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2008年9月

2008年9月30日 (火)

車検

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27日に書いた通り、昨29日、魚澄庵の「ひかり」化完了。写真は工事に来てくれた作業の方が、PCで確認作業している様子(ご本人には顔が判らない様に撮りますとのことで、ご了解頂いています)。ひかり化のツールも意外と簡単にインストールできたので、昨晩にはもうネットも開通したのだが、画面の切り変わりが早いのが面白くてあちこちのサイトなどを見ていて、結局こちらは書かなかった。

さてさて。

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写真は、おさかなの自家用車。ご覧頂いたとおり、かなりのオンボロ車である。でも、一日に乗る距離も大したものではないし、ロングドライブなどまずしないので、これで十分なのだ。

因みにフェンダーミラーはオプション。しかもナンバーは、名古屋○○○の3桁ではない。名古屋○○の2桁である。これだけ特徴のある車もそうそう今は走ってないので、自分の営業所のバスとすれ違うと、私の車のことを知ってる人はみんな手を挙げてくれる。

その自家用車の車検期限が

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こーゆーことなので、公休日の今日、車検へ持っていった。流石に、次回の車検は受けたいとは思っていないので、「取り敢えず2年もてばいいから、その範囲で検査しておいて下さい」と頼んでおいた。ただ、いかにも年季が入っているから、正規のディーラーに頼んだ。

私の1年の走行距離は、3千キロに満たない。正直に言うと、職場までだって歩いて20分程度なのだが、怠け者の私は車通勤している。それに、中憩勤務(よく書くけれど、朝と夕方のラッシュの時間だけハンドルを握る勤務のこと)の時は、買い物やその他の用事でちょこちょこ車の必要な距離も走る。だから、やっぱり欠かせないものなのだ。

仕上がり予定は10月4日。まだ暫くは活躍して貰わねばならないから、元気にリフレッシュして帰ってきて欲しい。

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2008年9月27日 (土)

ヒガンバナ

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もう、彼岸は完全に終わっちゃったっけ?

写真は名古屋の中心街、栄に咲いていたヒガンバナ。

ヒガンバナって、忌み嫌う人も多いと思う。曼珠沙華の別名もあるし、「墓場花」なんて呼ぶ人までいる。仕方ないことではあるが。

でも、私は嫌いではない。と言うより寧ろ、長い間憧れの花だった。図鑑では小学1年生の時から見ていたのに、実物はちっとも見ることが出来なかったからである。

初めて実際に見たのは、大学時代に国鉄・越美南線(現在の長良川鉄道)の撮影に行った時の車窓からである。名古屋近辺ではちっとも姿を見かけなかった。勿論、どれくらいの背丈かさえも知らなかった。

名古屋で急にヒガンバナを見るようになったのは、平成に入ってからだと思う。球根性の花だから、そう簡単には伝播しない筈だ。なのに、急激に名古屋でも姿を見るようになった。それで、今では中心街の栄でも咲く姿を見るようになった。

栄だけではない。あちこちの道路の中央分離帯にも、堂々と咲いている。そして更に、花の色は赤だけだと思っていたら、白・ピンク・黄色もあることを知った。先程書いたように球根性なので、一度生えると毎年そこに咲いている。今年は9月の始めに名古屋の市役所付近で咲いているのを早々と見つけて、ありゃりゃ、もう秋かと思ったものである。

名古屋の街中で急激に繁殖し始めた理由はさっぱり判らない。誰かが意図的に中央分離帯に植えるようになったのか、何かの偶然で球根がトラックなどから転がったのが起源なのか、生態系の変化なのか、また何か別の理由があるのか。

縁起はよくないとの迷信もあるけれど、私は綺麗な花だと思う。季節を告げる花は、余程の理由でもない限り、嫌いになれる理由がない。秋なら、この他にクズや萩の花など。言いようによっては皆、雑草に過ぎないけれど、でも、花を見て季節を知るのは最も自然なことだと思う。

ヒガンバナの繁殖、私は歓迎である。

***

話は変わるが、魚澄庵もいよいよ電話並びにネットを「ひかり」化することになった。29日に工事して貰う予定となっている。この準備と工事のため、明日と明後日は、ブログを含めたネット関係をお休みさせて頂く。宜しくご了承の程。

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2008年9月26日 (金)

吉原駅(東海道線)の貨物扱い

東海道本線の吉原駅(静岡県)は旅客駅としては小さな駅だが、付近に製紙工場があることや、貨物列車が走る私鉄の岳南(がくなん)鉄道線と接続することから、貨物の扱いが行われる。

貨物扱いをする列車は上り1本、下り2本と数は少ないが、短い時間で効率よく貨車の連結・開放(切り離し)をするため、その時だけは貨物線がちょっと活気付く。

以下の写真は上りの3362列車の作業の様子である。

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3362列車が到着。最後尾には既に作業員が乗り込んで、作業に備えている。

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この駅で開放される貨車に乗り、貨車を指定位置まで誘導する。列車は、作業員が向いている方向へ進行している。

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開放作業が終わると、今度は別の貨車の連結作業に取り掛かる。無線を使って機関車の運転士に、連結される貨車までの距離を伝えている。

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連結間近になると貨車を降りて、無線誘導する。因みに、左の青い貨車は紙を運ぶ貨車、コンテナの方は化学薬品などが主な荷だとのこと。作業員の「あと、3m、あと2m」の声が、私にまで聞こえてくる。

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無事に連結作業が済むと、「列車編成通知書」と呼ばれるものを、機関車の運転士に届ける。この通知書を受け取って、貨物列車は初めて発車の準備が整う。

停車時間は僅か30分程度。その間にテキパキ作業を行う作業員・機関士さんには、ご苦労様の一声もかけたくなる。

ただ、ちょっとついでを言うなら、この作業を追いかけて撮影する私も、大変多忙になる。私には、どのように作業の手順が組まれているか判らないから、貨車と作業員の動きに合わせてホームを駆け回るしかない。まあ、それもまた一つの楽しみではあるのだが。

そんな次第で、貨物列車の作業の一例をご紹介させて頂いた。

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消費期限なるもの

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私は自分で調理するのはインスタントラーメンかレトルト食品くらいである。面倒なので、敢えて調理まで覚えようとしなかった、そのなれの果てが現在の私である。

だから、魚澄庵にはあまり食料は貯蔵されていない。カップ麺とかレンジでチンの冷凍食品くらいが関の山だ。ただ、カップ麺は、いざといった災害時の非常食にもなるので、2つ以上は常時あるように気をつけている。

でも、カップ麺って、消費期限は大体買ってから3~4ヶ月程度である。だから、非常食として利用できるよう、時期が来たら無理にでも消費して、次を買ってくるようにしている。

それは、よいのだが。

過日あったこと。

どう云う経過か自分でも覚えていないが、兎に角気がついたら「消費期限」を半年以上過ぎたカップ麺を発見してしまった。ありゃりゃー、しまったなーとは思ったが、200円近く出して買った「食べ物」である。捨てるのにはちょっと忍びない気がしてしまった。相手は乾麺である。まあ半年過ぎていたって、食中毒にはならないだろう。そう考えてしまった。

早速、処理すべく、ヤカンで湯を沸かし食用に及んだ。普通、カップ麺は程々の味がするものだが、スープがどうにも不味い。スープの方は、半液状のものだったのだ。ちょっと、ヤバイかなー……。

30分後、腹が下り始めた。それ程酷い症状ではないけれど、この腹下りは翌日の昼過ぎまで続いた。やっぱり、食用に及んではイケナイようだった。

この時に得た、当たり前の教訓。

「消費期限を半年過ぎたカップ麺を食べてはいけない」。

お粗末過ぎて、自分でもオチの書きようがない。読んでくださった方がいたら、絶対に真似しないで下さい。

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2008年9月24日 (水)

プリント写真整理の日

連休2日目の今日は、溜まりに溜まっている写真(プリントされたもの)の整理に明け暮れようと決めていた。部屋の片隅には

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この様に無造作にプリントの山が積んである。向こうの写真袋にも一杯詰まっている。合わせて2年3ヶ月分。

写真には、裏にナンバリングがしてあり、この番号を基にレポート用紙で作った台帳に撮影データや写したものの内容を書き込んでいく。

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我乍ら、ゴチャゴチャした面倒な作業だ。ただ、これをしっかりやっておくと、写真をアルバムに貼り付けたりする「次の整理」の時点で手間がかからない。また、撮影データをきちんと管理しておけば、次回以降の撮影の時に露出やシャッター速度の決定に役立つ。

そんな次第で、面倒でも結構役に立つ作業ではある。

では、今日のブログは簡単に済ませ、また台帳に書き込む作業に勤しむこととする。

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2008年9月23日 (火)

特急「やくも」、受難の時代

今日・明日と有難いことに連休となった。そこで今日は

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(名古屋駅地下街)と、

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(名古屋の中心街・栄。因みに写真は栄のシンボルのテレビ塔)へ出掛けた。何れも自分の趣味に関する買い物のためである。

さて、と。本題に入るのだが。

JRの特急に「やくも」というのがある。国鉄時代から引き継がれているもので、現在の運転区間は岡山~伯備線経由~出雲市となっている。最近、陰陽連絡列車として見直されてきたために利用客も増えているが、一時期、利用客減で短編成化された悲惨な時代があった。その頃の写真を3枚ほど、ご披露しようと思う。

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日野川の渓谷沿いを走る、僅か3両の「やくも」。塗装は国鉄時代のオリジナルだが、この形式の電車が3両で営業運転されたのは、この時期だけである。そこまで利用客が落ち込んでいたのだろうか。尚、最低限の編成なので、グリーン車さえ連結されていない。

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これは、グリーン車込みの4両の姿。撮影した場所は、布原と云う信号所(列車のすれ違いのために停車するだけで、原則として客の乗降はさせない施設)の付近で撮ったもの。JRになってから、布原はごく一部の普通列車だけ客の乗降をさせるようになった。とは言え、それは一日4往復程度の列車だけの話で、この写真を撮るための行程を組むのには苦労した。

余談だが、この布原付近は勾配が結構あり、蒸気機関車時代はデゴイチが3重連で貨物列車を牽いたりもした。そのため、SLファンでこの辺りのことをご存知の方も多いはずだ。

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列車のカラーは全く異なるが、上二枚の写真と全く同じ形式で運転された「スーパーやくも」。「やくも」の停車駅を減らして高速で走らせるバージョンなので、列車名に「スーパー」をつけ、塗装も変えたもの。2時間に1本程度の「スーパーやくも」だけは6両で運転され、この写真の反対側の先頭車は、展望席付きのグリーン車となっている。

何れも10年ちょっと前の写真で、「やくも」号にとって最も受難の時代だったと言える。この後、「3両や4両では乗り切れない」と客からのクレームが相次ぎ、数年で全ての「やくも」が6両に戻された。また、「やくも」と「スーパーやくも」の停車駅がそれほど変わらないこともあって、列車名に「スーパー」を冠するのもやめられた。それに伴い、このパープルカラーは順次廃止になり、白地にグリーンの塗装に順次切り替えられていく。

最近になってまた、「やくも」の内外装をリフレッシュしようと云うことになり、塗装が変えられつつある。同じ名前の列車で、こうも転々とカラーが塗り替えられる特急も、どうかと思う。「やくも」号としてのイメージにもつながらないし、親しみも持たれにくいと思う。

JRになってから、盛んに外面の塗装を塗り替える例があちこちで見られるが、地域のカラーとして親しみが持てるように、一度決めた塗装はあまりコロコロ塗り替えない方がいい。塗装代だってバカにならないだろう。

もっと言えば、国鉄時代のように「この形式はこの色」と決めてしまってもいいと思う。国鉄の塗装は、全国津々浦々同じ形式なら同じ塗装であったが、それで不評を買った話は聞かない。それだけ、多くの人に受けのいいカラーリングを選んでいたということでもあろう。

JR発足から20年。無闇矢鱈と塗り替えるのも、そろそろ終わりにされては如何なものか。

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2008年9月22日 (月)

本日も名駅へのお仕事

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本日のお仕事内容。上の図表の左側が名古屋駅・右側は私達の営業所。朝7時に車庫を出て、名駅を一往復。食事後に名駅へ出たら、小休止の後、車庫のすぐ手前の「光ヶ丘」へ2往復して、最後は営業所へ入庫、16時31分。

出勤時間や退庁時間は仕業点検や燃料注油のためもあって、別に定められているけれど、まあ大まかにこんな内容と云うこと。

このダイヤは食事前に1往復しかせず、食事後3往復しなければならないので、バランスが悪いダイヤと皆に歓迎されない仕事である。私達の営業所では基幹バスに10枚のダイヤがあるが、そのうち2枚がこのパターン。あとの8枚は、2往復/2往復とバランスはよくされている。

前回、基幹バスの記事で「JRの名古屋駅がバスターミナルの待機所から見える」と書いたが、

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こんな風に、バスの待機場所によっては目の前に見える。これが名駅への仕事の唯一の楽しみ。

仕事三昧ではつまらないから、なるべく些細なことでも仕事中に楽しみを見つけるようにしている。神経を使う仕事だから、電車が見えたぐらいで仕事が楽になった気分にはならないけれど、多少の気休めにはなる。そんな風景(?)のご紹介でした。

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2008年9月21日 (日)

秋の函南駅周辺

最近、体が疲れ気味なので、今日はちょっと一日休ませてもらうことにした。10日程前に休暇を受け付ける係に「一日休める日がありませんか?」と訊ねたら、それが今日だったのだ。3号勤務のしんどい日がパスできて、シメシメ。

それで、昨晩の内に出来ることは極力こなしておいた。いつもの洗濯、アイロンがけに始まり、書かなければいけない手紙、打つ必要のあるメール、ちょっとした部屋の整理、等々。寝ようとしたら時計の針が3時を指していた。

そんな行状から、今日は何と昼の1時まで寝ていた。11時頃激しい雨音で起こされたが、また布団にもぐりこんで、1時くらいに「ワラビ餅売り」のスピーカーでやっと本当に目が覚めた。

さて、いつものように前置きが長くなった。今日は昨年撮影した、函南(かんなみ)駅周辺の景色を3枚ほどご披露しようと思う。9月の中ごろ、三島を中心をした東海道本線を撮りに行った時のものの一部である。

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思い切り自分好みの写真であるが、夕方、かなり陽が西に傾いた時に撮った一枚。函南駅ホームの西端から撮影している。

夕景は刻々と光線状態が変わるから、うまい時間に列車が来てくれないと思い通りの絵が出来上がらない。2分ずれれば大失敗に終わる事だって往々にしてある。それにこの絵の場合、私は去っていく電車のテールライトを引き立たせたかった。つまりこちらへ向かってくる列車では駄目だったということ。

諸条件をクリアして、「夕刻列車」の写真の出来上がり。

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すっかり日が暮れて、駅標だけが目立つホームに帰り人が一人ポツリ。函南駅は鉄道ファンにはよく知られた駅であるが、実際に行ってみると辺りは人家も少なくひっそりした駅だ。こんな時間にこんなホームで列車を待っていると、何か人生の落伍者にでもなったような気持ちになる。

写っている方が人生の落伍者ではないけれど、この写真の後、ホームで帰りの電車を待った私は完全にその気持ちであった。

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これは、翌日の朝に撮ったもの。今度は駅ホームの東端から撮っている。向こうにぽっかり口を開けているのは、東海道本線の熱海~沼津間短絡の最重要ポイント・丹那トンネル。昭和9年12月、当時としては日本一長いトンネルとして開通し、以後も日本の最重要幹線・東海道本線の流通を支えている。走る列車は色々変わっているが、トンネルはいつでもずっしり、彼らを眺めている。トンネルの「ボス」的存在と言ってよかろう。

地味なようで結構面白い駅ってあるものだ。函南は、そんな駅の一つだと私は思っている。

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2008年9月20日 (土)

夏の名残り

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一応、入道雲らしきものがふわふわと浮いていて。これを撮る5分くらい前には、もうちょっと鬼入道らしい形だったんですがね。

台風が去って、今日はまずまずの天気であった。ただ、台風は余分なものも連れてきたようだ。「暑さ」。南の暖かい空気を運んできたのだろう。まあ、気象学のことはよく判らないけれど。

とにかく、昨日までに比べればちょっと暑い一日だった。

今日は確か「暑さ寒さも」の彼岸の入りの筈だ。そろそろ過ごしやすくなることを期待しているのだが、毎年毎年彼岸を過ぎても、昼間は暑い日が多い。そもそも旧暦で言い慣わされた言葉を新暦に当てはめること自体に無理がある。朝夕はともかく、昼間はまだ暫く辛抱が必要だろう。

でも、月日が経つのは早いもので。つい先日9月になったばかりと思っていたのに、もうそれも後半戦。あれだけ嫌がっていた夏が去るのは、殊勝なものでちょっと寂しい。誰かが言っていた。四季の内で去るのを惜しむ季節は夏だけだと。うん、全くその通り。やっぱり活動的で若々しい夏は、どこか去られるのに引き止めたい気持ちが絡む。

取り敢えず45歳になっても、その気持ちに変わりはない。

入道雲がちょっと懐かしい。

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台風な夕方

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只今、9月20日・午前0時40分くらい。台風13号が、太平洋沿岸を通過中。幸い、名古屋は一時的に雨が強くなったことはあったけれども風は強まることもなく、今ではもう雨も止んでいる。然し、九州を始め多くの地区で被害があったとのこと。被害に遭われた地区の方には心よりお見舞い申し上げます。

写真は、夕刻、バスの運転席から気楽に撮った一枚。18時過ぎのワンショットで、まだこの時は少し強めの雨が降ったり止んだりしていた(因みに、終点のバスターミナルで時間待ちの停車中に撮っております。決して運転中に撮ったものではありません。念のため)。

名古屋は、伊勢湾から奥へ入り込んだところにある都市なので、意外と台風の被害を受けたことは少ない。私が生まれる以前に「伊勢湾台風」の大被害があったからそちらのイメージを持った方もおられるかも知れないが、私が生まれてから本当にマトモに直撃を喰らったのは2回程度だと思う。隣の三重県が大きな災害を被っていても、そうした地形的な事情により、名古屋に限って言えば大きな被害に遭った事は少ない。

今ではある程度の見識はあるつもりなので、やはり台風が近付くと心配するが、高校生ぐらいまでは台風が来ることをいつも期待していた。これは誰しも同じだろう。授業が打ち切りになったり、もっとうまくいけば一日休校ということもあり得たからだ。

でも、私の記憶が正しければ、高校卒業までで台風のために授業が打ち切りになったのは2度だけだと思う。中学・高校で各1回ずつ。

私は今でも「努力と勉強、大嫌い」と公言している。これは、学校に通っていた時代も同じで、学校の授業は少しでも短い方が嬉しかったし、出来れば自分の学校が爆破されたら暫く授業を受けずに済むのにと、不謹慎なことばかり考えていた。だから台風による授業打ち切りは、神の下さった恩恵なんて思っていた。

この仕事に就いてからは、台風や大雨でも中々運行休止にならないので、ちょっと不満なこともある。それはただ単に仕事をサボりたいとの思いではなく、自分自身の身の安全が保障されないからだ。4年前には、M鉄バスが台風の中、どんどん入庫していくのに、私達はいつまでも走り続けるという強行的なこともあった。

私の職場は従業員を大切にしない職場だなと思う。それは、昨今繰り返し書いている「強制時間外労働」の件にしても同じこと。台風とは話がかけ離れてしまったが、台風が来れば、自分の家は大丈夫かなと心配にもなる。そんな時でも、いつまでも仕事をさせる職場が、安心して働ける職場なのかどうか、少し疑問符が残る。

台風で自分の家が倒壊してから家に帰らせてもらっても何もならないのである。

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2008年9月18日 (木)

いまどき「カセットデッキ新調」

本日2回目の投稿。と言っても下の記事は昨日の延長線上なので、今日の本来の記事はこちらということで、ご理解頂ければと思う。

前置きはいいとして。私は多趣味人間である。主たる趣味はバス・鉄道と写真であるけれど、もう一つ深くのめりこんでいる趣味がある。答えは「オーディオ」。

中学生時代からステレオにかなり興味は持っていたけれど、大学の時の学友のお蔭で、相当情熱的なマニアに成長してしまった。

そんな私のカセットデッキの一台が、過日とうとう音がマトモに鳴らなくなってしまった。思い返せば23年前に買った代物で、今まで正常に動いていた方が奇跡と言ってよい。買い直したいが、デジタル全盛の現在、超アナログ機器の「カセットデッキ」なんて専門店に行かなければ置いていない。夏に頂いた賞与で買うつもりでいたが、行きつけの専門店は車で30分の距離なので、ついつい行きそびれてしまっていた。でも、いつまでも……と云う訳にも行かず、とうとう今日、意を決して車を30分走らせた。

店員さんたちとも顔なじみ、それはともかく「カセットデッキを新調したいのだが」と言うと、担当の店員さんは「う~ん、今はウチでもおさかなさんのご希望に沿うものは2機種しか置いてないんですよ。どのメーカーも製造をやめちゃったので」とのこと。そりゃ、そうだよね。CD、MD、DAT。デジタル機器が日進月歩で進化しているのに、カセットだなんて。

1機種は完全に業務用。つまり、放送局やスタジオなどで本格的に使われるものだ。勿論マニアだからそちらでも良かったのだが、バイアスと呼ばれる音質を調整するスイッチが、スイッチではなくてプラスドライバーで一々調整する仕組みになっていた。バイアスは聴くテープの種類によって異なるから、つまりテープを入れ替えるたびに一々ドライバーのお世話にならなければならない。

で、廉価ではあるが、P社の汎用機種の方に軍配が上がった。廉価といっても、今回入れ替えとなる「23年前のデッキ」とは遥かに性能が違う。23年前にこのデッキを買おうとすれば、5倍の値段を出しても買えたかどうか判らないくらいの仕様となっている。とにかく、技術はどんどん進んでいるのだ。

さて、買ってしまえば一刻も早く聴いてみたくなる。我が家への到着記念写真。

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カセットデッキは、接続する電線は3つしかないからすぐに接続は出来る。我が家へ到着して10分後には、おさかなに酷使されることになった。(早速稼動開始の写真↓)

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店でも勿論試聴はさせてもらったが、自分の家のシステムで聞くと、またちょっと感じが違う。件の「23年前」より柔らかい音に聞こえる。悪く言えばメリハリに欠けるけれど、音質が悪いという意味ではない。これはこれで聴き易い、いい音だ。それにどうこう言ったところで、選択肢は2つしかなかったのだ。これからまた、お世話になりますぞよ。

でも、今ふっと思ったこと。自分の人生にとって、「カセットデッキの買い物」は多分これが最後になるだろうな(苦笑)。

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おおさか東線・撮影結果ご報告

明日(18日のこと)はお休みだーと、はしゃいでビールを飲みすぎたので、つい先程まで夢の中であった。とんでもない時間(現在午前2時)であるが、目が覚めてしまったし、折角先日のポジが上がってきたので、また恥さらしを覚悟で一部をお披露目しようと思う。

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関西線と接続する終点の久宝寺駅。国鉄時代は貨物のヤードがあって広い構内であったが、ヤード廃止に伴い狭い構内になり、そこへまた新線が入り込むことになったので駅も辟易しているように思える。現状では、おおさか東線の電車はごく一部を除いて線内だけを往復している形なので、駅の東方に待機線が設けられ、折り返しの際は必ずここへ入線する。

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こちらは起点側の放出駅付近。外側の2線が片町線、中央寄りの2線がおおさか東線。両線の平面交差を避けるため“先住民族”のはずの片町線は、こんな急勾配で駅へ入る形に線路が改められた。一般的なパターンとは逆なのがちょっと面白い。

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旅客線としては新線扱いの同線だが、元の城東貨物線を旅客化しただけなので、現在でも平日には7往復ほどの貨物列車が設定されている。貨物列車の時間が近付いたからとて、JR長瀬駅のホーム端で構えようと思っていたら、何とホームの北側端は立ち入り禁止になっていた。結果こんな写真になってしまったが、ともかく架線下をDD51の牽くコンテナ貨物が、ウグイス色の電車の合間を縫ってのんびりと走る。

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昨日のネタにした遊具と電車のショットも実はこっそり撮っておいた。これもJR長瀬駅の付近にある。まったくもって近代的な遊具だが、いつの日かウグイス色の電車とも馴染んでいくのだろう。そう言えばこの公園、「球技禁止」の看板が立てられていた。

……と、まあ前回同様、冴えない小ギャラリーでありました。

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2008年9月16日 (火)

意味不明の遊具

先日の「おおさか東線撮影旅行」の記事で、出し忘れていた写真があるので、ちょっとお目にかける。

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こんなんだけど。

例えば一番手前の細いはしごを登っていくとする。初めは地面と人体は平行なのでよい。だけど徐々に登っていくにつれ、人体は地面と垂直の角度になってしまう。大抵の人間は、重力の法則に則って、落下するのじゃないだろうか。

こんな遊具で、大阪の子供たちは安全に遊べるのか?? 私は暫し鉄道写真のことを忘れ、このヘンテコな遊具に見入ってしまっていた。因みに、この遊具の辺りの地面が黒っぽく見えるのは、建物などの影ではない。かなり柔らかいゴムマットのようなものが敷き詰められているのだ。まあ、それぐらいの安全対策は流石に施してあるということなんですな。

それにしても、見返せば見返すほど、また意味が判らなくなってきた。

誰じゃい、こんな遊具を考案したのは? あまり深く考えすぎると、三球師匠のように夜も寝られなくなりそうなので、これで考察はやめておく。

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2008年9月15日 (月)

贅沢の是非

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「写真は白黒に始まり、白黒に終わる」

写真を趣味とする人の間に、こんな言葉がある。初めは白黒写真で撮り始める人が多いけれど、やがて皆、カラー写真に移っていってしまう。ところが、写真を極めていくとまた白黒写真に戻ってくる、とそんな意味である。

私自身は白黒で始めたのは確かだけれど、その後カラーに移ったままで一向に白黒には戻らない。時代背景の違いもあるが、どっちにしても白黒写真に戻る気は当分ない。逆に言えば私の写真の腕前が、そんな程度と云うことでもあろう。

学生時代は写真部にいたから、白黒ならフィルムの現像から印画紙への焼付けまで一通りできるようになっていた。でも、カラーは個人でやるのは大変難しい。それに費用も莫大にかかる。ラボに出していた方が余程安上がりだ。そんな次第で、お金のない学生時代は、かなり白黒での写真も撮った。ただ、自分の趣味として撮る「鉄道写真」は当時からカラーネガフィルムを使っていた。

だが、学生時代に清水の舞台から飛び降りるつもりで、カラーポジフィルム(スライド用に色が反転していないフィルム)を使ったら、その綺麗さにすっかり虜になってしまった。とは言え、ネガとポジでは、フィルムの値段・フィルム現像の値段・焼き増しの値段、全てが桁違いで、とても常用できるものではなかった。

こうして仕事をするようになって、具体的に言えば10年位前から、私もポジフィルムが常用できるくらいになって来た。独身だし、そこそこのお給金も頂ける様になったからだ。私は鉄道旅行費と写真代に給料の大半を費やすから、こんな贅沢も出来るけれど、家族が居て奥方から貰う小遣いも限られて、と云う方には、この年齢にしてはとんでもない贅沢と云うことになるだろう。

白黒写真から思い返せば随分な贅沢だと自分でも思う。今は仕事で収入があるから、こんな贅沢をしているけれど、「アリとキリギリス」の話を思い出さないでもない。現在の私は典型的なキリギリス状態。いつか老いぼれて年金もマトモに受け取れなくなった時に、この贅沢を後悔するか否か、どっちなのかな。今日仕事しながら、ふっとそんなことを思い浮かべた。

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2008年9月14日 (日)

このサボを買った理由

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今日も帰りは遅いけれど、幸い明日が祝日のため、仕事も休日のダイヤローテーションになる。で、遅いながらにちょっと気分的な余裕がある。

家に戻ると、余裕がある時は部屋に飾ってあるサボを架け替えたり、それなりに一人暮らしを楽しんでいる。で、ちょうど今日はこう云うサボが順番で登場した。予め書いておくと、これは「るべしべ」と読む。これも北海道の地名だ。

列車の行き先は、国鉄・JRだけでも日本全国様々なものがあるから、行き先を示すサボにも何万、いや何十万と云う種類のものが存在しただろう。以前はこういうものを扱う業者も少なくて、あるものを手当たり次第買い集めていた感じがあるが、持ち数が3~40枚を越えた頃から、なるべく自分の思い出にあるもの、或いは実際に乗ったり行ったりしたものを集めるようになった。このサボもそうしたものの一枚だ。

私が小学生の頃、道徳の教科書に一つの出来事が載せてあった。はっきりとは覚えていないがおおよその筋を書いておく。

『北海道の小さな町で、肺壊疽になった患者がいる。大至急血清が必要なのでヘリコプターをその町に向けて飛ばしたが、霧か何かで視界が悪くとても病院の近くには降りられない。暫く旋回したが無理なので引き返しにかかると、少し離れた所で小学校の校庭が見え、多くの児童が遊んでいた。咄嗟にヘリの乗員が血清を箱につめ「この箱を大至急、留辺蘂の駅に運んでください。駅から急行に乗せて○○の駅まで運び、町の病院に届けるよう手配してください」と手紙をつけて、小学校の校庭に低空旋回しながら落とした。間近を飛ぶヘリから投函物があったので、早速児童が集まるとこの手紙が付いていて、箱はすぐに職員室へ持っていかれ、教師が大至急で留辺蘂駅へ連絡・急行を待たせて血清は無事に小さな町の病院へ届けられた。ヘリの乗員・児童たち・教師・そして国鉄職員の見事なリレーにより、壊疽の患者は一命をとりとめた。』

こんな内容だったと思う。それを読んだ時、留辺蕊ってどんな町かな、大人になったら行ってみたいなと思っていた。長じて、石北線に存在する留辺蘂駅を通ったけれど、こんな小さな町にそんな大きな物語が隠れているのかなと思うほど、こじんまりとした町だった。ただ、命の大切さを教えるのに十分な内容の話で、町の大小には関係なく私の心に「留辺蕊」の地名は深く刻み込まれた。

冬は雪の深い町で、このサボも雪を払いのけるためにかなり痛んでいる。でも、心の中の「留辺蕊」の文字は、きっと一生痛むことはないだろうと思っている。

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万年ゼキ

いつものように、公休日明けで遅い勤務だったので、9月13日の延長とご理解頂きたい。

いつ頃からかはっきり覚えていないが、年がら年中、咳で悩まされるようになった。今の職場に入ってからだと思うのでかれこれ10年くらいになるだろうか。

理由がこれまたさっぱり判らないのだ。初めは内科医にかかり、最後には精神的なものが関係しているかと神経科までも受診したが、どこの医者も首をひねるばかり。貰った数々の薬も全く効かなかった。

先日、バスの運転中に発作的に酷く咳き込み、最後には胸から腹辺りにかけての筋肉がつってしまい、大変な思いをした。お客様の手前、ポーカーフェイスは貫かなくてはいけないし、かと言って上半身は激痛に襲われているし、安全運転に気を抜く訳に行かないし。

どなたか、咳に詳しい名医をご紹介頂けないでしょうか?

尚、咳き込んでいる魚澄庵主の画像を添付しても面白くも何ともないので、画像は省略します。

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2008年9月12日 (金)

おおさか東線・日帰り撮影旅行

本日は公休日。以前から気になっていた「JRおおさか東線」に乗りに行くべく、朝一番のバスで出発する。

本日使用した切符↓

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私は「JR全線に乗った」と多くの人に言っているのだけれど、実は今年の3月15日に、この「おおさか東線」久宝寺(きゅうほうじ)~放出(はなてん)の9.2キロが開業し、これだけはまだ乗れずにいた。他の旅行の予定や休暇の都合で開業から半年も経ってしまったが、やっと都合がついたので、今日出掛けることにしたのである。

起点の久宝寺までは結構道のりが長い。名古屋駅からまず関西線の亀山行きに乗り、

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次いで

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これに乗り換え、更に

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大阪環状線直行の快速に乗り、11時26分にやっと辿り着いた。

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ここからがスタートだ。

一旦乗ってしまうと、9.2キロだから、電車だと14分で終点の放出に着いてしまう。「完全乗車達成」のための乗車は、あっけなく終わってしまった。

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ここからもう一度、起点の方へ戻り、今度はゆっくり撮影を楽しむ。と言っても、大阪東部の住宅や工場が密集する中を、高架線が走るだけである。駅と駅の途中からは絵に出来るような所は殆どない。駅付近の少し空間の開けた所から撮影するか、駅のホームから望遠レンズでやって来る電車を迎え撃つように撮るくらいしかできない。大まかに言うと

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こんな感じの写真ばかりになってしまう。因みにこれは、JR俊徳道(しゅんとくみち)駅から撮ったもの。上を跨いでいるのは、近鉄大阪線である。この「おおさか東線」は他の鉄道との交差が多く、その交差地点に駅を設けているので、将来的にはある程度の需要も見込まれるだろう。現在では6両編成の電車がもったいない状況だが、地元の足として定着すればそこそこの客層は拾えるものと思われる。

写真構図に苦戦しながら途中駅で降りては撮り、また降りては撮りで、あっという間に夕刻となった。終点・放出の一つ手前、高井田中央駅でフィルムを使い切ったら、17時を回っている。心地よい疲れを覚えつつ、撮影機材をしまって再び放出へ向かう。放出からは、片町線→京橋→大阪環状線→大阪→東海道本線→新大阪→新幹線とのルートで名古屋へ戻るだけだ。ところが最後に、「ちゅどーん!」。放出駅で京橋方面のホームへ行くとこんなテロップが流れていたのだ。

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写真を撮った時点で17時33分。でも17時21分発の列車がまだ来ていないのだ。駅のアナウンスは「住道駅付近で線路に異常があり、現在運転を見合わせております。運転再開の見込みは立っていません」と繰り返すばかり。切符のルートは決まってしまっているし、どうしたものかと困っていると、僅か3分後に「運転を再開したとの情報が入ってまいりました」。ただ「17時21分発の京橋行が、何時の到着となるかの情報は入っておりません」。

まあ、とにかく待つしかないなと思っていると放送が入っていないのに、列車のヘッドライトが遠くに見え、京橋行がホームに滑り込んできた。扉が開いたころにやっと「間もなく、17時21発の京橋行が到着いたします」と言う始末。支障があった時のJR西日本の対応は、いつもお粗末との思いを強くする。

まあ、そんなこんな、色々あったけれど、ともかく帰ってきた。何か今一つパッとしない撮影旅行であったけれど、とにかくJR全線走破は再び完遂できたし、程々の運動で程々の汗もかいたし、これはこれで良しとしておきますか。

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2008年9月11日 (木)

一昔前の境港線

ふとしたきっかけで、何年か前の9月に境港線を撮影に行ったことを思い出した。比較的爽やかな気候で気分よく撮影したなと思いつつ、当時のネガを探してみた。

意外にも1996年の撮影と、思っていたよりも昔のことだったけれど、「十年一昔」とも言う。そこで、一昔前の境線の情景を、ちょっとだけご披露しようと思う。

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ビニールハウスの鉄骨の向こうを行く「ヨット列車」。当時は境港線に4種類のイラスト列車が運転されていて、その内の一つである。

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これは、元祖「鬼太郎列車」。写真が小さいので判り辛いが、かの「ゲゲゲの鬼太郎」とそれに関連するキャラクターのイラストが描かれていた。境港線の終点・境港市は「鬼太郎」生みの親、水木しげるさんの出身地。そのことから、妖怪漫画の鬼太郎が列車のイラストになるまで成長した。

因みに、現在では境港市と境港線の運営母体のJR西日本、それに作者の水木しげるさんがタイアップして、境港の街は「水木しげるロード」など様々な鬼太郎関係のキャラクターで街づくりが行われている。また、境港線の方は、昼間は原則として鬼太郎列車・ネコ娘列車・ネズミ男列車の3両が交互に運転され、駅にもそれぞれに「一反もめん駅」など鬼太郎関係のニックネームが付されている。

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再び12年前に話は戻るが、現在は朱色一色に塗られている客車改造のディーゼルカー・キハ33型が、当時は「おさかな列車」「水鳥列車」のイラスト列車として境港線で活躍していた。これは見ての通り「おさかな列車」の方。小さな向日葵の花の向こうをのんびり走っている。自ら「おさかな」を称する私にとって、大変親しみの持てる列車であった。

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これは、大篠津駅の風景。現在では隣接する米子空港の関連で駅の位置が移動している。また、駅名もズバリ「米子空港」に変更されている。写真の信号機をよく見て頂くと気付かれるかと思うが、空港に発着する飛行機のために、ここの駅では信号機の高さを低めに抑えていた。

こうして振り返ってみると、一ローカル線に過ぎない境港線だが、「一昔」前とは色々変化があるなと思う。それとともに、この線を撮影に行ったのがつい最近のように思っていたのが、思いの外時間が経っていることにもちょっと吃驚している。形あるものは、時間が経てば何らかの変化がある。仕方ないことだが、でもたった12年前が懐かしく思える。

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2008年9月10日 (水)

日の出・日暮れ

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数日前から、また体調がよろしくない。8月下旬から続いた不順な天候が明けて、ちょっと暑さがぶり返しているから、その影響だろう。

まあ、グダグダ言っても仕方がない。仕事以外の時はできる限り肩の力を抜いて、騙し騙し日々を通り過ぎさせるだけだ。

さて、それでもって。上の写真は、とあるバス転回場で日暮れ時に写したもの。今日ではなく、2日前のものである。

今日は、6日前、つまり9月4日と全く同じ内容の仕事であった。担当ダイヤのローテーションの加減で、たまにこう云うことがある。このダイヤには正規の勤務以外に時間外の仕事もセットになってついており、それも全く同様にこなした。それで感じたのが、たった6日のことでやけに日の出が遅くなり、日の入りが早くなったこと。

朝は5時20分頃に起きている。6日前も同じ時間に起きたのだが、外から射し込む光が意外なほど弱くなっていた。別に今朝の天気が悪かったわけでもない。あれ、こんなに日の出が遅くなっちゃったっけ?が朝一番の感想。

同様に夕方。正規の勤務は終わっていて、時間外の仕事は17時42分に車庫からバスターミナルへ向けて回送する。6日前には安全のためのフォグランプだけで出発したのだが、今日は初めから「う~ん、ヘッドライトが要るなあ」。そして、バスターミナルで客扱いをする時にも初めから室内灯を点灯させた。

この仕事になってから、室内灯の点灯時間で季節を感じるようになったけれど、また、今年もそんな時期になってきたのだな。考えてみれば、お彼岸ももう目の前。日が短くなって当たり前だ。

研修時代を含めると、この職場でもかれこれ15年が経とうとしている。毎年同じことの繰り返し。それが積み重なっての15年。年々歳々、まさにそんな心境で夕暮れの街を帰宅客を乗せて走り始めた。

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2008年9月 9日 (火)

ド近眼と老眼

何とも枯れたタイトルであるが。

私は極度の近視である。裸眼だと両眼とも0.03くらい。眼鏡なしでは生活不可能。

一方で、そろそろ老眼のお年頃。って言うか既に始まっているのだが、45と云う年齢からすればある程度は仕方ないだろう。

それと共に困るのが、夜間視力の低下。これも目の老化現象には違いない。夜でもバスのハンドルを握るおさかなは最近

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これが欠かせない。昼間はまだ大丈夫だが、夜間になって目が疲れてくると、近くの小さい文字は眼鏡を外さないと見えないし、また運転中には目の疲れが如実に出てしまい焦点が合わないことが多くなった。

薬に頼ってばかりもよくないから、どうしても見辛い時は使用するけれど、20時くらいに仕事が終わる時はなるべく使わないようにしている。とは言え、他人様の命を預かっている我が職業。無理はしないようにしている。

また、ジジイ話になってしまった。

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名古屋駅への仕事

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本日のお仕事。写りの悪い写真だが、名古屋駅(名古屋人はこれを「名駅(めいえき)と略して言う)へ、合計4往復。今日の場合だと、ラッシュの時間だけハンドルを握る例の「中憩勤務」だったので、午前中に1往復、午後から3往復。ダイヤのバランスが悪くて、後半戦の3回でどっと疲れてしまった。

それも、路側を走る一般のバスではなく、「基幹パス」という道路の中央を走るヘンテコリンなバスでの仕事。判りやすく言えば、路面電車がバスに置き換わったようなものである。だから交差点では、一般自動車の右折帯の更に中央寄りに基幹バスレーンの直進車線がある、との格好になる。開業当初は、新しいシステムに慣れない乗用車がバスレーンに入り込み、バスと衝突する事故がよく起きた。

基幹バスの開業から20年を超え、先人のお蔭で今はそうした事故も激減した。それで、私のように運転の下手な乗務員でもまあまあ気楽に運転できる路線となった。もちろん、これも人によって様々で、何年経っても基幹バスの担当はイヤだという同僚も少なくない。好き好きもある。それは仕方ないことだろう。

私達の営業所で名駅へ乗り入れる路線は、この基幹バスの仕事だけ。名駅のバスターミナルからは、JR名古屋駅のホームが丸見えになる。待機停車していると、目の前をJRの電車が過ぎていき、旅心をくすぐられる。運がよければ、富山や高山へ赴く特急なども見ることがある。私にとっては、名駅へ出掛ける仕事、そんなに相性は悪くない。

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2008年9月 8日 (月)

瀬戸内運輸(せとうちバス)

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先日の予讃線撮影旅行で、初めて「瀬戸内運輸」のバスに乗った。主に松山より東の、東予地区を走る路線バスや、都市間の特急バスなどが主体の会社である。地元ではもっぱら「せとうちバス」の愛称で呼ばれているようだ。バス停にも

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こんな風に書いてあって、バスの車体にも「せとうちバス」と記載されているものが多い。

だけれどここの正式名称は、あくまで「瀬戸内運輸」である。交通公社などの時刻表にも「瀬戸内運輸」として書かれている。

私が敢えてこの会社を取り上げたのは、会社名が無骨ながら昔っぽくて好きだからである。普通、「○○運輸」との会社名だと、トラック会社のケースが多い。バス会社だと、「○○バス」「○○交通」と云う名称が多くて、こうした社名は珍しいと思われる。もちろん、旅客の「運」行「輸」送業だから、○○運輸で構わない。ケチをつける積もりは毛頭ない。寧ろ、以前から気になっていたこの会社のバスに乗ることができて、嬉しく思っている。

ただ、乗車率があまりに低いのが、同業者として気になるところだ。私達は人口密度の高い地域を走っているから、どんな路線でもある程度の客は乗ってくれる。然し、過日の「撮影旅行記」の中で「乗客は往き・還りとも、私一人であった」と書いたのは、他ならぬこのバスのことだ。バスも特別オンボロと云うことはなく、バリアフリー対応のノンステップバスが来た。そんな企業努力をよそに、乗客は中々増えてくれないらしい。

自分自身、バスが好きだから今の仕事を選んだ。地方のバスは、あちこちで路線廃止や公営バスの民営化が報道されている。私が乗った路線も、休日は一日5往復しかなく、乗りたくとも乗り辛いことは理解できる。でも、バスの本数を増やしたとて、過疎化が進む地域では大した効果がないのが実情のようだ。

単なるファン的な思いだが、ここの会社には是非とも長続きして欲しい。昭和の匂いを感じさせる会社名で、ずっと生き残って欲しい。

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2008年9月 6日 (土)

草むしり

昨晩は記事の通り、飲み会であった。ただ思いの外、早くお開きになったので、早くに帰宅しそのまま寝てしまった。9時半には夢の世界だったと思う。

それで、公休日の今日は7時半という早起きをし(おさかなにとっては公休日のこんな時間に起きるのは極めて早起きになる)、シャワーを浴びるなどした後で、ふと居部屋前の空間に目が行った。

家自体が小さいから庭なんて猫のヒタイ以下なのであるが、そこがこんな状況だったのだ。

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たまに、背丈が高くなった雑草を見ると、ちょっとみっともないなと思いつつ抜くことはあったのだが、それにしてもいかにも草ぼうぼうである。やぶ蚊が潜むようになるし、ある程度きれいにしようかと思い、また背丈の高いものから順に抜き始めた。ところがある程度抜いたところで、草むらからひょんと飛び上がったものがある。ありゃ? と思うと、我が家の壁に

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かようにくっついていた。草むらにしていたから、それなりに生命が息づいていたのである。

ハトポッポの項でも書いたと思うが、鳥に限らず小動物が居るとついつい情が移ってしまう。可愛いなあとか、こいつ等なりに一生懸命生きているのだなあとか。

これ以上草むしりを続けたら、彼の餌や住処は剥奪されてしまう。それは人間のエゴ、可哀想な気がする。以上の都合のいい理由を以って、面倒な草むしりはこれきりで終了となった。

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2008年9月 5日 (金)

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本日、職場の有志飲み会の為、1回お休みです。

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2008年9月 4日 (木)

AT車とMT車

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見ての通り、AT車の変速装置(アリソン社製)とマュニアル車の変速装置である。

バス用のトルコンは、メーカーによって、また納入先によって変速装置に様々なタイプがあり、写真は一例である。私達の職場では最も多いタイプの変速機だ。

おさかなの職場ではノンステップ車導入以降、運転者の負担を減らすためにAT車が採用されてきた。然し、燃料費の高騰を受け、今年度の納入車からMTに戻すとのこと。ただ、今年度は一部、AT車も残るとの話である。

普通、ここまで書けば、運転者の負担増となるMT化反対を唱えそうなものだが、実は密かに私は喜んでいるのだ。私はMT車の方がずっと好きなのだ。

何でかって言うと、AT車なら楽は楽だが、自分の好むギアシフトで走れないからだ。それに、AT車って遊園地のゴーカートみたいで、機械の運転操作をしているとの実感がない。機械いじりをしている方が好きな性分だ。

特に前者の理由は、私達の営業所では結構重要なことだ。名古屋でも丘陵地帯を走る機会が多い営業所なので、坂道できちんと性能を発揮してくれないと、折角のトルコンもストレスの原因になりかねない。実際問題として、多くの車種が登り坂で登れもしないのに上の段にオートチェンジしてしまい、速度がズルズル落ちて、また下の段にオートチェンジするなんていうバカバカしいことをやっているのだ。シフトを下げてもこの現象が起きる車種が多い。これでは、燃費だって悪くなる一方だ。

バスにトルコンは、まだ時期尚早とさえ思う。で、私はMT化の話を密かに喜んでいる次第だ。あまり多くの人に知れると、ぶん殴られるかもしれないので、ここにひっそり書いておくだけにしておこう。

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2008年9月 3日 (水)

私の好きな風景

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今日も、まあ何とか終わった。ここのところずっと睡眠が足りないので頭がどんよりしているが、元々鈍い知能しか発揮しない頭だから、どんよりでもよしとしておこう。

さてと。

いつもより少し写真を大きめにした。ちょっと判り辛い写真だと思うので。

これ、とある大学の夕景である。私達の路線バスもここを起終点にしているものがあり、月に3~4回は必ず訪れる。この大学は、キャンパスの真ん中を幹線道路が走っており、各学部棟や施設が、道の東西に分断されながら散在している。そして道路沿いには、これまた東西に分かれて、バスの小さなターミナルのような雰囲気でバス乗り場やバスの待機場所がある。

ここへ夕刻の程々の時間に到着するとこれぐらいの感じの景色が見られるわけだ。この夕景が私は好きだ。特に時計台の青いLEDか何かの色が、この時間帯にはよく目立つから余計好きだ。

青色って「寒色系」と言われるけれど、それはゲイジュツの世界の話であって、個人的には青・緑の系統の色が好きなのである。だから、ここへ行く仕事の時は、夕方のいい時間に当たらないかなと思いながらハンドルを握る。真っ赤な夕日も鮮烈で好きなのだけれど、青い仄かな光もまたいいものである。

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洗濯の日

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只今、23時40分。先程帰ったばかりだが、現在お洗濯中。

私は基本的に、2号勤務(公休日明け2日目)と5号勤務(公休日明け5日目=公休日の前日)の仕事後に洗濯をするようにしている。一人暮らしといえども、3日に一度くらいは洗濯しないと着替えが心もとなくなるし、又あまり洗濯物を溜め込みたくないからだ。写真は今日のものではなく、先日の四国旅行後のものだから、結構色々干してある。普段は、仕事の制服が3着程度、カーテンレールに引っかかっているだけである。

昼間に洗濯のできる環境なら外で乾燥させることもできるけれど、だいたいは夜に洗濯機を動かすので、部屋の中のカーテンレールが物干し竿代わりとなる。

勿論、魚澄庵に独立する時に、乾燥機付の全自動洗濯機は買った。でも、カッター類やTシャツなど皺になり易いものは、すすぎと脱水が終わった段階で取り出し、このように部屋で乾かす。こうすると、アイロンの手間がかなり省ける。一人暮らしも4年半ばかりになり、色々家事に対する知恵も増えた。悪く言えば、楽する方法を身につけた。

こんな苦労するぐらいなら嫁さんを貰っておくべきだったかなぁとよく自問するのだが、人に拘束されることが嫌いな性分で、おまけにかなりの我儘男だ。結婚したとて、3ヶ月程度で破局するであろう。この歳になると、「新しい他人の介在」も厄介だ。何だかんだ文句を言いながらも、魚澄庵の自由は、自分で努力して守るしかない。

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2008年9月 2日 (火)

体調のご報告

今日は公休日明け。仕事が終わったのが遅かったから、これを書き始めるのも遅い。投稿するまでには9月2日になってしまうだろうが、一応9月1日の延長ということで。

ちょうど1ヶ月前の晩、既に神経を抜いてある歯の根元が激しく痛み出し、とうとう一睡もできないことがあった。歯根に膿が大量に溜まったためだった。あれから1ヶ月、膿を抜き、歯根の再治療を施してもらい、最終的な薬も入って、現在は歯冠を被せるための土台の金属が歯の中に納まっている。前回、歯型もとったから、次回(5日に行く予定)で歯冠を被せて元通りにしてもらえるだろう。

歯の方は、ほぼ一件落着といったところ。

歯のことも含めてだが、7月下旬からお盆辺りまでが最も体調が芳しくなかった。7月中旬から始まった新しい仕事のローテーションには慣れられないし、暑さで体がバテていく一方だったし、不眠癖も薬の追加をしなければいけない状態だったし。夏の好きな魚澄庵庵主であるが、今年ほど「早く8月だけでも終わってくれ」と願った年はなかった。体の順応性など、いろいろ衰えもあるようだ。

転職まで本気で考えた体調の悪さであったが、幸い、先日の四国旅行で少し精神的に落ち着けたことと、何よりその頃から急に涼しくなったことで、心身ともにかなり持ち直した。このまま何とか10月まで持ち込めば、今の職場で持ち応えられるだろう。私の体調に関して色々ご心配を頂いた皆様、有難うございました。この場を借りて御礼申し上げます。

さて、残念ながら数日前から、また新たな症状で少し辟易している。外科的なことだから大事ではないが。現在の私の右手首。

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サポーターは飾りではない。下に湿布薬が隠れている。

理由は判らぬが、仕事中に手首のくるぶし辺りから小指にかけて痛みが走り始め、ハンドルを握るのも苦しいくらいになった。で、その翌日からこの姿のままだ。これも、かなり快方に向かっているが、まだ湿布とサポーターは欲しい。雰囲気としては「疲労骨折」に似た症状だが、骨折が数日でそうも急に快方には向かわないから、やっぱり理由は判らない。多分、あと数日はこのままの姿で仕事するであろう。

40歳を超えれば、人間、誰しも何らかの体調の変化はある。下らない自分の話に終始したが、これが9月を迎えたおさかなの体調ご報告である。

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