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2009年3月17日 (火)

「富士ぶさ」廃止に寄せて~思い出とその功徳

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この写真は、まだ「富士」号が単独で走っていた時のもの。有名な「大船の大カーブ」で2004年8月に撮影している。

さて、鉄道ファン諸氏に今更語るまでもないが、3月14日のダイヤ改正で「富士・はやぶさ」号が廃止となり、本州~九州の寝台夜行列車の歴史に幕が降ろされた。廃止当日の映像などは他の方々にお譲りするとして、私なりのブルートレインの思い出を書こうと思う。

私が初めて本州を離れたのは、1979年4月、九州は長崎の友人宅を訪れた時である。当時は名古屋から長崎に行くのに、「さくら」と「みずほ」の2つのブルトレ選択肢があった。で、たまたまではあるけれど、往路は「みずほ」、復路は「さくら」に乗った。その春から高校に進学する私にとって、初めての夜行列車であり、初めての寝台車でもあった。まだ14系客車が3段式寝台の頃で、頭がすぐつかえてしまう狭さは忘れられない。でも、寝台幅は70cmあり、上下のことを考えると横は随分広々しているなと思った覚えがある。

その次に寝台列車に乗ったのは、もう高校卒業直後の1982年3月、「初めての北海道」の時になる。往路は「日本海」、復路はブルートレインではなく電車寝台の「ゆうづる」に乗った。これも色々思い出はあるが、北帰行の列車は今も残っているからちょっと割愛させて頂こう。

大学生になってある程度のアルバイトなどもするようになると、親から貰う小遣いよりは遥かに額が違うから、鉄っちゃんとして色々な寝台列車に乗った。東北方面では「はくつる」や「天の川」など。特に「天の川」は急行列車で、使われていた車両も20系と呼ばれる昭和30年代にデビューした車両である。寝台幅も52cmと狭かったが、これはもう判ってわざと乗っているから、狭いことに関して文句は言わない。寧ろ、登場当時には「動くビジネスホテル」とさえ呼ばれた車両に乗れたことを、貴重な体験として記憶に留めておくべきだろう。20系客車に乗ったのは、この時1回きりだと記憶している。

ところで52cm寝台と言えば、ブルトレからはちょっと話が外れるが、鈍行夜行列車「山陰」に乗ったことも忘れられない。自由座席車には高校2年の夏に乗っているが、わざわざ寝台券を確保して大学2年のGWに乗っている。当時、殆ど電化されていない山陰本線を行く同列車は、DD51型ディーゼル機関車に牽かれて、ごっとんごっとんと誠に呑気な旅路であった。時折漏れ聞こえる「ピョーッ」という汽笛も忘れられない。

ブルトレに話を戻すとして。

大学時代に乗った列車は、大阪始発の列車が多かったと思う。これは、東京始発の列車だと新幹線との乗り継ぎ割引が利かない、との理由が一番であった。当時、新幹線の自由席特急券は隣駅同士だと800円との特別料金だった(今でも消費税分が加算されているだけの額だが)。これに、大阪始発の寝台列車の割引特急料金を合算すると、東京始発の寝台列車に乗るより安価に乗れるのである。この方法で「なは」や「あかつき」などに乗った。九州新幹線開業前の「なは」は西鹿児島(現在の鹿児島中央)まで行ってくれたから、重宝な列車であった。

私は大学生を1年余分にやったこともあって、就職と同時に国鉄がJRになった。民営化と共にどんどんブルートレインは切り捨てられていく運命にある訳だが、何しろお給金が貰える様になって、あれこれ乗り回すようになった。上野始発で秋田止まりの「出羽」なんて列車も乗った。青函航路廃止直前には「あけぼの」で青森まで行ったりもした。肝心な九州方面では「あさかぜ」に初めて乗ったのが、結構のちになってからだと思う。「はやぶさ」や「富士」にしても、今の職場へ入ってから乗ったと思う。お給金を頂ける様になったから、もう大阪始発にわざわざ乗る必要はなくなったのだ。

今の職場へ入った頃から、単にB寝台では満足できなくなって、個室寝台を多用するようになった。時代的にも、個室寝台車が多くの列車に連結されるようになってきたと思う。さいぜん書いた「なは」「あかつき」「富士」は何れも最後の乗車は個室寝台だった。昨年10月に「はやぶさ」の最後の乗車をしているが、これは自分の休みが世間の3連休と重なってしまい、残念ながらB寝台の下段が精一杯だった。

思い返すと、色々な列車に乗ったものだなと思う。特に九州へ行く時は、必ずブルトレで九州入りしていた。新幹線はあまり好まぬけれど、これから九州へ行く時は、どんな手段を使おうか。今は考えがまとまらない。

ところでタイトルには「廃止の功徳」とも書いた。それは、このブログに関してのみの話である。

ブログのサイドバーに「検索フレーズランキング」をつけているが、3月14日を以って、検索フレーズから「鹿児島本線 撮影地」とか「はやぶさ 上り 撮影地」などの文字がふっつり消えた。当たり前といえば当たり前でもあるが、こんなブログが撮影地検索のお役に立ったのかなぁ。以前の記事にもはっきりと「撮影地ガイドじゃないですよ」と書いておいたのだが……。

尚、内容はかなりかけ外れましたが、vanagon714さんにちょっとだけコラボさせて頂きました。

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コメント

コラボありがとうございます。
ロビーカー付の長編成「富士」ですね。
くどいようですが本当に廃止なんですね・・・残念

14系3段寝台、懐かしいお話ですね~
私も初めての寝台が「日本海」のナハネ20の3段でした。
修学旅行のときは「ゆうづる」のオハネ24の3段寝台上段でした。
往路の「ゆうづる」は台風で常磐線普通となり、仙台で運転打ち切り
485系ひばりに乗り継いで上野を目指しました。
ハプニングでしたが485に乗れてちょっとラッキーでした。

関西に就職した頃(83年)には2段寝台が主流になってました。
札幌までの里帰りは3パターンあって、
①日本海+青函連絡船+北斗
②ドリーム号+羽田から飛行機
③伊丹から飛行機
という感じでした。
日本海には何度もお世話になりました。
昔、20系に乗ったときには父と何度もとなりの食堂車に行きましたが
2段寝台になってからは食堂も車内販売も無くずいぶんだなあと思ったものです。
今、関西から帰省するなら「トワイライト」とか「北斗星」を使えば良いかもしれませんね。

子供の頃には寝台特急ブルートレインが北海道には無いと嘆いておりましたが
今では一番贅沢な部類の寝台特急が運転されております。
北海道新幹線が開業の折にはこれらの寝台特急も廃止になるのでしょうね。
やはり乗れるうちに乗って、撮れるうちに撮っておきたいものですね。


投稿: vanagon714 | 2009年3月17日 (火) 23時45分

とうとうN市にブルトレが来なくなりましたね。
20年前にN市に引越しして来た時はたくさん走っていたのですが、淋しくなりました。
コラボしましたのでご覧下さい。

投稿: N市のT | 2009年3月18日 (水) 12時32分

>vanagon714さんへ
本当に終わってしまいましたね。何か、これを書こうとしたら、突然涙が出てきてしまいました。

北海道へ赴く寝台列車があれだけの盛況ぶりなのだから、九州行きももっと豪華編成にすれば復権可能ではないかと考えていた矢先の出来事でした。
やはり、食堂車がないというのは、魅力を一つ減らしている要因だったと思います。私もTWLや北斗星乗車の時は、多少無理してでも食堂車を予約します。その方が「長距離列車」の雰囲気を味わえますし、宮脇俊三さんの嘗ての著書にあったように「ガタゴト揺れるレストランなぞ、そうあるまい」と思うからです。楽しいじゃないですか。旅に出た感触が湧くじゃないですか。

結局のところは、民営化されたことによって「儲け主義」に走って得た結論だと思います。利用者のことを考えないで、単に電卓を叩いた結果が今回の事態になってしまったのだと思います。

でも、現実になくなってしまった訳ですから、どうこう言ってももう仕方ありませんよね。せめて、思い出を語り継ぐことで、私達の心の中からは九州ブルトレを消さないようにしましょう。

vanagon714さんは、初め、大阪に就職されたのですね。「日本海」は、さぞや貴重な列車だったことでしょう。私も渡道の際は、敦賀まで「しらさぎ」で出て、日本海に乗り継ぐパターンをよくやります。今は函館直通運用がなくなってしまって、ちょっと残念ですが。
言われる通り、「ある内に乗っておく」ことに、これからは徹しようと思います。多少手元が不如意になってでも、渡道の機会を増やそうと思う今日この頃です。

投稿: vanagon714さんへ | 2009年3月19日 (木) 01時04分

>N市のTさんへ
20年前なら、まだまだ「さくら」「みずほ」「はやぶさ」「富士」「あさかぜ」「出雲」「瀬戸」と豪華メンバーが残っていた頃ではと思います。「出雲」は2本あった時期だったと思います。

そう言えば、名古屋に止まらない「瀬戸」のヘッドマークが撮りたくて、わざわざ静岡に行ったことを思い出しました。

サンライズとして残ってはいますが、名古屋には止まってくれないから(その癖、配置は大垣区なのだから、よく意味が判りません)無意味ですね。要するに……なくなっちゃったんですよね。

出るのは溜息ばかりなり、です。

投稿: N市のTさんへ | 2009年3月19日 (木) 01時26分

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