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2009年2月20日 (金)

赤坂線・新垂井駅跡プチ撮影結果ご紹介

今週は夜遅くまでの勤務が多く、早く帰られる日には夜に用事が出来てしまうなどして、思うように時間が取れなかった。撮影から少々日が経ってしまったけれど、1週間前のプチ旅行の出来を、少しばかりご紹介しようと思う。

Img1

通称・赤坂線の終点、美濃赤坂の情景。二十数年前にここへ出かけた時は、折り返しの列車ですぐに戻ってしまったから、ホームの外に出たのは初めてになる。終着駅らしいこじんまりとした景色は好感が持てる。停まる電車が313系でも、何となく時代に取り残された昭和っぽさを感じるのは私だけだろうか。因みに、この写真を撮っている私の右後方に、石灰石を運んでいる西濃鉄道の本社社屋がある。

Img2

紀行文の方でお尻だけをお見せした朝の上り貨物・5780レの先頭側。今書いた、西濃鉄道の小さな機関車から石灰石を満載した貨車を引き継いで、東海道線の本線に乗り入れ、名古屋市南部の笠寺駅まで運ばれる。貨車は笠寺から更に名古屋臨海鉄道に入り、東港まで旅する。意外にも編成は長く、20両以上つないでいたことは確かだ。

Img3

ここからは、新垂井駅跡の映像。紀行文でも書いたかと思うが、駅舎跡と思われる唯一の痕跡だ。駅舎が木造だったか鉄筋だったかも判らないので、これが「駅舎跡」と断言は出来ないが、ホーム跡や駅への入り口跡から察するに、この辺りに駅舎があって然るべきと思われる場所に残っていた痕跡である。

Img4

新垂井駅ホームから望んだ、下り専用線(こちらを通称で「新垂井線」と呼ぶのが正当だそうな)。ホーム側のバラストが直線状に錆色になっており、こちら側にも嘗ては線路が敷かれていたのだろうと容易に察しがつく。右側の標識は停止目標位置の標識に見えるが、現在の新垂井は信号所としての役割もしていないから、何を意味する標識なのかよく判らない。

Img5

駅跡の東側の部分を通過する、特急の「しらさぎ7号」。木製の柵やホーム跡の植樹を見ていると、現存駅を通過列車が通過しているだけと言われても判別がつかない。それ程、昔日の面影は残ったままになっている。付近には民家もある程度存在するが、廃駅時には「廃駅反対運動」も別に起こらなかったそうである。

Img6

そろそろ帰ろうとカメラをしまいかけていたら、時刻表に列車のない時間に踏切がなり始め、慌てて構えて撮ったもの。方向幕は「試運転」となっていて、全くの偶然で臨時の運用に出会えたらしい。313系がここを通るのは、回送か試運転の時しか考えられないから、こんな姿を見られたのは僥倖だった。

Img7

これは、オマケ。新垂井駅から東方へ歩いた辺りでの撮影。紀行文で「左側の一本の木を上手く処理しないと、中途半端な貨物列車の写真になる」と書いたが、これがその「中途半端の悪い例」。これ以上ワイドで撮ると、右側が踏み切りで切断されるし、はっきり言ってかなり苦しい場所だ。ただ線路にもっと寄って、件の木が視界に入らないところに陣どれば、「しらさぎ」など、10両程度の編成の列車なら撮れると思う。

ここ暫く、自分の体調も優れないし、また今回は「駅跡」を偲びたいとの思いが強かったから、それ程写真は力を入れて撮っていない。駅跡の状況がお判り頂ければ、それでいいと思っている。そんな、プチ旅行のフィルムからのご紹介でありました。

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コメント

私も美濃赤坂に行ったのはチャレンジの時と最近18きっぷの残務整理で乗っただけで、いずれも時間がないので直ぐに折り返してしまったので、今度はゆっくり貨物の撮影でもしたいと思います。

投稿: N市のT | 2009年2月21日 (土) 19時02分

>N市のTさんへ
赤坂線は撮影好適地が少ないので撮影は難しいと思いますが、日の長い時期に早起きで車を飛ばせば、1往復分の貨物は撮影できると思います。
また、赤坂駅構内もそれ程撮影に対する規制はうるさくない様子ですので、駅東側の西濃鉄道と共用の側線で、機関車の付け替えなどを撮られるのも一興ではないでしょうか。

投稿: N市のTさんへ | 2009年2月21日 (土) 23時13分

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