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2009年1月 9日 (金)

ハトポッポとの物語(2)

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前回は、1985年の春辺りまでのことを書いた。

餌の与え主は年齢イコール彼女いない暦であるが、こいつは、よく彼女を連れてきた。彼女の方も次第に慣れてきてしまった様で、我が家の物干し台を2羽で占領するのも当たり前になった。私も甘やかして育てた(?)から、彼らは何でもし放題であった。この写真では、下でこっちを向いているのが、いつもの奴である。

さて、自然界に生息している彼らだから、食糧事情がよければ当然の如く夫婦となり、庭のダイオウマツに勝手にマイホームを構築してしまった。つまり、子バトポッポが誕生したのである。一人でいる時は夕方になるとどこへともなく帰っていったものだが、子育てが始まるとマイホームに付きっきりになる。そして、ある程度子バトポッポが育ってくると、そいつらまでをも連れて縁側のたたきへやってくるようになった。

神社などに群生するドバトのことは詳しく知らないが、奴らキジバトは2羽の子供を生むのが普通だそうだ。何度か我が家で子供を孵したが、そういえばいつも連れてくる子バトは2羽だった。

夫婦(2)+子供(2)で、合計4羽となってしまうと、餌の消費量もかなりハイスピードになった。でも私もバイトなどしてハトの餌くらいは買えたから、相変わらず子連れのヤツに4倍の餌をやっていた。子供を連れてきていた頃の映像。

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一番右側にいるのがヤツで、左2羽は子供である。まだ、子供は餌を一人でよう食べられないので、親に纏わりついて離れない。子連れの時はいつも、子バトポッポに追いかけられてばかりのヤツであった。

私の方は大学4年となり、授業らしい授業は殆どなく、毎日卒論実験に明け暮れていた。実験は自分の好きな時間に出校して、必要な実験をして帰ってくる日々だったから、奴らに餌をやってから家を出て、大体の時は奴らの夕飯の時間には帰ってくる毎日が続いた。時間に拘束されることも殆どなく、好きなように実験をやってデータ集めをする、大変のんびりした日々だった。その「のんびり」にヤツが火に油を注いでいる感じだった。

本来、大学4年ならばこれに加えて就職活動もしなければならないのだが、私は学部研究生としてもう一年学校に残ろうと決めていたので、特別、就職活動はしていなかった。だから、ハトポッポと非常に密着した毎日だったと思う。

ヤツは子供を育て終わると無理矢理子離れさせて(これは自然の摂理であるが)一人に戻り、気が向くとまた別の彼女を連れてきて、やがて子育てに専念するのだった。動物図鑑によると、キジバトの繁殖期は「4月~11月」と記されていたが、これは餌を得られる時期が春から秋にかけてだからそう書いてあるだけのことらしく、一年中餌をもらえるヤツには、図鑑の知識は通用しなかった。つまり、冬でも平気で子育てをしていたのである。

研究生になっても、私の毎日にはそう変化はなかった。論文のテーマは変わったけれど、4年の時と同じように実験をしてデータ集めをして、の毎日だった。就職に関してもあまりまじめには活動せずに、ひたすら奴らと遊んでいた。私なりに就きたい仕事はあったけれど、どうもそれが叶わないらしいと判ってきたので、余計ダラダラと日々を送っていた。で、より一層ハトポッポに密着してしまい、ヤツも私にすっかり寄生してしまい、お互いにどうにもならない同士だったとしか言いようがない。

いつだったか、私が帰ってくると、珍しくヤツの姿がない。必ずどこか目の届く範囲にいて私からの餌を待っているのだが、と思いつつ、適当に「お~い、ハトポッポ、ごはんだぞぉ」と手を叩くと、全くどこにいたのか、ちゃんと飛んできたことさえあった。図鑑の知識が通用しないくらい手なずけてしまったのだから、仕方がなかろう。その、「図鑑の知識に背いた」写真を一つ。

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木々に葉っぱのついていない時期に、のんびり小枝でくつろぐ親子のシルエット。写真には撮らなかったけれど、雪の積もった庭で親子が餌をつついている時もあった。

そんなこんなで過ごした2年間。私にとっては大変楽しく、かつ長閑な日々だった。ヤツにとっても多分そうだったのではないかと思う。何しろ、存在すればちゃんと餌をもらえるのだから。事によると、単なる「餌をくれる機械」程度に考えていたかも知れぬ。私の溺愛が全ての原因だったのだ。

だが、無給の学部研究生も2年は続けられない。1987年春、私は一応就職して、朝は7時に出勤、夜は19時くらいにしか家に帰ってこられない生活になった。当時は週休2日ではなかったから、日曜日くらいしかヤツには会えない。勿論、餌もやれない。

2ヶ月もしない内に、ヤツの方から諦めをつけたようであった。私も本格的に仕事が忙しくなって、気付かぬ内にヤツとは疎遠になっていた。ふと気付いた夏には、もう我が家へ遊びに来るヤツの姿はなかった。

もう、あれから20年以上の歳月が流れる。ハトの寿命は長くて15年程度だから、とうにヤツは天国で私を見下げているのだろう。

でも、もう一度だけでいい、あの洗濯竿にのんびり止まっている姿を見せてくれないかなあと、私は今でも思っている。

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コメント

お互いこの時代は時間に余裕があり、他に目を向ける事が出来ましたね。
今は時間に追われて帰宅したらクタクタで全然余裕がありませんね。
嫌なご時世になりましたね。

投稿: N市のT | 2009年1月10日 (土) 14時29分

>N市のTさんへ
「自分のメインの生業」以外に目を向ける余裕があることは、とても大切だと思います。気分も休まりますし、心も豊かになると思います。
現在の私たちのように、一日中職場に貼り付けられて、家に戻るのは夜9時くらいになってからの毎日では、とても気分転換も図れません。いつも書いているように、4月になるのが待ち遠しい思いで一杯です。

無事に定年退職したら、伝書バトでも飼ってみようか知らん。

投稿: N市のTさんへ | 2009年1月10日 (土) 21時36分

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