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2008年11月11日 (火)

昭和54年3月・名古屋駅〈続編〉

先日アップした昭和54年当時の名古屋駅の映像がもう少しあるので、スキャナで読み込んでみた。もう暫く、懐かしの映像とお付き合いいただければと思う。

Img82_2

名古屋のDC特急は、今と同じ「南紀」と「ひだ」だが、当時は82系が使われていた。本来は53年10月改正で、1往復だけ残っていた大阪行しなのと同様の181系に置き換える予定だったらしいが、名古屋に整備関係で181系を扱える人がいないとの理由で、82系のまま据え置かれたと聞いている。何れにせよ、名古屋では82系の先頭車を中間車扱いすることは滅多になく、珍しいので撮っておいたものだ。この写真の大きさでは読めないが、サボには「金沢行(高山線経由)」とあることから、15時30分発の「ひだ7号」らしい。

Img5043_2

先日アップした、中央線の荷物列車5043レの全景である。停まっているのは4番線で、この頃の3・4番線は東海道筋も含め荷物列車が主に使用していた。隣に小さく写っているのは「しらさぎ」で、こちらは5番線になる。今では信じられないことだが、この頃の東海道線の普通・快速列車は1時間に1~2本しかなかったので、5番線は名古屋始発の「しらさぎ」や「ひだ」に使われることが多かった。

Imgef58_2

時刻表を調べてみても、昼間時に客車列車の設定はないから、団体専用の臨時列車であろうと思う 。EF58は、末期には多くの車両のヘッドライトがブタっ鼻(シールドビーム2灯)化されてしまったが、まだこの車両は施工されておらず綺麗な姿である。牽引機のEF58 92は、当時の配置表を見てみると宮原になっている。下り列車だった覚えがあり、先程のしらさぎ同様、停まっているのは5番線だと思われる。

Img12_2

上の写真と同じ団臨列車の発車シーンである。客車の所属が大ミハとなっていた覚えがあり、上の牽引機とも一致する。それはともかく、12系客車の後部窓がやけに縦長で、ちょっと趣が違う。後々まで残った12系客車でも同じ傾向があったのだが、関西以西の所属車に、この形の窓をちょくちょく見かけた。番台でこの窓の形の種別があったのか、製造所による違いなのか、詳しくは私は知らない。

この時の映像で、見られるものはこれぐらいなので、これが“最終回”になる。でも思いの外、貴重な映像を自分も持っているなと勝手な感想である。

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コメント

貴重な画像ありがとうございます。
80系も馴染みの車両なので懐かしいです。
「10.8対決」の時に最後の乗車に行きました。

客車の仕様や改造に関してはT爺さんが詳しいと思います。

投稿: N市のT | 2008年11月11日 (火) 21時29分

>N市のTさんへ
キハ80系が名古屋からなくなる頃は、トラックの運ちゃん業をしており毎日が忙しく、今のように定期的な休みも少なかった影響で、乗りに行くことができませんでした。最後に乗ったのは、多分国鉄時代の(つまりは学生時代の)話になると思います。

12系客車の件、T爺さんにお聞きしようと思います。

投稿: N市のTさんへ | 2008年11月11日 (火) 22時42分

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