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2009年2月13日 (金)

赤坂線と新垂井駅跡プチ紀行

東海道本線を大垣から西へ向かうと、途中で線路が3つに分岐する。この内の一つが、通称「赤坂線」で、東海道本線を名乗るものの、JRとしての実際の営業区間は「大垣~美濃赤坂」の僅か3.4キロである。

いまひとつは東海道本線の嘗ての下り専用本線で、区間としては「大垣~関ヶ原」ということになる。この下り専用本線の途中に、以前「新垂井」を名乗る駅が存在した。同僚に教えてもらったり自分で調べたりした結果、1986年11月1日の国鉄(当時)ダイヤ改正で廃駅となっているらしい。

廃駅から22年余りも経つ新垂井駅跡を訪ねてみたくなり、有休を取ってあった今日、出掛けてみた。また、その前に「赤坂線」を走る一日2往復の定期貨物列車を撮影したくて、赤坂線にも寄ってみた。

自宅近くを朝一番に通るバスで地下鉄駅に出て、名古屋駅まで向かう。まずは「赤坂線」の貨物を先に撮ろうと云う魂胆だ。一日2往復とは言え、写真を撮影できる時間帯を走る列車は実質上り・下り各1本で、昼過ぎから雨の天気予報の今日は、朝9時過ぎの下り列車が唯一のチャンスになる。これの撮影に間に合わせるために時間を逆算すると、朝一番のバスに乗らざるを得ないのだ。

大垣から「赤坂線」に乗り換えて、終点の美濃赤坂には8時10分着。国鉄全線完乗のためにここまで乗りに来たのは、昭和58年9月のことだった。もう25年以上の歳月が流れている。駅の様相も変わっていて、貨物線が敷き詰められていた構内は、かなり隙間が目立つ。この美濃赤坂駅から、昭和58年当時は、私鉄の「西濃鉄道」が石灰石を運ぶために双方向に路線を走らせていた。その内一方の西方へ向かう線は、廃線となっている。撮影地へ向かう途中で

Dscn

その廃線跡を跨ぐ。

「赤坂線」は民家の間を抜けるように走る線で、写真が撮れそうなのは美濃赤坂駅から歩いて10分ほど大垣方面へ戻った辺りだけのようだ。線路脇を戻りながら歩くうちに、ズボンがくっつき草の種まるけになっていた。くっつき草に用心しながら、撮影ポイントを定め、三脚を立てる。

肝心の下り貨物列車は、生き残っている方の西濃鉄道線で運ばれた石灰石の貨車を、美濃赤坂駅でJRの機関車が引き継いで、9時12分に発車する。ズボンのくっつき草を取ったりしているうちに、機関車の汽笛が向こうから聞こえてきた。

Dscn_2

先頭方の写真はフィルムカメラで撮っているので、今日はデジカメで撮ったオケツの部分の写真だけアップしておく。

さて、これで「赤坂線」の用事は済んだ。9時30分の列車で一旦大垣駅へ戻り、ここから米原行きの列車に乗り継ぎ、一駅乗っただけの垂井駅で降りる予定だ。その「一駅」のための列車は、思いがけぬことに特急用車両が使われていた。設備は急行用車両とさして変わらないので、この車両を使った特急を私たちは「ぼったくり特急(高い特急料金をぼったくるので)」と呼んでいるが、普通列車として使われるとなると妙に得した気分になる。

Dscn213f373

人間の心理とは勝手なものだなと思う。とまれ、大垣発9時42分の「213F列車」は特急型車両を使うので、鉄道ファンの皆さんは是非ご乗車して、得な気分を味わって頂きたい。

余談に走ったが、垂井駅で降り、新垂井駅跡までは少し距離があるので奮発してタクシーを使う。同僚の話では「地元のタクシーならすぐ連れて行ってくれるよ」だったが、私が目的地を告げると、運転手氏からの言葉は「私、新米でして、よく判らないのですが、地図か何かお持ちでしょうか?」だった。幸い、駅周辺の集落名と持参の地図の知識を話すと「大体見当はつきました」と走り出してくれた。

新米運転手氏の見当は中々のもので、迷うことなく今日の本命・新垂井駅跡へ着くことができた。折角の本命なので、ちょっとだけ大きめの写真で、駅跡の写真をご覧に入れる。

Dscn_3

同僚が教えてくれた通り、ホーム跡に面した乗降線は外されており、通過用の線路だけが一直線に伸びていた。この線は、現在でも下り列車用として使われており、垂井駅に停車しない貨物列車や特急列車、その他回送列車などがここを通る。駅舎の跡は見当たらないが、ホームを辿って行くと、それらしきコンクリートの土台だけ残っていた。

折角ここまで来たので、少し駅の東方へ歩いて行き、田園地帯を走る列車の写真も撮った。ただ、下りの貨物や特急などしか通らないから、通過列車の本数は極端に少ない。3時間ほどこの辺りにいたけれど、撮影できた列車は僅か5本である。因みに、駅東方の田園地帯の風景。

Dscn_4

電線みたいのが画面左から右に延びているのがお判りかと思うが、これが件の下り専用線である。更に親切(?)に撮影地ガイドをしておくと、画面左の1本の立ち木が結構障害になってしまうので、これを上手く処理しないと、列車が途中で途切れた写真になってしまう。

まあ、そんなこんなで、22年もの昔に廃駅となった辺りをぶらついてみた。垂井駅からタクシーを使うと結構な額が飛んでしまうが、一日3便ながら垂井町の巡回バスが、垂井駅を起点に走っている(土日祝は運休)。これをうまく使えば、案外安上がりに旧駅探訪が楽しめるかと思う。

私は、往きのタクシー運転手に3時間くらいあとで同じ所へ迎えに来てもらうように頼んでおいた。時間は限定されてしまったが、それでも降りたことのない嘗ての駅の探訪が出来て、それなりに面白かった。

普段の撮影旅行に比べると随分な「プチ旅」だが、それだからこそ魚澄庵には16時前に戻ってこれた。体も疲れ気味なので、こう云う時に頃合の「お出掛け」であったと思う。

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コメント

美濃赤坂と垂井は撮影に行ってみようと思っていますが、なかなか実現していません。私には近くて遠い処です。
4月からは時間が取れそうなので、公休日に1日かけてゆっくり行ってみようと思います。

投稿: N市のT | 2009年2月14日 (土) 21時42分

>N市のTさんへ
私にとっても結構「近くて遠い処」でしたよ。特に新垂井駅跡は、行きたいなと思い始めてから実現に至るまで、何年かかっているか判りません。ある程度の踏ん切りと、適度な余暇がないといけないと思います。

陽が長い季節ですと、赤坂線の下りの貨物も撮影可能になります。場所的に両者は離れていませんから、一日かけてゆっくり回られることをお勧めします。そう、4月以降に、ですね。

投稿: N市のTさんへ | 2009年2月14日 (土) 22時22分

美濃赤坂は私の地元です
今は東京に住んでいますが数年前までずっと住んでました 西濃鉄道の貨物列車が数十年前までは20両以上あったのですが今ではかなり少なくなってしまったみたいです 今思えば朝早く聞こえた汽笛の音が懐かしいです
つまらない話しではあると思いますが懐かしい写真ありがとうございました

来月には実家に帰れそうです

投稿: 我が故郷 | 2009年2月15日 (日) 23時03分

>我が故郷さんへ
はじめまして。ようこそお越し下さいました。

そうですか。美濃赤坂のご出身ですか。
私が知っている限りの美濃赤坂は、一杯敷き詰めた線路に、これまた石灰石を積んだ貨車が一杯に並んでいる、との光景ですが、二十数年ぶりにお邪魔して、ガックリした気持ちは隠しきれません。持っている地図が古いので、昼飯へ伸びる西濃鉄道線も載っていましたが、現実は写真の通りでありまして。鉱業に関する路線は、衰退してしまっている所が多いようですね。

ただ、記事中の9時12分発の上りホキ貨は20両以上つないでいたと思います。思いのほか長い編成で、フィルムカメラの画面に収まりきりませんでした。

現像が上がりましたら、フィルムの映像も載せる予定でおります。またご覧頂ければ幸甚に存じます。あのような写真で喜んで頂けて、私の方こそ大変嬉しく思います。

投稿: 我が故郷さんへ | 2009年2月15日 (日) 23時35分

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