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2008年10月

2008年10月31日 (金)

無賃乗車

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今日撮った写真ではなく、1ヶ月ほど前のものだけど。

バスを運転していたら、知らない内にフロントガラスに蛾がくっついていた。こいつが中々根性があり、バスが大きく揺れてもスピードを50キロぐらい出してみても、ビクともしない。そうこうする内にとうとう終点のバスターミナルに着いてしまった。

お客を全部降ろしても、もちろん奴はくっついたままである。時間があるので、私はバスの外に降りて、蛾に話しかけてみた。

「こりゃ、お前、無賃乗車だゾ。」

返事がある筈もない。でももう一度言ってみる。

「こりゃ、無賃乗車だっちゅうに。」

蛾は我関せずと、フロントガラスにくっいていることに全神経を投入させている。

「無賃乗車すると、俺のプログに『無賃乗車した奴』って書かれちゃうぞ。」

これで降りてくれたり、乗車料金を払ってくれたら、世の中何も苦労は要らないだろう。私も、無反応の蛾にいつまでも構っているのも面倒になった。

「もう、知らんぞ。時間になったら勝手に発車しちゃうから。」

こう言い残して、運転席に戻った。

ターミナルで10分くらいの待ち時間があったが、彼は別にバスにくっついていて悪びれる様子もなく、私の方は発車時間になったからバスを乗り場につけた。

ターミナルを発車し、また50キロくらい出してみたが、相変わらずくっついている。中々根性の座った奴だ。もういい、好きにしろ、と思って3つか4つバス停を通り過ぎ、ふと前を見たら、奴の姿はなかった。

往復運賃400円、みすみす蛾に献上する羽目となった。いっそ私も蛾に生まれればよかった。

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2008年10月30日 (木)

北陸本線秋路紀行(4)

巷の秋色も濃くなってきた。北陸線の秋をもう少しお届けしようと思う。

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動橋(いぶりばし)~粟津で見つけた、小さな秋。川沿いのコスモスやキバナコスモスがあまりに綺麗だったから、思わず立ち止まって撮影した写真である。鉄橋のガーターが高くて列車の下の部分が隠れてしまっているが、そこは素人写真のお愛嬌と云うことで、ご堪忍願いたい。

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直接「電車の写真」ではないけれど、私はちょくちょくこういう何気ない駅の風景なども撮る。滑川駅で撮影した、この時期の一風景。さすがに半袖の人もいなくなり、列車を待つ人々の表情もどことなく秋らしい穏やかさが感じられる。秋って、夏でもなく冬でもなく中途半端な季節ではあるけれど、逆に言えば暑くも寒くもなく過ごしやすい季節だ。そんな一日の情景と思って頂ければいいと思う。

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撮影地点は「北陸本線の木ノ本~余呉」。私は撮影時知らなかったのだが、のちにここが鉄道撮影の“お立ち台”になっていると知った。それはよいとして、わざわざ撮影地点を「」で囲った意味は、鉄道のことをご存知の方ならお判り頂けるだろう。湖西線を通るトワイライトエクスプレスが、何でこの区間を走っているのだ?と。

実はこの日、琵琶湖地方はかなりの強風で、湖西線は運転中止となっていた。ただ、長距離の特急列車を運休としてしまっては客への影響が大きいので、臨時処置として全ての特急を北陸線経由で迂回運転した。それで、こんな映像が撮れたのである。私にとっては思いもよらぬ、タナボタ写真となった。

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明るい海は、市振(いちぶり)付近の海。既に新潟県に入っており、北陸線の旅も終わりに近付いている辺りだ。走る特急も「雷鳥」「サンダーバード」「しらさぎ」などは富山までだから、この付近を走るのは「北越」と「はくたか」だけになる。これは「はくたか」の方。「はくたか」は直江津(正確には犀潟)より先は北越急行線に入るので、一部の列車は北越急行の車両で運転されるが、これはJRの車両。サンダーバードと同じ形式の車両だから、パッと見には区別がつきにくいかもしれない。何れにしても、北陸線は特急が多く、普通列車を撮る機会が少なかったなとの印象を持っている。北陸新幹線が建設されているのも、残念だが頷ける状態である。

***

何度かに分けて、北陸本線の秋の風景をご披露してきた。取り敢えず、北陸本線に関しては、今回を以って一段落つけさせて頂こうと思っている。月が改まったら、また別の企画を計画中なので、またそちらもご覧頂ければ有難いと思う。

ということで、本日の記事は是にて了。

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2008年10月28日 (火)

冬の入り口

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今朝は5時40分頃起床。私にとっては凄い早起きに当たるのだが、バスの運ちゃん業をしている限り、これくらいは当たり前の起床時刻である。

目覚ましが鳴った瞬間、外はまだ真っ暗。今日最初に考えたことは「随分日の出が遅くなってきたな」。10月も末だから当たり前だが、起きた瞬間に外が暗いと、より一層早起きをしているようでいい気分ではない。私はネコみたいにいつまでも布団に包まっているのが好きなのだ。

さておき、身支度を整え玄関を出ると、何となく空気の感じが違うように感じた。空気にも匂いってあると思っていて、今朝感じたそれは確実に冬が近いことを示していた。ま、これも10月の末だから当たり前だけれど。

私たちの職場では、11月末まで半袖の夏服の着用が許されている。長袖にするとネクタイを締めなければいけなくて面倒なことと、昼間は結構バスの車内が暖かいことから、私は以前も書いたように11月中旬までは半袖のままでいる。でも、当然ながら、早朝はちょっと涼しさを覚える。いつもぼーっとしている私でも、早朝の一瞬だけ、涼しさのお陰で身が引き締まる。

でも、今日は中々太陽が顔を出さなかった。はっきり覚えていないが、マトモに太陽を拝んだのは9時くらいだったと思う。それまで空は半曇で、その状態が上の写真だ。

それに加えて、この写真を撮った時、実は弱い雨がパラついていたのだ。初冬の時雨を思わせる気候に、晴れとも曇りともつかない空。いつの間にか今年も10月が終わろうとしているのだなと改めて思う。

でも、お日様が出て午前10時を過ぎたら、半袖でも暑く感じてきた。これだからこの時期は厄介だ。

年々歳々と云うけれど、本当に毎年同じことを考えながらこの時期を過ごしている。あと10日もすれば、半袖の制服を着ているのも常連のメンバーになって、上司からは「おい、寒いだろ。風邪引くなよ」と言われるようになると思う。

そうそう、稚内で初雪が降ったって、昨日か一昨日ラジオで言ってた。

冬とまでは行かずとも、冬の入り口がそろそろ見えてきたような気分であった。

***

ここでちょっと業務連絡を2件ほど。

その1.明日は職場の老人(本当に老人)たちと一杯会なので、ブログはお休みします。

その2.最近ちょっとパソコンのネット関係の調子がおかしいのだ。このブログの更新や私からのメールが突然途絶えたら、パソコンのトラブルだと思ってください。

よろぴくお願いします。

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2008年10月27日 (月)

スポーツ観戦

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画面の新聞記事と、私の書く内容は直接関係ないけれど。

小学生の頃は、プロ野球を見るのが好きだった。私の母親は厳しかったから中々テレビなんて見せてくれなかったのだが、それでも父親が見るプロ野球中継をトイレに行くフリをして垣間見たり、結構気にしていた。名古屋人の私は勿論、ドラゴンズファンだった。

だけど、いつの頃からかだんだん野球も含めてスポーツ観戦に興味が薄れていき、最近では自分のカーラジオから野球中継が流れていると、他の放送局へチャンネルを変えてしまうようになった。

一番の原因は、タバコの項でも悪く書いてしまったが、父親の「大音響野球中継」に嫌気がさしたからである。両親と同居している当時、特に仕事の上がりが遅く夜の9時頃に帰ってくると、迎えてくれるのはボリュームが大きすぎる野球中継の独特の口調であった。実家では父親の居場所(テレビ観戦場所)と台所が続きになっていたから、食事中、好むと好まざるとに関わらず、野球中継を聞かされてイライラしていた。以前に書いたかと思うが、父は耳が遠いので、本人には然程大音響に思っていないテレビの音量が、私には「止めてくれー」と叫びたいほどの大きな音量なのであった。

一日の仕事を終えてストレスの溜まっているところへ、家に帰ってもテレビにストレスを与えられていては敵わない。父は頑固者で「音量を少し下げてくれないか」と頼むと、テレビを切ってしまうのだ。いや、別に切らなくてもいい、音量を小さくしてくれればと言っても、ムツッとしてつまらなそうに新聞を読んでいるのである。

私が親元から離れて一人暮らしを始めた原因は色々あるけれども、大音響野球中継も原因としてかなりのウェイトを占めている。父も既に喜寿の年齢で、あまり私からテレビを規制するのは気の毒に思う。それで、私の方から逃げ出すことに決めたのでもある。

野球に限らず、スポーツ中継は比較的大きな声でアナウンサーが叫ぶ場面が多い。元は野球であったけれど、今ではスポーツ観戦全般が嫌いになってしまった。する内、スポーツそのものにも興味が失せていった。今ではドラゴンズが勝とうが負けようが、どうでもいい。

でも殊勝なもので、音楽は私は好きだから、結構大きな音で聞いていることも多い。実家にいる時は、逆に母から「ステレオ、もう少し小さくしてよ。眠れないわ」と言われたこともしばしばあった。

だから、一人暮らしが多少厄介でも、今は自分のしたいようにして過ごしている。野球を無理矢理聞かされなくていいし、音楽は好きな音量で楽しんで誰も文句は言わない。

つまりは、私もかなりの我儘なんですな。

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2008年10月26日 (日)

北陸本線秋路紀行(番外編)

いつもは風景写真的なものを載せているこのシリーズだが、今日はちょっと趣向を変えて、「親不知(おやしらず)」駅にスポットを当ててみようと思う。

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言わずと知れた駅名標。駅の所在地は新潟県で、もう少し西へ行くと富山県に入る。県境に近い駅なのだ。

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普通列車しか止まらない小さな駅。おまけにご覧の通り、ホームの幅が狭い。止まる列車は1時間に1本程度だが、これまたご覧の通り、殆ど乗降客の姿はない。向こうに列車から降りた3~4人の客の姿が見える。そんな程度の利用者しかない駅なのである。

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特急の「はくたか」号が猛スピードで通過していく。先程書いた通りホームの幅が狭いから、駅名標と通過列車を一緒に写そうとすると、通過列車と共に凄まじい風に巻き込まれる。大人の私でも少し怖いくらいだ。

列車の向こうは日本海だが、今は高速道路にさえぎられてしまって眺望がきかない。国鉄の車掌から歌手に転向した伊藤敏博さんもこの辺りのご出身らしく、以前テレビに出ていた時に「俺が住んでいた頃とすっかり眺めが変わっちまったなぁ」と呟いておられたのを覚えている。

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プラットホームの中央部分に書かれた、乗り場案内の標識。いかにも古ぼったいもので、間違いなく国鉄時代から脈々と標示をしているものだろう。古いからこそ、駅としての重みも感じる。今風のローマ字の案内標識より、断然こちらの方が私の好みに合う。

鉄道マニアを何年もやっていると、どうしたものか気にかかる駅があちこちに出てくるように思う。この親不知駅もそんな駅の一つだった。何の珍しさも派手さもない駅だったけれど、こう云うちっぽけな駅をこまめに探索するのも結構面白い。そんな旅行の方が私は好きだ。観光地ばかりをパック詰めにしたバスツアーより、よほど味わいがあるように思うのだが、如何なものだろう。

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若くなきオサカナの悩み

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いきなりで失礼であるが。写真は私の頭の上部。普通の長さの髪を中央から分けているので、多少オデコは広めに見えるかも知れないが。

どちらにしても、白髪は全く見当たらない。また、髪を掻きあげたところで前線も後退していない。それに加えて、自分でも嫌なほどの童顔ときている。

この様な状態なので、私は知らぬ人からかなり若く見られることが多い。大体、10歳は若く見られる。贅沢と言われるかもしれないが、これが私の悩みなのだ。

自分のプロフィールにもあるように、私は路線バスの運転手である。そして、私たちのバスは前の扉から乗り、後ろの扉から降りるシステムだ。だから、見知らぬお客が乗ってくるなり私の顔を見ると「まだ若造の運転手だな」と思われる方が殆どだと思う。例えばバスが遅れている時など、人によっては「こいつは若造だから、ちょっと一言文句を言ってやれ」と思う人もあるようだ。実際に似たような年齢の同僚に尋ねてみても、私ほど頻繁に客から苦情を言われる運転手は中々いないようだ。酷い時には、他の運転手の苦言を私に言ってくる人までいる。

私とて、自分なりに懸命に運転をしているのだから、あまり苦情を言われれば気分はよいはずがない。私がもう少しゴマ塩頭で、眉毛も太いおっかない顔面なら、頂く苦情の数は半分以上に減るだろうと思う。要は客に嘗められているのだ。

別に、ツルツルの禿頭になってくれとか、真っ白な頭になってくれとまでは言わない。ただ、年齢相応の容姿になってほしいと思うのだ。45歳なら45±5歳程度に見えるようになって欲しいのだ。

若く見られるのはいい事だと言う人が多いけれど、この歳になってくると、あまり若く見られ過ぎるのも、子供扱いされているようで気分の良いものではない。また、歳に相応しい貫禄も全く感じ取ってもらえない。人間としての重みも感じてはもらえない。

年寄りに見られ過ぎるのも困るとは思うが、つまるところ「歳相応に見て欲しい」と切実に思っているのだ。

父は、比較的若い頃から、頭頂部が薄くなってきた。白髪も程々にあった。何故私はああならないのだろう? 日頃、余程苦労をしていないのだろうか。自律神経失調症に陥るくらい苦労しているつもりなのに、まだ苦労が足らないのだろうか。

自分の容姿が気に入らないのって、結構毎日がつまらないものですぜ(涙)。

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2008年10月24日 (金)

変な「修理不能」とその功徳

昨日は仕事が早く上がったので、少し離れたオーディオの専門店へ出掛けた。いつぞやカセットデッキを購入したあの店である。

あの時には書かなかったけれど、実はカセットデッキの購入の他にもう一つ用事があった。カセットテープなどの録音・再生時にノイズ(雑音)を軽減させるシステムがあり、その機械を修理に出したのである。

ノイズ軽減システムは「ドルビー」がよく知られていると思う。「ドルビーB」とかって言葉、音楽を聞かれる方なら耳にした事があるかも知れない。ドルビーのシステムは現在でも「ブルー・レイ」などで活躍しているのだが、私がその時に修理に出したのは「dbx」というノイズリダクション(軽減)システムの機械。これは、オーディオマニアの方しか知らないと思うし、システムそのものもメーカーが10年位前に完全に製造を中止している。今や、dbxのノイズリダクションシステムを持っている方がどうかと思われるくらい、アブノーマルな代物なのだ。

製造中止から時間が経っているので、初めから「直るかどうか判りませんよ」と店員に言われていたが、10日ほど前に電話があり「やはりメーカーでも修理不能とのことでした」と残念な連絡が入っていた。修理不能でも自分の機械だから、引き取るだけは引き取らなければならない。それで、そのオーディオ店に行ったのである。

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これがその、修理不能を告げる伝票。

ところが、だ。家に持ち帰って、諦めがつかずにもう一度ステレオに接続してみると、ちゃんと作動するではないか! 一体どういうことなのか判らないが、パーツは換えられなくても、メーカー側であれこれなぶっている内に接触の悪かった部分が直ってくれたらしい。

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写真の真ん中で緑や黄色などのLEDを点灯させているのが、当のdbxのシステム。何しろ音が出てくれるなら、機械がもう一度機嫌を損ねないうちに、音をデジタル化するに限る。私は膨大な量のカセットテープを持っているが、その内15本程度が、このdbxのシステムを使って録音している。それらをこの機械を通して再生させ、CDに録音させればいい訳だ。

今日は公休日だから、起きたのは遅かったし、色々片付けなければいけない用事もあった。それらを怒涛の勢いで処理し、夕方4時頃からやっと「CD化作業」が始まった。取り敢えず、なので、今までに3本しかCD化は出来ていないが、パソコンを使った作業が終わったら、またCD化作業をするつもりでいる。

「修理不能」で戻ってきたのだから、修理費用は払っていない。なのに、こうしてその機械を使えるとは、随分得をした気分である。ただ、今度機嫌を悪くしたら、もう保証はない。なるべく早いうちに作業を終えたいとは思っている。

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2008年10月23日 (木)

鹿児島本線撮影結果ご報告

過日出掛けた鹿児島本線・熊本近辺のフィルムが上がってきたので、マシなものを寄せ集めて、結果ご報告をしようと思う。

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夕刻も近付いた時間に撮影した「九州横断特急8号」。撮影地は小川~有佐。熊本近辺はビニールハウスが非常に多い。今から考えると、それをもっと強調した撮り方をすればよかったと思うが、現場にいる時はこれが出来る限りのアングルだった。普段、2両で運転される筈の同特急が連休中のため3両で来てくれたのが嬉しい。

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川尻駅からテクテク歩いてきた撮影場所。川の堤防の手前なので、ススキなど、雑草の穂がよく目立った。そこへ焦点を合わせて撮ったもの。正直なところ、思ったほどススキなどが目立たない映像になってしまい、ガックリきている。川尻~宇土での撮影。

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今度は熊本より北寄りの映像。西里という駅からそう遠くないところだ。黄金色の水田ばかりの平凡な風景だが、コスモスが咲いていたのでちょっと前景として拝借した。既に陽が西に傾きかけており、4両編成の有明号の屋根がギラリ。西里~崇城大学前にて。

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小さな流れは木葉(このは)川。間もなく廃止となってしまう「はやぶさ」号を狙うには、機関車を含めて7両の列車が納まる場所を探さなければならない。結果的には、川の橋の上から緩いカーブを絡めて何とか条件をクリアーした。肥後伊倉~木葉。

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今回の旅行で最も気に入ったのが、この田原坂(たばるざか)駅から少し木葉駅方面へ歩いた周辺。田原坂は、「旅日記」でも書いた通り、普通列車でも通過する列車があるくらい辺鄙な駅。だから辺りの景色は中々いい。列車の手前のハザがいいアクセントになってくれたと勝手に自画自賛している。

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これも「旅日記」で書いた。なかんずく、わざわざ失敗写真まで掲載した長洲~大野下の水田にススキの風景。フィルムカメラでは一応失敗でない写真もあったので、折角だから“再掲載”させて頂く。本当に抜けるような青空が印象的な地点であった。今回の旅を締めくくった写真でもある。

合計で6枚、しつこくアップさせて頂くこととなったが、気候が良かったことで、自分的にはとても好印象が残る撮影旅行となった。写真の出来の良し悪しも大切だが、後々良い思い出を持てる旅行が、何よりだなと思う。

と、云う次第の結果ご報告でありました。

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2008年10月22日 (水)

アイドリングスタートスイッチ

最近、都会の路線バスでは「アイドリングストップバス」がかなり一般的になって来た。その良し悪しについては別の機会に述べるとして、今日はアイドリングストップしたエンジンを再スタートさせるスイッチの話。

スイッチと言っても、手で操作するものではなく足で操作するようになっている。これはAT車でもMT車でも同じ。MT車の場合は、停車中にギアをニュートラルに入れ、クラッチペダルから足を離すとアイドリングストップし、再びクラッチペダルを踏めばエンジンスタートする。ま、これは置いといて。

私が書きたいのは、AT車の場合の話。

メーカーや車種によって多少の違いはあるが、私の職場にあるアイドリングストップ(略してISと言う)バスの大半は、走行モードのままでも車の速度が0になると、自動的にエンジンストップしてしまう。エンジンスタートしたい時は、MT車で言うクラッチペダルの位置に、エンジンスタートペダルがある。これがスタートスイッチ。一例の写真を載せる。

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水色のペダルが、当のスタートスイッチ。右側にブレーキペダルなども見えるから、位置関係はお判り頂けると思う。要するに左足でスタートスイッチを踏む形となっている訳だ。

そこまでは、よろしいのだが。

このスタートスイッチが、どこのメーカーでも働きがあまり芳しくない。一発でかかることもあるが、二度三度踏まないとかからない時もあって、結構鬱陶しい。信号が変わりそうな時は予めエンジンスタートさせるのだが、思うようにかかってくれないとイライラしてしまう。私などは気が短いから、これがストレスの一因にさえなっている。

思うに、以前書いた大型車のATシステム同様、このペダルもまだまだ改善の余地があり過ぎるのだ。CO2の排出を減らして環境に優しいのは結構だが、運転手のストレスを増大させていては精神衛生的にちっとも優しくない。

世に商品として出す限りは、もっと完璧なものを作って頂きたい。そんな意味からも、AT車よりMT車の方が私の好みに合う。MT車の場合は、IS後でもまず間違いなくエンジンスタートしてくれるから。

形だけの「環境への優しさ」もそろそろ見改める時期が来ているように思うのだが。

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2008年10月21日 (火)

もう風邪かよ……

昨日・今日と例の「中憩勤務」だった。勤務の間に、5~6時間のハンドルを持たない時間がある勤務である。

昨日は、中憩の間に2時間ほど用事を済ませに外へ出て、あとの3時間くらいは車庫の仮眠室で休憩していた。寝つきは相変わらずよくなく殆ど寝てはいないのだが。

その間に、誰かが仮眠室の冷房のスイッチを入れてしまった。運悪いことに私は、エアコンに一番近いベッドで横になっていたのだ。ちょっと涼しすぎるなと思っている内に、ほんの15分くらいウトウトしたらしい。少し夢のようなものを見た記憶がある。ところがそれから醒めると、喉が痛くなっていた。

私は40歳辺りを境に体質が変わり、喉が弱くなったようだ。ちょっと寒い目に遭うとすぐ喉痛を起こす。そして、更に悪いことに昨夜からは咳も出るようになってきた。以前「万年ゼキ」との記事を書いたけれど、あれとは違う。喉が痛い時は風邪の咳だと区別がつく。

早速

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いつもの乗務用鞄からこれを取り出し、飲んでおいた。水なしで飲める便利な顆粒タイプなのだ。

だが、今朝起きると、鼻水まで出る。相変わらず喉も痛い。おいおい、もう風邪かよと自分の体ながらげんなりしてしまった。

今日の名古屋は、最高気温が25度を超す暑さ。まだまだ私は夏用の半袖の制服で仕事をしている。なのに「ゴホンゴホン」では、寒さをやせ我慢しているみたいで感じが悪い。いつも11月の中旬まで半袖を着ているから、いくら何でも今から長袖を着る気にはなれない。そもそも、暑いのだ。半袖でも暑いと感じる状態なのだ。

鼻水は幸いとすぐ止まったが、咳は今日一日中、出つづけた。あの薬も飲み続けている。明日も半袖で出勤するつもりだが、取り急ぎ、咳だけでも早く止まってくれないものかと困惑至極である。

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2008年10月20日 (月)

字体へのこだわり

普段自分が見慣れているものの字体が突然変わったら、ちょっと違和感を感じられる方も多いのではないだろうか。Dscn601_2 Dscn602_2

左右の写真の字体、同じ「60」ではあるけれど、ちょっと違うなと気付いて頂けるだろうか。

これ、実は自分の職場のバスの車体に書かれていた数字である。

私たちの職場では、乗務するバスのことをナンバープレートの数字では呼ばす、職場内独自の数字・英記号で呼んでいる。その数字部分だ。

本来は右の字体がごく一般的なのだが、先日乗務した車は、車内だけ「一般的」な字体で書かれており、車体に書かれていた数字(3箇所に書かれている)は、何故か左の写真の字体になっていた。広告ラッピングをした車両は、広告の上からもう一度社内番号を書いたシールを貼るから字体が違っても当たり前だが、この車は別に広告ラッピングもない。なのに、なのだ。

これもまた、どうでもいいようなことなのだけれど、普段見慣れている字体と違うと何となく見慣れないものの様で落ち着かない。車体では、扉を開けるためのスイッチの横にもこの数字が書いてあるので、扉を開ける度に一々見慣れない気がして、変に気になってしまった。

こんなつまらないことを一々気にするから、自律神経失調症になるんだとどなたかに笑われそうな気もするが、やっぱりしっくりいかないものはしっくりいかない性分なので仕方がない。

それに自分自身が結構バス好きだから、どうしてこの車両だけこの字体で書かれたのかちょっと興味がある。誰か知ってる上司でもいないか、今度ちょっと、気楽に話せる上司をからかってみようかと悪企みをしている。

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案内放送のデジ・アナ

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私たちのバスの、案内放送用モニター画面である。今では、全車の案内放送がデジタル化されて、こうしたモニター画面が案内放送に従って内容が変わっていく。また、運行を始める前に、今日一日の行程を入力する時もこのモニターのお世話になる。

「案内放送のデジタル化」ということは、つまりテープでの案内放送ではないことを意味する。案内放送の音声も合成の人工音声だ。テープのアナログ放送の車がなくなって、もう6~7年経つのではないだろうか。

随分贅沢な放送装置である。まだ8トラックのテープ放送のバスは全国至る所で走っているのに、私たちの職場はこんな便利なものに置き換わって久しいのだ。間違えて一つ先の案内放送を流してしまったら、逆戻し機能もあるから、それを使ってお客さんには「失礼しました。次は○○です」と一言訂正すればそれで済む。逆に案内を入れ忘れて一つ手前の放送を流してしまっても、ボタンを2度押しして、同じように肉声で一言訂正すればよい。

またテープ放送の頃は、行き先の異なる運用が混成していると、それぞれの行き先のテープを持って自分の乗務するバスまで辿り着かなければいけなかった。5本くらいのテープを制帽に入れて持ち、雨の日などはそれに傘までさしてなんていう苦労は、私たちの職場では過去のものとなった。

本当に便利な時代になって、有難い。

ところが、今日、ちょっとしたことがあって。乗り慣れた路線なのだが、お客さんから「××停留所は何個目だったかな」と言われた時、すっと頭に浮かばなかった。咄嗟に「えーっと2つ目……」と言ってからさいぜんのモニターを見たら、次の停留所であった。慌てて「あ、済みません、次ですね」とは言ったものの、これだけ乗り慣れた路線で、バス停の順序を間違えるとは!

思うに、便利になり過ぎて、モニターに頼る癖がついてしまい、頭の中で停留所の順序を忘れているのではないか。テープの頃は、きちんとバス停の順序も覚えておかなければ仕事にならなかったから、頭に叩き込んでいた。それが徐々に薄れてきてしまったのではないか。

便利になるとこう云うことが往々にしてある。人間は怠惰な動物だから、便利さにはすぐ頼ってしまう。極論だけれど、将来本当の老人になった時、物忘れが激しくなるという弊害がありはしないか? 物を覚えようと云う努力を知らぬ内に、どこかへ置き去りにしてしまってはいまいか?

些細なことかも知れないが、ちょっと気になったので、今日のお題目にしてみた次第である。

(註:写真のモニター画面は途中の停留所を示していますが、これは営業運転中に撮影した訳ではなく、このブログ用に、車庫で途中の停留所を表示させただけのことです。誤解のなきよう、後記を入れさせて頂きました。)

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2008年10月18日 (土)

北陸本線秋路紀行(3)

気晴らしの旅行から戻って3日働いただけだが、仕事のローテーションを変えられてしまって以来、たった3日でもグッタリしてしまう様になった。今日は公休日だが、ほとんど家に籠もってノベーとノビている。

さてと。いつもの前置きを終わったところで。

先日来アップしている北陸本線紀行の3回目である。今回は、夕刻の景色を集めてみた。

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ススキは順光で撮るのもよいが、逆光又は半逆光で撮ると輝いて見えるから写真の見映えもよくなる。そんな訳で、半逆光で狙った「はくたか」号。うまい具合に線路がカーブしていて、ススキに列車が被さるように写った。撮影地点は石動~福岡。

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ここは、撮影地としては比較的知られている所かも知れない。南今庄駅から僅かに敦賀寄りへ歩いたところの「お手軽撮影地」だ。電化区間は電線やケーブル類が邪魔になることが多いけれど、夕刻にはそれらが光って逆に格好の“演出家”になってくれる。しらさぎ号の赤い尾灯が一日の終わりを告げるようで、ちょっと物悲しい。

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鉄道に興味のない方にはこれが何の列車か判らないと思うけれど、鉄道ファンなら嫌でも判ってしまう被写体だ。解答を書いておくなら「トワイライトエクスプレス」という寝台特急。黒っぽい車両に黄色の帯が第1のポイント。縦に長い尾灯が第2のポイント。鉄道マニアはそういうもので、列車の種類を判断してしまうのであります。

札幌行きの「下り」のトワイライトは、だいたい富山近辺で夕刻を迎える。別のところで写真を撮っているうちに、このトワイライトの通過時刻になってしまい、急いで「副被写体」を探したら、勾配標(3.5と書いてある斜めの板のこと)があった。これ幸いと、そちらにピントを合わせて、カシャリである。東富山~水橋間。

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秋の北陸本線の写真を何年か撮っていた訳だが、自分の中で「最後の一枚」はここにしてやろうというイメージがあった。それは北陸本線の終点の直江津駅。それも、ホームの端に車止めがある1番線に入ってくる列車でないと絵にならない。その上、出来れば夕刻の写真が好ましいと、自分ながらに随分と注文をつけていたら、ちゃんとそう云う列車があった。547M列車・直江津到着16時54分。幸い撮影日は晴れていて、イメージ通りの写真が撮れた。

北陸本線には何度も出掛けているから、勿論これで終わりという訳ではない。時間があれば、「秋路紀行」の続きはやりたいと思っている。ただとりあえず、本日のギャラリーはこれにてお仕舞い。

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2008年10月17日 (金)

熊本電鉄「怒涛の1時間半完乗記」

昨日少し触れた、熊本電鉄の乗車紀行(と言えるのか?)を書こうと思う。

そもそも私は鉄道ファンと言っても、国鉄・JRにしか興味がない。だから、たとえ元国鉄線でも第3セクターの手に渡ったものは乗りもしないし撮りもしない。元々が私鉄の線に至っては、遥々行っても見向きもしない。だから、鹿児島の市電にも全く乗っていないし、札幌の地下鉄も必要な区間を乗っただけで乗っていない区間は放置してある。

ただ、自分が無事定年退職を迎えたら、私鉄も乗れるだけは乗ってみようかな、程度に思っていた。ところが、だ。今回の旅行でまず自宅付近から地下鉄の駅まで乗せてくれたバスの乗務員(つまりは同僚なのだが)が、降り際に話しかけてきた。「おさかなさんは、私鉄には全く興味がないんですか? いつもJRばかりみたいですけど」。

ほんの2分程度だが、彼の時間が許す範囲で話している内にちょっと私の気が変わってきた。定年後と言っても、その後に自分がもう一度全国を乗り歩ける自信はない。別の同僚で既にJR・私鉄の全線を乗った「完全走破者」もおられる。本当に全鉄道を乗るつもりがあるのなら、体力も落ち始めたことだし、そろそろスタートをかけても良いのではないか。

かような次第で、折角熊本に泊まった事だし、予定していなかった「熊本電鉄」を全線乗ってみようという気になった。ついでに言い足すと、熊本には市営の路面電車も走っている。これは、熊本に着いた日と、その翌々日の2日間で、全線乗っておいた。

今回の旅行の最終日・10月14日は、当初の予定だと熊本を10時過ぎに発てばよいはずであった。ところがこの時間を繰り上げれば、十分に熊本電鉄の全線に乗れることが判ったのである。全線と言っても、10.8キロの菊池線と2.3キロの藤崎線があるだけのことだ。かくして、私の第2の「全線走破への道」が開始と相成った。

***

熊本を7時25分のJRで、隣の上熊本へ行く。ここが菊池線の起点と隣接しているのだ。運行系統としては上熊本からの電車は路線名に関係なく、藤崎線との接続駅・北熊本が終点となっている。次の北熊本行きは7時50分発。待ち遠しい思いで高校生らと一緒に小さなホームで待っていると、ローカル私鉄らしい踏切の音が聞こえてきて、電車が姿を現した。

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この区間は単行の電車が行ったり来たりしているだけと聞いていたが、意外にも2両編成の電車である。常連らしい高校生たちも「あれ、1両じゃねえや。ハイテク電車だな」なんて言っている。鉄道の日だから特別サービスだろうか。

普段1両のところを2両での運転だから、ラッシュ時でも車内は余裕がある。ゆっくり車内を見回すと吊革に、こんな広告が載っていた。

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「なんば」。大阪の難波のことだ。熊本電鉄の現存車両は全て他の私鉄で使われていた車両のお古だとは知っていたが、この電車はどこのお古かな。大阪近辺で……そう言えば南海の電車に雰囲気が似ているな……。あとで、調べてみるとその通り、南海電鉄のお古らしい。

さて、北熊本までは僅か9分で着く。7時59分、定刻で北熊本に着き、あえなくこの区間の乗車は終わった。でも、感激に浸っている暇はない。接続する同じ菊池線の御代志(みよし)行きは、対面のホームからたった2分の接続である。ホームの情景を慌しく撮って、対面ホームの電車に飛び乗る。

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左側の、銀色のステンレス電車が御代志行きだ。高校生が私と一緒にどっと乗り移る。これから先は、ちょっと熊本郊外の山間の手前まで行く。そんな方に高校があるかと思って車内の路線図を見ると「電波高専前」と云う駅がある。ここの生徒たちであろう。果たして、15分ほど走ったその駅で、高校生たちは全員降りていって車内は閑散となった。

それから5分程度で、「次は御代志、御代志。ご乗車有難うございました。終点です」との女性声のテープアナウンスが流れた。

私の記憶では、菊池線はその名の通り、菊池と云う駅が終点だった筈だ。付近の菊池温泉への連絡が目的で敷設された路線だと聞いている。だが、モータリゼーションの波には勝てなかったらしく、知らぬ内に菊池~御代志の間は廃止となったらしい。御代志の駅に降り立つと

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電車ホームの反対側はバスターミナルの一部になっているが、いかにも「以前は単なるすれ違いの出来る駅でした」と言わんばかりの様相だ。

さいぜんの高校生を降ろしたために3分遅れで御代志へ到着したから、折り返し時間は3分しかない。写真を撮って、青い自販機で缶コーヒーを買って、慌しく車内へ戻ると電車はすぐに発車した。

御代志から発車する電車は、車庫のある北熊本行きを除けば、基本的には藤崎線の終点・藤崎宮前まで行く運転系統となっている。つまり、路線名と実際の運転系統は全く別々になっている訳だ。その方が、旅客の需要に合うらしい。

ところで、北熊本からずっと乗っているこの電車も、どこかの私鉄のお古の筈だ。自分の薄ら覚えで東急電鉄のお古かなと思っていたが、さっき調べてみたら東京の都営地下鉄・三田線のお古だそうだ。地下を30年以上走らされた挙句、やっと地上出られたらこんなローカル私鉄では、ちょっと可哀想な気もする。まあ仕方ない話だが。

さっき乗り換えた北熊本まで、見終わった絵巻を巻き戻すような感覚で電車に揺られ、北熊本からはまだ乗っていない藤崎線に入っていく。とは言え僅か2.3キロだ。6分で敢え無く終点の藤崎宮前(ふじさきぐうまえ)に到着し、これで熊本電鉄は全線完乗を果たしたことになる。それにしても、駅がやけに新しい。

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ホームの雰囲気からして建て直しでもしたかと思ったら、これも先程調べて知ったのだが、市の中心に近い藤崎宮前駅から更に延長させて、将来的には熊本市電と直通できるように計画しているとの由。然し、今はそんなことはどうでもいい。折り返し電車の発車は、僅か3分後の8時55分。またまた慌しく同じ電車に乗り込んだら、あっという間に発車ブザーが鳴った。

完乗は果たしたが、乗り始めの上熊本駅へ戻らないとJRには乗れない。で再び北熊本で乗り換え。

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1時間ほど前に乗った電車がそのまま乗り継ぎ客を待っていた。私は心密かに、単行電車に車両交換されていることを願っていたのだが……。その単行電車とは、嘗て東急電鉄で主力として走っていた「青ガエル」と呼ばれる電車である。本来、北熊本~上熊本は「青ガエル」が走っていると聞いていた。そしてその青ガエルとは、昭和の名車と鉄道ファンからは呼ばれたくらい、昭和時代っぽい電車なのだ。「鉄道の日」のサービスか何か知らないが、ちょっち残念。

再度、上熊本へ向けて出発し、9分後の9時11分、上熊本へ到着。これで、慌しい「熊本電鉄」の旅は終わった。とても「紀行」とは言えぬ有様だから、とっとと記事を終わろうと思うが、最後にもう一枚だけ写真を。

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上熊本で降りてから気がついた。古い案内看板は、まだ昔の終点駅を「菊池」方面と記していた。終点駅が御代志の今でも、書き換える余裕すらないのだろうか。それとも御代志で菊池行きのバスに接続しているから、この看板通りでいいのだろうか。どっちか判らないけれど、兎に角、怒涛の如く勢いに乗り、僅か1時間半で熊本電鉄の「旅行」は終わった。

***

このようにして、今後も私鉄の乗りつぶしを敢行していくのであろうか?  少なくとも熊本電鉄に限って言えば、急ぎすぎて余りに味気ない乗車だった。今後のことは、また後日ゆっくり考えようと思う。そう、日本の鉄道全線を走破したTの翁さんのご意見も聞きながら。

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2008年10月16日 (木)

鹿児島本線・熊本近辺撮影旅行

10月10日の夜から14日までにかけて、熊本を中心とした鹿児島本線の撮影に出掛けた。簡単にではあるが、軌跡をご紹介しようと思う。

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10月10日~11日

今回の旅行の目的の第1はこれ。

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来年3月のダイヤ改正で、廃止がほぼ決定的となっている九州行きブルートレイン。これに乗りたくて、熊本近辺という撮影地を選んだのでもある。熊本行きの方は「はやぶさ」号で、3連休前だが幸いB寝台の下段が取れた。これで一気に終点・熊本まで行く。

九州行きの夜行寝台も最後だと思うと寝るのがもったいなく、米原到着(0時前後)までは通路側から外を眺めて起きていた。

翌11日。対面の寝台客は小さな子供連れで、7時頃からはしゃいで喧しい。でも意地で、寝台の中から出ようとしなかった。やっと起き出したのは、博多を過ぎたところ、10時半近くである。私が起き出した気配で、対面の客は逃げるように別席へ子供を連れて消え去った。静かになった。

熊本へは11時49分、定刻着。まだ少し名残惜しく、列車の先頭部へ行くと凄い人だかりである。

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みんなケータイやデジカメで撮ってる撮ってる。私は「俄かマニア」たちを撮るのが面白くて、そちらに専念していた。

さて、私の切符ではこの先の八代まで行けるので、普通列車に乗り換え八代までロケハンを兼ねながら行ってみる。幸い好天で、撮影する場所をある程度、目星をつけておく。八代で30分ほど昼食を兼ねた休憩をして、すぐ戻りにかかる。第一の目的地は、八代から2つ目の千丁駅。ここから少し八代方へ歩くと、暫定的に九州新幹線の始発駅となっている新八代駅へ乗り入れる「リレーつばめ」号専用の線路と普通列車の線路との分岐点がある。その分岐点辺りを撮ろうと云うのである。途中で側溝になぜかボンタンが大量に浮いていた。何なのだ? 他にも数ヶ所で同じ光景が見られた。

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さて、分岐点の後は、小川駅まで戻ってちょっと目星をつけた風景を撮る。駅から大分離れたところが撮影目的地だったので、ゆっくり歩いていたらもう陽が暮れ始めた。帰り際に、線路から少し離れた所でカシャリと一枚。因みに走っているのは「リレーつばめ」号。

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19時頃、熊本の宿へチェックイン。外食は当たり前だが、目当ての店が駅前整備開発のため跡形もなく無くなっていた。結局市電に揺られて、市街中心部まで食べに行く。

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10月12日

朝方はちょっと曇り気味。でも雨の心配は無いとのこと。9時前の普通列車で、昨日と同じ小川駅まで行く。昨日とは逆方向に歩くと可愛いハザがあったから、題材にしようと思ったのだ。

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ま、こんな感じなのだけれど。

この後、川尻駅付近で撮影し、今度は熊本を通り越して逆方向(博多方面)の西里駅まで行く。この辺り、水田の平凡な風景ではあるけれど、ゆっくり歩くと結構雰囲気があり、いいところだ。コスモスを見つけて水田と一緒に撮影してみたり、小さな川を絡めて撮ってみたり。そうそう、途中でこんな水田を見つけた。

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あのぉ、今日って10月12日なんですけど……。

駅から遠い撮影地が多かったので、結構歩いた。疲れたので、少し早目に熊本の宿へ戻る。

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10月13日

幸い今日も朝から晴れている。8時23分の大牟田方面行きで行動開始。初めの目的地は田原坂(たばるざか)駅の東方。この辺り、ちょっと峠になっていて、人家も少ない。田原坂の駅は、一日に何本か普通列車でさえ停車しないのがある。逆に言えば、そういう辺りは「いい景色」が残っている。まあまあの佳景を何ヶ所か撮って、1時間ほどで駅へ戻る。駅は少々人里から離れた位置にあり、おまけに入り口がこんな有様。

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雨の日など、足の悪い人だと登れないような急坂の上に駅がある。

次は、「肥後伊倉駅」が目的地。駅自体の雰囲気が良いので、駅ホームが撮影目的地なのだ。これは楽でよい。でも、列車本数が結構あり、それぞれの列車に合わせた構図を考えたら、かなりホームをあっちへ行ったりこっちへ行ったりと忙しかった。予定していた2時間弱があっという間に過ぎる。

この後、玉名駅へ行き、目星をつけていた場所へ行ってみたが、列車から降りると大した景色でもなく、あまりいい写真は撮れなかった。日頃の運動不足がたたって、足の指にマメができ始める。駅に戻って、取り急ぎ絆創膏を巻き付け応急処置。

14時32分の普通列車に乗り、更に北の方へと向かう。長洲(ながす)駅から歩いて25分程度の辺りが最後の目的地。ここも平凡な水田風景だが、色々な自然のアイテムを組み合わせると、それなりに秋らしい景色が撮れる。「リレーつばめ」号と「有明」号の本数がやたらと多く、どちらも同じ型の電車で運転されているから、時折端折る。また「作例」と称してコンパクトデジカメで撮ってみたら、見事に失敗写真が出来上がった。

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ちょっと判り難いが、列車の顔が電柱にかかってしまっている。こう云うのを「悪い作例」という。

16時25分頃に通過する「はやぶさ」号を撮影して、写真の予定はほぼ終了。足のマメが痛いので、ゆっくり歩きながら駅へ戻ると、もう17時を過ぎていた。普通列車を待って熊本へ戻れば、程々の時間になりそうであった。

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10月14日

考えてみれば、「鉄道の日」なんだよね。だけど、世間の連休は終わっているし、私も今日は特に撮影の予定は組んでいない。今日は「乗って楽しみながら帰る日」だ。

朝は異例にも6時台に起き、7時25分の列車で隣の上熊本へ。ここから「熊本電鉄」という私鉄が出ている。これに乗って楽しもうと云う訳だが、熊本電鉄のことに関しては、明日、別枠で旅日記を書く予定なので、ここでは省略。

上熊本へ戻り、普通列車でまた初日と同じ八代まで行く。ここから熊本・豊肥本線経由の「九州横断特急」と云うのに乗って、阿蘇の麓を通って大分へ出ようと思っている。スケジュールの組み方がうまく出来なかったので、1時間ほど八代で待つ。でも、3日間結構慌しく写真を撮っていたから、1時間くらいの待ち時間は気にならない。却ってよい休息だ。

駅のアナウンスが入り、ホームへ入る。程なくやってきた列車は、時刻表に載っていた2両ではなく、3両の編成。

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昨日までの3連休中もずっと3両で運転していた。それだけの需要があったのだろう。でも、流石に連休明けだと、自由席でもガラガラ。敢えて「元グリーン車」だった車両に腰をかける。

朝早く出た熊本まで戻ると列車の進行方向が変わり、豊肥本線に入ってゆく。阿蘇山の麓を、スイッチバックも交えながら走り抜けるので、乗り甲斐がある。改めて通して乗ってみると、阿蘇の外輪山を抜けるのに結構苦労しているのがわかる。スイッチバックもそのためにあるのだ。ディーゼルカーの特急だから、エンジンの音を聞いていればどこまでが上り勾配なのかもよく判る。結局は「荒城の月」で知られる豊後竹田までが、長い上り勾配なのであった。

三重町、中判田と徐々に大分の通勤圏に入り、14時27分大分着。

ここからは、特急「ソニック」と新幹線を乗り継いで帰るだけだ。折角の九州なのでもう一日くらいゆっくりしたかったが、今は職場がパニック状態で、4連休を貰うのもちょっと気が退ける状態なので仕方がない。

帰りの新幹線に乗っているうちに、いつの間にか雨になっていた。珍しく今回は、14日の朝の小雨を除いては好天に恵まれた。たまのお出掛けに、こういうお天気具合は理想的である。天気の神様に感謝。

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2008年10月15日 (水)

疲れ甚だしきため

本日もお休みとさせて頂きます。旅日記は、明日書こうと思います。

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2008年10月 9日 (木)

中島橋

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ちょっと小さな写真でご覧になり辛いかとも思うが。

私が住んでいる比較的近所に、中島(なかじま)橋と云う橋がある。私が昭和47年にこの地に引っ越してきた時に、橋は既にあった。当時から幅の狭い、古ぼけた感じの橋であった。

私の住む辺り一帯を「猪高(いだか)」と呼ぶけれど、これは昔の「猪子石(いのこし)」村と「高社(たかやしろ)」村の頭文字を合わせた地名である。その猪子石村の方のルーツがこの中島橋の辺りと言われている。「中島」とは昔の言い方で、集落(島)の中心との意味があるらしい。結構、歴史がある辺りなのだ。

はっきりとは覚えていないが、22~3年くらい前からこの橋を路線バスが通るようになった。のちに、私もその橋を走るバスを運転することになったのだが、何しろ幅狭な橋なので、乗用車とすれ違うのにも精一杯、自分でバスを運転する時は対向車があれば大抵通り過ぎるのを待つようにしている。橋を渡るバスの写真を2枚ほど。

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これは、橋の北側から見たもの。

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こちらは橋の東側から。ご覧の通りのオンボロ橋である。

かような具合では時代にそぐわないとのことで、とうとう今般、橋の架け替えを行うことになった。今月15日から全面通行止めとして、平成22年春頃を完成目標に工事を行うとのこと。

当然、橋を通るバスも迂回を余儀なくされる。つまり、この路線はダイヤが変わることになる。そんな理由で、10月15日から私たちの営業所のダイヤのローテーションが一部変更となる。小さなオンボロ橋だけれど、いざ通れなくなると結構影響は大きいのだ。

地元民として、また橋を利用する者として、どんな橋に生まれ変わるのか興味津々である。

***

書き忘れていたが、明日(10月10日)の仕事後から14日まで、九州は熊本方面へ撮影旅行に出掛ける。それで、14日まで暫しブログもお休みさせて頂く。よろしくご了解ください。

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2008年10月 8日 (水)

また、ハトの観察

本日は、栄へ赴く仕事。東の郊外から栄まで5往復。

栄へ出ると、過日も書いたようにどうしてもハトの観察に没頭してしまう。で、本日のハトたち。

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栄のバスターミナル内での映像。この画像内には5羽のハト。1羽だけ羽繕いしているが、あとは私の好きな「おだんごスタイル」で寛いでいる。2羽は完全に車道でダンゴになっておる。こら、バスに轢かれちゃうぞ。

栄に行く度に観察している次第だが、ここへ集まるからにはちゃんと餌をくれる人がいるからであって、一応バスターミナルの管理人と同じ企業体に勤めている限り、「ハトに餌をやらないでください」と言わなきゃいけないのかな。だけれど、言ったところでまた別の人が現れて餌をやるようになるだろうから、いたちごっこになるだけだろう。で、私は言った試しがない。

今日は、最初に栄に行ったのが、既にお昼頃だった。この写真もその時に撮ったもの。皆、勝手にそれぞれの場所に分散して、お寛ぎタイムを楽しんでおられるようで。この後、15時半頃ここへ行ったら、可視範囲には1羽しかいなかった。遠くの街路灯の天辺にとまっているだけ。そして夕刻になると、全くいなくなる。

このハトたちのねぐらは何処なのだろう。今まで考えたことがなかったが、こんな空気の汚れた栄で夜を明かしているんだろうか。せめて、郊外の公園や緑地に住み着けば、もう少し綺麗な空気を吸って一生を送れるのに。

100m道路(バスターミナルのある通り)の木々か、その辺りの低木の根元で休んでいるくらいかなぁ。また、どうでもいいことを追求して考えてしまった。

追記:洗濯しながらこの記事を書いていたが、脱水が終わったので制服のカッターシャツを取り出したら、千円札がポケットの中でクシャクシャになっていた。そう言えば、両替しようと思って咄嗟にポケットに入れたまま忘れていた。野口英世殿、スミマセン。

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煙が「体中」にしみる

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スモーカーの方には鬱陶しい記事かも知れないが、私は大のタバコ嫌いである。30代の頃は別にここまでの嫌煙家ではなかったのに、40代になって俄然ダメになった。

そもそも、高校生や大学生の頃、大体の方がタバコに手を出してみると思われるのだけれど、私は高校時代は1本も吸っていない(酒には興味があったが)。高校を卒業して、今日までの我が人生で、タバコを2箱消費しただろうか? 怪しいところだが、そんな程度。

私に対して父親は大変なヘビースモーカーで、77歳の現在でも2日で1箱は消費しているようだ。年齢的に言えばこの量、ヘビーの部類に入ると私は思う。それも、銘柄はピースだ(缶ではない)。親父に言わせると「マイルドセブンなんて、たるくて吸っていられない」そうな。

こんな父親からどうしてここまでのタバコ嫌い息子が生まれたのかも疑問なところだ。敢えて理由を考えると、父の愛煙振りを嫌った母親が、私を厳しく監視したこともあるとは思う。高校を卒業してしまうと、実質タバコに関しては解禁されたも同然の状態になる。そんな頃、母はくどい程「タバコだけは止めてよ」と言っていた。言われなくとも金の無駄遣いになりそうなタバコには興味なかったし、そう、そもそもタバコを買うほどの経済的余裕も無かった。金が手に入れば殆どを国鉄に乗車料として寄付していたような、ヘビートレイナー(trainer)だ。(←そんな英語、あるのかね?)

吸わないままで人生を通していると、段々煙が鬱陶しく思えてくる。20代、トラック乗りをしていた頃は、周りが皆吸っていたし、そう云う環境で別に気にならなかった。一方で、世の中に「嫌煙権」なんて言葉も出るようになって、徐々にタバコを吸う人たちが窮屈な思いをさせられるようになってくると、自分の嫌煙も度合いを増してきたのじゃないかと思う。する内、飲食店や列車の車内などでも禁煙を謳う場所が増え、益々自分の嫌煙は酷くなっていったのだろう。

そして、気付いた頃にはもうすっかり煙が嫌になってしまい、今では職場の待機室などにもあまり寄り付かない。待機室は煙の集積場所だからだ。一人住まいで父親のタバコから逃れられたのも、40歳の時だった。いや、父親のタバコから逃げるために、こちらで一人暮らしを始めたと言っていいくらいだ。

幸い、今ではタバコを吸わなくても結構モノを言える世の中になった。年齢の加算と共に、私はもっともっとタバコ嫌いになっていくだろう。それこそ、友達を失うくらいに。

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2008年10月 6日 (月)

北陸本線秋路紀行(2)

今日はやっと公休日。とは言うものの、雑用が多くて何もまとまったことが出来ない一日になってしまった。結果として、今日は何を成し遂げたのかなーって、つまらなさだけが残る休日だった。

いつもの前置きは短めにして。

前回1回目を開催した北陸本線紀行の2回目である。

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連休中だったので、臨時に489系で運転された特急「はくたか」。くぐり抜けてきたのは「頚城トンネル」で、このトンネルの中に、かの筒石駅も存在する。名立駅の端から隧道を狙っていると結構多くの列車が過ぎるので、それなりに楽しめるところだ。

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石動~福岡で出会った夕空。私は最近「雨男」になってきたから、撮影に出ても中々綺麗な夕焼けを拝めない。この日は珍しくほぼ快晴の一日で、歩いていても気持ちよかった。そんな一日を締めくくった一枚である。

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位置的には前2枚より手前の福井県側に戻るが、九頭竜川を渡り終えて築堤から下り降りる特急「サンダーバード」。「雷鳥」は現在でも国鉄型で残されているけれど、「スーパー雷鳥」は新型車両に置き換えられ、高速運転を実現し、愛称も英語に変えられた。この型も早いもので、デビューから10年以上が経過する。今では弟分の「しらさぎ」も同系列に置き換えられ、北陸線の顔となっている。

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水橋駅に近い、常願寺川橋梁を行く413系の普通電車。国鉄時代にデビューしたから、これも「国鉄型」と言えるだろう。もっともデビュー当時は、濃紅色に白帯の出で立ちだった。この鉄橋、線路の反対側から撮った方が順光になるのだけど、秋らしい橋の下を表現しようとするとこっち側からの方が断然いい。多少逆行気味なのは、素人写真ということでご堪忍を。

出来るだけ「お立ち台」的な所を避けて画像を掲載しているから、派手な景色は少ない。でもいわゆる「頃合の景色」を選んでいるつもりではある。こんな感じで、次回以降も時間があればアップしていこうと思っている。

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2008年10月 5日 (日)

LAVATORY考

この記事のカテゴリーを「国鉄・JR」とするのも多少すっきりしない気分であるけれど。

取り敢えず魚澄庵のトイレの入り口上をご披露する。

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「便所」はまだいい。右隣の表示は、我乍ら顰蹙ものだ。「停車中は……」ったって、魚澄庵は動いていないのだから、停車中の使用を禁止されたら、ここでは永遠に便所の使用が出来なくなる。更に入り口の取っ手には、

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故障中でもないのにこう云うものをぶら下げてある。いつだったか実家の母が真面目な顔をして「えっ、壊れているの?」と聞いてきた。この借家の大家は両親だから多少の心配は仕方ないだろうが、それにしても冗談の通じない母親だ。

これらの表示物は、何れも鉄道部品ショップで500円程度で仕入れてきたものである。かつては旧型客車などに実際に表示板として貼られていたものを、かような店ではほどほどの値で売っている訳だ。買う方も買う方ですな。

それはさておき私が気になっているのは、手洗いを示す英単語だ。国鉄・JRでは大抵の駅で「LAVATORY」と表示してある。「LAVATORY」はどちらかというと「洗面所」の直訳になる。便所を示したいなら、やはり「TOILET」が一般的ではないのか。他の私鉄などを見ると、TOILETが圧倒的に多い。国鉄がJRになって駅舎などを改装したところでは、「TOILET」を使っている駅もある。また、少数ではあるが「REST ROOM」としてあるところもある。

こんなところにも、国鉄時代の「こだわり」があるような気がする。私は国鉄ファンであるから「LAVATORY」で構わないが、外人が実際に見たとき、どのように感じるのか、気にならないでもない。

どうでもいいようなことではあるが、どうでもいいことを追求するのもこのブログの特徴だと思っておいて下され。

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2008年10月 4日 (土)

北陸本線秋路紀行(1)

今日は、4号勤務。土曜日の所為もあって、午後4時くらいには仕事が終わった。ただその後、買い物へ行ったり、車検が終わった自家用車を引き取りに行ったりと、要するにグズグズしている内にもう夜の9時である。

まあ、それでもここ最近の懸案の事柄の多くが処分できたから、結構すっきりした。

前置きがまた長くなった。

一昨年までの数年間、秋になると北陸線を撮影に出ていた。大体は10月に出掛けていたけれど、記録によると9月の年もあったようだ。何年かで取り溜めた「北陸の秋」を少しずつだがご紹介していこうと思う。

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美川~加賀笠間で撮影した、秋空高い普通電車の走る風景。秋の特徴の一つは、空が大変高く見えること。流れ雲があれば尚更それが際立つ。そんな涼風吹く景色を、広角レンズで空を中心に撮影したもの。ありきたりの写真ではあるが、「秋らしい」意味では近年の中ではお気に入りの写真である。

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一転して曇り空だが、バックに高い山が聳える。立山連峰の山々だ。この辺りは水田が非常に綺麗なので、初夏に訪れた方が良かったかもしれない。ただ、気候のいい秋は何処で何を写しても気分がいいもので、これでもまあまあ絵になっているかと勝手に思っている。撮影地点は東富山~水橋。

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「秋」とは直接関係ないが、徐々に涼しさが増してくると温泉が恋しくなる。というこじつけで、芦原温泉駅の画像。ここは昭和47年2月まで「金津」という駅名であった。そしてここから芦原まで、一駅きりの「三国線」という国鉄線が分岐していた。駅員に尋ねたところ、画面左側の、ホームにしてはちょっと貧弱そうな施設が金津駅当時の三国線ホームだったという。

廃線直前の三国線の時刻表を見てみたが、列車本数はかなりあって需要は程々にあったらしい。ただ、非電化線だったから当時既に電化されていた北陸線の列車は乗り入れが出来ない。で、どうせ乗換えが必要なら、バス転換してしまえということになったらしい。福井鉄道が芦原の向こう、三国まで直結していたのも廃線に追い討ちをかけたとのこと。この辺り、国鉄の経営の下手糞加減が象徴的に出ていると思う。終点の芦原は、現在でもJRバスが「芦原湯町」として当時の駅舎を使っている。芦原温泉の中心部に駅があったのだ。本線からの直通列車を走らせていれば、廃止の憂き目になぞ遭わずに済んだと思うのだが。

名古屋から比較的近い北陸地方。画像はまだまだあるので、おいおいアップしていく予定でいる。取り敢えず本日はこれまで。

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2008年10月 3日 (金)

愚かなる話

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判りやすいようにと思って、画像を大きめにした。

今の私の両手。指に何箇所か怪我をしているのがお判り頂けると思う。何故、怪我したか?

解答を申し上げるのも恥ずかしいが、趣味の「方向幕」を取り替える作業をしたら、こんなにボコボコになった。方向幕とは、バスや列車の行き先を示す表示幕のこと。くるくると回って、必要な所になるとピタッと止まる、あれのことだ。

作業そのものは、3日前の公休日の晩にやった。あれの取替えって、慣れていないとかなり難渋する。私は今まで2度やってみたことがあるが、こんな手に怪我をするほどのことはなかった。でも、1時間くらいはかかってしまって結構苦労したことは苦労した。

今回、何でここまで怪我する様な羽目に陥ったか、例の如く不明。あの方向幕を巻き取る機械は、何も入っていない状態の時は、上下の巻き取りバーを2~30回空巻き(正確には絞り巻きという)しないと幕にたるみが出てしまう構造になっている。今回替えた機械には「24回ほど」空巻きしてくださいと、指示書がついていたのでその通りにしたが、それでも幕を全部送っていると途中で幕に「たるみ」が出てしまって駄目だった。

結局散々苦労して、上下とも約1.5倍の35回ずつ空巻きをしたらやっとたるまなくなった。その苦労がこの怪我となって露呈したのである。

考えられるのは、巻き取り器自体がかなり古いものなので、絞り巻きのバネが伸びてきてしまっているということ。廃車になった電車から取り外した部品であるから、製造から40年以上経っていると思われる。営業用の電車として活躍していた時は幕がついていた状態だっただろうから、バネは伸ばされたままでいただろう。その影響ではないかなあと。

自分の趣味でこんな仕様もない怪我をしていては恥なので、営業所ではなるべく手を隠している。でも、多分、これを読んでくださっている「Tの翁」さんあたりから、何か言われそうだ。

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2008年10月 2日 (木)

昔日

「しゃくじつ」と言っても色々あるけれど、これは私がバスの乗員になる以前の話。

私は大学2年の時、クラブの先輩の紹介で、とある雑貨問屋の倉庫でアルバイトを始めた。当初の話では、スーパーへ配達に出るトラックの助手とのことだったので、外仕事の好きな私は喜んで話に応じた。

仕事を覚えるにつれ、倉庫内でスーパー各店への荷物を作る荷出しの作業もやらされるようになり、そちらはちょっと不満だった。私は内勤が苦手で、外へ出る仕事なら大体のことは好きな性分だったからだ。

何れにせよ、その問屋の倉庫で学校を卒業するまでバイトし、学部研究生の終了後一旦就職したものの、約束と違う事務仕事オンリーだったため、また1年少しでこの問屋の倉庫へ出戻ってしまった。都合、この倉庫で5年近くお世話になった。出戻っている1年半の間にバスの運転免許を取り、結局ここを本当に“卒業”してからは、自分の好きなハンドルを握る職に就いた。

ハンドル人生になって、既に20年以上が経つ。その出発点と言うかきっかけは、この問屋の倉庫だった。配達のトラックの運ちゃんたちが皆いい人たちで、楽しく仕事できたからである。先輩がこの倉庫のアルバイトを紹介してくれていなかったら、私はもっと別の人生を歩んでいたに違いない。

それから長いこと、この倉庫の方へは出向かなかった。家からそう遠くではないのだが、用事がある方面ではないので通りかかることもなかったのである。

先日、久しぶりにその倉庫の横を通ったら驚いた。倉庫は解体され、整地作業が行われていたのだ。

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現在の私の原点は、あっけなく更地となっていた。20年以上の月日が経つのだから、仕方もあるまい。跡地には何が建つのだろうか。ちょっとだけ、興味がある。

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水分摂取男

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例の如く、本日は公休日明けの遅い勤務。仕事を終えてシャワーを浴びてパソコンの前に座っている。なので、これも例の如く前日・10月1日の続きと思って読んでやってくださいな。

えーっと。いつの頃からかあまり覚えていないのだが。こちらの家に引っ越してきてからだから、3年位前からのことかな。

常時、飲み物が自分の前にないと気が済まないようになった。一気に飲み干すのではない。チビチビと飲むのである。だから、今のように仕事が終わってパソコンの前にいる時も、何らかの飲料が机にないと落ち着かない。明日も比較的出勤時間が遅いから、現在は写真のようにビールがお相手になっている(撮り立てホヤホヤの写真である)。

仕事中でもそれは同じである。鞄の中にブリックパックの飲料が隠してあって、終点に着く度に、ちょびっと一口ずつ飲んでいる。条件の整ったバスの待機所だと、インスタントコーヒーを飲むことも多い。職場では有志の「コーヒー組合」なんてのがあって、それの組合長までやっている。人の倍の量のコーヒーを消費するから、組合の会費も2倍払っているくらいだ。

何でこうなったのか、さっぱり判らない。気がついたら、飲み物をチョビチョビ飲むようになっていたのだ。

コーヒーをよく飲む理由はある程度想像がつく。多くの方が子供の頃そうだったのではと思うのだが、親から「コーヒーは子供が飲むと頭が悪くなるから、飲んではいけない」と言われて禁止されていたから、それの反動だ(因みに折角コーヒーを飲まずに子供時代を過ごしたのに、私はちっとも頭がよくない)。

親が禁じていた理由は、この歳になってみると理解できないでもない。かなりの刺激飲料で、コカコーラよりも余程こちらの方が子供の体によろしくないと思うから。大人になっても、コーヒーを飲むと腹が下ってしまうという方もあるくらいだから、ある程度のことは親としても仕方なかったのだろう。

じゃあ、コーヒーはいいとして、その他の飲み物がないと気が済まないのは、何故?

初めに書いたように、わっかりましぇ~ん。何れにせよ、飲み物を買う程度のお金は持っているから、好きなように買って好きなように飲んで、それで満足していれば好としておきましょう。

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