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2008年12月

2008年12月29日 (月)

名古屋市交・天白営業所

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古いネガを漁っていたら、面白いものが出てきたのでネタにしようと云う魂胆である。

現在、名古屋市交通局に、緑車庫があるが、この車庫は1986年9月までの天白車庫を移転させたものである。天白車庫(正式には天白営業所)は、現在の地下鉄植田バスターミナル近くの、国道153号線に面した場所にあった。跡地は天白スポーツセンターになっている。

私の通っていた高校も、このすぐ近くにあり、何かと馴染みの深い車庫であった。それで移転による廃所が発表された一日、写真機を持って車庫付近を撮影したのである。

撮影日は、はっきりと記録していないが、1986年9月20日前後と記憶している。

当時の天白車庫をご紹介しようと思う。

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車庫の西側から撮影したもので、工場とピットである。

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画像が小さいので数字が読めないが、社内番号・N-132号車。まだ新車として入ったばかりの時の映像で、「天白車庫の車両」として使われたかどうかは不明。広告枠にもまだ広告が入っていない。

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これも車庫の西側から撮影。屋根や長い水道ホースが見えることから、ここが洗車場だったらしい。

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これは、車庫の南西角付近から撮ったもの。この一帯は、あまり使われなくなった旧車置き場となっていたようで、ここにはいつも古い車が屯していた。「ワNR」との社内番号は、「ワンマン専用車・日産ディーゼル製・リアエンジン車」を意味する。写っている車両は1973年頃に入った車で、この当時の車には後面方向幕がなかった。それでのちに、系統番号だけを表示する方向幕が据え置き型で取り付けられている。

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車庫の南側・国道に面した側がメインの出入り口であった。57号系統の車が、平針住宅へ向けて出庫待ちをしている。57号系統は、現在の幹新瑞1号系統に相当し、天白車庫から緑車庫へそのまま系統移管されている。

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この当時、車庫の統廃合で3つの車庫が消えている。その為、各車庫とも所属車両数が増加し、天白車庫では本所の北方に第2車庫とでも言うべく車両置き場が出来た。多少ズームアップして撮影してあるが、全体で20両程度の車両が置ける様になっていたと思う。この跡地は、確かマンションになっていると思うが、今ではこの付近も様相が変わってしまい、現在、跡地を特定することは難しい。

写真をご覧頂いてお判りと思うが、この当時は車庫毎に使用する車両メーカーが決まっており、天白車庫はマイクロバス3両の例外を除いて、全て日産ディーゼルの車であった。また、架装ボディは全て富士重工である。

20年以上昔のことなので、私も多少記憶が曖昧な部分がある。間違いに気付かれた方はどしどし指摘してくだされ。

***

さて、年の瀬も押し迫ってきたが、私は仕事の関係で明日・明後日とも記事は書けないと思う。これが今年最後の記事となりそうだ。

8月半ば頃から、試行的に始めて何となく今日まで来てしまったブログだが、意外にも多くの方にご覧頂いていることを知り、嬉しく思っている。

記事に関して色々アドバイスいただいた皆様、心より御礼申し上げます。多分、来年もこんな感じで適当に綴っていくと思いますが、どうぞご贔屓の程、よろしくお願い申し上げます。

では、皆様、良いお年をお迎えください。

              魚澄庵庵主敬白

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2008年12月28日 (日)

キハ52 156

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現在、私のPCのトップ画面に使っている画像である。

小っちゃく写っている朱色の気動車は、何の証拠もないと言われればそれまでだが、かのキハ52 156である。国鉄神岡線時代の映像で、撮影したのは1981年8月1日だ。

今や同車は、大糸(北)線で押しも押されぬスターとなっている。また多くの方がご存知のように、半室荷物・郵便の簡易改造を受けた600番代車を除けば、キハ52のラストナンバー車でもある。そんな同車と私との出会いは随分昔で、この、神岡線を初めて撮影に行った時なのである。当時、52 156は富山第一機関区の所属で、多くの時は両運転台車の特長を生かして神岡線で単行列車として活躍していた。また所属所の関係で、他車が神岡線の運用に入っている時は高山線や城端線で使われることもあったようだ。

話が逸れたけれど、私がキハ52 156と出会った直後の写真をアップしておく。

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上の写真の一日前、7月31日に猪谷から神岡線の同車に乗り、終点の神岡駅で撮影したものだ。まだ貨物扱いをしていた時代なので、神岡駅にも側線があるのがお判り頂けるかと思う。

この時は、8月2日までの3日間を神岡線の撮影で費やしているが、朝の2往復(これは2連での運用)を除いて、あとの4往復は3日ともキハ52 156が運用に就いていた。

神岡線当時の映像を、もう少し。

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西漆山の駅を後に、猪谷へと向かう同車。パッと見、現在と殆ど外観は変わりがないが、正面窓に方向幕がないのと、冷房化されていないので天井がすっきりしている点が違う。

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西漆山から、少し茂住方面へ歩いたところから撮影したもの。これは、土曜限定運用の6630Dである。

この頃の神岡線は、既に土曜日以外は一日6往復しかなく、午前は先程書いたように、2往復が2連で運用された後、残りの1往復を単行のキハ52で運転し、あとは午後の運用が始まる15時半頃まで猪谷駅の3番線にずっと留置されていた。ただ土曜日だけは、間合い使用(?)で1往復が設定されていた。

神岡線は、1984年の9月一杯で神岡鉄道に転換されている。然し、同車はその後も富山の所属として残っており、勾配の多い高山線で使用されていたのだと思う。国鉄の民営化でそのままJR西日本の所属となり、暫くは同じように高山線で使用されていた。

私が持ち合わせている資料では、1991年まで間が空いてしまっていて、この時はもう、越美北線を受け持つ越前大野鉄道部に所属が変わっている。この間に、国鉄の朱色塗装から、当時の越前大野鉄道部のカラーに塗変されたものらしい。

その越美北線もキハ120化されるからとて、1992年の8月に越美北線に撮影に行った。ところが残念、雑誌などに書かれていた「9月7日からキハ120化」に先立って、乗務員の訓練運転も兼ねて、私が出掛けた時には既に全ての運用がキハ120に置き換えられていた。ただ、福井運転区の端に、使用されていたキハ23や52が留置されており、その中に52 156もいたのである。運転区の方に許可を頂いて留置車両を写した中に、同車の越前大野鉄道部カラー時代のものがあった。

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4両編成で留置されている内の2両目になっていたので、正面からの写真はない。幸い、番号をはっきりと写したものがあったから、側面の写真だがこれをアップしておくに留めておく。撮影日は1992年8月7日。

キハ52の若番車はこの時に廃車となっているが、ラストナンバーが幸いし、大糸線にこの塗装のまま入ったのが翌1993年のこと。以来、大糸線で活躍しているのは、鉄道ファンの方ならご存知の通りである。因みに現在の姿。

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2004年の12月に国鉄時代のカラーに戻されている。ただ、当初は正面屋根上まで朱色で塗装してしまい、ファンからのクレームで慌ててそこを灰色に戻したという経緯もある。

こちら側から見ると、便所が廃止されたのに伴い便所用小窓が埋められているのが、どうも気になってしまう。また、正面・扉の窓周りのHゴムが灰色から黒になっているのも、往年の姿を知る者から見ると気になる。

色々いちゃもんをつけ始めればキリがないが、DMH17系のエンジンで現在尚走り続けているだけでも有難いと思わなければいけないだろう。

北陸新幹線開通により、大糸北線部分をJRから切り離す話が浮上している。今後の動向は大変気になるところだが、ともあれ一日も長い活躍を願わずにいられない、一ファンの私である。

尚、一部にかなり古い画像もあるので、色調のおかしなものが目立つかと思うが、その点はご容赦頂きたい。

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2008年12月27日 (土)

恐怖の異常表示

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相も変わらず今日も仕事である。

企業秘密的な部分もあるから、あまり全体はお見せできないが、これ、私たちのバスの料金箱の運転席側から見た一部分である。現在、ICカード対応用に新しい料金箱に取り替えている営業所も既にあるけれど、私たちの営業所ではまだ新しい料金箱を取り付けた車両はない。

写真に出した従前の料金箱だが、実に故障が多い。多くの場合は何の前触れもなく、運行中に突然「プープープー」と3回ブザーが鳴り、左下側に見えている「異常」の赤ランプが点灯する。

プリペイドカードでの異常なら、写真の上側の緑ランプ(正常)が下側の赤ランプ(異常)に変わる。カードの異常は、ある程度原因が判ることもあるから、まだいい。

困るのは、料金箱内で何かのエラーが発生して、一方的に異常表示が出る時だ。これも、冷房の使い過ぎや冬季の寒さにより電圧が下がった場合など、私たちで対処できるものもあるけれど、殆どの場合私たちでは対処が出来ない異常である。

異常が出てしまうと、乗務員側で出来る限りの対処をして、それでダメなら営業所へ連絡して代わりの車を持ってきてもらうしかない。料金箱だけを取り替えるのは却って手間がかかるので、車両ごと交換してしまうのである。故障の内容も様々で、お客様に直接迷惑をかけてしまう様な故障も時にはある。故障時のマニュアルも教えられてはいるが、マニュアル通りにことが運ばないことも往々にしてある。場合によっては、運行途中でお客様からの料金徴収をやめて「次回乗られる時に今回の分も合わせてお支払い願います」とご案内しなければいけないこともある。これは、本当に最終手段だ。

何しろ、月に一度くらいのペースで故障に遭遇するから、私のような気の小さい者は、いつもビクビクしながら運転しなければならない。誠に心臓によろしくない。

異常のブザーが鳴っている場面に、夢の中で遭遇したこともある。

近い将来のICカードの導入により、来年度中には、どこの営業所でも新しい料金箱に置き換わることは確実だが、少しでも故障の少ないものに置き換わって頂きたい。小心者からの心からの願いである。

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2008年12月26日 (金)

魚澄庵炊事乃次第

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私がよく行く、今風の飯屋。敢えてちょっとブラした画像にしてあるが。

一人暮らしをしていると大きな態度の割には、私は家事全般、殆どダメである。親元の温泉に40年間浸かり続けたから、まるで自立していない。

洗濯やアイロンがけくらいは何とかしている。掃除も、まあ時間が空いていればちょぼちょぼ程度だがやっている。これらは自分がやらなければ、家や自分の衣類がどんどん汚くなっていくばかりだから、自分でやるしか仕方がない。汚臭の漂うような家には、無精者の私でも流石に住みたくない。

ところが全く手を出さないのが炊事である。インスタントラーメンを作るのを炊事と言っては、世の台所上手の方々から非難の嵐に遭うことが必定であるから、あれは炊事とは呼べない。つまり、食べることに関しては殆どが外食に頼っているのが実情である。

炊事も、やろうと思えばある程度くらいまでは出来るようになるかも知れない。だが、当人にその気がないので、そもそも手順を覚えようとしない。これじゃ、全くダメなことも至極当然のことである。

それでも、「飯屋」的なところは、色々メニューが揃っているから不自由しないのだ。写真の飯屋は我が住処から車で5分程度かかるが、出る手間を惜しまなければ何とか不自由なく食べることが出来る訳だ。それ程の長生きは望んでいないものの、60歳の定年後、少しくらいは自由な生活をしてみたい。だからそれぐらいまで寿命がもつ様に、メニューも自分なりに考えて偏りなく様々なものが口に入るように、選んでいるつもりではある。

こんな外食頼り人間が困るのは、これから迎える年末年始だ。以前は、年末までは何とかなっても、年始3日間は休業するところが多かった。時間が不規則な仕事の私たちであるから、たとえ開店していても夜10時には閉店しますでは、食いっぱぐれてしまう。コンビニ弁当の手段もあるが、3日続けてそればかりでは嫌になる。

ところがこれも時代なんですなあ。当の飯屋に年末年始の営業時間を訊ねると、「普段と全く変わりありません」とのこと。働く従業員の方たちも大変であるが、何しろ心配しなくてもいいと云うことらしい。独り者の見方だね。

かように世の中、甘く出来ているので、私のような人間でも一人暮らしが何とかやっていけるのである。

この飯屋さんに感謝、感謝。

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2008年12月25日 (木)

好日

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日付は変わってしまっているけれど。いつものように12月24日を「今日」として書く。

本日の私の仕業の頭の部分。あまり内部事情を晒すのもよろしくないので、この程度だけの公開に留めておく。

赤字で書いてある時刻が、出勤時刻。随分遅いけれど、仕事上がりもかなり遅い。営業所から車で5分程度の魚澄庵だが、帰宅したのは午前様であった。

こんな仕事ではあるが、昨日の休日、結構色々と家の片付けやら掃除やら出来たので、ちょっとした充実感はあった。こう云う公休日明けは、気分が軽い。起きたのは相変わらずの11時半だが、この出勤時刻なので余裕は十分ある。1月に出かける旅行のために、出勤前に近所の旅行会社まで往復する時間すら持てた。

乗務開始時分は、15時19分。ここからは仕事モードになる。でも気分が軽いから、ハンドルを持っていても気分に余裕がある。ある所から車椅子の方の乗車があったが、こう云う時はテキパキと乗降の補助も出来る。

夕刻17時頃、とある所で渋滞にはまる。普段渋滞などする所ではないので、変だなと思いつつ前方を見て、直ぐに納得が行った。早速マイクでお客様に案内する。「本日はクリスマスイヴと云うことで、K店に入る車が渋滞を作っております。遅れましてご迷惑様ですが、少々ご辛抱ください」。お客からは、諦めとも苦笑とも取れる小声が漏れる。「なぁるほど」と、納得気味の男性客の声も聞こえる。気分が軽いとこんな私でも多少は頭の回転がよろしくなる。K店の所為にしてお客を味方につけてしまえば、お客の側も苦言を呈しては来ない。

19時にも程近い時刻に、夕食のための長時間停車となる。げんなり来ていない時は、同僚との会話も弾む。私の苦手な某氏も、今日はこちら方面の路線は担当していないようで姿を見せないから、益々気分が良い。

ターミナルから東へ向かう路線は、渋滞で大変だと担当者がぼやいていたが、私の担当路線は一足早い正月でも来た様な道路の空き具合で、食後も順調に走る。流石に、夜の10時半を過ぎると老眼の始まった目がショボショボしてくるが、あと1時間ばかりの辛抱だからと思い、いつぞや書いた目薬はささずに走る。

23時19分が、最後の仕事の発車時刻。このターミナルから出るバスの最終時刻でもある。今日は特に駆け込み乗車のお客もなく、定刻に静かに発車する。循環路線だから、途中で全てのお客を降ろし切り、あとは空っぽでターミナルへ戻ってくる。念には念を入れて車内にお客が残っていないことを確認してから、方向幕を「回送」に変え、あとは車庫まで一走り。事故もなく無事入庫。ヤレヤレ。

終業点呼を受け、1枚だけ売れた乗車券カードの補充をして、本当に仕事が終わる。目のショボショボ以外は、取り立てて疲れもない。毎日こんな仕事ばかりだといいなと思う。

帰宅して、直ぐに風呂を沸かし、待つ間にPCのメールチェックをする。久し振りの知人から、メリークリスマスメールが入っていた。今まで、人とクリスマスの挨拶を交わしたこともなかったなあと、暖かい気分になれた。

こんな日って滅多にない。まあまあの好日と言っていいのじゃないだろうか。

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2008年12月23日 (火)

一人で勝手にクリスマス

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最近、自宅を電球やLEDのイルミネーションで飾る家庭が増えた。何かの新聞にも似た文が載っていたけど、冬の寒い時期を少しでも気分的に和らげようとの思いで、こうしたものを飾ってホットな気分にさせる庶民の知恵だろうと思う。

魚澄庵庵主は、つましい生活をしているので、とても自宅を電球で飾るような余裕などない。それに電球を灯す電気代を考えると、逆に財布がどんどん寒くなること請け合いで、だから別段家の外にホットな明かりは灯らない。

ただ、2年前のこれぐらいの時期、ホームセンターへ買い物に行った折、上の写真の小型ツリーイルミネーションを見つけた。値段は、本来なら7000円程度のものだが、現品限りの処分価格で4000円でもお釣が来る値段にされていた。

当時、一人暮らしとなって2年以上が経過していた私は、既に主婦的感覚が身についていた。「現品限り」「お得なお値段」。かような言葉には弱い。それで、つましい生活のはずの魚澄庵へ、このツリーイルミネーションが来てしまったのである。

以来、街でジングルベルが流れる季節になると、私も倉庫部屋からこれを持ち出してきて、写真のように居部屋に飾っている。別にバテレンでもなく、彼女いない暦も年齢そのままだが、せめてこれくらいは、との気持ちで一人勝手にクリスマス気分を味わうことにしているのだ。

以前、名鉄のパノラマカーに最後の乗車をした記事(12月5日)で、幼少時代の私の写真を暴露してしまったが、あのパノラマカーのおもちゃも2歳のクリスマスに親が買ってくれたものだった。小学校へ上がる頃までは、結構私の家でも家族でパーティーなどして楽しんだものだ。

このツリーのイルミネーションは、そんな楽しかった時代を思い出させてくれる。

だから、これからもこの季節になったら飾り続けたいと思う。

一人で勝手に盛り上がるおさかなのクリスマス事情である。

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2008年12月21日 (日)

’80sの洋楽にのめりんだワケ

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今年は冬至がいつもの年より1日早いみたいで、今日・12月21日だとか。閏年の関係かな。

あ、今のは余談。洋楽には関係ない。ちゃんと本題に入りましょうね。

先日、また通販で、80年代の洋楽集(CD6枚組)を買ってしまった。この手のものは、これで3組目である。それぞれの洋楽集ごとに選曲が異なるので、曲のダブりは殆どない。

今現在、80年代モノを聞くのは懐かしさと自身の癒しが理由の大半であるけれど、じゃあ何で80年代にそんなに洋楽を聞いていたかと云うのが、本日のメインの話題。それで、簡単ながらその答えを下に暴露する。

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ん~、何じゃ~?と思われる方もおありかと思う。これ、私の机の上に置いてある短波帯まで受信できるラジオである。一般に言うAM放送が525KHz~1610KHzぐらいの周波数を指しているけれど、AMってのは、電波の方式に過ぎなくて、今書いた周波数帯は「中波」が本来の言い方である。

中波より上の周波数のうち、30MHz(30000KHz)までを一般に「短波」と呼ぶ。日本では、短波を用いた一般放送局は「ラジオたんぱ」くらいだが、海外の放送局では短波を用いているものも少なくない。NHKの国際放送「ラジオ・ジャパン」も短波で放送されている。

電波についてのうん蓄はまた別の機会に譲るとして、この短波帯の3910KHzを用いて、以前、日本に駐留する米軍兵士向けに「FEN(Far East Network)」なる放送局が東京から電波を出していた時期があった。

現在でもFEN自体は存在するけれど、短波での放送は取り止めになってしまい、米軍基地のある厚木や佐世保・岩国などで中波を用いて放送しているだけである。中波は短波より電波の届く距離が短い性質があるので、短波で放送していた頃はまあまあ聞けたのだが、現在の中波放送は雑音と他の放送局との混信の間からわずかに聞こえるだけである。

FENは対象が米軍兵士であるから、英語での放送だけれど、放送内容は殆どが娯楽的な音楽番組で、私はこのFENを80年代にはずっと聞いていたのである。だから、曲のタイトルは判らなくても度々流れる曲なら耳に馴染んで、洋楽を覚えていった。特に、高校を卒業間近頃からは、放送をテープで録音し、気に入った曲だけをダビングしてオリジナルのテープ集を作っていった。

’87年頃に、FENの短波放送は終わってしまったが、アメリカの民間放送・KYOIという短波放送局が似たような番組を流していた。KYOIはサイパンから流されていた放送で、日本向けに放送していたから容易に受信できたのである。これを継続して聞いていたけれど、こちらは民間会社なので、スポンサーが思うようにつかずに1988年末頃にふっつりと放送をやめてしまった。

結局FENとKYOIで、合計21巻の60分テープ集が出来上がった。これらを暇があれば聞いていて、’80sの洋楽はすっかり「耳馴染み」になってしまった。それだから、何年経っても私の頭の中の音楽は、1980年代から時代が進んでいない。

奇しくも1988年が終わるとほぼ同時に、日本の「昭和」が「平成」になった。こんな偶然も重なって、つまりは私は洋楽の世界でも昭和人間のままなのである。

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2008年12月19日 (金)

新車搬入

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仕事上がりが遅かったので日付は変わってしまったが、例の如く12月18日の延長のつもりで書くので、その点はご了解を。

他車庫ではもう稼動している車もあるようだが、私たちの車庫では今日から新車の搬入が始まった。今日到着したのは社内番号NS-195・196の2台。これから恐らく2台ずつ隔日くらいで搬入され、第1次納車分の8台は、年内に出揃うと思う。

以前も書いたが、社内記号の「NS」とはノンステップ車のいすゞ製のものを指す。今年度はいすゞと三菱ふそうが入るのだが、第1次納車分は全ていすゞ、第2次納車分が全て三菱ふそうとなるそうである。

さて、今回の新車で今までの車と変わった点。まず外観上は、正面のヘッドライトの内側に小型の白色LEDのフォグライトがついた。電球のフォグランプも勿論あるが、LEDの方がかなり省力性に長けているそうで、今回初めてLEDフォグが付けられた。昼間時にフォグランプを点灯するように言われているが、このLEDのお蔭で、恐らく新車に関してはLEDの点灯だけで済まされるようになると思う。

折角なので、納入直後の、まだ料金箱もついていない状態の運転席周りをお目に掛ける。

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運転席のシートカバーさえ取り外されていなくて、本当に車庫へ納入された直後の写真である。

また、この写真を見て頂くとお判りかと思うが、3点式シートベルトが右側から出るように変更された(昨年度納入車は左側から出るようになっていて、かなり評判が悪かった)。

その他に、運転手にしか関係ないことではあるが、

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ミッションがMT式に変更された。これは経費節減のため(MT好きの私には嬉しい変更)。また、右側の写真は、タッチパネル式のディスプレイモニター。従来は扉開閉スイッチの付近に、運行情報を入力する簡略型のキーボードがあったのだが、いままでのモニターをメーカー側が生産中止にしてしまったので、止む無く新しいタッチパネル方式のモニターに変更したとのこと。JRのマルス端末を見慣れている私には、何となく共通点を感じて面白そうに思える。まだ操作したことはないので、操作性の良し悪しは判らないが。

ところで、私たちの車庫は、大して広い面積を有しない。現在確か104台の車両が配置されているが、最高収納台数は108台。4台分の余分しかない。だから新車が来たら、直ぐに廃車予定の車両から不要なものを取り去って、別の車両置き場へ移動させなければならない。1台目の廃車車両から既に不要物を取り去る作業が行われている筈と思い、車庫内の工場へ行ってみて、ちょっとショックを受けた。

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方向幕が抜き取られていることと、社番から廃車車両であることはすぐ判ったが、1台目に選ばれたのは、私が担当車制時代に3年間お世話になった車両だったのだ。新車でおろした人が2年で定年になってしまったので、その後を私が乗らせてもらった。エンジン音は静かだし、走行性も癖がなく大変乗りやすい車で、私にとってはお気に入りの車だったのだが、経年12年(確かそうだと思う)で、とうとう廃車の時期を迎えることとなってしまった。

4月の人事異動より一足お先に車の入替が行われるのは、毎年のこと。いつかはどの車とて廃車の運命にあるのだが、3年間も乗った車はこれしかないので、少し名残惜しい気持ちである。

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2008年12月17日 (水)

同窓生

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現在の仕事に就いてから、同窓生と顔を合わせる機会が増えた。

私は生粋の名古屋人だが、なかんずく小学3年の時に現在の居住地に越してきて以来、住所はずっと変わっていない。それだけならまだしも、赤の他人と接する機会が大変多い「路線バス乗務員」を職業に選び、更に14年近く、自宅に程近い営業所に勤務している。自宅から地下鉄の駅へ出る時に乗るバス路線は、私も「乗務員」として幾度となく担当している。

中学・高校時代の友人は、今ではかなり多くが他の土地で暮らしている。然し、地元に残っている友人も少なくない。自分の勤める“おひざもと”の営業所で担当する路線は、当然のことながら中学や高校の同窓生が住んでいた地域を走ることが多い。友人の中には私のように住所も変わっていない者もいる。そんな中を走るから、車内に掲げてある運転手名札を見て、向こうの方から「おい、おさかなじゃないか」と声をかけられることが時折あるのだ。

そういった友人が多い中、逆に私の方が気付いているのに、向こうからは何の一言も言ってもらえない旧友がいた。その友人とは中学2年の時に同じクラスとなり、その後クラスは同じにならなかったが高校も一緒だったという間柄である。彼が大人しいのをいいことに、中学2年の時、少し彼を虐めるようなことをしたことがあって、それで彼の方は知っていても無視しているのかなと思った。まさか、仕事中の私から彼の方へ声を掛ける訳には行かない。で、ずっと、ただ「バスに乗ってもらうだけの同窓生」であった。

ところが先日の城崎への旅行の帰り、地下鉄の駅からバスに乗ろうとすると、乗客の行列の中に彼の姿を見つけた。嫌われているのならそれで諦めるけれど、声だけ掛けてみようという気になった。

車内で彼の横に立ち、「○○さんだよね」と言うと、一瞬彼はギョッとしたような表情を見せた。たたみかけるように「おさかなだけど」と言うと、彼の表情が緩むのが判った。

彼が言うには、私が運転手をしていることは気付いていたとのこと。矢張り、車内の運転手名札で判ったそうだ。ただ、仕事中に無碍に声を掛けるのは迷惑だと思って、敢えて、ずっと声は掛けずにいただけのことだったそうだ。

それからは、彼がバスから降りる僅か6~7分のことであるけれど、同窓生の情報などの話に花が咲いた。こっちは、あいつとあいつとは音信が取れているぞ、そうか、僕の方は誰々と彼それなら、今でも年賀状のやり取りくらいしているよ、云々。

本当にあっという間に彼が降りるバス停になってしまったので、「遠慮しないで『おはよう』くらいの声を掛けてもらうことは構わないから」と言うと、「わかった。これからは一声くらいは掛けるよ」と言いながらバスを降りていった。

何年ぶりかに見る同窓生の笑顔に、私もまた一つの垣根が取れたような気がして、嬉しかった。

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2008年12月16日 (火)

山陰本線撮影結果ご報告

先日の(城崎温泉のついでに出掛けた?)山陰本線のフィルムが上がってきた。今回も、日程などの都合で、36枚撮りのフィルムを1本消費しただけであるが、少ない中から何とか見られるものを選んでご披露しようと思う。

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初冬の写真としては大変平凡なアングルだが、残り少なくなった湘南カラー(白帯入り)の2連の写真がこれしかないので敢えてご紹介させて頂く。多くの方が既にご存知のように、福知山地区用に223系のワンマン仕様車・5500番代が登場した。この113系は115系の2連用改造車と共通運用されているようで、スジを押さえていても、113が来るか115が来るかは運次第と云うことになる。江原~国府にて。

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たわわに実をつけ、然も葉が落ちた柿の木は沿線で何本も見つけた。でも残念ながら、鉄道車両と一緒に撮影できるポイントは今回見つけることが出来なかった。そんな中で、国府駅のすぐ脇に僅か4つの実を残した柿の木を見つけ、早速題材とさせてもらった。国府駅のすぐ西側、まだ駅の構内が撮影地である。もう少し早く訪れていれば、柿の実も沢山くっついていたかも知れない。

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養父駅から15分くらい八鹿側に歩いた踏切付近から撮ったもの。本来は、この反対側のトンネルを目当てにやって来たのだが、トンネルはトンネルでいいとして、こちら側のカーブも面白いと思って撮影した。こう云ったカーブの写真では編成全体が写るのがよいとされているが、そんなポイントは限られていて、殆どのポイントは既に鉄道雑誌や鉄道関係のサイトで取り上げられている。私はあまりセオリーを気にしない性分なので、こんな写真でもまあいいやと思っている。たまたま来た列車も国鉄色だったし。

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「撮影記」の方で「近所の犬に吠えられ続けた」と書いた地点で撮影したもの。上夜久野の駅からほんの300m程度、下夜久野寄りへ歩いた所から撮った写真だ。水田の形が、飛騨地方の「車田」のようにぐるっと回っているのが面白くて、前景にさせてもらった。でも上がったフィルムを見ると、前述した新鋭223系電車の側面が太陽光に反射する、所謂「ギラリ写真」になっていたので、そちらの視点で見た方が面白いかも知れない。尚、背景の山にはこのとき陽が当たっておらず、完全に潰れてしまっていたので、多少画像処理をして誤魔化してある。

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これまた「撮影記」で書いたように、上夜久野駅にはちょっと長居をしたかったので、駅のホーム端から撮影した夜久野トンネルの写真。私の持ち合わせでは最も長い焦点距離になる、300mmに1.4倍のテレコンで420mm相当にして写した。最近、安物だが一脚を購入したので、こんな時には多少のブレ防止の助けになってくれていると思う。駅付近は適度に鄙びていて、もう一度でも出掛けたい気になる駅だった。

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またまた「撮影記」の記事で掲出したところ。「撮影記」では列車のない写真を貼り付けたが、列車が来るとこんな感じになる。温泉を目当てに出た旅行だったので撮影には余り力を入れなかったが、その中でも結構いいポイントだなと思わせてくれたのが、この上川口駅の付近である。この写真は上川口から下夜久野方面へ1キロくらい歩いた付近から撮ったが、もう少し駅寄りの細い道路橋からも中々風情のある写真が撮れる。流れは、牧川。

***

今年度一杯、私の職場は大混乱のままなので、私は心身ともに疲れてあまり写真に身が入らない。3月までは、こんなような気の抜けた写真しかご覧頂けないと思うが、仕事あっての趣味なので仕方ない。まあ、どっちにしても気の抜けたような写真しか撮っていないのが常だから、わざわざ断ることもないか(苦笑)。

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2008年12月15日 (月)

福知山市営バス

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先日の山陰線撮影旅行で、上夜久野(かみやくの)という駅へ降りたことを書いた。この駅は隣の下夜久野駅と共に、嘗ては京都府天田郡夜久野町に属していた。

然し何年か前の「平成の大合併」の時に、隣接する福知山市に編入されてしまい、現在では「やくのちょう」との名の情緒ある自治体は存在しない。

さて、その上夜久野駅に降りた時に知ったのであるが、ここに何と福知山市営のれっきとした「市バス」が来るようになっていたのだ。但し上の写真の通り、マイクロバスによるもので、ちょっと一般的な市バスのイメージとは違う。最初見た時は、白ナンバーなので、どこかの企業の送迎バスかと思ったくらいだ。

この写真では全体を写さなかったが、上夜久野駅前には3台のバスが停まれるようになっていた。ただ、あくまでマイクロか精々中型バスしか入れない待機バースだった。

町村合併で余計拍車がかかったように思うが、最近、この手の公営バスが増えたように思う。駅から病院や役場などの公共機関を、あちこちの集落を回りながら結ぶ、所謂「地域コミュニティバス」だ。多くは民間バス会社に運行を委託して、自治体側はバス車両の提供と乗車料金の補助だけをする形態をとっているようだ。でも、中には自治体が自前で全て運行までしているケースもある。

どうも、この“市バス”は、後者の方らしい。バスの車体を隅々まで見てみたが、車体にはバス会社の名はなく、ただ「福知山市」とだけ書いてあった。こう云うバスは、市民以外の者も無料で乗せてくれるのか、それとも市民以外からは料金を徴収するのか、自治体によって様々なのでよくは判らない。そもそも白ナンバーなのだから料金を徴収すること自体が違反行為になるはずなのだが、特例などが色々あるようで、他の町村で白ナンバーのワゴンカータイプのバスに、お金を払って乗った経験は何度かある。私も乗り合いバスの運転手であるけれど、あまり詳しい規則は知らない。

名古屋のような大都市での「市バス」の事情はだいたい呑み込んでいるつもりだが、大型バスで運行するのだけが市営(或いは公営)バスとの考えはいい加減に改めなければならないようだ。確かに、大都市でも「地域コミュニティバス」的なものを運行する自治体が増えてきた。それぞれの財政に合わせた規格の車両で、細い道まで入り込んで運転されるバスは、本当に企業か幼稚園などの送迎マイクロバスと大差は感じられない。

それでもこの様なバスは、「バスの生き残りをかけた『起死回生策』」と、あちこちの乗り物の雑誌で紹介されている。大型バスのハンドルを悠々と回すことのできる私たちは、まだ恵まれている方なのかも知れない。そんなことを感じさせてくれた、福知山の市営バスであった。

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2008年12月12日 (金)

城崎温泉と山陰本線豊岡近辺撮影旅行

9日に予告したとおり、城崎の温泉に浸かって来た。簡単に軌跡を振り返ろうと思う。

12月10日(水)

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14時半頃仕事を終え、少しだけ家で休息してから、出発する。中央線・新幹線を乗り継いで、京都まで。ここからの特急が実質の旅行の始まりかな。特急の行先も、宿泊地と同じでズバリ「城崎温泉行」。ここまで来るとやっと、旅心が頭をもたげる。

京都府内で濃霧発生のため、折り返し列車の入線が遅れ、発車も10分程遅れた。然し、車掌のアナウンスでは一言も「列車が遅れましてご迷惑様」等のお詫びの言葉がない。普段、5分も遅れるとお客に苦言を呈されて謝るばかりの身としては、いささか面白くない。以前、紀勢線で列車遅れがあった時もそうだった。JR西日本の車掌のマニュアルに、お詫びの言葉はないのだろうか。

結局、列車すれ違いのための停車などで、城崎温泉駅には20分遅れで着いた。宿に告げてある到着時刻を遥かに過ぎているので、駅から一言電話を入れておく。

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駅からは徒歩5分程度で、すぐに泊まる宿は判った。2晩お世話になる旅館の夜景。有名温泉地だから、程々の構えの宿が多く見受けられた。

取り敢えず旅装を解いていると、仲居さんが「ここは外湯が有名ですから、今からでも如何ですか」と言ってくる。然し、既に21時。全身浴は宿の湯でゆっくりしたいから、ガイドマップにあった足湯に行ってみることにした。足湯なら料金は不要とのこと。

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ってな訳で、宿で紹介された「一ノ湯」の足湯に浸かっている、私の右足(こんなもの、一々アップしてどうする?)。足湯は道路に直接面しているので、外湯巡りをする観光客の下駄の音がカランコロンとよく聞こえる。中々情緒ある足湯近辺であった。

12月11日(木)

ビジネスホテルじゃないから朝食はついていて、遅くても8時に食べて欲しいとのこと。で、7時45分くらいに起きる。

食後少しゆっくりして、9時少し前に宿を出る。宿前の「地蔵湯橋」から山陰線の鉄橋が目前に見えるので、まずここで1枚。それから駅に向かう。

普通列車を豊岡乗換えで、城崎から3つ目の国府駅へ。以前この付近を通った時に、結構好印象を持った覚えがあるので降りてみた。然し、車窓から見るのとは違い、撮影地としては面白味に欠ける場所であった。その上

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順光となる側にはケーブルがかかってしまっていて、こちら側からの写真では使い物にならない。仕方なく、線路を横切って逆光の側から何枚かアングルを変えて撮ってみる。昼過ぎまでここで粘る。

13時54分発の普通列車で更に南下し、養父駅で降りる。天気予報どおり空が曇ってきたが、兎も角1キロほど歩いた隧道の出口付近で三脚を立てる。

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トンネル出口付近は空き地で、かなり線路に近付けるので助かった。

この後、駅へ戻る道すがら、もう1箇所見つけておいた所でカメラを構えたが、空がどんどん暗くなり、予定していた列車を撮り終えたと同時に、本降りの雨が降り出した。養父駅へ戻った時には

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こんな状態に。それでも、城崎温泉へ戻ると雨は止んでいて、宿までは傘を差さずに戻れた。この日も一日中列車ダイヤは乱れていて、宿へ戻ったのは予定より15分くらい遅かった。

さて、これからがお楽しみである。ちゃんと一献を予約しておいた。

ジャジャーン♪

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冬の山陰に来たら、やっぱ、カニさんは食べなきゃね。3週間近くビールは飲んでいなかったが、この日ばかりはしっかり飲みました。ハイ。

飲んで食べて満足した後、宿の温泉で体を洗い、久し振りに寛いだ気分に浸る。30分くらい、寝転がっていた。でも、実は仕事もちょっと持ってきていて、気になったので起きてその“仕事”を始める。

↓こういう仕事だけど。

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夜は何もすることはないし、テレビを見たところでつまらないから、せこいと言われようが何と言われようが、時間を有効に使うおさかなである。

何枚か書いたところで 、この日は本当の外湯へ行ってみる。宿の隣に「地蔵湯」があるが、ちょっと食後の運動には物足りないので、反対方向で一番近い「柳湯」へ浸かって来る。湯温が高いからか、宿の湯よりも硬い感じがした。

宿へ戻り、また賀状書きに精を出し、11時半ころ就寝。

12月12日(金)

昨日と似たような時間に起き、昨日と同じ時間の城崎発の列車に乗る。今日は、まずここまで行く。

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珍しい駅名だと思うが、下にあるふりがなの通り「かみやくの」と読む。ここの駅を初めて通ったのは、高校2年の夏、友人らと当時の鈍行夜行列車「山陰」に乗った時だ。その時に車内から駅名標を見て、時間が深夜だったこともあるけれど、なんて情緒のある駅名なのだろうと思っていた。一度降りてみたい駅だったのだが、28年の時間を経てやっと実現したのである。

駅付近で少し撮りたいと思っていた場所もあったので行ってみる。線路から少し離れた場所に三脚を据えると、近所の飼い犬が吠え出した。

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それでも10分も吠えると飽きたのか、あとは私の方をじっと見ていた。結構愛嬌のある奴だった。

上夜久野駅へ戻り、再び駅をじっくり見てから、13時45分の電車で、最後の目的地・上川口へ行く。駅から1キロほど歩いた辺りに、川沿いのまあまあの景色があるように地図から予想していたのである。幸い予想は当たり、大体こんな感じの辺りでカメラを構える。

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私のデジカメでは、これが望遠の限界だけれど、実際の一眼での写真はもっと望遠の利くレンズで撮っている。時折日が射したりして、まあまあの場所だった。

今日もダイヤは乱れていたが、14時くらいから徐々に復旧し始めたようで、最後に撮ろうと思っていた「きのさき8号」は、ほぼ定刻に通り過ぎた。ヤレヤレである。

あとは福知山に出て、特急と新幹線を乗り継いで帰るだけである。9日の記事でも書いたように「2泊2日」みたいなプチ旅であったが、有難いことにも12月としては異例の暖かさで、雨の時も含めて殆ど寒い思いをせずに済み、助けられた。温泉でしこたま体も温めてきたし、短いながらも「年の締めくくりの旅」には頃合の旅行が出来たと、一人、悦に入っている。

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2008年12月 9日 (火)

晩秋の日豊本線にて(4)

色々忙しくて、少し間が空いてしまった。

さて、もう晩秋は終わっているが、読み込んだ写真がまだ少し残っているので、日豊本線の晩秋の景色をもう少しお届けしようと思う。

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来春の廃止が決定的となっている九州ブルトレの「富士」。10月の鹿児島本線撮影記で、相棒の「はやぶさ」の方をご紹介したが、「富士」も前年にしっかり撮っていた。完全逆光で碌な撮影地ではないが、正直に言うと、撮影場所を探しているうちに列車の時間になってしまったというのが本当の話である。日出駅から少し暘谷駅寄りへ歩いた辺りにて。

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アシの茂みの向こうを行くのは、昼間に走る数少ない貨物の4075レ。渡っている川は臼杵川で、大分を過ぎてからでは、初めての街らしい辺りを流れる川である。この時は晴天に恵まれて殆どの映像が晴れ空の下を走っているが、シビアに逆光的なところが多く、傑作写真とは言い難い。駅間は熊崎~上臼杵。

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パンチの利いた写真が少ないが、多少面白味はあるかと思って読み込んだ写真。現在のところ、「にちりん」は大半が国鉄型の485系での運転となっているが、一部にハイパーサルーンによる運行がある。そのハイパーのヘッドライトが、夕闇の線路をキラつかせている。狩生駅付近の浅海井寄りの踏切より。

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せっかく国鉄型で運転されているのだから、塗装も国鉄の色でなければ、と云うことで、たまたま来てくれた国鉄カラーの485系による「にちりん」。3両固定編成なので、運用としては「にちりん」「きりしま」「ひゅうが」で限定的に使用されているようだ。ススキの穂もかなり呆けている季節だけれど、どの景色にも国鉄カラーって本当によく似合うなあ。佐志生~下ノ江にて。

お立ち台にこだわっていないので大した景色はないが、自分なりに思い出に残る風景が多かった辺りだと思う。単線区間だから、ポールにもそれほど気を使わなくて済むし、気楽に出掛けるにはいいところだと思う。

***

さて、明日の仕事後から“2泊2日”みたいな感じで、山陰本線の城崎付近へ出掛ける。目的は、どっちかと言うと温泉がメインのつもりでいる。でも折角出掛けるので、多少の山陰線の写真も撮ってくる予定。そんな訳で、早くとも12日までまたまたお休みとなるけれど、どうぞ、ご了承の程。

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2008年12月 5日 (金)

名鉄パノラマカー1190レ乗車記

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……乗車記なんですが、初っ端に恥を忍んで、とんでもないものをご披露しております……。

魚澄庵庵主、3歳の時の写真である。3歳にして既に、これだけブリキの電車のコレクションをしていたんですな。我乍ら筋金入りだなぁと思うのだが、そのコレクションの中に、しっかりパノラマカーも入っているのだ。やっぱり子供心にも、パノラマカーは憧れの存在だったということだと思う。

さて、この写真はどうでもいいので、先へ進む。

いつもコメントを下さるN市のTさんに「なくなってからでは遅いですよ」と言われ、公休日の今日、とうとう7000系パノラマカーに乗りに出掛けた。定期運用は12月26日で終了してしまうから、思い切らなければ一生後悔しそうな気もして、雨の中を出掛けたのであった。

タイトルにした1190レは、岩倉を10時47分発車、終点・東岡崎には12時29分に到着する普通電車である。2時間弱の間、最後の眺めと乗り心地を楽しもうと言う魂胆である。

以下は、写真と簡単な説明で、文章はなるべく略させて頂く。

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岩倉駅3番ホームに入ってきた1190レ。方向幕の中にこの行先はないそうで、前頭板をつけての入線である。

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早速車内へ入る。先頭席は同業者に取られてしまったが、何とか前から2番目の席を確保。車内の番号表示を写しておく。「N市のTさんのブログ」にあったのと同じ、白帯入りの7011F編成であった。

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発車して20分ほどで名古屋へ。地下へ潜る下り坂の途中で、対向の岐阜行き電車とすれ違う。

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名古屋を出ると、またすぐに地上へ。雨脚が強くなってきた。

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シャッターを押すのが遅かったが、金山では別のパノラマカー編成が留置されている横を通り過ぎた。

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金山から神宮前へ向かう途中、JRの熱田駅付近で、嘗ては「パノラマカーのライバル」とさえ言われたJRの元新快速用電車・117系が車窓にちらりと見えた。

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本星崎駅での1コマ。ワンマン運転用のミラーに写る、我が7011F編成。

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鳴海駅では、二本の列車に抜かれるため、小休止。反対側ホームの6000系電車とのツーショット。

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先頭車上部にある速度表示計。普通だから中々速度は出せないが、最高で90キロまで数字が上がった。まだまだ健脚なのだが……。

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豊明では、あとから来た後輩の2200系による快速特急に道を譲る。

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新安城で停車中、ふと横を見ると、嘗ての座席指定車の証・席番表示がしっかり残っていた。

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駆け足で辿ってきたが、とにかく12時29分、定刻に終点の東岡崎へ到着。雨の中、傘をさした作業員が前頭板を外して、1190レとしての運用は終了である。お疲れ様。

因みにこの電車、このあとは豊明に回送されて、夕刻のラッシュ時間帯にまた活躍するそうだ。

***

「これで最後」のつもりで乗りにきたのだから、もう7000系のパノラマカーに乗ることはないだろう。それでも普通電車としての運用だから、のんびり乗れてよかった。多分、今日のことは一生忘れないと思う。私にボケが来て、過去のことを一切忘れないかぎり。

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2008年12月 4日 (木)

1枚いただき

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少々大きな画像になるが。

私たちの職場で11月30日まで使われていた「日常点検票」である。

12月1日から仕様が変わり、この点検票は使えなくなったので記念に1枚だけ頂戴してきた。もっと貰おうかと思ったら、意外にも「計画的に仕入れる量を調整したから、そんなには余っていないよ」とのことで、1枚だけの頂戴となった。

実際の大きさは、タテが21センチ程度、ヨコが15センチ程度の代物である。私がこの職場に来た頃は、もう2まわりくらい小さな紙片だったのだが、1年も経たない内に紙のサイズだけ大きくなった。内容は、最下段の「ホイールの取付状態」が最近になって追加されただけで(だからゴム印になっている)、要するにこの内容の点検票で約15年間過ごしてきたことになる。

見慣れた点検票で、わざわざ記念に持って帰るほどのこともないのだが、何分にも「バスマニアだからバスの運転を生業にした」人間である。だから、記念になるものは許される範囲で何でも貰ってきてしまう。退職まで無事に生きて終えることが出来るかどうかは知らないが、仮に生きていたとして、退職から4~5年経つと結構いい思い出になるかも知れない。

さて、「日常点検」と云うくらいだから、出勤して、まだ点検を終えていない車両に乗務するのなら、必ずここに書かれている項目は点検しなければいけない。そして、必要箇所にチェックを入れ、日付と車号を書いたうえ捺印して提出することが義務付けられている。

私たちは「出勤」してから、「実際に出庫」するまでに最低でも20分の時間が取ってあるが、この点検に慣れて素早くこなしても7~8分はかかる。仮に異常が見つかれば、応急処置をしてもらうか、それが出来なければ代車を用意して貰わなければいけないので、この「20分」との時間もよく調整された時間だなと思う。

夏場はまだいいが、これから向かう寒い季節、特に早朝の点検は辛くなる。まだ外は真っ暗だし、おまけに外気温はマイナスの事だっていくらでもある。先日の記事にしたような指の「あかぎれ」が点検中に傷口を広げることも往々にしてある。

何だかんだ文句を言いながらも、お客さんと自分たちの身を守るために、これからも寒風の中での点検が続くだろう。ペラペラの紙切れ一枚だって、私たちの必死の思いがこもっているのではある。

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2008年12月 3日 (水)

ダンプ事情昨今

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寒い季節になり、雪の多い地域から出稼ぎダンプが多くやって来る季節となった。又聞きの話では、北海道の漁師さんなどは、夏は魚を獲り、冬はダンプを運転して稼ぐ方もあるとか。だから、北海道では大型免許の所持者が多いとさえ聞いたことがある。

然し、実際はこの不況下、ダンプでは生計が立てられるような収入は得られないらしい。

先月、私たちの職場に新入職員が入ったことは書いた。その中に一人、前職がダンプ運転手という方がおられた。

その方の話では、個人で白ナンバーでダンプを所持していても、とても仕事など見つかりはしないそうなのだ。だから、どうしても建築関係の会社などにコネクションをつけておき、そこに登録しておいて貰って仕事を回してもらうのが精一杯だとのこと。

だいたい、ダンプの仕事は1杯(荷台に土を満杯に積んだ状態)の往復で幾ら、というシステムだから、回数を走らなければお金にならない。それも、近い距離の仕事は1杯当たりの単価が極めて安いので、ある程度の距離での往復でなければ、マトモな賃金は受け取れないそうだ。

以前は、ダンプの運転手に憧れる人も多かった。でも今は、ダンプで食べていくのは、余程のコネと体力がないと無理だそうだ。「ワーキングプア」との言葉は、こっちの仕事に使って欲しいと、その方は話していた。

バスの運ちゃん業も楽ではないが、ダンプよりは余程いいと云うことらしい。そう言われると、曲がりなりにも大型二種の免許を取っておいてよかったなあとも思える。取り敢えず、何とか食べていくことは出来ているので(但し、体は既に壊れかけているが)。

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2008年12月 1日 (月)

ワープロによるダブルショック

11月28日に記事にした「おばさんを乗せなかった件」について、今日、営業所の副所長から話を聞かれた。乗れなかった本人から苦情の電話があったとのこと。別に副所長も叱るわけでもなく、事情を聞かれただけですぐに解放された。

何でも苦情の電話を入れれば済むと思っているおばさんよ、私はネット上で堂々と言います。「私はマニュアル通りのことをしただけですよ。」

えっと、別の話題から始まってしまった。本題へ入る。

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一昨日のこと。

珍しく、自筆で書くものがあったので筆を走らせていると、「監督」の漢字が書けなくなっていた。最近よく巷で言われているが、自動変換のワープロに慣れてしまって、自筆で書ける漢字がどんどん減っているとの話、私にも見事に当てはまっていた。

嘗ては「薔薇」でさえ自筆で書けた私であるが、すっかりワープロやメールなどの自動変換に頭が馴染んでしまっている。こんな簡単な漢字が……とショックだった。

仕方なく、久し振りに国語辞典を引いた。「かんとく」の項を見つけて漢字を読もうとしたら……

老眼が進んで辞書の小さな文字が読めなかった。またショックだった。

私は眼鏡をかけているから、眼鏡を外して辞書に思い切り目を近づけて、やっと用を為した。

そう云うダブルショックのお話でした。とほほ。

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