« 晩秋の日豊本線にて(1) | トップページ | 不眠症その後 »

2008年11月 5日 (水)

昭和54年3月・名古屋駅

Dscns54

今日は公休日。最近、先輩の某氏が昔のご自分の写真をブログで盛んに紹介されているのに刺激され、私も昔のフィルム箱を漁ってみた。

出てきたのが上のモノクロフィルムである。たまにはモノクロ映像をご覧頂くのも一興かと思い、昭和54年当時の名古屋駅の姿をご紹介しようと思う。

Imgeh10

我ながらよくぞ撮っておいたなあと思うのだが、当時としては大出力機関車として名を馳せたEH10型機関車牽引による貨物列車である。当時の名古屋駅は、現在の1番線に当たるところが0番線で、東海道線の上り列車は主にこのホームを使っていた。通過列車も0番線を通るのが原則で、これは0番線の北端からホームへ入ってくる列車を狙ったものだ。

Img541m83

今となっては垂涎の的のような映像だが、前部に荷物電車クモニ83型を併結した東海道線の下り普通電車。時計の針から推察して、541Mではないかと思われる。荷物の積み下ろしの関係もあったのだろう、名古屋駅では13分の停車時間がとってある。そうでなくとも、この当時の普通列車は大きな駅へ着くと15~30分の停車が当たり前であった。この頃の東海道線の普通電車は、急行型の153・165系を使うことが多く、(写真では判りにくいが)111系を用いているのは珍しい。大垣の車庫にそもそも111系の配置がなかった。神領電車区の車両が使われているものと思われる。

Img5043

荷物列車の映像をもう少し。「小荷物」や郵便物を運ぶ荷物列車は、貨物としての扱いではなく、客の荷物としての扱いであった。だから使う車両も貨車ではなく客車であった。この辺り、如何にも国鉄らしい分け方だと思う。先程の写真のように、旅客列車に併結される例もあったが、「荷物専用列車」も幹線では数多く存在した。これは、中央線へ入る荷物専用5043レの解結作業。名古屋地区では、当時、荷物扱いの本拠地は熱田駅で、この列車も始発駅は熱田となっている。一駅走っただけの名古屋で(当時、金山・尾頭橋の両駅は東海道線に存在せず)わざわざ向きを変える関係から、機関車の付け替えや解結の作業もあったようだ。写っている郵便車の配置は長野になっている。如何にも中央線の荷物列車らしい。

Img

まるで趣の違う写真だが。当時の駅の発車案内装置。列車種別や発車時刻等が「パタパタ」と回転する方式の古式ゆかしい案内装置が当時は一般的であった。今では3色LEDの案内が当たり前となっているが、こんな装置が30年前では常識だったのだから、時代の変遷が伺える。因みに下段の行先表示「 松」は「浜松」の誤表示。当時の私は、この誤表示が面白くて撮った写真なのである。歳月過ぎて、こんな処で使うことになるとは思いもよらなかったけれど、当時から「イレギュラーもの」に関心を持っていたことが窺い知れ、自分ながらに面白い。

私は、今までに自分で写した鉄道関係のフィルムは全て保管してある。引越し等でどこかへ行ってしまったということも幸いない。機会があればこんなものも時折織り交ぜて、ご紹介できたらと思っている。

|

« 晩秋の日豊本線にて(1) | トップページ | 不眠症その後 »

国鉄・JR」カテゴリの記事

コメント

SLが全廃になって力が入らずあまり撮影しなくなり、チャレンジの時も余分な写真はあまり撮影していないので、もっと撮影しておけば良かったと悔やまれます。

今となっては、イレギュラーものや何気なく撮影したものがネタになるので面白いものですね。

最近はデジで、何でもかんでもフィルムの心配をしなくていいので安心してバシャバシャ撮影出来るので有難いですね~。

投稿: N市のT | 2008年11月 5日 (水) 23時08分

>N市のTさんへ
私は、高校入学で一つの区切りがついています。それは「鉄道模型」から「鉄道写真」への切り替えです。中学1年の時に模型で遊んでばかりでちっとも勉強しないからと、親から模型を取り上げられました。で、中学2年からは地元の瀬戸電を撮っていましたが、中学3年になった時、同級生にブルトレファンがいたのがきっかけで名古屋駅へ出かけるようになりました。

ここで掲載した写真は、親から借りた一眼レフ「ニコマートFT」で撮ったものですが、この時を境にハーフサイズのペンEEから徐々に一眼の写真が増えています。

自分自身の懐かしさもあるので、今後も機会を見て、このテの映像をアップしたいと思います。

投稿: N市のTさんへ | 2008年11月 5日 (水) 23時59分

今みたいに快速や普通が頻繁に走っているのとは隔世の感がありますよね…。

投稿: リニモ1号 | 2009年7月18日 (土) 07時01分

本当に隔世の感がありますね。
この頃は、東海道線の例で言えば、1時間に快速と普通が各1本ずつという程度でした。
中央線だと、昼間は下手すると1時間に快速又は普通が1本なんて感じでした。
もっと酷い関西線では、普通列車は2時間に1本程度しか走っていませんでした。ただ、急行がそこそこの本数あったので、それで本数的にはカバーしていた感じですね。

長閑な時代でしたよ(笑)。

投稿: リニモ1号さんへ | 2009年7月21日 (火) 00時45分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1088631/25056159

この記事へのトラックバック一覧です: 昭和54年3月・名古屋駅:

« 晩秋の日豊本線にて(1) | トップページ | 不眠症その後 »