入ってきた列車にばっと乗ることが出来た。技術の進歩は有難い。こう云うことに使うなら。

次に向かうのは渋川を通り越した一駅向こうの八木原である。撮影ガイドに載っていた場所がある。尤も、撮影ガイドばかり頼りにしていては自分の撮影が出来ないから、あくまで参考にするだけで、ガイドに載っている場所へ向かう途中でもちょっと足を止めるつもりでいる。

駅を降りて歩き出すと

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こんな石碑が目についた。私が歩いているのは、旧道らしい。宿場町の碑があるとは、この辺りも結構古い歴史があるようだ。私は地誌に興味があるので、こう云った碑などを見るのも結構好きである。

さて、更に歩を進めると

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小川沿いにナズナ(?)か何か、紫色の花が群生している場所を見つけた。昨日からこの花はあちこちで見ているが、列車と共に撮れる位置には咲いていなかったのだ。幸い小川の向こうに線路が見えるから、ここでまず沈没する。

ガイドブックに書いてある撮影地はそれ程面白い絵が撮れる訳でもなく、適当に済ます。それはいいが、先程から足元に大変気になるものが生えている。

これ↓

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土筆の何がそう気になるかという方もおられようが、私は土筆の卵とじが大好物なのだ。今や悲しいかな名古屋では土筆さえ見ることが出来なくなった。それで、春に撮影に来ると、ことある度に土筆を採って実家に送っている。自分では調理できないので、母に送り、帰ったあとで卵とじとしていただくのだ。母も土筆は好物なので、この時ばかりは実家で夕餉を共にする。そんな次第で、暫し撮影は休止し、土筆取りに精を出す。

時刻表にない時間に向こうの踏切が鳴り出したので、ん?と思ったら、昨日工臨を牽いたEF641001(茶塗装)が、単機で回送していった。ちょっと残念。

農作業(?)を終了し、再び撮影体制に入る。ちょうど土筆の生えているすぐ向こうに

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こんな撮影小道具が生えていたのだ。これを前景に何本か列車を撮る。春だな、と嬉しい。いや、真実を言えば、ちょっと今日は春を通り越した気温で暑いのだけれど。でも、雨に降られて寒い思いをするよりは余程良い。

15分ほど歩いて駅に戻る。少し列車までに時間があるので、小さな駅の待合室の光景などを適当に撮る。改札の駅員さんののんびりした表情が良かったので、1枚撮らせてくださいと頼むと「うわっ、私はそういうの、苦手でして」と言って、事務室の奥まで逃げていってしまった。仕方ないので、デジでコソッと撮った一枚だけをここに載せておこう。

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これなら顔もそう判らないでしょ。

再びICOCAでピッと入って、渋川駅に戻る。これからが、今日のメインだ。

津久田と岩本の両駅間にいい橋があり、これを俯瞰撮影できるのだ。昨日のように「急斜面を登る」ようなこともしなくていいと、撮影ガイドに書いてある。但し、駅から撮影地へ行ける道路橋がないから、渋川駅から関越交通バスに乗るといいと書いてある。

一日に

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これだけの本数しかないバスだが、時間を合わせれば十分活用できる。で、これに乗っていく。来たバスは

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ちょっと欲張ったため、うまく撮れていないが、中型バスである。これに20分ほど揺られることになる。撮影ガイドに書いてある

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このバス停で降りる。客は、始発から降りるまで私一人であった。

この撮影地は、撮影ガイドにある通り、ちゃんと道路から撮影でき、それもご親切に「国道からも撮れるが交通量が多く危険なので、川岸へ下りる道の途中から撮るのが良い」とまで書いてあり、その通りの道が存在した。私はその道が分岐したすぐの、国道の歩道の終端に残っている歩道の延長のような部分に三脚を構えたが、何れにせよこうしてきちんと書いてくれれば、ガイドブックも役に立つ。昨日のような、出鱈目ガイドはご免だ。撮影ガイドを出す会社も、本を出す限りは、一度現地の状況をきちんと見てから掲載するべきだと思う。

さて、説教はいいとして、ここは本当にいい撮影地だった。なので、敢えて今日はアップしない。何れ撮影結果ご報告の機会があると思うので、それまで内緒にしておく。ただ折角なので、ここから俯瞰できる別の方角の写真を載せておこうと思う。

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小さい写真なのでお判りになり難いかと思うが、向こうを湘南カラーの電車が走っているのがご覧頂けるだろうか。まあ、こんな感じの撮影地なのである。

17時少し前の列車までここで粘り、バスは17時32分までないので、バス停のベンチに体を預ける。

やっとバスが来て乗り込むと、また客は私だけである。運転手氏が「鉄道、撮って来られたんですか」と聞かれる。やはり有名ポイントらしい。「今日はSL走ったっけな」と言われるので、別にSL目的ではない旨を伝える。朝の敷島駅近くでも、同じことを通りがかりのお婆さんに聞かれた。

「SL奥利根号」で有名な地とはいえ、鉄道を撮る人間は何でもSLのために来ると思われるのは少し残念な気がする。私はいつも口癖のように言っているが「普段着の鉄道」が好きなのだ。工臨や甲種回送、SLばかりが鉄道写真ではない。勿論それらを否定はしない。珍しい列車を撮れれば私だって嬉しくは思う。

でも、鉄道写真=SLのような単純な考えは、出来るだけ控えてほしい。と、自分のブログで訴えておこう。

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2009年4月 9日 (木)

上越線渋川・水上近辺撮影紀行(1・2日目)

1日目(4月8日)

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桜花爛漫の候、との言葉があるかどうか知らないが、何しろこんな良い時期に撮影旅行に出られることを幸せに思う。(因みのこの写真は、往きの新幹線から撮った。)

朝一番から15時前の勤務を終えて、家で一休みしてから出発する。尤も、1日目は撮影地付近の宿まで行くだけだ。

自宅からバスで地下鉄駅まで出ると、駅で営業所長が「放置自転車撲滅」のポケットティッシュを配っていた。何で旅行に出てまで所長の顔を拝まねばならぬのだ。

ともあれ、地下鉄・JR中央線・新幹線と乗り継いで、夕餉時に東京へ着く。上越線列車の始発駅・上野へ向かう途中で夕食を済ます。上野からは

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これで終点の高崎まで。国鉄然とした方向幕が嬉しい。更に高崎からは

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この鈍行列車で宿泊地の渋川へ向かう。それにしても、この方向幕のローマ字の長さは、ちょっと特筆に値するような気がする。

渋川には予定より少し遅れた22時06分頃着。早速宿へ向かうが、道を間違えて宿が見つからず、知らない夜道を10分近く彷徨ってしまった。宿へ入ると、一方的にフロントは閉められており、「チェックインの済んでいない方は、キーに書かれた名前をご確認の上、自由に部屋へお入りください」と私の名前の貼られたルームキーが置いてあった。おおらかと言うか、ぞんざいと言うか……。

2日目(4月9日)

旅行へ出ると寝坊ばかりの私だが、列車本数の少ない地域へ赴くので、珍しく6時台に起きる。渋川7時35分の水上行きで、終点まで。ガラガラの車内を想像していたが、115系の6連で、車内は高校生で一杯だった。座るのがやっと。高校生らは、沼田と後閑で全て降りた。

水上から長岡行きに乗り継ぎ、まずの目的地は

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↑ここ。乗車券も名古屋からここまでのものにしてある。駅から歩いて30分ほどの所に、まずまずの撮影地がある。真冬にそこへ来たら、途中から除雪されていなくて、撮影地に辿り着けない情けない思い出を残した地だ。そのリベンジという訳。だが、4月の上越国境を甘く見てはいけなかった。撮影予定地へ行くと

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途中からこう云う状態だったのだ。然し、そう何度も同じ所へ来たくないし、雪はかなり溶けているから、何とか撮影地まで入れそうだ……でも、普通のスニーカーしか履いてない身には辛かった。息が上がるくらい大変な思いをして、やっと三脚を構える。

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日頃の運動不足もたたっているが、それにしても4月の本州で、ここまでの状態になるとは想像していなかった。読みが甘い。

下り普通列車と上り貨物を撮っただけで、半日が過ぎる。

12時15分の上り水上行きでここを去り、水上でまた乗り換えて、今度は一駅だけ乗った上牧で降りる。撮影地ガイドにいい場所があると書いてあったのだ。

ところが、20分歩いて辿り着いた「撮影地」は山の急斜面を登っていかなければならない。ガイド本には「小高い丘を登れば撮影地」とあるが、そんな甘っちょろいものではない。途中まで登ってみたが、坂がきつく危険だ。それに登りは出来ても、降りる時に降りれない恐れがある。電柱に登った猫と同じ状態になる恐れがあるのだ。結局ここは諦め、少し戻った所から、民家の土蔵の裏を過ぎて線路へ登れるケモノ道を見つけ、ここから線路へ上がってみることとする。

線路際から勝手に撮るのは危険だから、上下線がたまたま離れているのをいいことに、その隙間から撮ることにした。景色としては

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こんな感じになる。ここはトンネルの入り口のちょっとした丘を登ったところ。具体的には

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写真のフェンスのある所から三脚を構えた。線路を横断したのは我乍ら褒められないが、ここで三脚なら、お叱りには至らないだろう。1時間ほどで辞す。

戻る途中で、薬師如来堂の看板を見つける。

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奥のお墓のようなのが薬師様のお堂らしい。こう云うところでは、薬師様も大切に祀っている。好感が持てるし、いい気分になる。

午前の雪道歩行と、ここまでの歩行でかなりクタクタになりながら、上牧の駅へ戻る。

今日は敷島駅で降りて、まだ、もう一箇所撮影を予定している。既に16時近いが、日が長いので頑張って「もう一箇所」に行くこととする。この敷島駅から徒歩20分の撮影地は、大した場所でもなかったので割愛するが、カメラを構えていたら同業者らしきが車を横で止めて「今日は何か特別な列車とか、回送とかがあるんですか?」と聞かれる。先程、土樽駅で保線工事をしていた人があり、その人に尋ねたところでは18時過ぎに工臨があるだけだとのこと。その旨を伝えると、「何だ」という顔をしてその人は立ち去った。

18時過ぎの列車で、渋川へ戻ってくる。

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私にしてはかなり歩いたので、疲れた。ヤレヤレである。

投宿し、今度こそちゃんと宿泊料を払い、荷を解いてから夕餉に出る。

喉がカラカラだ。食堂で早速ビールを注文したが、誰に頼まれたわけでもないのに一杯目のビールは一気飲みになってしまった。如何に喉が乾いていたかがお判り頂けるだろう。と共に、如何に普段、運動不足かなのかも。

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2009年4月 7日 (火)

ある新車のビフォー・アフター

ここのところ、仕事に関連する記事ばかりですな。まあ、逆に言えばそれだけ話題があるということであり、活気があるということでもあると思う。

で、今日の話題なのだが。

今年の1月6日に、昨年末に納入されたばかりの新車に乗務できた旨を書いた。その中で、車内確認用ミラーが試験的にワイドミラーになっている車であることも書いた。ワイドと言うより超ワイドくらいの広い範囲が見えてしまうミラーで、ちょっと慣れない所為もあって見難いなと思っていた。じっと見ていると、魚眼レンズでも覗いている様で、目が回ってしまいかねない、そんなワイドミラーである。

ゴタゴタ言っておらずに、実映像をご覧頂こう。

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前扉直後の、俗称「オタク席」まで写ってしまっているのがお判り頂けると思う(これが「ビフォー」)。

ところが、同じ車に3月31日に乗務したら(こっちは「アフター」)

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見え具合がこうなっていた。つまり、従来の車と同じ、標準ミラーに取り替えられていた。

先程書いたように、納入されたのが昨年末だから、僅か3ヶ月あまりで標準ミラーに取り替えられたことになる。

納入された時の説明では、昨年度納入された1次納車分のうち、各車庫とも1両を、試験的にあのワイドミラー装着車にすることになったと聞いた。それが、3ヶ月で従来品に変えられたとは、余程、視認性に問題があったとしか考えられない。

そもそも私たちの職場はここ2年ばかりは単年度黒字を出しているが、過去の累積赤字が財政を圧迫しており、何か改良を要求しても(それが安全に関する極めて重要なことであっても)二言目には「莫大な資金がかかるから改良は出来ない」と突っぱね続けてきた職場である。そんな職場が、たった3ヶ月で見切りを付けたワイドミラー、かなりの事故か問題があったと考えるのが妥当だろう。

私自身、あのミラーで営業運転中、ある停留所で降車客が降り切ったと思って「扉を閉めまーす」と言ったら、若い女の子に「あ、済みません、降ります、降ります」と後部の席から中央の出口へ駆け寄らせてしまったことがある。後部の席は極めて小さくしか見えなくてお客の動きが判らない上、湾曲したミラーでは距離感が殆どつかめないのだ。これは、危ないなと思っていた。

あれだけ、安全に対する改良さえ拒んだ職場が、たった3ヶ月でミラーを取り替えた真相を私は知らない。でも、どうしたって何らかの大きな問題があったのだろうと想像してしまう。

理由は何でもいい。何しろ乗務員から確認し難い湾曲したミラーは、ノーとの答えが出たのだ。多分、私の職場では二度と陽の目を見ることはないだろう。

以前、ワイパーの拭き残しのことでも、安全が最優先だと私はここで訴えた。ワイドミラーも、安全を考えれば変に試験的に取り付け続けられるよりは、とっとと取り替えて頂いた方がよろしい。

今回だけは、我が職場を褒めて遣わす(随分と威張ってるね、このライター)。

***

ところで、明日の仕事終了後から11日まで、上越線の渋川・水上付近を撮りに出かける。泊まるホテルの部屋にLANケーブルがあれば、前回の姫路の旅行のように旅先から記事が書けるが、ケーブルの有無がはっきりしないので、記事が全く更新されなければケーブルのない宿だったと思って、11日まで記事の更新は諦めて下され。

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2009年4月 5日 (日)

サクラサク

この2~3日の暖かさで名古屋の桜も満開に近くなった。一部ではもう満開になっている。

ちょっと古い映像だが、職場のバスを桜と共に写したものがあるので、アップしようと思う。撮影は何れも、1998年(平成10年)の4月である。この年の5月6日から、系統番号の付与方法が変更になっている。

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88号系統(現・星丘11号系統)を走る、今はなきH-569号車。この車は案内放送がテープによる、古いタイプの車だ。(平和公園付近にて)

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同じく88号系統(現・同上)を走る、これも今はなきH-652号車(マンガバス)。(平和公園南付近にて)

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こちらは、路線の方が現在ない。65号系統支線の「東山公園事務局前」行き。尚、65号系統のこの支線は星丘13号系統の支線として引き継がれたが、2004年(平成16年)10月に路線廃止となっている。一方、65号系統本線と循環支線は、現在も幹星丘2号系統としてそのまま引き継がれている。走行車両は、廃車延長で何とか今も生き残っているH-768号車。(西山小学校付近にて)

私たちの職場の路線は、比較的桜の花が咲く地域を通っているものが多い。束の間だが、目の保養になって私自身は大変嬉しく思っている。

ネガが見当たらなかったので、プリントからスキャニングしている。多少見苦しい画像であることをお許しくだされ。

桜の花で、N市のTさんにコラボさせて頂きました。

※追記訂正 バス車両H-768について、「廃車延長で生き残った」と記しましたが、この車は3月末で廃車になっておりました。お詫びして訂正します。

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2009年4月 3日 (金)

アクセルロック機構

ここのところ、自分の仕事に関するような話題続きだけれど、まあ、そう云うこともあっていいじゃんと一方的に話を進めさせて頂く。

バスに興味が薄い方には、何のことやら判らない話題かも知れないので予め申し上げておくと、車両のドアが開いている間、安全のためにアクセルが踏み込めないようにする装置の話である。

これは、観光・高速仕様のバスにしか乗務経験の無い方だと、ご存じないかも知れない。と云うのは、前扉の他に中扉或いは後扉が装備されたバスにしか一般的にはアクセルロックはないからだ。前扉を閉め忘れて走り出してしまう乗務員は少ないと思うけれど、私のようにおっちょこちょいな乗務員だと、後ろ側の扉を閉め忘れて発車してしまう可能性がある。それだけならばまだ良いが、開いたままの扉から乗客が放り出される恐れだって十分にある。そんな事故を防ぐための有難い装置の話なのだ。

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バスの車種によって、アクセルを踏めなくする---即ちアクセルロックの機構は多少の差異がある。一例ということで、これは日野のブルーリボンシティ低床車に付けられているアクセルロック。矢印が指している銀色の金属のパイプみたいな奴が、アクセルを踏めないように床下から上方向に圧力を加える。前扉以外のドアが開いている時は、これの圧力でアクセルが踏めないから、発車することも当然叶わない。

この車種では、この銀色のパイプは常にアクセルと一緒に踏み込まれる仕組みだが、アクセルロックしたい時だけ床下から同様なものがぴょこんと飛び出てくるタイプの車もある。

どの車種にしても、アクセルを踏み込むのを妨害する装置は、ドアやブレーキと同じエアタンクに溜められた空気圧に頼って作動する。だから、空気圧が十分に溜まっていない時は、アクセルロックも働かない。ただ、空気圧が溜まっていないのに発車しようとすると、どの車種でもブレーキや自動扉開閉に支障があるので、パーキングブレーキを外した時点で大きな警告ブザーが鳴る仕組みになっている。どちらにしても、空気圧が正常範囲内にないと、運行は出来ない訳だ。

開いていた後ろの扉が完全に閉まり切ると、路線バスでは運転席の方で「コトン」とか「カチャッ」と云うような音が聞こえる筈だ。これは、空気圧がアクセルロック装置から抜けて、アクセルをロックしていた装置が解除された時の音なのである。

ダイヤが遅れ気味になって急いでいる時には、このアクセルロックが外れるのさえ、もどかしく思えることがある。特に私たちの職場では、初期の低床車には後ろ扉にもグライドスライドドアが採用された。

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これもブルーリボンシティの写真だけれど、この「グライドスライドドア」は開閉に時間がかかるという難点がある。勢いよく開閉してお客を挟んで怪我をさせる危険性は少なくなるが、今書いたように、一刻も早く発車したい時には、ちょっとイラついてしまうこともある。私たちの職場のバスが、初期車だけグライドスライドドアになっていたのには別の事情もあるが、話すと長くなるからここでは端折る。

ところで、Allison社製のトルコンを採用したJバスブランドの車では、アイドリングストップをした際にもアクセルロックがかかるようになっている(ふそうのトルコン車が私の車庫には在籍しないので、Allison社製なのかどうか判らない。その点はゴメンナサイ)。アイドリングストップ時にはエンジンを始動して完全に発車体制が整わないと、アクセルロックは外れない。完全にエンジンがかかり切らない内にブレーキペダルから足を離すと、これまた「ピピピピピ……」と警告音が鳴る。私はこの警告音が耳障りで、余計、バスのトルコン車が嫌いなのだ。

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これは、MT車で言うなら、チェンジギアがある部分の写真。後部扉と共通だが、アクセルロックがかかっている時は、右側の赤い表示灯が点灯している。読み辛いが、赤い表示灯に「インターロック」と書かれているのがお判り頂けるだろうか。この表示灯が点灯している限り、Allison社製のトルコン車ではアクセルが踏み込めないことになる。ZFのトルコン(UDなどが採用している)では、トルコンのセレクトスイッチが押しボタン式になっていて、この表示灯もない。エンジン始動と同時にアクセルが踏めるようになっているから、その点に限ってはZFの方が私の好みに合う。

少々専門的なことも書いてしまったが、安全のために、一般のお客なら知らない機構が結構あるものである。

尚、先程書き忘れだが、前扉は原則として開いていてもアクセルロックしないようになっている車が多い。特に観光バスなどでは、バックの際にガイドさんの誘導の笛が聞きづらいからとて、前扉を開けて車を動かすこともある。原則的に、前扉以外の扉が開いている時の安全装置だと思って下され。

また、扉故障など緊急の場合のために、このアクセルロック自体を解除する緊急レバーがあることも付記しておこう。

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2009年4月 2日 (木)

Tacoバス

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先月、明石・姫路方面を撮影に出掛けた際に見かけた、Tacoバス。明石市の地域コミュニティバスのようだ。これは、土山駅前で撮影したもの。バスの仕事をしている癖に、あまりバスの種類やネーミングを知らないが、これは日野のリエッセ・低床版だと思う。

明石海峡付近といえば良質の鯛が釣れることで有名であるが、タコを差し置く訳には行かないようで、Taco(たこ)バスのネーミングもそれに由来しているらしい。バスの正面にもタコらしき絵が描いてある。いや、「らしき」ではない。ちゃんと見てきたが、タコの絵だった。

明石市内は、東西方向にJR山陽本線と山陽電鉄線が走っているが、南北を結ぶルートがない。また、両者が走る隙間に、病院や地域コミュニティセンター、ショッピングセンターなどが散在しているらしい。それで、こんな「今時バス」が走るようになったもののようだ。

路線図にまで気が回らなかったので撮影していないが、この写真を撮る前に降りた魚住駅前でも見かけた。結構あちこちに路線網を張り巡らせているらしい。先程この記事を書く前に少しだけネットで見ておいたが、現在16路線があるとのこと。こんな言い方は失礼かも知れないが、明石市の規模を考えると結構充実した路線数だと思う。

また、時刻表の写真も気が回らなかったので撮影していないが(色々と気の回らない奴だね、このブログのライターは)、路線によっては昼間時だけだが20分間隔で運行している路線もあった。小型バスの運行によって、それだけ活性化が見込まれるからこその本数なのだろう。コミュニティバスとしては奮闘している部類だと思う。それに、明石市は神戸や姫路に挟まれて発展の著しい地域でもある。それもバスの本数を増やしている要因だと思う。

写真の小型バスの後ろに、ワゴン車が一部写っているのがお判り頂けるだろうか。こちらも、塗装からお判りのようにTacoバスの仲間らしい。何でも「Tacoバスミニ」と呼ぶのだそうで。狭窄路や需要の少ない地域で威力を発揮できそうだ。

市営、もしくは大手路線バスを古くから見ている者からすると、バスは大型車が当たり前のように思ってしまう。小型バスやマイクロバスは、企業の送迎バスなどに使われるものとの固定観念が抜け切らない。

でも、自身がハンドルを握る者として、いい加減この観念は捨てなければいけない時代になって来ている。私たちの市でも「地域巡回バス」の名で、全く同様のバスを走らせている。それどころか稀にではあるが、自身がそのハンドルを握ることさえあるのだ。バス復権が叫ばれて久しいけれど、小さな需要を見過ごさない眼力が大変重要だなと改めて思ってしまう。赤字必至であるから、行政サイドの応援も勿論大変重要な要素ではあろう。

あ、そうそう、このTacoバスには、車体に「明石市/山陽電鉄」との標記が必ずあった。山陽電鉄が運行委託をされているようだ。

小さなバスから明るい未来が発信されればいいが。交通弱者の手助けだって、私たちの仕事の一環なのだ。Tacoバスの成功をお祈りする次第である。

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2009年4月 1日 (水)

組移動

Dscn

3月20日に、確か名古屋ではサクラの開花宣言があったと思うのだが、それから3日ほどで寒気が逆戻りしてしまい、昨日まで暖かいとは言い難い日々が続いた。でも、今日は久し振りに穏やかになった。昼過ぎから、また風が吹き始めて小寒いけれど、この程度なら許せるかな、と云う程度の寒さである。4月になったのだから、もうそろそろ冬の真似事はお止め頂きたいと思う。

まあ、そんな訳で、何しろ4月になった。

少し話が「4月」から外れていくが(いいのだ、後からちゃんと繋げるから)、私達の職場では、乗務員は6つの班に分けられている。班の人数は出来る限り均等になるように割り付けられている。

これは、私達の勤務体形が6つあることに起因している。

午後から出勤して終バスの23時過ぎに終わる勤務、同様に午後から出勤して21時前後に終わる勤務、そしてよく書く「ラッシュ時だけハンドルを握る」中憩勤務、朝早くから出勤して16時頃に終わる勤務、同様に朝早くから出勤して14~15時で終われる勤務、それに公休日、以上の6つである(公休日も一つの勤務として考えて頂いた方が理解し易いと思う。また、勤務時間はあくまで基本的なもので例外も数多い)。公休日の翌日は遅い方の勤務から始まり、1日ずつ早い方の勤務へとシフトしていく。最初に書いた、終バスまでの勤務を「1号勤務」、次に書いた21時前後に終わる勤務を「2号勤務」、以下説明順に「3号」「4号」と続いて、公休日前が「5号勤務」、そして公休日(6号勤務)の6日サイクルで仕事が回っている。

例えばだが、今日は1班が1号勤務、2班が2号勤務……となっていれば、翌日は1班が2号勤務、2班が3号勤務……と移行していく。勤務の割付のために、6つの班に均等な人数が分けられているということだ。

この班のことを、私達の職場では「組」と呼ぶ。つまり乗務員には1組から6組まである。

私は、14年ほど前に現在の営業所に異動して以来、ずっと同じ組にいた。異動する際に、もう一つ隣の組を希望していたのだが、労組支部間の連絡がうまくいっていなかったために、希望の隣の組に配属されてしまった。でも、住めば都で何となくその組に馴染んでしまい、ずっとその組にいた。ただ、飲み仲間が本来希望していた組に集中しているから、移りたいなあと思いながら、結局ダラダラ14年間過ごしてしまった。

ところが、今日から一つの営業所を他の会社に委託化することになっており、そのために結構大きな規模で乗務員の人事異動があった。このことは、昨年12月14日の記事「配転騒動」にも書いたのでご覧頂ければと思う。この異動に合わせて、現車庫に残る者のうち、組を移動したい者は、ご自由にどうぞということが1月末に募られた。自分が気に入っている組にいるならば別段移動する必要はないが、私のようにずっと移りたいなと考えていた者にはチャンスである。飲み仲間が「こっちの組へおいでよ」と誘ってくれたこともあり、私はとうとう14年間お世話になった組から移ることに決めたのである。

組移動は人事異動に合わせるので、新年度の今日から私は「今まで居た組の隣の組」へ移った。

私達の仕事は一人一人が社長のようなもので、個別に仕事をしている。でも、同じ組にいれば、公休日も同じになるから、飲んだりする仲間と同じ組なら何かと都合が良い。また、同じ組同士なら勤務時間がほぼ同じだから、仕事中でも顔を合わせる機会が多い。勤務の合間に休憩室で雑談するメンバーが気の合った仲間なら、より仕事もし易い。6つの組があれば、それぞれの組で、構成員の似通った性格が滲み出てくる。大人しい組もあれば、気性の荒っぽい組も出来てくる。個別の仕事ではあっても、自分の属する組は結構色々な面で重要なのだ。

えーと、随分ご説明が長くなったが、私が移った組は極めて大人しい組である。「大人しい」ことで結束しているような、面白い組である。また、今回の組移動で、私を初めとして多くの「鉄」がこの組に集結した。大変居心地は良さそうである。

折角の節目なので、たまには、これくらいのスパイスがあってもよかろう。気の合う仲間と、大人しくチョボチョボと仕事させて貰えれば、私はそれで十分である。鼻息の荒いお方と毎日顔をつき合わせてイライラするよりは、遥かに健康的な日々が送れる筈である。そんな「これから」を大いに期待している。

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