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2008年11月 3日 (月)

床屋の親父さん

Dscn

私がいつも行く床屋。これと言って目立った床屋でもない。ごくありふれた、町中の長屋の片隅に店を構えている。

とは言っても、私にとっては随分長い間通っている場所でもある。私がこの地域に引っ越して以来、ここの床屋にしか行ったことがない。引っ越してきたのは9歳の時であるから、何と36年間ここの親父さんにお世話になっている。

親父さんとの会話も、私の歳に合わせて段々と変わってきたものだ。小・中学生の時は、それなりに学校の話などを聞いてくれたりした。高校は、頭髪に関して無闇矢鱈と厳しい学校だったから、どうすれば「刈り上げじゃないが刈り上げらしく見える髪型」になるか苦心してくれた。一転して、大学生の頃は年に1~2回しか行かない「売り上げに貢献しない客」になった。高校で厳しくされ過ぎた反動で、大学時代はかなり長髪に近い髪型になるまで床屋へ行こうとしなかったのだ。

地元で就職して、ある程度の身だしなみが必要になればそれなりに親父さんが整髪してくれた。もっとも私はオシャレに全く関心がなく、「何か軽いものでもお付けしますか?」と聞かれて、首を縦に振ったことはない。それは今でも続いている。

でも、親父さんとの会話は徐々に大人の会話になっていった。当たり前の話ではあるけれど、兎に角職業柄だろう、向こうはちゃんと私の年齢や職業に会話の内容を合わせてくれている。

今日、仕事帰りに久しぶりでここへ行った。最近、少し短めに切ってもらって、多少長めになるまでここへ行かないという「省財政政策」をとっている。前回行ったのがいつか覚えていないけれど、多分、8月かそこらの暑い時期に行ったきりだと思う。

自分が高校生だった時代もある癖に、今時の高校生批判をしてみたり、たまたまついていたテレビ(水戸黄門をやっていた)のことを話題にしてみたり。

でも、私が忘れていたことが一つ。親父さんが「孫の名前が覚えられなくて……」と言われた時、そう言えば昔、ここに私より6つか7つ違いの娘さんがいたことを思い出した。そうか、あの頃に赤子同様だった女の子も、今では母親なんだ、と。

と同時に、親父さん、歳はいくつなんだろうなと思った。私が9つの時に既に床屋として腕を振るっていたのだから、もう還暦はとうに過ぎているだろう。そう思ってみると、親父さんの白髪の多いこと。私の方に変化がなさ過ぎるからこうなるのだ。

親父さんとの付き合いはいつまで続けられるのだろう。

気楽な場所だから、出来るだけ長く付き合いたいものだけど。

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コメント

私も名古屋に来た当時から10年位はいつもの床屋さんに行っていましたが、今は家とは反対方向で面倒なので車庫の床屋さんでやっています。

床屋さん、カメラ屋さん、行きつけがいいですね~。

投稿: N市のT | 2008年11月 3日 (月) 21時47分

>N市のTさんへ
床屋の親父さんは誠に長い付き合いですが、カメラ屋(と言うかプリント屋)は、今の営業所に移ってから、営業所の写真部の長老に紹介されて行ったのが最初でした。ですから、まだ10年そこそこの付き合いだと思います。
ここへ落ち着くまでは、あちこちのフジカラー委託現像所(本屋だの酒屋だの)を転々としたものです。

そういえば一時期、コダックの現像所も覗きました。色調が自分好みでなかったため直ぐにやめましたけれど。

投稿: N市のTさんへ | 2008年11月 4日 (火) 23時43分

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