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2009年3月

2009年3月29日 (日)

姫路貨物ターミナル

先日の『山陽本線姫路近辺撮影結果報告』で、後日別掲すると書いた姫路貨物ターミナルのことを書こうと思う。

撮影紀行でも触れたように、場所としてはJR西日本の「ひめじ別所駅」に隣接した形である。ただ、ひめじ別所駅の同ターミナル駅側には網の目の細かいフェンスが貼り付けられていて、旅客駅側から貨物ターミナルの様子は殆ど写すことが出来ない。

一方、外から見ようとすると、背丈は低いけれどフェンスが付近に張り巡らせてあり、これまた何とも中の様子は伺い難い。

そんな悪条件なので、望遠レンズなどを駆使して撮影してある。お粗末な映像に輪をかけているが、ご容赦頂きたい。

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駅東側(上り方)から望遠レンズで覗き込んだ着発荷役線。EF210(1076レ)が運転停車している横へEF200(2090レ)が入ってきた。2090レの方は、荷扱いがあると時刻表には書いてある。

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後から入ってきて荷扱いをした2090レが先に発車する。EF200も塗装の更新が進んでいるようだ。

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時刻表では2090レの4分後と云うことになっているが、本線の支障からか更に2分ほど遅れて、運転停車していた1076レが発車していく。それ程大きな貨物ターミナルではないが、ここで列車の追い抜きがあるとは面白い。

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少し歩いて、ターミナル駅南側にあるトラックの出入り口へ行ってみる。「JRF」のコンテナを2台積んで待機している大型トラックを脇目に、化学薬品と思われるタンクコンテナを積んだトレーラーが荷役線の方へ向けて進入していった。5分ほどここにいたけれど、車の出入りは結構あるようであった。

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ひめじ別所駅の跨線橋からターミナルを覗き見る。右手前に見えているのはひめじ別所駅の旅客ホームで、その向こうが貨物ターミナルになる。フェンスに近い側の線は、単に待機線らしく、こちら側に停車した列車からコンテナの荷役はできない。先程の1076レもこちら側に停車していた。一方、その左隣の線は荷役線として機能できるのが、この写真からもお判り頂けると思う。2090レが停まっている間、コンテナリフトの動く音が私の待機している場所まで聞こえていた。

タンクコンテナの並ぶ更に左側に、小さくコンテナ列車の姿が見えるが、これは1078レの後部部分で、あそこの線でも荷扱いが出来るようになっている。

撮影条件が悪かったので、あまり面白い映像はご紹介できなかったが、姫路駅の2駅上り方に、こんなターミナル駅があることを覚えておいて頂ければ何かのお役に立つかも知れない。

簡単ではあるが本日の記事は是にて了。

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2009年3月28日 (土)

苦手ごと色々あれど

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拙ブログの昨年12月26日の記事、「魚澄庵炊事乃次第」で、私が厨房に立つ機会は殆どない話を書いた。だが元来ズボラで何も覚えようとしない私のことゆえ、家事に関しては他にも苦手なことがかなり色々ある。

その筆頭格が、「アイロンがけ」である。

私が休日に着るカッターシャツ類は、8割方、ノーアイロンで済むものを買ってきている。ところが仕事着、即ち制服のカッターシャツ(夏だと開襟シャツ)は、アイロンをかけないとどうにも未倒毛(みっとも)よろしくない。生地としてはノーアイロンで済むものになっているらしいが、魚澄庵の誇る(?)乾燥機付き全自動洗濯機にお任せすると、皺まるけになって洗濯槽から取り出す羽目になる。それに、カッターシャツも一緒に乾燥すると乾燥時間が倍近く余分にかかるので、電気代もそれだけ食ってしまう。

それでいつも、脱水が終わった時点を見計らって、カッターシャツ類だけは取り出すようにしている。でも、そのまま自然乾燥しても、やっぱり皺は防ぎ切れない。

ズボラな上に人生をほぼ諦めている私であるから、制服に皺がよっていようがいまいが構わないのではあるが、以前ちょっとしたことがあった。

もうかなり前の話になるけれど、私の職場で殆ど「成田離婚」に近いことをしてしまった同僚がいる。「成田離婚」なんて言葉が流行ったくらい、昔の話だ。その同僚が、離婚直後に着ていた夏の開襟シャツを見ると、シワシワで、如何にも「あぁ、こいつ、離婚しちゃったんだったよなぁ」と思われる格好だった。

ところがその直後に、当時は独身だった飲み仲間(と言っても先輩になるが)の某さんが私の前を通りかかった。某先輩は、きちんとした性格で、独身でも自炊されていたし、職場では自分の食事が終わるとちゃんとその食卓を布巾で拭いたりする「だらしのいい」方なのである。その某先輩の開襟シャツを見ると、きちんとアイロンがけがされた実にパリッとした服だったのである。両者にあまりに差があり過ぎて、成田離婚氏には悪いけれども「ああ、やっぱり制服ぐらいはアイロンをかけてきちんとしなければいけないな」と思ったのである。

かような理由から苦手なアイロンがけをマメに敢行するようになった訳だが、私は兎に角要領が悪い。実家にいた頃、母のアイロンがけを見ていると、どういう次第かパッパッパと2分もかからない程度で仕上げていたカッターシャツが、私の手にかかると5分でやっと1枚仕上がるといった始末である。そろそろ一人暮らしになって5年が経過するけれど、この「5分」はちっとも縮まらない。母の真似をしようと慣れたフリをしてやってみると、却って皺の量が増え、何のためのアイロンがけなのか全く判らなくなる。

そんな訳で、今ではもう「慣れたフリ」も諦め、ゴヅゴツと不器用に1枚5分の時間をかけながら、スチームアイロンを握っている。

旅行などの事情で洗濯物が溜まってしまうと、アイロンがけだけで30分近く要することもある。だが、嫁さんを貰うことを選ばなかった自分が悪いのだからとこれまた諦め、苦手なスチームアイロンとの闘いは今日も魚澄庵で繰り広げられている。

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2009年3月23日 (月)

山陽本線姫路近辺撮影結果ご報告

昨日まで連続10日、休みなしで仕事していたら、7日目辺りから体調を崩してしまってパソコンも碌に開かない日々を送っていた。

そんな次第で、過日の撮影結果ご報告が随分遅れてしまったが、今日は公休日なのでゆっくり記事を書こうと思う。

さて、肝心な本文に入ろう。

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地図を見てみると、西明石辺りから加古川付近にかけては、異様にため池が多い。どんな事情でこうなっているかは駅前旅行者の私には判らないが、折角この辺りへ来たからにはと、その内の一つを前景に写したもの。駅間で言うと、大久保~魚住になる。ここの池はすぐ右横に新幹線の高架が走っており、新幹線の車窓からもこの景色は眺められる。

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新築のマンションが目立つ、土山駅界隈。神戸と姫路の中間的な位置ではあるが、明石、加古川といった中枢都市も台頭してきており、都市化の波はどんどんこの辺りにも押し寄せているようだ。土山駅から僅かに魚住側へ行った辺りより。

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撮影紀行で「何の寺か判らないが、五重塔が見えた」と書いた所。広角24mmのお力を借用し、何とか列車と五重塔の両者をファインダー内に収めることが出来た。この辺り、地図には「野添城」と地名がある。古いお城と何らかの関わりがあるのかも知れない。土山~東加古川にて。

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姫路駅は、昨年12月21日に、最後まで地平として残っていた播但線を高架に上げて、完全高架駅化が完成した。昭和の匂いは消えてしまったが、夕焼けの美しさは変わらない。高架の駅から発車する三原行きを、夕焼けやシグナルの灯りと共に見送った。

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列車の運転本数が多いからと安心して寝坊したら、この撮影地へ着いたのはもうお昼過ぎ。いい加減にしなさいと我乍ら言いたい。この写真は、御着駅の付近で見つけた桜並木の隙間からの撮影。並木は嫌でも判るが、列車がどこを走っているのかは目を凝らさないと判らない。こんな写真をアップするなよ。もう一度、いい加減にしなさいと我乍ら言いたい。ひめじ御所~御着にて。

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紀行文で、「車窓から面白い畑を見つけたので」と書いた場所。車窓から見つけたのは、ご覧の通りタマネギの行列。派手さはないが、一直線に並んだ姿は何となく可愛らしい。たまたま来てくれた「スーパーはくと」を脇役に仕立て上げ、シャッターを押した。英賀保~はりま勝原にて。

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今回の旅行で最終目的地としていた網干総合車両センター。網干を起終点とする列車も多く、出庫する列車は留置線の位置によってはこんなに車体をうねらせながら、車庫から本体を現す。WEBでは読めないが、方向幕は「普通/米原」となっている。これから長い旅路に出るんだな、この電車は。

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少々オマケ的になるが、撮影紀行にも載せたキハ120の配給列車。先頭側の写真はフィルムで撮ったので、ここに併せてご披露させて頂く。何しろ「総合車両センター」だけあって列車の出入りも頻繁で、初めは何の列車かも判らずにカメラも構えていなかった。また、完全逆光側からの撮影となってしまっているため、かなり画像はいじってある。まあ何しろ、EF65PFが牽くキハと云うことで。

尚この他に、姫路貨物ターミナル駅の写真が何枚かあるが、これは後日、別掲としたいと思っている。

暖かい陽射しの中でのんびりと撮れればよし、としていた撮影旅行なので、こんな写真程度で堪忍してやってくださいな。

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2009年3月17日 (火)

「富士ぶさ」廃止に寄せて~思い出とその功徳

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この写真は、まだ「富士」号が単独で走っていた時のもの。有名な「大船の大カーブ」で2004年8月に撮影している。

さて、鉄道ファン諸氏に今更語るまでもないが、3月14日のダイヤ改正で「富士・はやぶさ」号が廃止となり、本州~九州の寝台夜行列車の歴史に幕が降ろされた。廃止当日の映像などは他の方々にお譲りするとして、私なりのブルートレインの思い出を書こうと思う。

私が初めて本州を離れたのは、1979年4月、九州は長崎の友人宅を訪れた時である。当時は名古屋から長崎に行くのに、「さくら」と「みずほ」の2つのブルトレ選択肢があった。で、たまたまではあるけれど、往路は「みずほ」、復路は「さくら」に乗った。その春から高校に進学する私にとって、初めての夜行列車であり、初めての寝台車でもあった。まだ14系客車が3段式寝台の頃で、頭がすぐつかえてしまう狭さは忘れられない。でも、寝台幅は70cmあり、上下のことを考えると横は随分広々しているなと思った覚えがある。

その次に寝台列車に乗ったのは、もう高校卒業直後の1982年3月、「初めての北海道」の時になる。往路は「日本海」、復路はブルートレインではなく電車寝台の「ゆうづる」に乗った。これも色々思い出はあるが、北帰行の列車は今も残っているからちょっと割愛させて頂こう。

大学生になってある程度のアルバイトなどもするようになると、親から貰う小遣いよりは遥かに額が違うから、鉄っちゃんとして色々な寝台列車に乗った。東北方面では「はくつる」や「天の川」など。特に「天の川」は急行列車で、使われていた車両も20系と呼ばれる昭和30年代にデビューした車両である。寝台幅も52cmと狭かったが、これはもう判ってわざと乗っているから、狭いことに関して文句は言わない。寧ろ、登場当時には「動くビジネスホテル」とさえ呼ばれた車両に乗れたことを、貴重な体験として記憶に留めておくべきだろう。20系客車に乗ったのは、この時1回きりだと記憶している。

ところで52cm寝台と言えば、ブルトレからはちょっと話が外れるが、鈍行夜行列車「山陰」に乗ったことも忘れられない。自由座席車には高校2年の夏に乗っているが、わざわざ寝台券を確保して大学2年のGWに乗っている。当時、殆ど電化されていない山陰本線を行く同列車は、DD51型ディーゼル機関車に牽かれて、ごっとんごっとんと誠に呑気な旅路であった。時折漏れ聞こえる「ピョーッ」という汽笛も忘れられない。

ブルトレに話を戻すとして。

大学時代に乗った列車は、大阪始発の列車が多かったと思う。これは、東京始発の列車だと新幹線との乗り継ぎ割引が利かない、との理由が一番であった。当時、新幹線の自由席特急券は隣駅同士だと800円との特別料金だった(今でも消費税分が加算されているだけの額だが)。これに、大阪始発の寝台列車の割引特急料金を合算すると、東京始発の寝台列車に乗るより安価に乗れるのである。この方法で「なは」や「あかつき」などに乗った。九州新幹線開業前の「なは」は西鹿児島(現在の鹿児島中央)まで行ってくれたから、重宝な列車であった。

私は大学生を1年余分にやったこともあって、就職と同時に国鉄がJRになった。民営化と共にどんどんブルートレインは切り捨てられていく運命にある訳だが、何しろお給金が貰える様になって、あれこれ乗り回すようになった。上野始発で秋田止まりの「出羽」なんて列車も乗った。青函航路廃止直前には「あけぼの」で青森まで行ったりもした。肝心な九州方面では「あさかぜ」に初めて乗ったのが、結構のちになってからだと思う。「はやぶさ」や「富士」にしても、今の職場へ入ってから乗ったと思う。お給金を頂ける様になったから、もう大阪始発にわざわざ乗る必要はなくなったのだ。

今の職場へ入った頃から、単にB寝台では満足できなくなって、個室寝台を多用するようになった。時代的にも、個室寝台車が多くの列車に連結されるようになってきたと思う。さいぜん書いた「なは」「あかつき」「富士」は何れも最後の乗車は個室寝台だった。昨年10月に「はやぶさ」の最後の乗車をしているが、これは自分の休みが世間の3連休と重なってしまい、残念ながらB寝台の下段が精一杯だった。

思い返すと、色々な列車に乗ったものだなと思う。特に九州へ行く時は、必ずブルトレで九州入りしていた。新幹線はあまり好まぬけれど、これから九州へ行く時は、どんな手段を使おうか。今は考えがまとまらない。

ところでタイトルには「廃止の功徳」とも書いた。それは、このブログに関してのみの話である。

ブログのサイドバーに「検索フレーズランキング」をつけているが、3月14日を以って、検索フレーズから「鹿児島本線 撮影地」とか「はやぶさ 上り 撮影地」などの文字がふっつり消えた。当たり前といえば当たり前でもあるが、こんなブログが撮影地検索のお役に立ったのかなぁ。以前の記事にもはっきりと「撮影地ガイドじゃないですよ」と書いておいたのだが……。

尚、内容はかなりかけ外れましたが、vanagon714さんにちょっとだけコラボさせて頂きました。

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2009年3月15日 (日)

“スーパー”スピーカーシステム

以前にも少し書いたことがあると思うが、魚澄庵庵主はインドア趣味としてオーディオに大変興味がある。映像には興味がないが、音楽を聴くことは大変好きな性分だ。

現在自分がこうしてパソコンをいじっている部屋の向こう隅には、ステレオの一連のシステムが堂々と鎮座している。特にスピーカーに至っては、ここへ引っ越す際に引越し屋の兄ちゃんに「これだけ大きなスピーカーは初めて運びました」と言わせてしまったほどの代物である。オーディオシステムに関しては、ほぼ満足のいっている状況でずっと暮らしている。

この家に引っ越すにあたり、隣の寝室にも「寝付くまで用」の小さなスピーカーが欲しくなり、これも引越しの時に誠に小さなものを新調した。スピーカーの切り替えスイッチまで買って、自分の居場所によってこの部屋のスピーカーと寝室のスピーカーとが切り替えられるようにしてある。

そこまで贅沢をしているのだが、昨日ふと、風呂場や台所にいる時には音楽が聴けないなと思った。自炊のできぬ私は台所にそうそう長居はしないが、「レンジでチン」ものを食べる時とか台所に隣り合わせた風呂場で茹っている時には、いつも音無しで過ごしてきた。

仕事が早く上がった今日、昨日からの思いが何となくすっきりしなくて、突如、中学1年生の時に小遣いをはたいて買った小型のスピーカーを押入れから取り出した。先程書いたスピーカーの切り替えスイッチには、もう一対スピーカーがつけられるように空いている端子がある。ここへ取り敢えずそのスピーカーを繋げてみると、ちゃんと鳴ってくれる。ただ、そのスピーカーはモノラル用として買ったものなので一つしかない。

そこで中学3年の時に、技術家庭科の夏休みの自由課題で作った自作スピーカーがあることを思い出した。これも似たり寄ったりの大きさである。実家の物置を探索すればあるのではないか? 早速、実家へ押し入り、こんなものを探しているが捨ててはいないよね、と母に尋ねた。母もある筈だと言う。物置を探索して15分ほどで、「自作スピーカー」と書いた小箱が出てきた。

雑巾で埃を拭き、コードをさいぜんの切り替えスイッチに繋げると、これもちゃんと鳴ってくれた。もうこの際、音質などどうでもいい。一時凌ぎで聴くものだから、左右のスピーカーの種類が違おうと構わない。どちらも安物であることには変わりがないから、それならそれでいい。

結局、台所にあるカセットテープの収納ケース上に両者を載せて、ハイファイの世界とは全く縁のなさそうなスピーカーシステムが完成した。

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左の古臭いデザインのものが自作もの、右が小遣い叩いて買った方である。上の白いのは、もう天井だ。

配線も簡単に済み、かくして魚澄庵で3つ目のスピーカーシステムが稼動を始めた。これからは風呂に入っている時も、音楽が楽しめる。

捨てるのを美徳と言う方もおられるが、私は役に立ちそうなものは出来るだけ捨てないでとっておく。現に30年以上昔のスピーカーが、思いもしないところで役立つこととなってくれたではないか。

改めて「捨てなくて良かった」と思っている今日の私である。

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2009年3月12日 (木)

山陽本線姫路近辺撮影紀行(2日目)

昨日の続きを今日は家のパソコンから書くことにする。

さて、昨日チェックインの時にカードを新しいものに切り替えたTホテルの会員証だが、「顔写真を撮りますから」と言って撮られた写真は、顔写真だけでなく上半身が写っていた。私はそんなことは露知らず、チェックインした時の惨めな服装のまま写真に納まっていて

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こんなカードをこれから持ち歩かねばならない羽目になっしまった。そうならそうで、フロントのお姉さんよ、ちゃんと説明して欲しかったべ……。

再びさて、気を取り直してホテルを出、まずは姫路から少し戻った新駅・ひめじ別所へ赴く。昨日通った時に、駅横に姫路貨物ターミナル駅があることを確認しておいたのだ。貨物ターミナルの写真は、結構色々撮るネタがあって私は好きだ。

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ひめじ別所駅との位置関係はこんな感じになる。右側が旅客ホーム、左にゴチャゴチャしているのが姫路貨物ターミナルである。何か、ここへ通勤する職員のためにわざわざ作ったような位置関係にも思える。最近、こういう新駅が多いのだ。新潟貨物タもすぐ横に東新潟駅が出来ているし、広島貨物タに至ってはターミナルを挟むようにして天神川駅が出来ている。

それはよいとして、残念なことにこの姫路タは、写真を撮るには誠に都合の悪いロケーションになっている。貨物ターミナル駅は写真を撮るためにあるのではないのだから仕方ないけれど、荷役作業も出発線の情景も、300mmのレンズを使っても追っつかない所にあって、それも高いフェンスが益々障害になっている。アルミのカメラバックを足台にして何とか20cm程度稼いだが、どんな出来になっているかはフィルム現像の上がりを待つしかない。

それでも1時間以上ここで滞留し、やっと次の目的地・御着駅へ行く。ここは、当たり前の田園風景狙い。昨日同様

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こんなお花畑の中でのんびりした時間を過ごす。そうそう、この撮影場所の近くにあった看板。

Dscn2_3 ここに私の朋友たちは住んでいるのであろうか……。

のんびりし過ぎたので昼を大幅に回ってしまい、ちょっとスピードアップして駅に戻り、姫路を通り越してこれまた新駅のはりま勝原まで221系電車に揺られる。駅そのものは最近の新駅によくあるパターンの

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こう云った駅だが、駅から少し戻った辺りに面白い畑地を見つけてあるので、そこまでトコトコと歩く。

畑の畦に入ろうとすると、ちょうど畑作業しているおっちゃんがいたので、一声掛けて、畦にカメラ道具一式と私本体を侵入させて貰う。20分くらいで撮影を切り上げ、戻ろうとまた一声掛けると「いい写真は撮れましたかな」と訊ねて下さる。

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中々気のいいおっちゃんであった。

少し駅から離れていたので急ぎ足で歩く内に、晴天でジャンパーが要らないくらいの気温になっていたから、汗をかいてしまう。

おまけ。駅近くの民家で飼われていた犬。道路まで出られる長い紐につながれていた。往路では飼い主にじゃれついている姿だったが、帰路では

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大変平和そうに道路で寝そべっていた。

ここから更に、次の網干駅へ向かう。網干は嘗ては電車区だったが、今では「総合車両センター」になって、所謂「工場」機能も併設している。入出区の列車の他に、何か拾い物が出来ないかと思い、降り立った。駅からは少し離れた車両センター入口付近へ赴くと、この辺りでは走らない321系電車が「試運転」の方向幕を出して、足早に走り去った。まだカメラを準備しておらず、これは撮り損ねたが、また暫くするとEF65の顔が見えてきて、とどのつまり

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配給輸送列車だった。このキハ120は関西線仕様だから、奈良辺りまで引っ張られていくのだろう。奈良からは自力回送かな?

ここでちょうど上手い具合にフィルムも使い切り、帰りの新幹線に間に合う列車の時間も近付いてきた。春らしい写真も撮れたし、最後には配給列車まで撮れたし、まずまずの首尾と言ってよかろう。1月・2月とあまり納得できない撮影旅行が続いたので、今回は気持ち良く帰りの電車に乗り込むことが出来た。

よかった、よかった。

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2009年3月11日 (水)

山陽本線姫路近辺撮影紀行(1日目)

3日ほど前に書いたけれど、LANケーブル付きのホテルの部屋からめでたくネットに接続が出来たので、例の「超デカイ携帯」を使って、記事を書くことにしようと思う。

昨晩は職場の送別会であった。4月から他の車庫へ移動を余儀なくされる人たちの送別会である。昨年12月14日の記事をご覧頂ければお判りかと思うが、私もすんでのところで、「送られる側」になるところであった。詳細はその記事に譲るとして、幸い「送る側」として、またバカ話などして存分に笑って楽しんだ。

さて、それでも今日から出掛けることは判っていたので、体力はちゃんと温存しておいた。朝8時半に起床し、バス・地下鉄とJR中央線を乗り継ぎ、名古屋駅発10時11分の「ひかり」を待つ。

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今回の撮影は、西明石で降りると都合がいいので、この列車を待った次第である。

西明石から在来線に乗り継いで、まずは

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この駅で降りる。魚澄庵(うおずみあん)庵主を名乗る限り、字は違えども、やはりここの駅を無視して通り過ぎる訳にはいかない。

勿論、他にも撮りたい映像がこの駅周辺にあるから降りた訳であるが、先月はプチ旅行で寒さ凌ぎをしてしまっているから、のんびりと駅周辺で撮影ネタを探すのは気持ちのいいものである。花も咲き始めていて、自分の足元に

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こんな花一つ咲いているだけでも嬉しい気分になれる。やはり都会より、自然の方が、私の性分には合う。

魚住駅周辺で2時間以上も滞留し、やっと次の目的地の土山駅へ赴く。あれこれ写真を撮っている内に小学校の下校時刻になってしまい、変な所で三脚を構えて電車を待っているおっさんは、下校の小学生から幾度も「何をしているの?」と問い詰められる羽目に陥る。

土山では、何かの寺の境内の建物と思うが

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こんなものも見え、広角レンズのお蔭でこれも撮影ネタとさせて頂く。さいぜんの小学生に、この塔は何寺のものなのか聞いておけばよかった。

ゆっくり撮る内に、早くも16時近くとなる。幸い日が長くなってきたので、普通電車に乗り込み、今度は

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この駅で降りる。縁起駅の一つであろう。学生時代にわざわざこの駅の入場券を買ったことを思い出した。

持参の地図に、わざわざマーキングがしてあるから降りたのだが、駅付近には大した景色はなく、たまたま来た臨時のレールチキなど撮って、そろそろ暗くなってきたので退散する。

宿は姫路にしてある。自分が会員になっているTホテルの駅前店に泊まる。会員サービスや登録カードが少し変更になるからとて、フロントでいろいろ書類を書かされる。面倒だがこれからもこのホテルチェーンは使うだろうから仕方がない。

宿は駅南だが、繁華街は駅北側にある。食事をしに、新しくなった姫路駅の自由通路を通り抜けて、駅北側に出る。帰りに自由通路の入り口付近で、昨年まで使われていた地平の姫新線ホームを見つける。

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いまならまだ、こんなに間近に撮れる。

味のある地平ホームがなくなるのは寂しいけれど、高架になったホームからはまた別の新しい景色が眺められる。あまり後ろを振り返るのはやめて、今日は機嫌もいいので前向きに新しいホームを歓迎しよう。そう思いながら、宿へ戻った。

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2009年3月 8日 (日)

老人とハト

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本日の名古屋地方、朝のうち曇り、昼過ぎから晴れ。昼からはジャンパーが必要ないくらい暖かくなった。

ハト嫌いな方も読んで下さっているので、ハトネタの記事は少し舌鋒が鈍るが、まあ自分のブログなので書きたいことを書かせてやって下さいな。

今日は日曜日ダイヤでの運転であるけれど、土・日ダイヤにも「朝と夕方のラッシュ時だけハンドルを握る」って勤務はある。内部では中憩(ちゅうけい)勤務と呼んでいる。世の中、私たちも含めてだが、土・日が休みの方ばかりではない。スーパーなどの店員さんや、催し物の業者の方など、土・日に出勤を余儀なくされる方も多い。だから、やはり土・日でも俗に言うラッシュの時間帯には多少はお客さんの数が増える。外へ遊びに出掛ける人が出入りする時間も重なるから、土・日でもこんな勤務はある程度必要なのだ。

さて、また前置きが長くなった。

その中憩勤務の後半の部で、出庫して、駅からとある終点のターミナルへ行った時に撮ったのが上の写真。時間は16時少し前くらい。まだ暖かくて、どっかの爺ちゃんがバス停のベンチでウトウトしておられた。

その周りを私の好きなハト共が、何とな~く囲うようにしてのんびりしている。平和な風景だなぁと、思わずシャッターを押してしまったのだ。

ここは郊外のターミナルなので、それほど人で賑わう所ではない。従って、ここへやって来るハトどももそんなに数は多くない。また、中心街にいるハトとはかなり性質も違うようで、

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これだけ近付いても別に逃げたりしない。これ、別段超望遠にして撮っている訳ではない。35mm版のカメラで「標準レンズ」と呼ばれる程度の焦点距離にしているだけである。それで、こんな写真を撮っても逃げないのだ。辺りが長閑だからあまり警戒心がないのだろう。

冬の間、どちらかと云うと羽を「もっこり」したような形で体を温めていたハトたちであるが、これだけ暖かくなると奴らも少しだけ嬉しく感じているように見える。私の僻目かも知れない。

で、さいぜんの爺ちゃんであるが、私がここのターミナルで待機している20分くらいの間に4台のバスが通り過ぎたが、そのどれにも乗らずにウトウトのままだった。

因みに、もう一度駅へ行ってこのターミナルに戻ってきたら、爺ちゃんの姿はなかった。別に体の具合が悪いというわけでもないようだった。ただ、買い物か何かの帰りに、ここでウトウトしてしまったのだろう。

爺ちゃんもハトも、今日はすっかり平和そうであった。

***

ところで。

明日は正規の勤務後に時間外の仕事、明後日は職場の送別会でどちらも帰宅が遅くなる。また11・12日は山陽本線の姫路近辺をブラブラ撮りに出かけようと思っている。そんな次第で、暫く記事の更新が滞るかと思うけれど、ご了承くだされ。11日の晩は、LANケーブルが部屋に来ている宿に泊まるので、例の「超デカイ携帯」にネットが接続できれば、旅先から記事が書けるかも知れない。

そんな、おさかなの予定であります。

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2009年3月 7日 (土)

いきなり新車契約

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昨年9月30日の記事で書いた自家用車の話である。

あの時に、「車検を受けた限り、まだ暫くは乗る」といったことを書いた。で、別段車の調子が悪くなったとか、そう云う訳ではないのだが、唐突に今日、新車に買い換えることが決まった。

話は少し長くなるがなるべく簡潔にまとめると……。

何しろ自家用車はミッション車のセダンでなければ嫌と云う思いがあり、この条件をクリアできる車種はかなり限られるようになった。今はスバルレガシィに乗っているが、スバルならレガシィとインプレッサの2車種が条件クリアである。そもそも我が家は、父がスバル360に乗っていたようなスバリストなので、買い換えるならスバルだよなぁと思っていた。現行のレガシィはリアの形が結構気に入っていたのである。

ところがたまたま数日前、職場に車の雑誌が放ってあって、それに「レガシィ、5月にモデルチェンジ!!」とあった。モデルチェンジ後の形は、現行のものより大幅に気に入らない。で、どうしようかなと思っていたのだ。

今日はたまたま有休が取ってあり、また、スバルからも「年度末決算商談会」の葉書が来ていたから、近所のスバル販売店へ出向いてみた。現行の車を何月まで製造するかとか、私のオンボロ車を幾らで引き取ってくれるかとか、担当者さんと相談した結果、「まぁ、換えちゃえ」ということになったのだ。

富士重工自体は、バスボディや鉄道車両も手がける大きなメーカーだが、こと自家用車に関しては弱小メーカーである。私が希望する車種も、外部色まで鑑みると、現在名古屋には在庫がないとのことで、納車日は未定だが、何しろ注文だけしておいた。

現在乗っているレガシィは、平成9年に初年度登録だった。世の中不景気で、私の財布も決して潤っている訳ではないが、機会と云うものもある。12年乗った車なら、そろそろ買い換えても「大贅沢」にはならないのでは、と私の勝手な思いである。

ただ、買い換えた限りは定年まで乗るつもりであるけれど。私も来月で46歳になる。

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2009年3月 5日 (木)

成田・我孫子支線 103系の頃

今日は天気予報では雨か曇りと言っていたが、昼間は日が射して、公休日だったから布団を干すことも出来た。

狭い庭の足元で緑の野草が芽吹きかけているのを見ていたら、何故か急に何年か前の3月に、成田線の我孫子支線を撮影に行ったことを思い出した。

そこで早速その時のフイルムを探し出して、読み込んでみた。それほど傑作写真がある訳でもないが、その時の写真を5枚ほどご紹介しようと思う。尚、撮影は2001年3月である。

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この撮影に出た時のコンセプトは「春を探そう」というものだった。実際には大変寒い日だったので、コンセプトと大違いであったけど、春らしいものを追い求めていたら小さな梅の木を見つけた。電車と一緒に写すには難しい位置に咲いていたが、何とか画面に納めて「カシャリ」である。新木~布佐にて。

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確か、木下の駅から歩いてここを撮影した記憶がある。都会派電車の103系に、電波塔の景色は何となく似合うような気がして、電波塔の頭が切れないようにカメラをセットし撮影に及んだ。電波塔は地図によるとNTTのものらしい。布佐~木下にて。

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この年の3月は寒くて、この日も例外ではなかった。と云うより最近が暖か過ぎるのかも知れない。晴れてはいるが、ホームの人々の姿を見ればあらかたの気温はご推察頂けると思う。高運転台の866Mが入ってきた。安食駅にて。

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毎年写真を撮っていて思うこと。「秋の空は高い」と言うけれども、秋と気候の似た3月前半も、空の高い日が多いのだ。ただ、敢えて違いを探すなら、雲の色が秋なら真っ白なのに対して、3月の雲は冬の延長で鉛色っぽいことが多い。まあ、何れにせよ空が高い風景は見ていて気持ちがいい。寒さに震えながらも、少し嬉しい気持ちでシャッターを切った。成田~下総松崎にて。

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初めにも書いたように、「春を探して」一日歩き回ったのだが、殆どそれらしいものが見つからない沿線だった。夕刻が近付いて陽が傾きかけた頃に、ふっと後ろを見て気付いた風景。いっそ、自棄クソで太陽だけを強調させてしまえ! で撮れた映像が、こんなものだった。成田~下総松崎にて。

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もう少し春らしい映像をお届けできるとよかったのだが、3月ではまだまだ暖かさが定着しない。こんな日もあるさと思って、ご堪忍くださいな。

それにしても、この写真を撮りに行ったのがもう8年前とは、我乍らに恐ろしい現実だったりして。

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2009年3月 4日 (水)

基幹バスの話

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名古屋には基幹バスと云う、ちょっと変わったシステムのバスがある。

バスの走行環境の悪化はどこの都市でも重要な問題であるが、それを解決するために生まれた路線である。現在、基幹バス路線は2路線あり、初めに開通した「東郊線」は昭和57年の3月に運行を開始している。

当初は、東郊線でも道路中央走行方式を採用する予定だったが、道路交通法の問題や中央走行にする場合のバスレーンの設定の問題などが解決できず、結局これは現在でも路側走行方式として運転されている。社内では「基幹1号系統」の路線番号となっている。停車する停留所を少なくした「急行バス」のような位置づけである。

一方「出来町線」と呼ばれる路線は、基幹1号系統での失敗を土台に、入念に調査や研究を重ねた結果として出来上がったもので、上の写真のように道路中央走行方式を採用している。開通は昭和60年4月で、社内系統記号は「基幹2号系統」。これは私達の職場では初めて、競合私鉄のM鉄との共同運行となり、基幹1号系統も含めた「前乗り後ろ降り」の原則を破って、M鉄に歩調を合わせた「後ろ乗り前降り」方式を採用している。

現在、基幹2号系統は2つの路線系統になっていて、一つは「栄~引山(ひきやま)」、もう一つは「名古屋駅~猪高車庫(いだかしゃこ)」がその運行区間。基幹バスレーンの「大津通~茶屋ヶ坂」間が、両路線の走る区間になる。私達の営業所では現在、後者の路線を12仕業(平日の場合)だけ担当している。

さて、ところで「道路中央走行方式」とはなんぞやと思われるかも知れないが、早い話、路面電車と同じように走り、その乗り物がバスに置き換わっただけ、と書くとご理解頂き易いと思う。従って、バス停も

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このように、市電の電停のようなものが道路の中央に設けられている。

道路の中央を走るバスは全国的にも例がなく、特に交差点では一般車両の右折帯の更に右側に、基幹バスレーンの直進車線が設けられる形となっている。その為、開業当初は不慣れなドライバーがバスレーンを跨いで右折しかけた所へ、直進しようとするバスが突っ込むという事故が続発した。新聞記事によると開業1ヶ月で20件の事故があったとのことである。

こんな次第なので、これ以後、他の都市で道路中央走行方式を採用したバス事業者の出現は聞いていない。

さて、今まで2枚の写真でご覧の通り、バスの塗装も一般路線とは異なる色を採用している。

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写真右側が一般用のバス、左側が基幹バス専用のバスである。昨年度、基幹2号系統にも初めてのノンステップバスが投入された。バス好きの方ならお判りと思うが、この写真の基幹バスもノンステップ車両である。

昨年度、ノンステップ車が納入された際に、基幹バスの愛称として長い間親しまれた「ミッキー」の呼び名は「市民に定着した」との理由で廃止となった。元々は、基幹1号系統が登場した時に一般公募でつけられた愛称で、確か名付け親は当時の中学生だったと記憶している。

この「市民に定着した」との理由も実はこじつけ臭い。当初のように「ミッキー」の部分を行灯にしたり、塗装になってからでもその部分だけ別色で塗装して文字を入れなければならないので、赤字に悩む我が職場が少しでも経費削減のために取った「経費削減処置」が本当の理由である。因みに、基幹バスの写真で「基幹バス」と入れられている部分に、以前は「ミッキー」と書かれていた。

さて、車内の話。シート配列も一般バスとは異なっている。

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これは、ツーステ車の例。中ロマとか、どうも専門用語があるようだが、何しろ中扉より前は左右とも1列シート、中扉より後ろは右が2列・左が1列のシートとなっている。また、入り口である中扉付近は、優先座席や車椅子等固定用の跳ね上げ可能なシートになっており、その部分だけは横掛け席となっている。こういう座席配置は何と呼ぶのだか、私は知らない。

朝のラッシュ時は殺人的な混み方をするので、開業当初の車両より座席数は減らしてある。

使用されてきた車両は、基幹1号系統では、かの「ふそう・ブルドック」が初代車両である。基幹2号系統では初代は「ふそう・エアロスター」と「日野・ブルーリボン」が使用され、2代目ではふそうだけが「ニューエアロスター」になった。日野はブルーリボンのままである。

現在、基幹2号系統では半数がノンステップ車両に置き換えられ(いわば3代目に相当する)、Jバス仕様の「エルガ」「ブルーリボンシティⅡ」が使用されている。また、基幹1号系統では全車がノンステップバスで、メーカーとしてはふそう以外は全て入っている。車種が多岐に渡るので、詳細はここでは割愛させて頂く。

随分と長い記事になったが、最後に運転する側の意見。道路の中央を走るのは、慣れてしまえば意外と楽に運転できる。今では一般ドライバーも慣れたので、当初のような事故は減った。ただ、横着ドライバーが多いことで有名な名古屋の話である。逆に慣れ過ぎてしまって、わざと基幹バスレーンに入り込む車両が後を絶たない。バス停の写真を掲載したが、あそこに一般車が入り込まれるとお客の乗降ができなくなってしまう。

バスの復権を担って出来たシステムも、はや20年以上が経過する。結局のところ、一般ドライバーのモラルが、バスの復権の鍵を握っているのではないかなと、私だけの意見である。

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2009年3月 3日 (火)

ちゃんと拭いてくれ~!

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今日から4~5日は、当地・名古屋はお天気がよろしくないそうで。

雨降りの時は、車の種類に関わらず、誰しも見通しが利かないから運転はし辛いと思う。私も、雨降りの日は出来れば運転の仕事をサボりたいなぁと思うくらい、神経質になってしまう。

選りにも選って大型バスの運転を生業としてしまったからには、雨降りの日の運転から逃れることは出来ない。それは、止むを得ないとして、上の写真をちょっとご覧頂きたい。出来る限り運転時の視線と同じ位置から撮影したものだ。

右側に、結構気になる位置にワイパーの拭き残しがあるのがお判り頂けるだろうか。

これ、とあるメーカーだけにある特有の「拭き残し」なのである。もう少し突っ込んで言うと、ここはボディメーカーで、シャーシーは作っていない。私達の職場では、UDにだけ架装しているメーカーだ。ボディ専門のメーカーなのに、この拭き残しのために、雨の日は見通しが悪いとて同僚からも悪評を買っている。

もうちょっと酷評を付け加えるなら、ここのメーカー、左側もアンダーミラーの位置にちょうど拭き残しができる。で、より一層、評判がよろしくない。

デザイン的なことはよく判らないけれど、安全を第一に設計するのが本来の姿勢だろう。然しこれでは、あまりにいただけない。

10mを超える長さのものを運転せねばならないのだから、メーカーさんはもう少し気を使って頂きたいなと、ここのメーカーのバスに乗務する度に思う。

もう一言書くなら、九州のN鉄バスでは近距離路線車はみんなここのボディを架装しているので、さぞかし皆さん運転し辛いのじゃないだろうか。

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2009年3月 1日 (日)

小さき春

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いきなり花の画像を2枚も載っけたけれど、今日、とあるところで見つけた春らしい花の情景。

今日からやっと3月になり、その初日の名古屋は晴れて暖かかった。このブログも結構全国津々浦々の方が読んで下さっているので、「私の所はまだ雪景色だよ」とか逆に「野草ならとうに咲いているよ」とか異論もあろうけれど、日本の真ん中辺りの気候の名古屋でのお話ということで、そこはご了承頂きたい。

さて、上の写真、花の名前は知らない。何しろ暖かくなると見かける花だ。一方下は、言わずと知れた椿の花。かなり花びらが落ちているのがお判り頂けるだろう。寒を代表する椿の花が落ち始めれば、春ももうそこまで来ている。

私は寒いのが苦手で、だから今日みたいに暖かい日があると、心が何となく浮き立つ。それに加えて具体的に「3月」と暦が変わると、理由はないけど嬉しくなる。今日は昼間、バスの車内は22℃まで温度計が上がった。待っていた季節がやっと来つつあるなと思うのだ。

勿論、三寒四温の言葉もあるから、まだ寒い日も何度かあるだろう。でも、徐々に暖かさも本物になっていく筈だ。花のような小さな春から始まって、やがて緑の野草に地面が覆われる。ジャンバーも必要なくなる。そんな季節の入り口を、何となく今日は体験し、その入り口の証拠のようなものも見つけることが出来た。

外仕事の私たちだから、窓外を過ぎ行き風景が鮮やかになっていくと、ハンドルを握っていても気持ちがいいものである。外仕事を選んでよかったなとさえ思う。そんな季節なのだ。

そう云えば、今、ふと思い出した。

小学校の時の同級生に「弥生ちゃん」って子がいたっけ。別段思いを寄せていた訳でもないが、あの子は間違いなく3月生まれだったんだろうな。

3月1日の雑談でありました。

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